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ページ番号:5767
掲載日:2023年4月17日
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偉人氏名 |
太田 玉茗 |
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氏名よみがな |
おおた ぎょくめい |
偉人氏名(別名) |
太田 玄綱 |
別名よみがな |
おおた げんこう |
主な功績 |
近代において新体詩を発表する |
分野 |
文学 |
ゆかりの市町村名 |
羽生市 |
出生地 |
行田市 |
主な居住地 |
羽生市 |
生年(西暦)から 没年(西暦) |
1871から1927 |
生年(和暦)から 没年(和暦) |
明治4年から昭和2年 |
功績 |
羽生市の建福寺住職太田玄瞳の養子に入った玉茗は、文学に関心を持ち、柳田国男らと紅葉会を作ると、新体詩人として新体詩を発表した。また、田山花袋の義兄でもあった玉茗は、『田舎教師』のモデルとなる小林秀三の日記など情報を提供。名作『田舎教師』は玉茗なくして誕生せず、同作の献辞には、「この書を太田玉茗氏に呈す」と記されている。 |
関連ホームページ |
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著書・作品(出版社・収蔵館) |
『太田玉茗詩集』(羽生市) |
参考文献(著者・出版社) |
『「田舎教師」と羽生』(羽生市) |
ゆかりの場所・名称 |
建福寺 |
ゆかりの場所・住所 |
埼玉県羽生市南1丁目3-21 |
ゆかりの場所・説明 |
太田玉茗が住職を務めた当時の本堂が残っている。なお同寺の霊園(羽生市上岩瀬)には玉茗の墓碑も建っている。 |
ゆかりの場所ホームページ |
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