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ページ番号:5783
掲載日:2023年4月25日
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偉人氏名 |
橘 守部 |
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氏名よみがな |
たちばな もりべ |
偉人氏名(別名) |
橘 元輔 |
別名よみがな |
たちばな もとすけ |
主な功績 |
国学者・独自の学説の確立に努め、「天保の国学四大人の一人」と称された。 |
分野 |
学術 |
ゆかりの市町村名 |
幸手市 |
出生地 |
三重県 |
主な居住地 |
幸手市 |
生年(西暦)から 没年(西暦) |
1781から1849 |
生年(和暦)から 没年(和暦) |
天明元年から嘉永2年 |
功績 |
江戸時代後期の国学者。ほとんど独学で国学を修め、29歳の時幸手宿の北、内国府間村に来住、文政12年(1829)江戸深川に転居するまでの20年間を当地で過ごし、静かな環境の中、多くの著作を残した。守部は当時の主流的学統であった本居宣長を元とする学風を大胆に批判、宣長とは異なる一家の学風をうちたてようと努めた。 |
関連ホームページ |
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著書・作品(出版社・収蔵館) |
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参考文献(著者・出版社) |
『橘守部』(鈴木暎一、吉川弘文館・人物叢書) |
ゆかりの場所・名称 |
橘守部翁遺蹟碑 |
ゆかりの場所・住所 |
幸手市北1-17-59(幸手桜高等学校地内) |
ゆかりの場所・説明 |
昭和4年建立、昭和3年の大礼のとき正五位追贈を記念し町民有志により建てられた。 |
ゆかりの場所ホームページ |
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