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掲載日:2026年2月26日
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蚕は4回の脱皮を繰り返し、やがて繭を作るようになるのだが、卵からかえった幼虫が繭になるまでおよそ一か月弱かかり、その間、アリほどの大きさだった幼虫が大人の中指ほどまでに成長する。そのため蚕の成長が進むとその分、大きな飼育スペースが必要となる。必然、住民たちは蚕に追いやられる形で一か所に縮こまって生活しなければならなかった。これは蚕と寝食を共にするような状態といっても過言でなく、子供などは朝、目覚めると眼前に蚕がいることに驚いて悲鳴をあげるということもあったらしい。物理的にも人間の生活の中に蚕がいたのである。
蚕が繭になる直前、幼虫の体はわずかに透きとおった薄黄色に変色する。これを正式には「熟蚕(じゅくさん)」と言うのだが、児玉地域の農家は「ズウ」と呼んだ。ズウは蚕が繭を作る直前の状態である。間もなく蚕はグルグルと首を振り始め、身体の周囲に糸を巻き付けることで繭を作るのである。だが養蚕農家にとっては美しく、質の良い繭にしなければ値段が付かない。ここでもし、形の悪い繭を作らせてしまったら、それまでの苦労は水泡に帰すことになるのである。そのため、首を振り始めると直ちに彼らを拾いあげ、蔟(まぶし)と呼ばれる専用の用具に移動させる必要がある。蔟は、藁やボール紙でできた、蚕に繭を作らせるための道具である(写真)。
しかし、蚕が首を振りはじめるタイミングはその時の温度や湿度等の条件によってまちまちで、予測をつけるのが困難であった。多くの場合は、飼育する数千から数万頭の蚕が突然、一斉に首を振り、糸を吐き始めるのである。これは相手が生き物のため、仕方ないことなのだが、農家の人々はたとえ、それが深夜であっても夜通しで蚕を拾い上げ、そのすべてを蔟の中に移さなければならなかったのである。

▲わら蔟(藁を編んで三角錐の形にしたもので、藁と藁の間で蚕が繭を作った)
このズウから繭になるまでの一連の作業を、農家の人々は「オコアゲ」と呼んでいた。この作業が終わると、後は繭を収穫し出荷を待つだけであり、過酷な作業も一段落がする。人々は繭が収穫できる状態になることを「繭が上がる」といった。各農家ではオコアゲが終わると「アゲ祝い」といって普段より少しだけ贅沢な食事をふるまったり、小遣いを渡したり、あるいは嫁を実家に帰すなどをして養蚕を手伝ってくれた家族の労をねぎらった。地域によるが埼玉県内ではオコアゲの時は餅や饅頭、赤飯を作ったというし、隣の群馬県でも饅頭や赤飯のほか、うどんや「オコアゲ餅」と呼ばれる、ぼたもちを食べた。また筆者が聞き取った範囲だと、上里町大字黛のある農家では、オコアゲが終わると隣の金久保地区にあった揚げ物屋に必ず秋刀魚の唐揚げを買いに行ったという。話を聞いているだけでもサクサクの唐揚げが想像され、よだれが垂れる思いだが、このことを語ってくれた人も何故、オコアゲに秋刀魚の唐揚げを食べるのか、よく分からないという。筆者の全くの想像だが、もしかすると「オコアゲ」と唐揚げの「揚がる」が掛け言葉になっているのではないだろうか。唐揚げを揚げることが、オコアゲが終わって養蚕が成功すること(「繭が上がる」)と関連しているようにすら思えてくる(いや、そんな訳ないか…)。また、本庄市宮戸等でも群馬県同様にオコアゲの際にうどんを打った。しかし、この地域ではうどんは日常的に食べられている食事だから、特段、お祝いという感覚はなかったという。
いずれにせよ、オコアゲは蚕という生き物相手の繊細かつ過酷な作業から解放される瞬間だったのである。

▲キバチ(「ズウ」を乗せ、蔟に移動するために利用したもの。
大きさは30cmほどで写真の木製のほか、樹脂製、ブリキ製、紙製のものがあった)
前回までも紹介してきたように、養蚕における繭の出来は農家の収入、ひいては国家や地域の発展に直結した。当時、蚕はまさしく富を生む「オカイコサマ」だったのである。それにより農家たちは豊かになり、前回まで紹介してきたように経済やインフラをはじめ児玉地域全体が発展していった。
努力してより多くの上質な繭を作れば、自分たちも地域も、さらには国家そのものが豊かになる。養蚕農家の人々はそう信じて、多大な負担や危険をおかしてでも蚕の飼育に熱中していったのであった。明治、あるいは江戸時代以来、養蚕を続けてきた児玉地域の人々は、養蚕と切っても切れない関係となっていた。養蚕のためなら自分たちの習慣やライフスタイルさえも変えていく。筆者はこの現象を勝手に「養蚕ファースト」と呼んでいる。次回からは「養蚕ファースト」の事例を紹介しよう。
【参考文献】
群馬県教育委員会編『群馬県の養蚕習俗』群馬県教育委員会事務局 1972年
上里町史編集専門委員会編『上里町史』別巻 1998年