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掲載日:2021年7月16日

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NHK大河ドラマ主人公 渋沢栄一の活躍を今に伝える県境の魅力めぐり その3

 埼玉県の最北端・本庄児玉地域は、通勤・通学、通院、買い物など日常的に群馬県との県境を行き来し、県北にあって熊谷市や深谷市などとは異なる生活圏を形成しています。

この県境にまたがる地域は、令和3年のNHK大河ドラマの主人公渋沢栄一や、2021年に没後200周年を迎える盲目の国学者・塙保己一をはじめ各分野で活躍する多くの先人たちを輩出しており、我が国の成長を支えた産業遺産も数多く点在する地域です。

この特集は、東京国際大学非常勤講師・NPO川越きもの散歩代表の藤井美登利氏に取材、執筆をお願いし、地域の皆様にご登場頂きながら進めてまいります。

当時の時代背景や、渋沢栄一と絹産業にまつわるお話など、写真やエピソードを挿み分かりやすくお伝えし、こちらにお出かけの際に参考となるよう周辺施設のご案内も併せてしていきます。

fujiisan 藤井美登利氏

東京国際大学非常勤講師・NPO川越きもの散歩代表 埼玉県共助仕掛人

https://kawagoe-kimono.jimdofree.com/

https://silk-story.jimdofree.com/(絹のものがたり)

さいたま絹文化研究会(秩父神社・高麗神社・川越氷川神社)会報誌発行。埼玉県内の染織工房や絹文化とまちづくりを紹介する単行本「埼玉きもの散歩」をさきたま出版会より上梓。

栄一ロゴ青

 

その3 旧渋沢邸「中の家」 渋沢栄一生誕の地 深谷市指定文化財・埼玉県指定旧跡(深谷市)

渋沢栄一が主人公のNHK大河ドラマ「青天を衝け」が2月14日から始まりました。みなさんもご覧になられていますか?

家業の藍と養蚕に励む若き日の栄一の姿が紹介されています。江戸での交流や武士の世界に入っていく今後の展開が楽しみですね。

今回は栄一を育んだ深谷市血洗島の旧渋沢邸「中の家」を紹介します。

中の家

旧渋沢邸 「中の家」『©深谷市』

明治28年に再建され、栄一の妹夫婦が住んでいた建物。栄一は多忙の中、年に数回この家を訪れるのを楽しみにしていた。

 

養蚕と藍玉の家 

「近代日本経済の父」と称され、論語の精神を重んじ生涯に500以上の企業や600余りの社会事業の設立に関わった渋沢栄一。明治維新の28年前に生まれ、幕末、明治、大正、昭和を生きた91歳の栄一の生涯は、日本の激動の時代と重なります。

渋沢栄一の生家がある深谷市血洗島は中山道深谷宿から北へ6キロ、さらに1.6キロ先に利根川の中瀬河岸があり、人と物資が行き交う重要な場所でした。前回紹介した伊勢崎市境島村は、この中瀬河岸のひとつ上流の河岸となります。ともに幕末に横浜へ蚕種を輸出した地域であり、利根川舟運が運ぶ文化、経済圏が共通しています。血洗島周辺には渋沢姓の家が17軒ほどあり、栄一の生家は「中の家」と呼ばれ、養蚕と藍玉で財を成した豪農でした。ドラマの中でも藍の栽培に多くの村人が関わる様子が描かれています。 

 

衣料の染料になる藍玉の生産販売は、限られた季節に大量の藍葉を仕入れるため、一時に多額な資金を要すること、約3ヶ月にわたる発酵期間に多くの人手を要すること、広範な販路が必要なこと、資金回収に長い時間がかかることなど、様々な問題があり新規参入が難しい業種でした。それだけに利潤も大きく、栄一の家の年商は一万両を越えていたといわれます。藍の栽培には肥料として大量の干鰯が必要になりますが、それらは利根川の舟運を利用して上総の九十九里から運ばれました。また、野良着や地下足袋などで有名な武州藍染の羽生の中島紺屋には、渋沢家から藍玉を仕入れた記録が残っています。これも利根川が運んだ藍文化の波及といえるでしょう。

栄一は14歳のときに一人で農家へ藍葉の買い付けに行き、農家と対等に話をしてきたといいます。彼の初めての商業活動でした。

 

養蚕への思い

藍と並び、養蚕も栄一の家の大きな収入源でした。明治28年に建てられた「中の家」建物は、境島村の田島弥平宅と同じ総瓦葺き二階建て、屋根の上に蚕室の換気のための櫓をのせた大規模な養蚕農家住宅です。栄一の伯父の「東の家」渋沢宗助(ドラマでは平泉成が演じる)は養蚕技術の改良に熱心で、東北地方にまで研究に行き、技術書「養蚕手引抄」を安政年間に出版しています。田島弥平らと同様に、蚕種を横浜の外国商館に販売し財を成しました。栄一の養蚕知識にも影響を与えたことでしょう。

栄一は後に振り返り、「私は19歳まで、郷里埼玉県の農村に在って、自分で桑を作り蚕を飼い藍も作ったので、蚕糸業の農学に関しては旧式ながら実施の体験を有っております。大蔵省の役人になってからは、群馬県の富岡に官立の製糸所を創設し、器械製糸の模範を示すことに微力を致し、更に第一銀行創立以降は生糸の輸出貿易や絹織物業の金融に浅からぬ関係を致してきております。日本の蚕糸業の普及発達に対しましては民間在野の支持者擁護者として、六十余年の間微力を献じて参ったのであります」と『蚕糸学報』で述べています。官営富岡製糸場開場に栄一が関わった話は有名ですが、家業でもあった蚕糸業に特別の思いを抱いていたのがうかがわれます。「中の家」の敷地内には養蚕を行っていた主屋と、藍玉を貯蔵していた蔵が残り、渋沢家の家業を今に伝えています。

蔵

旧渋沢邸の敷地に残る蔵

 

深谷市文化財保護審議会委員・竜門社深谷支部幹事
渋沢栄一翁の志 副委員長 荻野勝正さん

荻野さん

「私の家は『中の家』の近く、栄一翁が設立に関わった日本煉瓦製造会社のある上敷免です。この煉瓦会社には祖父が勤めていました。母の実家も田んぼを提供しました。日本煉瓦は煉瓦用の土を地元の農家から購入した後も、田んぼの土壌改良をきちんとやって戻してくれました。ここにも栄一翁の農民への思いやりが感じられます。

我が家の床の間には、栄一翁が徳川家康の遺訓を書いたかけ軸がありました。ご縁があり祖父が、栄一翁の親戚の尾高家から頂いたものです。今回のドラマの冒頭にも徳川家康がでてきて驚きました。江戸や水戸の思想や文化も利根川の舟運がもたらしたものですね。藍や生糸の流通と江戸や水戸・横浜の文化や思想、栄一の『論語とソロバン』はこの地で自然と育まれたといえるのではないでしょうか。」

煉瓦事務所

渋沢栄一が設立に関わった日本煉瓦製造株式会社事務所。荻野さんの父が勤務していた。ここで製造された煉瓦は、東京駅や迎賓館赤坂離宮にも使われている。

埼玉県立歴史と民族の博物館 特別展「青天を衝け ~渋沢栄一のまなざし」
埼玉県150周年・開館50周年記念 2021年3月23日(火曜日)~5月16日(日曜日)

歴史と民族特別展表

歴史と民族特別展裏

 

渋沢栄一はノーベル賞候補に2回もなっていたことをご存知でしょうか。

すでによく知られている実業家としての栄一ではなく、文化、教育、福祉、平和への思いを知ることが出来る特別展となっています。アメリカとの青い目の人形の交流など、埼玉県に残る12体の人形の勢ぞろいも見逃せません。また、財閥を作らなかった栄一の美術愛蔵品は、所蔵者を変えながら点在しているとのこと。今回それら栄一が愛した美術品も展示されます。

(文責・さいたま絹文化研究会 藤井美登利)

 

渋沢栄一アンドロイド

旧渋沢邸「中の家」に置かれている渋沢栄一のアンドロイド

 

参考資料 埼玉県蚕糸業史 『渋沢栄一とその周辺』新井慎一 博学堂 『渋沢家三代』佐野眞一 文春新書

 関連サイト

大河ドラマ館「 渋沢栄一 青天を衝け 深谷大河ドラマ館」【公式】(別ウィンドウで開きます)

渋沢栄一デジタルミュージアム(別ウィンドウで開きます)

 


 

その4 渋沢栄一論語の師・尾高惇忠家と桃井可堂郷土資料館(深谷市)

尾高家

 

 

 

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企画財政部 北部地域振興センター 本庄事務所  

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