トップページ > 文化・教育 > 文化 > 埼玉の偉人ホームページ > 埼玉ゆかりの偉人データベース > 北部地域 > 埼玉ゆかりの偉人/検索結果(詳細)/矢田部 卿雲
ページ番号:5658
掲載日:2023年4月26日
ここから本文です。
偉人氏名 |
矢田部 卿雲 |
---|---|
氏名よみがな |
やたべ けいうん |
偉人氏名(別名) |
矢田部 信明(本名) |
別名よみがな |
不明 |
主な功績 |
蘭学者 |
分野 |
学術 |
ゆかりの市町村名 |
上里町 |
出生地 |
上里町 |
主な居住地 |
東京都他 |
生年(西暦)から 没年(西暦) |
1819から1857 |
生年(和暦)から 没年(和暦) |
文政2年から安政4年 |
功績 |
江戸時代後期の蘭学者。賀美郡勅使河原村(現上里町)荒井家に生まれ、名は信明、信任。卿雲・郷雲と号す。卿雲のとき矢田部に復姓。江戸深川の坪井信道の日習堂で蘭学・蘭方医学を学ぶ。この頃オランダ産科学者サロモンの『産科の指針』の翻訳を手がけ、江川英竜に抱えられた後、弘化2年(1845)に完成。これが『撒羅満(さろもん)氏産論抄書』である。嘉永5年(1852)秩父大宮の医師伊古田純道による日本最初の帝王切開手術は卿雲の訳による「撒羅満氏産論」によるものだったと言う。また、反射炉や台場の建設にも尽力し、安政元年(1854)にはオランダ軍艦で通訳も務めた。享年39歳。墓は谷中墓地と天神(上里町)荒井家墓地にある。 |
関連ホームページ |
--- |
著書・作品(出版社・収蔵館) |
『撒羅満氏産論抄書』 |
参考文献(著者・出版社) |
『上里町史』 |
ゆかりの場所・名称 |
--- |
ゆかりの場所・住所 |
--- |
ゆかりの場所・説明 |
--- |
ゆかりの場所ホームページ |
--- |
お問い合わせ
より良いウェブサイトにするためにみなさまのご意見をお聞かせください