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ページ番号:5826
掲載日:2023年4月26日
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偉人氏名 |
細村 青荷 |
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氏名よみがな |
ほそむら せいか |
偉人氏名(別名) |
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別名よみがな |
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主な功績 |
俳人・「春水集」ほか |
分野 |
文学 |
ゆかりの市町村名 |
本庄市(旧児玉町) |
出生地 |
本庄市(旧児玉町) |
主な居住地 |
本庄市(旧児玉町) |
生年(西暦)から 没年(西暦) |
1803から1881 |
生年(和暦)から 没年(和暦) |
享和3年から明治14年 |
功績 |
青荷は俳句の盛んな環境のもとに生まれ、成長して毛呂山の春秋庵川村碩布の弟子となる。師匠碩布に可愛がられ後に碩布の庵号橿寮を譲られてその二世となる。青荷は多くの業俳が江戸に出て活躍したのに対し、地元にとどまって地方の俳諧宗匠として活躍した。安政6年には児玉村の八幡神社に碩布の春水句碑を建立して師恩に報いる。さらに建碑を記念して『春水集』2冊を刊行した。青荷は俳句だけでなく書画にも通じ、特に亀と梅の絵を得意とした。また芭蕉翁の俳画も残している。青荷は橿寮を四方田の久保田素瓢に譲り西窓を称した。明治14年正月15日に79歳で没した。本庄市の光徳寺(現在はなし)墓地に葬られる。墓には「西窓青荷墓」、裏面には「ちるこの葉、終わりはものの、はじめかな」と時世句が刻まれている。 |
関連ホームページ |
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著書・作品(出版社・収蔵館) |
『春水集』、『芭蕉翁画』ほか |
参考文献(著者・出版社) |
『児玉町歴史散歩』(児玉町史編さん室)、『久米逸淵小伝』 |
ゆかりの場所・名称 |
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ゆかりの場所・住所 |
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ゆかりの場所・説明 |
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ゆかりの場所ホームページ |
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