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ページ番号:5664
掲載日:2023年4月25日
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偉人氏名 |
高橋 周兵衛 |
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氏名よみがな |
たかはし しゅうべえ |
偉人氏名(別名) |
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別名よみがな |
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主な功績 |
群馬との県境の確定 |
分野 |
その他 |
ゆかりの市町村名 |
神川町 |
出生地 |
神川町 |
主な居住地 |
神川町 |
生年(西暦)から 没年(西暦) |
1834から1908 |
生年(和暦)から 没年(和暦) |
天保5年から明治41年 |
功績 |
周兵衛は肥土村(現神川町肥土)の名主の家に生まれた。周兵衛が27歳になった文久年間(1861から1863)に隣村の本郷村(現群馬県藤岡市)と肥土村との間に境界紛争がおこった。このとき周兵衛は家に伝わる元禄絵図を根拠に領主黒田筑後守に訴願して解決をはかり、争論5ヶ年に及んだものの、ついに勝訴して国境を確立した。県境が現在の位置に定まったのは、この時の周兵衛の尽力によるものである。 |
関連ホームページ |
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著書・作品(出版社・収蔵館) |
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参考文献(著者・出版社) |
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ゆかりの場所・名称 |
肥丹真守「壽碑」 |
ゆかりの場所・住所 |
神川町肥土478 |
ゆかりの場所・説明 |
肥丹真守(周兵衛)の息子たちが、国境論争などに功績をあげた父を称えるために明治33年に建立した。 |
ゆかりの場所ホームページ |
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