トップページ > 文化・教育 > 文化 > 埼玉の偉人ホームページ > 埼玉ゆかりの偉人データベース > 北部地域 > 埼玉ゆかりの偉人/検索結果(詳細)/佐藤 虎次郎
ページ番号:5565
掲載日:2023年4月18日
ここから本文です。
偉人氏名 |
佐藤 虎次郎 |
---|---|
氏名よみがな |
さとう とらじろう |
偉人氏名(別名) |
--- |
別名よみがな |
--- |
主な功績 |
海外雄飛・豪州で会社設立 |
分野 |
産業 |
ゆかりの市町村名 |
本庄市(旧児玉町) |
出生地 |
本庄市(旧児玉町) |
主な居住地 |
神奈川県 |
生年(西暦)から 没年(西暦) |
1864から1928 |
生年(和暦)から 没年(和暦) |
元治元年から昭和3年 |
功績 |
元治元年に児玉郡太駄村茂木太平の3男として生まれる。16歳で原善三郎を頼って横浜に出る。原商店で働き商法研究会に参加。21歳の時にアメリカ留学し、この間に南方熊楠らと交友を深める。明治23年に卒業帰国し、本庄町出身の石川三四郎家に間借りする。虎次郎は自由新聞に参画、この頃代議士中島信行夫妻らと親交を持ち、その縁で紀州の山林財閥佐藤家の婿養子となる。紀州地方の豪州移民に関心を持ち、政府の移民調査を委嘱され豪州に旅立つ。明治26年、豪州の木曜島に佐藤商会を設立して天然真珠の採貝事業を始め大成功をおさめる。「木曜島のキング」と呼ばれ白人の同業者を圧倒する。しかしオーストラリア政府の政策のため事業の継続が困難となり、明治34年に店を閉めて帰国。帰国後は横浜新報の経営を行った。昭和3年に死去。 |
関連ホームページ |
--- |
著書・作品(出版社・収蔵館) |
『太洋策』ほか |
参考文献(著者・出版社) |
『佐藤虎次郎』(清水昭著) |
ゆかりの場所・名称 |
太駄の茂木家 |
ゆかりの場所・住所 |
本庄市児玉町太駄八殿谷 |
ゆかりの場所・説明 |
虎次郎の生家。 |
ゆかりの場所ホームページ |
--- |
お問い合わせ
より良いウェブサイトにするためにみなさまのご意見をお聞かせください