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掲載日:2021年6月8日

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荻野吟子について

 

荻野吟子は江戸時代末期の嘉永4年(1851年)、現熊谷市俵瀬に生まれました。18歳で結婚しましたが、不慮の病に罹り2年ほどで離婚しました。この時、婦人科の治療を受けたことから、女性医師の必要性を痛感し、医師となることを決意しました。

しかし、当時、女性には医術開業試験の受験が認められておらず、制度改正に奔走しました。その際、「令義解(りょうのぎげ)」という古文書に女医の記述があることを訴えたと言われています。この「令義解」を校訂し、後世に引き継いだのが埼玉の偉人「塙保己一(はなわほきいち)」でした。

こうして吟子は様々な困難を克服し、明治18年(1885年)、医術開業試験に合格、日本で最初の公認女性医師となりました。

開業後は、診療活動に加え、婦人解放運動等の社会的活動も担い、女性の地位向上や衛生知識の普及にも大きく貢献しました。大正2年(1913年)、62歳で永眠し、栄光と波乱に満ちた生涯を閉じました。

「日本の最初の女医『荻野吟子』」パンフレット(PDF:3,004KB)

 

埼玉県では、荻野吟子にちなみ、その不屈の精神を今に伝える先駆的な活動を通じて、男女共同参画の推進に顕著な功績のあった個人や団体、事業所に「さいたま輝き荻野吟子賞」を贈っています。「さいたま輝き荻野吟子賞」について 

新規・更新箇所「女医のパイオニアは埼玉出身!荻野吟子」マンガPR冊子

吟子マンガPR冊子(表紙) 県では、困難を乗り越え、日本で最初の女性公認医師となった荻野吟子の顕彰に取り組んでいます。

 荻野吟子の功績とその不屈の精神を若い世代をはじめ多くの方に知っていただくため、県立熊谷女子高等学校漫画愛好会の皆様にご協力いただき、マンガPR冊子を作成しましたのでご覧ください。

 「女医のパイオニアは埼玉出身!荻野吟子」(PDF:5,290KB)

 ※冊子として印刷する場合にはページサイズ処理を「小冊子」とし、両面印刷、右綴じに設定して印刷してください

  また、当PR冊子は6月21日(月曜日)から県政情報センター(衛生会館1階、要予約:048-830-2543)、県男女共同参画推進センター(With You さいたま)、各地域振興センター、各県立図書館で閲覧できます。

荻野吟子にかかわる年表 

西暦 和暦 主なできごと
1851年 嘉永4年 俵瀬村(現熊谷市)で誕生
1868年 慶応4年 稲村貫一郎と結婚
1870年 明治3年 病気で協議離婚。入院、女医を志す
1875年 明治8年 東京女子師範学校(現お茶の水女子大学)入学
1879年 明治12年 私立医学校好寿院入学
1882年 明治15年 好寿院を卒業。医術開業試験願書却下続く
1884年 明治17年 医術開業試験受験許可
1885年 明治18年 試験合格、医院開業
1886年 明治19年 本郷教会にて洗礼を受ける、東京婦人矯風会入会
1887年 明治20年 大日本婦人衛生会設立
1890年 明治23年 議会婦人傍聴禁止撤回運動に参画
志方之善と再婚
1894年 明治27年 渡道、夫とともにキリスト教による理想郷を目指す
1905年 明治38年 夫の死去
1908年 明治41年 東京へ戻り、医院を開業
1913年 大正2年 死去

参考資料・関係機関

 関係機関

「荻野吟子記念館」(熊谷市)

「熊谷デジタルミュージアム(熊谷偉人の部屋)」(熊谷市)

お問い合わせ

県民生活部 男女共同参画課 推進・DV対策担当

郵便番号330-9301 埼玉県さいたま市浦和区高砂三丁目15番1号 本庁舎1階

ファックス:048-830-4755

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