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ページ番号:5593
掲載日:2021年8月18日
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偉人氏名 |
高野 佐三郎 |
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氏名よみがな |
たかの ささぶろう |
偉人氏名(別名) |
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別名よみがな |
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主な功績 |
剣道家 |
分野 |
その他 |
ゆかりの市町村名 |
秩父市 |
出生地 |
秩父市 |
主な居住地 |
秩父市 |
生年(西暦)から 没年(西暦) |
1862から1950 |
生年(和暦)から 没年(和暦) |
文久2年から昭和25年 |
功績 |
剣道家。秩父市に生まれ、祖父である忍藩松平下総守の剣術指南高野苗正につき小野派一刀流組太刀を学び、5歳の時これを藩主の御覧に入れ、「奇童」の二字を拝領した。20歳の時甲源一刀流岡田伝七郎との試合に敗れ、志を立て上京し、後山岡鉄舟の門人となり、23歳で警視庁師範を務め、ほどなく多年にわたる宿望岡田との試合に勝利した。明治21年、山岡鉄舟没するや佐三郎は完全にその後継者と世に認められ、師に倣って鎌倉建長寺に参禅して心身の鍛練に励んだ。やがて警視庁を辞し、一旦秩父明信館に帰って父の道場に門弟を教え、また、浦和にも道場を開き、傍ら師範学校・警察の剣道教師を拝命、その後東京九段に道場(修道学院)を開き、大正5年嘉納治五郎の知遇を得、東京高師の剣道教授となり、昭和11年、同校勅任教授となった。明治から大正へかけての間、4回にわたって天覧試合に優勝し、昭和4年、同9年の天覧試合には審判長を務めた。今日の武道界発展の基礎を築いた人物である。 |
関連ホームページ |
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著書・作品(出版社・収蔵館) |
『剣道』(島津書房)、『剣道教本』 |
参考文献(著者・出版社) |
『伝記叢書37高野佐三郎』(埼玉県立文化会館・大空社)、『高野佐三郎・剣道遺稿集』(堂本昭彦著) |
ゆかりの場所・名称 |
秩父神社境内 |
ゆかりの場所・住所 |
秩父市番場町1-13 |
ゆかりの場所・説明 |
高野佐三郎頌徳碑が建立されている。 |
ゆかりの場所ホームページ |
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