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ページ番号:5807
掲載日:2023年4月17日
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偉人氏名 |
伊古田 純道 |
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氏名よみがな |
いこた じゅんどう |
偉人氏名(別名) |
伊古田 寧(本名) |
別名よみがな |
いこた やすし |
主な功績 |
医師・日本最初の帝王切開手術 |
分野 |
学術 |
ゆかりの市町村名 |
秩父市 |
出生地 |
秩父市 |
主な居住地 |
秩父市 |
生年(西暦)から没年(西暦) |
1802から1886 |
生年(和暦)から没年(和暦) |
享和2年から明治19年 |
功績 |
医師。秩父市に生まれ、幼名を富次郎、名は寧、字を致遠、忌み名を重満、通称を純道、楢陵または白茅樵舎主人と号した。23歳の時、武州比企郡番匠村(現比企郡ときがわ町)の産婦人科医小室元長につきオランダ医術を学び、後、江戸に出て諸名家につき医学及び和漢の学を究め、帰郷して開業した。当時秩父郡の医学は漢方医を主としており、洋医は流行らなかったが、嘉永5年オランダ医術による帝王切開術決行の機会が訪れた。純道と武州秩父郡南川村(現飯能市)の蘭方医の両医師により、逆子の難産に苦しむ妊婦(本橋みと)の一命を救うために、我が国最初の帝王切開術が決行された。胎児は既に死亡しており、窮餘の策として行われたものの、手術は見事に成功し、産婦の一命を取り留めている。 |
関連ホームページ |
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著書・作品(出版社・収蔵館) |
『子宮截開術実記』、『撒羅満氏産論抄書』、 |
参考文献(著者・出版社) |
『帝王切開事始』(高木明) |
ゆかりの場所・名称 |
本橋家敷地内 |
ゆかりの場所・住所 |
飯能市坂元1298 |
ゆかりの場所・説明 |
「本邦帝王切開術発祥の地」記念碑が建立されている。 |
ゆかりの場所ホームページ |
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