ページ番号:5644

掲載日:2023年4月25日

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埼玉ゆかりの偉人/検索結果(詳細)/武島 務

検索結果(詳細)

偉人氏名

武島 務

氏名よみがな

たけしま つとむ

偉人氏名(別名)

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別名よみがな

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主な功績

軍医・森鴎外「舞姫」太田豊太郎のモデル

分野

その他

ゆかりの市町村名

秩父市

出生地

秩父市

主な居住地

秩父市

生年(西暦)から 没年(西暦)

1863から1890

生年(和暦)から 没年(和暦)

文久3年から明治23年

功績

近代文学史上不朽の名作といわれる森鴎外の処女作『舞姫』の主人公である太田豊太郎の設定には、秩父郡太田村(現秩父市)出身の軍医、武島務の生涯が色濃く投影されていた。太田豊太郎の名前も、務の出身地秩父郡太田村の太田と、鴎外の実名である林太郎とを合成して命名したものと考えられる。務は秩父市に生まれ、明治19年私費留学生として、ドイツのベルリン大学へと遊学した。一方、鴎外も軍医留学生として2年前にドイツへ渡っており、ベルリンの地で二人は邂逅をし、親交を重ねている。その後、務の実家から送金を頼まれていた人物が学費を着服、仕送りが途絶えたことをめぐり、務は仲間から中傷を受け、帰国命令が下った。これを拒否して留学を続けるうち、明治20年、免官処分が下され、軍職を失うことになった。それから3年後、務が27歳の時、ドレスデンで結核のため、短い不遇の生涯を閉じた。帰国した鴎外が『舞姫』を発表した4ヶ月後のことだった。

関連ホームページ

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著書・作品(出版社・収蔵館)

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参考文献(著者・出版社)

「武島務と森鴎外―或る『舞姫』傳覚書」(西田芳治著・秩父新聞社)
「武島務の履歴書―森鴎外『舞姫』の詩と真実」(平井孝・埼玉新聞)
「地域再生と国際化への政策形成 より良い生活空間づくりへの途」所収(金田昌司・中央大学出版部)
「明治二十一年六月三日 鴎外『ベルリン写真』の謎を解く」(山崎光夫・講談社)

ゆかりの場所・名称

  • (1)武島務墓標跡
  • (2)武島務鎮魂碑

ゆかりの場所・住所

  • (1)ドイツ国,ドレスデン市マテーウス教会墓地,墓域26列6墓標1
  • (2)秩父市大田2302番地

ゆかりの場所・説明

  • (1)墓標は武島務が勤務したR.ゼーリッヒ&ヒレ社(現・ティーカンネ社)により建てられた。
  • (2)鎮魂碑は平成10年武島家により建立された。

ゆかりの場所ホームページ

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お問い合わせ

県民生活部 文化振興課 文化創造・発信担当

郵便番号330-9301 埼玉県さいたま市浦和区高砂三丁目15番1号 第3庁舎1階

ファックス:048-830-4752

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