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掲載日:2023年12月12日

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土地分類調査報告書(寄居)

目次

序文

国土の開発、保全並びにその利用の合理化、高度化を計ることは、限られた土地資源に対し、人口稠密なわが国においては当然に緊要な課題であり、従来このための、種々の調査、研究が各方面で行われたが、いずれも単一の利用目的のための、若しくは単なる利用現況のは握に過ぎないものが多く、合理的、効果的な利用、開発、保全計画を策定するには不十分で、あらゆる角度から総合的に国土の実体をは握する必要にせまられてきた。

国土調査法はこの主旨に基づき、昭和26年に制定されたものであるが、これによる土地分類基本調査は、土地の基本的な性格を規定している地形、表層地質、土じょうの3つの要素をとり上げ、その各々について5万分の1地形図を基図として調査を行い、その結果を相互に有機的に組み合わせることにより、実態を正確に把握し、土地をその利用の可能性により分類しようとするものである。

この調査における地形調査は主として、現地形の成因的、性質的な分類に、表層地質調査は岩石の物理性(硬軟)による分類に、土じょう調査は、比較的広い地域にわたる土じょうの類及び統の分類等において、従来の調査には見られなかった特色を持っているものである。そして、これらの調査は一面において、相互補完的な意味を持っているが、地形、表層地質、土じょうの順に調査を行えば、より正確に、且つ経済的に本調査を遂行することが出来るものである。又さらに個々の土地について行う土地分類細部調査に対しては、その前提となる調査である。

これらの調査は、各機関の権威者の協力により、昭和29年より30年までの間に総理府令として制定された各作業規程準則に基づき実施されたもので、昭和38年度末までに、本図幅を含めて次の10図幅の調査並びに成果の印刷が完了することになっている。

水沢(岩手県) 湯殿山(山形県) 前橋(群馬県) 宇都宮(栃木県)

寄居(埼玉県) 鰍沢(山梨県) 四日市(三重県) 津山西部(岡山県)

熊本(熊本県) 鹿屋(鹿児島県)

又本調査はさらに昭和37年5月19日法律第149号“国土調査促進特別措置法”に基づく国土調査事業10箇年計画(昭和38年5月10日閣議決定)により、昭和47年度までに全国の代表的な40図幅について調査を行うことになり、昭和39年度より年間4~5図幅の調査を行うことになったのである。

この「寄居」図幅は、昭和37,38の両年度(地形現地調査は昭和30年度)にわたり調査の行われたもので、関東平野と関東山地の接触部としては、ほぼその中央部に位置し、荒川がその中央部を貫流する地域である。

古くから荒川は、本図幅内地域の自然、社会的環境を規制してきたとみられる。すなわち荒川は寄居町を渓口部として関東平野に出るが、関東平野の西部(本図幅の東北隅)を深く刻んでおり、この左岸の台地は古来、水利の便が悪く、桑園の卓越している地域として有名であった。戦後の土地利用の転換をよぎなくされ、現在は農林省により荒川中部農業水利事業として、荒川からの導水工事が進んでいる。

関東山地を流れる間は、古期岩類からなる晩壮年期の山々を刻んで、秩父盆地の周辺に第三紀層以後の新しい地層を堆積させているが、やはりかなり深く刻んでいる。この盆地周辺の山々は、いわゆる「里山」であって、盆地面も合わせて、土地利用の点で、種々の問題点を内包している区域と考えられる。なお学術的には本地域周辺の地質の分布は極めて複雑で、問題点の非常に多い処であり、この点からも総括する必要があろう。

以上の観点から本図幅については、特に各種地形面、地質の分布状況、土壌分類等について、その特性並びに生産力、土地利用等との関連を主として調査を行ったものであるが、これらの成果は、類似の地域性をもつ地域の開発、保全、土地利用等のために、有益な示唆を与えるものであると考えられるから、十分理解され、広く活用されることを切に望む次第である。

この調査は、経済企画庁が埼玉県に委託して行ったものであるが、各調査にあっては、地形調査はお茶の水女子大学、表層地質調査は埼玉大学、又土壌調査は農林省林業試験場、農林省農業技術研究所、埼玉県農業試験場、および林業試験場の各機関関係者多数の御協力をいただくとともに、現地の企画、連絡については、総合開発局国土調査課担当官があたった。特に記してこの労を深く謝する次第である。

昭和39年3月 経済企画庁総合開発局国土調査課長 杉田栄司

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表層地質説明書 (1対50,000)

寄居

埼玉大学文理学部 文部教官 森川六郎

1 位置及び交通

5万分の1寄居図幅は大部分が埼玉県の中央部よりややにしに偏しており、秩父、大里、比企、児玉郡にわたり、図幅の西北隅に群馬県鬼石町がある。図幅の正確な位置は次のとおりである。

東経139゜10'~139゜15'14" 北緯36゜0'~36゜10'

地勢的にいえば殆どが関東山地で北東部にわずかに寄居町を扇の要とした荒川扇状地の平野の一部がある。関東山地には秩父盆地があり、その中を荒川、その支流の赤平川、利根川の支流である神流川、入間川の支流である槻川などが流れている。本図幅の交通上の大動脈は、荒川に沿った秩父鉄道と二級国道140号線がある。秩父鉄道は三峯口より秩父、寄居を経て熊谷に出、高崎線に連絡し東京に通ずる。平野の出口である寄居は八高線(八王子-高崎)の主要駅でもあり、東上線(池袋-寄居)の終点でもある。

神流川に沿ってもバスが通じており、鬼石から藤岡を経て新町に至り高崎線と連絡する。釜伏峠、二本木峠、大霧山、定峯峠のハイキングコースの東麓を流れる槻川に沿っては皆谷より小川町にバスが走り、東上線、八高線に連絡する。

以上のように、荒川、神流川、槻川流域よりはバスにて鉄道に乗り換え東京に数時間で到達することが出来る。なお、山地の赤平川、吉田川など各河川に沿ってバスは発達し、割合交通は便利である。

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2 地形概説

本図幅の主部を占める関東山地は埼玉、山梨、長野三県の県境にある甲武信岳より東にくるにしたがって徐々に高さを減じ、本図幅に入ると800~500mになる。最高は西端にある城峯山(1037m)である。地質学的に見ると秩父古生層の分布地域が最も高く、前述の城峯山付近は急峻な地形をなす。次に長瀞系からなる山峰はゆるやかな山容で南から北にゆくにしたがって低くなる。すなわち、南端の堂平山、笠山はいずれも800m以上であるが、大霧山(766.6m)、登谷山(657.7m)、小林の西の三角点(538m)、荒川を越えた陣見山は531mとなっている。これを概観するに西南より東北にいたるにしたがい低くなっている。ただし、秩父盆地は例外で400m内外の高さである。本地域の地形を区分すれば次の通りである。

関東山地 荒川の北側においては城峯山より東に走り風早峠、女岳、男岳の岳山の山稜があり、利根川と荒川の分水嶺をなしている。特に城峯山、岳山は急峻な尖峯をなしている。皆野町から児玉町に通ずる太駄街道では出牛峠が利根、荒川の分水嶺をなし、太駄街道の東側でもほぼ東西に走る山稜、出牛峠より不動山(549.2m)、間瀬峠、榎峠、陣見山、大槻峠、鐘撞堂山(330m)で関東平野にのぞむ。この山稜も利根、荒川の分水嶺であり、街道西側の急峻な地形に比してゆるやかな、丘陵の山容である。なお、出牛峠の南には宝登山がある。

神流川の北側においてはその支流三波川をはさんで南北に東西に走る山稜がある。

荒川の南側においては金尾山より釜伏山、登谷山、二本木峠、大霧山、定峯峠へと南北に走る山稜があり、東側は槻川、西側は三沢川に区切られ、三沢川の西には蓑山山稜か矢張り南北に走る。この山稜は、非常にゆるやかな地形で、山頂が平坦であるばかりでなく、山腹、山麓も極めてゆるやかな地形をなしている。

槻川は小川町から東秩父村落合まではほぼ東西の流路をとり、川の北側では官倉山の東西に走る山稜があり、南側では観音山、笠山、堂平山の南北に走る山稜がある。これらの山の中では急峻な笠のようにとんがった笠山と山頂の平坦な堂平山が目立つ。

秩父盆地 秩父市を中心とした、東西、南北、16kmのほぼ正方形をなしている盆地で高さは400m以下の小起伏のある地形で山稜はほぼ北東一南西に走っている。中を荒川、赤平川、吉田川などが流れている。本図幅には北東部の一部が現れている。

尾田蒔丘陵と羊山丘陵、秩父電車で秩父ので方に進む途中、黒谷駅を過ぎると、荒川の西側と東側に山頂の平坦な丘陵が見られる。すなわち、西側が尾田蒔、東側が羊山丘陵である。尾田蒔丘陵は350~250mの高さであるが、羊山はこれより多少低い。

金勝山丘陵 関東山地の末端はいずれも丘陵になっているが、金勝山もその一つで官倉山稜(八高線の)北側には金勝山(266m)を主峰とするほぼ200m内外の丘陵があり、官倉山稜と平行している。

荒川扇状地 寄居町を扇の要として、北東に広がる高さ70~80mの平坦な台地で、東は熊谷、北は利根川まで達している。中に観音山、山崎山、諏訪山などの孤立した丘があるが、本図外である。この扇状地は荒川によって二分され、南側は分布が狭く巾1~2kmの帯状をなしていて、主体は北側にある。

松久丘陵 陣見山山稜の北側は100m内外の丘陵になっている。これを松久丘陵と呼んでいる。荒川扇状地、松久丘陵の大部分は山林及び畑である。

荒川段丘 尾田蒔丘陵を上位段丘といい、荒川段丘は下位段丘ともいわれている。荒川及び赤平川、吉田川に沿って広く段丘が発達し、上流秩父市付近では200mぐらいであるが、下流にくるにしたがって低くなり、寄居を過ぎると70mぐらいになる。段丘の巾は野上町付近までは1kmぐらいで一様であるが、それを過ぎ寄居までは発達悪く、ほとんどなく、寄居を過ぎると再び広くなる。

荒川 荒川は皆野町までは北に流れ、親鼻付近で一時東に流路を変えるが、野上町までは再び北に流れる。野上町から寄居町までは東に流れるとはいえ、屈曲が多いが、寄居町からは直線的になる。川巾を見ると皆野町までは第三紀層の軟らかい地層を流れているので広く、河原がよく発達する。ことに泥岩からなっている地域は川巾が広い。皆野町を過ぎて寄居までは結晶片岩からなり川巾が狭く河原の発達が悪く、峡谷をなし、淵や瀬をつくっている。寄居より下流は扇状地の中を流れるので川巾広く、流れもゆるやかになり、河原が発達し、川砂利採集の好適地となっている。

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3 地質概説

秩父山地は、ほぼ二本の南北に走る断層線、即ち出手-国神線(秩父郡皆野町出牛と同町国神とを結ぶ構造線)、象ヶ鼻-朝日根線(寄居町象ヶ鼻と東秩父村朝日根を結ぶ構造線)によって大きく3分される。出牛-国神線以西は、されあに跡倉-金沢線(群馬県下仁田町西方の跡倉と皆野町金沢を結ぶ構造線)によって、その北側には長瀞系の結晶片岩、南側には秩父古生層、出牛-国神線に沿ったところには跡倉層群が分布する。秩父古生層の分布する南側には秩父古生層をおおって秩父盆地の第三紀層が発達している。

出牛-国神線と象ヶ鼻-朝日根線の間は長瀞系の結晶片岩からなり、北側にわずかに第三紀層が分布している。象ヶ鼻-朝日根線以東では北側には第三紀層が、それをつらぬいて石英閃線岩、石英斑岩が分布する。第三紀層の南側には跡倉層群、秩父古生層、長瀞系の結晶片岩が分布する。

以上の古い地層の上には尾田蒔・羊山・荒川の段丘礫、ローム、砕屑物などがおおっている。

本地地域の層序を示すと第1表のようになる。以下古い地層から順次に簡単に説明する。

第1表 地質系統表(JPG:75KB)

秩父古生層 約二億年前は日本全体は海の底にあり、陸地はなかった。勿論、秩父も海底で泥や砂が堆積した。海には紡錘虫、さんご、海百合などの生物が住んでいて、その遺骸が集まったものが石灰岩である。放散虫という身体全体が珪酸質の殻で出来ている小さい動物も生きていて、その殻がチャートを作った。泥や砂が堆積していた海には盛んに火山活動があって火山灰を降らし、溶岩を流しそれらが固まって、輝緑凝灰岩をつくった。このようなわけで秩父古生層は粘板岩、砂岩、チャート、輝緑凝灰岩などの岩石からなっている。神流川流域は古くから研究され、次のような堆積の順序を示している。

  • 柏木層群 淡緑色のチャートからなり、稀にうすい石灰岩、粘板岩をはさんでいる。
  • 万場層群 輝緑凝灰岩からなり、石灰岩を厚くはさんでいて、稀に粘板岩が介在する。したがって万場層群が堆積した頃が最も火山活動がはげしく、紡錘虫なども多く住んでいたと思われる。
  • 上吉田層群 砂岩、粘板岩、チャートからなって、稀に石灰岩をはさんでいる。

堆積の順序は上述のとおりであるが、断層でたち切られ、褶曲しているので、山麓から山頂にゆくにしたがって新しい堆積物が出てくるのではない。

秩父古生層より産出する化石は紡錘虫やさんごの化石で、それより判断される地質時代は古生代の石炭紀、二畳紀にまたがる。

長瀞系 秩父古生層が堆積した後、秩父に地殻変動がおこって、古生層に圧力が加わって古生層の一部は変質して、ペラペラはがれる結晶片岩になった。これが、長瀞の岩畳を作っている岩石である。

秩父の山々が何時頃地上に表れたか(*)ということは疑問のある重大な問題で古生代の終わりか、中生代の頃かと議論の最中である。

(*藤本治義(1937)は長瀞系の分布の南縁はその西部では跡倉-金沢線、その東部では刈末-黒山線である。その両者は南北に走る出牛-黒谷断層を界として著しく喰い違っていることに気付き、このずれを説明するために「大霧山造山運動」を考えた。すなわち、長瀞系が秩父系の上に大規模に衝上した大きな押し被せがあり、押し被せた長瀞系が侵蝕されて、したの秩父古生層が盆地状に顔を出した所が安戸を中心として分布する秩父古生層で、この部分を安戸窓と命名した。又、大霧山の押し被せの上には秩父古生層がクリッペとしてのっており、堂平山はそうであるといった。しかしこの「大霧山」の運動についても種々と疑問が残されていて反対を唱える人も多い。)

跡倉層群 秩父古生層が堆積し、さらに地殻変動が合って長瀞系の結晶片岩が出来てから、秩父が陸上に顔を出した後、跡倉-金沢線に沿って凹地が出来た。それは浅い水たまりであったろう。そこに礫や砂や泥が堆積した。これが跡倉層群である。

跡倉層群が堆積した後、地殻変動があった。この変動は出牛-国神断層、象ヶ鼻-朝日根断層を形成し、出牛-国神、象ヶ鼻-朝日根両断層の間は水平的に移動し、隆起した。そのため、跡倉層群はこの地域ではあらわれていない。

秩父盆地の第三紀層 跡倉層群の堆積した水たまりも陸地化し、地殻変動のあった後、秩父盆地が海となった。現在、秩父盆地の各地で発見される貝殻の化石は、この当時に住んでいたものであり、よく秩父は大昔、海であったといわれるのは、この頃のことで、それより以前にも秩父古生層の堆積した海があった。

秩父盆地の第三紀層が堆積した当時の海は、小鹿野町馬上から吉田町阿熊を経て皆野町国神を結ぶほぼ東西の線が海岸線で秩父古生層を不整合におおっている。盆地の東縁は断層で断ち切られているが、出牛-国神断層付近は矢張り海岸線であったろう。さらに海は金沢の方に入り江のように細長く入っていた。

構成する岩石は礫岩、砂岩、凝灰岩などからなっている。地質構造を見ると北東-南西ないし、北北東-南南西の走向で東南ないし東南東に20~30傾いている。したがって北部から南東にかけて順次に上位の地層が重なっていて、その層序は第2表の通りである。この盆地の堆積状態を見ると異常堆積の海底地滑りなどがみられるので、盆地周辺の古い地層が急激な上昇をしたことを物語っている。

秩父盆地は古くから多くの化石が知られている。中でも貝殻が多く、150種に近い貝の報告がある。ことに下部の彦久保層群は種属共に豊富である。秩父町層群は化石が豊富であるが単調である。小鹿野町層群からはあまり産出しない。貝殻の他、有孔虫、蘚虫、くもひとで、うに、植物化石などを産する。

寄居付近の第三紀層 秩父盆地が海になった頃、寄居及び、小川付近も沈降して海になった。この付近に発達する地層は第3表の通りである。

第3表 寄居-松山-児玉地域第三系の層序(JPG:64KB)

はじめ、厚い礫岩(寄居礫岩)が堆積し、次いで、白色粗粒砂岩、黒色泥岩などが堆積した後、地殻変動が起こり、石英斑岩、石英閃緑岩が貫入した。石英斑岩は寄居町の正喜橋付近、石英閃緑岩は金勝山、車山に分布している。その後、小川付近は海になり、馬蹄形の湾を形成した。中には礫岩、泥岩、亜炭などが堆積した。

寄居の北西付近も海になり、東の方に広がっていた。ここでは海底火山が活動して凝灰岩を形づくった。

尾田蒔丘陵 第三紀も終わると全体に隆起し陸化した。盆地の上は河川に洗われて平坦化した丘陵となり、厚い礫層(尾田蒔礫層)が堆積した後、八ツ岳火山が爆発して火山灰がふり、盆地まで届き平坦面の上に厚く堆積した。

荒川段丘 八ツ岳火山が爆発した後、なおも隆起を続け、陸地は侵蝕され荒川に沿った所に谷が出来、平坦化され、礫が堆積した。

荒川扇状地も寄居を扇の要として広く熊谷の方まで広がっていった。その後、再び火山灰が降った。しかし長い間の侵蝕により削られてなくなった所が多く、尾田蒔丘陵、荒川扇状地、二本木峠山稜の平坦面などにわずかに残っている。

寄居造山運動 寄居付近の第三紀層において大里層郡は著しく褶曲すると共に断層でよくたたれている。ところが男衾層群から以上の地層は大里層群の分布よりも更に外側に分布していて、褶曲しているが、その度合いは大里層群のそれに比べて著しく弱く、且つ方向にもかなりの差別が認められる。このことからこの大里層群とその上位の地層群の不整合は顕著なもので、そこに著しい造山運動のあったことが認められる。この運動を寄居造山運動といっている。

第4図 小川盆地地質図(JPG:188KB)

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4 地質各論

4.1.未固結堆積物

本地域に分布する未固結堆積物は、山地においては山頂、山腹の平坦面にローム層(*)、山麓においては岩石の二次的砕屑物などがあり、尾田蒔、羊山にはローム、そして、その下位には礫層が発達する。下位の荒川段丘上にはロームはなく、礫層のみである。荒川扇状地ではローム層の下に厚く礫層が発達する。

泥や砂は極めて少なく、泥は水田に、砂は現河床に局部的に発達するのみである。

(*ローム層については火山性岩石の項で説明する。)

4.1.1. 礫

尾田蒔及び羊山丘陵の上位段丘(*) 本地域においては尾田蒔・羊山丘陵の北の末端がわずかに発達しているのみなので厚さはうすく、数mに過ぎないが、三並の方では30~40mに及ぶ所がある。本礫層に対比出来る礫層は、両丘陵の外に旧太田村品沢の東の丘陵にも点在する。

礫は角礫、亜角礫で分級は不良である。礫の大きさは10~20cmの粒径のものが多く、大礫のものは60~70cm大を示し、時には1mを越えるものも含まれる。部分的には砂層や褐鉄鉱の薄い層をはさむこともある。礫の種類はチャート、砂岩、粘板岩など古生層の礫の外に花崗岩質の礫も見られる。

(*羊山丘陵は尾田蒔丘陵より少ないので中位段丘として区別する人もいるがここでは一括する。)

曽根板峠は高さから見ると羊山丘陵に対比出来る所である。ここには部分的に礫層が発達する。上には結晶片岩が風化して出来た緑色の粘土があり、嘗て、これを焼いて瓦を作ったという。その下に礫層があり、一般に亜角礫で20cm大が普通である。上部では粒径は小となり角礫となる。礫は64%が結晶片岩の礫で、他に砂岩、粘板岩などの古生層の礫が混ざっている。この礫層の続きと思われるものが三沢川左岸、戦場の北でも見られるので、当時の荒川は三沢川に粗って流れたのではないかとも考えられる。

時代は洪積世(D)に属し、硬さはa.1を示す。

荒川段丘 荒川の河床より数10m上に平坦な面、すなわち、秩父市、皆野町、寄居町ののっている面で現荒川のみならず、赤平川、吉田川、に沿っても発達し、小鹿野町、吉田町などはその上にある。

一般に1~2mのうすい層を示していて、侵蝕段丘の状態を示す。しかし、部分的には7~8mの厚さを示している。礫の大きさは5~10cmで分級もよく、形は亜円礫で下部から上部まで一様に殆ど水平に近い層理を示している。これはかなり発達した旧荒川の氾濫原に徐々に堆積したものと考えられる。長瀞付近では第5図に示すとおりで礫層の厚さは15mに及び、中に2層の薄い緑色の粘土をはさんでいる。

赤平川では極めて薄く、小鹿野町上流で7m内外の所が見られる。

時代は洪積世(D)で硬さは(a.1)

第5図 荒川の段丘分布図(JPG:165KB)

4.1.2. 砂

本地域においては砂が地層として発達している所は殆どなく、段丘礫層の中にわずかにうすくはさまれているのみである。又、現河床においては荒川筋で野上町袋付近に発達する。

4.1.3. 泥

泥の発達も悪く、前述の曽根板峠に緑色の粘土が2mぐらいある。その他、砕屑物の厚い所では、基底に厚く発達している所がある。このような所では地滑りが起こりやすい。又、水田を構成している地域の多くは二次的ロームの堆積で泥になっている。山地においては谷の頭に割合多い。この泥は純粋なものでなく大小の角礫を混えている。

時代は段丘礫にはさまれる以外は沖積世(A)で、硬さは(a・1)である。

4.1.4. 砕屑物

地形の緩い山麓斜面に分布している。すなわち、くずれやすい結晶片岩地帯に多いのは当然のことであり、就中、蓑山山稜及び登谷山-二本木山稜の東斜面に発達し、折原の南側、秋山、大内沢、上ノ山、朝日根、蓑山側では中三沢から上三沢にかけて見られる。その他、部落の発達する窪地も大体において砕屑物である。荒川筋では、野上町滝の上、神流川筋では、神川村阿久原、鬼石町保美野山、犬目、山地の中では秩父市定峯、寄居町風布などいずれもそうである。

砕屑物を構成する礫の種類は基盤の地質に支配され、結晶片岩地帯にあっては、結晶片岩、古生層地帯にあってはチャート、砂岩、粘板岩などである。充填物は二次的ローム及び岩石の風化物でうめられている。厚さは場所により差があり、厚い所は10mを越える所がある。このような砕屑物の厚い所では地滑りが起き易い。

時代は沖積世(A)で硬さは(a・1)である。

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4.2.固結堆積物

関東山地を構成する地層は殆どが第三紀以前の古い地層なので固結された堆積物が多い。すなわち、礫岩、砂岩、泥岩、粘板岩、チャート、輝緑凝灰岩、石灰岩などからなっている。

4.2.1. 礫岩

本地域最古の地層である秩父古生層には礫岩はない。中生代白亜紀といわれている跡倉層群には礫岩があり、跡倉礫岩と呼ばれている。

跡倉層群は跡倉-金沢構造線及び寄居東方では八高線の南側に分布する。標準露出地は群馬県下仁田西方の跡倉であるので、その名が出た。跡倉層群を構成するのは礫岩のみでなく砂岩や頁岩をもはさんでいる。礫岩のよく出ているのは皆野駅北方の男岳、女岳(635m)からなる山岳、礫岩の質はかたく膠結されていて、一般に円礫であるが楕円体のもの、扁平で円盤状のものなど少なくない。礫の大きさは径10cm以下のものが最も多く、時に20~30cm、あるいは60cmに及ぶものがある。礫の種類は石英閃緑岩ないし花崗岩、砂岩、粘板岩、珪岩が主なもので、その他、チャート、石灰岩などがある。これらの礫が一般に花崗岩質の砂で固く固結され、且つ圧砕作用をうけているので、礫と膠結物の境が判然としないことがある。これが原因で嘗ては礫岩でなく火成岩であると騒がれたことがある。

第6図 地層によって山の形はかわる(JPG:56KB)

岳山以外では、さらに西方の矢納の城峯神社西南の高地を中心として標高約400m以上の部分に分布している。ここでは砂岩が主体で北部に礫岩、南部に頁岩が発達している。全体の層理より判断して、北部の礫岩が下底で中位の大部分が砂岩、その最上位に砂岩、頁岩の互層がわずかに発達する。礫岩には指頭大からこぶし大の淘汰のよい礫が密集しており、礫種は岳山と同様である。

これら跡倉礫岩は長瀞系の上に押し被せたものとされていたが、最近では不整合に重なっていたものがわずかに滑ったものと思われている。

八高線南側では大内沢の南、山居の西、及び栃谷の南より延々と木部南方まで、幅200m内外の帯状をなして分布する。礫種は岳山と殆ど同様であるがわずかに結晶片岩、御荷鉾式変成岩及び麻岩状岩石などから構成されている。閃緑岩は変性作用をうけて片理が見られるものがあり、角礫を呈するものが多い。礫は主として粗粒砂で固結されている。山居西南方においては固結部分は層理がよく発達する。石灰岩礫は風化して溶かされ、空隙となっている。

矢納神社西南の跡倉層群は下久保ダム建設のための骨材として使用されるという話である。

時代は中生代(M)で硬さは(e.5)

秩父盆地第三紀層の礫岩 本第三紀層中には基底礫岩をはじめ、吉田層、桜井層、永留層、鷺巣層、平仁田層、上横瀬層、各層の基底には、いずれも礫岩が発達している。上横瀬層の上部には刈米礫岩層という顕著な礫岩層があるが本図幅中にはない。

基底礫岩は小鹿野町馬上から牛首峠を経て岩殿沢によく露出し、さらに東方に延び本図幅では石間戸、彦久保、久長、桜谷、前原と連続し、本図幅内であまり厚くなく、野巻雨菌では10m、金沢付近では50mに変化する。

秩父古生層を不整合におおっているので、秩父古生層の砂岩、チャート及び起源不明の花崗岩質の礫からなり、ことに特徴的なのは片麻岩の礫を含むことで、その混合率は40%に及ぶときがある。一般に火成岩礫は秩父系に比して粒度が大で且つ円磨度が高い。

前述の各層中の基底礫岩はうすいがよく連続し、吉田層の布里礫岩は、吉田町布里で吉田川に阿熊の谷では椋神社付近、赤平川河岸では福田にと追跡出来る。桜井層の伊豆沢礫岩は小鹿野町北方、巣掛峠では3層にわかれているが、東にくるにしたがい一層になり、暮坪、伊古田、下郷を経て荒川河畔の肥土まで追跡出来る。永留層の藤六礫岩は小鹿野町南東より、西北西に延び藤六の赤平川河畔に見られ、それより東では見られない。鷺巣層の柴原礫岩は柴原鉱泉から北に延び、柿久保付近では北西に向きを変え、信濃石を経て、奈倉、中蒔田、肥土に追跡出来、数層の礫岩が砂岩と互層をなしている。平仁田層の基底部にも礫岩が発達しており、秩父橋から東に延び、さらに北に走向を変え、出牛-国神構造線の西縁、里谷、高篠付近に発達、横瀬川河畔においてよく見られる。ただし、この礫岩は砂岩と互層をなしている。以上の各層の基底部に達する礫岩は第三紀層基底に発達する礫岩と比較して、花崗岩、片麻岩などを含まず、第三紀層の礫岩、砂岩、泥岩などの礫を含むのが特徴的である。膠結物は砂ないし泥である。
秩父盆地内の礫岩は一般にうすく硬い。したがって谷幅は狭く、峡谷を形づくり、秩父橋の所は急に谷幅がせまくなっているのもその一例である。

時代は新第三紀層(Tn)で硬さは(d.4)

寄居礫岩 寄居町の南東に広く礫岩を主体とした厚い礫岩層が発達する。これを寄居礫岩と呼んでいる。西は木持部落よりほぼ東南東に2kmの幅で延びている。よく露出しているのは木呂子から谷津に至る道路と竹沢から谷津に至る東上線沿線である。本層は主として礫岩であるが、時に粗粒の砂岩をはさんでいたり、黒色泥岩、珪質岩をまじえ、亜炭も稀にふくむ。礫岩の種類は秩父系の礫が多く、その中に石英斑岩の礫が混っている。その混合率は20%ぐらいである。一般に長瀞系を含まず、固結度が極めて高いことが著しい特徴であるが、風化面では辛うじて礫がとり出されることもある。基質は白色の粗粒砂岩で石英斑岩がそのまま分解固結した感じのものが少なくない。

本層は東南東に軸をもって大きい向斜構造をしている。その軸付近に珪質頁岩があり、木呂子から谷津に至る道路沿いでよく見られる。

時代は新第三紀(Tn)で硬さは(d.4)。

五反田層 小川盆地の周縁には第三紀層が発達し、その基底部に発達する礫岩を五反田層と云っている。本層は下位より礫岩層、花崗質砂岩層、暗灰色砂岩層からなり、最下位の基底礫岩には巨礫を含み、大きいものは2mにも及ぶ。この大礫は花崗片麻岩、石英閃緑岩、寄居礫岩からなる。基質は花崗岩質の砂である。大礫は殆ど円磨度の高い花崗質岩で、本図幅内には、その北部が発達し、おおむねその傾向をもつ、東部及び西部では花崗質岩礫は粒度混合率を漸次減じ、やがて消失し、それと共に礫の数も少なくなり、厚さもうすくなる。東南部の礫岩の特質は石英斑岩礫を多量に含むことであり、西南部の礫岩は秩父系礫を主とする。いずれも円磨度は高い。なお、石英斑岩は粒度が小さく円磨度の高いことから考えると殆ど大里層群下部の寄居礫岩から二次的に混入したものと思われる。
時代は新第三紀(Tn)で硬さは(d.4)。

4.2.2. 砂岩

秩父古生層中にはいわゆる硬砂岩があり、中生代の跡倉層群中にも割合かたい砂岩がある。その他第三紀層中にも砂岩は発達している

秩父古生層中の砂岩 一般に硬砂岩といわれていて主成分は石英および種々の岩石の小破片からなる砂岩で、非常に固く固結している。灰色ないし灰緑色などの暗色を呈し、層理のない塊状である。多くは粘板岩と互層をなして砂岩のみ発達している所は吉田川支流の石間川右岸であって、他には見るべき顕著なものはない。

時代は秩父古生層の上吉田層群(P)に属し、硬さは(e.5)。

跡倉層群中の砂岩 跡倉層群の主体は礫岩であることは既にのべたが、中に砂岩をはさんでいる。谷納の城峯神社西南方では白色ないし黝白色を呈し中粒かつ珪質であって塊状で分級堆積は見られない。八高線南側でも同様な砂岩が見られる。

時代は中生代(M)で硬さは(e.5)。

第三紀の砂岩 秩父盆地内にあってはその基底周縁に近いところに粗粒砂岩が分布する。この粗粒砂岩は吉田町久長の白沙公園によく露出しているので白沙岩ともいわれている。白沙砂岩は細礫を含む白色粗粒の砂岩で、その構成物質の主部は酸性深成岩から由来したものであろう。

白沙砂岩の上には富田泥岩層があり、さらにその上に子の神砂岩がくる。子の神砂岩は細ないし中粒の砂岩で多少凝灰質であり、乾燥しているときは淡灰色を呈し、濡れていると青灰色となる。しばしば偽層が見られる。厚さは変化に富み、10~50mである。

以上の外、顕著な砂岩は鷺巣層、平仁田層の基底にも見られる。一般に粗粒で青灰色、ときに赤褐色である。硬さは古生層や中生層のそれに比較して低い。層理は見られず、塊状である。

寄居付近では荒川河床においても第三紀層の帯褐色無層理の粗粒砂岩が見られる。小川盆地第三紀層中の五反田礫層の上位は花崗岩質砂岩に移化し、笠原、飯田付近に見られるが、北東にゆくに従ってうすくなり、塊状で、さらに上位の暗灰色細粒の砂岩に移化する。

時代は新第三紀(Tn)で硬さは(d.4)。

4.2.3. 泥質岩

秩父古生層 にあっては固結度が大で粘板岩であり、黒色ないし灰色を呈し、よく層理を示すもの、塊状のもの等種々ある。時にレンズ状に入っているものなどもあるが一般に砂岩と互層する場合が多いので、砂岩と粘板岩の項でのべることにする。

跡倉層群 の中にも頁岩が存在する。旧金沢村細見付近や、矢納、城峯神社西南方の跡倉層群の南端に分布し、砂岩と互層している部分もある。一般に黒色で、多少雲母質であるが、ほとんど不変成の一見、新鮮な地層である。植物破片、及び、動物の這い跡の断面が稀に見られる。時代は中生代(M)で硬さは(e.5)である。

第三紀層の泥岩 秩父盆地内で特徴的な泥岩は基底部に近い所に不整合と並行して富田泥岩層が発達する。泥灰質の固い泥岩で濡れているときは暗灰色を呈するが風化すると褐灰色となる。新鮮な場合は淡灰色で風化すると1cmぐらいの小片に砕ける。塊状の泥岩中には団塊があり、大きいものは20cm、小さいものは1cmぐらいで、その中に有孔虫、貝殻、魚のうろこ、さめの歯などが入っている。

盆地の南部、すなわち、鷺巣層、平仁田層の主要部分は厚い泥岩で、一般に暗灰色、無層理で崩れやすく、時に砂質であることもある。赤平川沿岸の「ヨーバケ」はこの泥岩からなっているので崩れやすい。また、大野原の東にある秩父セメントの粘土採掘場では、平仁田層の泥岩を採掘している。

写真1(JPG:197KB)

小川盆地 五反田礫層の上にくる泥岩層を蟹沢泥岩層と呼んでいる。本層は層理の不明瞭な塊状の黒色泥岩で、下部は砂質である。厚さは約160mあり、小川町腰越における引込み線(日本セメント石灰岩運搬鉄道)の切通しの崖にあらわれている。この泥岩は無層理であるため、層理面は不明瞭であるが、その中に夾在する砂岩層によって地層面を知る。泥岩中にはしばしば、楕円体、又は球状の泥灰岩の団塊が含まれていて、その中に貝殻の化石が発見される。

時代は新第三紀(Tn)で硬さは(e.3)

4.2.4. 砂岩、粘板岩の互層

秩父古生層分布地域 にあっては、硬砂岩と粘板岩と互層をなす場合が多く、砂岩のみ、粘板岩のみという場合は稀である。互層とはいっても規則正しいものではなく、形、層厚共に不規則な場合が多い。砂岩は硬砂岩で灰色、粘板岩は黒ないし灰色で片状にわれることもあり、塊状のこともある。風化すると石墨質になり崩れやすい

時代は古生代(P)で硬さは(e.5)。

跡倉層群 中にも砂岩、頁岩の互層が発達し、ことに八高線南側においては礫岩の南側に平均500mの幅で帯状に発達している。砂岩は粗粒の花崗岩質で頁岩は暗黒色砂質で細い雲母を多量に含み、層理は著しくよく発達し、これら砂岩、頁岩は美しい2cm内外のリズミックなものである。全体的に見ると走向N80゜W、傾斜は60゜~80゜南である。
時代は中生代(M)で、硬さは(e.5)。

4.2.5. 砂岩、泥岩の互層

秩父盆地の第三紀層では小鹿野町層群の宮戸層、吉田層、桜井層の大部分が砂岩、泥岩の互層であう。本図幅内の秩父盆地では北半分に広く分布する。

砂岩、泥岩共に2~3cmの美しい規則正しい互層で砂岩は青灰色の場合が多く、硬く、風化面では泥岩より突出している。泥岩は暗灰色で崩れやすく、風化面では凹んでいる。なお泥岩中には玉葱状構造が見られる。本層中には層内褶曲などの異常堆積が見られる。

写真2(JPG:172KB)

寄居町北西 に分布する第三紀層は露出が悪く、はっきりした層序が組みたてられないが、泥岩と砂岩の互層で、砂岩は粗粒である。中に石灰層をはさんでいて、かつて稼行したことがある。稀に秩父系の石英斑岩を含む礫岩のうすい層をはさんでいる。地層はN35゜W、50゜NEである。

時代は新第三紀(Tn)で硬さは(e.3)である。

4.2.6. 珪岩質岩石

本図幅では秩父古生層中のチャートが珪質岩の主なものである。他に長瀞系には石英片岩、第三紀層には珪質頁岩がある。

チャートは秩父古生層の柏木層群、上吉田層群の主部をなす。化学成分がSiO2であるため、硬く、風化に対して強いので急峻な地形をつくる。色は種々雑多で緑、黒、灰、白などからなり、一般に酸化鉄を多く含むと赤褐色、緑泥石質物をふくむと緑色、炭質物を多く含むと暗灰色、または黒灰色を呈する。粘土質を多く含むと暗色になって岩質が頁岩に似てくる。つぎに結晶度が高いと淡色、その上、不純物が少ないと白みをおびて珪岩に似てくる。チャートには放散虫化石を含有していることが少なくないので放散虫チャートと呼んでいる場合もある。チャートには無層理のようなものもあるが、一般に小褶曲を示すことが多い。数cmないし10cmぐらいの厚さの規則正しい層理を示している。

写真3(JPG:188KB)

柏木層群の主部をなすチャートは淡緑色で千枚岩様を呈し、嘗てアヂノール板岩といわれ、日野沢の重木付近に分布する。上吉田層群のチャートは赤、灰、白など雑多な色のもので、吉田川の支流、石間戸、城峯山、日沢入口、東秩父村では落合付近、観音山、坊庭、栗山入口などに厚く分布する他、いたる所に見られる。なお、日野沢入口、坊庭ではセメントの原料として採掘している。

チャート中にはマンガン鉱が胚胎している。一般にチョコレート色の炭酸マンガンで、一部、二酸化マンガンに変化している。不規則な形で薄層な上に品位は低く、20%内外故、今では殆ど廃山になっている。

時代は古生代(P)で硬さは(f.6)である。

長瀞の結晶片岩中には石英片岩があり、珪質な片岩で顕著なのは神流川の支流、三波川、秋平村の小平南、大霧山の西側などにうすく、他の結晶片岩中にはさまれている。一般に古生層程、厚いものはない。硬さは(f.6)。

寄居礫岩の向斜軸部には第三紀層の珪質頁岩があり、木呂子-谷津間の道路沿いに見られる。

時代は新第三紀(Tn)で、硬さは(f.6)。

4.2.7. 輝緑凝灰岩

秩父古生層の万場層群の主体をなすもので、一般に濃緑色、暗赤色を呈し、火山灰、火山砂などが固結したもので粗粒の凝灰岩層、集塊岩層、熔岩流の如きものなどいろいろ見られるが区別しにくい。

塊状無層理の場合は割合硬いが、層理のあるものは非常に割れやすく、細片化し、くずれやすい。したがって、輝緑凝灰岩からなる地域は平坦な地形をなす。吉田町では石間の奥の半場、白岩、旧日野沢村の奈良尾、東秩父村槻川筋では入山、古寺などはその代表的な地形である。

万場層といっても輝緑凝灰岩ばかりでなく、黒色粘板岩をはさむことが多いし、大きい石灰岩レンズがいたる所に見られる。

時代は古生代(P)で硬さは(e。4)である。

4.2.8 石灰岩

秩父古生層万場層群の上位において輝緑凝灰岩にはさまれて石灰岩がある。吉田町方面では石間の奥、白岩、日野沢、東秩父村方面では大河の切通し、入山の奥、山崎、古寺、皆谷などにうすくレンズ状に発達する。一般にうすく100m以上のものは稀である。色は灰色のものが多い。

嘗ては採掘したと思われる所は所々に見られるが、現在採掘しているのは小川町、切通し、東秩父村皆谷のみである。なお、古寺には鍾乳洞がある。

化石は稀で、白岩や皆谷から紡錘虫、大河の切通しからさんごが発見されているのみである。

長瀞系の結晶片岩中にも結晶質の石灰岩の薄層がはさまれている。色は白色で、神流川筋では柏舞付近の川岸、皆野から鬼石に通ずる街道の杉の峠の西にも見られ、ここでは嘗て石灰岩を焼いた跡が見られる。大霧山山稜では定峯峠付近に2~3枚あり、いずれもうすい。

長瀞系の中の石灰岩は結晶質で化石を含まないのが普通であるが、寄居町風布で海百合の化石を含む石灰岩が発見された。これは地質時代を論ずるのに重要なものである。時代は古生代(P)で、硬さは(e.5)である。

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4.3. 火山性岩石

第三紀の凝灰岩及び第四紀のロームが主なものである。

4.3.1. 凝灰岩

寄居町から児玉町にいたる関東山地北縁に発達する第三紀層中には3層の凝灰岩層が北西-南東にのびている。南側のものは杉の森、湯脇、湯本、高柳、中央のものは普門寺、大仏、広木、青柳、北側のものは生野山山麓に分布している。

白色、中ないし細粒の斜長流紋岩質の凝灰岩で厚さは10~100mである。普門寺の崖では秩父セメントが採掘している。

時代は新第三紀(Tn)で硬さは(c.3)である。

4.3.2. ローム

ロームは秩父市をはさんで丘陵、荒川扇状地、関東山地の上に点在する。

尾田蒔丘陵では段丘礫の上に平均厚さ15mぐらいで最高は20mに及ぶロームがのっている。一般に黄褐色、粘土質で、間に30cmぐらいの浮石層を数層はさみ、鉱物組成を見ると角閃石をふくんでいるので八ヶ岳起源の多摩ローム層に対比されている。本図幅中においては丘陵の北端の小鹿坂峠付近にわずかに分布しているのみで、厚さもうすく、3mに過ぎないが、秩父セメントの粘度の原料として採掘されている。なお、東側の羊山丘陵にも3mぐらいのロームがのっているが、本図幅中には見られない。

荒川扇状地及び、荒川の南の鉢形の台地の上にも段丘礫の上に2~3mのロームが広く分布していて、多くは畑地か山林になっている。

山地の上にもロームが点在し、平坦な山頂、山腹にはよく発達している。一般に秩父古生層の上には少なく、城峯山、門平に見られるのみである。長瀞系で構成されている山地には平坦面が多いので、ロームもよく分布している。荒川の南では堂平山、萩平、定峯峠、大霧山東斜面、二本木峠付近、登谷山東西側斜面、釜伏部落、風布部落の東方山頂、小林部落付近、蓑山山頂、荒川の北では大槻峠、陣見山、登宝山、神流川の南では宇邦室などに見られる。就中、釜伏部落、定峯峠にはよい路頭がある。

釜伏峠では厚さ4mで長瀞系の結晶片岩の上に重なり、基底より1mぐらいのところに黄色の浮石層がパッチ状に入っていて、それより下部は塊状の粘土質ローム、上部は黄褐色の割れ目の多いロームで、中に結晶片岩の角礫が入っている。一方定峯峠では塊状の緑色片岩の上に10mぐらいのロームの露頭がある。上部は30cmは黒土になっている。この黒土は峠の裏側では数mの厚さになっている。黒土の下は割れ目の多いそぼうなロームで厚さ1mぐらいである。さらにその下は塊状の粘土質のロームになっている。ここでは釜伏峠で見られるような黄褐色の浮石層は見られなかった。ロームの分析地は次の通りであり、平地で見られる武蔵野ロームに比較してSi2O、Al2O3はあまり変わらないが、Fe、Mgが多くその合計が15%に及ぶ。この事から考えると、山地のロームは関東ローム最上位の立川ロームに当たるかも知れない。

時代は第四紀洪積世(D)で硬さは(a.1)である。

山地ロームの分析表(JPG:49KB)

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4.4. 深成岩

深成岩は寄居付近に分布する石英斑岩と石英閃緑岩である。

4.4.1. 石英斑岩

寄居町正喜橋の下の荒川河岸に露出している。この石英斑岩は著しく破砕されている。東縁は長瀞系に、西及南縁は大里層群に断層で接し、層位学的関係は不明である。貫入時期は不明なるも第三紀頃と推定され、硬さは(e.5)である。

4.4.2. 石英閃緑岩

竹沢西方の金勝山(263.9m)を主体とし南は八高線の南側、東は東上線、西は途中で切れて、東山(226.8m)、山居の南にも分布する。これは石英・斜長石及び緑色の普通角閃石を含み、時に白雲母を含むペグマタイトに貫かれているのが、木呂子から露梨子に通ずる道路の西側や、木呂子から谷津に通ずる道路の東側に見られる。部分的に圧砕されていたり、表面が風化している場合が多い。風化された土じょうの分析は次の通りである。

SiO2 Al2O3 Fe2O3 FeO MgO

54.58 22.45  8.36  0.30 1.95

本岩は五の坪の谷で跡倉層を、金勝山北方において寄居礫岩を貫いている。一方、小川盆地の第三紀層に不整合におおわれていて、その基底礫岩の礫には石英閃緑岩が含まれている故、貫入時期は新第三紀(Tn)で硬さは(d.4)である。

4.4.3. 蛇紋岩

長瀞系の結晶片岩を貫き、レンズ状をなして分布する。中でも大きいものは釜伏峠のものであり、粥新田峠のものはこれに次ぎ、その他、いたる所に分布している。多くは濃緑色を呈し、葉片状に割れ、表面が鏡肌をしている。顕微鏡下では大きな輝石のなかに小さな粒状のかんらん石が散点するポイキリティック組織をなし、かんらん石はこまかい蛇紋石の集まりとなり、かんらん石の残晶となっている。

蛇紋岩の中には白い方解石の脈の入った蛇灰岩もある。皆野町、荒川河岸、金崎の蛇灰岩は古くから有名である。

蛇紋岩は滑石に変化することがあるので、滑石を採掘している所もある。

貫入時期は中生代(M)と思われる。硬さは(e.3)

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4.5. 変成岩

本図幅中には石英閃緑岩の貫入が見られるが、跡倉層群、寄居礫岩などに接触変成岩は見られない。

動力変成の結晶片岩は長瀞系で、本図中の大部分を占めて広い分布を示す。

長瀞系を構成するのは三波川系及び御荷鉾式の変成岩である。

三波川式変成岩は火成岩または凝灰岩を起源とする塩基性片岩、超塩基性片岩及び堆積岩源と見るべき珪質片岩からなり、それらの成分鉱物の種類、組合せまたは構造は極めて複雑である。

御荷鉾式変成岩は主に塩基性火成岩、またはこれに関係する凝灰岩から変じたと思われる緑色片岩、並びに集塊質緑色片岩及び、堆積岩起源である珪質及び石灰岩の結晶片岩である。

すなわち、原岩石は緑泥片岩、緑色片岩などは鉄苦土に富んだ塩基性の岩石から、石墨片岩、絹雲母片岩、紅簾片岩、赤鉄片岩の類は珪質の岩石から変質したものであるといわれている。大体において堆積岩から導かれたものが多く、主として秩父系が変質したと思われる点が多い。

長瀞系は変成岩であるので化石が発見されないのが普通であるが、藤本治義(1938)は秩父郡野上町金山(長瀞から500m北方荒川左岸)で絹雲母片岩の中に小さい石灰質のレンズ状塊があって、これが変質作用から取り残されていて、その中から放散虫の化石を発見した。これら放散虫の化石は中生代ジュラ紀のものに似ているという。また、寄居町風布字扇沢の緑泥片岩中の石灰岩から海百合の化石を発見した。しかし、海百合からでは時代を決定する資料にはなり得ない。

結晶片岩は片理が発達し、長瀞の岩畳などを形成している。又節理も発達しているので細片に割れやすいので、緩起伏の山容をした山を作る。長瀞の宝登山、釜伏山など、その典型的なものである。

4.5.1. 緑色片岩

緑泥片岩は出牛-黒谷構造線の西側では主として南半分に、東側では登谷山と二本木峠を結んだ線の東側に主に分布するが黒色片岩中にも非常にしばしばはさまれている。日本最古といわれる応安の柏碑(秩父鉄道樋口駅東方)も緑泥片岩から出来ている。美しい緑色を呈し、主成分鉱物は緑泥岩、緑簾石、曹長石である。知己に絹雲母を含んだ絹雲母緑泥片岩というべきものもあり、石英片岩と互層しているものもある。往々にして曹長石の斑晶が大きいときには点紋緑泥片岩といわれている。硬さは(c.5)である。

御荷鉾式変成岩は出牛-国神構造線の北側に沿っているものと蓑山付近、大霧山、笠山などに分布する。主成分鉱物は緑泥石、角閃石、曹長石、緑簾石、輝石、かんらん石などで古くから輝石などと呼ばれていた。一般に厚層をなし概して片状をおびているが、往々片理を欠き塊状のもの、集塊質なものなどがある。

神流川筋の三波峡(神流川の支流である三波川とは異なる)を構成している三波石はこの岩石である。硬さは(d.4)。

4.5.2. 黒色片岩

黒墨片岩 出牛-国神構造線の西側では北半分に多く、東側では、荒川の北側及び蓑山、釜伏峠付近、登谷山一二本木峠山稜の西側、高篠より定峯峠を経て白石にいたる道路沿いに分布している。中に緑泥片岩、蛇紋岩、石英片岩、石灰片岩などをはさんでいる。主成分鉱物は石英、曹長石、石墨で、最も普通の結晶片岩で長瀞の岩畳はこの岩石から出来ている。一般に灰黒色で多少金属光沢を有する。往々にして黒色の斑点のある点紋石墨片岩をなしている。その点紋の主体は曹長石である。絹雲母を含有するとキラキラ輝く絹雲母石墨片岩となる。

写真4(JPG:148KB)

脆雲母片岩 黒褐色の脆雲母からなる結晶片岩では比較的稀である。上長瀞の虎岩は脆雲母片岩と石英片岩との互層で、表面があらわれて虎の肌のように見えるのでこの名が出た。硬さは(c.5)である。

写真5 (JPG:187KB)

4.5.3. その他の結晶片岩

絹雲母片岩は絹雲母と石英からなり、絹のような光沢を有する白色の結晶片岩で寄居町日山付近で見られる。

紅簾片岩 美しい紅色の紅簾石を含み、旧親鼻橋の下にあり、古くから有名で天然記念物に指定されている。絹雲母を含んでいることが多く、絹雲母紅簾片岩と呼ばれるものもある。本岩は旧親鼻橋下のみでなく、三波川流域で三層、神流川筋で一層、荒川筋で樋口付近に一層、見馴川で一層と薄いが割合に多い。顕微鏡下で見るときは0.1~0.3mm位の小柱状の紅簾石が並んでいる。

赤鉄片岩 長瀞下流、金山の銅廃坑付近に見られる。黒赤色を呈し、石英が多く硬い。厚さは余り厚くない。

硬さは(c.5)である。

写真6(JPG:173KB)

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5 応用地質

5.1 地滑り及び山くずれ

地滑りは、結晶片岩地域に多く、崖錐の基底部にある結晶の風化粘土がその原因とみられる。現在、三沢の淵尾沢の奥、朝日根の順礼沢に於いて見られる。又、蛇紋岩もすべりやすく、金崎や日向付近で見られる。

この様なことを考えるとき、結晶片岩地域の崖錐地形は、今後、地滑りが起きる可能性があるので注意を要する。

この他、急な斜面、ことに秩父古生層のチャートを基盤とするところではよく表土の崩壊が見られる。

5.2 鉱泉

秩父盆地には、いわゆる「玉子水」と称して、ぬるぬるした感じを肌に与え、硫化水素の臭気のする鉱泉がある。

その分布をみると、概して盆地周辺にあり、本図幅内においては、出牛-国神断層線に沿って、次の鉱泉宿がある。

和銅鉱泉 (秩父市、黒谷)

不動湯 ( 〃 、山田)

みやま温泉( 〃 、〃 )

新木の湯 ( 〃 、〃 )

山田温泉 ( 〃 、〃 )

現在営業しているのは以上の通りであるが、他にも嘗て営業した所は数ヶ所ある。

梅の屋 (皆野寺国神)

皆野温泉(皆野町大浜)

吉田町阿熊

〃 田中橋

その他鉱泉の湧出地は盆地の北縁、及び東縁でいたる所に見られる。

その分布状況より、断層線に沿って湧出したもので、これらの鉱泉は、いずれも川岸あるいは川底の地層の細い割目(地層面、節理、断層)より湧出し、湧出量は少なく、1.2を除いては1分間に1L内外である。水温も大体において15℃内外で低温である。しかし、湧水量、水温は四季を通じて変化しないということは、その湧出地が断層に沿っているということと考え合わせると、単なる地下水とは考えられないで、火山に原因するのではないかとも考えられる。

和銅鉱泉及び頼母沢における分析結果は(第4表、第5表)のとおりであって、単純硫化水素泉に属する。濃、稀あれど、大体において地下水の混入に左右されるものである。

岩根銅鉱泉、寄居町、折原、八高線折原駅東方に約3分の所にあり、秩父古生層の石灰岩の洞穴中の水でCaに富むらしいが、まだ分析していない。

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5.3 石材

5.3.1. 蛇紋岩

秩父産蛇紋岩は古くから有名で、とくに皆野町金崎の蛇灰岩は石材として切り出され、置時計、ビルディングの腰板、カウンターとして使用されている。

又、砕石して、人造蛇紋として緑色の美しさは珍重せられ、販路は北は北海道から南は鹿児島に及ぶ。

このことから蛇紋岩は全国各地にあれども、美しいものは秩父のものが最たるものであることが了解できる。

砕石した残りの粉末は、コンクリートブロックの中に混入し、ブロックの肌に緑色味を与え、美しいので重量ブロックとして遠く茨城県水戸市ぐらいまで売り出されるという。

その他、蛇紋岩は熔性燐肥の原料としても使われるが、その原料とされている所は本地域内にはない。

主要採石地

東秩父村細谷

〃 栗和田

皆野町谷津

寄居町釜伏

産額

砕石 2200 ton/月
角材 200 ton/月

5.3.2. 滑石

結晶片岩地帯にあって、多くは細粉され、石粉として、D.D.Tなどに入れられている。又、長瀞で土産物として売られている石細工も滑石である。

産地は次の通りである。

寄居町 風布

野上町 井戸
〃 岩田
皆野町 橋爪

産額は月産500ton位である。

5.3.3. その他

チャート 秩父古生層中のチャートは、主としてセメントにおける珪酸分の補充に使用されるのであるが、皆野町日野沢口では、秩父セメントが、東秩父村御堂では日本セメントが掘っている。

 

 

日野沢

SiO2

93.79

Al2O3

2.40

Fe2O3

1.65

CaO

0.50

MgO

0.32

SO3

tr.

99.40

産出量

日野沢 2,500 ton/月

御堂 1,480 ton/月(昭和36年度調)

凝灰岩

凝灰岩もセメントにおける珪酸分の補充に使用されている。寄居町普門寺において、秩父セメントが採掘している。月産900ton

凝灰岩

SiO2

70.32

Al2O3

12.02

Fe2O3

2.72

CaO

2.60

MgO

1.27

SO3

0.34

泥岩

第三紀層の灰色の泥岩もセメントの原料として採掘されている。大野原駅東方に於いて秩父セメントが採掘している。月産22,5000ton。

泥岩(頁岩ローム、上のローム)

SiO2

66.08

55.26

Al2O3

14.89

21.71

Fe2O3

3.95

8.73

CaO

2.56

tr.

MgO

1.82

2.35

SO3

11.0

tr.

石灰岩

東秩父村皆谷において、日本セメントが採掘している。

産出量 15,700t/月

ローム

尾田蒔丘陵の上に広く分布する多摩ローム層は、セメントのアルミナが多く30%内外あり、第三紀層の粘土はアルミナ14%内外で少ないので、その補充のために採掘されている。

第7図 小鹿坂峠のローム柱状図(JPG:62KB)

月産 950ton。

月産

SiO2

46.22

Al2O3

29.54

Fe2O3

9.62

CaO

tr.

MgO

1.25

SO3

tr.

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5.4 砂利

本図幅内にて砂利を採集している地点は第6表のとおりである。

第6表 荒川における砂利採集地点(JPG:62KB)

秩父盆地内では殆ど手掘りである。結晶片岩地域に入ると、川巾は狭く、50~60mぐらいで、上流の様相を呈し、屈曲度1.6を示す。川巾に比し、水巾は広く20~50mで川巾いっぱいに流れる。したがって、水深も深く、平均70cm~1m位であるが、最も深いところでは5mに及ぶところがある。そのようなわけで、砂利採集はあまり行われておらず、長瀞付近及び野上町袋に僅かに見られるのみである。

寄居町日山よりは徐々に川巾も広くなり、玉淀より下流においては大規模に機械掘りで行われている。各地域別による砂利採取量は次のとおりである。

37年度採取実績

荒川(寄居管内親鼻橋より下流)

砂利 63,538.81(m3)

砂 10,735.9

切込 110,537.0

計 184,811.71

神流川(西武化学K.K.箇所より上流)

砂利 12,440(m3)

砂 1,619

切込 40,382

計 54,441

三波石

神流川において鬼石より上流が三波石の産地で、関東一帯で庭石として珍重されている。

いわゆる御荷鉾式の緑色岩をいうのであるが、庭石としては秩父古生層の赤色角岩、緑色珪板岩、跡倉礫岩も混ざっている。

鬼石町付近には、三波石を営む者が100軒に及ぶという。

5.5 地下水

山地に於いては概して沢水などの地表水を飲料水として利用しているが、緩やかな斜面上の表層の厚い地域では、基盤岩上の地下水を利用している。たとえば、渡部・新井の調査による長瀞の柱状図を見れば了解できるように、基盤の結晶片岩の上にある砂礫中に含まれる水を利用している。中に2~3層にわかれているが、集水面積が少ないのでよく枯れることがある。

荒川扇状地に於いては、第三紀層の基盤上の第四紀砂礫層が帯水層になっていて最上部の地下水層は10m内外のところにあり、くわしくは木本達郎が研究している。荒川扇状地内には2本の深井戸の資料があり、基盤は山地を離れるに従って深くなる。No.4、No.5では100m以上でないと基盤に達しない。その間に数層の地下水層があり、関東醸造K.K.では30m、40m、50m、60m、65m、70m、85mと7層の帯水層があるのに反し、櫛引造兵所跡では粘土層が多く、帯水層は55~63m、65~77mと2層しかなく、第三紀層との礫岩の一部からも採水している。

N.4、No.5は近い距離にあるが地下地質は大部異なるようである。

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主なる参考文献

  • B. Koto (1888) :On the so-called Crystalline Schists of Chichibu. Jour. C. S. I. U. Japan, Vol. II, pp. 77-141.
  • 藤本治義(1924):神流川地方地質略報、地学雑、XXXVI-326-327.
  • 〃 (1926):関東山地東縁部の地質学的考察、地質雑、XXXV-412,p.p.185-209
  • 早川千尋(1928):秩父盆地第三紀層産の化石に就いて、地質雑、XXXV-412.p.p.15-32
  • 〃 (1930):秩父盆地第三紀層について、地質雑、XXXVIII、440、p.p.185-209
  • 藤本治義(1935):関東山地北部の地質学的研究、地質雑、XLII-498,p.p.137-151
  • H. Fujimoto (1936) :Stratigraphical and Palaeontological Studies of the Titibu System of the Kwanto Mountainland, Part. 1 Stratigraphy, Sci. Rep. Tokyo Bunrika D., Ser. C, No. 6, pp. 157-188.
  • 〃 (1936):Stratigraphical and Palaeontological Studies of the Titibu System of the Kwanto Mountainland, Part. II Palaeontology, Sci. Rep. Tokyo Bunrika D., Ser. C, No. 6, pp. 215-244.
  • H. Fujimoto (1937) :The Nappe-theory with reference to the North eastern Part of the Kwanto-Mountainlaud, Sci. Rep. Tokyo Bunrika D. Ser. C, No. 6, pp. 215-244.
  • 藤本治義(1937):関東山地に発見した押し被せ構造、東博雑、XXXV-60、pp.377-385
  • H. Fujimoto (1938) :Radiolarian Remains Discoverd in a Crystalline Schist of the Sanbagawa System, Proc. Imp. Acad. Tokyo. Vol. XIV. No.7, pp.252-254.
  • 藤本治義(1938):関東山地長瀞系(三波川、御荷鉾系)、地質雑、XLVI、546、pp.117-126
  • 杉山隆二(1943):群馬県下仁田付近に発達する所謂跡倉礫岩に就いて、東京科学博物館研究報告
  • A. Izaki (1943) :Geology of Nagatoro-Onisi. 東大進級論文
  • 井尻正二外6名(1944):関東山地における押し被せ構造の再検討、東京科学博物館研究報告
  • H. Fujimoto and J. Yamada (1949) :Discovery of a Crinoid-limestone in a crystalline schist of the Nagatoro System of the Kwanto Mountain-land. Proc. Jap. Acad. Vol.25, No.5, pp.175-178.
  • 井尻正二外3名(1950):秩父盆地の第三系、国立科学博物館研究報告、28
  • 渡部景隆(1950):関東山地東北縁部第三紀層の部分的不整合、地質雑、LVI、656、p.296.
  • 渡部景隆(1950):秩父盆地第三紀層の地質学的研究、秩父科学博物館報告、1
  • 渡部景隆外2名(1950):関東山地東北縁部第三紀層の地質学的研究、秩父自然科学博物館研究報告、1
  • 藤本治義(1951):関東地方(日本地方地質誌)
  • 渡部景隆(1951):礫岩の測定法(二)、鉱物と地質、第4巻、第3,4号、pp.141~145
  • 町田貞外1名(1952):秩父盆地における河岸段丘、地理学評論25、pp.221~229
  • 藤本治義外2名(1953):関東山地北部の押し被せ構造、秩父自然科学博物館研究報告、第3号
  • 町田貞外1名(1954):秩父盆地における段丘堆積物における砂の粒度分布について、地理学評論27.pp.35~38
  • 埼玉県(1954):埼玉県地質図説明書 pp.1~44
  • 前田四郎(1954):関東山地東部地質構造、千葉大紀要、第1巻33号、pp.160~165
  • 渡部景隆外1名(1955):埼玉県長瀞付近における基盤の地形と地質構造との関係(長瀞地域の地下水調査、第1報)、秩父自 然科学博物館研究報告、pp.9~24
  • 村本達郎(1955):荒川扇状地の研究(第2報)その地下水の特色と井戸との関係、埼玉大紀要、第4巻、pp.41~53
  • 川崎逸郎(1957):秩父山地東縁の地形-平坦面と風化堆積物、千葉大紀要、第2巻、第2号、pp.148~156
  • 羽鳥謙三外1名(1958):関東盆地西縁の第四紀地史(2)-狭山、加住丘陵の地形と地質、地質雑、65,pp.232~256
  • J. Arai (1960) :The Tertiary System of the Chichibu Basin, Saitama Prefecture, Central Japan, Part I. Sedimentology. The Japan Society for the Promotion of Sciende, pp. 1-123.
  • S. Kanno (1960) :The Tertiary System of the Chichibu Basin, Saitama Prefecture, Central Japan, Part. 2, Palaeontology. ditto pp. 123-396
  • T. Machida (1960) :geomorphlogical Analysis of Terrace Plains Fluvial Terraces along the River Kuji and River Ara, Kanto District, Japan. Sec.C. Vol.7, No.64, pp.137-194.
  • 森川六郎(1960):関東山地北部古生層最上部の上吉田層群基底よりParafusulinaの発見、地質雑、Vol.66, No.781, P. 684
  • 埼玉県(1961):二瀬ダム(埼玉県)建設の荒川漁業への影響と今後の開発に関する調査報告、pp.1~369
  • 秩父団研グループ(1961):神流川流域の秩父古生層について、地球科学57,pp.1~11
  • 川崎逸郎(1962):新らしい堆積層と外的営力との関係、千葉大紀要、第2巻、第4号

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あとがき

寄居図巾は名勝の地、長瀞のある所で、結晶片岩、秩父古生層、中生代の跡倉層群、秩父盆地の第三紀層など、種々の地層が発達し、東京に近いためか、古くから多くの学者によって研究調査されている。したがって、多くの論文が発刊され、既に研究の余地がないまでに達している。日本地質学の創始者、小藤文次郎をはじめ原田豊吉などは19世紀の頃から研究し、秩父古生層については藤本治義が長年研究を行い、その後、筆者をも含めた秩父団研グループ、三波川系及び御荷鉾系は小藤文次郎の古典的な研究に端を発し、矢部長克、藤本治義、小島丈児、関陽太郎などにより、構造学的岩石学的に研究されている。秩父盆地については早川千尋が研究し、地質の大綱を明らかにしたあと、東京科学博物館の井尻正二とそのグループ、渡部景隆が精査して論文を公けたしているが、最近、新井重三、菅野三郎は、それぞれ、堆積学、古生物学的に徹底した研究をなし、みごとな岩層分布を作成した。なお、渡部景隆は関東山地北縁の地質を研究した。又段丘上の堆積物は町田貞が、山地の堆積物については川崎逸郎などが研究し、多くの論文があって、表層地質の調査に大いに参考になり、筆者の研究調査に益する所が大きかった。ここに参考にした論文の著者に心から感謝する。

本調査にあたり、埼玉県農地開拓課・埼玉県林業試験場・寄居林業事務所の方々には事務的に、また、宿舎の提供など、種々便宜をはかって下さった。埼玉県砂利採取事務所、埼玉県衛生研究所、農林省荒川中部農業水利事業所、秩父セメント株式会社、などの方々は貴重な資料を提供して下さった。

また、調査の方法についてご指導下さった経済企画庁総合開発局国土調査課千秋鉄助技官、現地において御助言をいただいた工業技術院地質調査所斉藤正次所長等には心からなる感謝の意を表する次第である。

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Surface geological survey “yorii”

Summary

The area of this sheet map is located in the central part of Saitama prefecture. The main part of the area is situated in north-eastern part of the Kanto mountainland. Chichibu basin and Arakawa fan are situated at the south- western and north-eastern corner of this ares, respectively. The river Arakawa runs from south-west to north-east in the central region.

The numerous formations are founded in this area. These numerous formations, composed the fundamental structure of the Kanto-mountainland belong in the Nagatoro system of Metamorphic rocks, the Chichibu system of paleozoic rocks and Mesozoic rocks. The Tertiary deposits are distributed in the forms of Basins, partly in the inner part and partly in the periphery of the mountainland ; The Chichibu Basin, the Ogawa Basin and so on. Quartanary system composing of gravel and loam etc. are distributed in the Odamaki hilly land and the Arakawa fan.

On the plutonic rocks there are quartz-diorite, serpentine and so on.

Geology

Unsolid sediments

Gravel

Many terraces are deveoped along the river Arakawa, other small river in the Chichibu Basin and the Arakawa fan, and gravel covers those terraces.

Detritus

Detritus is distributed extensively on the slope of the foot of the mountain, especially in the metamorphic region. This sediments yield land sliding.

Sand and Mud

Sand and mud are very little in this area.

Solid sediments

Conglomerate

Conglomerate has never been found paleozoic region of this area. The oldest one is Atokura conglomerate forming Dakeyama, Minano-machi and its geological age is Mesozoic. Conglomerate is widely distributed in the Tertiary system of the Chichibu Basin and the periphery of the mountains.

Sandstone

Greywacke of the paleozoic is grey in color and very hard. Common sandstone is abundant in the Tertiary system and its grains ranges from coarse to fine and is not so hard as greywacke. Arkose sandstone develops near the base of the Chichibu Basin.

Pelitic rocks

Slate of the Paleozoic is black in color and hard, but often goes to pieces. Slate also develops in the Mesozoic region and alternates with sandstone.
Siltstone is abundant in the Tertiary and its color ranges from grey to dark grey and ite hardness is not so hard. Siltstone often alternates with sandstone and compises many fossils.

Siliceous rocks

Chert of the Paleozoic rocks is widely distributed and its color is very various. It is so hard that forms steep valleys and peaks and often comprises radiolaria.

Schalstein

The color of Schalstein Spreads from dark green to red and it is easily go to pieces, and forms gently slop mountains. Its age is Paleozoic.

Limestone

Limestone is compact and its color spreads from grey to black. ocurrance Its is small lense in the Paleozoic rocks.

Crystalline limestone is often intercalated in the metamorphic rocks of the Nagatoro system.

Volcanic rocks

Tuff
Several tuff layers are distributed in the Teritary rocks of the periphery of the mountainland. They are liparitic, white in color and its grains is medium to fine.

Loam

Loam is yellowish brown color and very soft. Odamaki and Hitsujiyama hilly land are coverd with older loam, so called Tama loam and its thickness is age unknown loams develops on flat plains of the mountains ; Dodaira, Hagidaira, Sadamine pass,Kamabuse and so on.

Plutonic rocks

Quartz-porphyry

The rock occurs near Shokidachi bridge on the river Arakawa, intruding the metamorphic rocks.

Quartz-diorite

Quarty-diorite is white in color an its surface is easkly go to pieces for weathering and often intruded with pegmatite. The distibution of the rock is Mt. Kurumayama and Mt. Kinshozan in the south of Yorii city.

Serpentine

The rock is dark green in common but rarely yellowish green and is broken into small lenticular pieces. This rock intrudes the metamorphic rocks in the form of a sheet or laccolith along the bedding plane, while elsewhere they are distributed mostly the faults, forming dykes.

Metamorphic rocks

Black schist

Graphite schist is the representative of black schist composed of graphite, quartz, sericite and so on. This rock is the most predominant in the metamorphic region and easily go to pieces.

Green schist

Green schist are consisted of chlorite schist, epidote schist and "Mikabu" -type green rock. Of these schist, Chlorite schist predominates.

Other schist

There are many schists inthe metamorphic region beside black and green schist, namely white quartz schist, sericite schist brownish black stilpnomalane schist, red piedomontite schist and hematite-quartz schist. Their distributions are thin and narrow.

Applied Geology

Land slide
Landslide occurs at several localities along the foot of the mountains consist of schist.

Mineral Springs
Several small mineral springs are located along northern and eastern margins of the Chichibu Basin and are utilized only by the neighbouring people.

Talc
Talc is found in serpentine and ore bodies are of small scale and ores are inferior in quality.

Limestone
The limestone quarry is worked for cement at Kaiya, Higashi-chichibu-mura.

Serpentine
Serpentine is quarried for building stone at several localities ; Hosoo, Asahine, Kamabuse and so on.
Tuff, chert. siltstone and loam are utilized for raw materials of cement.

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土じょう説明書(1対50,000)

寄居

農林省農業技術研究所 技官 小山正忠

 〃 〃 河井完示

〃 〃 三土正則

〃 〃 音羽道三

農林省林業試験場 〃 久保哲茂

埼玉県農業試験場 技師 石居企救男

〃 〃 柴英雄

埼玉県林業試験場 技師 野村静男

〃 〃 奥貫春夫

 1 地域の概説

寄居図幅は関東地方の西部、埼玉県の北西部に位し、大部分は埼玉県に属するが、北西隅は群馬県である。図廓辺の経緯度は、東経1390'10"4~13915'10"4、北緯360'から3610'である。

図幅の主体は山地であるが、吉田町は秩父古生層という名の発祥の地であり、岩畳として知られた長瀞の結晶片岩、さらに跡倉礫岩、石英斑岩、蛇紋岩などもあり、地質岩石の変異に富み、我国の地質学揺らんの地と云われている。東南部には天文台のある堂平山(875.8m)、笠山(842.0m)、大霧山(766.6m)、西には城峯山(1037.7m)、破風山(626.5m)、男岳、女岳、北には不動山(549.2m)、陣見山(531.0m)などを始め多くの山、峠があり、ハイキング向として有名なコースが多い。

農耕地は図幅の北東隅、深谷市、寄居町付近の平坦地に最も集中し、次いで第三紀盆地の秩父盆地が主なものである。他は荒川およびその支流の赤平川、東の槻川、北西の神流川などにより開かれた河段丘、さらには山間に点々と耕地が散在している。

秩父市(人口約6万)の大部分と深谷市(人口約5万)の一部を含む、この図幅に関係のある市町村は、全部で19に達する。

関係市町村の概況(JPG:157KB)

交通は寄居町が中心で、秩父市から寄居町を経て東進する秩父鉄道が幹線であり、他には寄居町を経るかまたは起点としている国鉄八高線と、東武鉄道東上線がある。道路は秩父鉄道にそって秩父市から寄居町を経て熊谷にいたる甲府熊谷線、美里村寄居町を経て小川町を通る東京小諸線が二級国道である。主要県道は熊谷・小川・秩父線の他三路線がある。主要道路にはバスの便があるが、全般的には山地のことであり交通は不便である。

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2 土じょう概説

2.1. 概往の土じょう調査

寄居図幅全域を含む土じょう調査関係報告書としては、1948 G.HQ.天然資源局の予察土じょう調査、埼玉県土性図および解説、低位生産地調査における各種資料、1962施肥改善事業土じょう調査成績、その他1962に実施した地力保全基本調査、1959~1963に実施した民有林適地適木調査などがある。

2.2. 土じょう調査の方法

この土じょう調査は、国土調査法第3条第2項に基づいて定められた土地分類基本調査の、土じょう調査作業規程準則に基づき実施したもので、概査(予察調査)精査(試坑分布調査)を行い、ついで所要の分析作業を実施の上、整理取りまとめを行った。

概査 昭和37年6月、土じょう調査関係者の協議を行い、全域を踏査し、本図幅内を山地と耕地に二分して、それぞれの調査実務に当たることにした。

山地班-農林省林業試験場 耕地班-農林省農業技術研究所

埼玉県林業試験場 埼玉県農業試験場

埼玉県農林部林務課

なお調査関係者の協議、関係市町村への連絡ならびに説明会などは、埼玉県農林部農地開拓課土地整備係が担当した。

精査

山地班は関係者それぞれ緊密な連絡の下に、昭和37年8月以降断面調査ならびに付帯調査を行った。

耕地班は農業技術研究所と県農試係員を3班に分け、昭和37年12月から翌年3月までに、市町村吏員立会の下に精密調査を行った。

分析作業

断面調査において採取した土じょう試料は、山地班は埼玉県林試、耕地班は県農試に集め、精査の結果により仮の土壌統を設定し、この各統から1~2点を選出して分析項目分析方法を統一して分析を行った。

分析方法の概要は次の通りである。

  • 粒径組成:国際土じょう学会法により分散剤としてヘキサメタ燐酸ソーダを用いた。
  • 容積重:山中式容積重測定装置による。
  • 最下容水量:ヒルガード法に準じた山中の方法による。
  • 全炭素:チューリン法
  • 全窒素:キエールダル法
  • 水素イオン濃度:1対2.5の水浸液についてガラス電極による
  • 塩基置換容量:ショーレンベルガー法を半微量化した原田法
  • 置換酸度:NKcl浸出液の0.1N NaOH滴定
  • 置換性石灰および苫土:塩基置換容量測定の溶液についてEDTAにより滴定燐酸吸収係数:PH7.0、2.5%燐酸アンモン溶液を加えて吸収量を測定

整理作業
現地調査および分析作業の終了後、成果の再検討を行い、各班別に仮土じょう統を作製し、これを持ちよって統についての見解を統一し、設色、記号、界線等の調査を行った。この間、補足調査も必要に応じて実施し、さらに地形、表層地質調査の成果も参照して土じょう図を完成した。

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3 土じょう各論

3.1. 山地・丘陵地地域の土じょう

3.1.1.概説

地域 図幅の3/4は山地および丘陵地で占められており、しかも殆どが山地でその最高峯は城峯山(1037.7m)である。丘陵地は秩父盆地内のほか児玉町付近および寄居町から小川町にいたる八高線以東に分布している。

地形・地質 図幅のほぼ中央部の山地は長瀞系三汲川変成岩と呼ばれる結晶片岩からなり、岩種は絹雲母片岩、石墨片岩、滑石片岩および緑泥片岩などである。南部および西~北部には緑色岩の優占する長瀞系御荷鉾式変成岩が分布している。北西部では開析が進み壮年期の山容を呈しているが、中央部では侵蝕が中腹以上には強く及んでいないため傾斜が比較的ゆるく丸味のある地形を呈し、各所に山頂緩斜面や山腹緩斜面が広くとり残されている。またこれらの緩斜面にはふつう火山灰層が保存されている。この変成岩地域には各所に蛇紋岩脈が露出し、ことに釜伏山は有名である。西部の山地はチャート、砂岩、硬砂岩、輝緑凝灰岩、粘板岩および石灰岩などを有する秩父古生層からなり、壮年期の地形を呈している。僅か残された緩斜面にはやはり火山灰の堆積が認められる。この古生層はさらに中央部の変成岩地域をくぐり抜け、「窓」として東秩父村や小川町付近に出現するほか、所々で変成岩上に「クリッペ」となって載っている。中生層は皆野町の男岳、女岳を中心に古生層と変成岩との境界線上に所々あらわれる跡倉礫岩があり、地形は古生層山地のそれに近い。さらにこの層は変成岩地域をくぐって、寄居町折原から小川町にかけて古生層の「窓」に接しつつ丘陵地を形成している。第三紀層は秩父盆地内(主として泥岩・砂岩)のほか寄居町折原から小川町にいたる八高線沿線(寄居礫岩)および児玉町付近に分布し、それぞれ丘陵地を作っている。このほか寄居礫岩の丘陵に沿って石英閃緑岩からなる丘陵がある。

土地利用現況 山地は主としてスギ、ヒノキ、アカマツの用材林およびコナラ、クリを主とする薪炭林として利用されており、古生層地域は特にスギ、ヒノキの造林が盛んである。日野沢流域を中心とする古生層地域および神流川流域の変成岩地域は共に開析が進み、その急峻で長大な山腹斜面の造林木の成長は良好である。丘陵地の大部分は薪炭林およびアカマツ天然生林であり、僅かにスギ、ヒノキの造林が見られるがその生育はよくない。このほか山地、丘陵地とも各所にクヌギが造林されておりまた近年急激にアカマツの植栽が増えてきた。山腹緩斜面は耕地となり部落が発達し、その付近にはかつて耕作された後の認められる林地が多い。

植生 高海抜部に単木的にブナ、イヌブナ、モミ、ツガなどを認める程度で、極盛相を示す原生林は残されていない。山地では尾根筋から凸型急斜面にかけてクリ、コナラを中心にネジキ、リョウブ、アカシデ、イヌシデ、アヲダモ、アセビ、ツツジ類、ユウヤボウキなどからなる乾性群落が発達しているのに対し、沿筋から凹型斜面にかけてはケヤキ、クルミ、ミズキ、ハリギリ、オシダ、ジュウモンジシダなどからなる湿性群落が見られる。また中腹の安定した土層の深い斜面の林床はスズタケが優占する。盆地に臨む南向き山腹には常緑カシ類が多く、またミカン、ビワなどが庭木として植えられており、局所気象(おそらく気温逆転層形成による冬季の最低気温のおだやかさ)の特異性を示している。山頂緩斜面は古くから萱場として利用されてきたが、現在は殆ど造林されており、その林床には今なおススキ、オオバギボシ、オケラ、ワラビ、ハギ類など原野時代の残留種が認められる。

山地・丘陵地の土じょう統一覚表 その1(JPG:322KB) その2(JPG:339KB) その3(JPG:142KB)

土じょうの特徴・分布 山地および丘陵地には各種基盤岩石を母材とする残積や崩積の褐色森林土のほかに緩斜面に保存されている火山灰を母材とする土じょうがある。これらはさらに土色、腐植の滲透集積状態、構造など環境条件の反映と考えられる土じょう層断面の諸特徴によって表示のようにそれぞれ2~3の土じょうに類別することができた。

これら断面形態のちがいは第1~3図に示した分布傾向のように、主として微地形に由来する排水状態(水分環境)のちがいに起因している。

結晶片岩および堆積岩はそれぞれいくつかの岩種を含んでいるため、類似の環境条件におかれた同じ古生層の土じょうであっても、砂岩由来のものと粘板岩由来のものとでは当然土じょうのいくつかの性状に相異点が認められる。しかしこれらのちがいも褐色森林土としての基本的な性状たとえば酸度や飽和度などについては特に区別する要もないように思われる。また仮に区別してもこれらの岩石は互層あるいはモザイク状に分布しており、地形も複雑急峻であるため、各種岩石に由来した土じょうの分布の境界を正確に追求することは困難である。したがってこの地域では一部をのぞき岩種別に問うの設定あるいは細分を行わなかった。

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3.1.2. 土じょう各説

3.1.2.1.金勝山土じょう

金勝山1統(Ki1) 小川町金勝山から寄居町車山に至る八高線沿線の丘陵を構成する石英閃緑岩を母材にした砂質~細礫質の残積土で、丘陵の頂部から中腹にかけ、主として凸形斜面に発達分布している。乾燥環境において生成されたため、有機物の分解、滲透は悪く、A層が薄い。また硬い微粒状および粗粒状構造が発達し、やや酸性で養分に乏しい。急峻な場合には、表面侵蝕を強く受け、A層を欠除した腐植に乏しい未熟なものもある。天然生のアカマツや広葉樹が生立しているが、その生育はよくない。土層の深い場合には、極端な乾燥地や風衝地を避ければアカマツの造林が可能である。

代表地点の断面形態

地点番号 1308

位置 埼玉県大里郡寄居町三品車山

母材 石英閃緑岩

傾斜 2゜ 方向 SWS 標高 150m

地形 山腹緩斜面

土地利用 アカマツ天然林

 

断面記載
A

0~4cm

暗褐色、7.5Y R3/3、腐植に頗る富む砂質埴じょう土、粗粒状構造、粗、ねばり弱、乾、小根あり、層界明瞭。

B1

4~50cm

灰褐色、7.5Y R5/3、腐植を含む砂じょう土、細礫を含む、粗粒状構造、密、ねばり弱、乾、小~中根あり、層界判然。

B2

50~120cm

灰褐色、7.5Y R5/4、腐植に乏しい砂じょう土、細礫に富む、粗粒状構造、密、ねばり弱、乾、根なし、層界明瞭。

金勝山2統(Ki2) Ki1統と同じ丘陵地の凹形斜面に崩落および歩行堆積した石英閃緑岩風化物を母材として生成発達した土じょうで、土層は深く、礫に富んでいる。中庸ないしやや湿りの水分環境にあるため有機物の分解が良く、一般に腐植は深くまで滲透し、軟粒状構造が発達している。比較的養分に富み、通気、透水もよく、スギ、ヒノキの造林が良い成長を示している。しかしこの丘陵地では、この土じょうの生成されやすい凹形斜面の発達が悪いためこの土じょうの分布面積は狭少である。

代表地点の断面形態
地点番号 1501
位置 埼玉県比企郡小川町勝呂
母材 石英閃緑岩(崩積)
傾斜 45゜ 方向 NE 標高 150m
地形 山腹急斜面
土地利用 スギ人工林

断面記載
A-B

0~30cm

黒褐色、7.5Y R2/3、腐植に富む砂質埴じょう土、少礫を含む、軟粒状構造、粗、ねばり中、半乾、小-中根あり。

B-C

30~52cm

暗褐色、10Y R3/4、腐植を含む砂質埴じょう土、中~大礫に富む、軟粒状構造、粗、ねばり中、半乾、小根あり。

C

52~65cm

暗褐色、10Y R3/4、腐植に乏しい砂じょう土、中-大礫に富む、軟粒状構造、粗、ねばり中、半乾、小根を含む。

第3図 三紀丘陵地の土じょうの特徴と分布(JPG:100KB)

3.1.2.2.釜伏山土じょう

釜伏山1統(ka1) 秩父盆地の東側をふさぐ地塁山地に所々分布している蛇紋岩を母材とした埴質、緻密な残積土で、一般に土層が深い。山頂部から中腹にかけて主として凸形斜面に分布し、やや乾いた環境下にあるが、尾根筋であっても比較的緩やかであるため、極端に乾燥することは少ない。A層は余り深くなく、塊状および堅果状構造が発達し、下層は壁状で腐植に乏しい。酸性で養分にやや乏しく造林されたヒノキ、スギの生長は悪い。封書うちを避ければアカマツの造林に適する。土じょう図には小規模な蛇紋岩岩脈に由来するののの図示を省略した。

代表地点の断面形態
地点番号 1447
位置 埼玉県秩父郡皆野町三沢
母材 蛇紋岩
傾斜 25゜ 方向 S50゜E 標高 480m
地形 尾根筋
土地利用 天然広葉樹林

断面記載

A-B

0~10cm

暗褐色、7.5Y R3/3、腐植に富む埴土、堅果状構造、粗密度中、ねばり中、湿、小根あり。

B

10~80cm

褐色、7.5Y R4/6、腐植に富む埴土、壁状、密、ねばり中、湿、中根あり。

 

釜伏山2統(ka2) ka1統と同じ山地の凹形急斜面に崩積した蛇紋岩風化ぶつに由来する土じょうで、土層は深く、礫に富んでいる。極端な場合には蛇紋岩特有の塊状礫ばかりが厚く堆積し、その空隙を腐植に富んだ土粒が充たしているようなものもある。中庸ないしやや湿りの環境下で生成されたもので、腐植は深くまで滲透し、軟粒状構造がよく発達している。通気、透水も良く、養分に富んでいて、酸度は中性に近い。ヒノキ、スギの造林木がかなり良い成長を示している。ka1統と同様に小規模な蛇紋岩岩脈に由来するののの図示は省略した。

代表地点の断面形態
地点番号 1317
位置 埼玉県秩父郡皆野町平草
母材 蛇紋岩(崩積)
傾斜 37゜ 方向 NE 標高 560m
地形 山腹急斜面
土地利用 ヒノキ人工林

断面記載
A1

0~10cm

蛇紋岩の細~小礫でみたされていて土粒ほとんどなし。

A2

10~42cm

黒色、7.5Y R2/1、腐植にすこぶる富む砂じょう土、細~小角礫を含み中礫まれ、軟粒状構造、粗、ねばり強、湿、小~中根を含む、層界漸変。

A-B

42~90cm

黒褐色、7.5Y R3/2、腐植に富む砂じょう土、小~中角礫を含む、堅果状構造やや発達、粗密度中、ねばり強、湿、小根あり。

 

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3.1.2.3. 日野沢土じょう

日野沢1統(Hi1) 古生層および中生層山地において、主として尾根筋に線状に分布する土層の浅い残積土で、粘板岩、砂岩、珪質岩、輝緑凝灰岩および跡倉礫岩などを母材にしている。一般に瘠尾根にあるため排水が過大で、常に乾燥条件下におかれて生成発達したものであり、落葉の分解が悪く、多くの場合、A0層が厚く堆積し、A層は薄い。下層は腐植に乏しく、明るい黄褐~褐色を呈し、多くの場合礫に富んでいる。粗粒状や微粒状構造の発達が著しい。強く侵蝕を受く、土層の極端に薄いものやA層の欠除したものもある。強酸性で、水分、養分に乏しく、そこに生立する天然生のアカマツや広葉樹の生育は悪い。勿論人工造林の対象地にはなり得ない。母材となった岩種のちがいにより深さや土性、礫岩量などに多少の遅疑が認められた。

代表地点の断面形態
地点番号 1208
位置 埼玉県秩父郡皆野町小松
母材 古生層砂岩
傾斜 5゜ 方向 S60゜W 標高 520m
地形 尾根筋凸部
土地利用 ヒノキ人工林 天然生アカマツ混生

断面記載
F

厚さ5cm

ヒノキ腐朽葉

H-A

0~5cm

暗褐色、5Y R3/2、腐植土、微粒状構造、粗、ねばり弱、半乾、根に富む。

B1

5~15cm

明黄褐色、10Y R6/6、腐植を含む砂じょう土、小角礫を含む、微粒状構造、粗、ねばり弱、半乾、小~中根にすこぶる富む。

B2 15~50cm

灰黄褐色、10Y R5/4、腐植を含む砂じょう土、微粒状構造、半乾、中根を含む。

C 50cm~

明黄褐色、10Y R6/6、腐植に乏しい砂じょう土、小角礫にすこぶる富む、密、半乾、根なし。

 

日野沢2統(Hi2) Hi1統と同様に、中生層および古生層岩石に由来する残積土であるが、Hi1統のように乾いた環境下で生成されたものでなく、稜線部でも余り乾燥を受けない山頂緩斜面や鞍部をはじめ、山腹では凸形の急斜面や緩斜面などほぼ中庸の水分環境下に生成されたものである。暗褐色を呈するA層は比較的深く、褐色のB層に漸変している。緩斜面のものは土層は深いが緻密であるのに対し、急斜面のものは腐植の滲透がよく、軟らかいが、礫が多く、一般に土層が浅い。スギ、ヒノキがかなり造林されているが、薪炭林も多く、スギの生長はヒノキにやや劣る。アカマツおよびヒノキの造林に適する。母材となった岩種のちがいにより、土性や塩基の量など二、三の性状に若干の差異が認められるが、Hi1統と同様に一つの統に総括した。

代表地点の断面形態
地点番号 1425
位置 埼玉県秩父郡東秩父村
母材 古生層硅質岩
傾斜 34゜ 方向 N70゜E 標高 340m
地形 山腹急斜面
土地利用 天然広葉樹林

断面記載
A1

0~10cm

黄褐色、7.5Y R2/3、腐植にすこぶる富む埴じょう土、粗粒状および軟粒状構造、粗、ねばり中、湿、小~中根あり。

A2

10~35cm

暗褐色、10Y R3/4、腐植に富む埴じょう土、半角中礫を含む、粗粒状構造、粗密度中、ねばり中、湿、小根に富む。

B

35~70cm

褐色、10Y R4/6、腐植を含む埴じょう土、半角小礫を含む、壁状、粗密度中、ねばり中、湿、小根あり。

 

日野沢3統(Hi3) 前2者と同じ地域の急峻な山地で、凹形急斜面や崖錐などにおける崩落堆積物や谷間の押し出し堆積物など中生層および古生層岩石の風化物を母材とした角礫質の土じょうである。中庸ないしやや湿った環境下にあるため、腐植の滲透は深く、黒褐色ないし暗褐色のA層は軟粒状構造が発達し、膨軟である。通気、排水が良好で、養分、水分に富み、スギ造林木の成長は極めて良い。城峯山から日野沢一帯の壮年期山地では、長大な急斜面が発達しているためこの土じょうの分布が広いが、小川町、東秩父村および都幾川村付近の古生層山地では凸形斜面が多いため、狭少である。Hi2統と同様に母材となった岩種のちがいにより、土じょうの性状に若干のちがいが認められた。

代表地点の断面形態
地点番号 1212
位置 埼玉県秩父郡吉田町藤柴
母材 古生層砂岩(崩積)
傾斜 30゜ 方向 N60゜W 標高 420m
地形 沢沿いの凹形急斜面
土地利用 スギ人工林

断面記載
A1

0~10cm

黒色、7.5Y R2/1、腐植にすこぶる富む砂じょう土、細角礫に富む、軟粒状構造、すこぶる粗、ねばり弱、半乾、小根あり。

A2

10~30cm

暗褐色、10Y R3/4、腐植に富む砂じょう土、局部的に微弱な堅果状構造、粗密度中、ねばり弱、半乾、根あり。

A-B

30~60cm

褐色、7.5Y R4/3、腐植を含む、砂じょう土、細角礫に富む、壁状、粗密度中、半乾、根あり。

 

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3.1.2.4. 長瀞土じょう

長瀞1統(Nt1) 長瀞系結晶片岩を母材にした片状腐礫に富む残積土で、結晶片岩山地の山頂部より斜面中腹にかけ、主として尾根筋や凸形斜面など乾燥し易い場所に生成発達する。特に、地塁山地の東端鐘撞山一体に広く分布している。Hi1統に似て、一般にA0層が発達し、A層が薄く、粗粒状や微粒状構造が発達している。尾根筋では土層は浅いが、安定した緩斜面などで深い土層をもつ場合でも、腐植に乏しい黄褐~褐色のB層はきわめてかたい。また受蝕によりA層を欠くものもある。酸性で用水分に乏しく、天然生のアカマツや広葉樹の生育はよくない。土層の深い場合には極端な乾燥地を避ければアカマツの造林が可能である。絹雲母片岩や緑色片岩類、黒色片岩類などいくつかの岩種に由来するものがあるが、岩種別に区別するほど土じょうの性状にちがいが認められず、またその境界を土じょう図に示すことが困難なので一つの統に総括した。

代表地点の断面形態
地点番号 1236
位置 群馬県多野郡鬼石町諸松
母材 緑色片岩類(火山灰をやや混ず)
傾斜 15゜ 方向 S30゜E 標高 430m
地形 尾根筋凸部
土地利用 ヒノキ造林地

断面記載
(H)-A

0~10cm

黒赤褐色、5Y R2/4、腐植にすこぶる富む埴じょう土、小角礫を含む、微粒状および粗粒状構造発達してすこぶる粗、ねばり弱、乾、根に富む。

B

10~25cm

暗褐色、10Y R3/3、腐植を含む砂じょう土、小角礫を含む、粗密度中、ねばり中、半乾、根に富む。

長瀞2統(Nt2a、Nt2b) Nt1統と同じように結晶片岩類を母材にしているが、Nt1統のように乾いた場所で生成されたものでなく、主として中腹の凸形急斜面や山頂および山腹の緩斜面など、ほぼ中庸からやや乾きの条件下で生成された残積土である。A0層は殆ど堆積することなく、暗褐色のA層は軟粒状や塊状構造が発達してやや深く、結晶片岩の板状腐礫を含む褐色のB層に漸変する。B層は塊状構造がやや発達するがほとんど壁状で堅い。母材となった岩種のちがいにより、土じょうの性状に多少の差異が認められたが、Nt1統と同様に別統として区分しなかった。ヒノキやスギの造林地および天然生のアカマツや広葉樹林として利用されており、スギの生長はアカマツやヒノキに比し劣っている。

Nt2b統は2a統に比し、表土の腐植含量が少ないほかは各層位の分化、構造、下層土の土色などはほとんどの性状が類似している。部落近くのいわゆる「里山」の緩斜面に多く、かつて畑であった場合が多い。Nt2a統とほぼ同様かあるいはやや乾きに偏した水分環境下で生成されたものであるが、わい林作業や落葉採取の繰り返しによる有機物源の減少や表面侵蝕、あるいは傾斜畑であった時の耕作による表土の褪色や侵蝕などによって表土の腐植含量が少なくなったものと推定される。なお大政氏のBc型土じょうもこの統に含めた。クヌギやヒノキの造林地および天然生の広葉樹林やアカマツ林として利用されているが、それらの生育はNt2a統に比しやや劣る。

代表地点の断面形態(Nt2a)
地点番号 1102
位置 埼玉県秩父郡皆野町金沢
母材 黒色片岩類
傾斜 14゜ 方向 N60゜W 標高 320m
地形 山頂緩斜面
土地利用 コナラ天然林

断面記載
A

0~26cm

黒~暗褐色、7.5Y R2-3/3、腐植に富むじょう土、腐朽小角礫を含む、粗粒状および堅果状構造、粗密度中、ねばり強、半乾、小~中根あり、B1層へ漸変。

B1

26~52cm

褐色、7.5Y R4/4、腐植を含む砂質埴じょう土、腐朽小角礫を含む、塊状構造、粗密度中、ねばり強、半乾、小中根あり、B2層へ漸変。

B2

52cm~

明褐色、7.5Y R5/6、腐植に乏しい砂質埴じょう土、腐朽細角礫に富む、壁状、密、ねばり中、半乾、小根あり。

代表地点の断面形態(Nt2bその1)
地点番号 1104
位置 埼玉県児玉郡児玉町小塚
母材 緑色片岩類
傾斜 30゜ 方向 N50゜W 標高 340m
地形 凸型急斜面
土地利用 クヌギ人工林

断面記載
A-B

0~20cm

暗褐色、7.5Y R3/4、腐植を含む埴じょう土、腐朽小角礫を含む、粗粒状および堅果状構造、粗密度中、ねばり弱、半乾、小~中根あり、B1層へ漸変。

B1

20~55cm

褐色、7.5Y R4/4、腐植を含む砂質埴土、腐朽小角礫を含む、塊状構造、密、ねばり中、半乾、小~中根あり、B2層へ漸変。

B2

55cm~

褐色、7.5Y R4/6、腐植に乏しい埴土、腐朽小角礫に富む、壁状、密、ねばり中、半乾、小根あり。

代表地点の断面形態(Nt2bその2)
地点番号 1148
位置 群馬県多野郡鬼石町鬼石
母材 緑色片岩類
傾斜 25゜ 方向 N50゜E 標高 260m
地形 凸型急斜面
土地利用 コナラ天然林

断面記載
A

0~6cm

褐色、7.5Y R4/3、腐植を含む砂じょう土、小角礫を含む、粗粒状および堅果状構造、粗密度中、ねばり中、乾、小~中根に富む、菌糸あり、層界判然。

B1

6~22cm

褐色、7.5Y R4/4、腐植に乏しいじょう土、小角礫を含む、堅果状および塊状構造、密、ねばり中、乾、小~中根に富む、B2層へ漸変。

B2

22~48cm

赤褐色、5Y R4/4、腐植に乏しい埴土、小~中角礫を含む、堅果状および塊状構造、密、ねばり強、乾、小~中根を含む、層界判然。

B3 48cm~

暗赤褐色、5Y R3/6、腐植に乏しい埴土、小~中角礫を含む、堅果状および塊状構造、密、ねばり強、半乾、小~中根あり。

長瀞3統(Nt3) 結晶片岩山地において凸形急斜面や崖錐などの崩落堆積物や、谷間の押し出し堆積物などを母材とした角礫質の土じょうである。中庸ないしやや湿りの環境下で生成されたもので、腐植の浸透が良く、暗褐色のA層が深く発達する。表層は軟粒状構造が発達するが下層は普通壁状であまり堅くない。養分、水分に富み、スギ造林木の生長が良好である。低位台地や谷底低地面に扇状地状に崩落または押し出し堆積した緩斜面の場合には畑として利用されている。

代表地点の断面形態(その1)
地点番号 1229
位置 埼玉県児玉郡児玉町平沢
母材 緑泥片岩(崩積)
傾斜 30゜ 方向 N10゜E 標高 400m
地形 沢沿いの凹形急斜面
土地利用 ヒノキ人工林

断面記載
A1

0~10cm

黒褐色、10Y R3/2、腐植にすこぶる富む砂じょう土、小角礫に富む、軟粒状構造発達しすこぶる粗、ねばり中、湿、小根あり。

A2

10~40cm

暗褐色、10Y R3/3、腐植に富む砂じょう土、小角礫に富む。軟粒状構造、粗、ねばり中、湿、根あり。

A-B

40~70cm

暗褐色、10Y R3/3、腐植に富む砂じょう土、小~中角礫を含む、壁状粗密度中、ねばり中、小根あり。

代表地点の断面形態(その2)
地点番号 1508
位置 埼玉県児玉郡児玉町小手細入
母材 緑泥片岩(崩積)
傾斜 45゜方向 N25゜E 標高 310m
地形 沢沿いの急斜面
土地利用 スギ・ヒノキ人工林

断面記載
A

0~50cm

黒褐色、7.5Y R2/2、腐植にすこぶる富む砂じょう土、小角礫に富む、軟粒状構造、粗、ねばり弱、湿、小根を含む。

B1

50~70cm

暗褐色、10Y R3/3、腐植を含む砂じょう土、小角礫に富む、軟粒状構造、粗、ねばり弱、湿、小根を含む。

B2

70~90cm

暗赤褐色~赤褐色、2.5Y R3-4/4-6、腐植に乏しい砂じょう土、小角礫に富む、軟粒状構造、粗、ねばり弱、湿、小根を含む。

 

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3.1.2.5. 長尾根土じょう

長尾根1統(No1) 第三紀層の泥岩、砂岩およびそれらの互層のものを母材とした残積土で、秩父盆地内のいわゆる「長尾根」と呼ばれている丘陵や、盆地周縁部の第三紀層丘陵の頂部から中腹にかけて分布する。一般に土層は深いが腐植に乏しく褐色ないし黄褐色を呈し、表層に堅い塊状や堅果状構造があり、下層は壁状できわめて堅くしまっている。礫は固結度が弱く、容易に鍬で砕くことができる。大部分は薪炭林や天然性のアカマツ林になっているが、緩斜面は畑として利用されているものもあり、アカマツの成長は良い。

代表地点の断面形態(その1)
地点番号 1221
位置 秩父市品沢
母材 第三紀層泥岩
傾斜 24゜ 方向 S62゜E 標高 260m
地形 丘陵の斜面
土地利用 コナラ天然林

断面記載
(A)-B

0~7cm

灰黄褐色、10Y R5/4、腐植を含む埴じょう土、小礫を含む、壁状、密、ねばり中、半乾。

B-C

7~30cm

灰黄褐色、10Y R5/4、腐植に乏しい埴じょう土、小礫に富む、堅果状構造、密、ねばり中、半乾、中根あり。

C

30~60cm

灰黄褐色、10Y R5/4、腐植に乏しい埴じょう土、小礫に富む、堅果状構造、密、ねばり強、半乾、根なし。

代表地点の断面形態(その2)
地点番号 1606
位置 秩父市山田
母材 第三紀層泥岩
傾斜 16゜方向 W 標高 250m
地形 丘陵の緩斜面中腹
土地利用 天然広葉樹林

断面記載
A

0~5cm

褐色、7.5Y R4/3、腐植に富む埴土、細礫まれ、壁状、粗密度中、ねばり中、半乾、小根に富む。

B1

5~35cm

褐色、7.5Y R4/4、腐植を含む埴土、細礫まれ、壁状、粗密度中、ねばり強、湿、小根を含む。

B2

35~70cm

褐色、7.5Y R4/4、腐植に乏しい埴土、細礫を含む、壁状、粗密度中、ねばり強、湿、小根を含む。

 長尾根2統(No2) No1と同じ丘陵地において、主として斜面下部に歩行または崩落堆積した第三紀層岩石風化物を母材にして、中庸ないしやや湿りの環境下に生成されたものである。暗褐色を呈するA層はやや深く、軟粒構造が発達するが、下層は黄褐灰色を呈し壁状である。沢沿いに線状に発達するため統に比しその分布面積は僅少である。養分、水分にやや富むが、スギの成長はあまり良くない。アカマツの造林が無難であろう。

代表地点の断面形態
地点番号 1127
位置 秩父市品沢八人峠
母材 第三期層砂岩(崩積)
傾斜 27゜ 方向 E 標高 320m
地形 丘陵の凹型急斜面
土地利用 ヒノキ人工林

断面記載
A

0~12cm

黒褐色、10Y R3/2、腐植に富む砂質埴土、腐朽小角礫を含む、軟粒状および塊状構造、粗密度中、ねばり中、半乾、小根あり、A-B層へ漸変。

(A)-B

12~44cm

黄褐灰色、10Y R4/2、腐植を含む砂質埴土、中~大角礫を含む、弱度の塊状構造、密、ねばり中、半乾、小~中根あり、層界判然。

B1

44~61cm

黄褐灰色、10Y R5/2、腐植に乏しい砂質埴土、小~中角礫を含む、壁状、密、ねばり中、半乾、小根あり、B2層へ漸変。

B2 61cm~

黄褐灰色、10Y R5/2、腐植に乏しい砂質埴土、腐朽中~大角礫に富む、壁状、密、ねばり中、半乾、小根あり。

3.1.2.6. 三ヶ山土じょう

三ヶ山1統(Mi1) 寄居町鉢形付近から小川町竹沢にかけての第三紀層丘陵を構成する寄居礫岩を母材とした土じょうである。この丘陵にはドーム状地形が多く、ほとんど凸形斜面であって、崩積土は余り見られない。砂岩質の円礫岩に由来するため、円礫に富む砂土~砂じょう土となり、土層も一般に浅い。やや乾いた条件下で、しかも薪炭林皆伐の繰り返しや、落葉採取の影響をうけているため、A層は薄いかまたは欠如した腐植に乏しい未熟土となり、表層は粗粒状構造が発達し、下層は極めてかたい。養分に極めて乏しく、天然性のアカマツや広葉樹が生立しているがその生育は劣悪である。

代表地点の断面形態
地点番号 1624
位置 埼玉県比企郡小川町竹沢
母材 第三紀層寄居礫岩
傾斜 28゜ 方向 S36゜W 標高 170m
地形 丘陵の斜面中腹
土地利用 アカマツ天然林

断面記載
A-B

0~20cm

暗褐色、10Y R3/3、腐植を含む砂じょう土、微粒状構造、粗密度中、ねばり零、半乾、中植あり。

B-C

20~35cm

灰黄褐色、10Y R5/4、腐植に乏しい砂じょう土、小礫を含む、単粒状、粗密度中、ねばり零、半乾、細根あり。

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3.1.2.7. 城峯山土じょう

城峯山統(Jo) 秩父盆地を囲む東側および北側山地の山頂緩斜面に保存されている火山灰を母材にした俗に「黒ノッペ」と呼ばれる土じょうである。盆地の東側山地は開析があまり進んでいないため、蓑山、二本木峠、堂平山のように、稜線斜面が広く残されている。このため火山灰がよく保存され、これを母材にするこの土じょうの分布はH0統とともに北側の壮年期山地に比しはるかに広い。火山灰の堆積は普通厚さ1~2.5mで、安定のよい平坦面ほどよく保存されており、下層に鹿沼土に似た橙色の腐朽浮石の薄層を有する場合もある。またまれに基岩の細角礫の認められるものもあるが、この混入の機構は不明である。腐植にすこぶる富む黒色のA層が深く、褐色のB層との境界は明瞭である。表層に軟粒状構造が発達するが、ほとんど壁状で、とくに平坦面ではこの傾向が強い。また下層に旧表土(A'層)を有するものもある。多くのものは右くから菅刈場として利用され、明治になって県有林や県行道林地になっている例が多く、スギ、ヒノキ、カラマツなどの造林木の生長は平坦面や風衝地をのぞけばほぼ良好である。塩基置換容量および燐酸吸収係数が大きい。

代表地点の断面形態(その1)
地点番号 1210
位置 埼玉県秩父郡吉田町城峯山
母材 火山灰
傾斜 5゜ 方向 S70゜E 標高 980m
地形 山頂緩斜面
土地利用 草地(天然広葉樹粗林)

断面記載
A1

0~5cm

黒色、5Y R1/1、腐植にすこぶる富む埴土、軟粒状構造、粗、ねばり弱、湿、小根を含む。

A2

5~30m

黒褐色、7.5Y R2/2、腐植にすこぶる富む砂質埴じょう土、細礫まれ、壁状、粗密度中、ねばり弱、湿、小根を含む。

A-B 30~60cm

褐色、7.5Y R4/3、腐植に富む砂質埴じょう土、細礫まれ、壁状、密、ねばり中、湿。

代表地点の断面形態(その2)
地点番号 1617
位置 埼玉県比企郡小川町
母材 火山灰
傾斜 18゜ 方向 N65゜E 標高 520m
地形 山頂緩斜面
土地利用 ヒノキ人工林

断面記載
A

0~30cm

黒褐色、5Y R2/1、腐植にすこぶる富む埴じょう土、軟粒状構造、粗~中、ねばり中~弱、半乾~湿、小根に富む。

A-B

30~60cm

黒赤褐色、5Y R2/3、腐植にすこぶる富む砂質埴土、壁状、粗密度中、ねばり中、半乾~湿、小根を含む。

A' 60~90cm

黒褐色、5Y R2/2、腐植にすこぶる富む砂質埴土、壁状、粗密度中、ねばり中、半乾~湿、根なし。

3.1.2.8. 宝登山土じょう

宝登山統(Ho) Jo統と同様に火山灰を母材とする土じょうで、俗に「赤ノッペ」と呼ばれており分布はJo統より広く、またより低い山腹および山麓緩斜面や丘陵部にまで及んでいる。一般に薪炭林、ヒノキ造林に利用されているが、部落付近のものは耕地となっている例もある。A層は暗褐色で、その深さは台地における火山灰由来のKu統に比しあまり深くない。下層は軽くて柔らかい褐色ローム層が深いがよくしまっている。急斜面では火山灰層が浅く、下部に基岩風化物に細来する土性の異なった土層の出現することが多い。Jo統と同様に腐朽浮石層や稀に基岩細角礫を有することがあり、燐酸吸収係は大きい。スギの造林は避けアカマツを造林した方がよい。

代表地点の断面形態(その1)
地点番号 1201
位置 埼玉県秩父郡野上町宝登山
母材 主として火山灰
傾斜 18゜ 方向 S45゜E 標高 460m
地形 山頂緩斜面
土地利用 ヒノキ人工林

断面記載
A1

0~5cm

黒褐色、7.5Y R2/2、腐植にすこぶる富む埴じょう土、粗粒状構造、すこぶる粗、ねばり弱、半乾。

A2

5~15cm

黒褐色、7.5Y R3/2、腐植にすこぶる富む砂質埴じょう土、粗粒状および堅果状構造、粗密度中、ねばり中、半乾。

B 15~35cm

灰褐色、7.5Y R5/4、腐植に富む砂質埴じょう土、細角礫まれ、壁状、粗、ねばり張、半乾、中根あり。

A' 35~60cm

黒褐色、7.5Y R2/2、腐植に富む砂質埴じょう土、細角礫まれ、粗密度中、ねばり中、半乾、下層に浮石層あり。

代表地点の断面形態(その2)
地点番号 1601
位置 秩父市定峯雲雀畑
母材 火山灰
傾斜 17゜ 方向 S60゜E 標高 600m
地形 山腹緩斜面
土地利用 スギ・ヒノキ造林地

断面記載
A

0~10cm

黒赤褐色、5Y R2/3、腐植にすこぶる富む砂質埴じょう土、微粒状構造、粗、ねばり弱、半乾、小根に富む。

A-B

10~30cm

褐色、7.5Y R4/6、腐植に富む砂質埴じょう土、微粒状および軟粒状構造、粗、ねばり弱、半乾、小根を含む。

B 30~80cm

明褐色、7.5Y R5/6、腐植を含む砂質埴じょう土、壁状、粗、ねばり弱、半乾、小根を含む。

 

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3.2. 台地・低地地域の土じょう

3.2.1. 概説

地域 深谷市櫛挽原から寄居町富田に至る山地丘陵につづく上位台地、秩父市山田、塩谷以北の秩父盆地内の下位台地、吉田町および小鹿野町中心部の大部分をしめる赤平川の段丘地域、野上町の荒川段丘地域、鬼石町の神流川段丘及び小川町の槻川段丘地域である。

地形、地質 本地域の大部分は荒川及びその支流(横瀬川、赤平川など)の下位台地と、寄居町付近の上位台地である。
下位台地の段丘堆積物は場所によって多少異なるが、主として長瀞系結晶片岩、秩父町層群及び赤平層群などの第三紀層と秩父系古生層で、秩父盆地には一部火山灰が混入している。
寄居町及び花園村付近の上位台地はローム被覆前に形成された段丘と、後関東ローム段丘との中間的段丘で、荒川南岸の上位台地は武蔵野段丘に相当すると云われているが、微起伏の凹地には腐植層の厚い土じょうが局部的に存在するものも含めて、主として風積の火山灰を材料とした土じょうが分布する。又寄居町及び美里村の山地丘陵より上位台地と櫛挽原には樹枝状に谷底平野が発達し、荒川南岸の山地丘陵間の谷間の谷底平野と共にいずれも水田として利用されている。
秩父市羊山には市街地の位置する段丘面より一段高い台地があり、ここは数m以下が段丘円礫層で、更に第三紀層に続いている。又秩父市品沢及び伊古田の丘陵状にも上位台地の土じょうがあり、標高は260~270mである。更に野上町藤谷淵及び樋口の下位台地につづく一段と高い上位台地面も、これらと略々同一面のものと考えられる。
下位台地面より一段低い面には沖積層があり、吉田町の赤平川合流地点付近、皆野大淵付近及び寄居町荒川付近に分布している。

土地利用の現況と植生 下位台地の大部分は畑地として利用され、水利の便のよい所は水田となっている。谷底平野はほとんど水田でしかも湿田が多い。火山灰を主な母材とするが、火山灰を混入する土じょうでは収量が比較的低い。下位台地には桑園として利田されているところがかなりある。

土じょうの特徴、分布 寄居町及び花園村の上位台地には風積の火山灰土じょう(櫛挽統)が分布する他、本地域には主として荒川及びその支流の河川段丘面に発達した土じょうが広く分布し、河道の移動や、流速の変化に伴う土性の粗さは場所によって異なるが一般に緻密で土色は褐~暗褐色である。母材は長瀞系結晶片岩類を主とし、秩父系古生層を混入するが(野上統)、吉田町、小鹿野町には第三紀層を主とする灰色粘土層を下層にもつ土じょうがある。(長尾根統)
秩父盆地の中央平坦部及び寄居町の荒川北岸の下位台地で、上位台地に接する帯状の台地面には、火山灰を主母材とする再積性土じょうが分布する。これらはいずれも1~1.2m以下は段丘礫層になっている。(大野原統)
美里村大仏、猪俣付近の丘陵間に狭まれる台地には第三紀層(児玉層)の泥岩類を主母材とした細粒質の土じょうがあり、同地域の谷底平野にはグライ層の発達した細粒質のグライ水田土(大仏統)がある。
尚他に灰色水田土に属するいくつかの水田土じょう(大畑統、三沢統、男衾統、韮谷戸統、三ヶ谷2統)がある。これら土壌分類基準の一覧表は次の通りである。

台地低地の土じょう統一覧表 その1(JPG:322KB) その2(JPG:308KB)

第4図 上位台地及び下位台地の土じょうの特徴(JPG:114KB)

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3.2.2. 土じょう各説

3.2.2.1. 尾田蒔土じょう

尾田蒔統(Oda、Odb) 秩父盆地内の上位台地に見られる段丘堆積物を母材とする土じょうである。上位段丘は尾田蒔、中蒔田および羊山の三面に区分されており、その高さ、傾斜、構成物質などにそれぞれ特徴があるが、深さ約1mまではいずれも粘土であり、またそれぞれに由来する土じょうの性状には特に差異が認められない。
Oda統はこの重くてねばりの強い粘土を母材としたもので、一般に腐植の滲透が浅く、暗赤褐色を呈し、緻密である。下層は灰黄褐色を呈するものもあり、腐朽の進んだ繊細な浮石に富んでいて、稀にチャート細円礫を含んだり、またマンガン結核や鉄盤を有することがある。畑、アカマツ林および広葉樹林として利用されており、林地のうちにもかつての耕作の痕跡が認められるものが多い。アカマツの造林に適する。普通、埴質でねばりが極めて強いが、ところによって、最表層に軽くてねばりの少ない火山灰様の薄層を有するものがあり、火山灰の被覆とも考えられるが確かでない。またこれはあ耕作された場合には下層土と混じますますその判定が困難である。
Odb統は、Oda統の母材となった粘土層が流されて露出した基底の円礫層や、段丘崖が崩れて現れた円礫層、あるいは台地斜面を更に歩行堆積した円礫岩などを母材にした土じょうで、Oda統の周縁部の台地斜面に線状に僅か分布する。未熟な円礫土で養分に乏しく、天然生の広葉樹林以外には利用されていない。急斜面では礫層も薄く、深さ1m以内に台地基盤の風化の進んだ第三紀層基岩が表れるものもある。

代表地点の断面形態
尾田蒔a統(Oda)
地点番号 1223
位置 秩父市伊古田
地形 上位段丘(中蒔田段丘)
傾斜 10゜ 方向 N30゜E 標高 260m
土地利用 コナラ天然林、一部普通畑

断面記載
1層:A-B,0~17cm

暗褐(7.5Y R3/4)、腐植を含む埴土、堅果状構造、粗密度中、ねばり中、半乾、小根を含む。

2層:B、17~30cm

褐(10Y R4/6)、腐植に乏しい埴土、壁状、粗密度中、ねばり中、半乾、小根あり。

3層:C1、30~40cm

褐(7.5Y R4/4-6)腐植に乏しい埴土、チャート小円礫まれ、壁状、すこぶる密、ねばり強、湿、C2層との層界は鉄盤層。

4層:C2、40~60cm

灰黄褐(2.5Y7/4)、腐植に乏しい埴土、チャート小円礫を含む、壁状、すこぶる密、ねばり強、湿、マンガン結核を含む。

尾田蒔b統(Odb)
地点番号 1237
位置 秩父市寺尾
地形 丘陵の緩斜面中腹
傾斜 25゜ 方向 S 標高 240m
土地利用 コナラ天然林、一部普通畑

断面記載
1層:A1,0~15cm

黒褐(7.5Y R2/2)、腐植にすこぶる富む小~中円礫土、粗、半乾、小根に富み中根を含む、層界漸変。

2層:A2,15~52cm

褐(10Y R4/3)、腐植に富む小中円礫土、粗、半乾、小根を含み中根あり。層界漸変。

3層:B,52~60cm

灰褐(7.5Y R5/4)、腐植を含むじょう土、中礫を含む、壁状、粗密度中、ねばり中、半、中根あり、層界明瞭。

4層:C,60cm~

第三紀層泥岩基岩風化物。

3.2.2.2. 中井森土じょう

中井森統(Na) 段丘堆積物を母材としているが、Oda統とは異なり、表層から大~中円礫を含む焦土で、腐植に乏しく緻密である。中井森部落に僅か分布するだけで他地区には対比出来る堆積物が見つからなかった。Oda統の母材よりも新しい下位の堆積物で規模も小さく薄い。深さ1m以内に基盤の第三紀層が表れることが多い。天然生のアカマツや広葉樹の生育は中庸である。

代表地点の断面形態
地点番号 1121
位置 秩父市中井森
地形 上位台地
傾斜 5゜ 方向 N45゜W 標高 280m
土地利用 アカマツ天然林

断面記載
1層:A,0~7cm

暗赤褐(5Y R3/4)、腐植にすこぶる富む埴土、新鮮な小~大円礫を含む、粗粒状構造、粗、ねばり中、半乾、小~中根に富む、層界判然。

2層:B,7~50cm

暗赤褐(5Y R3/6)、腐植を含む埴土、新鮮な大礫に富む、壁状、粗密度粗~中、ねばり中、半乾、小~中根あり、C層に漸変。

3層:C,50cm~

褐(10Y R4/4)腐植に乏しい埴土、壁状、密、ねばり強、半乾。

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3.2.2.3. 櫛挽土じょう

櫛挽統(Ku) 寄居町の東北部櫛挽原に主として分布する代表的な風積性火山灰土じょうである。代表的土じょう断面に示す通り、表層は色調7.5~10YR、彩度2前後の腐植層で30~50cmの厚さを有し、下層土は彩度4~6の明るい黄褐色を有する。燐酸吸収係数は1,700から2,000以上、全炭素も5%以上で、国土調査分類基準案による「黒ボク土」に属する。本土じょうの中心概念に近い土じょうは櫛挽原の三軒家部落付近、及び荒川南岸の上位台地の中、解析されない基準地形面に分布する。図示しなかったが、二次的に攪乱され、地形面の凹地部分で集積した腐植層の厚い土じょうが介在する。又鬼石町西部の上位台地及び秩父市蒔田の下位台地より一段高い。台地状にも局部的に本土状が分布する。
この土じょうは山地丘陵地域の宝登山統に類似するが、A層が比較的薄い上、耕作の影響のない宝登山頂は、本土じょうと区別される。

代表地点の断面形態
地点番号 386
位置 埼玉県大里郡岡部村櫛挽93の2
地形 上位台地
標高 約80m
土地利用 陸稲、麦

断面記載
1層:A11,0~25cm

黒褐(7.5Y R3/2)、腐植に富むじょう土、弱度細塊状構造及び細粒状構造、ち密度12、湿、層界漸変。

2層:A12,25~48cm

褐(7.5Y R4/4)、腐植含む土じょう、弱度細塊状構造、ち密度17、湿、層界漸変。

3層:B1,48cm~

明褐(7.5Y R5/8)、じょう土、マツシブ、ち密度24。

3.2.2.4. 大谷土じょう

大谷統(Oy) 本土じょうは花園村猿谷戸、深谷市大谷、寄居町七郷など付近に分布し、地形面は櫛挽統の分布する地形面と同一の上位台地に属する。断面形態の特徴は、表層は櫛挽統とほぼ類似し、燐取吸収係数は1,400以上、全炭素2~3%であるが下層土は粘質で腐朽礫を斑点状に含有する。大谷から去る谷戸にかけては谷底平野が帯状に発達して水田となっている他、村落の発達も櫛挽原が昭和22-3年頃開拓されたのに比し、古くから耕作され、聴取調査によっても、この土じょうでは収量が比較的安定している。寄居町七郷付近では谷底平野に分布する韮谷戸統の周辺部に分布し、赤褐乃至明赤褐の雲状斑点を有するが、基色は明褐(7.5YR5/8)である所から斑紋とは考えられない。土性は埴じょう土である。国土調査分類基準案による「淡色黒ボク土」に属する。

代表地点の断面形態
地点番号 468
位置 埼玉県大里郡花園村五反田3241
地形 上位台地
標高 約80m
土地利用 陸稲、玉蜀黍、麦

断面記載
1層:A,0~25cm

暗褐(7.5Y R3/4)、腐植含むじょう土、弱度細粒状、細塊状構造、ち密度12、半乾

2層:B1,25~55cm

褐(7.5Y R4/6)、じょう土~埴土じょう、弱度細粒状構造、ち密度16、粘着性中、可塑性弱、半乾、層界漸変。

3層:B2C,55~80cm

明褐(7.5Y R5/8)、埴じょう土、弱塊状構造、ち密度16、粘着性及可塑性中、斑紋状腐朽礫あり、湿、層界漸変。

4層:C,80cm~

明褐(7.5Y R5/8)、埴じょう土、弱塊状構造、粘着性及可塑性中、斑紋状腐朽礫あり、湿

3.2.2.5. 野上土じょう

野上統(Ng) 荒川の現河床面との比高10~10数メートルをなして広汎に拡がる新しい段丘(地形区分では下位台地面)上に発達した土じょうで、本図幅ではもっとも広く分布する土じょうである。全層特徴的な褐色(10YR2/3~3/2を中心とする)を呈し、下層土はかなり緻密・堅硬である。ここでは国土調査分類基準案の「褐色森林土」とみなしておきたい。
全域的に礫質だが、細土の土性はかなり細かく埴じょう土を中心とする。土性を垂直的に見ると下層ほど細かくなり、粘土の下降が起きていると推測される。一方下位台地面も何段かの段丘面にわかれ、それら相互の間ではより下位の段丘面ほど土性は相対的に粗い傾向を認めた。極端に粗粒のものは大淵統(沖積土)に含めた(たとえば野上町荒川東岸~じょう質砂土)。
全域的に礫質なうちでも、上流(秩父市、吉田町、小鹿町)はより礫質で、下流(皆野町、野上町、寄居町)は相対的に礫がすくない。礫は上流では秩父古生層起源の粘板岩、チャート、砂岩が多く、下流になると長瀞系結晶片岩を多く混えるようになる。

代表地点の断面形態
地点番号 102
位置 埼玉県皆野町望日83-1
地形 下位台地・平坦
標高 約180m
土地利用 普通畑

断面記載
1層:A,0~18cm

黒褐(10Y R3/2)、腐植を含む砂質埴じょう土、細小円礫有、弱粒状および弱塊状構造、ち密度12、粘着性弱、可塑性弱、半乾、層界判然。

2層:B1,18~30cm

黒褐(10Y R3/1)、腐植ある砂質埴じょう土、細小角礫富、弱塊状構造、ち密度12、粘着性弱、可塑性弱、半乾、層界判然。

3層:B2,30~62cm

黒褐(7.5Y R3/2)、腐植ある軽食土、小角礫有・細小風化円礫有、弱塊状構造、ち密度、粘着性強、可塑性強、半乾、層界漸変。

4層:B2C,62~81cm

黒褐(7.5Y R3/2)、軽食土腐食なし、小礫有・細小風化円礫有、マツシブ、ち密度20、粘着性中、可塑性中、半乾、層界判然。

5層:C,81cm~

黒褐(7.5Y R3/2)、埴じょう土、腐植なし、小角礫有、マツシブ、ち密度22、粘着性中、可塑性中、半乾。

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3.2.2.6. 大野原土じょう

大野原統(On) 再積性の大山灰と非火山灰(秩父古生層起源)の混合物を母材とする土じょうで、国土調査分類基準案における「黒ボク土」と「褐色森林土」との遷移的性質をもつ土じょうとみなされる。この地方では俗に“ノッペ”と呼んでいる。秩父市の中心街をのせる荒川と横瀬川にはさまれた下位台地を中心に分布し、秩父市の荒川西岸(旧尾田藤村)にも一部出現する。秩父市街地東部の羊山の頂上もかなりの範囲に亘って表面に火山灰を被っているほか、荒川西岸の寺尾付近には局部的だがほぼ純粋な風積性火山灰土じょうが出現するなど、秩父市全域にわたって火山灰の影響は普遍的である。
腐植含量、燐酸吸収係数なども火山灰を母材とする「黒ボク土」と非火山灰土じょうとの中間的性質をもっている。荒川と横瀬川にはさまれた主要部では、相対的に北端ほど現地観察でも表土の黒みが強く、化学性でもリン酸吸収係数高く、黒ボク土的性質がより強いのに対し、南部はその逆になっているように見うけられた。なお全体的に礫質な所が多い。

代表地点の断面形態
地点番号 177
位置 秩父市大野原町蓼沼
地形 下位台地、平坦
標高 約200m
土地利用 桑畑

断面記載
1層:A11,0~14cm

黒褐(7.5Y R3/1)、じょう土、腐食富む、細・小角および円礫を含む、弱粒状および中度細粒状構造、ち密度7、粘着性中、可塑性弱、半乾、層界明瞭。

2層:A12,14~43cm

黒褐(7.5Y R3/1,5)、腐食に富むじょう土、細・小円礫あり、弱塊状および弱細粒状構造、ち密度18、粘着性中、可塑性中、半乾、層界判然。

3層:B,43~79cm

黒褐(7.5Y R3/2)、腐食有るじょう土ないしシルト質埴じょう土、細・小・中円礫を含む、弱塊状構造、ち密度18、粘着性中、可塑性中、半乾、層界明瞭。

4層:C,79cm~

砂礫層。

3.2.2.7. 鉢形土じょう

鉢形統(Ha) 本土じょうは寄居町南の木持付近の上位台地が二次的に開析された下位台地に分布する。第三紀の寄居礫岩を主とし、黒色泥岩、花崗質岩を一部に混ずる土じょうである。地形面は野上統に類似するが、土性がより細かく、燐酸吸収係数は幾分高い。

代表地点の断面形態
地点番号 41
位置 埼玉県寄居町西の入字鈴木原
地形 荒川南岸上位台地の開析下位台地
標高 約140m
土地利用 桑畑及び普通畑

断面記載
1層:A,0~13cm

褐(7.5Y R4/3)、腐植を含む軽埴土、未風化小角礫あり、弱度細粒状構造、ち密度17、粘着性強、可塑性中、湿、層界明瞭。

2層:B1,13~40cm

暗褐(7.5Y R3/3)、腐植を含む軽埴土、未風化小細角礫含む、弱度塊状構造、ち密度25、粘着性強、可塑性強、湿、層界明瞭。

3層:B2,40~65cm

暗褐(7.5Y R3/4)、腐植を含む軽埴土、中度塊状構造、半風化再礫あり、ち密度28、粘着性及可塑性強、湿、層界明瞭。

4層:B2C,65cm~

褐(7.5Y R4/6)、軽埴土、弱度塊状構造、ち密度26、湿。

3.2.2.8. 長尾根土じょう

長尾根3統(No3) 第三紀丘陵(長尾根1,2統)堆積物を母材とする「化石グライ土じょう」とみなした。分布は秩父市太田および尾田蒔地区、吉田町、小鹿野町を主とするが、いずれも下位台地の三紀丘陵近縁部に分布する。微地形的にみると丘陵にむけてわずかに傾斜している。

表層は黄褐色がふつうだが、下層は明灰色の重粘な土層(LiC~HC)で、鮮明な鉄の雲状斑を含むか、またはそれに富む。ただしジピリビル反応を呈しない。この灰色を呈する土層は丘陵部へたどることができ、丘陵斜面(長尾根2統)の露頭では表層の黄褐色の土層がかなり厚く、(50センチメートル程度)なっているが、そのしたに灰色の粘質な土層がつづいている。この土層はところによってはやや硬い灰色の泥岩ないしシルト岩であるところがあり、灰色土層が遺跡的なものであることを示している。

第5図 長尾根、野上各統関係図(JPG:30KB)

代表地点の断面形態
地点番号 161
位置 秩父市
地形 下位台地・平坦
標高 約190m
土地利用 普通畑(白菜、大麦)

断面記載
1層:A,0~16cm

暗褐(10Y R3/3)腐植を含む埴じょう土、半角再礫あり、弱塊状構造、ち密度11、粘着性弱、可塑性中、湿、層界明瞭。

2層:Cg1,16~35cm

灰(N5/)軽埴土、礫無、褐色雲状斑含、中度塊状、ち密度20、粘着性強、可塑性強、半乾、層界漸変。

3層:Cg2,35~60cm

灰(N5.5/)軽埴土、礫無、褐色雲状斑有、割目あり、ち密度20、可塑性強、粘着性強、半乾、層界漸変。

4層:Cg3,60cm~

灰~暗灰(N4,5/)重埴土、礫無、褐色雲状斑有、割目あり、粘着性強、可塑性強、潤。

注1、ベンチジン反応はCg1、Cg2、Cg3層とも++。
注2、地下水位は80cm。

長尾根4統(No4) さきの長尾根3統を水田にしたもので、きわめて重粘な(軽埴土を中心とする)排水不良の水田土じょうである。鴨下の「灰色低地土」国土調査1/50万土じょう図分類基準案の「灰色水田土」に相当する。
特徴は全層明灰色を呈し、きわめて重粘なことで、長尾根3統と比べる時表層(作土)から灰色を呈し、作土下に多く鉄の集積のみられること、下層土にマンガンの斑紋のみられることなどが異なる。地下水位は1mの試坑でやっと出現するか、あるいはしない程度の深さである。
秩父市太田および尾田時地区、吉田町、小鹿野町に出現し、秩父市尾田蒔が南北に走る丘陵間の沖積地に分布するのを除けば、いずれも地形面では下位台地に属する。分布は長尾根3統に比べると、より低地(赤平川寄り)に移っている。

代表地点の断面形態
地点番号 236
位置 埼玉県秩父郡吉田町布里
地形 下位台地、全体として北北西に約3゜の傾斜をなす階段水田
標高 約220m
土地利用 二毛作水田

断面記載
1層:ApG,0~12cm

黄灰(5Y5/2)腐植を含む埴じょう土、細円礫僅有、極弱塊状構造、黄褐色糸根状斑含・同管状斑有・同雲状斑有、ち密度15、湿、層界明瞭。

2層:AG,12~18cm

黄灰(5Y5/1)腐植ある埴じょう土、細円礫僅有、弱塊状構造、黄褐色糸根状斑含・同管状斑含、ち密度19、湿、層界明瞭。

3層:Bg1,18~49cm

黄灰(5Y5/1)軽埴土、腐植無、礫無、弱塊状構造、黒褐色点斑・黄褐色雲状および糸根状斑富、ち密度20、潤、層界漸変。

4層:BG2,44cm~

斑紋が黒褐色点斑状斑・黄褐色雲状斑に頗る密むほかは、Bg1層と同様。

注1.湧水面91cm
注2.ベンチジン反応Bg1、Bg2、層ともに++。

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3.2.2.9. 大仏土じょう

大仏1統(Db1) 本土じょうは美里村大仏、猪俣付近で第三紀層(児玉層-中新世)の泥岩類を主な母材とする粘質な土じょうであって、近くの丘陵肌には凝灰岩層を見出す。極く一部には表層僅かに火山灰を被っているのがわかる。この土じょうの分布は美里村山地のすそを北西方に、青柳村宮内に達しているものと思われる。国土調査分類基準案による褐色森林土の一亜型に属するものと考える。

代表地点の断面形態
地点番号 14
位置 埼玉県大里郡美里村野中
地形 山地丘陵につづく上位台地
標高 約110m
土地利用 普通畑及び桑畑

断面記載
1層:0~13cm

暗褐(10Y R3/4)腐植を含む埴じょう土、半角未風化礫あり、弱細粒状構造、ち密度9、粘着性及可塑性弱、湿。

2層:13~33cm

暗褐(10Y R3/3)腐植を含むじょう土、約土細塊状構造、半角未風化礫あり、ち密度19、粘着性及可塑性弱、湿。

3層:33~67cm

黒褐(10Y R3/2)腐植を含む埴じょう土、弱度細塊状構造、ち密度19、粘着性及可塑性中、湿。

4層:67cm~

黒褐(10Y R2/2)、腐植を含む埴じょう土、マツシブ、ち密度19、粘着性及可塑性中、湿。

(注) 代表断面が得られなかったので本地点を用いた。

大仏2統(Db2) 本土じょうは大仏1統の水田で、施肥改善の低湿地土、国土調査分類基準案の細粒質グライ土に属す。簿材は第三紀(児玉層)の泥岩類を主とし、一部砂岩を混ずる粘質な土じょうである。

代表地点の断面形態
地点番号 15
位置 埼玉県児玉郡美里村湯脇
地形 丘陵及び台地にはさまれた谷底平野
標高 110~120m
土地利用 一毛田

断面記載
1層:ApG,0~11cm

灰黄褐(10Y R4/3)腐植を含む埴じょう土、糸根状(7.5Y R4/6)斑含む、ち密度10、粘着性及び可塑性中、湿、層界明瞭。

2層:AG,11~36cm

黄褐灰(10Y R4/2)腐植を含む軽埴土、糸根状(5Y R3/6)斑含む、膜状斑あり、弱細塊状構造、湿、湧水面36cm、層界明瞭。

3層:Go1,36~51cm

黄灰(2.5G Y5/1)軽埴土、半風化細小礫含む、糸根状及びマンガン斑含む、ち密度18、粘着性及可塑性中、層界明瞭。

4層:Go2,51cm~

黄灰(2.5G Y5/1)軽埴土、半風化半角細小礫含む、ち密度20、粘着性及可塑性強。

3.2.2.10. 大畑土じょう

大畑統(Ob) 基色が褐灰色(7.5YR3/1~2/2)を呈し、排水やや不良の中~細粒質下位台地水田である。鴨下の「灰色低地土」、国土調査分類基準案では、基色の色調から「灰褐色水田土」に相当する。
秩父市をのせる荒川と横瀬川にはさまれた下位台地上に分布するが、その下位台地でもいくつかある段丘面の、それぞれ一段上の段丘崖寄りの低地に分布する特徴がみとめられる(図参照)。同じ段丘面でも一段下の段丘寄りは「大野原統」の分布する地域で、粗粒かつ礫質である。したがって微地形上から見ると、ここでの大野原統の分布する地域は自然堤防「的」で、大畑統のそれは後背湿地「的」であるといえる。
この水田土じょうを「大畑統」として一括した理由は、もちろん色が低彩度でありながら、褐色の色調を残していることにあるが、しかしその原因については明らかではない。したがってこの性質を分類上どのように評価すべきかはむしろ今後の問題であろう。

第6図 大野原、大畑各統関係図(JPG:32KB)

代表地点の断面形態
地点番号 217
位置 秩父市永田町
地形 下位台地、平坦
標高 約200m
土地利用 二毛作田

断面記載
1層:ApG,0~16cm

黄黒(7.5Y3/1)腐植に富む埴じょう土、細円礫有、マツシブ、管状斑含・雲状斑含、ち密度10、粘着性中、可塑性中、湿、層界明瞭。

2層:Bg1,16~25cm

黄黒(5Y3/1)腐植を含む軽埴土、細小円礫有、弱塊状構造、不鮮明雲状有、ち密度14、粘着性強、可塑性中、湿、層界判然。

3層:Bg2,25~54cm

黒褐(7.5Y R3/1)腐植を含む重埴土、細円礫含、中度柱状構造、雲状斑・点斑状斑・管状斑含、ち密度15、粘着性強、可塑性強、潤、層界判然。

4層:Bg3,54cm~

褐灰(7.5Y R4/1)腐植ある重埴土、弱柱状構造、黄褐色雲状斑・同管状斑富、ち密度11、粘着性極強、可塑性強。

注1.湧水面40cm
注2.ApG層のジピリジル反応++

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3.2.2.11. 三沢土じょう

三沢統(Ms) 全層かかる胃灰色を呈し、排水良好な中~細粒質の沖積水田である。鴨下の「灰色低地土」、国土調査分類基準案の「灰色水田土」に相当する。東秩父村の槻川流域および皆野町三沢(荒川支流)の沖積水田がこれに属する。地下水位は低く、じゅんすいな表面水型水田土じょうである。
多くの場合、鋤床が網目状の鉄斑にすこぶる富む鉄集積層で、その直下(心土最上部)にマンガンが点斑状に沈積している形態をとる。作土の現地土性は、多くシルト質じょう土で粘土分にやや乏しく、かつ斑紋もわずかであって、生成学的にみて、山崎のA1-b型水田に近い。下層土の土性は多く埴じょう土~軽埴土、角柱状構造がよく発達し、その構造面にはきわめて顕著な粘土被膜がみられる。つまり内部排水も良好で、鉄マンガンのみならず、粘土も下層へ激しく溶脱していることが認められる。

代表地点の断面形態
地点番号 131
位置 埼玉県東秩父村安戸
地形 谷底平野、全体として南へ約3゜の傾斜をもつ階段状水田。
標高 約130m
土地利用 二毛作田

断面記載
1層:ApG,0~16cm

黄灰(5Y4/1.5)腐植を含むシルト質じょう土、ジピリジル+の弱グライ斑(7.5Y4/1)を含む、細礫を含む、弱塊状構造、不鮮明糸根状・管状斑含、ち密度13、湿、層界明瞭。

2層:AG,16~25cm

黄灰(5Y5/1.5)埴じょう土、腐植有、細礫を含む、弱塊状構造、赤褐色網目状斑富む、構造面に粘土被膜を認む、ち密度21、湿、層界判然。

3層:Bg1,25~37cm

黄灰(5Y5/1.5)埴じょう土~軽埴土、腐植なし、細礫を含む、強度角柱状構造、構造面に粘土被膜顕著、黄褐色雲状・赤褐色糸根状斑富、黒褐色糸根状斑含、ち密度21、湿、層界判然。

4層:Bg2,37~52cm

黄灰(5Y5/1.5)埴じょう土~軽埴土、腐植なし、細礫を含む、黄褐色雲状斑富、強度角柱状構造、構造面に粘土被膜顕著、ち密度20、湿、層界漸変。

5層:Bg3,52cm~

黄灰(5Y5/1)軽埴土、腐植なし、中度角柱状構造、構造面に粘土被膜明瞭、褐色雲状斑富、ち密度21、湿。

(注)ベンチジン反応はBg1層+、AG層±、他は-。

3.2.2.12. 韮谷戸土じょう

韮谷戸統(Ni) 寄居町の荒川北岸の上位台地(火山灰でおおわれている)を小さい比高で樹枝状に細長く刻んだ谷津田地形の所に分布する。国土調査分類基準案の「灰色水田土」に入る。
母材としては火山灰がかなり混じっているとみられ、1000前後を示す燐酸吸収係数、比較的高い腐植含量などはそれを証拠だてているとみられる。全層比較的暗いオリーブ灰色を示すのもそのためであろう。母材としてはそのほか、おそらく三紀の重粘土を混じていよう。土性は中~細粒質。
三二酸化物の移動は顕著ではないが、鋤床に鉄斑が集積し、直下の心土最上部にマンガンが分離沈積している傾向が一般的である。下層土は塊状~柱状構造がかなりよく発達している。これらのことから水の滲透は悪くないように考えられるが、一方地下水位の高いものもあって、これらの関連は説明がつかない。
地下水面下にある土層でもグライ層の全然出現しないのは、母材との関連から一つの特徴といえよう。

代表地点の断面形態
地点番号 21
位置 埼玉県寄居町大字用土竹ノ花3203
地形 上位台地を刻む谷津田地形
標高 約90m
土地利用 一毛作田

断面記載
1層:ApG,0~13cm

黄灰(5Y4/1.5)腐植を含むシルト質じょう土、ジピリジル+の弱グライ斑(7.5Y4/1)を含む、細礫を含む、弱塊状構造、不鮮明糸根状・管状斑含、ち密度13、湿、層界明瞭。

2層:AG,13~19cm

黄灰(5Y5/1.5)埴じょう土、腐植有、細礫を含む、弱塊状構造、赤褐色網目状斑富む、構造面に粘土被膜を認む、ち密度21、湿、層界判然。

3層:Bgmn1,19~29cm

黄灰(5Y5/1.5)埴じょう土~軽埴土、腐植なし、細礫を含む、強度角柱状構造、構造面に粘土被膜顕著、黄褐色雲状・赤褐色糸根状斑富、黒褐色糸根状斑含、ち密度21、湿、層界判然。

4層:Bg2,29cm+

黄灰(5Y5/1.5)埴じょう土~軽埴土、腐植なし、細礫を含む、黄褐色雲状斑富、強度角柱状構造、構造面に粘土被膜顕著、ち密度20、湿、層界漸変。

注1.湧水面約50cm。
注2.ジピリジル反応全層-、ベンチジン反応2層+、3層++、1,4層-。

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3.2.2.13. 男衾土じょう

男衾統(Os) 寄居町の荒川南岸の上位台地(火山灰土でおおわれている)を小さい比高で細長く刻む谷津田地形の所に分布する水田土じょうである。燐酸吸収係数は1,400台、腐植含量も全層5~9%で周辺の台地からの火山灰の影響をつよくうけていることが明かである。地下水位は極めて高く、顕著な特徴として下層に黒泥またはそれに近い黒色の土層をはさむ。この土層は時に泥炭片を混えている。
鉄・マンガンの分離・集積は表層部分で認められるけれども微弱である。地下水位は高いが、地下水面下の土層にグライ層は出現しないことはおそらく母材の特徴に基づくものと思われる。
荒川北岸の韮谷戸統と生成条件は類似するが、韮谷戸統より、より火山灰に基づく性質を強く反映しており、またより湿地的性質がつよい。国土調査分類基準案での「灰色水田土」と「黒泥土」の中間的性質をもっている。

代表地点の断面形態
地点番号 34
位置 埼玉県寄居町大字富田1485
地形 上位台地を低く刻む谷津田地形。
標高 約90m
土地利用 一毛作田

断面記載
1層:ApG,0~13cm

黒(7.5Y2/1・グライ斑)と、黒褐(2.5Y3/2)の混色、腐植を含むじょう土、礫無、弱塊状構造、膜状斑有、粘着性中、可塑性中、ち密度8、湿、層界明瞭。

2層:Bgir,13~23cm

黄黒(2.5Yから5Y3/1)腐植を含むシルト質じょう土、中度塊状構造、礫無、糸根状斑・膜状斑含、ち密度19、粘着性中、可塑性中、湿、層界明瞭。

3層:Bgmn,23~40cm

黒褐(2.5Y2/2)腐植を含む埴じょう土、細小円礫有、中~強柱状構造、糸根状斑(黒褐色)有、ち密度19、粘着性中、可塑性中、湿、層界漸変。

4層:M,49cm+

黒(N2/)腐植に富む軽埴土、細円礫有、弱柱状構造、糸根状斑有、ち密度15、粘着性強、可塑性強、潤。

注1.湧水面10cm。
注2.ジピリジル反応 1層++、2層+。ベンチジン反応 3層+。

3.2.2.14. 三ヶ山土じょう

三ヶ山2統(Mi2) 本土じょうは寄居町谷津の山地丘陵間にはさまれる谷底平野に分布する水田土じょうで、連続する上位台地の谷底平野の男衾統及び韮谷戸統につながる。国土調査分類基準案による「粗粒灰色水田土」に属し、鴨下による「灰色低地土」で、第三紀層の寄居礫岩を母材とし、下層土は粗粒質である。

代表地点の断面形態
地点番号 42
位置 埼玉県大里郡寄居町谷津
地形 谷底平野
標高 約130~140m
土地利用 一毛田

断面記載
1層:Apg,0~18cm

黄灰(5Y5/1)、腐植を含む微砂質じょう土、弱度塊状構造、糸根状斑含む、ち密度16、粘着性及び可塑性中、湿、層界明瞭。

2層:Ag,18~22cm

黄褐灰(10Y R6/1)腐植含む埴じょう土、明褐色(7.5Y R6/1)雲状斑富む、糸根状斑含む、黒紫色斑含む、マツシブ、ち密度20、粘着性及び可塑性強、湿、層界明瞭。

3層:Bg1,22~43cm

黄褐灰(10Y R6/1)埴じょう土、雲状斑富む、黒紫色マンガン結核含む、ち密度22、粘着性及び可塑性強、湿、層界漸変。

4層:Bg2,43~53cm

黄褐灰(10Y R6/1)埴じょう土、上部に雲状斑あり、マツシブ、ち密度15、粘着性及び可塑性中、層界判然。

5層:Bg3,53cm+

黄褐灰(2.5Y6/1)半角半風化礫含む砂じょう土、マツシブ、ち密度11。

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3.2.2.15. 槻川土じょう

槻川統(Ts) 槻川流域の粗粒な沖積物を母材とする水田土じょうである。鴨下の「褐色低地土」、国土調査分類基準案の「褐色低地土」に当たる。
自然堤防的地形上に発達し、その分布は局所的である。断面形態の特徴は、作土が斑紋ごくわずかで粘土分もすくなく、激しい溶脱の傾向を示し、鋤床が離れてみると橙黄色を呈する網目状の鉄斑に頗る富む集鉄層、鋤床直下はマンガンの集積層となっている。作土、鋤床はともに基色灰色だが、心土は基色褐色で、灰色の斑紋を含む場合もある。全体の土性は砂じょう土もしくはじょう質砂土で、下層はおおくの場合砂礫層となる。
母材は結晶片岩を主とし、粘土鉱物も緑泥石が主体をなし、そのほかイライトをふくむ。

代表地点の断面形態
地点番号 147
位置 埼玉県比企郡小川町腰越山崎
地形 谷底平野
標高 約90m
土地利用 二毛作田

断面記載
1層:Apg,0~14cm

黄黒(5Y3/1)腐植を含むじょう土、弱度塊状構造、ち密度15、不鮮明斑紋あり、粘着性及び可塑性弱、質、層界平坦明瞭。

2層:Bgir,14~19cm

黄灰(7.5Y4/1)腐植を含むじょう土、細小円礫及び腐朽礫富む、弱度塊状構造、斑紋富む、ち密度20、粘着性及び可塑性中、湿、層界明瞭。

3層:Bgmn2,19~34cm

暗褐(10Y R3/3)、砂礫土、黒褐マンガン結核及び雲状斑富む、層界漸変。

4層:D,34cm~

暗褐(10Y R3/3)、砂礫土。

3.2.2.16. 大淵土じょう

大淵統(Of) 荒川に沿って分布する沖積土である。国土調査分類基準案の河川敷未熟土に相当する。下位段丘の段丘崖下に広がり、その出現は図幅内の荒川流域全域に亘るがその分布面積は狭い。河川面からの比高は2~3mからせいぜい数mまでで豪雨の際などはしばしば冠水する地域に相当すると思われる。
土性は極めて粗く、現地土性で砂じょう土ないし砂土、色は淡い褐色(10YR3/3位)から粗くなると砂そのものの色を呈する。腐植の集積もすくなく、断面における層位の分化も明瞭でない。桑畑が多く、若干の地域は自然林あるいは荒廃未利用地となっている。

代表地点の断面形態
地点番号 235
位置 埼玉県秩父郡吉田町本町
地形 旧河道・平坦
標高 約190m
土地利用 桑畑

断面記載
1層:Ap,0~18cm

暗褐(10Y R3/3)腐植を含む砂じょう土ないしじょう質砂土、細・小角礫含む、弱粒状および弱塊状構造、ち密度10、粘着性弱、可塑性零、半乾、層界判然。

2層:(B)1,18~39cm

黒褐(10Y R3/1.5)腐植を含む砂じょう土、中度塊状構造、細・小角礫有り、ち密度19、粘着性弱、可塑性弱、半乾、層界漸変。

3層:(B)2,39~91cm

黒褐(10Y R1/1.5)と褐(10Y R4/4)の混色をなす腐植ある砂じょう土ないしじょう質砂土、細角礫有ないし含む、中度塊状構造、ち密度19~20、可塑性弱、粘着性弱、質、層界判然。

4層:C,91cm+

細・小・中・円および半角未風化礫よりなる砂礫層。

各土じょう統の断面図 その1(JPG:239KB) その2(JPG:161KB)

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3.3. 代表地点土壌の理化学分析成績

3.3.1. 山地、丘陵地地域土壌の理化学分析成績

3.3.2. 台地、低地地域土壌の理化学分析成績

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4 資料及び統計

  1. 埼玉県(1963):埼玉県市町村勢概要
  2. 埼玉県(1958):埼玉県総合農林業振興計画
  3. 森川六郎(1960):埼玉県の地質
  4. 埼玉県(1954):埼玉県地質図説明書
  5. 藤本治義(1962):日本地方地質誌「関東地方」
  6. 埼玉県農業試験場(1960,1961):地力保全基本調査成績書
  7. 農林省農林水産技術会議事務局(1962):畑土じょうの生産力に関する研究
  8. 農林省農業改良局研究部(1955):土じょう分析法 施肥改善資料第8号
  9. 農林省振興局(1959):地力保全基本調査における土じょう分析法 地力保全対策資料第1号
  10. 林野庁林業試験場(1955):国有林林野土じょう調査方法書

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あとがき 

  1. 本調査は経済企画庁が埼玉県に委託して行ったもので、その事業主体は国土調査法第2条第1項に基づき、経済企画庁である。
  2. 本調査成果は、国土調査法施行令第2条第1項第4号の2の規定による土地分類調査図及び土地分類調査簿である。
  3. 調査にあたり、基準とした作業規程準則は下記のとおりである。
    地形調査作業規程準則(昭和29年7月2日 総理府令第50号)
    表層地質調査作業規程準則(昭和29年8月21日 総理府令第65号)
    土じょう調査作業規程準則(昭和31年1月29日 総理府令第3号)
  4. 調査の実施、成果の作製関係者は下記のとおりである。

総合企画 経済企画庁総合開発局 技官 千秋鉄助
調査・編集
〃 〃 〃 鳥居栄一郎
〃 〃 〃 山崎寿雄
企画・連絡 埼玉県農地開拓課 土地整備係長 横山輝夫
〃 主事 石島泰三
地形・調査 お茶の水女子大学 助教授 式正英
表層地質調査 埼玉大学文理学部 教授 森川六郎
土じょう調査 農林省農業技術研究所 技官 小川正忠
〃 〃 河井完示
〃 〃 三土正則
〃 〃 音羽道三
農林省林業試験場 〃 久保哲茂
埼玉県農業試験場 化学部長 石居企救男
〃 主任 柴英雄
〃 技師 鈴木清司
〃 〃 秋本俊夫
埼玉県林務課 技師 岸野繁
〃 〃 富田浩平
埼玉県林業試験場 研究課長 野村静男
〃 技師 奥貫春夫

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Soil Survey “Yorii”

Summary

1/50,000 Yorii sheet lies between E 139゜0' to 139゜15' longitude and N36゜0' to 36゜0' latitude. The area of this sheet belong to Saitama Prefecture, except the northwestern corner Onishi-machi, to Gunma Prefecture. This sheet covers the northern part of Chichibu City and Nagatoro, famous for geological study and Yorii-machi. In the center of this sheet, there lies the river Arakawa running to Tokyo Bay, is dissecting Chichibu mountains forming narrow river terraces.
Of this area, three fourths is mountains and hills and the other is uplands and lowlands. Geologically, there are many kinds of parent rock in this area : Palezoic ( called Chichibu Paleozoic ) , tertiary, quaternary, metamorphic and volcamic ash.
The soil survey of this area was done by the members of Government Forest Experiment Station, Saitama Forest Experiment station, Ntional Institute of Agricultural Sciences, and Agricultural Experiment Station of Saitana Prefecture in 1962 to 1963, under the Soil Survey Standard Regulation, Foundamental Land Classification, Natiomal Land Survey Law.
The area was divided into (1) mountanous and hilly regions and (2) upland and lowland regions. The soils of this area were classified into soil series based on the degree of development of soil horizons and variaties of parent rock with the mode of sedimentation. The soil map based on soil series are made out. The soils found in this area are as follows :

1. Solie mostly distributed in mountanous and hilly regions

Kinshozan 1 series (Ki 1) These soils are generally shallow, well drained sandy to fine gravelly and slightly acid residual soils. The surface soil is dark brown sandy loam. They are developed on hills and derived from mainly quartz- diorite.

Kinshozan 2 series (Ki 2) These soils are well drained gravelly and sandy textured colluvial soils. The surface soil is dark brown sandy loam. The growth of trees and shrubs is better than Kinshozan 1 series.

Kamabuseyama 1 series (Ka 1) These soils are developed on mountains derived mainly from serpentine. They are dense and compact residual, well drained soils.

Kamabuseyama 2 series (Ka 2) These soils have black to very dark brown surface soils deeper than that of Kamabuseyama I series. They are well drained sandy colluvial soils derived from serpentine and are developed on mountainous regions.

Hinozawa 1 series (Hi 1) These soils are well drained, colluvial soils. The surface soil of this series is shallow, and dark drown to very dark brown loam. Some of these soils have no A horizon. They are developed on mountainous regions and derived from paleozoic and mesozoic formation.

Hinozawa 2 series (Hi 2) These soils are well drained colluvial soils. The surface soil of this series is deeper than Hinozawa 1 series. The surface soil of this series is deeper than Hinozawa 1 series. The growth of Japanese cypress is good on this series.

Hinozawa 3 series (Hi 3) These soils are originated from paleozoic and mesozoic formation, They have very dark brown loam or sandy loam surface horizon and deeper than that of Hinozawa other series.

Nagatoro 1 series (Nt) these soils are well drained and originated from metamorphic rocks, and developed on mountainous regions. The soils of this series are shallow, loam to clay loamand have a surface soil of very dark brown to dark brown.

Nagatoro 2a series (Nt 2a) These soils have deeper surface horizont han that of Nagatoro 1 series, and some have a dense subsoil.

Nagatoro 2b series (Nt 2b) These soils are similar to Nagatoro 2a series except containing less humus. Some have been cultivated for maberry and other crops.

Nagatoro 3 (Nt 3) These soils are well dreined deep sandy soils, and developed on mountain foot. The growth of Japan cedar is good.

Nagatoro 1 series (No 1) The soils of this series are well drained clayey deep soils and less humus residual soils. They are developed on hilly regions and originated from tertiary formation.

Nagatoro 2 series (No 2) These soils are moderately drained clayey colluvial soils. They have darker surface horizon than Nagatoro 1 series.

Mikayama 1 series (Mi 1) These soils are sandy and gravelly residual soils, and originated from Yorii gravel layers, of tertiary formation. They are developed on hilly regions.

Jominesan (Jo) These soils have a black deep surface horizon, originated from wind blown volcanic ash. They are developed on slightly steep slope of mountain regions.

Hotosan series (Ho) These soils are developed on slightly steep slope of mountain regions, but wth a less darker surface horizon than Jominesan series. They are originated from volcanic ash.

2. Soils mostly found in upland and lowland regions

Odamaki a series (Od a) The Odamaki series consists of medium deep clayey and sticky soils developed on the upper terrace, derived from river deposited materials.

Odamaki b series (Ob b) The soils in this series occur mainly on medium slope around the upper terrace. The soils are grevelly soils consist of round gravells derived from parent rocks of Odamaki a series, and some have underlyng tertiary shale.

Nakaimori series (Na) The soils have a dark reddish brown clayey surface horizon, which contains less humus and slightly gravelly, and underlain by a gravel layer. They are developed on the upper terrace.

Kushibiki series (Ku) The Kushibiki series consists of very dark brown surface horizon and loam underlain by light brown loam or cloy loam.

The soils occur mainly on the upper terrace around Yorii Machi. They are developed on wind blown volcanic ash. This series are different from Jomine and Hotosan serieswith darker surface horizon.

Oya series (Oy) The soils are found in slight depression of the upper terrace among Kushibiki soils, develops on volcanic ash. The subsoil is more sticky clay loam supposed to be teritary origin and with mottle like weathered fine gravels

Nogami series (Ng) These soils are moderately deep, well drained mostly clayey soils, some gravelly, and especially along the upper stream of Arakawa there are coarse gravelly soils . They are derived from parent material washed out from paleozoic and teritariy and metamorphic rocks. The land use of this series are for ordinary crops and mulberry.

Onohara series (On) These soils occur among Nogami series in Chichibu Basin. The surface soils are mixed redeposited material with volcanic ash, underneath there are mostly gravelly layers derived from stream sediments.

Hachigata series (Ha) This series occur on the secondary dissected lower terrace in the south of the river Arakawa, in Yorii Machi. These soils have a finer texture and slightly higher phosphorous absorbing coefflcient than Nogami series.

Nagaone 3 series (No 3) The Nagaone 3 series are somewhat poor drained and sticky clayey soils and characterized by underlaying a very clayey, light gray sticky horizon is not active in dipyridyl reaction, but with faint mottles and derived from tertiary origin. The soils are found on the lower terrace along the Arakawa.

Nagaone 4 series (No 4) The soils of this series are paddy soils developed on Nagaone 3 series, They belong to a kind of gray lowland soils, and are distributed on the lower terrace close to Nagatoro series and valley plains.

Daibutse 1 series (Db 1) The soils are clayey, somewhat poor drained soils and without light brown sub soil as in Nagaone 3 series. They are developed on the lower terrace around the northeastern part f this sheet.

Daibutu 2 series (Db 2) The soils of this series are paddy soils developed on Daibutsu 1 series, and a kind of gley soils. They are characterized by very poor drained clayey soils and having a gley horizon. The soils are developed on valley plains and derived from tertiary and alluvium.

Obata series (Ob) The soils are poor drained clayey soils, a kind of gray lowland soils. They occur on low lands and valley plains of river terrace. They have a yellowish gray clay loam surface soil and a brownish gray light clay subsoil.

Misawa series (Ms) The soils are well drained clayey soils. They are a kind of gray lowland soils, and have iron mottles in B horizon.

Niragayato series (Ni) These soils occur in slight depression and lowlands on the upper terrace around Yorii Machi.

They are a kind of gray lowland soils, and have a surface soil of Yellowish black loam or clay loam.

Obusuma series (Os) These soils occur only at the northeastern part of this sheet, developed on valley plains. They are characterized by underlying a mucky horizon, and a kind of gray lowland soils.

Mikayama 2 series (Mi 2) These soils are poor drained, underlying a coarse textured soil. They are developed on valley plains, and derived from tertiary Yorii gravell layer.

Tsukigawa series (Ts) These soils consist of well drained medium to coarse texture soils, They occur mainly on the terrace of the River Tsukigawa, the southeastern part of this sheet.

The soils are a kind of brown lowland soils.

Ofuchi series (Of) The soils are recent alluvial soils, They are well drained coarse texture soils, and have a weakly developed B horizon.

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地形説明書(1対50,000)

寄居

お茶の水女子大学文教育学部 文部教官 式 正英

寄居図葉の地形調査は昭和30年度後半に実施され、調査図は昭和31年の内に完成していた。昭和38年度にいたり同地域の表層地質、土じょう調査が実施され、その成果が印刷されることになってようやく複製の運びになった。現地調査は、当時の地理調査所地図部所属の3技官によって行われた。即ち図葉北西部を吉田新生技官、図葉南西部を中村六郎技官、図葉東部を式正英技官(現お茶の水女子大学助教授)が担当した。説明書など成果のとりまとめにあたっては、式が担当した。調査実施後、他の機関によって行われた調査資料や土地の変化が増加し、地域開発の視点も変遷した為、古い成果ではいく分か矛盾を含む。その点を勘案して昭和38年、39年にかけ、できるだけ改訂を加えては見たが、不完全に終わった部分も多いと思われる。

 1 地域概説

位置 行政区界 交通 「寄居」図葉の地域はほとんど埼玉県域にはいり、その中央より北西に偏してあり、図葉北西隅に僅かに群馬県の部分がある。図廓辺の経緯度は統計139゜0'10".4-139゜15'10".4、北緯36゜0'-36゜10'である。図葉の総面積は416.33km2その内群馬県の部分が20.65km2あり、埼玉県の部分の面積は395.68km2である。
行政区界は山稜線に沿ってひかれているものが多く不規則で複雑な平面形をもつ。県境は神流川の河道沿いにあり、秩父盆地内部でも荒川、赤平川の河道に沿って市町村境のある部分がある。寄居町より東北にひらける台地では直線状の境界が多い。在来は1市7町35村が図葉内に含まれていたが、最近の町村合併の結果、2市8町14村に減った。在来の小面積の町村界は人口密集の為ではなく、この部分の谷のいりこみが複雑で山地の肢節が細かく、かつ山地内部に集落が一様に分布していることに由来していると言ってよい。(第1表)。図葉内の主要市邑は荒川に沿って東から寄居、長瀞、野上、親鼻、皆野、秩父、赤平川に沿って吉田、小鹿野、神流川に沿って鬼石の各中小の市街地が散在している。市街地面積はそれぞれ小さく、殆どを占めるのが山林で、畑地、田地がそれに次ぐ。この地域の集落立地の特色は上述の如く図葉の大部分を占める山地内にも、ほぼ一様に集落が分布することである。即ち山地内部の河谷、山腹の小緩傾斜面を利用して大小の集落が営まれるために、斜面の重力的侵蝕に伴う、建物基礎の破壊、家屋の転倒、土砂による埋没等集落災害が顕著になっている。
交通線は、荒川に沿って熊谷から至る秩父鉄道電車線が寄居、秩父をつないで横切っており、これは図葉の北半では東西に南半では南北に走る。東側、北よりには小川町と寄居町をつないで東武鉄道の東上線が走り、その西側を国鉄八高線が小川、寄居から更に用土を経て児玉に出、高崎までのびている。
道路は山地内の主要河谷に沿って通じ、熊谷-寄居-秩父を結ぶ国道140号線が秩父鉄道線に平行し、秩父-児玉を結ぶ県道76号線、その途中から西へ杉の峠を越えて鬼石へと通じ、東は野上へ通ずる主要県道2号線、樋口付近から荒川右岸に沿って走り親鼻から三沢の谷に沿って秩父に出る県道147号線がある。小川町から槻川に沿い定峯峠を経て秩父に至る主要県道11号線は定峯峠越えの車道で、昭和30年に完成した。東側山地を越える車道はこれの他に図葉外南側で、秩父から正丸峠を経て飯能に至るものがある。寄居から大内沢を経て槻川河谷に出る県道195号線、東松山、小川から竹沢を経て寄居、児玉にいたる国道254号線、寄居から本庄にいたるもの、深谷にいたるもの等が東半部の主要道路であり、寄居、小川が道路の結節点となる。秩父盆地内部の道路配置は地形に支配されたほぼ東北-西南の谷ぞいに平行に走り、盆地内主要集落の皆野、吉田、小鹿野、秩父をつないでいる。図葉の西北端に神流川に沿って群馬県の道路が走り万場に至る。以上の道路は自動車の通行を許すが、河谷にそうもの意外は山地を横断するために峠が多く、その維持は容易でないが、山地域としてはかなり道路密度は大きいと認められる。山地内集落を結ぶ道路は未だ歩道の所が多い。

第1図 〈寄居〉行政区界図(JPG:85KB)

第1表 〈寄居〉地域新旧行政界対象表 その1(JPG:76KB) その2(JPG:43KB)

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2 地形概説

寄居図葉の地域は、主として古期岩石から成る関東山地(秩父山地)の東縁部にあたり、山地が次第に高度を低下して関東平野に移るその漸移部にあたる。関東山地は関東平野の西方にある広大な山地域で、東側の関東平野との間は八王子構造線と呼ぶ南北方向の断層線によって画される。西側はフォッサマグナの一部と見なされる千曲川断層線と呼ぶ南北方向の断層線で境され、千曲川の谷をへだてて西には八ヶ岳火山が相対する。広義の関東山地には南の丹沢、御正体山地を含むが、狭義には桂川の谷より以北の部分を云い、所謂秩父山地にあたる。秩父山地南縁は、桂川の谷の北よりにあり、秩父山地の構成層の一部である小仏層が第三紀層と断層で接し、北縁は鏑川の谷の南側にあって南縁部とほぼ同様の関係にある断層で接しているので、秩父山地は四方を断層に画されほぼ方形の輪郭を持つ地塊山地である。東、西の断層線は形成が古いため直接の断層崖の証跡は明かでないが、南、北の界線に沿っては断層に由来する地形的証跡を所々に指摘することができる。秩父山地の最高所はその南西部にあり、金峰山、朝日岳、国師ヶ岳は海抜2,500m以上に及び、漸次北方及び東方にむかって高度を減ずる。最高所を含む山地の南西部は花崗岩の底盤露出地域である。山地内の河川はこの付近に発して東流または東北流し、分水界は著しく西に偏っているので、現地形は南西に高く東北に低く、大まかな意味の傾動地塊とも云える。主要河川は多摩川及び荒川で夫々ほぼ東流して後、東京湾注ぎ、荒川より北には神流川、鮎川、雄川があり東北流するが、この三者は結局利根川に注いでいる。山地の西部特に南西部では、山稜部に前輪廻性の緩斜面が豊富に残され、谷は深く早壮年山形を呈しているが、谷の開析は山地中央部の雲取山付近において起伏量1,200mを有して最大であり、この付近では満壮年山形を示している。山地の東側、東北側は山地辺縁にあたって開析がすすんでいるため、図葉地域でも起伏量は500~600mが最大で、前輪廻性緩斜面は多く認められず、山体は満壮年山形の極大を経過して晩年壮山形に移行しつつある時期にあたっている。

第2図 「寄居」起伏量図(JPG:73KB)

第2図の注) 第2図〈寄居〉起伏量図は5万分1地形図〈寄居〉を使用して、(2km)2の方眼をかけ、一方眼内の最高所と最低所の高度差を起伏量と考えて、方眼の中心にその数値を記し、これに基づいて100m単位の起伏量等値線を画いた。その結果、500m以上の起伏量は定峰山から神流川河谷にかけての部分と大霧山、堂平山と登谷山の付近であり、海抜高の高い部分とほぼ一致する。他の山地は200m~400m、秩父盆地内の丘陵地、段丘は150~200m、東北部の丘陵地は100~200m、台地は50mの起伏量を示している。

秩父山地中での特徴的な地形は図葉地域にもその北西半が含まれる秩父盆地である。この盆地は山地の中央より北東に偏して位置し、東、北、南を明瞭な断層崖で画された方形の断層盆地である。盆地内は第三紀開成層で充され周辺山地の古生層岩石とは断層を持って接しその地質の境は盆地の地形的境界とほぼ一致している。盆地の内部は荒川及びその支流が貫流して、平坦な盆地平野を作ったが、その後の地盤の隆起によりかつての盆地床基盤及び堆積物は開析をうけた結果、現在の盆地床は起伏に富む丘陵地、台地から構成され、開析盆地として取り扱われ得るが、盆地の概形は失われていない。
関東山地の東麓には新第三系から成る海抜100~300mの丘陵地が付着する。多摩川、相模川、名栗川、荒川など比較的大きな川の山地の出口の付近は上述の第三系が削平され洪積礫層を載せる台地地形が展開するため、南北にはとびとびに丘陵地が分布する結果となっている。図葉東縁の丘陵地は多く隣接図葉に拡がるものの一部にあたり、寄居から東松山にかけて比企北丘陵、比企南丘陵(物見山丘陵)、寄居から児玉にかけては松久丘陵、諏訪山丘陵、生野山丘陵がある。いずれも円丘状のなだらかな山稜線を有し、殆どが高さ海抜100を上下する小起伏定高性の丘陵地である。丘陵頂面は基盤の第三紀岩層を截る侵蝕面であるが、物見山、浅見山など一部の丘陵山腹には、秩父盆地の第三紀層丘陵頂部に残る最上位の段丘砂礫層に対比される砂礫層を載せている。荒川北側の鐘撞堂山付近、南側の金勝山付近(比企丘陵西部)は古期岩層又は火成岩から成る山地性丘陵地で、山地と第三系丘陵地の中間の起伏と海抜高を有し、山地が階段的に低下する下段にあたる位置をしめている。
関東平野の半分以上を占める洪積台地に一連の地形は図葉東北隅に荒川の隆起扇状地として拡がっている。図葉内にはその内の西部が含まれるに過ぎない。図葉外北及び東には前述の丘陵地の間を埋め、隆起扇状地性の洪積台地が分布している。これらの台地は山麓に近いところでは、かつての河流堆積による粗粒の砂礫層より成り、一般に火山灰質の関東ロームを載せいているが、寄居図葉をとりまく周辺では、火山灰給源である関東周縁の火山からの距離、方向、山地の存在の点が火山灰降下に障害となるため、関東ロームは意外に薄いか、局部的に欠徐している。
図葉内の山地、丘陵地内の平地要素は河谷に伴うものでいずれも細長い平面形を持つ。山地内の主要河川である荒川とその支流及び神流川は、山地の洪積紀以降における間歇的隆起を反映して川に沿い数段の河岸段丘を形成しているため、沖積平地は局部的にしか認められない。併し槻川、身馴川を初め小河川の流域では、谷床は主に氾濫原平野となっている。図葉内全体としての沖積低地面積はきわめて小さい。
図葉内の最高所は図葉西辺中央付近の城峯山(海抜1037m)でこのほかに1,000mを越える峰はない。関東山地は西南に高いが、図葉西南閣は秩父盆地にあたるため局所的に低くなっている。秩父盆地内部丘陵頂最高所は小鹿野町東の海抜408mで、盆地内最低所は北東閣の旧国神村新井付近で海抜150mである。図葉中央の山地高度は海抜500~600mの部分が多く、図葉南縁で800m、東よりの堂平山は海抜875mある。東縁部丘陵地では荒川の北側で海抜100~120m、南側で海抜160~280mである。台地は寄居東方の海抜100m付近に始まり図葉北東角で海抜75m、図葉最低所は、東辺の荒川氾濫原の海抜65mと見なされる。

第3図 関東山地域切峯面図(JPG:438KB)

第3図注)第3図の切峯面図は、狭義の関東山地地域についてその5万分の1地形図を使用し、一辺2kmの方眼をかけ、一方限の内では山稜又は山腹のうち有意な最高所をえらび、それらの標高点をもとにして100m等高線を画いて作図した。その結果、おおよその高度分布と、原地形においてもなお消し得ない山地内の凹所を認める。その内もっとも著しいのは、秩父盆地の方形のくぼみである。秩父盆地南縁を画する急斜面は、荒川上流から千曲川上流へとつづき東西方向に伸びる。その他山地の北側赤久縄山~御荷鉾山の北斜面、南側の多摩川河谷に対する急斜面が著しく、神流川など東西性の河谷凹地もめだつ。これ等は断層など構造線に由来すると判断される。山地の一般的表面は東北に傾きこの方向をとる凹地は少ない。山稜状の比較的平坦地は2,200~2,000m、1,800~1,700m1,600~1,500m800~700mなどに認められ、多くの山峰はこれ等の隆起準平原的平坦面上に突起する残丘であることを示している。

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水系 秩父山地を流れる主要河川である荒川は、図葉南辺、西寄りから北流し、樋口付近で流路の方向を直角に曲げて東流し、図葉中央を横切っている。荒川は秩父盆地内部、皆野町付近で主要な支流である赤平川、黒谷付近で横瀬川を合わせるが、その下流側で特に大きな支流を合わせていない。神流川も秩父山地内の主要河川の一つであり、図葉の北西角にその流路の一部が含まれ、支流の三波川を合わせ北流する。神流川の流域は図葉の北西側4分の1象限に含まれる。神流川はそのまま北東方向に流れ新町付近で烏川に合流する利根川水系の中流部支川の一つである。その東に隣る身馴川は、出牛峠付近の山地斜面に発し北東方向に流れて関東平野に出、下流は小山川となり、農業用水路を分水しながら直接、利根川に注ぐ。間瀬川、小平川、秋山川、白石川など用土村付近から西の部分を源頭とする多くの小河川は、平野を北に流れ、その下流は結局身馴川に合流するので、身馴川の流域にはいる。南北に長い大霧山の東側斜面は槻川の源流部にあたり、源頭は図葉南に接する白石峠(堂平山頂南西2km)にある。槻川は東南東流し図葉外東側で小川盆地を経てから、比企丘陵西部の丘陵性山地を先行性曲流をなして横切り、図葉南東角にわずかに流路をみせる都幾川を合わせて後、松山南の平野を東南東流し、高坂の東で荒川の支流である越辺川に合流し、荒川水系の一部となる。但し荒川は元荒川が自然流路であり、藩政時代に人工的に市ノ川に流入させて現在流となったので、自然的には、槻川は入間川(新河岸川)水系に属する。従って図葉中央部は荒川流域、北西象限は神流川流域、北縁部は身馴川流域、南東象限は槻川流域に属している。
河谷の広い部分は、荒川・赤平川に沿う段丘の発達の良好のところであり、山地内では河谷が南北方向の場合がきわだって谷巾が広い。即ち秩父から野上付近までの荒川流域、鬼石付近の神流川流域に谷巾が広い。同じ荒川でも、野上宮沢から坂本まで東流する部分は谷巾がせまい。この東西方向の部分は、周縁山地の南北の地質構造に直交する横谷である。南北方向の河谷は、他に図葉中央部付近にめだって多く分布する。これ等は縦谷で走向に沿う谷や断層線谷に属するものが含まれ、多く地形区の境界となる。槻川上流部、三沢川、円良田川、金沢川、身馴川などが縦谷の例である。谷底巾のぜまい河谷は、段丘を伴わないか、又は僅かに低い比高の段丘を持つかであり、荒川の支谷のような場合には、河川の遷移点は本流近くにあって、支谷の内部には及ばず、地盤隆起運動の比較的新期なことを物語る。

第4図 〈寄居〉河川図(JPG:79KB)

次に主要な地形分類単位として、段丘面の細分の基準と山麓傾斜面について述べる。
段丘及び台地 荒川は、山地内の河谷、平野の台地部を通じて著しい陥入傾向を示す河川であるため、図葉内では狭い氾濫原の両側に段丘及び台地が良く発達している。河谷内は主として地盤の間けつ的隆起運動を反映して、数段の河岸段丘が認められ、東岸の台地も数段の台地面に分かれる。段丘面及び台地面の分類については、相対高度、表層物質、地形面の連続性等を指標としてGt1+(上位)、Gt1(上位)、Gt2+(中位)、Gt2(中位)、Gt3(下位)の5段に区別した。なお成因的に岩石質侵蝕段丘と認められるものでも段丘礫層を少なくとも1m厚は載せているので、一様に砂礫段丘として表現しておいた。河岸段丘は一部を除き殆ど成因的には堆積性砂礫段丘ではなく、段丘崖に基盤岩を露出する岩石質侵蝕段丘である。

上位段丘(Gt1+) 最上位段丘面で秩父盆地内の丘陵頂に認められ、小鹿坂峠付近及びそれに続く南西に分布する。図葉内では海抜360~380m、現河床との比高は160~180mで、層厚30~40mに及ぶ厚い砂礫層を有し、表層付近は粘土物質や浮石層を有する火山灰質土層におおわれる。これと位置は異なるが松久丘陵地の西よりに、Gt1面より相対的高所にあって、鈍頂の稜線を示す台地があり、これをGt1面として扱った。その他にこの面に相当する段丘面は明瞭にはない。

上位段丘・台地(Gt1) 秩父盆地内部では東側の羊山段丘、尾田蒔丘陵の北部の稜線部、及び丘陵東側の山腹などに分布する。海抜240~280m、河床からの比高60~80m位でGt1+面より平坦性は好く、表層に火山灰質ローム層を被るが、礫層と共にGt1+面より薄い。荒川横谷中、樋口、藤谷淵などに、後の侵蝕から保護された様な三方を斜面に囲まれた位置に小面積が残存する。関東平野西縁に出ては、櫛挽原の主要部、荒川右岸段丘の上位がこの面にあたる。一部は神流川の鬼石の西部、南部に認められる。荒川横谷では海抜140~180m、河床よりの比高30~50m、下流の荒川右岸段丘では海抜100~160m、比高は前者とほぼ同様、櫛挽原では海抜80~100m(図葉内)である。鬼石付近では海抜180~220m、比高は40~60mである。町田貞は、荒川流域の段丘を上、中、下の3段に分けており、Gt1+面がその上位段丘、Gt1面がその中位段丘、Gt2+、Gt2めんはその下位段丘にあたる。Gt3面は特に取り扱われていないが当然その下位段丘に含まれる。(※ 町田貞(1963 :河岸段丘)

中位段丘及び台地(Gt2+、Gt2) この二者については、表層物質、平坦度など特に差異はないが、前者は後者より相対的に高い位置を占め、多く数mの高さの小崖で境される。Gt2+面はGt2面形成期の侵蝕によって保護された様な場所に残存しており、Gt2面に一般に認められる旧河道状凹所は、Gt2+面には認め難い。りょうしゃとも火山灰質ロームを欠き、1~5m厚の段丘砂礫層におおわれる。但し関東平野の一般のローム降灰以後に形成された面として考える訳にもいかぬ。何故なら、八ヶ岳以外の火山灰給源から隔てられた位置にあるため、関東平野の他の段丘、台地がなお火山灰を被った時期に火山灰がこの地域に及ばないことが考えられるからである。この段丘は荒川、赤平川の河岸段丘として連続的に発達し、図葉内上流側で、海抜210~250m、下流側で70m、現河床との比高は上流側で20~60m、下流側で10m以内である。神流川では鬼石付近にあるが、この河は利根川水系に属し、侵蝕基準面も荒川とは同じでないので荒川の同位面と同一時代に形成されたとは云いきれない。鬼石町の南側にあり、海抜160~170m、河床との比高は10~20m、表層は一次的火山灰質ロームにはおおわれていない。その他、櫛挽原台地西の松久丘陵山麓よりに上位台地面を刻む各支谷に沿い分散して中位台地が認められる。表層は二次的ローム質で、下層は砂礫質である。荒川支谷に沿って本流沿いの段丘とはT字形の関係で中位段丘が連続的に認められる。

下位段丘(Gt3) 前述の段丘、台地面より更に相対的に低く現河床に対して数m~10数mの高さを持つ段丘面で、河岸や氾濫原に沿って部分的に認められるに過ぎない。表層物質も現河床と余り変わらず、新鮮な砂礫層によって構成されるが、崖の下部には基盤岩石があらわれるので、最も新期の隆起にもとずく侵蝕段丘である。秩父盆地内では吉田川・赤平川の合流部、秩父市街の西部、横瀬川・定峰川の合流付近に比較的よく発達し、寄居より下流では荒川左岸に部分的に発達する。その他の水系では鬼石町付近の神流川沿岸、槻川、都幾川流域に比較的多く分布している。

山頂及び山腹緩斜面 主として前輪廻性の平坦面乃至緩斜面であり、周囲の急斜面に比し相対的に緩傾斜(一般に5゜~20゜)を呈する。位置は山稜上にあって巾広い尾根をつくるか、円丘状の山頂部をつくるか、山腹に階段状に付着するか、谷頭部の集水域に凹地状を呈して付着するかいずれかの形をとる。図葉内では前輪廻性の緩斜面でも準平原遺物は少なく、老年期従順山形の緩斜面が多い。従順山形は大霧山、御荷鉾山などをつくる結晶片岩山地に顕著にあらわれ、風化に脆弱な軟岩質が、重力侵蝕や表層の匍行を受け易く、細密な谷が彫刻しにくいために、山地の谷壁斜面は局部的にかなり急傾斜(35゜~40゜)を示し、最近の地盤隆起量の激しさを物語っているが、片岩山地の凸形でゆるやかで大きな肢節及び山腹緩斜面は結晶片岩山地に大面積のものが顕著に分布している。古生層岩石山地は、図葉内では稜線高度の揃わぬ晩壮年山形となるため、即ち準平原面は開析すののみによって既に失われているので、この種の緩斜面は稀であり、小規模である。古生層山地の山頂、山腹緩斜面は比較的硬岩たとえばチャート、石灰岩などが山腹に露出して侵蝕に抵抗し、小規模の緩斜地形を呈する場合、階段断層の傾斜変換部に生ずる場合、基準面の間歇的低下によって生ずる山麓階の場合など多種の成因が考えられる。山頂、山腹緩斜面の表層部は、風化物質があつく火山灰などが貯溜され易い。谷頭凹部の位置にあるものの他は水分が停滞しにくく乾燥し易い。第三系丘陵頂部にもこの種の緩斜面の発達をみるが、巾狭く図表現は困難である。丘陵の場合は広い地域にわたし定高性山稜として前輪廻地形が間接的に残される。

山麓緩斜面 傾斜5゜~15゜位のものがい多く、相対的に背後の山地斜面より緩傾斜である。谷に沿って細長い形をとるか、山体の谷壁斜面基部に面的に拡がって位置する。緩斜面地表は概して平滑であるが、微少な起伏や小階段を伴うのが一般的である。山頂、山腹傾斜面が現侵蝕輪廻から一応中絶されているのと異なり、傾斜面基部は一般に現在の谷に臨んで河川による侵蝕をうけ急傾斜を呈する。緩斜面上の小起伏及び小階段は、雨洗侵蝕、土壌匍行、地滑り、細流侵蝕などをうけて生じたと考えられる。(※一般に片岩山地の地滑りは第三紀地滑りのような、大きい起伏や池沼など著しい変形を伴わない、せいぜい2~3mの起伏階段をつくる。烏羽東(御荷鉾山地)では耕地を林地に変換しただけで滑りを止めた例がある。)火山灰などの被覆は一般に認められず、基盤岩石が浅い位置に露出するか、崖錐的岩屑によって浅く基盤が被われている。山麓緩斜面は現在なお表面侵蝕を蒙りつつある地形であり、この点で山頂、山腹緩斜面と本質的相異がある。地滑り地は主にこの様な部分に一致して発生しており、この緩斜面形成の主要営力であることを認める。即ち結晶片岩、蛇紋岩などは風化されて粘土化しやすく、風化粘土層は地表下数m乃至10数mの位置の未風化部基盤や硬岩質緑色岩との間に水を含んで地滑り面を形成し、地滑りを生ずる。現在滑動中のものは山麓緩斜面のうちの一部であるが、過去の地滑り遺跡は殆どの辺岩質の山麓緩斜面にみられる。この地形は表層が軟弱なため耕起し易く水も比較的得易いので山地内部では土地利用の集約部となり易い。そのため地滑り災害地としてもめだち易いが、片岩山地の一度の地滑り規模は、面積1~2ha以下のものが多く第三紀層地滑りほどの大きさは持たず、地滑り深度も1~3mのものが多い。(※地滑り災害としての特異性は、集落が散村をなすため、一戸あたりの耕地、家屋の規模で被害を受け、その周囲は変化がないような形でおこる。そのため被害を明確にし得ないことがある様に思われる。)

写真1 定峰部落を載せる山麓緩斜面(JPG:192KB)

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山麓緩斜面は結晶片岩山地によく発達し大規模なものが多い。その他の山地、丘陵地の谷底平野背後、谷頭部、河岸段丘背後に谷底面又は段丘面に連続して付着するものがある。これ等はいずれも小面積であり、上述のものとやや性格が異なる旧期の地形で、辺縁部にあって河流侵蝕をあいまいにうけた結果生じた場合と思われる。なお図葉北東辺の第三系丘陵山頂に示した山麓緩斜面は、西側山地に対し山麓面の形で付着し、台地より一段高い地形面と考えて山麓緩斜面としたが、本来の性質は第三系丘陵上の山頂緩斜面である。従ってこの場合は関東ローム層を載せている。

地形区 地形分類単位を集合統一し、地形性質によって地域性を表示するために地形区を設定し、各固有名称を付した。その結果、大地形区分としては、関東山地と関東平野に分けられ、前者に含まれる図葉内の中地形区は、1関東山地、2秩父盆地、3山地内河谷であり、後者に対応する図葉内中地形区は、4関東平野西縁台地丘陵地である。(※ 図葉内 関東山地域326Km2、関東平野域90.3Km2関東山地の内、中地形区の関東山地232Km2秩父盆地66.5Km2山地内河谷27.5Km2である。)即ち秩父盆地、山地内河谷ともに関東山地内部の局所的地形区であり、前者は造山運動に伴う相対的沈降部であり、後者は山地を開析して生じた谷床である。それに対し関東平野は第三紀以来の造陸運動的盆地形成作用の結果生じた平野地形で、4の如く関東平野周縁には堆積岩を主とする第三系丘陵や、洪積台地が分布する。

以上4つの中地形区内部は、地質、位置、営力など局地的性質に関連する要素によって更に小地形区に区分される。即ち1関東山地は1a~1hの8地形区に区分した。このうち、城峯山地区(1a)と官倉山地(1g)は古生層山地、他は結晶片岩山地である。御荷鉾山地(1b)と不動山地(1c)は共に荒川の北岸側にあるが、黒谷-出牛構造線に伴う金沢川、身馴川の河谷によって分かれ、1bは海抜高、起伏において大きく、神流川流域に続いている。宝登山地(1d)は周囲を構造線由来の河谷にきられて独立地塊的形態を示すので1cと区別した。荒川南岸側の蓑山山地(1e)も1dと同じ理由で大霧山地(1f)と区別した。堂平山地(1h)、官倉山地(1g)はそれぞれ周囲を槻川系河谷に囲繞されてほぼ独立するので1fと区別した。秩父盆地(2)内は地形分類要素から大きく分けて丘陵地(21)と段丘(22)とから成る。丘陵地は西南-東北の谷によりきられて丘陵塊となるので、それぞれ尾田蒔丘陵地(21a)、羊山段丘(21b)、吉田丘陵地(21c)、石間戸丘陵地(21d)とした。羊山段丘は22に属する段丘に比べると形成時代が古くむしろ丘陵に近い形を示すので21に属させた。段丘はこれをつくった河川営力に従い荒川による秩父段丘(22a)、赤平川段丘(22b)、横瀬川段丘及び丘陵地(22c)とした。22cに含めた丘陵地は段丘東縁のもので図葉内面積がきわめて小さいので便宜的に包括した。山地小地形区の境界は主に河谷であるが、谷床の広い場合は、河谷内部において山地斜面とは異なった独自の自然的性格を指摘し得るし、山地内人文活動に密接な関連を有するので、河谷地形区(3)を特に設定した。荒川に沿う横谷部を含めての河谷を野上段丘(3a)、国神から金沢に至る構造谷性河谷を、山麓の低夷な丘陵を含め国神段丘、丘陵地(3b)とした。身馴川河谷(3c)は身馴川に沿う河谷で周辺の低夷な丘陵地、山麓緩斜面を含めた。神流川沿いの段丘は鬼石付近に発達がよいので、鬼石段旧(3d)とし、槻川沿いの河谷を槻川低地(3f)とした。河谷の内、低地、段丘としたものはこれらの地形要素がそれぞれの河谷の内において特に多く分布するからである。その他の山地内河谷は河床が広くないか、図葉内面積が小さいので、山地地形区に含めることにした。関東平野西縁台地・丘陵地(4)においては、海抜高と起伏の相対的に大きい山地性丘陵地(41)と低夷な丘陵地、台地及び低地(42)の2つに大別した。41地形区は荒川を境に位置を異にするので、鐘撞堂山丘陵地(31a)と比企丘陵地(41b)とに分け、42地形区は、北側の第三紀層からなるが、台地との比高が小さい松久丘陵地(42a)と荒川北岸に拡がる櫛挽原台地(42b)、平野部の荒川両岸の河岸段丘である寄居、鉢形段丘(42c)に分け、更に小川盆地床に続く低地を小川低地(42d)とした。

以下各地形区毎に地形的性質及び地形分類上の特筆事項を記述する。

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3 地形細説

3.1 関東山地

城峰山地(1a) 神流川の河谷と秩父盆地の間にある古生層岩石から成る部分で、主峰は城峰山(1037.7m)、山稜は図葉外西に伸びて父不見山、二子山となり、志賀坂峠を横切る山中地溝帯に沿う凹所により、一たん南側を断たれる。古生層岩石はきわめて硬く、相対的に侵蝕がおくれて、平均傾斜、高度が大きく、幼年谷により開析される。山稜は起伏に富み、定高性を示さず、前輪廻地形の保存は良好でない。満壮年形山地の起伏量極大から晩壮年形山地に移行しつつある過程にある。殆どが急傾斜地であり、海抜500m以上は殆ど35°の傾斜を示し等斉斜面が基本的斜面形である。山地内各所に山麓面に由来する小面積の緩傾斜地がかなり多く散在する。又、山稜の凸部や山腹の平地には珪質岩の露出部(※ 珪質岩露出部の株は40°以上の傾斜を示す。)と一致する場合があり、珪質岩が侵蝕に対して抵抗的なため生じたと理解される。日野沢川の東西方向の直接河谷、阿熊川上流十二本入の北西方向の直線状河谷などは、岩石の節理方向の選択侵蝕の結果と考えられる。その他、破風山東から藤原西をとおる南北方向断層線(表層地質図参照)に沿って地形的にも稜線高度のくいちがいや急斜面が連続的に認められ、地質構造線に伴う侵蝕の鎖が地形にあらわれ山形をきわめて複雑にする。阿熊川上流と日野沢川源流との分水界において山麓緩斜面があり、地質構造線に従って選択侵蝕が付近に優先し、局部的に低い分水界を生じたと考える。海抜600m以下の比較的平坦所(山麓緩斜面)の主として南斜面には集落が定着し耕地が付随する。集落間の連絡路は主に歩道であり、日野沢の河谷など一部の集落は河谷に沿う小平地に分布する。
山地内の集落、耕地では、傾斜のための表層風化物質の徐動がみられ、一種の地滑り現象と認められる。門平、重木、田原、沢辺、若浜に地滑りが報告されている。耕地表層の黒色粘土層は、乾燥すると固く、水分を含むとすべり易くなる(※※ 1953年の長雨の際、この原因で地滑りがおきている)。この種の地滑りは粘板岩または輝緑凝灰岩の分布地域に多い。重木部落の緩斜面には明治43年に発生したと伝えられる亀裂があり、徐々に南に移動する。豪雨時には部落付近の地下水位が高まり、床下浸水をこうむる。
崩壊地は傾斜35°以上の斜面に主に面積500平方メートル以下の小規模の崩壊地(※※※ 崩壊面積は2000m2をこえるものはすくない、日野沢流域はスギ、ヒノキの育成が盛んで(明治以来)、造林管理の観念が発達している。)がみられ1km2あたり平均1~4箇所存在する。崩壊地の主原因は急傾斜にあるが、斜面長がさほど大きくなく、森林管理がよいため、顕著には発達していない。以下諸沢の例をあげる。

  • (1)(※※※※ 埼玉県河川課 昭和27年度砂防調査、崩壊地調査報告書、No.2 埼玉県河川課 昭和34年度崩壊地調査報告書 No.8)阿熊川流域では崩壊総面積6,900m2、崩壊数は10箇所以上ある。崩壊地面積が小さいため大規模な崖錐の発達はない。
  • (2) 風山の北に落ちる水潜沢の流域はほとんどチャートから成るが、巾70m、高さ80mの崩壊地が発生し0.1m系の角礫を多量に崩落し、女岳南側の金沢川上流金山沢源頭のカマバ沢には巾10m、高さ170mの崩壊地がある。
  • (3) 日野沢川最上流の門平沢の右岸側には大崩沢の崩壊のため溪床には砂礫が埋積し、上流側の清水沢では豪雨時礫を夥しく流下し、明治43年、昭和30年豪雨では部落、橋脚に被害を生じた。
  • (4) 滝ノ沢(図葉西縁 石間川に沢口で合流する)は昭和13年の出水の際に著しく砂礫が押し出し高さ5.5mの砂礫堆をつくる。石間戸のすぐ北西側から流入する毒ノ沢には、チャート、粘板岩の基盤を刻む崩壊面積4,300m2の崩壊が生じている。

御荷鉾山地(1b) 身馴川河谷から西の山地部分で、主として神流川流域に属する。長瀞系変成岩である緑色片岩と黒色片岩から成る。この山地の主部は、図葉西側にあって東御荷鉾山(1,246m)、西御荷鉾山(1,286m)、赤久縄山(1,522m)などの高位稜線が東西に続くが、図葉内では海抜500~600mの山稜が雨降山の末端山稜として含まれているに過ぎない。宇那室西の732m峰、男岳、女岳等中世層岩石露出部は相対的高所となって突起し山峰をつくる。神流川とその支流の三波川の渓谷に刻まれるため(※)、結晶片岩の山体に拘わらず比較的急斜面の多い晩壮年山形を呈し、肢節にも富んでいる。神流川左岸山地の南北断層に伴う地形は西面又は東面する一連の急斜地になり、結晶片岩山地においても構造線の制約は顕著である。緩斜面は城峰山地より大面積で山地内各所に散在して分布する。河谷に沿って山麓面に由来するものがやや顕著にあり、下久保、保美濃山、犬目などを載せる。身馴川流域、稲聚川、沢戸谷、平沢に沿い同種の山麓緩斜面が分布する。城峰山地と同様、この部分の緩斜面に一致して集落が分布する。比較的急傾斜の結晶片岩山体のため地滑り地はやや顕著である。神流川左岸の保美濃山、下久保、右岸の側では、沢戸、浦山、更木、鳥羽、高牛、浜野谷、柚木、住居野、稲沢対岸の山麓緩斜面上又はその周辺に地滑り地がある。ひとつの地滑り単為は1ha前後又はそれ以下の小面積で地滑り巾もほぼ70m以内である。更木、浦山の緩傾斜地の地滑り面積は比較的大きい。杉ノ峠に抜ける道路沿い沢戸東側には、断層破砕部(黒谷-出牛断層線がここを通過する)に沿い高さ80mの崩壊地があり、付近の沢は土砂流出量が大きいため、砂防ダムが築造されている。

※これらの河谷斜面基部は河川が陥入傾向を示すため傾斜40°をこえている。

写真2 御荷鉾山地内 浦山の山麓緩斜面(JPG:196KB)

不動山地(1e) 荒川北岸にあり身馴川河谷の東の部分にあたる結晶片岩から成る山地。稜線の平面形は円弧状で北に凸部をむけ、稜線硬度はほぼ一定で海抜500mを上下する。山体を刻む谷は稜線に直角方向の心従谷が平行に発達し、南に落ちる川は荒川に直接流入し、北に落ちる川は身馴川水系に属する。間瀬峠をとおって南北につづく直線状の谷又はこれに連なる急斜面と、小坂から間瀬峠の北側をぬけ杉ノ峠から阿久原背後につづく直線状のコル地形の連続は、夫々直行するが、断層によるものと考えられる、従ってこの部分には適従谷が認められる。不動山(549m)から西に落ちる向沢の源流には1.1haの東北落ち地滑りが、間瀬峠北斜面、榎峠東の北斜面に夫々小地滑り地がある。間瀬川は間瀬部落の下流側で締切られて農業用溜池となる(児玉堰堤)。

宝登山地(1d) 南西縁の宝登山地は構造谷にかこまれて孤立丘状をしめすので別の地形区としたが、不動山地と同様の結晶片岩山地である。宝登山の頂稜は15°ほとんどの緩斜面で火山灰質褐色ローム層を載せ、ドーム様山体を呈する。荒川をはさみ南側の蓑山山地の断面形も円錐状できわめて似た山形である。藤谷淵背後の山地の低夷部には北落ち片理を反映したケスタ地形の平行配列が認められる。山地斜面下部が荒川に直接侵蝕を受けている部分には蛇紋岩が露出し、金崎地滑り(又は尾坂地滑り)と云い、東西200m、南北400mの拡がりを有し、明治末期から移動が著しくなった。水制工事及び地滑り対策工事が行われているが、崩壊面積は6.2haとも計測されている(※ 埼玉県:昭和34年度崩壊地調査報告書。関東農政局:昭和38年度関東農政局管内地滑り防止事業調査報告書では25.1m2としている)。非活動地をはさんで2-3ヵ所にわかれブロック状に移動する。唐沢付近を流れる諏訪沢の源流部は、黒谷-出牛地質構造線に近く擾乱変質を受けた片岩地帯のため地滑り地及びそれに伴う崩壊地が頻発している。反対斜面の小六にも地滑り地がある。〈旭谷地滑り区域〉と称される。

蓑山山地(1e) 東側を三沢川の谷、西側を秩父盆地に接して黒谷-出牛の南北断層で絶たれ、紡錘状平面形を有する。蓑山(583m)の主稜は南北に長く鈍頂、山腹斜面はゆるやかである。結晶片岩山地であり、東麓の山麓緩斜面は大霧山地と同様、谷に沿って連続する。山麓緩斜面の発達する上三沢、西側の黒谷はやはり地滑り地である。青砂二十三夜寺付近の地滑り性崩壊は沢に沿う細長い平面形を有し、風化層の青色粘土が滑剤となって厚さ1~2mの岩屑を動かし、1944年に家屋1軒を埋没した。
青砂-上三沢付近の蓑山山地斜面を刻む渓床に沿って地滑り性崩壊地の多発地帯である。すなわち忍沢、中ノ沢、三夜沢では上流に緩、下流に急で、遷急点以下に崩壊地が発生する。美ノ山部落付近の緩斜面も地滑りをこうむり亀裂を生じ1mの深さの沈下部がある。この付近を流下する浅間沢右支谷の上流山腹に北東向き、面積1,800m2の崩壊地がある。下三沢、スワ沢流域には滑動中(1mの滑動と亀裂をみる)の淵ノ尾地滑りがある。蓑山西斜面黒谷付近の和洞沢などには崩壊地も多く600~2,000m2の比較的大面積の崩壊は蛇灰岩の脆弱な岩質に起因する。笠山部落とその下方の山腹には亀裂がはいり地滑り性沈下減少をおこす。ここを流域とする杉沢には岸欠潰が多発する(※埼玉県 昭和32・33年度、昭和34年度崩壊地調査報告書)。
南端の曽根坂峠(292m)付近は、結晶片岩礫(径20cmの亜角礫)1.5m厚、火山灰質粘土層2m厚が関東ローム層に被われている。声を町田貞(※※ 表層地質説明書にも同様の生地がある。)はGt1+面に対比しているが、堆積状態から荒川ではなく支流の堆積物である。

大霧山地(1f) 東側は槻川上部の南北方向の縦谷によって境され、西は荒川、三沢川、横瀬川の南北方向の縦谷で、北は荒川の横谷部で切断されている。長瀞系の緑色又は黒色結晶片岩からなり、蛇紋岩等の緑色変成岩及び石灰岩岩脈を伴う。
主山稜は南北につらなる一条で北から釜伏山(600m)、登谷山(680m)、大霧山(766m)と次第に北に高く、図葉外南側で堂平山の南山稜と連絡し更に南に伸びて正丸峠から伊豆が嶽(851m)に達し、その南を名栗川の河谷が切断する。大霧山の真南、図葉外には定峰山の上流部を挟んで丸山(960m)がある。稜線は一般に鈍頂で釜伏山、登谷山、698m標高点など相対的凸所は比較的硬質緑色岩から成る。山腹を心従的に流下し刻む河川は短小で東又は西流する。この山地は他の古生層山地地区に比して著しい形態的特徴を有する。すなわち全体になだらかな山腹斜面をもつ従順形の山頂緩斜面の部分が多く、谷線に接して山麓緩斜面を拡げている。東斜面の山麓緩斜面は南北によくならび、上ノ山、大内沢付近ではケルンバット状凸部を避けて発達するので槻川上流-大内沢に沿う南北方向の断層による結晶片岩破砕部に重力侵蝕が卓越して生じたと解される。山頂山腹緩斜面と山麓緩斜面の表層の差異は概説に記述の如く火山灰性ローム層をのせるか否かにある。朝日根、栗和田、柴、上ノ山、和知湯、堂平、大内沢等、東麓にある集落はことごとく山麓緩斜面上にのっている。その基部は局部的に局部的に支谷の下刻によりかなりの急傾斜をしめす所もある。部落周囲の山麓緩斜面は耕地となり、角礫まじりの土壌が耕される。土じょうの匍行現象や土じょう侵蝕は、耕地一般に認められるが、東斜面の地滑り地は比較的少ない。

写真3 定峰峠の南にある峰の山頂緩斜面と南北走向に沿う浅谷(JPG:115KB)

朝日根-皆谷間の中の田沢は小溪ながら土砂流出量の大きいワル沢である。城峰峠から東に流下する奈田良沢では崩壊地が山腹、溪岸に発生し、流域上部は南側の野田川流域と共通の崖錐性斜面であり、図中では山腹緩斜面として示してある。栗和田川の源流部には緩斜面が発達し、支谷との合流点付近に1.4haの崩壊があり、山腹上部には約2haの地滑り跡地がある。栗和田川合流点付近右岸は昭和23年豪雨時、地滑り性崩壊を生じた。秋山南西の峰部落付近は昭和22年出水時に滑動した地滑りである。
風布川上流の扇沢付近の溪岸には押し出し型の大規模の崩壊地があり、小林北側の支沢は山腹45~50゜で崩壊が多く溪床には0.5~3m径の角礫が充填する。一般に片岩質の山麓緩斜面基部が渓流に現れる所は崩壊を生じ易い(※ 埼玉県河川課:昭和30年度砂防調査、崩壊地調査報告書)。

登谷山西斜面、二本木峠西斜面、大霧山東斜面の山頂山腹斜面には赤褐色の関東ロームが厚くあり、その上に黒色腐植土が載る。褐色ローム層は定峰峠など東、西斜面の山稜付近のコル状凹地にも付着し、時に4-5mの厚さを示すが、基盤の小角礫を混入することもある。
西斜面の山麓緩斜面は支谷上部に比較的まとまった広さを持ち、夫々は分散し定峰、日向、平草、小根などの集落を載せる。多くが地滑りの痕跡を持ち、現在も滑動する。二本木峠西側の日向にある緩斜面に沿う西落ちの地滑り地(※日向付近は緩斜面全体にわたり地滑り地形を呈し階段地、池沼、湧水地、明治34年豪雨以来地滑りが活発化した。地滑り防止区域台帳(埼玉県砂防課)によると日向地滑り面積を87haとしている。)は、巾80m、長さ130mで細流に南北両側を夫々囲まれた部分に発生し、地滑り頂部には高さ4mの崖があり、掛けしたに凹所があって中腹は凸部をなす。地表下1m付近の青色粘土層(緑色頁岩の風化層)が滑剤となり、表層の角礫質土壌を移動させる。明治43年以前には上部が滑り、以後下方に及び、年々徐々に滑動する。ここには150年以上経過した家屋があり、年々の滑動に家の修理や基礎工事を余儀なくされている。その他の地滑り地は能林、大棚(南縁部)、定峰峠西側のマチノタ入にあり、いずれも蛇紋岩又は片岩質の地滑りである。

三沢川源流、大霧山西斜面の渓床には明治43年豪雨時の押し出しが堆積し、三沢川流域には蛇紋岩採取場が散在し、ズリの堆積がある。日向対岸のオハヤシ沢山腹の面積3,600m2の崩壊地は1959年台風7号の際生じた。(※※ 埼玉県:昭和34年度崩壊地調査報告書)
下三沢に流入する芳の入沢の小沢にも面積2,300m2の地滑り性崩壊がある。新井付近で荒川に落ちる滝ノ沢上流の緩斜面に地滑りがあり、これに誘発された崩壊地が渓岸にある。定峰川左岸には、渓岸が急なため、高さ50~80mの崩壊地が生じている。定峰峠に通ずる車道に沿い道路敷設の際の開鑿に誘発された地滑り地(巾50m)、崩壊地(傾斜35゜、高さ50m)が認められた。

官倉山地(1g) 大霧山地の東にあって槻川の北岸にある山地。主稜線は西北-東南に走る単稜で中央に421m峰、東縁に官倉山(344m)がある。山体は殆ど輝緑凝灰岩より成り、稜線部は珪質岩、石灰岩、砂岩が構成する。稜線高度は400mを上下して一定せず、急斜面の多い晩壮年山形である。主稜線、北側直下には居養をのせる山麓緩斜面が稜線に平行して配列する部分が認められる。この部分は断層線に挟まれた緑色片岩の露出部と一致する(※ 表層地質図参照。)。標高点365mから北流する栃谷川の上流部には傾斜40~50゜で、新旧の崩壊が認められ、渓床に崩落土砂の埋積がある。栃谷川は明治43年の豪雨時に荒廃した川である。

堂平山地(1h) 槻川河谷に囲まれた図葉南東隅の山地であり最高所は堂平山(875m)、500m以下の部分はほぼ古生層輝緑凝灰岩、500m以上は緑色片岩から構成される。500m以下の山稜は数枚に分かれ北乃至東北東に走るがいずれも急峻、短小である。萩ノ平、栗山、七重には山麓緩斜面が分布し、緑色片岩体外縁に沿う断層線の部分とほぼ一致している。500m以上の頂稜部は笠山(842m)、堂平山の山体から成り、両者は相並んで双頭の峰をなす。図葉南東端には都幾川の河谷がはいり、集落は主に谷ぞいの平地又は山麓緩斜面をえらんで立地する。

萩平川は笠山北側の尾根に水源を持ち北に流れるが、上流部の緩斜面には地滑り性匍行がみられ、渓岸には崩壊地を生ずる。片岩山地の緩斜面はここでも重力侵蝕、地滑りが地形形成営力の主体であることを示す。向堀付近の菖蒲沢には側侵蝕による崩壊地があり、萩ノ平沢の谷口付近は珪岩採掘による急傾斜露岩地がある。この山地の図葉内都幾川斜面支谷は、古生層岩露出部が多く崩壊地も小面積である。

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3.2 秩父盆地(2)

尾田蒔丘陵地(21a) 秩父盆地の中央部にあって荒川及び赤平川に囲繞された部分の丘陵地。図葉内では稜線が4条平行して北北東-南南西方向に並び、従って丘陵内の支谷も平行する。南西縁(図葉外)に丘陵最高所(440m)があり、これから東にむかって稜線高度を次第に低下し北東縁で260mになる。丘陵に隣接する中位段丘面高度は南西側で260m、北東側で180mであるから、稜線に沿う傾斜に対して中位段丘面の傾斜は緩い。丘陵の地質は新第3系の砂岩、泥岩、又はそれ等の互層であり、丘陵頂緩斜部には第三紀層をきってその上に20~40mの厚さの砂礫層があり、その上部に厚さ12mほどの火山灰質ローム層を載せる(※ 図葉外、安立付近、第5図を参照)。礫層は礫径10~70cmの大小礫を乱雑に含む扇状地性氾濫原堆積物であり、秩父盆地形成初期の盆地床堆積物と推定される(※※ 砂礫層の層厚Gt1+工面西南端の図葉外、栗原付近で急減するので、町田貞はこの付近を扇頂とする扇状地堆積物と考えている。町田貞(1963)河岸段丘。)。ロームは褐色砂質壌土で、下層は風化の進んだ浮石層で浮石の構造がかなり破壊された白色粘土質層となっている。秩父盆地の位置から給源を西に求めれば八ヶ岳火山以外に考えにくい(※ ローム中の含有鉱物組成から八ヶ岳起源と考えている。羽鳥謙三、成瀬洋、関東西部の古期ロームの分布と鉱物組成、地質学雑誌63巻。)。この礫層とロームの存在、比高からこの緩斜面を最上位段丘面Gt1+とした。寄居図葉では、この面は21a地形区の南縁小鹿坂峠付近にみられる小面積が分布するに過ぎず、むしろ南に続く秩父図葉内に狭長ながら連続的に分布する。小鹿坂峠付近で、これより40m位低い位置の丘陵山腹に分布する上位段丘Gt1面は北部で丘陵頂平坦面となり、各丘陵塊の北縁近くに比較的まとまった面積を占める。いずれもほび海抜260~280mの位置にある。この面の断面は露頭不足のためやや不明確であるが、火山灰褐色ローム層と、Gt1+面と同様の白色粘土質浮石層を持つ。この面は海抜高度と平坦面の残存度から荒川東側の羊山段丘面に対比される。丘陵頂Gt1面の礫層下限ならびにローム層厚は不分明であるが、羊山段丘とほぼ同様(後述)と推定され、Gt1面は、盆地床原面であるGt1+面を盆地開析期に入って初めて生じた河岸段丘面である。
丘陵を構成する第三紀層の層厚と稜線方向はやや斜交するが、丘陵斜面には地層傾斜に平行の南おち20゜位の等斉斜面を示す所謂ケスタ地形が随所にみられる。丘陵内河谷の段丘面がその北側に偏在するのも地層傾斜に支配され、河流が南に偏向するためと考えられる。

第5図 秩父盆地段丘面(Gt1+、Gt1)表層断面図(JPG:64KB)

尾田蒔丘陵内を平行して流れる永森沢、篠葉沢は赤平川に、蒔田川は荒川に合流するが、いずれも沢筋に沿って多数の岸欠潰を発生している。篠葉沢流域には大小の岸欠潰が夥しく、河床の砂礫堆も多い。泥岩は急速に分解され浮遊物質となり排出される傾向がある(※※ 荒川、赤平川に沿って発達する中位段丘面は、そのまま篠葉沢、蒔田川に沿って内部に連続し、特に左岸北側に多く付着する。支谷内の段丘面では2~5m位の低い段丘崖に過ぎぬが、川はしきりに嵌入蛇行して岸欠潰をもたらす、段丘の発達のよい支谷ほどこの傾向が著しい。)。蒔田川は延長6.5km、流域面積8.87km2に過ぎぬが流域には比較的大面積の崩壊があり、明治43年、大正10年災害で崩壊面積が拡大され、現在もその傾向を保つ場合がある。蒔田、中蒔田間の丘陵斜面基部には面積1.5ha 1.3haにわたり泥岩層が崩落する。
赤平橋付近で南から合流する長留川は合流部の付近で著しい陥入蛇行を呈するため、蛇行の攻撃斜面で連続的に崩壊する。
丘陵の赤平川に面する斜面は、所々に規模の大きい崩壊地をつくる。いずれも蛇行の攻撃斜面にあたる場所である。小鹿野町対岸の岸欠潰は昭和22年の出水時に地滑り性崩壊を起こしている。古谷津-小判沢間の古洞沢内部には明治43年、大正10年の豪雨時に生成された崩壊が多く、堰提背後に土砂堆積が著しい。奈倉対岸の面積2.5haの崩壊地は俗称〈ヨウバケ〉と云い、松井田層の砂岩、泥岩層が常時剥落する。番戸南方の岸欠潰は面積2.4haである(※ 埼玉県:昭和34年度崩壊地調査報告書、No.8)。

羊山段丘(21b) 秩父市街の東に細長くのびる卓状台地で図葉内には北半部が含まれ、荒川と横瀬川との盆地内分水嶺をなして横たわる。盆地内の段丘面対比の上では、海抜高、台地面の残存の度合、表層の比較から上位台地Gt1面とした。海抜高290~240m、一般的な中位台地面との比高は約50mである。表層には褐色ローム層2~5m、ローム層には白色浮石層を挟み、以下10~12mの円礫、亜円礫(径5~10cm)の粗雑な堆積層であり、基盤は第三紀層を截る平坦な不整合面である。ロームの最表層は礫を散点するので二次的ローム層を含む模様である(※※ Gt1+面ではローム層厚が厚く、数枚の浮石層を挟み、最表層のロームも気成であるがGt1面では浮石層は、1枚、ローム層厚は比較的に薄く、最表層のロームに礫を混在し、ローム降下時に河流の影響があったとみられる。又礫層厚もGt1+面に比し、3分の1程度の厚さであり、中位、下位段丘ほど薄くはないが、やや堆積傾向を伴った河岸段丘とみなされる。)。秩父セメント工場では、これ等、上位段丘断面の各地層を採土し、セメント原料の一部(※※※小鹿坂峠付近のローム層もセメント原料の一部に採掘される。)に用いている。
羊山段丘の東縁の一部には段丘面の一般高度よりも高い丘陵が僅かに付着する。地形図の三角点285mの付近にあたる。
段丘稜線に平行する小谷〈峰沢〉は、図葉内で羊山を二条の台地に分ける。峰沢の谷の左岸山腹は1985年の台風による地滑り性崩壊をおこし押し出し砂礫が河道を塞いで上流側200mを池と化している。(※※※※ 埼玉県河川課:昭和32・33年度砂防調査、崩壊地調査報告書、No.7)

吉田丘陵地(21c) 吉田丘陵はほぼ西北西-東南東方向の主稜線を有し、赤平川段丘面にむけて南落ちの連続する急斜面を示し、北側に面して東西方向の短い支稜がほぼ平行しており、いわば櫛形の平面形を持つ。吉田町と小鹿野町の境界が丘陵頂部を通り、図葉外吉田町宮戸と小鹿野町和田を結ぶ頂陵の低い部分を車道が貫いている。図葉内は吉田丘陵の東半部である。図葉内稜線高度は一般に300~400mの高さを有し、斜面の地形は地層の硬軟と層理面の傾斜を反映して、いたる所でケスタ地形を呈する。小鹿野町層群の砂岩、礫岩又はそれ等の互層で、硬い砂岩が背面を構成する場合が多い。開析がすすみ稜線の凹凸は激しいが、首部沢(こうぶざわ)付近の稜線末端の240~250mには上位段丘Gt1面が附着する。
集落名と同じ名称を持つ首部沢、万場沢流域の斜面には最近発生した小崩壊地(※ 埼玉県 昭和34年度崩壊地調査報告書 No.8)があり、渓流は丘陵谷底部から赤平川段丘に続けて陥入蛇行を示すため岸欠潰が多い。

石間戸(いさまど)丘陵地(21d) 秩父盆地北縁の丘陵地で、北側の城峯山地が急に高度を低下した南縁にあたり、山地の古生層は逆断層を以て、石間戸丘陵地を構成する第三紀層に接している。これは石間戸付近の露頭において確認できる。秩父盆地の基盤をなす第三紀層のうち、相対的に古期の赤平層(又は宮戸層)の砂岩、礫岩、泥岩がこの丘陵を構成する。丘陵は、北側山地に発して赤平川又は吉田川にほぼ平行して流入する支流の河谷によって分断されているため、他の丘陵に見る様に一連の山陵線を示さない。定峰山地南麓に付着する小丘陵塊の切峰面的連結概念によって東西に細長い地形区を設定した。丘陵塊の高度は図葉西側で380m、中央付近で320~360mを上下し東端の前原で240mである。支谷によっては赤平川、吉田川段丘とT字形をなして連続する段丘面がみられ、古生層との接触部付近に山麓緩斜面(桜が谷、頼母沢、藤柴が載る)がみられる。一般に第三紀層丘陵地は古生層山地に比して、崩壊面積、流出土砂量ともに劣るが、小さな崩壊箇所数はかえって多い。この丘陵内部の崩壊は尾田蒔丘陵内部に比べて少ない。頼母沢、藤柴沢(同名の集落付近に流れる支沢)にはやや大きな崩壊がある。

秩父段丘(22a) 秩父盆地は、盆地床がすでに開析期に入っている所謂開析盆地であるため、、荒川を始めとする諸川が深く陥入して、平地の殆どは河岸段丘面となる。一般に中位(Gt2+、Gt2)段丘面が良く発達し、下位(Gt3)段丘面は局部的に発達するが、夫々の段丘面は更に2~5mの高さの段丘崖によって隔てられた数段の段丘面から成り立っているのが一般的である。秩父市街付近で中位段丘は河床との比高60m、下位段丘は河床との比高20~40mで両者は相ならんで階段状地形を呈し、いずれもローム層を被ってはいない。従って地表の微起伏が明確で、表土は砂礫質であり、旧河道跡が筋状の湿地性凹所となって残る。中位段丘の断面は表層が腐植層で0.5m厚、5~10cm径の亜円礫段丘堆積層が1~3m厚で(※ ただし、図葉外南に隣接する秩父影森付近ではGt2面において礫層厚が25mあり、局部的な基盤の撓下運動による厚層堆積現象と推定されている。 町田貞 (1063) 河岸段丘P.56)、以下は第三紀層水成岩基盤である。段丘面上の旧河道跡は、微細な段丘面毎の境界にあり、表層は細砂質で、排水不良のため必ず水田に利用されている。河原は川沿いに狭長な帯状部をなし、曲流袂状部にやや広い。滑走斜面では下位段丘面が小階段にわかれて徐々に高度が低下する。

写真4 三峠口付近(図葉外) 秩父盆地に面する階段断層崖(JPG:624KB)

秩父盆地の東縁はほぼ黒谷-出牛線であるが、宝登山、蓑山の間の東西性横谷部は河谷の巾が広く、皆野付近の段丘面が連続するのでこの地区の北東端を三沢川合流点付近にとった。北東端でGt2面は海抜150m、図葉南端、秩父市街地北部で220m、横瀬川との合流部で200mあり、皆野、下寺尾、大野原はまとまりのある広い平坦な段丘面を示す。Gt2+面は、尾田蒔丘陵麓、羊山段丘麓、肥土付近に狭長な平面形で付着し、Gt2面形成時の側侵蝕を免れた様な部分に残り、比高4~5mの段丘崖を持つ。Gt3面は秩父市街地の西側にまとまってあり、8~10mの高さの段丘崖で隔てられ、表面には段丘砂礫層が直接露出する。宮崎、大畑、永田の載る面がそれであり、その他のGt3面は小面積で、日野沢川出合など、局部的に分布するに過ぎない。

赤平川合流点上流側の左岸段丘崖には泥岩が、大淵対岸の右岸段丘崖には泥岩、礫岩が露出し、夫々面積2,500m2と8,750m2の岸欠潰を生ずる。(※ 埼玉県 昭和34年度崩壊地調査報告書 No.8)

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3.1 関東山地

城峰山地(1a) 神流川の河谷と秩父盆地の間にある古生層岩石から成る部分で、主峰は城峰山(1037.7m)、山稜は図葉外西に伸びて父不見山、二子山となり、志賀坂峠を横切る山中地溝帯に沿う凹所により、一たん南側を断たれる。古生層岩石はきわめて硬く、相対的に侵蝕がおくれて、平均傾斜、高度が大きく、幼年谷により開析される。山稜は起伏に富み、定高性を示さず、前輪廻地形の保存は良好でない。満壮年形山地の起伏量極大から晩壮年形山地に移行しつつある過程にある。殆どが急傾斜地であり、海抜500m以上は殆ど35°の傾斜を示し等斉斜面が基本的斜面形である。山地内各所に山麓面に由来する小面積の緩傾斜地がかなり多く散在する。又、山稜の凸部や山腹の平地には珪質岩の露出部(※ 珪質岩露出部の株は40°以上の傾斜を示す。)と一致する場合があり、珪質岩が侵蝕に対して抵抗的なため生じたと理解される。日野沢川の東西方向の直接河谷、阿熊川上流十二本入の北西方向の直線状河谷などは、岩石の節理方向の選択侵蝕の結果と考えられる。その他、破風山東から藤原西をとおる南北方向断層線(表層地質図参照)に沿って地形的にも稜線高度のくいちがいや急斜面が連続的に認められ、地質構造線に伴う侵蝕の鎖が地形にあらわれ山形をきわめて複雑にする。阿熊川上流と日野沢川源流との分水界において山麓緩斜面があり、地質構造線に従って選択侵蝕が付近に優先し、局部的に低い分水界を生じたと考える。海抜600m以下の比較的平坦所(山麓緩斜面)の主として南斜面には集落が定着し耕地が付随する。集落間の連絡路は主に歩道であり、日野沢の河谷など一部の集落は河谷に沿う小平地に分布する。
山地内の集落、耕地では、傾斜のための表層風化物質の徐動がみられ、一種の地滑り現象と認められる。門平、重木、田原、沢辺、若浜に地滑りが報告されている。耕地表層の黒色粘土層は、乾燥すると固く、水分を含むとすべり易くなる(※※ 1953年の長雨の際、この原因で地滑りがおきている)。この種の地滑りは粘板岩または輝緑凝灰岩の分布地域に多い。重木部落の緩斜面には明治43年に発生したと伝えられる亀裂があり、徐々に南に移動する。豪雨時には部落付近の地下水位が高まり、床下浸水をこうむる。
崩壊地は傾斜35°以上の斜面に主に面積500平方メートル以下の小規模の崩壊地(※※※ 崩壊面積は2000m2をこえるものはすくない、日野沢流域はスギ、ヒノキの育成が盛んで(明治以来)、造林管理の観念が発達している。)がみられ1km2あたり平均1~4箇所存在する。崩壊地の主原因は急傾斜にあるが、斜面長がさほど大きくなく、森林管理がよいため、顕著には発達していない。以下諸沢の例をあげる。

  • (1)(※※※※ 埼玉県河川課 昭和27年度砂防調査、崩壊地調査報告書、No.2 埼玉県河川課 昭和34年度崩壊地調査報告書 No.8)阿熊川流域では崩壊総面積6,900m2、崩壊数は10箇所以上ある。崩壊地面積が小さいため大規模な崖錐の発達はない。
  • (2) 風山の北に落ちる水潜沢の流域はほとんどチャートから成るが、巾70m、高さ80mの崩壊地が発生し0.1m系の角礫を多量に崩落し、女岳南側の金沢川上流金山沢源頭のカマバ沢には巾10m、高さ170mの崩壊地がある。
  • (3) 日野沢川最上流の門平沢の右岸側には大崩沢の崩壊のため溪床には砂礫が埋積し、上流側の清水沢では豪雨時礫を夥しく流下し、明治43年、昭和30年豪雨では部落、橋脚に被害を生じた。
  • (4) 滝ノ沢(図葉西縁 石間川に沢口で合流する)は昭和13年の出水の際に著しく砂礫が押し出し高さ5.5mの砂礫堆をつくる。石間戸のすぐ北西側から流入する毒ノ沢には、チャート、粘板岩の基盤を刻む崩壊面積4,300m2の崩壊が生じている。

御荷鉾山地(1b) 身馴川河谷から西の山地部分で、主として神流川流域に属する。長瀞系変成岩である緑色片岩と黒色片岩から成る。この山地の主部は、図葉西側にあって東御荷鉾山(1,246m)、西御荷鉾山(1,286m)、赤久縄山(1,522m)などの高位稜線が東西に続くが、図葉内では海抜500~600mの山稜が雨降山の末端山稜として含まれているに過ぎない。宇那室西の732m峰、男岳、女岳等中世層岩石露出部は相対的高所となって突起し山峰をつくる。神流川とその支流の三波川の渓谷に刻まれるため(※)、結晶片岩の山体に拘わらず比較的急斜面の多い晩壮年山形を呈し、肢節にも富んでいる。神流川左岸山地の南北断層に伴う地形は西面又は東面する一連の急斜地になり、結晶片岩山地においても構造線の制約は顕著である。緩斜面は城峰山地より大面積で山地内各所に散在して分布する。河谷に沿って山麓面に由来するものがやや顕著にあり、下久保、保美濃山、犬目などを載せる。身馴川流域、稲聚川、沢戸谷、平沢に沿い同種の山麓緩斜面が分布する。城峰山地と同様、この部分の緩斜面に一致して集落が分布する。比較的急傾斜の結晶片岩山体のため地滑り地はやや顕著である。神流川左岸の保美濃山、下久保、右岸の側では、沢戸、浦山、更木、鳥羽、高牛、浜野谷、柚木、住居野、稲沢対岸の山麓緩斜面上又はその周辺に地滑り地がある。ひとつの地滑り単為は1ha前後又はそれ以下の小面積で地滑り巾もほぼ70m以内である。更木、浦山の緩傾斜地の地滑り面積は比較的大きい。杉ノ峠に抜ける道路沿い沢戸東側には、断層破砕部(黒谷-出牛断層線がここを通過する)に沿い高さ80mの崩壊地があり、付近の沢は土砂流出量が大きいため、砂防ダムが築造されている。

※これらの河谷斜面基部は河川が陥入傾向を示すため傾斜40°をこえている。

写真2 御荷鉾山地内 浦山の山麓緩斜面(JPG:196KB)

不動山地(1e) 荒川北岸にあり身馴川河谷の東の部分にあたる結晶片岩から成る山地。稜線の平面形は円弧状で北に凸部をむけ、稜線硬度はほぼ一定で海抜500mを上下する。山体を刻む谷は稜線に直角方向の心従谷が平行に発達し、南に落ちる川は荒川に直接流入し、北に落ちる川は身馴川水系に属する。間瀬峠をとおって南北につづく直線状の谷又はこれに連なる急斜面と、小坂から間瀬峠の北側をぬけ杉ノ峠から阿久原背後につづく直線状のコル地形の連続は、夫々直行するが、断層によるものと考えられる、従ってこの部分には適従谷が認められる。不動山(549m)から西に落ちる向沢の源流には1.1haの東北落ち地滑りが、間瀬峠北斜面、榎峠東の北斜面に夫々小地滑り地がある。間瀬川は間瀬部落の下流側で締切られて農業用溜池となる(児玉堰堤)。

宝登山地(1d) 南西縁の宝登山地は構造谷にかこまれて孤立丘状をしめすので別の地形区としたが、不動山地と同様の結晶片岩山地である。宝登山の頂稜は15°ほとんどの緩斜面で火山灰質褐色ローム層を載せ、ドーム様山体を呈する。荒川をはさみ南側の蓑山山地の断面形も円錐状できわめて似た山形である。藤谷淵背後の山地の低夷部には北落ち片理を反映したケスタ地形の平行配列が認められる。山地斜面下部が荒川に直接侵蝕を受けている部分には蛇紋岩が露出し、金崎地滑り(又は尾坂地滑り)と云い、東西200m、南北400mの拡がりを有し、明治末期から移動が著しくなった。水制工事及び地滑り対策工事が行われているが、崩壊面積は6.2haとも計測されている(※ 埼玉県:昭和34年度崩壊地調査報告書。関東農政局:昭和38年度関東農政局管内地滑り防止事業調査報告書では25.1m2としている)。非活動地をはさんで2-3ヵ所にわかれブロック状に移動する。唐沢付近を流れる諏訪沢の源流部は、黒谷-出牛地質構造線に近く擾乱変質を受けた片岩地帯のため地滑り地及びそれに伴う崩壊地が頻発している。反対斜面の小六にも地滑り地がある。〈旭谷地滑り区域〉と称される。

蓑山山地(1e) 東側を三沢川の谷、西側を秩父盆地に接して黒谷-出牛の南北断層で絶たれ、紡錘状平面形を有する。蓑山(583m)の主稜は南北に長く鈍頂、山腹斜面はゆるやかである。結晶片岩山地であり、東麓の山麓緩斜面は大霧山地と同様、谷に沿って連続する。山麓緩斜面の発達する上三沢、西側の黒谷はやはり地滑り地である。青砂二十三夜寺付近の地滑り性崩壊は沢に沿う細長い平面形を有し、風化層の青色粘土が滑剤となって厚さ1~2mの岩屑を動かし、1944年に家屋1軒を埋没した。
青砂-上三沢付近の蓑山山地斜面を刻む渓床に沿って地滑り性崩壊地の多発地帯である。すなわち忍沢、中ノ沢、三夜沢では上流に緩、下流に急で、遷急点以下に崩壊地が発生する。美ノ山部落付近の緩斜面も地滑りをこうむり亀裂を生じ1mの深さの沈下部がある。この付近を流下する浅間沢右支谷の上流山腹に北東向き、面積1,800m2の崩壊地がある。下三沢、スワ沢流域には滑動中(1mの滑動と亀裂をみる)の淵ノ尾地滑りがある。蓑山西斜面黒谷付近の和洞沢などには崩壊地も多く600~2,000m2の比較的大面積の崩壊は蛇灰岩の脆弱な岩質に起因する。笠山部落とその下方の山腹には亀裂がはいり地滑り性沈下減少をおこす。ここを流域とする杉沢には岸欠潰が多発する(※埼玉県 昭和32・33年度、昭和34年度崩壊地調査報告書)。
南端の曽根坂峠(292m)付近は、結晶片岩礫(径20cmの亜角礫)1.5m厚、火山灰質粘土層2m厚が関東ローム層に被われている。声を町田貞(※※ 表層地質説明書にも同様の生地がある。)はGt1+面に対比しているが、堆積状態から荒川ではなく支流の堆積物である。

大霧山地(1f) 東側は槻川上部の南北方向の縦谷によって境され、西は荒川、三沢川、横瀬川の南北方向の縦谷で、北は荒川の横谷部で切断されている。長瀞系の緑色又は黒色結晶片岩からなり、蛇紋岩等の緑色変成岩及び石灰岩岩脈を伴う。
主山稜は南北につらなる一条で北から釜伏山(600m)、登谷山(680m)、大霧山(766m)と次第に北に高く、図葉外南側で堂平山の南山稜と連絡し更に南に伸びて正丸峠から伊豆が嶽(851m)に達し、その南を名栗川の河谷が切断する。大霧山の真南、図葉外には定峰山の上流部を挟んで丸山(960m)がある。稜線は一般に鈍頂で釜伏山、登谷山、698m標高点など相対的凸所は比較的硬質緑色岩から成る。山腹を心従的に流下し刻む河川は短小で東又は西流する。この山地は他の古生層山地地区に比して著しい形態的特徴を有する。すなわち全体になだらかな山腹斜面をもつ従順形の山頂緩斜面の部分が多く、谷線に接して山麓緩斜面を拡げている。東斜面の山麓緩斜面は南北によくならび、上ノ山、大内沢付近ではケルンバット状凸部を避けて発達するので槻川上流-大内沢に沿う南北方向の断層による結晶片岩破砕部に重力侵蝕が卓越して生じたと解される。山頂山腹緩斜面と山麓緩斜面の表層の差異は概説に記述の如く火山灰性ローム層をのせるか否かにある。朝日根、栗和田、柴、上ノ山、和知湯、堂平、大内沢等、東麓にある集落はことごとく山麓緩斜面上にのっている。その基部は局部的に局部的に支谷の下刻によりかなりの急傾斜をしめす所もある。部落周囲の山麓緩斜面は耕地となり、角礫まじりの土壌が耕される。土じょうの匍行現象や土じょう侵蝕は、耕地一般に認められるが、東斜面の地滑り地は比較的少ない。

写真3 定峰峠の南にある峰の山頂緩斜面と南北走向に沿う浅谷(JPG:115KB)

朝日根-皆谷間の中の田沢は小溪ながら土砂流出量の大きいワル沢である。城峰峠から東に流下する奈田良沢では崩壊地が山腹、溪岸に発生し、流域上部は南側の野田川流域と共通の崖錐性斜面であり、図中では山腹緩斜面として示してある。栗和田川の源流部には緩斜面が発達し、支谷との合流点付近に1.4haの崩壊があり、山腹上部には約2haの地滑り跡地がある。栗和田川合流点付近右岸は昭和23年豪雨時、地滑り性崩壊を生じた。秋山南西の峰部落付近は昭和22年出水時に滑動した地滑りである。
風布川上流の扇沢付近の溪岸には押し出し型の大規模の崩壊地があり、小林北側の支沢は山腹45~50゜で崩壊が多く溪床には0.5~3m径の角礫が充填する。一般に片岩質の山麓緩斜面基部が渓流に現れる所は崩壊を生じ易い(※ 埼玉県河川課:昭和30年度砂防調査、崩壊地調査報告書)。

登谷山西斜面、二本木峠西斜面、大霧山東斜面の山頂山腹斜面には赤褐色の関東ロームが厚くあり、その上に黒色腐植土が載る。褐色ローム層は定峰峠など東、西斜面の山稜付近のコル状凹地にも付着し、時に4-5mの厚さを示すが、基盤の小角礫を混入することもある。
西斜面の山麓緩斜面は支谷上部に比較的まとまった広さを持ち、夫々は分散し定峰、日向、平草、小根などの集落を載せる。多くが地滑りの痕跡を持ち、現在も滑動する。二本木峠西側の日向にある緩斜面に沿う西落ちの地滑り地(※日向付近は緩斜面全体にわたり地滑り地形を呈し階段地、池沼、湧水地、明治34年豪雨以来地滑りが活発化した。地滑り防止区域台帳(埼玉県砂防課)によると日向地滑り面積を87haとしている。)は、巾80m、長さ130mで細流に南北両側を夫々囲まれた部分に発生し、地滑り頂部には高さ4mの崖があり、掛けしたに凹所があって中腹は凸部をなす。地表下1m付近の青色粘土層(緑色頁岩の風化層)が滑剤となり、表層の角礫質土壌を移動させる。明治43年以前には上部が滑り、以後下方に及び、年々徐々に滑動する。ここには150年以上経過した家屋があり、年々の滑動に家の修理や基礎工事を余儀なくされている。その他の地滑り地は能林、大棚(南縁部)、定峰峠西側のマチノタ入にあり、いずれも蛇紋岩又は片岩質の地滑りである。

三沢川源流、大霧山西斜面の渓床には明治43年豪雨時の押し出しが堆積し、三沢川流域には蛇紋岩採取場が散在し、ズリの堆積がある。日向対岸のオハヤシ沢山腹の面積3,600m2の崩壊地は1959年台風7号の際生じた。(※※ 埼玉県:昭和34年度崩壊地調査報告書)
下三沢に流入する芳の入沢の小沢にも面積2,300m2の地滑り性崩壊がある。新井付近で荒川に落ちる滝ノ沢上流の緩斜面に地滑りがあり、これに誘発された崩壊地が渓岸にある。定峰川左岸には、渓岸が急なため、高さ50~80mの崩壊地が生じている。定峰峠に通ずる車道に沿い道路敷設の際の開鑿に誘発された地滑り地(巾50m)、崩壊地(傾斜35゜、高さ50m)が認められた。

官倉山地(1g) 大霧山地の東にあって槻川の北岸にある山地。主稜線は西北-東南に走る単稜で中央に421m峰、東縁に官倉山(344m)がある。山体は殆ど輝緑凝灰岩より成り、稜線部は珪質岩、石灰岩、砂岩が構成する。稜線高度は400mを上下して一定せず、急斜面の多い晩壮年山形である。主稜線、北側直下には居養をのせる山麓緩斜面が稜線に平行して配列する部分が認められる。この部分は断層線に挟まれた緑色片岩の露出部と一致する(※ 表層地質図参照。)。標高点365mから北流する栃谷川の上流部には傾斜40~50゜で、新旧の崩壊が認められ、渓床に崩落土砂の埋積がある。栃谷川は明治43年の豪雨時に荒廃した川である。

堂平山地(1h) 槻川河谷に囲まれた図葉南東隅の山地であり最高所は堂平山(875m)、500m以下の部分はほぼ古生層輝緑凝灰岩、500m以上は緑色片岩から構成される。500m以下の山稜は数枚に分かれ北乃至東北東に走るがいずれも急峻、短小である。萩ノ平、栗山、七重には山麓緩斜面が分布し、緑色片岩体外縁に沿う断層線の部分とほぼ一致している。500m以上の頂稜部は笠山(842m)、堂平山の山体から成り、両者は相並んで双頭の峰をなす。図葉南東端には都幾川の河谷がはいり、集落は主に谷ぞいの平地又は山麓緩斜面をえらんで立地する。

萩平川は笠山北側の尾根に水源を持ち北に流れるが、上流部の緩斜面には地滑り性匍行がみられ、渓岸には崩壊地を生ずる。片岩山地の緩斜面はここでも重力侵蝕、地滑りが地形形成営力の主体であることを示す。向堀付近の菖蒲沢には側侵蝕による崩壊地があり、萩ノ平沢の谷口付近は珪岩採掘による急傾斜露岩地がある。この山地の図葉内都幾川斜面支谷は、古生層岩露出部が多く崩壊地も小面積である。

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3.2 秩父盆地(2)

尾田蒔丘陵地(21a) 秩父盆地の中央部にあって荒川及び赤平川に囲繞された部分の丘陵地。図葉内では稜線が4条平行して北北東-南南西方向に並び、従って丘陵内の支谷も平行する。南西縁(図葉外)に丘陵最高所(440m)があり、これから東にむかって稜線高度を次第に低下し北東縁で260mになる。丘陵に隣接する中位段丘面高度は南西側で260m、北東側で180mであるから、稜線に沿う傾斜に対して中位段丘面の傾斜は緩い。丘陵の地質は新第3系の砂岩、泥岩、又はそれ等の互層であり、丘陵頂緩斜部には第三紀層をきってその上に20~40mの厚さの砂礫層があり、その上部に厚さ12mほどの火山灰質ローム層を載せる(※ 図葉外、安立付近、第5図を参照)。礫層は礫径10~70cmの大小礫を乱雑に含む扇状地性氾濫原堆積物であり、秩父盆地形成初期の盆地床堆積物と推定される(※※ 砂礫層の層厚Gt1+工面西南端の図葉外、栗原付近で急減するので、町田貞はこの付近を扇頂とする扇状地堆積物と考えている。町田貞(1963)河岸段丘。)。ロームは褐色砂質壌土で、下層は風化の進んだ浮石層で浮石の構造がかなり破壊された白色粘土質層となっている。秩父盆地の位置から給源を西に求めれば八ヶ岳火山以外に考えにくい(※ ローム中の含有鉱物組成から八ヶ岳起源と考えている。羽鳥謙三、成瀬洋、関東西部の古期ロームの分布と鉱物組成、地質学雑誌63巻。)。この礫層とロームの存在、比高からこの緩斜面を最上位段丘面Gt1+とした。寄居図葉では、この面は21a地形区の南縁小鹿坂峠付近にみられる小面積が分布するに過ぎず、むしろ南に続く秩父図葉内に狭長ながら連続的に分布する。小鹿坂峠付近で、これより40m位低い位置の丘陵山腹に分布する上位段丘Gt1面は北部で丘陵頂平坦面となり、各丘陵塊の北縁近くに比較的まとまった面積を占める。いずれもほび海抜260~280mの位置にある。この面の断面は露頭不足のためやや不明確であるが、火山灰褐色ローム層と、Gt1+面と同様の白色粘土質浮石層を持つ。この面は海抜高度と平坦面の残存度から荒川東側の羊山段丘面に対比される。丘陵頂Gt1面の礫層下限ならびにローム層厚は不分明であるが、羊山段丘とほぼ同様(後述)と推定され、Gt1面は、盆地床原面であるGt1+面を盆地開析期に入って初めて生じた河岸段丘面である。
丘陵を構成する第三紀層の層厚と稜線方向はやや斜交するが、丘陵斜面には地層傾斜に平行の南おち20゜位の等斉斜面を示す所謂ケスタ地形が随所にみられる。丘陵内河谷の段丘面がその北側に偏在するのも地層傾斜に支配され、河流が南に偏向するためと考えられる。

第5図 秩父盆地段丘面(Gt1+、Gt1)表層断面図(JPG:64KB)

尾田蒔丘陵内を平行して流れる永森沢、篠葉沢は赤平川に、蒔田川は荒川に合流するが、いずれも沢筋に沿って多数の岸欠潰を発生している。篠葉沢流域には大小の岸欠潰が夥しく、河床の砂礫堆も多い。泥岩は急速に分解され浮遊物質となり排出される傾向がある(※※ 荒川、赤平川に沿って発達する中位段丘面は、そのまま篠葉沢、蒔田川に沿って内部に連続し、特に左岸北側に多く付着する。支谷内の段丘面では2~5m位の低い段丘崖に過ぎぬが、川はしきりに嵌入蛇行して岸欠潰をもたらす、段丘の発達のよい支谷ほどこの傾向が著しい。)。蒔田川は延長6.5km、流域面積8.87km2に過ぎぬが流域には比較的大面積の崩壊があり、明治43年、大正10年災害で崩壊面積が拡大され、現在もその傾向を保つ場合がある。蒔田、中蒔田間の丘陵斜面基部には面積1.5ha 1.3haにわたり泥岩層が崩落する。
赤平橋付近で南から合流する長留川は合流部の付近で著しい陥入蛇行を呈するため、蛇行の攻撃斜面で連続的に崩壊する。
丘陵の赤平川に面する斜面は、所々に規模の大きい崩壊地をつくる。いずれも蛇行の攻撃斜面にあたる場所である。小鹿野町対岸の岸欠潰は昭和22年の出水時に地滑り性崩壊を起こしている。古谷津-小判沢間の古洞沢内部には明治43年、大正10年の豪雨時に生成された崩壊が多く、堰提背後に土砂堆積が著しい。奈倉対岸の面積2.5haの崩壊地は俗称〈ヨウバケ〉と云い、松井田層の砂岩、泥岩層が常時剥落する。番戸南方の岸欠潰は面積2.4haである(※ 埼玉県:昭和34年度崩壊地調査報告書、No.8)。

羊山段丘(21b) 秩父市街の東に細長くのびる卓状台地で図葉内には北半部が含まれ、荒川と横瀬川との盆地内分水嶺をなして横たわる。盆地内の段丘面対比の上では、海抜高、台地面の残存の度合、表層の比較から上位台地Gt1面とした。海抜高290~240m、一般的な中位台地面との比高は約50mである。表層には褐色ローム層2~5m、ローム層には白色浮石層を挟み、以下10~12mの円礫、亜円礫(径5~10cm)の粗雑な堆積層であり、基盤は第三紀層を截る平坦な不整合面である。ロームの最表層は礫を散点するので二次的ローム層を含む模様である(※※ Gt1+面ではローム層厚が厚く、数枚の浮石層を挟み、最表層のロームも気成であるがGt1面では浮石層は、1枚、ローム層厚は比較的に薄く、最表層のロームに礫を混在し、ローム降下時に河流の影響があったとみられる。又礫層厚もGt1+面に比し、3分の1程度の厚さであり、中位、下位段丘ほど薄くはないが、やや堆積傾向を伴った河岸段丘とみなされる。)。秩父セメント工場では、これ等、上位段丘断面の各地層を採土し、セメント原料の一部(※※※小鹿坂峠付近のローム層もセメント原料の一部に採掘される。)に用いている。
羊山段丘の東縁の一部には段丘面の一般高度よりも高い丘陵が僅かに付着する。地形図の三角点285mの付近にあたる。
段丘稜線に平行する小谷〈峰沢〉は、図葉内で羊山を二条の台地に分ける。峰沢の谷の左岸山腹は1985年の台風による地滑り性崩壊をおこし押し出し砂礫が河道を塞いで上流側200mを池と化している。(※※※※ 埼玉県河川課:昭和32・33年度砂防調査、崩壊地調査報告書、No.7)

吉田丘陵地(21c) 吉田丘陵はほぼ西北西-東南東方向の主稜線を有し、赤平川段丘面にむけて南落ちの連続する急斜面を示し、北側に面して東西方向の短い支稜がほぼ平行しており、いわば櫛形の平面形を持つ。吉田町と小鹿野町の境界が丘陵頂部を通り、図葉外吉田町宮戸と小鹿野町和田を結ぶ頂陵の低い部分を車道が貫いている。図葉内は吉田丘陵の東半部である。図葉内稜線高度は一般に300~400mの高さを有し、斜面の地形は地層の硬軟と層理面の傾斜を反映して、いたる所でケスタ地形を呈する。小鹿野町層群の砂岩、礫岩又はそれ等の互層で、硬い砂岩が背面を構成する場合が多い。開析がすすみ稜線の凹凸は激しいが、首部沢(こうぶざわ)付近の稜線末端の240~250mには上位段丘Gt1面が附着する。
集落名と同じ名称を持つ首部沢、万場沢流域の斜面には最近発生した小崩壊地(※ 埼玉県 昭和34年度崩壊地調査報告書 No.8)があり、渓流は丘陵谷底部から赤平川段丘に続けて陥入蛇行を示すため岸欠潰が多い。

石間戸(いさまど)丘陵地(21d) 秩父盆地北縁の丘陵地で、北側の城峯山地が急に高度を低下した南縁にあたり、山地の古生層は逆断層を以て、石間戸丘陵地を構成する第三紀層に接している。これは石間戸付近の露頭において確認できる。秩父盆地の基盤をなす第三紀層のうち、相対的に古期の赤平層(又は宮戸層)の砂岩、礫岩、泥岩がこの丘陵を構成する。丘陵は、北側山地に発して赤平川又は吉田川にほぼ平行して流入する支流の河谷によって分断されているため、他の丘陵に見る様に一連の山陵線を示さない。定峰山地南麓に付着する小丘陵塊の切峰面的連結概念によって東西に細長い地形区を設定した。丘陵塊の高度は図葉西側で380m、中央付近で320~360mを上下し東端の前原で240mである。支谷によっては赤平川、吉田川段丘とT字形をなして連続する段丘面がみられ、古生層との接触部付近に山麓緩斜面(桜が谷、頼母沢、藤柴が載る)がみられる。一般に第三紀層丘陵地は古生層山地に比して、崩壊面積、流出土砂量ともに劣るが、小さな崩壊箇所数はかえって多い。この丘陵内部の崩壊は尾田蒔丘陵内部に比べて少ない。頼母沢、藤柴沢(同名の集落付近に流れる支沢)にはやや大きな崩壊がある。

秩父段丘(22a) 秩父盆地は、盆地床がすでに開析期に入っている所謂開析盆地であるため、、荒川を始めとする諸川が深く陥入して、平地の殆どは河岸段丘面となる。一般に中位(Gt2+、Gt2)段丘面が良く発達し、下位(Gt3)段丘面は局部的に発達するが、夫々の段丘面は更に2~5mの高さの段丘崖によって隔てられた数段の段丘面から成り立っているのが一般的である。秩父市街付近で中位段丘は河床との比高60m、下位段丘は河床との比高20~40mで両者は相ならんで階段状地形を呈し、いずれもローム層を被ってはいない。従って地表の微起伏が明確で、表土は砂礫質であり、旧河道跡が筋状の湿地性凹所となって残る。中位段丘の断面は表層が腐植層で0.5m厚、5~10cm径の亜円礫段丘堆積層が1~3m厚で(※ ただし、図葉外南に隣接する秩父影森付近ではGt2面において礫層厚が25mあり、局部的な基盤の撓下運動による厚層堆積現象と推定されている。 町田貞 (1063) 河岸段丘P.56)、以下は第三紀層水成岩基盤である。段丘面上の旧河道跡は、微細な段丘面毎の境界にあり、表層は細砂質で、排水不良のため必ず水田に利用されている。河原は川沿いに狭長な帯状部をなし、曲流袂状部にやや広い。滑走斜面では下位段丘面が小階段にわかれて徐々に高度が低下する。

写真4 三峠口付近(図葉外) 秩父盆地に面する階段断層崖(JPG:624KB)

秩父盆地の東縁はほぼ黒谷-出牛線であるが、宝登山、蓑山の間の東西性横谷部は河谷の巾が広く、皆野付近の段丘面が連続するのでこの地区の北東端を三沢川合流点付近にとった。北東端でGt2面は海抜150m、図葉南端、秩父市街地北部で220m、横瀬川との合流部で200mあり、皆野、下寺尾、大野原はまとまりのある広い平坦な段丘面を示す。Gt2+面は、尾田蒔丘陵麓、羊山段丘麓、肥土付近に狭長な平面形で付着し、Gt2面形成時の側侵蝕を免れた様な部分に残り、比高4~5mの段丘崖を持つ。Gt3面は秩父市街地の西側にまとまってあり、8~10mの高さの段丘崖で隔てられ、表面には段丘砂礫層が直接露出する。宮崎、大畑、永田の載る面がそれであり、その他のGt3面は小面積で、日野沢川出合など、局部的に分布するに過ぎない。

赤平川合流点上流側の左岸段丘崖には泥岩が、大淵対岸の右岸段丘崖には泥岩、礫岩が露出し、夫々面積2,500m2と8,750m2の岸欠潰を生ずる。(※ 埼玉県 昭和34年度崩壊地調査報告書 No.8)

赤平川段丘(Gt22b) 秩父盆地西縁の赤平川に沿って巾広い段丘面が発達し、赤平川の支流である吉田川、長留川、伊豆沢川、河原沢川、薄川、小森川(伊豆沢川以下は図葉外)に沿っても段丘面は連続する。小鹿の町の主要部落を始め、段丘上には集落、主要道路、耕地の大部分が位置する。段丘の大部分はGt2段丘面で、河谷に沿って連続性は好い。吉田川の合流する付近は、中位段丘の相対的下位に沖積面よりの比高数mの2-3段の段丘面が付着し、氾濫原の巾も大きくなる。この部分は陥入曲流が著しく、Gt2段丘の一部は環流丘陵を呈する。Gt2面形成後、側方侵蝕が卓越し、河道振巾の大きかった部分と認められる。より下位の段丘面は1m厚の礫層が第三紀層の平坦な不整合面上にのる。中位段丘の海抜高は上流(図葉外西側)で290m、奈倉で220m、暮坪で210m、太田で180m、荒川合流付近で160~170m、川に面する崖高は20-30m、礫層は一般に1-3m厚、5m以上は部分的にみられるに過ぎない。5~10cm径の亜角礫、亜円礫質の段丘礫からなる。崖高は各支流河川に沿って異なり、小規模な河川ほど小さい。下位段丘の発達は上記吉田川の合流点の他、各支流、河原沢川、薄川と赤平川との合流点、薄川と小森川との合流点付近に認められ、地盤の間歇的隆起が側方侵蝕力の大きい部分に敏感であることを物語る。河川の側方侵蝕による岸欠潰は曲流水衝部において増水期に拡大する可能性がある。
赤平川のGt2段丘では、吉田町東北方の久長、富田付近、吉田町南方の奈倉、藤六付近で谷巾が狭まると共に、段丘堆積物が減少し、1m厚さ以下となる。吉田川沿いでも布里北方の狭隘部出口では砂礫層を殆ど載せていないが、吉田町に近づくにつれ堆積物の厚さが増し1m以上となる。一般に腐植層の発達は悪く、表土も深くない。暮坪北方では層厚4~5mの亜円礫層上部に数10cmの厚さの灰褐色粘土層が堆積している。この粘土層は丘陵斜面近くで厚くなり、小暮西南方では4以上に達するため付近の耕地の排水に問題がある。
Gt2段丘面は全くの平坦面ではなく丘陵麓に接し小さな崖錐や麓屑に被われその末端には地下水が露出する場合や、旧河道など段丘面上の低凹所に地下水面が露出して水田に利用される。沖積低地の発達はきわめて悪いが、赤平川、荒川の合流点、赤平川、吉田川の合流点付近では河床勾配が減じ、小規模な谷底平野が形成され、吉田町の主部もこの低地に立地している。ここでは明治以降の冠水の記録があるが、平水時河床との比高は3mで、砂礫層被覆が1.5m、下に基盤が露出し、下位段丘状の地形を呈している。
吉田川に沿う岸欠潰は赤柴付近より河流の嵌入蛇行が激しくなる攻撃斜面の部分に大規模のものがある。席付近の流れる関川が吉田川に合流する手前でも岸欠壊が両岸に発生している。

横瀬川段丘及丘陵地(22c) 横瀬川は武甲山及び妻坂峠付近の山腹に発現し、秩父盆地西縁を流れて荒川に合流する。この地形区は羊山段丘の西にあたり、横瀬川によって浅く陥入をうけた中位段丘Gt2面を主とするが、東側は大霧山地の蒸籠区に付着する丘陵を含めた。図葉外南側にも武甲山の北麓にあたり第三系丘陵が付着する。図葉外南側の下郷-中郷間の西半の段丘面は、羊山段丘の侵蝕谷内に貯水された溜池によってやや広い面積が水田となる。横瀬川沿いの氾濫原は図葉外南に巾広く、図葉内においては陥入して巾狭い。段丘面は概ね一段で荒川沿岸の如く微細な階段はない。定峰川の合流する付近までは、上流側で海抜230m、河流川で220m、定峰川の北側で海抜180m~200mであり、段丘面勾配はきわめて小さい。秩父段丘は羊山段丘をはさんでの対称点付近で相対的に10m位低い。定峰川を合流する付近は嵌入曲流が両川ともに著しくなり、下位段丘が合流点上、河流にかけてややまとまって発達する。やや規模の大きい岸欠潰もこの付近に三カ所ほど発生する。

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3.3 山地河谷(3)

野上段丘(3a) 大霧山地と不動山地の間を荒川が北に凸部をむけて転回しながら流れる河谷部分であり、現河流は河谷底の段丘面を更に刻み峡谷をなして流れる。宮沢から坂本に至る間の横谷部は、段丘面の巾は狭いが辛うじて連続している。(※ 段丘面の最狭部は矢那瀬-堯田間で、両岸に下位段丘が付着するが、この場所の河谷の巾は、250mである。)横谷部の主要な段丘面は中位(Gt2)段丘であるが上下流を通じ、その間の海抜高は130mで殆ど変化をみせない。即ち河床高度もほぼ一定と考えられ、横谷部は平坦性に特色がある。
上流側の南北方向の谷の部分は北縁で130m以上、南縁、藤谷淵で150mと徐々に高度をあげる。樋口付近の段丘面上には旧河道に由来する帯状の湿地が分布する。樋口付近から上長瀞にかけての河床は、通称「岩畳み」と呼ぶ結晶片岩の川蝕面である岩石河原があり、平水位上5~6mの高さに位置している。岩石河原には所々に薄い砂が載る。樋口付近の曲流部には高さ3~5m、5~10cm径の砂礫からなるやや著大な砂礫堆があり、洪水堆積物の貯溜と考えられる。樋口背後には上位段丘が付着し、海抜140~180m付近の緩斜面がそれにあたり、その基部には小坂部落がン留。海抜210m以下は山麓緩斜面地形を呈するが、Gt1+段丘面が表面侵蝕によって緩傾斜したとも考えられる。横谷内部にGt1+面に相当する段丘面は明瞭ではないが、上記の他に、岩田付近(荒川右岸)190mのところにGt1+面と覚しい段丘面の残存が記されている(※※ 町田貞 (1963)河岸段丘P.51)。小坂の海抜170mふきんの井戸堀鑿の聞き込み資料によると、表層1mは火山灰質褐色ローム層、その下2m厚がシルト質砂、以下12mの厚さの砂礫層が載り、結晶片岩風化層となる。秩父盆地の上位段丘礫層に匹敵する厚さを有するが、樋口付近は現河床にも砂礫堆がある様に堆積ポケット的位置のためとも考えられる。上位段丘は波久礼対岸にも付着し、海抜120~140m、ローム層厚2.0~2.3m、5cm厚の浮石層を2枚はさむ。高さ10mの崖で中位段丘に接する。

国神段丘・丘陵地(3b) 黒谷-国神-出牛を結ぶ結晶片岩山地の西側を限る地質構造線に沿う南北性河谷の金沢川とこれに直交する日野沢河谷とに沿う地形区で、河谷床の段丘とその周囲の丘陵地からなる。
天沢-出牛間の谷中分水界を境に身馴川河谷が連続する。荒川に沿う段丘面とT字形をなして中段位面が連続するが、日野沢川は曲流半径がやや大きく、金沢川は細かい曲流が発達しいずれも段丘面を著しく分断している。国神対岸の曲流跡のかこむ環流丘陵は顕著である。下流側の国神、柴岡付近の段丘面高度は海抜160~180m、上流の金沢付近で250m、谷中分水界で海抜260m、支流の日野沢側では日野付近で段丘面高度は200mである。段丘堆積物の厚さは50cm位できわめて薄く、段丘崖高は上流ほど小さく4~5mとなる。この部分は周辺の山地の古期岩層に対して、第三紀の礫岩、左岸がはめこまれた様な形で分布し、丘陵、段丘ともに第三紀層を基盤とする。河谷の平面形が方角状を呈するのは、断層又は節理を選択侵蝕した結果と考えられる。コンピラ沢(橋爪-岩鼻間、宝登山側の支谷)には小地滑り地がある。

身馴川河谷(3c) 身馴川は3bとの谷中分水界から北東に流れる川で、図葉内では結晶片岩山地を主な流域とし、平野に出てから東の小平川、秋山川を合わせ本庄の東を経て小山川に合流する。この河谷の特色は巾狭い沖積平地が150~250m巾の谷底を充たして連続的に分布するが、図葉内の他の河谷に一般的な段丘面の発達に乏しい。却って上流部分水界付近の西南方、出牛、加増付近に小規模の段丘が分布する。支流の稲聚川、平沢の沿岸には山麓緩斜面が分布する。地形区としては谷底低地と谷に沿う低い丘陵性山地を含めた。谷底の表層は径1cmの青白色砂礫層20~30cm厚で明治以降数回冠水している部分では砂地がみられる。太駄では平水時の谷底は平野面を2.5m刻むが、明治43年洪水(※ 明治43年洪水の冠水域は、沖積面の殆どをかぶった模様で、当時の河床は現河床より1mほど低く、出水量の規模はその後の台風に伴う豪雨による増水に比し、はるかに大きかった。)では、家屋流出の害を受けた。谷底平地は北の元田東方付近(夏期の河流伏流地点)から山地を離れて扇状地性氾濫原となる。谷底平野は、現河床にむかって低い階段を刻みながら低下し、縦断面においても処々に急斜部が挟まり、その表面は全くの平坦面ではない。現河床も明治以降既に1m以上上昇している区間や、河床が低下して現河床と谷底平野との比高が3~4mに達するところもある。近年殊に戦後施工された砂防堰堤や床固めにより、河床の昇降は最近では余りない。身馴川は流域山地の隆起が著しくなく荒川水系でないため、隆起の影響が殆どみられず、段丘の発達が悪い。源頭の中生層岩石の女岳付近は崩壊が多く、その他の結晶片岩山地には既述の如く地滑り地が多く、又身馴川自身も蛇行流を示し攻撃斜面に岸欠潰を生じやすい等の条件があって、谷底への土砂供給は自然的には多量である。

鬼石段丘(神流川段丘)(3e) 神流川は、図葉内河川の内では荒川についで流長が長く西方十石峠に発現し、関東山地北部を荒川にほぼ平行して西から東に流れ、図葉北西縁で方向を北北東に換えて図要害で平野に出、新町東で烏川に合流する。神流川は山地内部の河谷において段丘面の発達はよくないが、流向を変えて後は急に巾広段丘面を発達させている。鬼石付近の段丘は山地内河谷沿いの山麓緩斜面地形と藤岡付近の台地性平野とをつなぐ連結部にあたる。段丘面は3段認められ鬼石町市街の載る下位段丘面は海抜140~150mで下流方向に連続し、上流側の阿久原、譲原には海抜160~170mの中位段丘と海抜180~220mの上位段丘とがある。鬼石町の下位段丘の西側背後には小規模の上・中位段丘があり、上位段丘面背後と山地傾斜面との間には崖錐様の山麓面が付随する。これらの内下位段丘は荒川沿いの野上付近の中位段丘と同高度を示し、上位段丘高度は秩父盆地のものよりはるかに低く、荒川沿いに相当高度のものを明らかには求め難いが、上位段丘上には火山灰質褐色ローム層を(※ 阿久原付近ではノッペ土(赤土)と呼ぶ)明らかに載せる。支谷の三波川に沿っても下位段丘、上位段丘が追跡されるが、いずれも小面積が散在する。
鬼石段丘のGt3面はかなり普遍的に分布する地形面であるので、荒川沿いの普遍的な段丘面Gt2面と形成時代的に同一面ではないかと思われる。但し神流川河床との比高は4~8mであるため、土地の性質上Gt3面として取り扱った。Gt2面とGt3面との比高も数mの崖によって境されるに過ぎず、Gt2面上には二次的火山灰ロームとおぼしい褐色土層が局部的にある。ここのGt2面は時代的には荒川のGt2+面に、Gt1面は荒川沿いの同じ面に対比されると考えたい。鬼石段丘の付近は出牛から杉ノ峠を通る断層線及び鬼石町背後の山腹をきる断層線など南北方向の構造線及び前述の阿久原背後をとおる東西性断層線のため岩石が破砕され側侵蝕が有効に働いた為、河谷巾が急に広く、段丘面が発達したもので、一種の断層線谷型盆地とも云えよう。

三沢川河谷(3e) 荒川に合流する三沢川の谷床は、大霧山地と蓑山山地の間の最低所にあって、谷底の巾は200~300m、段丘はなく氾濫原平地を主とする。荒川沿いの段丘との間、平地の高さは連続するが、三沢川の遷移点は谷の出口に近い下三沢のやや下流にある。遷移点よりしたでは河谷沿いに荒川段丘に連続する段丘が付着する。谷頭の分水界は曽根坂峠(292m)及びその南の峠(280m)にあり、谷底高度は上三沢で240m、下三沢で200m、谷口の線状で180m、支谷としては傾斜は著しく緩やかであり、谷頭が異常に低くかつ谷が南北方向をとることは、構造線の適従谷であることを示す。谷をはさむ東西両斜面とも地滑り地でそのための崩壊が多発するので土砂の供給はやや多い。中位段丘形成後の侵蝕の回春は未だ谷口部に過ぎず、谷頭部の風隙状の低所は、曽根坂峠付近の上位段丘礫層(前述)の存在と相うち、上位段丘形成後の地盤隆起による三沢川上流部の古い時期の切断など異常現象のあったことを推定させる。

槻川低地(3f) 槻川は図葉東南部の水系で、谷頭分水界は細谷の南にあたる白石峠(763m)にあり、これに発し南北方向の直線状河谷を北流した後、北から大内沢を合わせる部落で鋭く流路を回転して東流する。図葉外に出て小川町を経てから東南流し、都幾川を併せる。上流部の南北河谷は大霧山地と堂平山地の境の断層線に沿う適従谷である。槻川谷底は沖積低地を主とし、段丘面の発達に乏しい。小川付近において支川の谷底を合わせて急に谷巾の拡がる部分までの山間の河谷をこの地形区とした。谷床高度は谷底が巾を有し始める白石付近で340m、落合で160m、小川盆地に接する付近で100mである。東流する部分の谷底傾斜はゆるく谷巾は広く壮年谷形を呈する。全体の谷の方向は官倉山地の地質構造及び山陵線に平行し、局部的には山崎付近の石灰岩露出地で、侵蝕に強い同岩の硬さに影響されて著しく曲流している。平地の表層は砂礫質であり、河原の礫径は落合で径10cm、奥沢で径2cmと急に小さくなる。奥沢、青木の下位段丘面上では地下水面は地表下6~12mにあるが、河の水面は平水時、沖積地を1~2m刻むに過ぎない。これが地下水面と連続しているとすれば、北の山麓に向かってかなりの地下水面の勾配を持つことが考えられる(※ 低地の地下水面は地表下4~6mにあり、河水面よりやや深いので、沖積礫層厚8~10mくらいが堆積していると推察される)。昭和22年洪水(キティ台風)の時は低地内各所で冠水、欠潰障害を生じ、明治43年洪水時には流路が60mずれて自然に変更された(帯沢-安戸の間)。岸欠潰や流路変更は川の蛇行現象に原因がある。
落合より上流側では谷底の両岸に山麓緩斜面は崖錐がせまり、集落の殆どはこれらに位置している。谷底平地は両岸に巾50~60mずつあり、河床より3m位の高さの堤防で保護され水田となる。

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4.4 関東平野西縁台地丘陵地

鐘撞堂山丘陵地(41a) 荒川左岸、不動山山地の東側及び北側をとりまき一段低位の稜線を持つ丘陵性山地である。地質は不動山山地と同じく黒色片岩を主とし一部に緑色片岩がある。概ね海抜200~220mに稜線高度が揃っており、鐘撞堂山の付近は一般高度をぬき海抜330mの残丘状の突起部を呈する。開析が進み肢節はきわめて複雑であるが、円良田の谷(逆川又は円良田川という)はほぼ南北方向を持ち、北縁で白石川との間に谷中分水界(190m)があり、谷床は上流で180m、下流側で160mできわめて低平であり、現在荒川に落ちる逆川は大正寺の背後で白石川のかつての谷頭を截頭して河道が延長したと考えられる。逆川の下流部は締め切られて農業用溜池となる。(※ 1955年には既に完成していた。円良田湖(寄居溜池)。大里郡西部、児玉郡西部の560haの農業用水補給用の溜池。)丘陵内の谷に面する斜面麓部では1947年キティ台風時に発生した高さ数mの小崩壊地、小地滑り地がかなり多く分布する(※※ 円良田字峯部落では、伊勢湾台風時に急斜面に崩壊が起こり、村路を崩壊寸前にした)。谷底は2.5m以上の厚さの亜角礫質堆積物に埋積される。この丘陵内部の谷に沿って円良田、白石、秋山、深田谷、李沢などの集落が立地する。南東端の山崎背後の斜面には、(6m)2位の小地滑りが数ヶ所あり、その押し出し土砂が民家に驚異を与えたことがある(※※※ 地滑りは1950年頃に発生した。)。鐘撞堂山南斜面に源流を持つ天沼川の上流には小崩壊地が多発し、支川の李沢の源頭には地滑り性崩壊地がある。この山地は高度が低いに拘わらず片岩山地のため地滑り崩壊地が多発している点に特色がある。

比企丘陵地(42a) 荒川右岸側にあり、大霧山地、官倉山地の前山をなしてその東側及び東北側に付着するが、東側は図葉外松山付近にまで丘陵塊がのびている。地質構造方向はほぼ東西性で、結晶片岩、閃緑岩(花崗質岩)、第三紀層礫岩より成り、東山(226m)、金勝山(263m)など周辺に比し相対的に高い部分は閃緑岩から成る。一般的な稜線高度は180~200m、丘陵はいたる所で槻川支流の兜川、荒川に落ちる吉野川、塩沢川、深沢川等の河谷によって小丘陵塊に分割され、肢節の複雑さは鐘撞堂山丘陵より更に著しい。折原駅付近から小川町に出る深沢支流と兜川の谷とは、西北西-東南東方向をとり直線状に連続し地質構造に平行する。この谷の小川町付近には低位段丘が付着し、折原駅付近の谷には荒川沿岸の中位段丘につながる地形面が谷底を形成して、谷中分水界は五ノ坪付近にある。丘陵内の集落は小村で、谷底、山麓緩斜面に散在して分布する。木呂平から露梨子付近に出る塩沢川の谷上流部は、火薬庫など戦時中の軍施設の築造のため、谷底は埋立地となり、山腹の堀作された後が随所にある。東上線が丘陵を横切る吉野川の谷には川の側蝕による小崩壊と鉄道敷設の掘削による小崩壊がある。

五ノ坪付近の丘陵東斜面に1haの片岩の地滑り地形があり、昭和22年の出水時には家屋に土砂が押し出した。深沢川支流、三品川上流に崩壊地が、西斜面に発生し(地形分類図所載)三品部落に合流する高柳沢源流には、1haの片岩地滑りが亀裂を生じている。(※ 埼玉県:昭和35年度砂防調査、崩壊地調査報告書)。

松久丘陵地(42a) 荒川左側にあり、鐘撞堂山丘陵地の北側山麓前地をなし、東には櫛挽原台地が接する。きわめて低夷な丘陵地(丘陵地背面を図中では山麓緩斜面とした)と台地、低地の複雑に入り組んだ配合を示す地形区であり、白石川、秋山川を初め排水系が北に向かう点が、櫛挽原台地のそれが東に向かう点と異なっている。この低夷丘陵は図葉外北側に伸びて諏訪山(海抜112m)、山崎山(海抜116m)となり、周辺台地より40mほど高い。図葉内では南側4aの山麓にっ接しいて海抜120~130mであり、丘陵背面はきわめてなだらかな円丘状斜面を呈し、隣接する台地との間は漸移的である。41a、42bの丘陵稜線の一般面である180~220m面とは、高度、形態に明瞭な差があり、これの一段下に位する侵食面と考えて、山麓緩斜面でその丘陵背面を表示した。地質は新第三系の砂岩、泥岩互層、頁岩層、凝灰岩層よりなり、概して侵蝕のすすみの早いがんそうであるので、このような従順山形を比較的速やかに呈するに至ったものと解される。台地と谷低地、丘陵地と台地の隣接する部分の比高は3~5mであるが、櫛晩原台地と谷底平地の接する部分で0.3~0.7mである。谷底低地は狭長で、表層は灰色シルト、黒色粘土が1m前後の厚さであり、以下は片岩礫を含む小礫層で帯水層となる。丘陵背面には褐色ローム層が1.5m位の厚さでつき、その下にチャート礫をまじえる径2~5cmの小礫層が1~1.5mの厚さで地表に平行して付着している場合がみとめられる。これを浅見山砂礫層・物見山砂礫層などと呼び、秩父盆地のGt+1面上の礫層(尾田蒔礫層)に対比している。(※ 藤本治義:日本地方地質誌 関東地方)。台地では表層に黒色腐植層、その下が褐色ローム層で、合計の厚さは2m弱である。台地の内には(小栗付近)粘性の大きいシルト質粘土が厚い部分がある。台地礫層上部には脆弱な結晶片岩風化礫層が特徴的にあり、通称〈ゴンベエ〉と呼ばれている。

櫛晩原台地(42b) 寄居町の市街地北1km地点を要として、荒川左岸に拡がる隆起扇状地性台地である。台地東縁は熊谷、深谷の間の国鉄線付近にまでせまり、概して扇形の広がりを示す。図葉内では扇頂部海抜工100m、北東方向に緩やかに傾斜し図葉東北角で海抜75m、その間の主軸の長さ6.4km傾斜4‰であり、平坦性は良好である。台地東縁の海抜高は50m、やや急崖を伴ってさらに下位の台地面がその東側に付着する。その間役11km、全体の傾斜は4.5‰でほぼ一様の傾斜を保つ。表面には火山灰質褐色ローム層が1.5m厚あり以下粗大な扇状地礫層が14m以上を堆積する。図葉外東の観音山(海抜81.9m)など第三紀層丘陵が局部的に台地面をぬいて露出する。猿谷戸-大谷から更に東にかけては、巾狭く浅い侵蝕谷が台地面を刻む。谷底表層は黒褐色礫まじり二次ロームであり、地下水位は4~5m乃至8mにある。浅い侵蝕谷に沿って台地一般面より地下水面の浅い傾向が認められる。台地上の集落-猿谷戸・大谷・本郷・原宿-はほとんど浅谷に沿う位置にある。荒川右岸にある同位面は、42c地形区の上位段球面にあたると考えるが、海抜高は右岸段丘面においてやや高く・両岸の台地面を連結して復原した場合、台地の扇頂は寄居町の西にあり海抜140m付近となる。櫛晩原台地のGt1面は関東ローム層の存在を指標とした。西皆戸北の崖線から南、荒川までの間は地盤の間歇的降起に従って次第に台地側方を下刻して生じた段丘面であって、関東ロームを欠き、櫛晩原台地の東縁にも同様の面が付着している。この台地の東縁部(図葉外)は熊谷市の西郊にあて大工場団地として最近開発されている。図葉内は農業地域であるが自然的には水利に乏しいため、最近荒川に玉淀ダムが(※ 発電用水30m3/S、農業用水9.11m3/Sを取水する)築造され、鐘撞堂山丘陵をトンネルで貫通し、台地上に農業用水が導入されている。

寄居鉢形段丘(42c) 荒川が山地内河谷から平野に出てつくる段丘地形区で、櫛晩原台地の南縁を刻む河岸段丘と右岸側の櫛晩原面に相当する上位段丘面を含めての河岸段丘を併せた部分である。各段丘面は山地内河谷に沿う各段丘面に夫々高度的に連続する。左岸側は櫛晩原台地の相対的下位に中位段丘が2段と局部的な下位段丘が1段の合計3段、右岸側は上位段丘・中位段丘・下位段丘が合計3~4段ある。右岸側上位台地である櫛晩原と中位段丘(Gt2+面)との間は西側では明瞭な崖(高さ7~8m)を有するが東にゆくに従い不明瞭となる。西皆戸の西側では崖高は1.5mとなり、中位段丘内の微起伏と明瞭な区別がし難くなる。併し中位段丘の表層は褐色差質土、黄色壌度が130cmの厚さであり、以下、粗砂、礫まじりロームとなる上、表面には礫が散在して、一次ロームの痕跡は認め難い。その相対的下位にあたる小前田などの集落の載るGt2面は、河道乱流趾が浅い凹所となって明瞭に印され、西皆戸付近の中位段丘(Gt2+)より更に新期形成のものと理解される。旧流趾は周辺より1m低く、巾30mほどで細長く、表層は小礫をまじえる褐色砂質土壌で黒色粘土をはさみ90cm以下は砂礫となる。流趾以外の土地は表土まで砂礫質であり、小前だ付近で地下水位は地表から3mである。段丘崖付近で砂趾層厚は2~4m、以下は基盤岩である第三紀層が露出する。但し中小前田付近から西部の山寄りは子清掃岩石が基盤となる。下位段丘は河原に接して局部的にある比較的小面積のもので、崖高6~8m去れ紀層2m厚、以下基盤が露出する。
寄居町市街はGt2段丘上にあって海抜95~100m、Gt2段丘は図葉東縁で海抜70~75m。上流側末野で100m、同じ場所で上位段丘は120~130mである。右岸側は中位段丘面高度は河道をはさみ左岸側の対象部分とほぼ同じ高さであるが、図葉登園付近の赤浜で一たん消滅し、分布面積も左岸側より小さく比企丘陵を刻む同じ谷によって分断される。右岸側の上位段丘も丘陵からおちる支谷に刻まれ(※ 秋山から下流の坂東川は上位段丘を嵌入蛇行し、攻撃斜面に崩壊が連続しておこる)、段丘面の連続性を欠くけれども、普遍的に分布する。海抜高は折原背後で海抜140から160m、上ノ原付近で海抜115~120m、図葉東縁で海抜100mであり、左岸側の上位段丘より河道をはさむ対象点において20mほど高い。図葉内右岸側上位段丘は、その堆積時の扇頂部またはそれに近いために高位置にあると考えられるが、当然扇頂部に含まれる左岸側の未野においても折原背後の面より20~30m低いので、現荒川河床の線を境として、上位段丘形成後、地盤の差別運動に基づき、右岸側が相対的に隆起したとする方が考え易い。上位段丘は図葉外東側で広くなり、成沢背後の付近で関東ローム層(黒色腐植層を併せる)4.8m、以下礫層7m以上であり、Gt1面は櫛挽原台地と同時形成の扇状地面であることは明瞭である。

小川低地(42b) 槻川は図葉東縁に接する小川盆地で丘陵地間にやや広く拡がる氾濫原平野をつくるが、再び東側の丘陵地内を陥入曲流して先行性流路を示した跡に松山付近の台地性平野へと出る。小川低地は小川盆地の底部にあたる平地で、図葉内ではその西辺、北辺が含まれるに過ぎない。盆地床高度は頻る低平で、殆どが海抜100mであり、この地形区に含めた内の、北端の勝呂付近、南端の上組付近でようやく120mになるに過ぎず、しかも勝呂、上組はすでに支谷の谷床平野と見做し得る場所である。盆地周辺は丘陵又は丘陵性山地が、高度を減じてゆるやかな山麓緩斜面を形成し、その下位には低位段丘が付着する。盆地の輪郭は肢節に富み、断層が交叉して破砕部が多く、かつ周辺岩石は第三紀層及び結晶片岩の軟弱岩石なので、主として河川による侵蝕によって、盆地基盤を生じた侵蝕盆地とみなされる(※※ 盆地の底部及び山麓緩斜面の基盤は小川町層群(新第三紀層)のうちの蟹沢泥岩層、飯田夾亜炭層の比較的軟弱層である。)。従って盆地の沖積層厚は、槻川が下流側で先行性流路を示すことと合わせ考えて、一般に数m位の薄いものと考えられる。兜川は蟹沢付近で第三紀層基盤を1.5mきざみ小川駅北側では、平水時河道は、沖積平野面を約3m刻み、40m巾の氾濫原を持ち自由蛇行する。槻川は小川町市街の南において2~2.5mの崖高を持つ15m巾の平水時河道をとるが、市街地のある平地は、河床より北高4.5m、北岸側は同様4mの比高を持つので、低位段丘は盆地底に低く、槻川・兜川に沿い細長い低地があると認められる。1947年の台風時には蟹沢・原川では床上0.5~1.0mの1~2時間にわたる冠水被害をうけた(※ 同時に盆地東縁(図葉外)の向井でも床上浸水1m弱であった。)。丘陵内支谷の河況係数は大きいと判断される。槻川の河川改修前は、農地の被害が多く、明治43年、昭和22年台風時には矢岸・堀北・田中・池田・向井(後三者は図葉外)の付近は氾濫害をしばしばうけた。

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