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掲載日:2023年12月12日

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土地分類調査報告書(熊谷)

目次

  1. 位置及び行政区画
  2. 人口
  3. 地域の特性
  4. 主要産業の概要
  5. 開発の現状と方向
  • 各論
  1. 地形分類図
  2. 表層地質図
  3. 土壌図
  4. 傾斜区分図
  5. 水系・谷密度図
  6. 利水現況図
  7. 防災図

序文

60年代のわが国の高度成長と総合開発の指向は、経済杜会構造にさまざまな「ひずみ」をもたらし、とくに首都東京の過密過大都市化は隣接する本県が直接的な強い影響を受けて、地域構造は年を追って地すべり的変動を続けております。

この変動は、県南地域の人口の激増に端的あらわれており、東京と連たんした形での市街地形成、住宅、工場の乱立、公害の発生や杜会資本整備のたち遅れなどが顕在化するに伴って、生活環境の悪化が深刻化しており、この蛍光が都市化の外延的拡大に伴い、県南外周部から県北地域にまで波及をしております。

このような現状を直視し、県では「人間尊重と福祉優先」の思想のうえに立って、将来の県勢の望ましい姿を想定し、県土の均衡ある開発整備を進めるとともに、とくに各種開発諸計画と相互に補完整備しながら計画的かつ効率的な利用を実現することが急務であります。

そこで開発地域土地分類基本調査は、国土、県土を有効に利用し、開発し、保全するための基礎調査を開発プロジェクト単位に、地形、表層地質、土壌等土地の基本的条件と開発関連諾条件を調査し、地域の特性に応じた開発方式、保全、防災対策、スプロール防止等各種開発計画の立案ならびに土地利用計画樹立等のための基礎資料となるもので、本県では既刊の「川越」「大宮」図幅に引続き本年度「熊谷」図幅の調査をここに完了しました。

この成果品は、行政上はもとより広く各方面において活用され秩序ある県土の発展に資されることを期待するものであります。

なお、資料の収集調査、図簿の作成等にご協力いだいた各位に深く感謝を申し上げます。

昭和49年3月

埼玉県企画財政部長松永緑郎

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まえがき

  1. 本調査の事業主体は埼玉県で、経済企画庁総合開発局国土調査岡の指導を得て国土調査費補助金をもって実施した。
  2. 本調査成果は、国土調査法施行令第2条第1項第4号の2の規定による土地分類基本調査図及び土地分類基本調査簿である。
  3. 調査の実施、成果の作成機関及び担当者は次のとおり(JPG:73KB)である。

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総論

1位置及び行政区画

位置「熊谷」図幅は、関東平野の内陸部埼玉県のほぼ中央に位置する。経緯度は東経139゜15`~139゜30`、北緯36゜00`~36゜10`の範囲にあって、図幅内の全面積は416.26平方キロメートルである。

行政区画図幅内の行政区画は第1図に示すとおりで、北足立郡吹上町、比企群滑川村、嵐山町、大里群川本村、江南村、大里村の全地域と熊谷市、行田市、東松山市、比企郡吉見町、小川町、王川村の大部分、及び鴻巣市、深谷市、羽生市、北本市、比企群都幾川村、鳩山村、川島村、大里郡大里村、寄居町、花園村、北埼玉郡川里村、南河原村の1部7市6町10村が占めている。

第1図行政区画(JPG:99KB)

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2人口

県の人口は、昭和48年10月1日現在(推計)で447万人となり、昭和37年以降毎年5%弱の増加率で膨張をしている。

その要因は、住宅指向による東京都からの流入人口で、昭和45年には社会全体の70%を占めている。それと併行して工場、商店等が立地し、雇用機会が増大した事による転入人口などにより依然として全国第1位の増加率を示している。

地域的には、都心から50キロ圏内の県南部(既製:大宮・川越図幅)に集中が著しく人口の約80%がこの地域に集まっている。

しかし本図幅がその一部を占める県北部山村地域では数年前から逆に人口の減少を見せ始めており、過密、過疎のアンバランスが顕著になる傾向がある。

第1表都心からのキロ圏別人口の動き(JPG:60KB)

このような増加の趨勢が今後も持続するとは考えられないが、県が昨年6月に推計した昭和60年の予測(人口抑制対策プロジェクト)は692万人という数字をあげており、相当の増加を予想している。

こうした人口規模の拡大に伴う受け入れは、県南部の人口過密飽和状態に照して必然的に60~70キロ圏に拡散し、都心から放射状に伸びる交通体系を機軸として、本図幅内市町村にも移行される物と思われる。

すでにその兆しは見られ、高崎線沿線の鴻巣市、吹上町では過去5ヵ年で20~18%の増加率を、東武東上線沿いの東松山市、嵐山町でも21~18%の増加率を示している。

地域内に着々と勧められている交通体系の整備(上越新幹線・関越高速道路等)と関連開発計画の促進が図られることにより、今後図幅内市長の人口増加はそのテンポが早められる事が予測される。

第2表交通体系を主軸とする地域人口の動き(JPG:84KB)

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3地域の特性

1自然的条件

(1)地勢

この地域の地形は、奥武蔵に連なる山地から北東に伸びた緩やかな比企(北)丘陵とこれに接する台地、荒川流域から北東部にかかる低地及び秩父山地の東端近くの小川盆地とで形成されている。

比企丘陵は、優れた景観と数多くの遺跡文化財を有する極めて自然に恵まれた環境で、県立自然公園になっている。

図幅内の高度は、秩父山地に接する雷電山の418mが最高で丘陵地域では100m程度の山が点在し、山頂は一般に平坦となっている。

河川を見ると、秩父山地を源とする荒川、その支流都幾川、槻川が主要の河川で、荒川は流路延長72kmの圏内最大の河川である。地形上いずれの河川もこの地域では流れは緩やかで、各所で農業用水として取水されている。

(2)気象

本県の気候はいわゆる表日本式で、冬は乾燥して晴天が多く、日中北西季節風が強く吹き、夜から朝にかけての冷え込みが厳しい。夏は南東の季節風は弱く、日中の最高気温はかなり高くなり蒸し暑く夕方雷雨が多い。

平野部では9月に最も雨が多く(山地では雷雨のために8月に最も多い)、年降雨量は1400mmくらいである。気温は平野部で14℃(年平均)くらいで山地では海抜100mにつき0.5℃ずつ低くなっている。

第3表気象記録(昭和46年)(JPG:62KB)

(3)気象災害

本県の気象災害は夏を中心に発生し、10月から3月までは非常に少なくなっている。発生する度数の最も多いのは雷雨による物で、全災害の半数に近い。その打ち半数くらいは降ひょうを伴っての被害である。しかし災害高から言えば台風による風水害が全災害の80%くらいを占める事になる。本県では凍霜害も重要な災害となっている。

第4表気象災害回数(JPG:60KB)

2社会経済的条件

(1)道路

図幅内には、都心から発し後背県を結ぶ主要国道と、その葉脈的な剣道が主要都市(熊谷市、東松山市)から放射線状に多方向に伸びており、道路条件はかなり恵まれている。

また、現在都内から川越市まで一部開通している関越高速道が近く東松山市まで延伸される事になっており、これと併せてインターチェンジ周辺に主要県道の新設あるいは言動の改良整備が着々と進められており、開発胎動期にあるこの地域の社会条件は著しく変化の度合いを加えている。

(2)鉄道

本図幅内の鉄道は南東から北西方向に国鉄八高線(八王子~高崎間)高崎線(大宮~高崎間)東武東上線(池袋~寄居間)が走っており、これを東西に寄居町、熊谷市、行田市等を結ぶ秩父鉄道(三峰口~羽生間)と熊谷を基点とする東武鉄道熊谷線が通っていて、鉄路も概ね至便となっている。

特に高崎線及び東武東上線は地域内と都心を直通で40分~60分の範囲で結んでおり、都内もしくは県南部への通勤通学可能範囲となっている。

因に、地域内市町村(熊谷市をのぞく)はいずれも夜間人口が昼間人口を10~15%上回っている現状である。

なお、東京と新潟を結ぶ上越新幹線が昭和52年開通を目指して建設が進められており、熊谷駅に停車する事が決定しているので、都市基盤の整備は地域開発の基礎条件等を先行的に整備する事が急がれている。

第2図図幅内の道路・河川・鉄道(JPG:113KB)

(3)就業人口

圏内の産業別就業人口の比率は県南地域の住宅地化、工場地化の影響を強く受けて、農業従事者の比率が減少したことが要因となり、第1次産業人口率が低下して第2次及び第3次産業の伸展が著しい。この地域においても除々ではあるが同様の傾向を示している。

主要市町村の産業別就業人口の構成は第3図のとおりであるが、この地域の町村部では農業を中心とする第1次産業人口比率がいまだ50%前後(昭和45年国勢調査)を占めており、全県的から見るとその比率は高い。農業の姿が都市近郊型農業への傾斜と農外所得への依存度を強めつつあるとはいえ、主たる経済基盤になっている。第2次産業は東松山市、行田市、熊谷市などの支部で都市型工業の導入等による雇用機会の増大に伴う就業人口の伸長が、これと並行的に配置されるサービス施設等により第3次産業人口の比率も高まっており、県南部の影響により人口構成、産業構成は変化の度を加えている。

第3図産業別就業人口構成(15才以上)(JPG:122KB)

(4)土地利用

人口増加に伴う宅地需要は農地の宅地化を促し、年を追って農地転用面積が増加している。

改廃農地の面積は毎年1500haにのぼっており、その用途別指向を見ると、昭和35年には全県として住宅用地と工場用地が相半ばして約8割を占めている。その後も毎年住宅、工場用地が占める割合は7割前後を占めているが、住宅用地が漸増し、昭和47年には5対1の比率のなり工場用地の大幅な落ち込みを見せている。

地域的に見ると、市部では経済的開発の進展により全県的な傾向に見られる大規模工場の進出や住宅団地の建設等が顕著となっており、改廃面積が拡大されている。

一方町村では大方が住宅用地で、主として居住町村内において自宅を新築したり社会風潮的な核家族化による分家の宅地化あるいは農業用施設用地といった自立的なものである。従って交通至便の一部町村をのぞいては人口増をあまり伴っていない。

しかし、比企丘陵地域の町村に見られる山林の減少は、民間デベロッパーによるゴルフ状あるいは住宅団地の開発による物であり、県南部から外延的に拡大する都市化傾向を受け、特に地価の高騰が地域の経済構造と土地利用体系に影響を及ぼしつつある。

第5表土地現況面積(JPG:99KB)

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4主要産業の概要

1農業

自然条件と消費市場への有利性をもつこの地域の農業も、農業生産の基礎的要素の減少や価格の停滞等の影響を受けて米、麦、養蚕など伝統型農業が相対的に交代をしている。

地域的に主要作物を見てみると、大里沖積低地では自立経営農家に支えられた米作あるいは施設園芸、比企丘陵台地では果樹、養蚕、大里荒川扇状地では畜産、養蚕、花卉などを中心とした農業が営まれている。

しかし、都市近郊農業への傾斜は強まっており、作目は流動的様相を呈している。

第6表経営土地の平均的用途(JPG:57KB)

2商業

本地域の商業の中心地は熊谷市であり、近年の交通網の整備、モータリゼーションの伸展及び大型店の進出により、ますます付近の購買力を集めており、現在では商圏総人口は72万人である。

また、熊谷市の地元吸収率は、86.9%であり、これは圏内の都市では最高の率であって、東京の影響強く受けている本県の中で、最も独立した地方中核都市としての性格を持っているといえよう。

この他に、東松山市が、一つの小さな商圏を持っている。

3工業

工業については、県内において相対的に低い水準であるが、特色のある地場的産業を持っている市町村が多い(例:熊谷市=食料品、窯業・土石製品、行田市=衣服その他繊維製品、足袋、ゴム製品、東松山市=輸送用機械器具、小川町=木材・木製品、都幾川村=家具・装備品、など)。

しかし、近年においては、御陵威ヶ原工業団地(51年度完成予定、186ha熊谷市、深谷市及び川本村)、東松山工業団地(49年度完成予定、80ha東松山市)、富士見工業団地(42年度完成、70ha行田市)等、大規模な工業団地の建設が相次いでおり、工業開発においても大きな変貌をとげようとしている。

第8表工業の概要(JPG:125KB)

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5開発の現状と方向

この図幅内の開発は、自然的仕会的条件に即応して従来比企広域地域と県北広域地域のプロジェクトを単位として開発整備が図られており、この地域区分により現状と方向の大要をとらえると次のとおりである。

比企地区

比企丘陵一帯は自然環境に恵まれ、全体として開発の胎動期にある。

しかし、社会条件の変化に伴って鉄道沿線の市街化が活発化し、丘陵地を中心とする民間企業の住宅開発の進行がみられる。

この丘陵地帯では硬い基盤があり地下水がなく、殆んど地表水を利用しているため水の供給不足のまま開発が行なわれ、また土砂採取により丘陵部の緑地が次第に侵食され、都市基盤等が未整備の段階で無秩序な都市化の傾向および緑地破壊の現象が拡大されている。

開発方向としては、このような現状を直視し、自然条件を保持することを基本要件として、都市用水の開発、小規模な乱開発を防止するとともに、首都圏の諸機能の広域的展開を受け入れ、研究施設、学園施設、再開発移転工場地等の業務地およびレクリエーション施設の整備を行ない、宅地開発とセットされた秩序ある開発を図る必要がある。

県北地区

この地域は、熊谷市、深谷市、行田市など主要都市が連たん形成されており、このうち熊谷、深谷地区は首都圏都市開発区域に指定されている。

徒来からこの地区の主たる経済基盤は農業によってささえられ、東京および県南部の生鮮食料供給地として重要な役割を果してきている。

今後も都市開発と調和のある農業の振興と、県北の中心的な機能を分担する熊谷、深谷地区での工業用地、卸売団地の整備など産業基盤を整備することにより、都市機能の充実と職住近接の住宅市街地の開発が課題となっている。

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各論

1地形分類図

「熊谷」図幅地域は西部の関東山地からはり出した丘陵がほぼ中央に位置し、東部はそれを囲んで馬蹄形状に広い低地が発達している。さらにこの低地は順次高度を下げ、南東「川越」・「大宮」図幅地域の方へとのびる。

本地域の地形の特徴を見るため、リニヤ・パタンと切峯(せつほう)面図(Fig.1)を作製し、航空写真と現地調査で確認かつ補正を行った。前者両図では、50m海値線はほぼ台地と低地の境に位置し、東松山の東で、市ノ川と県道行田・東松山線でこの等値線は2区分されている。一方、100m以上の高地は比企丘陵の高根山、二の宮山・比企南丘陵の葛袋・岩殿間、それに粕川以西の丘陵、山地にあって、孤立状に散在している。図幅を縦横20等分しての起伏量図(Fig.2)を見ると、最高の起伏量値200~300m間は本図幅の陸か岬にすぎなく、中起伏山地に属し、100m以上は図幅全体の6.2%であるから、全体としては平坦な地形といえる。

本図幅地形上特筆すべきことは荒川扇状地形が見られる。そこには熊谷低地(後述)が発達し、表層地質図に見るように、礫層が顕著である。また、この低地は東西性ないしは、西北西-東南東方向のほぼ直線状の自然堤防が発達し、下流の荒川低地の蛇行性自然堤防とは対象的である。

本図幅を下記の地形区に区分した。

  1. 山地
    • 1a関東山地
    • 1a1金勝山・富土山山地
    • 1a2官ノ倉山山地
    • 1a3堂平山・雷電山・仙元山山地
    • 1a4飯盛・弓立山山地
  2. 丘陵地
    • 2a比企北丘陵
    • 2b比企南丘陵
    • 2c吉見丘陵
  3. 台地
    • 3a櫛引ケ原台地
    • 3b江南台地
    • 3c羽尾台地
    • 3d東平台地
    • 3e松山台地
    • 3f玉川台地
    • 3g神戸台地
    • 3h高坂台地
    • 3i騎西台地群
    • 3j北足立台地
  4. 低地
    • 4a熊谷低地
    • 4b荒川低地
    • 4c笠原低地
    • 4d加須低地
    • 4e小川低地
    • 4f滑川低地
    • 4g市ノ川低地
    • 4h都幾川低地

1山地

1a関東山地

本地域の山地は関東山地の北東縁に位置する。雷電山(418m)を最高峰とし、北東方にのび、向きを変えて北西に向う。

1a1金勝山・富士山山地

本図幅の西端に位置し、本山地は隣図幅5万分の「寄居」中の金勝山(263.9m)の山地の一部に続く。本図幅内では富士山(183.2m)が代表的で、山頂部の高度は150~200mである。山地全体としてはなだらかな斜面が多く、風化してぼろぼろの黒色片岩地帯である。傾斜区分図に見るように15゜以上は石英閃緑岩、硬質の礫岩地域に限られる。
山稜は、ほぼ南北と北西-南東方向の直線状尾根がのびて、谷部は尾根に支配されてやはり直線状の市ノ川支流による谷底平野として発達している。角山上の谷底平野は兜川に直交する。山麓地は山地の東側末端に分布している。

1a2官ノ倉山山地

本地形区は小川町西部に位置し、1平方キロメートルの狭面積を占める。本山地は隣「寄居」図幅中の官ノ倉山(344m)山系の東端部にあたる。山地全体は新第三紀中新世の泥岩が大半を占めているため、かなり侵食開析され低い屋根形の地形を呈している。山地は3~8度以内の緩傾斜を示している。

1a3堂平山・雷雷山・仙元山山地

槻川・市ノ川・都幾川に囲まれるこの地域は本図幅内の代表的な山地である。本山地は隣「寄居」図幅中の堂平山(875.8m)の東側山稜にあたり、本図幅では雷電山(418.2m)が高く、これから北東方へ山地が発達している(切峯面図参照)。
雷電山山頂部の東は20~30度の傾斜を呈し、他は15~20度の傾斜山腹が代表的な山地で、この東、雀川対岸では仙元山(298.9m)を中心とした山地が、更に東は槻川の対岸で海抜223mや遠の平山(200m)を中心とした山地が分布している。仙元山は北東-南西のやせ尾根地形で、槻川に面し15~30度の山腹傾斜を作っている。また尾根は直角に伸びて方向を変え、東の田黒の方へ東西性の山稜を作り、そのため槻川も下里一区付近で南北性から東西性の蛇行に規制されている。ここでも槻川に面し、直線的急斜面を作っている。
遠の平山周辺の山地は槻川に面した西側の部分で15~30度の急斜面を作るが、対象的に東側は3~15度の緩斜面山腹を作る。従って、切峯面図でも見られるように、山地全体は初源的には同一山地であったものが、雀川、槻川の強い侵食によって寸断されたものと考えられる。
山地の地質は雷電山の西に南北性断層で古生層の輝緑凝灰岩と接する。他は大半が緑色と黒色片岩の変成岩からなり、風化侵食を受けて、表面は弱くなる。本山地の東部ではことに風化による粘土化が進んでいる。

1a4飯盛・弓立山山地

本図幅の南西端の狭い部分を占める山地で、隣「川越」図幅の弓立山(426.97m)の山麓にあたる。弓立山は更に南西にある飯盛山(816.4m)の北東端の尾根として位置している。本山地は前項同様の緑色片岩から構成される。

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2丘陵地

2a比企北丘陵

本図幅の中央部に位置し、関東山地の東側に半島状に突出して、東西方向にのびて分布する。海抜50m以上で、一般になだらかな丸味をもった稜線が多く、円頂丘状の様相を示す。本丘陵では伊古の二の宮山(131.6m)が最も高く、次いで大立山(112.7m)、高根山(105.1m)かあって、互いに散在している。
地域全体を見ると、開析は進み、市ノ川、粕川、滑川、角川の諸河川か丘陵を切って、北西より南東方向に流れ、かなり広い谷底平野を形成している。
陵の地質は中新統の荒川層、比企層群(七郷層、福田層、土塩層)と楊井層などの泥岩、礫岩および凝灰岩が発達し、しかも前2者はかなり地殻変動を受け、複雑な褶曲や断層が卓越している。また全体的に洪積-鮮新統の礫層が、その上にローム層が累重する。
最近本丘陵のうち、滑川村山田および北方地域は美しい赤松、クヌギ、コナラ林と多くの灌漑用水溜池の田園風景から、国営の「武蔵丘陵森林公園」の名称のもとに、明治100年記念事業とし、建設中である。他に武蔵嵐山北西の嵐山町、小川町境の丘陵には盛土採掘で削られた褐色の山肌がでている。

2b比傘南丘陵

北は都幾川と南は「川越」図幅の越辺川に狭まれた丘陵地で、別名物見山丘陵とも呼ばれる。この丘陵地は「川越」図幅で述べられたように全体として、東部と西部が100~140m等高性の北西-南東方向の尾根が発達し、その周辺になだらかな50~100mの円頂丘が尾根に平行して分布している。しかし、本丘陵地の北縁の都幾川沿いでは、傾斜区分図で見られるように、急崖を呈し、40度以上の斜面になっている。
本丘陵地は中新統の凝灰質泥岩が顕著に発達し、葛袋ではセメント原料としてこの泥岩を大量に採掘し、山肌が露出している。また、なだらかな丘陵と美しい松林、都心に交通便利と条件が揃って、西本宿にはゴルフ場が建設されている。

2c吉見丘陵

比企北丘陵の延長方向の東に位置し、西は滑川に侵食され急崖を作リ、東は荒川低地に望む間の円頂丘陵地である。この丘陵地は切峯面図で見られるように、平地内の孤立状丘陵で、温暖な日だまりの地であるため、暖帯林が多い。また古代人らが早くから住んでいたらしく、丘陵西端の県指定文化財の吉見百穴は古代人の墓穴と言われる。
吉見観音の西は、最近、ネオポリスとの名称で、大規模な宅地造成や盛土採掘が進められ、基盤の黒色、緑色片岩類それに片麻岩質岩を不整合に被う古見礫層(物見山礫層に相当)、ローム層を大量に削っているが、採水ができないこと、基盤地質をよく知らないため、土地のすべりが生じることなど宅地としては不安が多い。人工改変地は、他に、根古屋の東側で、大規模な採掘作業が進められ、山肌が露出している。

3台地

3a櫛引ケ原台地

本地域は図幅の北西部に位置し、隣「寄居」図幅の櫛挽原台地(現在では櫛引ケ原台地)の東部に当る。本台地の南は荒川で境され、花園村で少なくとも2段の河岸段丘が見られる。台地面上には深谷市折ノロや人見で南西-北東方向の小谷が2本平行し、それに直交する櫛挽排水路がある他は目立った水系はなく、のっぺりしたローム層台地となる。それ故谷密度は低い。
御稜威(みいず)ケ原の南部は埋没ローム層が発達している所で、かなりの幅の複数小谷開析地として開けている。現在この地は、セメントや金属各工場が立ち並んでいる。

3b江南台地

比企北丘陵の北側前方にへばりつき、南北3km、東西14.2kmにのびて分布する。荒川低地とは一般に15度以上の急崖をもって接する。
本台地は高度50~80m内に属し、比較的滑らかな平坦面を形成し、大部分は森林、畑地になっている。台地面上には急崖に直交する幾つかの小谷が発達し、中でも台地の長軸に平行する東西性の和田川は大きく、この侵食氾濫原の谷地田には水田が開けている。また河岸には台地基盤の中新統の土塩層の泥岩、楊井層の礫岩、砂岩層が成層している。
本台地の表土下はローム層、川本粘土層、江南礫層および基盤の中新統が発達し、自由地下水は川本粘土層上の同一ム層中に求められる。帯水層は江南礫層になって、村役場以西では25m、以東では深く70~80m下に地下水賦存層と推定される。

3c羽尾台地

丘陵の東端滑川村羽尾から東西にのびる台地で北は滑川、南は市ノ川に境される。本来は松山台地の一部でおりたものが東流する市ノ川によって寸断され、孤立した台地として分布する。
本台地はローム層下に川本粘土相当層が欠け、直接下位に江南礫層に対比される。松山礫層か発達している。この礫層は帯水層として知られる。

3d東平台地

比企北丘陵と吉見丘陵を結ぶ位置にあって、東に荒川低地、西に滑川低地と3~8度の傾斜面でそれぞれ望む。

本台地は40~45mの高度の平坦地で、東平では県道熊谷、入間線の交通の便から、市営の住宅並びに工場が誘致されている。また、斜面は20~40mの高度を占める。
平坦地ではローム層の発達が斜面地では物見山礫層相当の吉見礫層が堆積している。

3e松山台地

堂平山、雷電山、仙元山山地に発達する緑色片岩および黒色片岩地帯とはほぼ南北性の断層(八王子・高崎構造線相当の断層)で接し、東西に11.8kmとのびる平坦なローム層台地である。この台地は北は市ノ川、南は都幾川の両河川の低地に望み、とりわけ後者の河川に崖を形成する。高度的に見ると西方で70~80m、漸次東進するにつれて低くなり、東松山市で34~35m、川島村根峠で27~28mとなる。

水系・谷密度図で見ると、本台地面上を流れる河川は貧弱で少なく、代表的なのは武蔵嵐山より東の小屋敷で市ノ川に合流する一支流である。従って、この台地は幼年期の侵食地形を呈する。
台地の地質はローム層下に松山礫層が発達し、基盤の中新統泥岩は地下12~13mの所にあるから、この礫層が地下水賦存層となっている。なお台地上は東松山市街地と嵐山町市街地がそれぞれ台地の東部と西部に発展し、その他大半は畑地となっている。水田は台地内の谷地田にのみ限られている。

3f玉川台地

比企南丘陵の西側に位置し、都幾川低地にいたるまでの南西・北東方向にのびたローム層台地であり、高度50~80mで、都幾川対岸の松山台地の面に対比される。最近、この台地はゴルフ場として開発されている。

3g神戸台地

比企南丘陵の北縁にあって、高度30~40mで東松山市神戸ののる面である。この台地もローム層が発達し、その下位には10~30mの厚さの洪積統砂礫層が発達し、この層中から地下水を取水している。

3h高坂台地

比企南丘陵の東縁にあって、都幾川低地に望むまでの高度25~40mのローム台地で、東松山市西本宿や高坂ののる面である。数米のローム層下は神戸台地と同様10~30mの厚さの洪積統の砂礫層が基盤の中新統を被っているため、この砂礫層が自由地下水層となっている。現在、この台地は宅地造成が盛んに行われている。

3(1)騎西台地群

元荒川や星川などの侵食によって、とり残された小台地群が元荒川と騎西領用水との間に分布しているのが本台地癖である。本図幅では行田市、埼玉(さきたま)古墳群およびその南の埼玉の乗る本台地群で最大の台地の一部がここに分布している。なお、台地面にはローム層か発達している。
埼玉では、縄文式中期の土器が発見され、貝塚は未発見である。5000年前の当時、この付近一帯に古代人が住んでいたことを物語り、また古東京湾の海は当地まで浸入し、台地外縁線が海岸線になっていた。

3j北足立台地

本図幅の東縁に北足立台地の北縁部が位置している。台地の長軸の方向は高崎線に平行し、台地面はローム層からなる。本台地と荒川、笠原両低地との比高差は「大宮」図幅で見るような台地外縁線の明瞭な崖を作る程ではなく、低地とは傾斜3~8度の値を示す斜面あるいは不明瞭となっている。

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4低地

4a熊谷低地

荒川は隣「寄居」図幅内の寄居を扇形の要とし、東方の熊谷に向かって、北は山崎山、南は本図幅内の和田川まで一大扇状地を作った。本図幅内の熊谷低地はこの荒川扇状地帯の大半を占める。本低地は花園村では高度70mであるが東方の末端の行田市街地で19mと下がっている。
低地内は幾多の小河川が東方へ蛇行し、乱流の跡が見られるが、全体的にはほぼ直線状の自然堤防が発達している。また低平な土地故に、水田耕地と畑地が作られているが、両者間の比高差はなく、後者はとりわけ桑田となっている。最近、行田市ではこの低地に工場を誘致している。本低地下は熱い扇状地堆積物の砂礫層が発遠している。

4b荒川低地

熊谷低地の南に開け、荒川によって作られた河道・氾濫原などからなる谷底平野の低地で、東平台地、吉児丘陵、松山台地と騎西台地群、北足立台地との中間に広がる。地盤の高度は12~20mの間にある。
本低地の氾濫猟には旧河川の蛇行および蛇行した自然堤防が多く、熊谷低地の直線状自然堤防とは対象的である。当低地は粘土質堆積物からなり、水田耕地に十分活用されている。また、自然堤防には古くから、集落が発達している。

4c笠原低地

本図幅の東部に位置し、北足立台地と騎西台地群の間にはさまれた低地で、元荒川と星川によって作られたものである。当低地の北方は熊谷、荒川、加須各低地と接するが、境は明瞭ではない。
この低地は北足立台地や騎西台地群のローム層が侵食され埋没した埋没ローム層を含み、かなり厚い沖積層が堆積している。この中に海棲の貝殻が含まれるところから、古東京湾の海が縄文時代に侵入していたと考えられる。現在当地は水田耕作地となっている。

4d加須低地

騎西台地群と利根川との間にはさまれた低地で、本図幅の北東隅に位置している。利根川、会の川によって作られた低地で・西北西-東南東方向にほぼ細い直線状の自然堤防が発達し、その背後に後背湿地を作って、水田耕作されている。

4e小川低地

当低地は本図幅の西部に位置し、槻川と兜川の侵食によって作られた谷底平野で、関東山地内の盆地として知られる。河道崖に基盤が見られること、基盤岩の山あいが本低地に接近していること、しかも平坦な低地の形態などの特性から、基盤上に直接、沖積統未固結泥質堆積物をのせたままの地形になっている。小川町は昔から交通要所の宿場町として開け、現在にいたっている。

4f滑川低地

比企北丘陵、羽尾台地、東平台地、吉見丘陵に四面囲まれ、滑川によって作られた東西方向にのびた谷底平野で東進するにつれ、高度20~40mに下がる。当低地は沖積統泥質堆積物がうすく基盤の中新統にのり、低地北部は畑地、南部は水田になっている。

4g市ノ川低地

比企北丘陵と松山台地とに挾まれ、南北幅500~600m、東西11kmとのびた低地で市ノ川が開析した低平な平野である。西の嵐山町太郎丸で高度50m、東の南吉見で高度15mと下がり、そこで荒川低地につづく。東部と西部では、沖積統の泥質堆積物からなり、中部の金光寺や市ノ川では砂質堆積物からなる。嵐山町西荒井や中組では中新統の砂岩、泥岩互層や礫岩が発達しており、沖積統は西部では薄い。しかし、南吉見では15~20mと厚くなる。

4h都幾川低地

関東山地の東縁、松山台地と比企南丘陵に挾まれ、都幾川によって開析された東西15.3kmにのびる谷底平野である。西部の鳩山村玉川では高度60mと高く、東部の東松山市下押垂の東で荒川低地に続く付近では高度14~15mになる。本低地の西部より東松山市葛袋の唐子橋下流までは低地の南北幅は狭く、礫層の発達が良好。一方、唐子橋下流より下押垂までは低地が急に開け、泥質堆積物の発達が見られる。従って、下流は水田が適しており、発達している。また、下唐子左岸より直線状の自然堤防が見られる。

(埼玉大学松丸国照)

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2表層地質図

本調査地域は関東山地と丘陵地、台地、低地とでは地質区が異なり、関東山地のの東縁はいわゆる「八王平・高崎構造線」が走り、山地は古生層や長瀞系の結晶片岩とそれを貫く石英閃緑岩、蛇紋岩などからなる。一方、丘陵地は石英閃緑岩を不整合に被う新第三系中新統(荒川層・比企層群)が広く発達し、それを洪積統ローム層が被っている。台地や低地は中新統の基盤岩上に沖積統の未固結堆積物が厚く発達している。
本地域の地質層序は第1表のとおりで、地質構造はほぼ南北性から北西方向に屈曲する「八王子・高崎構造線」に平行した断層が少なくとも3系統発達して、相対的に東側のブロックが漸次落ち込んでいる。また、それらの断層と直交し比企丘陵を北と南とに分かつ断層のそれぞれの側では地質構造が異なっている。北側のブロックでは中新統が東進するにつれ、若い地層が累重し、その後の地盤ブロック運動で支配された背斜軸、向斜軸をもち複雑な地層の分布が見られる。南側のブロックは南方へ馬蹄形状に漸次若い地層が発達しており、断層は1本見られる程度で、褶曲軸を作る程変動は見られない。
地域内に分布する地層およびボーリング・コアの柱状図から地質層序は第1表のとおりである。

(1)未固結堆積物

1-1砂泥堆杣物

本地域の荒川、市ノ川、都幾川などの現河川および旧河川流路跡の河道ないし氾濫原といった低地の表面にある河床堆積物である。一般に、泥、泥まじり砂、砂、礫からなり、大半は砂泥堆積物。ポーリング資料でN値は0~1という軟弱地層で、当堆積物と低地の大半を占める泥質堆積物、砂質泥堆積物、泥質礫堆積物と比べ、幾分砂層の発達が良い点が挙げられるが、未区分の所も局所的に存在する。厚さは数mで表層に限られ、荒川では堆積物と泥質礫堆積物が荒川大橋上流2.5kmのところで厚さ30mとなっている。

1-2砂質泥堆積物

旧河川の自然堤防の表層に発達して、主として細砂が混ざり合った泥質物質から構成された堆積物である。本層の厚さは1~3mで、その下位は磯がち堆積物や泥がち堆積物がある。11-3泥質礫堆積物
本堆積物は熊谷低地に見られる荒川扇状地および都幾川低地の都幾川扇状地に分布し、いずれも10~300mm径の円~亜円礫で秩父系、第三系・石英斑岩などから構成され、マトリックスは泥質の堆積物である。
本堆積物の厚さは荒川扇状地において、花園村や熊谷市吉岡では下位の中新統までそれぞれ1~5mないし8mと薄いが、熊谷市小島、熊谷市街地、市街地東の西方寺付近では下位の東京層相当層の礫層までそれぞれ25~30m、6~25m、7mと場所により層厚は異なっている。また都幾川では月田橋付近で6~8mに発達している。本層はとりわけ下位の東京層の礫層とは一般に続成作用の程度およびN値で前者は割に締っており17~20、後者ではかなり安定し20以上とになる。両層の区別は周囲のボーリング・コアの記載ないし柱状図の位置間、そこに見られる岩相変化などから判断されるにすぎなく暫定的である。

1-4泥質堆積物

本地域南東部の荒川、笠原、市ノ川などの氾濫原ないし山地、丘陵、台地の谷地田に発達する堆積物で、一般に暗黒褐色を帯び、腐植物を混入した泥質層になっている。
ボーリング資料によれば、この雌棚物のN値は3~8と低く、荒川低地では高崎線行田で13m、吹上で11m、吉見村で10~15mとなり、市ノ川低地では南吉見で8~9mとなっている。この堆積物の下他層群では、東京層相当の砂層、礫層が発達するが、吹上では泥層になって、局所的に異なっている。

(2)半固結・固結堆積物

2-1シルト砂礫の互層(東京層)

一般に関東ローム層の階層準に発達する。低地ではN値が20以上高くなるところで、灰白色から青灰色の粘土からシルト、砂質粘土から青灰色中~粗粒砂偽装の発達する砂、細砂~砂礫、礫などが半固結ないし固結の続性作用を通して発達し、行田視聴者~行田女子高付近一帯は地下ボーリング資料で12m以深に代表的なシルトと砂礫の互層が見られ、吉見村の地下で6~8m以深の砂礫層間にシルト砂岩層が介在している。
台地では本層は硬軟台地の北縁の崖に見られ、1~2mの厚さのローム層化は灰白色~黄灰色の粘土からシルト(川本粘土と呼ばれる)が5mの厚さで分布し、板橋粘土に対比されている。さらにその下位に20~67mの厚い礫層(江南礫層)が発達し、N値は9と下がる。
本層は熊谷・荒川低地のボーリング資料で厚さは12~26mと推定される。

2-2泥砂の互層(埼玉層)

本層は東京層ならびに東京互層相当の下位層準の泥砂の互層であり、本来は3枚の基底礫岩が発達するため、上部・中部・下部の各部層に分けられるが、当地域では未分化のところもある。ボーリング資料による検討であるため地表では見られない。
本図幅では岩層の特徴から上-中部層と下部層とに分けられる。前者は泥岩から泥質砂岩と砂岩の互層と礫岩の互層からなり、後者は泥質礫岩と砂岩および礫岩との互層になっている。埼玉層の基底は熊谷市街地下では110~120m付近にあって、東方の行田市長野では150m以深に、一方、吉見村下細谷では105m下で石英閃緑岩に接している。

2-3粘土

前項2-1に述べた江南台地北縁崖で見られる川本粘土で、ボーリング資料からN値は4~5を示し、軟弱である。

2-礫層

前項2-1に述べた江南礫層で、褐色円~亜円礫混ざりの青灰色砂質泥で充填されている。

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(3)固結堆積物

3-1礫岩

本図幅では中生代の跡倉礫岩相当の花嶺岩質岩の礫種をもち、硬質礫岩が寄居町牟礼に発達し、また、小川町の角山上に五反田礫岩が分布している。後者の礫岩は酸性深成岩礫をもつ礫岩で層厚と礫の粒度は北方ほど大になる。介在する砂岩中に貝化石Vicaryellanipponica,Sole電話linaminoensisが産出し、中新統に属する。比企南丘陵北縁に中新統の都幾川層基底の礫岩が発達する。径粒は小さく20~50m、長瀞系や第三系の凝灰岩、泥岩、少量の秩父系チャートの礫種からなる。厚さは2~5m。
洪積-鮮新統の礫岩が比企北、南丘陵、吉見斤陵それに舟山、観音山に広く発達する。礫の大きさは10~200mm円~亜円礫、水酸化鉄で赤褐色を呈する。礫種は秩父系チャート・砂岩が大部分で、かつ粘板岩、長瀞系の結晶片岩、第三系の砂岩、泥岩、凝灰岩や石英閃縁岩などが混在している。当礫層は水平的、垂直的に変化し、高坂カントリークラブで49.7mと厚い。本図幅内ではこの礫岩の時代を積極的に決定する化石は未発見なので、続成作用が一般に進み硬く締まりN値50以上、シルト介在の所でも40以上と十分に支持層になっていること、他地域の礫層の特性ないし、分布域などの対比から洪積-鮮新統にされる。

3-2礫岩・砂岩互層

本層は熊谷市楊井およびその南東に発達する中新統の楊井層で、岩相は礫岩・砂岩の互層からなる。下位より上位へ礫がこぶし大川小石大と小さく、上位ほど灰色泥岩が幾枚も介在する。また普通角閃石安山岩質凝灰岩(赤紫色を呈す)が入り、一般走向、碩斜はN45~50゜W・20~22゜Nの単斜構造をしている。

3-3砂岩

木図幅2ケ所にわたって分布する。一つは小川町飯田の炭鉱付近に発達する青色夾亜炭中粒砂岩ないし凝灰質砂岩などが発達し、前者砂岩の基底になどDosiniaakaisihianaの貝化石、Acersp.,Sequoiasp.などの植物化石を産し、中新統にされる。
その他に比企南丘陵の将軍沢・神戸間と葛袋の都幾川に面する所で、都幾川層の基底郡礫岩の上位に青灰色ないし茶褐色の礫混ざり中~粗粒砂岩が発達する。この礫岩の一般走向傾斜はN75~85W・22Nである。

3-4泥岩

泥岩は小川町大塚一体に小分布し、中新統の蟹沢泥岩層と呼ばれ、層理不明な塊状の黒色泥岩からなる、また、比企北・南丘陵に広く分布し、前者は西部では荒川層・東部では土塩層と呼ぱれる。後斜では都都幾川層の主部を占める。
荒川層は泥岩・砂岩のW層で層厚600m以上であり、泥岩が相対量多い。本層の上部は凝灰岩の薄層や長瀞系礫を含む礫岩層ともども背斜構造を作っている。奈良梨-古里間の露頭で観察される。木層は嵐山町平沢~杉山間で向斜構造を形成している。
土塩層は滑川村山田~山岸や和田川で観察され、砂質泥岩層からなり、偽層が発達する細~中粒砂岩相も介在する。貝化石Dosiniakaneharai,Turri電話layokoyamai,Myakuneiformis,Yoldoasagittariaなどが産し、Sagaritesや植物化石も貧弱だが産する。
都幾川層は基底部より上位に、砂岩・礫岩層、将軍沢凝灰岩層、凝灰質泥岩層、奥田凝灰岩層、砂岩、泥岩互層の順に累重する。この項では凝灰質泥岩をとり扱う。本岩は層厚200mに達し、神戸~奥田間で最もよい露頭が観燦される。有孔虫化石はOrbulinaunibersa,O.suturalis,praeorbulinaglomerosaglomerosa,Globigerina電話lainsuetaなど産し、中新世有孔虫分帯N8・N9の境界付近に決定される。貝化石はDentaliumyokoyamai,Lima(Acesta)cf.goliath,Macomacalcareaizurensis,Terebratulinasp.他が産出する。本岩は馬蹄形状に発達し「川越」図幅の方へ20~30゜Sで傾く。

3-5砂岩・泥互層

本層は比企北丘陵の七郷層・福田層および吉見丘陵の福田層、比企南丘陵の奥田凝灰岩の上位の都幾川層に発達する。七郷層は層厚約500mで粕川と滑川に囲まれたブロックに、分布し、秩父系のこぶし大の礫を基底に砂岩・泥岩が発達する有孔虫化石はgloborotalia(Turborotalia)mayeri,g.(T.)scitulapraescitula,Sphaeroidinellopsiscf.seminulina,Globigerinoidessicanusが産出してN8(中新世)に決定される。貝化石はTerebratulinasp.などが産出する。本層の上部は少なくとも2枚以上の斜長流紋岩質凝灰岩層を挟む。
福田層は層厚約550mで、滑川と前項の土塩層の泥岩の発達するまでのブロックに分布し、比企北丘陵の大半を占める。尚、本層の南方の分布は吉見丘陵の八丁湖や吉見百穴、根古屋で観察される。基底は白色~淡緑色の斜長流蚊岩質凝灰岩で、先の七郷層の上部に発達する凝灰岩とは多少区別が難しく、両層の正確な層準の境界は決め難い。しかし、滑川以北の地層で、しかも凝灰岩の基底は角礫を含むことも特性として限定すればよく、主として泥岩の発達がよい互層からなる。有孔虫化石はOrbulinaunibersa,O.suturalis,globorotalia(Turbortalia)sp.G.(T.)scitula,Globigerinoidesteilobusなどが検出され、七郷層より上位であることが判定される。
都幾川層は鳩山村奥田より南に分布し、隣「川越」図幅にまで広く発達する。一般にそれぞれ30~50m位のリズミカルな黄褐色中粒砂岩・黄褐色~灰色泥岩の互層となっており、時に1~2mのこともある。全般に軟質で砂岩は風化してぼろぼろになっている。砂岩中に保存不良の貝や植物化石が産出する。

3-6砕岩・ページ岩互層

本層は秩父系の一岩体で灰色硬質の砂岩と黒灰色片状のページ岩からなり、互層といっても規則正しくはない。形・層厚共に不規則な場合が多い。本図幅内では小川町南方の青山と青上の南1kmの所に小分布する。

3-7珪質岩

珪質岩は小川町南方の青山に小分布し、秩父系の一岩体で、化学成分がsio2のため、硬質かつ風化に対して強い。色は種々雑多で緑、灰、白、酸化鉄を含んで赤褐色にたる。

3-8輝縁凝灰岩

本図幅の南西端雷電山の緑色片岩と南北方向の断層で接し、断層の西側に分布する。一般に暗赤色、濃緑色を呈し、粗粒の凝灰岩層、集塊岩層、熔岩流の如きものなどからなっている。

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(4)火山性岩石

4-1埋没ローム

洪積統のローム層が顕著に発達している所では洗い出された一部のロームが低地の沖積統下に埋没して存在する。一般に1m以内に火山灰性土壌が出現する場合が多く、本図幅では騎西台地群の周辺や埼玉古墳群周囲に、北足立台地の北西端に、また、吉見村下細谷櫛引ケ原御稜威ケ原南端の4ケ所に分布する。一般に灰褐色を呈し、酸化沈積物があって、土性は壌質~強粘質である。

4-2ローム

関東ロームとして知られるいわゆる赤土で、本地域の各台地、丘陵地、山地に分布する。江南台地の吉岡では厚さ1mだが、松山台地の東松山で3m、N値1~9と漸次しまり、柏崎で6.5m、N値2内外、行田の騎西台地で5m程度となる。一般に黄褐色粘土質になっている。ローム層の資料は少なく、値がぱらっくので、特徴を把握しにくいが、高坂台地のロームは、立川ロームに対比される。

4-3凝灰岩

比企北丘陵、吉見丘陵、比企南丘陵の中新統に介在して分布する。七郷層(前項3-5参照)では白色~帯緑色細~中粒凝灰岩で斜長石の化学成分はAn6~55%である。福田層(前項3-5参照)は白色~淡緑色細~中粒斜長流紋質凝灰岩で斜長石の化学成分はAn18~55%と多少の差が見られる。楊井層(前項3-2参照)中の角閃石安山岩質凝灰岩は関東山地周縁の第3系の対比の有力な鍵層となる。都幾川層(前項3-4、3-5参照)中の下位将軍沢凝灰岩と上位の奥田凝灰岩とも白色斜長流紋岩質凝灰岩で、斜長石の化学成分は七郷層と近似する。また、奥田凝灰岩は小規模の漣痕式偽層が見られ、下部にashpiso1iteなる球形の火山灰が多数含まれている。

(5)深成岩

5-1花崗岩質岩石

本図幅において、小川町の富士山周辺、遠の平山の東側山麓並びに嵐山町の市ノ川両岸付近に貫入しているものと、ボーリング資料による月田橘の表層下7m以深と吉見村下細谷の表層下98~105m以深に貫入しているものが知られる。この岩石は石英・斜長石・緑色の普通角閃石を含み組織上石英閃緑岩に属し、隣「寄居」図幅の金勝山を主体とする石英閃緑岩の貫入と一連のものであると考えられる。しかし、貫入時期に関しては中新統の寄居礫岩層堆積後および先第三紀~中生代との2説が挙げられている。

5-2蛇紋岩

蛇紋岩は小川町北方の緑色・黒色片岩地帯にのみ散在的に貫入し、レンズ状に小分布している。多くは濃緑色を呈し、葉片状に割れ鏡肌光沢をしている。風化に弱く、殆どがもろくなっている。

(6)変成岩

6-1緑色片岩

動力変成の結晶片岩はいわゆる長瀞系と呼ぱれ、本図幅中の関東山地と吉見丘陵に分布する。長瀞系は三波川式変成岩という火成岩、凝灰岩および堆積岩を起源とする片岩類と御荷鉾式変成岩という主として塩基性火成岩とこれに関連する凝灰岩から変じたと思われる緑色片岩などからなっている。変成岩は成分鉱物の種類、組合せ構造が極めて複雑たなので、主として色で分け、緑色片岩など御荷鉾式変成岩の多い地域を示した。

6-2黒色片岩

黒色粘板岩、ページ岩など堆積岩起源を主としたいわゆる黒色片岩からなる地域を示した。本図幅では関東山地は殆どがこの岩石に属する。緑色・黒色片岩とも水平・垂直方向に複雑な漸移関係が見られる。

第1表熊谷図幅内の地質層序(JPG:124KB)

(埼玉大学松丸国照)

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3土壌図

(1)土壌の概要

本図幅は地形的に、古生系または第三紀系の山地及び丘陵、火山灰を堆積した台地、河川沿辺に広がる沖積低地の4つに大別することが出来る。土壌の種類はこれらの地形、地質を反映して、母材、生成条件、堆積様式等のちがいにより多岐にわたっている。
山地土壊は本図幅の南西部に限られ、結晶片岩、石英閃緑岩等を母材とし、地形は急斜地が少なく、標高差も大でなく、水分環境も中庸から乾いた状態であるため、乾性及び適潤性の土壌で、弱湿性一湿性の土壌は見出されない。ここで褐色森林土壌としては、山麓あるいは沢沿いの凹地斜面に崩落および歩行堆積したもので、理化学性が良好で林地としての生産力はかなり高い。乾性褐色森林土壌は山頂、尾根筋、山腹の凸形斜面等に広く分布している。残積土または歩行土で、酸性で養分は乏しく、林地としての生産カは低い。
丘陵地の林地土壌は、なだらかな緩斜面の多い地形において、第三紀層の泥岩、凝灰岩等の風化物を母材とし、水分の少ない環境下に生成された乾性褐色森土が大部分を占めている。この土壌は乾燥し、Ao層のうちF層の発達がみられ、A層の腐檀の浸透は少なく、粘質で理化学性が良好でなく、林地としての生産力は低い。しかし、面積的に狭いが崖錐、谷頭、沢沿いの崩積土は、理化学性にすぐれ、林地としての生産力も高い適潤性の掲色森林土壌が生成されている。
丘陵地の畑地や集落は、谷沿いの狭い段丘上にあるが、土壌は一般にAo層を欠き、基岩風化物を母材とした堆積あるいは崩積物である。とこうにより表面を火山灰が被覆している場合がある。
台地上の土壌は火山灰堆積物を母材としたものからなる。黒ボク、淡色黒ボク土壌が大部分を占めるが、一部に厚層黒ボク土壌がみられる。櫛引ケ原台地の中位面から、下位面にかけてのやや広い面積に、非火山灰性上壌の上に、火山灰土壌が二次堆積した特徴的な土壌が分布する。また図幅東縁の北足立台地には、河川沖積上を人為的に客入した土壌がある。これら台地土壌には、畑地、自然林、集落などが存在している。
低地の土壌は、各河川に分布するが、本図幅北、東部の荒川流域に最も広大な面積を占めている。母材はほとんどが河川堆積物に因っているが、台地に隣接した低地には、ところにより再積性火山灰土壌や、下層から火山灰土壌の出現する土壌がみられる。
河川敷、自然堤防及び一部の礫質谷底部では、粗粒川粘質の褐色あるいは灰色の低地土壌が布し、畑地、陸田及び集落となっている。その他の低地ではおおむね水田土壌である。
荒川、都幾川の上流城の低地土壌には礫質土が多く、土性も壌質のものが多いが、下流域では礫質土はなくなり、粘質~強粘質な土壌となる。しかし市ノ川、滑川及びその支流の谷底部では上流から強粘な土壌が分布している。これは母材となっている丘陵地段丘堆積物の影響が強いためと推定される。
河川に近接した水田では、灰色低地土壌及び弱グライ型の土壌が分布し、おおむね、乾田半乾田であるが、河川から離れると地下水位の影響が強く、地下水位の高い部分に強グライ土壌、、泥炭、黒泥土壌が共存して分布するようにたり、湿田となる。本図幅中でのこれら低湿型の土壌の分布分布面積は比較的小さい。水田低地が埋め立てられ、工場団地、宅地用地となっているところがあるが、その盛られた土壌は雑多であり、面積の大きいものにつき、盛上等による人工改変地として一括した。
本図幅は16土壌群に大分され57土壌統に区分された。各土壌統の主な性質は別表の通りである。

(2)土壌細説

2-1山地の土壌

(1)乾性褐色森林土壌

金膓山1統(Ki-1)金勝山、富士山山地の南部で、石英閃緑岩を母材にした砂質~細礫質の残積土で、山頂から中腹にかけ主として凸形斜面に発達分布している。乾燥環境において生成されたため、有機物の分解浸透は悪く、A層が薄い。また、堅い微粒状及び粗粒状構造が発達し、やや酸性で養分に乏しい。受食のためA層を欠く場合もある。スギ、ヒノキ造材木の生育は良くない。
三カ山1統(Mi-1)金勝山、富士山山地の北部に分布し、第三紀層寄居礫岩を母材とした残積または歩行上である。この地域ではドーム状地形で、凸形斜面となっており、崩積土は少ない。砂岩質の円礫岩に由来するため円礫に富む砂土川砂壌土となり、土層も一般に浅い。A層は薄く、表層には粗粒状構造が発達し、下層はかなり固い。養分に乏しく未熟土壌的性格を帯びている場合も少なくない。
長瀞1統(Nag-1)長瀞系結晶片岩を母材にした残積土で、片状腐礫を含む場合が多い。金勝山、富士山地の北東部から仙元山山地の北部地域で、結晶片岩山地の山頂部から斜面中腹一帯の乾燥し易い場所に生成発達する。一般にAo層とくにF層が発達し、A層は薄く、粗粒状や微粒状構造となっている。B層は腐植に乏しく黄褐~褐色できわめて堅い。黒色変岩類が大部分であるが一部緑色変岩類もみられ、ここでは岩種に区別するほど土壌の性状にちがいはない。
五明統(Gm)堂平山、雷電山、仙元山山地の西部地域において、山頂平坦部、稜線部の緩斜面に出現発達する残積土である。表層は火山灰で、きわめて乾燥しAo層のうちF層が比較的厚く5cm程度堆積し、A層上部に菌系網層の発達がみられる。腐植混入層は深くない。B層は粘質が強く、色も赤褐色を帯び深い。全般的に乾性の環境下にあるため林地の生産力は劣っている。この地域一帯にアカマツ、イヌツゲ、ヒイラギ、アセビ、ヒサカキ等の乾性型の植生が分布している。
玉川統(Tmg)五明統(Gm)と同じ堂平山、雷電山、仙元山山地の西部の山麓地城で、広く凸形斜面の山腹や沢沿いの緩斜面に存在する結晶片岩の同化生成物を母材とする弱乾性の歩行土または崩積土である。表層には軟質の腐植混入層があるが薄く、下層は粘貫で、堅果状構造が発達し、通気透水性はあまり良好でなく堅密な土壌となっている。五明統(Gm)よりは幾分水分環境にめぐまれているが、年間を通じては長期間にわたり乾燥環境におかれているため土壌の生産カは高くない。小川町下里では槻川の蛇行部の南斜面山麓や玉川村では八高線に沿った両側の山麓緩斜地にも出現する。この統は、以前畑地、桑畑として利用され、現在林地となっているものが多い。アカマツの生長は良く、ヒノキの生育も悪くないが、スギの生育には不適地となっている。

(2)褐色森林土壌

大満統(Da)この統は結晶片岩類のうち緑色変岩類の風化物や、これと火山灰との混入物を母材とし、中庸ないしやや湿りの環境下に生成された土壌である。この図幅に表われる大満統は、都幾川に北面する狭長な小面積の部分である。暗褐色のA層は小角礫を含み、粗で軟粒状構造であるがあまり厚くない。B層は小角礫を含み腐植に乏しくやや粘質であるが土層がかなり深い。この統では、スギ、ヒノキの生長は普通である。
金勝山2統(Ki-2)金勝山1統統(Ki-1)と同じ石英閃緑岩風化物を母材とし、山麓或いは沢沿いの凸形斜面に崩落および歩行堆積した土壌である。この統は土層が深く、礫に富み、中庸たいしやや湿りの水分環境にあるため有機物の分解も良く、腐植も深くまで浸透し、比較的養分に富み、スギ、ヒノキの造材木の成長も良い。しかし、このような山地では、この土壌の分布面積は狭小である。
青山統(Ay)これは、堂平山、雷電山、仙元山山地の西部地域で、長瀞系結晶片岩の風化物を母材とした比較的急峻な山地の山腹歩行土で、一部山頂または凸形緩斜面上の残積土も含まれる。暗褐色の腐植層は軟粒状でやや深く、下層土へも腐植混入がみとめられ、小角礫を含み、比較的土層が厚く、スギ、ヒノキの生育は悪くない。
下里統(Szt)この統は青山統(Ay)と同一地域で、長瀞系結晶片岩風化物を母材とし、凹形斜面下部、崖錐地、沢頭等に狭く分布している崩積土である。A層は黒褐ないし暗褐色で腐植に富み、固粒状構造が発達し、中大角礫が多く、腐植も30cmぐらいまで浸透し、褐色のB層に漸変し、B層もあまり壁状になっていない。この地域においては長瀞結晶片岩を母材とする土壌統のうちで最も生産力が高く、スギ、ヒノキの成長は良好である。

2-2丘陵地の土壌

(1)残積性未熟土壌

如意統(Ne)比企南丘陵で物見山礫層を母材とする水分環境の不良な条件下に生成された残積土である。土層はあまり深くなく、とくに山頂部や稜線部は浅い。つねにF-H層が発達しここに菌糸或いは菌糸網層の発達がみられる。表層は褐色を帯び粗粒状構造で、下部への腐植の浸透は少なく、ほとんどA層を欠いた状態である。B層は褐色で粘質が強い。林木の生育は不良で、天然生のアカマツ、広葉樹等は生育するが、ヒノキの人工林には向かない。

(2)乾性褐色森林土壌

高根山統(Tkn)比企北丘陵に分布する新第三紀の砂岩、泥岩または凝灰岩を母材とするきわめて乾燥した養分に乏しい土壌である。Ao層のうちF層が発達し、A層は腐植混入部が薄く、組粒状構造でH-A層またはA層上部に菌糸または薗糸網層が発遠する場合が多い。B層またはA-B層は堅果状構造が発達し、きわめて粘質、腐植に乏しい。基岩は脆弱で固結度か弱く、鍬等で容易に砕くことができる。林地土壌としての生産力は低く、天然生のアカマツの生育は良いが、人工林のスギの生育は不良、ヒノキも良好でない。
神戸統(Gd)比企南丘陵(物見山丘陵)の北西部の新第三紀の凝灰岩の風化物を母材とする乾燥した環境下に生成された土壌である。Ao層ではF層が発達し、A層は暗褐色で粗粒状構造であまり厚くない。A層上部に菌糸を含み褐色のB層との境界は明瞭である。B層全般に堅果状構造が発達し、その下部はきわめて粘質である。山頂部でもアカマツの天然生林の成長は良好であるが、スギ、ヒノキの造林木は成長不良である。
吉見1統(Ys-1)吉見丘陵の南東部で基盤に固結度の弱い砂岩、泥岩があり、その上部に礫層あるいは火山灰の分布がみられ、これを母材とした乾燥環境下に生成した土壌である。Ao層ではL層、F層が発達し、暗褐色のA層またはH-A層は薄く、山頂緩斜面ではA層上部に菌糸網層の発達がみられ、粗粒状で、灰黄褐色のB層に変化する。B層は粘質であまり固くない。アカマツ、ヒサカキ、アセビ等の乾性型の植生が分布し、土壌の生産力は低い。スギ、ヒノキの造林木の生育は良くない。

(3)褐色森林土壌

広野統(Hn)高根山統と同じ比企丘陵において、主として斜面下部や凹型急斜面に歩行または崩落堆積した新第三紀層の岩石風化物を母材とし、中庸ないしやや湿りの環境下に生成されたものである。母材と地形から官ノ倉山山地もこの統の分布がみられるが小面積である。暗褐色を呈し腐植に富んだA層は、塊状で、黄褐~暗褐のB層へ漸変している。B層は堅央状構造が発達している。スギ人工林の生長は良くないが、ヒノキの生育は普通または良好である。
下神戸統(Sk)神戸統と同じ比企南丘陵において、沢沿いや凹形斜面下部に歩行または崩落堆積した新第三紀の凝灰岩の風化物を母材として生成された土壌である。神戸統に比べてF層の発達が弱く、A層は黒褐~暗褐色で軟質の塊状構造が発達し、腐植質の下層への浸透が大である。B層はきわめて粘質である。ところによっては沢が浸食されて表土が薄く、基岩までの土層が浅い場合もある。スギ、ヒノキの生育は普通~良好である。
吉見2統(Ys-2)吉見1統と同じ吉見丘陵地域で、新第三紀の砂岩、泥岩、礫層を母材とし、主として凹型斜面や沢に沿って崩落堆積してできた土壌で、吉見1統(Ys-1)よりやや湿りの環境下に生成されたものである。A層は砂質埴壌で暗褐色を帯び、軟粒状で腐植の浸透もかなり深く、黄褐色のB層に漸変する。下層には旧表土(A´層)を有するものがあり、これは暗掲色で、粘質で、更にこの下部は円礫の多い褐色の埴土に急変している。スギの生育は良好ではないが、ヒノキはかなり良い生長を示している。
物見山統(Mny)比金南丘陵(物見山丘陵)地域において、主として斜面下部に崩落堆積した新第三紀の岩石風化物を母材とし、中庸ないしやや湿りの環境下に生成されたものである。軟粒状構造の暗褐色の腐植に富んだA層はあまり厚くないが、円礫を含んだ暗褐色のA-B層に漸変している。スギ、ヒノキの成長は普通~良好である。
石坂統(Iz)比企北丘陵の樹枝状に伸びた谷に沿って、10゜内外の斜面に分布する。第三紀泥岩類あるいは凝灰岩を母材とする残積性または崩積性の土壌である。耕地または集落として利用されているためAo層を欠く。全層、腐植含量は5%以下、角礫または半角礫を含み強粘である。1m以内から礫層または基岩となる。生産力は低い。
滑川統(Na)分布地域、母材、堆積様式、土性いずれも石坂統に類似するが、全層に礫をほとんど含まず、有効土層は1m以上で深く、斑鉄等の酸化沈積物があることにより区別される。傾斜5゜程度の面から平坦地にかけて分布する。集落、耕地として利用されているが生産力は低い。
宮内統(Mu)分布地城、母材、堆積様式、土性いずれも石坂統に類似するが、小面積山麓の緩斜面に分布することがある。全層に礫および礫層がなく、酸沈積物もない点で前記2統と区別される。主に畑地として利用されている。

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(4)黒ボク土壌

菅谷統(Sy)南北両此企丘陵の比較的平坦な面に散在するが、松山台地の菅谷附近にも分布している。表土は風積性火山灰土壌であり、腐植含量は8%前後あり、壌質土である。下層は第三紀泥岩類母材とした強粘な土壌となる。畑または、集落として利用されている。

(5)淡色黒ポク土壌

杉の森統(Sm)南北両比企丘陵及び江南、東平台地の緩斜地および平坦地に分布する。層序的には表土の腐植含量が、3~4%と少ない点の外は菅谷統に一致する。畑としての生産力は中程度である。

2-3台地の土壌

(1)厚層黒ボク土壌

大竹統(Ot)櫛引ケ原台地、江南台地に分布する。風積性火山灰土壌であり、全層の腐植含量5~1O%の範囲にある。台地上の凹地に周辺土壌の表上が、風蝕により移動した埋没土壌と考えられる。分布面積は大きくない。

(2)黒ボク土壌

将軍沢統(Sh)松山台地、玉川台地の平坦面または緩斜面に保存されている火山灰を母材とした俗に「黒ノッぺ」と呼ばれる土壌である。腐植に富む黒褐色のA層は深く、褐色のB層に漸変する。A層上部は土壌化が進み、軟粒状構造で暗褐色を帯びており、下層は壁状構造となっている。アカマツを上木とし、下木をコナラ、エゴ等が占め、下層はアヅマネザサ等になっている林地が多い。アカマツの生長は良好で、スギ、ヒノキの人工林の生育も普通である。秩父山地の平垣面に出現する黒ボク土壌の城峯統(Jo)に比べると、このの将軍沢統の方がA層の黒色程度が弱い。
青山統(Kb)各台地上に広範に分布する風積性火山灰土壌である。表土は腐植7~8%含み壌質であり、黒褐色を呈する。この腐植層厚は50cm前後である。次層からは腐植3%程度の褐色の層となり、多くの場合その下に黄褐色のいわゆる心土となる。下層土は壌質ないし粘質である。全層礫は含まず、畑地及び集落地として利用されている。生産カは中程度である。
下大谷統(So)櫛引ケ原台地、江南台地に部分的にみられる風積性火山灰土壌である。断面の形態的には、冑山統に類似するが、下層土に斑鉄があり、地下水の影響のあることを示している。
花園統(H)櫛引ケ原台地が熊谷低地に接する部分に特徴的に分布する。台地下位から隣接低地面にまたがっている。表土は二次堆積の火山灰で小円礫を含み、腐植含量は7%前後ある。下層より非火山灰性の土壌となり、礫層が出現する。

(3)淡色黒ボク土壌

干代統(Se)江南台地に保存されている火山灰を母材にした残積土である。L層およびF層はかなり発達し、H-A層がうすく存在する場合には、そこに菌糸網層を見出すことができる。A層はは腐植に富み、黒褐または暗褐色で、灰褐または褐色のB層との境界は明瞭である。この台地上の土壌において、東部地域のものが西部地域のものに比べA層の黒色が強く、B層の褐色が灰色味を帯び、黒ボク土壌の性状もみとめられるが一つの千代統に総括した。アカマツの生育は良好で「千代松(せんだいまつ)」と云われている。アカマツの林内にはヒノキの稚樹の発生も多く、ヒノキ造林木の生長も良好である。スギの生育は普通である。
児玉統(Kd)台地各地に広く分布する風積性火山灰土壌であり、冑山統に隣接して分布する。表土の腐植含量は5%以下である。風触または人為的に、腐植層が剥離されて生じたものと推定される。集落などに利用されているが、生産カは中庸である。
久城統(G)櫛引ケ原台地のやや低湿な凹地に小面積分布する。風積性火山灰土壌で、層序的には児玉統と似るが、下層土に酸化沈積物の認められることにより区別された。
川国谷統(Kw)北足立台地に分布する。かつては、冑山統あるいは、児玉統に属する風積火山灰土壌であるが、多年にわたり荒川河川敷土壌が客入されてできた土壌である表土は20cm内外に沖積土壌を混じ、火山灰土壌と沖積土壌の中間的性格をもっている。生産力は客入のない場所より若干高い。
小前田統(Od)櫛引ケ原台地に分布する。表上は二次堆積火山灰土壌と推定され、壌質で腐植含量は5%以下、小円礫がある。下層からは非火山灰性の土壌となる。畑地および集落として利用されている。
青瀬統(Az)小前田統と同様、櫛引ケ原台地に分布する。小前田統より低地に隣接して広がり、更に低位に花園統がある。同台地上の浅い谷に細長く分布しているところもある。表土は腐植含量5%以下の壌質であり、小円礫を含む二次堆積火山灰土壌である。下層より非火山灰性土壌及び、礫層が出現する。

(4)黒ボクグライ土壌

榛沢統(Haz)櫛引ケ原台地、江南台地を、浅く細長く刻む谷地田に分布する。腐植含量は全層5~9%で、周辺火山及の二次堆積物からなる。地下水位は高く強湿地であるが、母材の性質により、典型的なグライ層は出現しない。おおむね50cm以下ではジピリジル反応が明瞭となることにより、グライ土壌とした。水田として利用されている。

2-4低地の土壌

(1)黒ボク土壌

上広谷統(Kh)本来、入間台地の中位面に広く分布する土壌であるが、本図幅では松山台地が都幾川低地との境の自然堤防に分布している。表土の腐植含量7~8%であり、小円礫が認められる壌質土であり、火山灰の再堆積土壌である。下層から黄褐色のいわゆるローム層となり、層序的には、風積性の冑山統に類似する。畑及び集落として利用されている。

(2)多湿黒ボク土壌

谷中統(Yan)主として松山台地沿いの都幾川谷底部に分布し、自然堤防と分布する上広谷統と隣接する。騎西台地群沿辺にも分布がみられる。表土は火山灰の再堆積物からなり腐植を含む壌質土であり、下層から灰褐色ローム層となることがある。多くは湿田である。

(3)褐色低地土壌

新戒統(Si)河川沿辺の低地に分布するか、本図幅では熊谷低地及び、荒川河川敷に比較的広い面積分布している。表土は腐植含量3%前後であり、土性は壌土、砂壌土が主体である。物理性良好であり、畑および集落として利用されている。
勅使河原統(Tg)図幅の荒川上流の両岸に比較的大面積分布する。また都幾川、槻川、市の川の流域にも分布するが、いずれの河川でも下流域になるほどこの統の分布は少なくなり、荒川低地にはみられない。表土は壌質であり新戒統と似るが、未風化の細、小円礫を含むことがある。下層はおおむね50cm内外より礫層となる畑および集落として利用されているが、生産カは比較的高い。

(4)細粒灰色低地土壌

平塚統(Htu)各河川流域の低地に普遍的に存在する土壌である。荒川流城の下流及び都幾川低地の谷底部にやや広く分布する。全層強粘質で土色は黄灰で明るく、酸化沈積物に富んでいる。柱状構造が発達し、地下水位は低く乾田である。裏作可能であり生産力は高い。
福田統(Fud)山地、丘陵の開析谷の沿岸に分布する。母材は第3紀堆積岩等、周辺部の基岩が主なものと推定される。全層強粘であるが、下層土の色が暗灰~灰である点で、平塚統と区別される。相当な強湿地であるが、グライ層はない。水田として利用され棚田が多い。裏作はほとんど行われていない。

(5)灰色低地土壌

清水統(S)荒川低地を中心として、熊谷低地東端、加須低地、笠原低地などに分布する。主としてこれら低地の自然堤防にある。表土はおおむね壌質であり、下層から強粘土壌になることもある。全層に酸化沈積物がみられ、多少とも水の影響がある。集落及び畑として利用され、ところにより陸田となっている。生産力は比較的高い。
長瀬統(Ns)各河川の上流域に勅使河原統と隣接して分布する。下層に礫層を有し、勅使河原統に類似するが、水田として利用されているため土色は灰色を呈し、酸化沈殿物がみられる。下層の礫層が50cm以内に出現するような場所では漏水が大きい。生産力は中程度である。
三箇統(Sa)騎西台地群沿辺の低地に出現する土壌で、その分布面積は大きくない。表土は黄褐ないし黄灰の粘質な河川堆積性の土壌であり酸化沈積物がある。20~50cmの下層から火山灰性の黒褐色の壌質土壌となる。集落または畑、陸田として利用されている。
長野統(Ng)騎西台地群沿辺の低地に分布する。表土に河川堆積性の土壌があり、下層より火山灰性土壌が出現する点では三箇統に類似し、隣接して分布する。表土は壌質ないし粘質であるが、次層に強粘土壌となる場合もある。土色はほとんど灰色で、酸化沈殿物を含む。下層火山灰層は腐植層を欠き黄褐ローム層となる場合もある。水田として利用されている。
仁手統(Nt)熊谷、荒川、笠原、加須の各低地及び、荒川河川敷に分布する。全層壌質の場合が多いが下層では強粘質となることもある。清水統と隣接して分布することが多い。乾田であり生産力は比較的高い。

(6)粗粒灰色低地土壌

向古河統(Mk)荒川河川敷内に川沿いに小面積分布する。表土下層とも砂質壌土であり酸化沈積物がみられる。畑として利用されている。
川俣統(Kwa)向古河統と同様に、荒川河川敷に小部分ある。表土は壌質であるが、下層30~50cmから砂質土壌となる。表土に酸化沈積物は比較的多い。畑として利用されている。

(7)細粒グライ土壌

山田統(Ya)各低地に平塚統、福岡統と隣接して分布することが多く、全層強粘質土壌で腐植含量は2%以下であり、50cm以下からグライ化している。水田として利用されているが、裏作は可能で、生産力は比較的高い。
伊佐沼統(Isa)小川盆地の谷間、熊谷低地に小面積分布している。全層強粘質土壌からなり地下水位は高く、湧水面は50m以内である。50cm以内でグライ層となる。グライ層に斑鉄等の酸化沈積物は全くない場合が多いが、黄褐色管状斑が僅かにみられることもある。
片柳統(Ky)荒川低地、熊谷低地に分布する。本図幅での面積は大きくない。表上は壌質であり、下層が強粘質となる場合もある。50cm以下にグライ層がある。灰色低地土壌の仁手統が地下水の影響で下層グライ化したものと考えられる。水田として利用され、裏作は可能なところが多い。
管島統(Sz)加須低地の谷底に小面積分布する。層序的には片柳統のグライ層が更に上にあがった土壌である。湿田で、生産力は高くない。

(8)低位泥炭土壌

鯨井統(Ku)熊谷低地に分布する。一般に全層強粘な土壌であるが、下層壌質となることがある。下層50m以下で泥炭層が出現し、グライ化している。裏作可能地は少なく生産カは低い。
下八ツ林統(Syb)荒川及び市ノ川の下流域の低地に分布する。鯨井に比して泥炭層の出現位置が高く、50cm以内から出現する。地下水位高く、泥炭層はグライ化しているとみられる。水田として利用されている。
箕輪統(Mw)荒川低地の大里村箕輪に小面積分布する。表土は粘質である。50cm以内から黒泥層となり、更に50cm以下から泥炭層が出現する。水田として利用されている。

(9)黒泥土壌

花和田統(Hw)荒川低地及び笠原低地に分布する。全層おおむね強粘質土壌であり下層50cm以内から黒泥層とたる。地下水位の高いところが多く下層50cm以下でグライ化している。多くは湿田であり、裏作利用には困難が伴う。
小八ツ林統(Kyb)荒川低地の大里村小八ツ林、及び加須低地、行田市荒木附近に、いずれも小面積分布する。全層おおむね粘質であり、50cm以下から泥炭層となる。半湿水田であるが、裏作は可能である。
大串統(Ogs)荒川低地の吉見町大串附近にやや広い面積、その他熊谷、笠原、加須の各底地に分布している。全層強粘質土壌からなり、50cm以下から黒泥層となる。比較的地下水位の低いところにあり、裏作は可能であるが、生産力は高くない。

土壌統一覧(1)(JPG:509KB)(2)(JPG:503KB)(3)(JPG:262KB)

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4傾斜区分図

本図幅の山地・丘陵地は水系・谷密度図で見られるとおり、開析が進み、作業過程での側斜区分の表現が難しいところは地形変換の曲線間に傾斜をだして求めた。

山地においては雷電山頂上から東斜面、槻川の蛇行に面する山腹面、富士山の山頂南面、奈良梨西方204m高度の山では傾斜15~20度の区分内に属し、局所的に20~30度の区間も発達している。堂平山、雷電山、仙元山山地では一般に8~15度区間の傾斜面が多く、次いで3~8度に属する。一方、他の山地ではその逆になっていて、高度的にも低く、開析が進んでいるためによるだろう。

丘陵地では全体的に3~8度の傾斜区分に属し、8~15度の傾斜面は散在的に分布している。より急な斜面は比企北丘陵では市ノ川に沿って、15~20度を、また、傾斜値が存在し、吉見丘陵では滑川、市ノ川に沿って15~20度の面が比企南丘陵では神戸や葛袋で15~20度が、葛袋東で20~30度の斜面が見られる。40度以上の急斜面は人工的に採掘された所が多く、各丘陵に点在して見られるが、あくまで、初源的柱地形面ではないが、目立つ所は参考として入れた。

台地において.は「大宮」図幅と同様の調査方法で求め、台地・低地の不整合面に沿って崖が発達している関係上、そこに平均傾斜角が求められた。櫛引ケ原台地は荒川に対し、急な崖を呈する所で、40度以上になるが、15~30度ないし3~8度の緩傾斜面も発達する。江南台地では所により、20~30度の傾斜が発達するが、大体は8~20度の区間に属する。松山台地では都幾川面に対して8~15度となる。羽尾・東平・騎西・北足立各台地とも斜面はゆるく3~8度の区間に属する。ただし、埼玉古墳群の発達する所では30~40度の高い傾斜値を得た。

本地域の傾斜区分は大局的には地形との関連は大きいし、急傾斜は切峯面図の等値線に沿う場合が多い。また葛袋の地を除いては、変成岩よりなる山地の方が中新統よりなる丘陵より外的営力に強いから、傾斜値が大きかろうことが判読される。

(埼玉大学松丸国照)

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5水系・谷密度図

本地域は山地・丘陵および低地に水系が顕著であり、とりわけ前者は分水嶺から生じた水系が主要河川の支流へと連続している。後者は主要河川・例えば荒川に沿う伏流などの平行河川が著しく扇状地における支流河川の傾向が伺える。しかし、灌漑用水および河川改修と人工的な改変もあって必ずしも現地形そのままを示さない場合もある。台地上は水系が貧弱であって、とりわけ、松山台地は江南台地よりも侵食が進んでいない。作業規程より算出した値から、谷密度は上述の特性を反映して山地・丘陵地では14~33の範囲で、台地に見るように0~14より高い。低地では0~22まであって、水田耕地では10~20の所が一般である。
表層地質と水系・谷密度との関係では、大局的に山地の変成岩地帯は分水嶺が四方によく発達し、丘陵地におけるよりも密に分布している。また、比企北丘陵の中新統が北西-南東方向の背斜・向斜軸をもち、同方向の断層による支配の地質構造のため、主要河川の支流となる市ノ川、粕川、滑川、角川は同方向を持ち、わき枝的小沢はそれに直交して存在している。
傾斜区分図と水系・谷密度図との関係は山地や丘陵地の急斜面では水系、谷密度とも小値を表わすようだが、一般的傾向は見られない。台地では傾斜崖に直交して、水系が発達し、そこにのみ谷密度が知られる。

(埼玉大学松丸国照)

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6利水現況図

本図葉における利水は農業用水、生活用水である。
水源は農業用水では荒川などの河川水・芳沼・八丁湖等の丘陵・台地に見られる小溜池などである。生活用水は主として地下水であるが一部には河川の伏流水・地表水を利用している。
農業用水について見ると平野の大部分は河川の流域の谷底平野に水田が発達している。又低地では殆んど水田である。したがって土地改良区を見ると荒川の西岸には比較的大きな土地改良区が多く、大部分の平地がいずれかの区域に含まれている。
比企丘陵は第3紀中新生の岩石からなるので地下水の乏しい地域で、古くより谷頭に溜池を数多く作りその水を利用している。
溜池は丘陵だけでなく都幾川やその支谷の谷頭池が溜池となっており、その他中小河川の諸低地は大部分取水した河川の流域内で利用されている。
生活用水についての水利用状況をみると、川本村は荒川、小川町は槻川、嵐山町・東松山市は都幾川の伏流水、その他熊谷市・行田市・江南村・大里村・吹上町・吉見町・滑川村・鴻巣市は地下水を利用している。しかしこの地域は地下水の乏しい地域であり、加えて最近の工場進出、人口増による過剰揚水のため地下水位の低下が著しく、今後もこの状況は進行していくものと予想されるため、現在県営広域電二水道用水供給事業計画策定中である。

第2表図幅内の水位・地下水位観測箇所及び雨量計設置地点

  1. 水位観測箇所(JPG:80KB)
  2. 地下水位観測所(JPG:24KB)
  3. 雨量計設置地点(JPG:60KB)

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7防災図

本図葉の西部は関東山地、中央部は比企丘陵で残りは平野と台地である。
山地・丘陵では治山・治水の立場から、平野は洪水・地震の点から考察する。

(1)山地

山地の山容はゆるやかで崩壊林地・地すべり地は殆んどなく、又その危険のある個所もない。したがって治山施工もない。しかしながら長瀞系結晶片岩第三紀層・第四紀層からなるので今後の開発においての注意を怠たると地すべり、崖くずれ等を誘発する危険性がある。
河川の砂防対策も市野川一個所・結晶片岩地帯を流れる都幾川と都幾川に流入する諸支流の殆どを砂防指定地としている。

(2)丘陵

比企丘陵は一般にゆるやかなために、保安林もなく、砂防等もない。しかしこの丘陵は最近宅地造成が進み、土木工事のための土砂採集により山林は削られ、山肌が現れているのでこの地域の開発に対応する防災のためには、河川の改良が望まれ、山腹の切取りには地層に適した傾斜角を保持させ擁壁の保全工の施行と共に裸地の緑地工が必要である。丘陵上には物見山礫層が広く、かつ、厚くおおうが、この礫層は水を吸うと流動しやすく、しばしば崩壊を起している。

(3)平野

台地縁の急崖は花園村・川本村・荒川縁、都幾川村・玉川村・東松山市の都幾川縁にみられる。
保安林は農耕地に付随した防風を目的とするものであり、熊谷市・深谷市・江南村・川本村・寄居町・嵐山町・鳩山村等に5ヶ所ある。
洪水に対しては荒川は堤防が整備されているが、その他の河川は十分な整備がされていない。需要水防区域は橋梁架換え3年未満とか重要構造物の工事中であるとかという意味である。
湛水区域図は想定浸水区域図をもとにして作成した。浸水区域の分類は地形・標高及び既往の洪水時における浸水状況時を考慮してきめたものであって、降雨量は既往の降雨継続時間から考えて、1.5日間雨量を対象とし、大河川破堤及び局地的な高位地については考慮していない。昭和46年8月30日の台風の際吉野川沿いの大里村・市ノ川沿いの吉見町・川島町等に浸水し深いところで1m余りに達したが、殆んど水田である。しかし工場進出や宅造のため森林・耕地が減少し取水の浸外能が縮小し、地表流出が多くなり、中小河川は溢流し浸水する恐れがある。
地震は西埼玉地震の際震源地が小川町の仙元山付近であった時台地ではロームの下に礫層が横たわっていたため被害が少なかった。これに対して関東大震災の時吉見町や川島町の附近は被害が大きくこの地帯は沖積世の厚い砂層が分布する地であることのためと思われる。

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