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掲載日:2018年2月6日

土地分類調査報告書(鴻巣)

目次

  1. 位置及び行政区画
  2. 人口
  3. 地域の特性
  4. 主要産業の概要
  5. 開発の現状と方向
  • 各論
  1. 地形分類図
  2. 表層地質図
  3. 土壌図
  4. 傾斜区分図
  5. 水系・谷密度図
  6. 利水現状図
  7. 防災図
  8. 冠水区域図

序文

60年代のわが国の高度経済成長と総合開発への指向は、経済社会構造にさまざまの「ひずみ」をもたらしましたが、とくに本県は首都東京の過密過大都市化による影響を強く受けて、その地域構造は追って地すべり的に変動を続けてます。

このことは、県南地域の人口の激増に端的にあらわれておりますが、東京と連たんした形での市街地形成、住宅、工場の無秩序な立地公害の発生や社会資本整備のたち遅れなどによって、生活環境の悪化が深刻化しております。そしてこの傾向は都市化の外延的拡大に伴い、県南外周部から県北地域にまで波及しようとしております。

このような現状を直視し、県では「人間尊重と福祉優先」の理念に立って、将来の県勢の望ましい姿を想定し、県土の均衡ある整備を進めるために各種計画を相互に補完調整しながら計画的かつ効率的な県土の利用をはかることとしております。

ご承知のように、公共の福祉を優先させ、自然環境の保全を図りつつ、地域の諸条件に配意して、健康で文化的な生活環境の確保と国土の均衡ある発展を図ることを基本理念とした国土利用計画法が制定され、総合的かつ計画的な国土利用が図られることとなりました。

しかし適切な土地利用を図るために、地域の自然的条件やその他の条件を蜜に調査し、十分実情を把握したうえで推進することが、何よりも大切なことであります。

この度関係各位のご協力のもとに、土地分類基本調査を実施し、既刊の「熊谷」図幅に引続いて「鴻巣」図幅が完成いたしました。この調査は、地域の地形、表層地表、土壌等の土地条件や、土地利用上の規制因子となる利水条件、土地保全条件等土地の性質を調査集録したもので、今後の県土利用上極めて重要な基礎資料であります。自然の保全や回復を図りつつ真に人間性豊かな地域社会をつくるために折角の調査資料を充分に活用されますよう希望するものであります。

なお本調査の実施にあたりましてご協力を賜りました国土庁、茨城県ならびに本県の関係各位、また資料を提供していただいた関係機関に対し心から謝意を表する次第であります。

昭和50年2月

埼玉県企画財政部長松永緑郎

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まえがき

  1. 本調査の事業主体は埼玉県で、国土庁土地局国土調査課の指導と茨城県の協力を得て国土調査費補助金をもって実施した。
  2. 本調査成果は、国土調査法施行令第2条第1項第4号の2の規定による土地分類基本図及び土地分類基本調査簿である。
  3. 調査の実施、成果の作成機関及び担当者は次のとおりである。
調査の実施、成果の作成機関及び担当者

調査項目

作成機関および担当者

  • 土地分類調査
  • 表層地質調査
  • 傾斜区分調査
  • 水系、谷密度調査

埼玉大学教育学部文部教官松丸国照

土壌調査

埼玉県農業試験場化学部長石居企救男

〃化学部主任秋本俊夫

〃林業試験場保護部長野村静男

茨城県農業試験場化学部長吉原貢

利水現状調査

埼玉県農林部耕地計画課主任海野将

〃土木部河川課技師大郷雅仁

〃衛生部環境衛生課技師上杉幸子

茨城県農地部農地計画課技師須能正恒

〃土木部河川課技師小松靖男

〃衛生部環境衛生課主幹高橋構三

防災調査

埼玉県土木部河川課技師大郷雅仁

〃ダム砂防課技師小宮憲一

茨城県土木部河川課技師小松靖男

総括

埼玉県企画財政部土地対策課長株木一郎

〃課長補佐山岸博

〃地籍調査係長武藤繁三郎

〃主任池谷清

茨城県農地部農地計画課技師須能正恒

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総論

1位置及び行政区画並びに面積

位置「鴻巣」図幅は、関東平野の内陸部、埼玉県のほぼ北東に位置し、茨城県の一部を包含する、経緯度は東経139°30’~139°45’、北緯36°00’~36°10’の範囲であって、図幅内の全面積は416.26平方キロメートルである。

行政区画北葛飾郡栗橋町、鷲宮町久喜市、南埼玉郡菖蒲町、北埼玉郡騎西町の全域及び加須市、北埼玉郡大利根町、北川辺町、川里村、行田市、羽生市、鴻巣市、北本市、桶川市、北足立郡伊奈町、蓮田市、南埼玉郡白岡町、宮代町、北葛飾郡杉戸町、幸手町、上尾市、比企郡川島町、吉見町、春日部市、茨城県古河市、猿島郡総和町、五霞村の一部の地域11市12町3村である。

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2人口

県の人口は昭和50年1月1日現在水系469万人で、昭和40年以降10年間で156%と驚異的な増加率を示している。
その原因は首都圏域からの流入人口で東京都からの流入が1位を占めている。

第2表都心からのキロ圏別人口の動き

区分

30km未満

31~40km

41~50km

51~60km

61km

県計

人口

%

人口

%

人口

%

人口

%

人口

%

人口

%

昭和
35年
40年
45年
49年

千人
926
1,338
1,818
2,342


38
44
47
50

千人
424
547
821
965


17
18

21

千人
278
306
358
478


11
10
9
10

千人
295
307
331
340


12
10
9
7

千人
508
517
538
564


22
18
14
12

千人
2,431
3,015
3,866
4,689


100
124
159
193

※キロ圏別人口は圏内の市役所、町村役場の所在地により区分、その市町村の総人口とした。

51~60kmが本図幅の中心圏域である。

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3地域の特性

1自然的条件

(1)地勢

この地域の地形は、本県の中央を縦断すると荒川と県北境を流れる利根川との間に挟まれ、それ等を水源とする用悪水路が扇状的に北西から南西方向に流れ、元荒川、古利根川に合している。
これ等河川の自然堤塘をなす台地と低地からなる一連の田園地帯で県北東部の穀倉地域である。

(2)気象

本県の気候はいわるゆ表日本式で、冬は乾燥して晴天が多く、日中北西季節風が強く吹き、夜から朝にかけての冷えこみが厳しい。夏は南東の季節風は弱く、日中の最高気温はかなり高くなりむし暑く夕方雷雨が多い。
平野部では9月にもっとも雨が多く、(山地では雷雨のため8月に最も多い。)年降雨量は1,400mmくらいである。気温は平野部で14℃(年平均)くらいで山地では海抜100mにつき0.5℃ずつ低くなっている。

第3表気象記録(昭和46年)

月別

区別

1月

2月

3月

4月

5月

6月

7月

8月

9月

10月

11月

12月

平均

月別最高気温

9.2

10.5

13.2

18.6

23.2

25.9

30.7

31.8

24.9

19.4

16.8

12.3

19.7

月別最低気温

△1.8

△1.0

1.1

7.3

12.5

17.4

22.0

22.4

17.5

10.8

5.5

0.0

9.5

月別平均気温

3.0

4.0

6.7

12.3

17.1

21.0

25.6

26.2

20.5

14.4

10.3

5.4

13.9

月別降水量

16

23

39

96

70

101

158

329

207

133

15

22

mm
1209

※観測地熊谷資料熊谷地方気象台

(3)気象災害

本県の気象災害は夏を中心に発生し、10月から3月までは非常に少なくなっている。発生する度数の最も多いのは雷雨によるもので、全災害の半数に近い。そのうち半数くらいは降ひようを伴っての災害である。しかし災害高からいえば台風による風水害が全災害の80%くらいをしめることになる。本県では凍霜害も重要な災害となっている。

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2社会経済条件

(1)道路

図幅には、都心から発し後背県を結ぶ主要国道は、東北高速道で、岩槻を起点として郡山まで通じ、やや平行に4号、高崎方面に17号が走っている。更にそれ等を結ぶ主要地方道が縦横に交差し、これ等の道路はすべて舗装されている。

(2)鉄道

図幅内の鉄道は東北線が、南から北方へ高崎線が南東から北西方向へ走り、東武伊勢崎線、日光線が、図幅右側を南からV状に北方及び北西に走っている。更に東北線沿いに東北新幹線が高崎線沿いに上越新幹線がそれぞれ建設が進められている。

(3)就業人口

県内の産業別就業人口の比率は県南地域の住宅地化、工場地化の影響を強く受けて、農業従事者が減少したことが要因となり、第1次産業人口率が低下して第2次及び第3次産業の伸展が著しい、この地域においても除々ではあるが同様の傾向を示している。
市町村の産業別就業人口の構成は第図のとおりであるが、鉄道によらない交通機関に依存している町村部では農業を中心とした、第1次産業の人口率が高く、鉄道沿線の市町村では都市型工業の導入等に第2次産業の伸長が目立ち、これと並行的に配置されるサービス施設等による第3次産業人口の比率も高まっている。

(4)土地利用

人口増加にともなう宅地需要は農地の宅地化を促し、年を追って農地転用面積が増加している。
かい廃農地の面積は毎年1,500haにのぼっており、その用途別指向をみると、昭和35年には全県として住宅用地が相半ばして約8割を占めている。その後も毎年住宅、工場用地が占める割合は7割前後を占めているが、住宅用地が漸増し、昭和47年には5対1の比率となり工場用地の大巾な落ち込みを見せている。
地域的にみると、市部では経済的開発の進展により全県的な傾向にみられる大規模工場の進出や住宅団地の建設等が顕著となっており、かい廃面積が拡大されている。
一方町村では大方が住宅用地で、主として居住町村内において自宅を新築したり社会風潮的な核家族化による分家の宅地化あるいは農業用施設用地といった自律的なものである。従って交通至便の一部町村を除いては人口増をあまり伴っていない。
県南部から外延的に拡大する都市化傾向を受け、とくに地価の高騰が地域の経済構造と土地利用体系に影響を及ぼしつつある。

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4主要産業

1農業

農業振興地域における整備計画も終え、都市近郊と云う自然条件と消費市場への有利性を活かし、農業近代化施設の導入を計り施設園芸を中心とした施設野菜(なす、きゅうり、とまと、いちご)花卉園芸(菊、洋らん、しくらめん)等の作目を計り、水稲部門では、ほ場整備事業による交換分合等自立経営農家を中心とした集団化、経営の省力化等による経営規模の拡大等意欲的に行われようとしている。
一方都市への通勤圏内にある地域の農家も農外所得を求めて、第1次産業か、第2次産業、第3次産業への移行が目立っている。

2商業

各市町村別の商圏は各行政単位別に、あるいは各駅別に形成されているが、高崎線沿線及び東北線沿線は伝統的なローカル色の強い都市毎に、商圏が形成されている。

3工業

工業の立地状況は比較的少なく、従来から家庭工業の盛んな羽生市、行田市を筆頭に、加須市、鴻巣市の順になっている。農村部には極めて少なく、労働人口流出防止も兼ねて、大規模な工業団地の建設が相次ぎ、加須工業団地(26ha)はすでに完成し操業を開始している。
大沼工業団地(民間28ha)久喜菖蒲工業団地(165ha)第2久喜菖蒲工業団地(68ha)加須大利根工業団地(124.5ha)篠津工業団地(53.1ha)等が建設中である。

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5開発の現状と方向

この図幅内の開発は、利根広域地域と県南地域のプロジェクトを単位として開発整備が図られているが、県南地域は一部分であるので利根広域の大要を述べると次のとおりである。

利根広域

利根広域都市の地域的特色は、全国でも珍しい農村集落の散在地帯である。地形的にも利根川の氾らんによる低湿地帯が多く、大規模にまとめて開発単位をとることは極めて困難である。そこで開発単位を環状道路で結び、集積の利益を出そうとする考え方から開発装置軸(例えば水路、道路、上水道、下水道など開発を誘導し、促進するための基幹的プロジェクト)を導入、これに沿って産業流通施設、住宅、日常生活機能を配置する。

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各論

1地形分類図

「鴻巣」図幅地域は関東平野のほぼ中西部に位置し、西に北足立台や騎西台地群、東に古河、猿島両台地が発達しているなかで、主に北西から南東方向に加須低地、中川低地と配列して開けているという台地と低地からなる地形を呈している。現地調査、航空写真、地形図、主要道における高度差などから、本地域の地形面は南西部に主として発達する台地や台地群で見ると、北足立台地主部(大宮台地とも言われる)で、地形面高度は西方から東方へ25m~12.5mと漸次下がる。また、騎西台地群方面は高度が低く、15~11mであり、加須低地に囲まれる花崎台地群では11m内外の高度になっている。一方、本地域の東部の台地では、古河台地の16.3~15mの高度面は南に位置する猿島台地へ漸次低くなり、五霞村元栗橋で10m付近になる。

低地は自然堤防、被覆砂丘、水塚の高まりは後背湿地より数m~最高15mの比高差として発達するが、全体的に、元荒川、星川―見沼代用水、新川用水、青毛堀、会の川、古利根川、島川、中川など主要河川系によってできた低地全般の高度は北西より南東方向に高度を下げている。例えば、羽生市新郷から加須市を経て杉戸町方向では17.5~7.5mと高度が漸次下がっている。また上述の主要河川の背後に位置する自然堤防や砂丘、残存湿地帯、水塚および旧流路跡など総括すれば、大局的に見て、桶川町舎人新田―栗橋町栗橋を結ぶ線の北西側と南東側では相対的に諸形態が異なっている。つまり、前者は直線的な河川の営力が主体であるため、自然堤防は直線的、平行的な配列を形成し、後者は大きな河川の蛇行が始まるために曲線的な自然堤防が発達している。これは「熊谷」図幅の扇状地帯から「大宮」図幅の自然堤防地帯へと各河川が流向するため、この線が諸河川の遍移線になるのだろう。また、大局的に諸河川が北西→南東に流向する傾向は、地下の地質を反映した等重力線の一般方向と一致するので興味深い。

台地と低地との境界は荒川低地と北足立台地で局所的に崖を形成する他は、全体として傾斜面であり、なだらかな起伏変化の乏しい地形となる。作業規程どおり、水平:垂直を1対5とする地形特性から、下記の地形区に区分した。台地は低地と未分化のように見える箇所もあるが、表層土壌の上からも境界が探れることから、台地の分布域を限定し、従来ばく然としていた「大宮台地」を使用しない。また、台地の高度面が東方に移動しているように現れることと、埋設ロームの存在がら初生的に一つの台地が河川侵食により分離したことも見られることからも、本図幅内の台地は細部にわたり分類されなければならない。一方、低地は河川の断析度合と氾濫原分布域を主として分類したが、不可分の河川領域地域は人為的になった。下記の如く分類される。

  1. 台地
    • 1a北足立台地
      • 1a-1北足立台地主部(大宮台地)
      • 1a-2岩槻支台
      • 1a-3白岡支台
      • 1a-4慈恩寺支台
      • 1a-5笠原支台
    • 1b騎西台地群主部
      • 1b-1埼玉支台群
      • 1b-2騎西台地群主部
      • 1b-3久喜支台群
    • 1c花崎台地群
    • 1d羽生台地
    • 1e古河台地
    • 1f猿島台地
  2. 低地
    • 2a荒川低地
    • 2b元荒川低地
    • 2c綾瀬川低地
    • 2d笠原低地
    • 2e見沼用水低地
    • 2f備前堀低地
    • 2g加須低地
    • 2h中川低地
    • 2i太日川低地
  3. 砂丘
    • 3a砂山砂丘
    • 3b箕輪砂丘
    • 3d行田見砂丘
    • 3e葛西砂丘
    • 3f砂原砂丘
    • 3g道目砂丘
    • 3h道橋砂丘
    • 3i栗橋砂丘
    • 3j古利根砂丘群
    • 3k杉戸砂丘

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1台地

1-1北足立台地(1a)

荒川と西限を分かつ台地で、東限は見沼代用水や古利根川により形成された低地にのぞむ。この台地は更に元荒川、綾瀬川、備前堀などにより侵食されて、互いに連絡を断ち、北足立台地主部(1a-1)、岩槻支台(1a-2)、白岡支台(1a-3)、慈恩寺支台(1a-4)、笠原支台(1a-5)の5つの小地形区に分類することができる。

北足立台地主部(1a-1):西は荒川に面して急崖を作り、それに直交する谷地田が散在的に小分布する。東は元荒川-綾瀬川と境界を作り、解析谷地田が両河川の氾濫原地域の主軸に平行して分布する他、県道川越-古河線を切る大谷地田が開ける。また、高崎線に沿う谷地田は本台地主軸方向に平行して分布する。高度は原馬室で25.1mの最高度を持ち、北方、南方へと順次低くなり東方へ10mの比高差をつける。尚、本図幅内で最大の台地である。

岩槻支台(1a-2):西は綾瀬川、東は元荒川にそれぞれ境される。西は東より台地面高度が相対的に1m程度高いが、全体として平坦である。北は元荒川で寸断され、南は大宮図幅内に続く。とりわけ、本支台の北は、外側の輪郭形態と地形面から、笠原支台と一連の台地として存在していたことが推察される。

白岡支台(1a-3):元荒川備前堀でそれぞれ西と東が境され、北は久喜町除堀で騎西台地群主部と隔離されてはいるが、一連の台地であった。それは二次堆積ロームが隔離地域に分布していることで、分離前の状況足跡を残している。従って、北足立台地と騎西台地群とは初源的に一連の台地であったったものが、後に侵食作用で分離したような分布域を示すことになる。

慈恩寺支台(1a-4):西は元荒川の支流系と考えられる新川用水および備前堀で、東は古利根川で境されて、北足立台地の東縁部に発達する孤立状台地である。本支台は「大宮」図幅に入って、南側は中川低地に急崖でのぞむ台地となる。

1-2騎西台地群(1b)

北は古利根川およびその支流系河川ないし、新川用水などの氾濫原と境し、南は元荒川、見沼用水、備前堀などの浸食地域で、北足立台地と未分化な隔離状散在的に孤立台地群を形成している。

埼玉群支台(1b-1):北足立台地主部の北方延長上に位置するが、元荒川で南限を断たれ、東北部は見沼代用水を境とされる。本支台群周辺地域の二次堆積ロームの存在は解析谷による影響が認められるだけで、本来は一体の台地として存在していたろう。当台地の分布域は北足立台地と騎西台地群主部との頂点付近に位置するため、初源的には一連の台地を意味するだろう。平坦で凹凸の谷地田の存在は少ない。

騎西台地群主部(1b-2)・久喜支台群:西、南は見沼代用水、東は古利根川、北は加須低地にのぞみ、境される。散在的に分布し、菖蒲町の乗る台地が一番大きく、最大巾2.4km、最大長7.5kmに及ぶ。周辺域の二次堆積ロームの存在から、散在台地群は2大別され、無秩序分布はとらない。つまり、新川用水の西は騎西台地群主部、東は久喜支台群が配列している。谷地田は全体的に解体期をむかえ、これが台地群として別離させている。

1-3花崎台地群(1c)

加須低地中に存在し、西南の騎西台地群とは少なくとも2.2km程離れて散在する。低地面とは明瞭な崖線としては発達していない。本図幅内中、最も低い高度の台地郡からなる。各台地は短形の頂点にそれぞれ位置し、内部は3~4mの沖積増が堆積する。

1-4羽生台地(1d)

北西端に位置し、加須低地と境する市街地のボーリング資料から関東ロームが分布することが確認された台地で、本図幅内での分布域は貧弱である。

1-5古河台地(1e)

北東隅に分布し、南は太日川低地で猿島台地と分離するが、本来は一連の台地であったが、太日川流路と人為的作用で分離した。現在は利根川がその低地を流下している。本台地は北方ほど高い。

1-6猿島台地(1f)

古河台地および本図幅外、東方の下総台地と一連の台地を形成する上で、橋渡し的位置にある台地である。西は中川低地、北は太日川低地とそれぞれ境される。台地面は曲線的な谷地田が発達している。

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2低地

本地域を流れる幾つかの河川は歴史時代に流路を何回も変えており、洪水害の度ごとに多くの自然堤防を作り、背後に後背湿地、湿地などを形成した。砂の運搬も多く、“利根川”流域界に砂丘、砂丘群を形成した。砂丘に関してみると、「大宮」図幅では北春日部に1ヶ所であるが、本図幅では多く存在する。しかも上述の遍移線以南では栗橋砂丘、古利根砂丘群、杉戸砂丘が分布するのに対し、以北では砂山砂丘、箕輪砂丘、行田砂丘、志田見砂丘、葛西砂丘、砂原砂丘、道目砂丘、道橋砂丘と8分布地域が存在する。しかも分布地は主に会の川-古利根川の河道、旧流路後近傍に多く発達し、それ以外でも“利根川”の幾重にも変遷した河道沿いに分布している。当時の“利根川”が流量、流速、運搬力など、激しかったことを反映している。

本図幅の低地は、江戸時代に始まる大規模な水害対策の河川改修工事跡が非常に多く、最大規模は利根川を東方に移したことであろう。関東郡代伊奈備前守忠治、忠克が太日川(現在の渡良瀬川)の河道拡張をし、鬼怒川の流路と合流させている。また、葛西用水、騎西領用水もこの時期に行われている。一方、“荒川”も激しい流路変遷を持ち、行田市下須戸方面から星川-見沼代用水に流向を持ち、岩槻支台と白岡支台間の低地で元荒川と合流している。この流路の侵食作用は騎西台地群主部を北足立台地から切り離している。

諸河川は洪水のたびに肥沃な土壌を形成したので、絶好な水田耕作地として開けている。そのため、現在までに、灌漑用水が加須、中川両低地を始め多く作られている。
最近は、この低地に工業団地として誘致したため、また、首都圏への通勤地となった為、都市化が進み、人工改変地が多く散在している。最大規模は久喜町や幸手町の住宅団地や久喜-菖蒲両町にまたがる久喜菖蒲工業団地が挙げられる。

2-1荒川低地(2a)

本図幅の西南端にあって、北足立台地主部と東で接する。蛇行の作った氾濫原谷底平野を形成する。

2-2元荒川低地(2b)

北足立台地主部や岩槻支台と南限を、埼玉支台群、笠原支台および白岡支台と北限を接する。北西-南東に延びる低地であり、鴻巣市郷地で最大巾2kmとなる。

2-3綾瀬川低地(2c)

元荒川低地とは桶川町舎人新田で接し、その南方に開ける低地である。それ故、北足立台地主部と岩槻支台に西、東限をそれぞれ境される。

2-4笠原低地(2d)

西は埼玉支台群と、東は騎西台地群主部と接し、北は加須低地に、南は元荒川低地に接続する。水田耕地として開けている。

2-5見沼用水低地(2e)

北足立台地と南限を、騎西台地群主部と北限を接する。“荒川”の主要氾濫原になった時期に拡大形成された低地である。現在、星川-見沼代用水から灌漑用水が導入され、水田耕地として開けている。

2-6備前堀低地(2f)

西は騎西台地群主部、白岡支台と、東は久喜支台群、慈恩寺支台と接しており、会の川支流の新川用水によって主として形成された低地である。現在はこの低地に東北縦貫道路が完成した。曲線状自然堤防が発達している。

2-7加須低地(2g)

本図幅内で最大級の低地として開け、南限は騎西台地群と接する。東は一段面の低い中川低地へと接続する。ほぼ西北西-東南東方向の自然堤防と砂丘とが発達し、後背湿地には各所に湿地が散在分布する。また、“利根川”と“荒川”の氾濫原として発達してきたため肥沃土壌で水田が開ける。また、人工用水堀が縦横に掘られ、初源的水系の復元を困難にしている。航空写真から微地形が読みとれることから、旧流路跡が追跡できる。これらは当低地の歴史を物語っている。後背湿地は広く発達し北西→南東に網状に発達する水系によって形成されており、当地域は軟弱地盤となっている。

2-8中川低地(2h)

加須低地から接続し、南東に開ける低地で、東は猿島台地と接する。“利根川”の南北流向によって主に形成された低地で、自然堤防の蛇行と航空写真の判読から、旧河道が復元される。当低地も水田が開けているが、住宅用地として埋立られている。そこでは軟弱地盤のため、例えば幸手周辺の住宅公団団地内で、コンクリート土台の抜け上り現象が見られるから、局部的な地盤沈下をおこしている。

2-9太日川低地(2i)

現利根川の河道氾濫原に位置する低地であり、古河台地と猿島台地とを寸断している。

3砂丘

“利根川”の旧河道に沿って点在する砂丘は、当時、砂の運搬供給が著しく、本図幅内で、それを堆積させる諸条件が満たされていた為であろう。中でも最大級の志田見砂丘は最大長3.7kmに及び大きいが、砂資源として大部削られて少なくなっている。砂丘上には松林、雑草からなる植生が見られ、被覆砂丘である。砂山砂丘(3a)・志田見砂丘(3d)・葛西砂丘(3e)は会の川沿に、箕輪砂丘(3b)はその支流で東方の道橋砂丘(3h)をも形成する川沿いに、また、行田砂丘(3c)も会の川支流で南方に至って“荒川”と合流する川沿にそれぞれ発達している。とりわけ、羽生市砂山付近では砂山・箕輪・志田見・行田各砂丘へと砂丘を形成していく“利根川”が各方面に流向を変えた地点として重要である。それ故、砂山を扇頂として各砂丘が分布している。

一方、砂原砂丘(3f)、道目砂丘(3g)、道橋砂丘(3h)は大利根村砂原、道目方面へとほぼ南北に分布配列し、栗橋砂丘(3i)は栗橋町から南西に流路を持つ“利根川”により発達する。これら両“利根川”支流は栗橋町・鷲宮町両境界一帯に発達する古利根砂丘群(3j)で合流しあい、南下して、杉戸町下高野一帯の古利根川東部沿いに分布する杉戸砂丘(3k)へ堆積地区を移動している。砂丘は全体に粗粒石英砂からなり、円磨されている。

(埼玉大学松丸国照)

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2表層地質図

関東平野は100万年ほど前の第四紀洪積世初期以降から地質時代をとおして見るならば、地層の発達状態や地形面群の形成発達史から、撓曲性の造盆地運動の影響を受けている。本地域でも顕著な厚さの第四紀層が堆積しているのもそのためである。なかでも「大宮」図幅北東隅の春日部市付近の低重力地帯では大規模な造盆地運動の中心地であったので、福田・石和田(1964)はそれを春日部時階と命名している。また、「大宮」図幅に示した埼玉県側の洪積層の埼玉層基底等深線図(森川、1970)にも春日部で埼玉層が一番厚く堆積していることを示している。この図によれば、本地域では杉戸町方面で最も厚くなる傾向がみられる。しかし、これは洪積層と第三紀層との境界面の層序のとり方が疑問である。今後、検討すべきであるが、本調査では地下400m以深に及ぶボーリング資料に欠けるためとり扱っていない。

本調査は全域から400m以浅の110数本のボーリング資料と台地の洪積層と低地の沖積層との不整合アバット形式がみられる急・緩両崖の現地調査、従来の既存資料などから検討し、作業規程に基づいて、表層地質調査が行われた沖-洪積層の境界はやはり、「大宮」図幅で行われた基準で適用し、N値10未満と軟弱であり、かつ、暗色系腐植泥の存在を求めて、沖積層としている。

地域内に分布する地層およびボーリング・コア柱状図から地質層序は第1表のとおりである。また、本図幅地域と地域と他地域との対比は初めに、コア柱状図に基づく層序の決定および岩相の堆層サイクル規則性などから、「大宮」図幅内の同柱状図との関連性を、またN値、電気検層図、含貝化石層準、浮石-火山灰物質含有層準、ストレーナーの位置などからも求めて、従来の資料を検討して総括した。「大宮」図幅内に位置する南浦和5号井は所沢・新座試錐と対比するのに具合よく「鴻巣」図幅内の除堀では、埼玉層からの微化石調査が行われており、他地域と対比する基準としてまとめた(松丸、1975MS)。

本調査では埼玉層中部層と下部層との面および埼玉層下部層中の含浮石質層を持つ鍵層(SK層と仮称)が広く追跡できる面を押え、それらを等深線図として示した。それは表層地質調査において検討しうるに足るボーリング・コア柱状図で押えることが容易であって、中でも顕著な2枚の鍵層上面を示すものである。この等深線図からも、春日部時階を示す造盆地運動の反映を的確に表現しうるだろう。作業規程による水平:垂直を1対2のオーダーで各層を見るならば、非常に平坦な地層の重なりとして発達している。また、関東ロームでは、北足立台地主部に見られる武蔵野ローム下で暗色~明色系砂層(下末吉相当層)の高度と推定高度分布が貝塚(1958、1974)に示されているため、それを描き加えた。これも、春日部時階の影響を反映して杉戸町付近へ、順次、高度を下げている。その為、この時期の運動を押えることは容易だろうし、差別的な第四紀ブロック運動は無秩序には行われていなかっただろう。

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1未固結堆積物

未固結堆積物は台地上の谷地田にも分布しているが、主に低地に広く発達する沖積層であって、低地の微地形には多様な堆積物分布が見られる。また、水平・垂直両方向に層相変化が著しい。従って、特徴的な堆積物の概要のみを記載する。

1-1砂泥堆積物

本地域の荒川、元荒川、綾瀬川、見沼代用水(星川も含む)、会の川、島川、中川、利根川などの現河川、新川用水、葛西用水を始めとする現河川と結びついた用水河川、水田耕作に導入された用水路および旧河川流路の河道ないし氾濫原には暗褐色から茶褐色系の細粒砂および泥質堆積物が薄く堆積している。その層厚は各河川とも河道・氾濫原でまちまちであって、層相変化が激しい。しかし、大局的には層厚3~4mほどで5m以上は稀である。標準貫入試験N値は0~1、まれに締った砂で3を示すが、一般的に軟弱の地層である。その下位には低地の表層に一般的に発達する腐植土層ないしは腐植質泥、粘土、あるいは細~中粒砂などが発達している。

1-2砂質堆積物

砂質堆積物は河川の氾濫原において、分級淘汰の悪い砂を主とする堆積物でできた自然堤防に発達している。とりわけ自然堤防の表層には主として中粒砂が多く、泥質物質も混合する場合も見られる。下位には腐植土ないし腐食質泥がくる。

1-3砂丘堆積物

砂丘堆積物は“利根川”の旧流路である会の川、古利根川を始め、大利根砂原や栗原町などの“利根川”旧流路にあたる河道沿い氾濫原跡には多量の砂が堆積して砂丘なり、砂丘群を形成している。また、この周囲の氾濫原後背湿地に達する泥質堆積物とは不調和である。砂丘は主に粗粒の丸味を帯びた、透明ときに淡黄半透明の石英粒からなりルーズである。

1-4泥質堆積物

本層は後背湿地を主に、低地のほぼ全域を被覆し、その上、台地上の谷地田や解析谷地田にまで分布している堆積物である。暗褐色~暗灰色を呈し、ときに細粒砂含んで砂質泥堆積物になる所もある。泥質堆積物は一般に軟弱であるため、N値は0~2と非常に低く、腐植物を混入する後背湿地ではひどく軟弱になってロッドの自重沈下が見られる。谷地田で本層は腐植質泥堆積物となるが層厚は概して2m内外である。ボーリング柱状図資料によれば、この堆積物は加須低地の加須市では概して10m以浅であり、5~7m付近の深度付近が多い。

一方、中川低地ではそれより厚く、栗橋町では13m深度まで泥質堆積物が発達している。しかし、幸手町では33mまで厚く堆積し、杉戸町杉戸では13mとなる。加須・中川両低地とも、本層中には砂質堆積物も挾在して、N値が10内外のときに20~50と安定になる暗灰色砂礫層も発達している。

上述の沖積層は台地より遠ざかるに従って、厚くなり、例えば、台地周辺においては沖積層は久喜本で8~9m深度を示し鴻巣市笠原(笠原低地)では9m深度まで、白岡町では9~10m深度に発達している。従って、これらの地域より離れた、上述の幸手町では台地からかなり離れた位置に属することになり、沖積層基底等深線(「大宮」図幅図1参照)に表示される。

2火山性カ岩石

関東ローム

本層はきた足立台地、騎西台地群、花崎台地群古河台地、猿島台地上に分布している。北足立台地では、主部において、黄褐色で表層腐植物を含まない壌質から強粘質ロームが広く発達している。国道17号より西部ではこのロームは鴻巣市人形町で4m、本町で5m、北本町下石平で4m、同町本宿で厚く11m弱の層厚になっている。その下位層準に、鴻巣市では黄褐色から赤茶色粗粒で砂管の入った砂層が北本町では黄色から青色の細~中粒砂層ないし、小円礫を含む砂層が発達している。一方、国道17号より東部では表層腐植層を多少混入する黄褐色ロームが笠原低地にのぞむ地区に発達している。しかも、その下位には砂層の発達は見られない。ロームは武蔵野ロームに対比される(「大宮」図幅参照)。また、その下位の砂層は日本の太平洋岸各地に発達する舌末吉相当層に対比され、下末吉段丘が海成面あるいは海蝕面であって、比較的短時間の海面の停滞高度の面であることから、北足立台地主部は当時そういう面に位置していたと考えられる。貝塚(1954、1974)の下末吉面高度分布線を見ると、本台地では20mとなり、杉戸方向に10m高度を下げるようである。

北足立台地岩槻支台、白岡支台、騎西台地群では黄褐色~黒色系表層腐植層挾在で壌質~強粘性のロームが発達し、武蔵野ロームに対比される。本層の層原は蓮田町閨戸で5m、白岡町白岡で7m、騎西町で4~5mになる。本層下位層準には白岡町で粘土層、騎西町で細粒砂混じり粘土が顕著である。
花崎台地群では黄褐色、表層腐植層を持ち、壌質から粘質ロームが発達する。本層も武蔵野ロームに対比される。花崎の神社裏では表面下40cmはロームの風化物と埋土の茶色中粒砂、70cmまでは茶色から黄褐色ローム質、それ以下3.5mまでは完全なロームでN値は4/32、回/cmとなる。その下位は灰褐色シルト混じり細砂で東京層になる。
古河台地では表層下5~6mまで、武蔵野ロームに対比される黄褐色表層腐植層を含み発達するロームが存在する。その下位にいは細~中粒砂と粘土の互層が29mまで確認される。また、砂層はときに礫混じり粗粒砂に漸移することもある。この互層は東京層ないし、成田層群に対比されている。

なお、猿島台地では元栗橋で、層厚4~6m黄褐色武蔵野ロームが発達している。この下位は中坪の神社裏の池畔に見られる黄色粗粒砂層が発達しているが、東京層に属するだろう。

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3半固結-固結堆積物

3-1東京層

北足立台地外縁で荒川低地にのぞむ崖では関東ロームの下位層準に見られる砂層はボーリング資料でも確認される。この砂層は下記によって、東京層の最上位層準である。ボーリング資料では、鴻巣市人形1丁目でローム下は青色砂層が深度10mまで、それ以下13mまでは粘土、次いで粗粒砂層が20mまで発達する。鴻巣市本町6丁目では、ローム下は深度10mまで黄色砂層、青色粘土層が13m、青色礫混じり砂層が21m、次いで青色粘土が18m、21m深度までは礫混じり砂層、29mまでは青色礫層と順に6枚の地層が下方へ発達している。人形4丁目でも、深度13mまで赤茶色の砂層、16mまで青色粘土、21mまで青色粗粒礫層の順に存在している。北本町下石毛上ではローム下、深度11mまでは黄色礫層、13mまで青色粘土、18mまで礫層と下方に順次重なる。下石毛下では、ローム下は深度6mまでは薄い黄色細粒砂層、11mまでは黄色礫混じり砂層、17mまで青色粘土層、25mまで青色礫じり粗粒砂層が順次下方へ発達する。

台地の地下地質では、武蔵野ローム下は、「大宮」図幅地域では一般に粘土が発達しており、それを板橋粘土と同一の土質工学性から主に対比されていたが、本地域では、上述のように砂層が一般的に良く発達している。本調査でも粘土、砂層とも東京層に含めている。それは東京層が本来下末吉海進の海成層であって、板橋粘土相当層も砂層もともに、下末吉海進時の堆積層と考えられていたからである(赤土研究グループ、1959)町田(1973)は県下南浦和の崖などに発達しているローム下の川口粘土層は板橋粘土層と対比し、その下位に東京層を置く見解をとっているため、川口粘土層までが“関東ローム”として一括したほうが良いかも知れない。しかし、上述のように板橋粘土層に対比できる粘土層は北方の大宮市から本地域では全て砂層ないし、砂礫層になり、白岡町では粘土になっている所もあるが例外になっている。従って、東京層の最上位層準の砂礫層と未分化になるし、標準貫入試験N値では両砂礫層とも高く区別できないので、ローム下は全て東京層とする。一般に東京層は下位より上位へ、砂礫層→粘土や泥層→砂礫層と、つまり、粗粒堆積物→細粒堆積物→粗粒堆積物からなる地層であるため、本台地域下のボーリング柱状図資料と、非常に旨く一致している。

本地域下の東京層は南西の北本町では深度15~25mに基底があって、しかも礫層が主体の岩相であり、白岡町では深度21~27mに基底礫層があり、上方へ、泥礫を含む粘土層、砂層、再び砂泥混じり礫層になる。宮代町の台地や杉戸町の低地では、東京層の基底はそれぞれ深く、深度30~38mにあって、上方へ貝層を数枚挾在した粘土質砂、砂層、粘土質砂層になっている。菖蒲町では東京層基底は深度41~48mにあって、上方へ、粗粒砂、貝混じり粘土~粘土質砂層、浮石混じり中粒砂、礫混じり粘土層が発達する。鷲宮町低地で砂礫層へと順次発達する。久喜町低地は粘土質砂層の東京層基底部が深度55mにあって、上方へ貝混じり粘土、砂礫層が幸手町低地には30m層厚の沖積層下に、東京層の礫層が深度40~41mに発達している。加須市街地では3~4m層厚の沖積層下は東京層が深度30~36mに発達して、細~中粒砂層の基底を持って、上方に貝混じり粘土、粗粒砂から礫層と発達する。大利根村では深度12~13mまでは沖積層であるが、それ以下に東京層が厚く堆積していて、青色砂礫の基底部は深度40~46mにあって、上方へ貝混じり粘土ないし粘土質砂層が発達する。栗橋町では10~13m層厚の沖積層下には深度33~46mに青色粗粒砂層ないし貝混じり硬質青色粘土の東京層基底が存在し、上方へ粗粒砂、貝混じり青色粘土が重なる。五霞村ではローム下に東京層が厚く、深度33~36mに貝混じり粗粒砂層の基底があって、上方に黒色粘土ないし、貝混じり粘土、粗粒砂層ないし、粘土層が順次重なる。

大局的には、東京層は基底面の深度から見て、北本町方面から漸次深く、加須市と久喜町を結んだ線付近が最下底面になっており、再び、東部の五霞村の猿島台地方面へ、若干浅くなる傾向が見られる。岩相からみれば、基底の砂礫層が良く発達して、上位層準には杉戸町-宮代町-久喜町-菖蒲町-加須市街地東部-大利根村-栗橋町-五霞村の本図幅の東半部は貝混じり粘土ないし粘土質砂層が発達し、鴻巣市-北本町-羽生市-加須市西地方では貝化石の挟在しない粘土層ないし砂層が良発達している。これは当時の古環境を復元するのに重要な手掛かりを与えるだろう。上位層準は一般に砂層の発達が良くなっている。東京層およびそれ以下の地下地質構造は第1図~第3図に示される。

3-2埼玉層

本層は東京層の下位に発達する地層であり森川(1963、1965、1970)によって命名され、3枚の基底砂礫層の存在によって上部、中部、下部の3部層に細分される。とりわけ、中部層は火山灰起源の浮石、スコリアを含む粘土層を挾在した特徴ある地層である。下部層の最上位にも黄灰色系の火山灰物質の入った粘土層がときおり存在する。下部層中位層準にも同様な地層が発達しておりSK層(松丸、1975MS)という鍵層になる。なお、本層はボーリングによってのみ確認され、地表には現れない。

本調査地域では、埼玉層の各層準間にみられる電気的性質を電気検層図からみれば、岩質の状況が判読され、ボーリング・コアの対比の目安になるため記載する。ここでは電極間隔を長さ1.0mの比抵抗(Ω/m)曲線で追うと、東京層基底部砂礫層が100~180Ω/mを示すが、そのすぐ下位で埼玉層上部層が現れ、30~38Ω/mと減る。これは腐植物混じり粘土層が発達するためである。次いで下位に、180Ω/mと高と比抵抗の上部層基底砂礫層になった後、30~38Ω/mと再び減り、中部層になる。中部層は場所により異なって、白岡町~宮代町では砂質粘土層が厚いが、一般に40Ω/m前後の粘土層が発達する。栗橋町では砂質層が発達するところでは、80~100Ω/mと高くなる場合もある。その下位に、38Ω/mと低比抵抗値を示す粘土質層が、更にその下位に100~220Ω/mと高い砂礫層が発達して、この砂礫層が中部層の基底層となり、しかも、良いストレーナ層準になる。この基底砂礫層が久喜町では砂質粘土になる場合もあるが、その時は比抵抗値は40~50Ω/mと低い。また、一般に基底層直上の粘土層は森川(1970)によれば、浮石混じり砂層ないし褐色~黄色、ときに白色を示す特長的は粘土層になる。

埼玉層下部層は、下位に向かって順に、25~45Ω/mの粘土層、その下位に砂礫層が発達しており、100~160Ω/mと高くなる。この礫層はやはり良いストレーナ層準になる。次いで、30Ω/mの砂質粘土ないし粘土層の後に60~70Ω/mの砂層、ときに砂礫層に漸移する。この下位層には松丸(1975、MS)のSK層、鍵層、が存在するSK層は砂礫層ないし砂質層→粘土質層→砂礫層と下方に順次重なった地層からなる。中ほどの粘土質層は火山灰を含み浮石混じり砂質層~褐色のときに灰白色の粘土層になっている。SK層の比抵抗値は久喜町で40→10→50~60Ω/m、栗橋町から五霞村では100~200→25~50→350~450Ω/mとなっている。SK層より下位の埼玉層下部層は砂質層と粘土層との五層からなり20~30Ω/mと低い値になる。更に下位に、40~60Ω/m下部層の基底砂礫層があって、良いストレーナ層になっている。

各部層の基底面深度は各地点で次のようである。北本町で、上・中・下各部層は深度73~84m、130~143m、234~241mが基底となる。鴻巣市では各深度はそれぞれ67~83m、114~127m、230m以深、杉戸町では各深度は66~69m、117~119m、250m以深を記録する。久喜町では各基底面までの深度はそれぞれ、63~70m、95~103m、305~310mである。菖蒲町においてはそれぞれ深度は65m、104~109m、270m以深。加須市では56~59m、95~106m、220m以深の各深度を持つ。栗橋町では各部層の深度は49~67m、84~96m、213~231mである。

本層の編年と対比に関して考察するならば、久喜町除堀での松永(1973)の微化石分析で見れば、埼玉層(上部層)は淡水性の珪藻が産出し、顕著なSynedraulna,Pinnulariamajor,Hantgschiaamphioxysを始め東経14足20種が固定される。

花粉は松柏類のAbies(モミ)、Pinus(マツ)、Tsuga(ツガ)、Cryptomeria(スギ)、Taxodiaceae(スギ科)やAlnus(ハンノキ)、Quercus(カシ類)、Zelkoua(ケヤキ)のような広葉樹なども混入しており属構成比から全体的に冷期気候に属している。中部層になると、85~90m間有孔虫、海水性珪藻など海水層準が認められ、有孔虫は浮遊性種のGlobieerinacfbulloidesの他底棲種のPseudorotaliagaimardii,AmmoniaJayonicumが産する。一方珪藻は顕著なCyclo電話lastylorum,Melosirasulcata,Actinoptychussenarius,Coscinodiscusexcentricus,C,Iineatus,Podosiras電話liger,Thalassionemanitgschioidesなどが産出する。花粉は上述と似た冷期気候を示す属である。中部層基底にあたる貝混じり粘土層も海成層で、上述の底棲有孔虫のほかFlorilnsJaponicum,F.mcnpukujiensis,Buccellacffrigidaなどが産出する。一方珪藻も海水性種が多数検出され、花粉も依然として冷期を指示している。

埼玉層下部層は深度116m以深に存在するが、有孔虫と珪藻から122mまでは海成層、また160~192mも海成層、185~192mは半淡半海成層、192~210mは淡水成層、210m~基底部の240mは海成層と淡水層、海成層が交互に発達しており、海進-海退両時期の堆積物が存在していた。これは洪積世のglacialeustacy現象による海水準変動の影響が本地域にも及んだことを示している。また珪藻の構成種より、三浦半島方面の屏風が浦層に対比される(第1表参照)。花粉によれば160m以深は広葉樹が多くなり示標植物のFagus(ブナ類)を主とする温暖期気候になっている。

3-3古利根層

本層はボーリングで確認される地層であって、北足立台地の北本町下で本層は深度240m以深に発達しており、下位へ青色砂質粘土、青色粘土が重なる。久喜町下では本層が深度240m以深にあって、下位へ貝混じり粘土、砂礫層、粘土層、砂質粘土層、砂層、砂質粘土層、粘土層、砂礫層、再び粘土層、砂層と発達していて掘止深度350mまで確認されている。栗橋町においては、深度255mに本層が存在しており、細粒砂、青色砂質粘土、それに腐植質土の順に下方へ発達している。本層中の花粉分析の結果から、最上位層準は埼玉層下部層と同様の温暖期気候であるが、それ以下は冷期と温暖期の両気候の中間型の漸移期の気候になる。また、第三紀を示す特有な花粉が検出されずに、形態の複雑な草木類を含むことから、第四紀洪積世にあたる。

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4地質に関連した事項

地下水

本地域内のボーリング資料からストレーナ位置を探れば地下水の汲み上げ状況が知られる。ストレーナは地下水を採取するため、井戸に挿入する開孔側管で帯水層の崩壊あるいは砂の流入を防止する役目を持っている。

帯水層は地表より313mボーリング掘止深度間に7層準が発達していることが柱状図とストレーナ位置から知られる。即ち、それは埼玉層中部層の上位層準と同基底層準、埼玉層下部層の上位層準、SK鍵層の上位層と下位層準および下部層の下位層準と同基底層準になる。代表的な各層準を地理的分布から似た場合に、それぞれ発達状況は下記の如くである。

北足立台地主部から岩槻支台では、深度82~96m、110~125m、150~160m、163~175m、185~195m、205~210mおよび222~240m各区間に帯水層が存在する。騎西台地群の騎西町から久喜町では、埼玉層中部層の基底部の深度98~107m、下部層上位層準の深度127~150m、SK鍵層の深度159~166m、下部層の下位層準の深度175~205mと212~230m各区間、同基底層準の深度243~305m区内に帯水層が発達する。加須低地の加須市街地で、帯水層は深度91~98m区間(中部層基底付近)、下部層上位層準の深度195~216m区間に存在する。中川低地の栗橋町から幸手町では、埼玉層下部層上位層準の深度100~120m区間、SK層の深度136~168m区間と173~200m区間、下部層下位層準の深度190~230m区間、同基底部の深度227~255m区間にそれぞれ帯水層が存在する。

地下水は重要な水資源で、涵養量を十分考慮して揚水量を決定すべきであろう。涵養量は帯水層の厚さと水平的な拡がり、その粒度組成と間充物の性質、不透水層の帽冠層の状態、涵養源地域からのチリ的位置など諸要因が複雑微妙に動く。従って揚水量のチェックは一目安として森川(1970)の地下水位変動曲線からみて判断すべきだろう。森川によれば北足立台地主部の北方と騎西台地群の埼玉支台は涵養されやすい帯水層を持つが、桶川町、久喜町、杉戸町、栗橋町では涵養量が少なく揚水量の多い区域に指定されているので地下水揚水量の制限が必要とされるようである。とりわけ栗橋町は古河流動水域のおよぶ所であっても年々水位が降下しているし、久喜観測井も観測以来水位下降を記録し、加須浄水道も水位は多低多高型といわれているものの年々降下し始めている由で、過剰揚水を示すのであるだろう。全般的に地下水は一ヶ所集中採水することなく涵養量と反映した持水方法で広範囲から散在的に揚水する方が好ましいだろう。

(埼玉大学松丸国照)

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3土壌図

1土壌の概要

本図幅は地形的に、台地、低地及び、砂丘の3つに大別される。

台地土壌は風積性火山灰を母材とした黒ボク、淡色黒ボク土壌が主体をなすが、一部に厚層黒ボク土壌が分布している。埼玉、騎西、笠原、久喜の各台地群及び、五霞台地では、台地とそれが開析された谷底平野との標高差がほとんどなく、火山灰土壌の上を河川沖積土壌が覆った形の、いわゆる、埋没ロームとなっているところが比較的広く分布している。北足立、岩槻、古河の台地上を刻む浅い谷(谷地田)には、再積性の火山灰土壌が堆積し、多くは下層がグライ化している。また図幅南西縁の荒川沿いのきた足立台地には、やや広い面積にわたって、荒川沖積土壌を人為的に客入した土壌が分布している。これら台地上には、畑地、平地林、集落が存在するが陸田として利用されている所も、かなりの面積がみられる。
低地の土壌は各河川の流域に拡がる低地及び、台地の開析された谷低地に分布する。

本図幅では北西から南東にかけての、加須低地及び、中川低地が大きな面積を占めている。この2つの低地には現河川沿辺だけでなく、谷底平野内に数多くの自然堤防が残り、湿地も点在している。自然堤防、河原、旧河道では、粗粒~粘質の褐色または灰色低地土壌が分布し、畑地、陸田及び集落となっている。谷底平野では、弱グライ土壌が主であるが、部分的に強グライ土壌、灰色土壌、泥炭、黒泥土壌が交錯して分布する。

湿地では、おおむね、黒泥、泥炭土壌となり、いずれも水田として利用されている。その他の河低地では巾も狭く、分布する土壌の種類も多くないが、台地に隣接した部分では、再積性火山灰土壌や、下層から火山灰土壌の出現するところがある。また各台地群の間が間析された谷底低地には、低湿な泥炭、黒泥土壌の分布することが多く、また下層は火山灰土壌となる部分もあり、水田となっている。

砂丘地の土壌は全層砂質な土壌である。低地面との比高は、高いところで7m程度あるが、ここは、天然性のアカマツ林、或いはアカマツとヒコナラ等の針広混交の林地となっており、粗粒褐色低地土壌が分布する。比高のほとんどない部分では、畑、集落などに利用されているが、土壌としては粗粒褐色低地土壌と、それより若干湿性な粗粒灰色低地土壌が分布している。

図幅中、埋立、盛土などがなされ工場や住宅の団地となっている所があり、面積の大きいものにつき、盛土等による人工改変地として一括区分した。

本図幅は15土壌統群に大分され、41土壌統に区分された。各土壌統の主は性質は別表の通りである。

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2土壌細説

2-1台地の土壌

(1)厚層黒ボク土壌

大竹統(Ot)岩槻台地に極く小面積、また古河台地と総和台地の低地沿史に帯状に小部分分布している。風積性火山灰土壌で土性は壌質が主である。全層の腐植含有量5~8%の範囲にあり、黒褐色を呈する。台地上の凹地、または斜面下部に、周辺土壌の表土が風蝕により移動堆積したものと考えられ、分布面積は大きくない。

大田ヶ谷統(Og)北足立台地及び笠原台地に小面積みられる。母材、生因は大竹統と同一であるが、腐植含量のちがいにより区別される。全層の腐植含量は10%を超え、黒い層序を示す。

(2)黒ボク土壌

冑山統(Kb)各台地に普遍的に分布する代表的な火山灰土壌であり、台地土壌としては、最も広い面積を占めている。風積層は50cm前後あり、次層は腐植3%程度の褐色の漸移層となる。下層には黄褐色のいわゆる心土があり、この層にはしばしば、細かい火山砂腐朽礫を含むことがある。土性は次層は壌質へ粘質、下層はおおむね粘質である。畑地及び、集落として利用されている。生産力は中庸である。

下大谷統(So)北足立台地の元荒川低地寄りの部分に、やや広い面積、岩槻、白岡、慈恩寺の各台地に分布している。土壌の断面形態は冑山統に類似するが、下層黄褐色ローム層に斑鉄などの酸化沈積物が認められることにより区別される。冑山統が地形等の関係で地下水の影響をうけて、出来た土壌とみられる。

桶川統(Ow)北足立台地、岩槻台地、白岡台地、慈恩寺台地等の台地上に占在するいわゆる武蔵野の「平地林」の土壌である。台地により、また同じ台地でも場所により、多少のちがいが認められるが、黒褐色の比較的腐植に富んだ団粒~塊状構造の薄い(5cm程度)A1層の下に、暗褐色の腐植を含む厚さ40~70cm程度のA2層があり、褐色のB層に変化する。アカマツ、コナラ等の成長は悪くない。

大山統(Oy)本図幅の北東部茨城県下の古河台地、総和台地、五霞台地に占在する風積性火山灰を母材とする土壌である。A0層のうちL層は5~8cmと比較的厚く、F層は(1~2cm)で薄い。A1層は黒褐色の比較的腐植に富み、団粒状または塊状構造であるが厚さは10cm以下であまり厚くない。A2層は暗褐色で厚さ20~80cmであり、場所によって腐植の浸透の深さにかなりのちがいが認められる。B層は褐色であり、土層全般に黄褐系である。林相は天然生アカマツとコナラを主とする落葉樹との混交林が多い。また、これらの森林は農家の屋敷林、農用林としての機能を持ち、土壌としては、表層の腐植の状態や、堅蜜土等にかなり人為的影響が見出される。林地としての生産力は中程度である。
また、古河台地の鳥喰地域の土壌は腐植を含むA層が極めて浅く、直ちに黄褐色のB層に変化し、表層に菌糸層も散見される乾性の土壌であるが、小面積であるので一応この統に包含させた。この地域の林地生産力は低い。

屈巣統(Ksu)埼玉台地群にやや広く、また、騎西台地群に占在する。本来は冑山統と同一土壌であったと考えられ、隣接して分布するが、表土は水の影響をうけ、土色は幾分灰味を帯び、斑鉄やマンガン結核が認められる。周辺のかんがい水は比較的豊富であり、夏作は陸田として水稲作が行われる所が多い。

(3)多湿黒ボク土壌

谷中統(Yan)埼玉、騎西の台地群、五霞台地の開析谷地田及び、笠原、元荒川、見沼代用水の各低地の台地隣接部分に分布する。表土は壌質で、火山灰の再堆積物からなり腐植含量は5~7%前後である。表面から50cm前後から灰褐色のローム層となる。この層は腐植を欠くが、斑鉄がかんり認められ、グライ化はしていない。半湿または半乾の水田となっているが、生産力は低い。

西大久保統(Nio)北足立台地の谷地田沿辺に分布するが、本図幅では僅かな面積が存在する。火山灰の水積性二次堆積物からなり、全層腐植含量は10%を超え、黒色の壌質~粘質土壌である。多湿であるため水田利用されてきたが、生産力は低く、近年、サトイモ、ショウガ等好湿作物や樹木の苗などの栽培に利用されているところも増えている。

(4)黒ボクグライ土壌

上尾統(Ag)北足立台地の谷地田ほ上端部と、古河台地及び総和台地の周辺谷開析谷地田に比較的大面積分布している。表土は壌質な火山灰の二次堆積物であり、腐植含量10%以上の黒色の層をなし、下層50cm前後より灰黄色のローム層となる。この層は粘質で、斑鉄が少ないか、全くない。周年湛水状態の所もあり、おおむね50cm以内でグライ化している。水田として利用されるが、生産力は高くない。

三ツ木統(Mtu)北足立、岩槻、慈恩寺の各台地上の谷地田に小面積づつ分布する。谷地田の代表的な土壌であり、谷地田の中部から下端の河川低地に合流する附近にかけて分布する表土は上尾統と同様、火山灰の二次堆積物からなり、腐植含量10%以上で壌質である。下層50cm以内から泥炭層が出現しグライ化している。一般に地下水位は高く、周年湛水田もみられ、生産力は高くない。

片山統(Kt)古河台地の谷地田に分布し、面積は広くない。全層にわたり火山灰の二次堆積物から成り、腐植含量10%以上で灰色を帯びた黒色を呈し、作土下からジピリジルの反応があり、おおむね50cm以内からグライ層となっている。地下水位の高い強湿地で、水田となっている。

(5)淡色黒ボク土壌

児玉統(Kd)北足立台地及び、古河台地上に分布する。風積性火山灰土壌であり、冑山統に隣接して分布する。表土は壌質で、腐植含量は5%以下である50cm以内から黄褐色の火山灰心土となる場合もある。層序的には冑山統の表層の腐植層が、風蝕あるいは人為的に剥奪された土壌とみることができる。畑及び集落として利用されている。生産力は中庸である。

川田谷統(Kw)本図幕南西荒川に沿った北足立台地に広範囲に分布する。本来、冑山統、あるいは児玉統に属する風積火山灰土壌であるが、明治後期から昭和初期にわたり、肥料代わりとして、荒川沖積土壌を客入してきたためにできた土壌である。表土20cm内外に沖積土壌が混じり、火山灰土壌と沖積土壌の中間的性格をもっている。生産力は客入のない場所より若干高い。

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2-2低地の土壌

(1)褐色低地土壌

新戒統(Si)加須低地、中川低地、備前堀低地の自然堤防、旧河道に分布する。層序の変化に乏しく、全層腐植含量3%以下であり土性は壌質が主体である。耕地では作土は弱粒状構造であるが、下層は弱塊状から無構造となり、色調は下層で若干明るくなる。物理性は良好であり、畑または集落となっている。生産力は高い。

下谷統(Sim)北足立台地、笠原台地群に主として分布し、一部騎西台地群にもみられる。表土は河川沖積土壌で下層から火山灰性土壌となる。表土に注目して褐色低地土壌に含めたが、この統の分布する部分の台地は低地と比高はほとんど無いのが特徴となっている。表土沖積土壌は新戒統と類似するがやや粘質である。下層50~40cm以下では褐色の火山灰土壌となる。全層酸化沈積物は認められない。畑および集落として利用されている。

(2)畑粒灰色低地土壌

平塚統(Htu)加須低地、中川低地、備前堀低地にやや大きい面積を占め、笠原、荒川低地にも小面積分布する。自然堤防に隣接した谷底平野、旧河道にある。表土次層とも強粘質な土壌が主体で、腐植含量は3%前後であり、土色は黄灰で明るく、酸化沈積物に富む。柱状構造が発達し、地下水位は低く、典型的な乾田であり、裏作可能である。生産力は高い。

下桶川遺統(Shy)加須低地下桶川近辺の旧河道、自然堤防に分布する。表土下層いずれも強粘質であり、平塚統より若干土色は褐味を帯び、構造の発達が明瞭でない。周辺水田地との高低差はほとんどないが、畑または陸田として利用されている。

(2)灰色低地土壌

清水統(S)本図幅中、各低地の自然堤防あるいは、旧河道に普遍的に分布する土壌であり、その面積は広い。表土は壌質~粘質であるが、壌質が主体を占め、腐植含量は5%以下である。下層は粘質となる場合もあるが、表土との差はあまりなく、腐植は1%程度で、土色は下層で若干明るくなる。全層にわたり酸化沈積物を含み、構造の発達程度は弱である。畑または集落として利用され、畑の大半は夏期陸田となっている。生産力は比較的高い。

三箇統(Sa)埼玉、騎西の台地群、慈恩寺、久喜、五霞の各台地にかなりの面積分布し、北足立台地及び、白岡台地にも点在している。褐色低地土壌の下谷統と同様な理由により、低地土壌に含めた。表土に河川堆積性の黄褐ないし黄灰の粘質土壌があり酸化沈積物がある。20~50cmの下層から、火山灰性の黒褐色の壌質土壌となる。集落、畑、陸田などに利用されている。

長野統(Ng)埼玉、騎西、笠原の台地群及び、五霞、総和の台地、またはその開析谷底地に分布する。三箇統に類似し、隣接して分布する。表土は沖積土壌で壌質~粘質であるが、次層に強粘土壌の存在することもある。酸化沈積物を含み、下層火山層腐植層を欠き黄褐色ローム層となる場合もある。おおむね水田として利用されている。

仁手統(Nt)荒川、加須、中川、の各低地の河原、旧河道、谷低平野に分布する。全層壌質の場合が多いが、下層では強粘質となることもあり、清水統と隣接して分布することが多い。乾田であり生産力は比較的高い。

種足統(Td)見沼代用水低地の自然堤防旧河道に、小面積分布している。ほとんど清水統と同一層序であるが、色調がやや黄色系である点で分別した。畑、陸田として利用されている。

(4)粗粒灰色低地土壌

向古河統(Mk)加須低地、中川低地の自然堤防、河原、旧河道に局部的に分布し、砂丘地分布することもある。表土、下層とも砂質土壌であり、酸化沈積物がみられる。畑として利用されている。

川俣統(Kwa)加須低地、中川低地の自然堤防、谷底平野に小面積分布する。表土は壌質であるが下層30~50cmから砂質土壌となる。表土に酸化沈積物は比較的多い。畑として利用されている。

(5)細粒グライ土壌

山田統(Ya)各低地の谷底平野に分布する。全層強粘質土壌で、腐植含量は2%以下であり、50cm以下でグライ化している。水田として利用されるが、裏作可能で、生産力は比較的高い。

伊佐沼統(Isa)加須低地の谷底平野に点在する。全層強粘質土壌からなり地下水位は高く、湧水面は50cm以内にあり、その附近よりグライ層となる。グライ層には、斑鉄等酸化沈積物は全くない場合が多いが、黄褐色管状斑が僅かにみられることもある。

(6)グライ土壌

片柳統(Ky)各低地の谷底平野に広い面積分布する土壌である。五霞台地には、沖積土壌に被覆された部分が多いが、沖積層が1mを越えた部分はこの統に相当した。表土は壌質であり、下層が強粘質となる場合もある。50cm以下にグライ層がある。水田として利用され裏作は可能なところが多い。

菅島統(Sz)加須、中川低地の谷底平野に分布する。層序的には片柳統のグライ層が更にあがり、50cm以内でグライ層となる土壌である。湿田で、生産力は高くない。

上笹塚統(Ksz)加須、見沼代用水、元荒川、備前堀の各低地の谷底平野、あるいは旧道に局部的に分布する。表土は壌質~粘質であるが、下層は砂質で、50cm以下でグライ化している土壌である。

赤沼統(Ak)加須低地の谷底平野に占在する。層序的に、上笹塚統のグライ層の位置が上がり、50cm以内からグライ層となった土壌である。

沼田統(Nu)中川低地の利根川沿辺谷底平野に分布する。表土は砂質であるが、次層は壌質~粘質となる。50cm以内からグライ層となった土壌である。

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(7)低位泥炭土壌

鯨井統(Ku)加須、笠原、備前堀の各低地の谷底平野及び、湿地に分布する。また慈恩寺台地、久喜台地群の開析谷地田にも分布する。一般に全層強粘な土壌であるが、次層壌質となることもある。下層50cm以下で泥炭層が出現し、グライ化している。裏作可能であるが、生産力は高くない。

下八ツ林統(Syb)中川低地の谷底平野、慈恩寺台地及び久喜台地群の開析谷地田に分布する。鯨井統より泥炭層の出現位置が高く50cm以内から泥炭層となる。地下水位は高く、泥炭層はグライ化している。水田として利用されている。

小沼統(Kon)北足立台地の開析谷地及び、綾瀬川低地の谷底平野に分布する。表土は火山土壌を混じって、腐植を含む、黒褐色壌質であり、下層50cm以内から泥炭層となる、おおむね50cm以内でグライ化している。水田であるが生産力は低い。

多聞寺統(Tm)加須及び中川低地の谷底平野に分布する。壌質グライ土壌の片柳統と隣接していることが多い。表土は壌質が主であり、下層が強粘質となる場合もある。50cm以下から泥炭層となり、グライ化している。水田は、裏作可能地が多い。

(8)黒泥土壌

花和田統(Hw)北足立台地及び笠原、騎西台地群の開析谷地田に主に分布するが、加須低地の湿地、太日川低地の谷底平野に小部分みられる。全層強粘質土壌からなり、50cm以内から黒泥層となる。地下水位の高いところが多く、下層50cm以内からグライ化している。湿田であり、裏作利用は困難である。

小八ツ林統(Kyb)騎西台地群の開析谷地田及び、加須低地の谷底平野に分布する。全層おおむね、壌質~粘質であるが、下層で強粘土壌となる場合もある。50cm以下から黒泥層となる。半湿水田で、裏作可能である。

大串統(Ogs)埼玉、騎西、笠原の各台地群の開析谷地田及び、加須、笠原低地の湿地に主として分布している。花和田統戸隣接して分布する場合が多く、層序的に類似し、黒泥出現位置が50cm以下に下がった土壌である。湿田であり、生産力は高くない。

2-3砂丘地の土壌

(1)粗粒褐色低地土壌

志多見統(Sda)志多見、砂山砂丘及び古利根砂丘群に分布する周辺低地との比高のある部分の土壌であり、全層砂層から成る腐植は表土から2%以下であり、一般に層位の区分は明瞭でない。耕地としての利用は桑園が多く、早害をうけ易く、普通畑作の生産力は低い。

砂山統(Sn)昔の利根川の旧河道に沿ってつくられた砂丘上の林地土壌である。砂山砂丘、志多見砂丘、箕輪砂丘及び砂原砂丘等に幅狭く分布する。この土壌は、ここ数年間に砂資源として採取されたところも少なくなく、林地面積は激感している。A0層ではL層は約3cmで、1cm程度のF-H層に接続しているが、あまり乾性でなく菌糸の認められないところが多い。A1層は8~10cmで暗褐色を帯びH層からの腐植の混入浸透がみられるが、それより下層では急に腐植が少ない。B1、B2層では土色がかなり異なるが本来の砂の色に基因するものと思われる。堅密度はA2層が軟で他は鬆または頗る鬆で、水湿状態は全層を通じ適潤である。林相は、天然生では、アカマツ林、またはアカマツとコナラ等の落葉公用樹との針広混交林であり、下層植生では、シロダモ、アラカシ、ヒサヤキ等の常緑広葉樹がみられる。アカマツ広葉樹の成長は普通~やや良好である。砂丘は低地面との比高が数m以下であまり高くないので、林地土壌も隣接する土壌も隣接する畑地土壌とともに粗粒褐色低地土壌に含めた。

(2)粗粒灰色低地土壌

箕輪、葛西、砂原、道目、道橋、栗橋の各砂丘および、古利根砂丘群の一部には、粗粒灰色低地土壌に属する、向古河統が分布するが、この統については、低地の土壌として既述した。

埼玉県農業試験場秋本俊夫
埼玉県林業試験場野村静男

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4傾斜区分図

本地域では平坦な台地・低地からなる地形起状の少ない所であるため、不整合面の発達する台地と低地の接触崖と、谷地田と台地との崖、砂丘崖で傾斜面が観察される。傾斜角は局所的に小さく急傾斜地点もあるが、人為的に工事された所が多いため、地形に即したものではなくなる。大宮図幅と同様、最低水平距離は50m以上に対する平均傾斜角を求めた。

一般傾斜は台地と低地の境界で3~8°、荒川低地にのぞむ鴻巣市原馬室から北本町中井、横田では8~15°になる。また、元荒川低地にのぞむ白岡町でも同様の傾向を持つが、その他は台地の縁辺部に3~8°の傾斜を持ち、北本町原・常敷、伊奈村小貝、白岡町岡泉、彦兵衛、爪田ヶ谷、騎西町根古屋、古川市中田に見られる。総和村砂井新田の谷地田にのぞむ所で8~15°は高い傾斜角となる。台地内では低平で0.5°から1°付近が一般的であるが、局所的に3°内外の所もある。一方低地ではとりわけ後背湿地で0°である他、河川の浸食崖付近を含めても0~3°未満となる。砂丘では各地区に発達し、3~8°および8~15°の傾斜値を得る。自然堤防では加須市街地の南限に多少の崖が発達するが、3°内外のため、除いてある。低地の崖は人工的になだらかにしている部分も多いため真相はつかめないが、概して、それらは本図には組み入れていない。

(埼玉大学松丸国照)

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5水系・谷密度図

水系による侵食谷で川巾1.5mを超えるものを調査する折、本来なら、水系密度の高い所は谷密度も高くなるため、頻度としては一致する傾向にある。しかし、本地域では水系は河川改修、水田灌漑用用水堀とがあるため、本来の水系はフェード・アウトする。そのため、真の谷密度ではない。
水系は本来の河川、その河川を多少人工改修したものに、また、台地では谷地田の解析谷だけから本来求めるべきである。しかし、河川系を明らかに結びつけた運河、旧流路および伏流の人工堀は、現状の水田耕作用水として重要な水系をも加えて水系図を作成し、作業規程に基づいて、谷密度図を作成した。水系と谷密度はほぼ全般に一致し、主要河川の利根川、荒川、渡良瀬川、古利根川、会の川、見沼代用水(星川)、綾瀬川および分枝支流では谷密度は高い。算出した数値では、0~23まであり、台地上での0~3を除くと、10内外から20内外の数値を低地において見ることができる。従って、地形の起伏量が貧弱な割には谷密度頻度は非常に高いと言える。
表層地質と水系、谷密度との関係は低地の砂泥堆積物地域に大規模な水系があるため、谷密度は高い。地質構造と谷密度との相関性は、傾動面を考慮して考察しても、低地内ではさしたる谷密度変化もでてこない。人工的要因に求め、用水堀による補正が低地内にまんべんなく作られた為であるだろう。
傾斜区分図と水系、谷密度との関係は一般に、急、緩両面上で無関係の発達をしているので、「大宮」図幅の場合と同様である。

(埼玉大学松丸国照)

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6利水現況図

農業用水についてみると、享保12年(1721年)に作られた全国でも屈指の見沼代用水路が利根川から取水して、本図の北西から南東にかけて巾広く受益地を持っており、見沼土地改良区が管理している。その他にも数十の土地改良区(別表参照)が、元荒川、古利根、中川等の流下方向に略平行して分布し、互いに重複している。利根川に主水源を持ちながら、上流地域の農業排水下流では再び農業用水として利用する形態が多く、複雑であるが合理的な水利用の状況を呈している。
近年の人口増加に伴う都市化の進行により、農業用水路の多目的利用が強要され水質汚職が進み、農業経営に不安を惹起させている。このことは今後の開発に、排水量は勿論、排水水質の向上が重要で緊急な事項となる。

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7防災図

権現堂調整池は埼玉県栗橋町、幸手町及び茨城県の五霞村に位置する中川左支川権現堂川に洪水調節、不特定用水確保及び都市用水の開発を目的とする目的とする多目的貯水池を建設するもので中川総合開発の一端をなすものである。

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8冠水区域図

湛水区域図は、埼玉県側は、昭和33年9月の台風の際の浸水状況を、中川流域洪水状況図をもとにして作成した。その当時の降雨量は鴻巣地点で最大日雨量22.0mm/日降り鴻巣市と北本市、菖蒲町等に浸水深1m以上にも達する所がありますが、ほぼ全域50cm前後の浸水深であり、殆どが水田地帯である。

茨城県側は、時間雨量50mm/Hによる冠水区域図である。

お問い合わせ

企画財政部 土地水政策課 総務・国土調査担当

郵便番号330-9301 埼玉県さいたま市浦和区高砂三丁目15番1号 本庁舎2階

電話:048-830-2186

ファックス:048-830-4725

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