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掲載日:2025年10月22日

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特定非営利活動法人暮らしネット・えんインタビュー

特定非営利活動法人暮らしネット・えんインタビュー

新座市で認定NPO法人として、訪問介護や居宅介護事業、障害者相談支援事業など幅広く活動をしている『特定非営利活動法人暮らしネット・えん』。その成り立ちや課題について、小島美里代表理事からお話を伺いました(取材日:令和7年9月26日)。

『特定非営利活動法人暮らしネット・えん』について

基本情報

  • 法人名:特定非営利活動法人暮らしネット・えん
  • 代表者:小島美里代表理事
  • 所在地:埼玉県新座市石神二丁目1番4号
  • 活動歴:1990年頃から全身性障がい者2人の介助ボランティアグループとして活動を始め、2003年に『特定非営利活動法人暮らしネット・えん』としてNPO法人格を取得。その後、2014年からは認定NPO法人として活躍している。
  • ホームページ:特定非営利活動法人暮らしネット・えん(別ウィンドウで開きます)

定款に記載された目的

この会は、高齢者・障がい者の支援事業、調査活動、学習会、文化活動等の活動を通じて、高齢になっても、障がいがあっても、おとなも、子どもも共に生きる地域社会をつくることを目的とします。

主な活動内容

  • ケアプランえん(居宅介護支援事業、特定相談支援事業)
  • ケアサポートえん(訪問介護・居宅介護事業)
  • グループホームえん(認知症対応型共同生活介護事業)
  • 多機能ホームまどか(小規模多機能型居宅介護事業)
  • デイホームえん(認知症対応型通所介護事業)
  • えんの森(高齢者共同生活支援事業)
  • えんの食卓(新座市配食サービス委託事業)
  • 地域交流・文化事業、相談・調査・研究・研修事業

ココに注目!インタビュアーが感じた、レジェンド★ポイント

★地域に寄り添いながら人々の暮らしを支える、地域密着型のNPO

  • 地域に根ざし、暮らしをつなぐ存在として、地域の人々のニーズに応えるサービスを提供し続けていく理念に感銘を受けました。

★揺るぎない信念のために闘う姿勢

  • 福祉や介護をとりまく課題について対外的に発信し続け、大きな影響力を持つ小島さん。その原動力である、"次世代に良い制度を残したい”という強い想いに圧倒されました。

小島代表理事とのインタビュー

元々は、介助ボランティアグループとしてスタートとのことですが、きっかけを教えてください!

 本当に何気ないきっかけで始まりました。当時は、新座市の議員をしていたのですが、仲間から、重度の障がいがあり、バリアフリーで機器を使って一人暮らしをしている女性が市内にいるのでお家を見せてもらおうということで誘われて伺ったんです。今から30年以上前、1990年になる前ぐらいのことですから、バリアフリーで機器を使って一人暮らしということがとても珍しかったわけです。もちろんとても興味深く伺ったのですが、様子を見ていたら、ちょっとこれは何かお手伝いをしていかなきゃいけない状態だなと思いました。 

 当時、障がいのある方たちとのおつき合いがあったこともあり、「何かお手伝いすることありますか。」と率直に伺ったら、「トイレの介助をしてくれる人がいるととても助かる。」とおっしゃったんです。それで気軽に、「わかりました。じゃあ周りにも声をかけてみます。」と約束をしました。周りにも障がいのある方との関わりを持ってきた人たちが多くいたので、すぐに電話をして、「ここにこういう方が住んでいるから、アポを取って何をして欲しいか聞いてみて。」と伝えました。そうしたら、私が声をかけた人が他の友達に声をかけてと芋づる方式に集まって、あっという間に10人以上の人たちが集まりました。

そのボランティアでは、どのような方を介助されていたのでしょうか?

 全身性障がいの方、お二人の介助です。先ほどの方は、筋ジストロフィーがあり、50歳前ぐらいの方でした。もう1人は、40歳前後の脳性小児麻痺の方で、70代になるお父様と二人暮らしをされていました。あの当時は、週に2、3回しかヘルパーが入らなかったので、ほっとけず、ボランティアとして入り始めました。後者の方は、後々一人暮らしになられたのですが、亡くなられる最後まで在宅を通しました。お父様も私どものグループホームで亡くなられました。

 そのような縁があるんですが、その方がある時、以前はお父様がお酒が入ると「俺が行くときはお前をつれていく」と言っていたのが、ボランティアが入るようになってから、それを言わなくなったと話してくれたんです。それぐらいに切羽詰まる状況だったのが、ボランティアがたくさん入るようになって、落ち着かれたのでしょうね。たったこれだけのことで、それを言わなくなった。これは本当に結構、自分たちが考えているよりも重要なことだなと思いました。

その後は、どのような経緯で現在に至るのでしょうか?

 当時は介護保険制度以前であり、社協や公的なヘルパーがほとんどだったのですが、その人たちの勤務は月~金の9時~17時で身分が保障されているわけです。対して、ボランティアの自分たちは身分の保証もなく、ヘルパーさんの休みの日、土日祝日、年末年始、早朝深夜などを引き受けて苦労しているのに、おかしいじゃないかと思っていました。これは何の保証もなく介護をやっている場合じゃないと思い、法人格が必要だと考えましたが、当時はまだNPO法もなく、法人化には至りませんでした。このため近くの堀ノ内病院という病院の中の一部門にしてもらい、在宅介護部門を担当しました。それが1996年です。

 翌年の1997年には、認知症の方たちへのサービスや支援が何もないことから、この方たちのグループホームを作るための準備段階として、小さなデイサービスを自主事業で始めました。そして、2000年になって介護保険が始まり、サービスが介護保険になっていくという流れになりました。そのような経過を踏まえて、2003年にNPO法人として独立をしました。

当時、NPO法があれば、初めからNPO法人になっていたのでしょうか?

 そうですね。既にNPO法ができていたら、ストレートにNPO法人になったと思います。

 けれども、病院の中に入ったことで、教わったこともとても多かったです。例えば、お医者さんや看護師さんと一緒にヘルパーに行くという、いわゆるボランティアでやっているグループにはないような経験をさせていただきました。医療重度や認知症の方たちのところに、看護師さんやお医者さんに教えられながら入って、初めから身体介護や認知症ケアにも携わり、鍛えられたと思います。

 堀ノ内病院は、森鴎外のお孫さんで国立国際医療研究センターの病院長も務められた小堀鴎一郎先生が定年後に訪問診療を行うために赴任された病院として有名ですが、本当に教わることは多かったと思います。結果的には、そこで介護の仕事をスタートしたことも良かったなと思っています。

活動を始める以前に、介護や医療系のお仕事の経験はあったのでしょうか?

 ボランティアなどいろいろな関係で関わりはありましたけれど、仕事として働いた経験は全くありませんでした。むしろ子供のときからおっちょこちょいなので、家族からは医者、看護師、薬剤師はやめておきなさいと言われていたのですが、なんと近い分野へ来てしまいました。実は、介護というのはあまり自分が向いているとは思わなかったので、立ち上げがきっちりできたら、優秀な人たちがたくさんいるので、彼らに任せて、自分は他のことにまたシフトしようと思っていたんです。けれども、何だかいろいろな事情から、介護保険は始まるは、独立するはで、抜けられないなんてことになって、もう1996年から来年で30年です。本当に大人になってからの半分以上の時間をこの仕事で過ごすことになるとは想像していなかったです。

『暮らしネット・えん』という名前の由来を教えてください!

 設立をするときに、みんなで名前を考えまして、その中のアイデアに「えん」というのがあったんです。ただ「えん」だけでは、ということで、“暮らしをつなぐ”という意味を込めて「暮らしネット」を上につけることにしました。「えん」は、“縁”という意味も“円”、“園”という意味も当てはめられる言葉なので、広い意味を込めて、ひらがなにしています。

現在の『暮らしネット・えん』の状況について、いかがでしょうか?

 他所よりワンテンポ遅れてはいるものの、昨今の人手不足が始まっています。特に訪問介護が厳しいです。訪問介護はえんの事業の中では一番大きくて、現在約50人いるのですが、一番多いのは50代、次が70代です。70代の人たちがいなくなったらどうなるかと言ったら、それは大変なことになるわけです。また、介護報酬が1割くらい高い東京都との都県境にあるので、人材確保はなかなか大変です。

 決して追い風は吹いていないのですが、えんの特色として、NPO以前の時代から、地域の方たちが働いているということがあります。例外的に1、2人遠くから来ている人はいますけれど、新座市内や近隣の所沢市、和光市、練馬区など、本当にこの周辺のところから来ているので、職員の通勤交通費がほぼかからないんです。そういう意味でも本当に地域に密着したNPOになっています。どちらかというと、新しい職員も今働いている職員が連れてきてくれるということがこれまでずっと続いていて、ハローワークや紹介業者経由というのがない状況です。

南西部地域のNPOの中でも事業規模がトップクラスですが、経営面について、お伺いします!

 ここ2年は実質赤字です。人手不足で、一時グループホームで職員がバタバタと退職したときに、ホームの定員を満たせないこともありました。今はまた充足しましたが、半年ほどかかりましたね。

 私は講演なども多いのですが、講演料や私の書いた本の印税は、今のところ全部NPOに入っています。みんなが本当に小さいパイを分け合ってやっていくというのは最初からの理念ですから、苦労しているのはみんな同じだと思っています。ただ、それでは後継者が引き受けてくれないかもしれないので、そこは考えなくてはいけないと思っていますし、後継者に、やはり初代の私たち以上に経営感覚を磨いてもらいたいと思います。当たり前のことではありますが、自分たちの給料を自分たちで稼いでいるということは伝え続けています。

 前年度は黒字になったのは、なんと2000万円もの遺贈寄付をいただいたからなのです。今までもお世話になった方からそれなりの額をいただいたりしているのですが、とてもありがたいことですよね。今回の多額の寄付をくださった方は、ご本人とは直接のご縁はないのですが、後見人の方は私どもがよく知っている方で、その方を通じて、地域で頑張っているNPOさんにということで寄付してくださいました。

 日本は寄付文化があまりないですが、このような福祉介護NPOを支えるには寄付は必須であり、情報提供を積極的に行うことも大事だと思います。

最近の事業の話題としては、多機能ホームまどかの移転がありますよね?

 はい。多機能ホームまどかは、今移転準備の最中です。2006年度にスタートし、そろそろ20年になります。民家改修型といいますが、大きな平屋を多少広げたり、バリアフリーにしたりしてやってきました。けれども、やはり20年近い年月の中で、利用者像が変わってきました。最初の頃は、畳の部屋に何人かが布団を並べて一緒に寝たり、コタツもあったりという和やかな光景がありました。でも、今は認知症の方でも寝たきりや身体の問題も結構あって、車椅子も増えてきて、新築するまどかに和室はありません。利用者の高齢化と重度化が起きているんです。また、家自体も古くなり、ハザードマップで浸水区域ぎりぎりの線上に立っていることもあるので、移転を決めました。土地は確保したので、今、設計案を作っているところです。

NPO法人になられて22年目になりますが、どのような局面を迎えているのでしょうか?

 私も含め、第一世代がここへ来てリタイアする年齢になり、今、第二世代が事業の中心になってきています。第一世代はNPOを作る前のボランティアから始めた人たちですから、特に言わなくても理念はみんな一致していたのですが、それが意識的に合意を形成していかないといけなくなっています。このため、やはり理念をちゃんと理解してもらう。自分たちがどういうことをしたいのかをちゃんと理解し、みんなでこう作っていくという意識を作らなきゃいけないと思っており、今その作業に入っています。今年1年かけて、そのような準備をやっていくところです。

 各事業所の管理者は、もう2、3代目というところも多くなっているので、中心のところ、特に私や副代表のところも交代していかなきゃいけない時期に入っています。私も元気な限り、何らかの形では関わるけれども代表は降りたいと考えています。私もずっと長いこと誰か後を引き継ぐ人を何とかしなくては、と思い詰めていたのですが、ここへ来て、私がこの人というよりも、みんなで決めてもらうほうがいいかなと思っています。どこのNPOも代表の引き継ぎが一番大きな課題ですよね。

『暮らしネット・えん』を担う次世代に引き継ぎたい想いを教えてください!

 やはり“地域の中で求められる事業を繋いでいく”ということです。私たちが活動を始めたのも、障がいがある人々や認知症の方たちの置かれた状況を見て、なんとかしたいと思ったからです。グループホームが欲しいという声があれば、グループホームを作り、たまに泊まれる施設が欲しいとなれば、小規模多機能ホームを建てました。地域の人たちがバリアだらけの家で要介護前でも生活が困難という状況を見て、バリアフリーの住まいとしてグループリビングも作りました。だから、これをすれば儲かるという話ではなくて、結局は地域の中で求められたものを作ってきたということです。そのことを忘れないでほしいと思っています。

無事に引き継げたら小島さんがやりたいことはあるのでしょうか?

 あれもこれもと考えているものは、いっぱいあります。趣味もいろいろとありますので、音楽が好きで、ここにあるピアノもたまに弾いています。「小島さんがピアノを弾いているのは煮詰まっているとき」とみんなに言われたりしていますが。本当にやりたいことはあるので、ちょっと離れたら少し遊びたいですね。

介護系NPOをとりまく現状はどのようなものでしょうか?

 介護保険とNPO法は1年違いで成立しているというのもあって、最初の頃は、介護保険というとNPOと言っていたくらい、とても意気盛んで、とにかく介護系NPOは全国にいっぱいあったんです。けれども、その後は続かないというか、やはり大手の営利団体に押されてしまって、どんどん撤退して、これはいけないなと思っています。

 国は、介護の産業化というような大手が残ればいいと言わんばかりの政策をとっていますけれど、実はコロナのときに感染者のお宅で訪問介護を続けたのは、ほとんどが小規模の事業所だったんです。大手は、熱が出ただけでヘルパーを出しませんというような対応でした。だから、あのような事態がまた起きたときに、誰も行く人がいなくなってしまうでしょう。だから小さいところが撤退していってしまうと、本当に大変なんです。小規模事業者でもまともな給料が支払われる、地道に地域の中の役に立つことができるようにしてほしいと思います。

介護報酬の改定について、詳しく教えてください!

 実は私は『暮らしネット・えん』代表のほかに、『高齢社会をよくする女性の会』の樋口恵子さん、『ウィメンズ・アクション・ネットワーク』の上野千鶴子さんたちの呼びかけで始まった『ケア社会をつくる会』という会の世話人をしています。

 昨年度の介護報酬改定によって、訪問介護の基本報酬が2%減額になりました。人件費が高騰する中でおかしな話ですが、カラクリがあります。皆さん訪問介護といったら、自転車で回る人達だと思うでしょう。ところが今、サービス付き高齢者向け住宅(サ高住)が増えていて、居室にヘルパーさんが行くことが訪問介護扱いとなっています。このためサ高住の中でサービスをすれば、移動のための時間がかからず、効率的に訪問介護ができるので、それが訪問介護全体の利益率の底上げをしているんです。このため全体の4割が赤字事業所であるのに、基本報酬の減額につながるというすごく変な仕組みになっています。

 訪問のための移動だって、地方だったら片道ですごい時間がかかります。『ケア社会をつくる会』で、この夏場の全国アンケートを取ったのですが、やはり3割ほどは、この夏の暑さで辞めようかと思ったという回答でした。暑さで汗だくになって倒れそうになりながら訪問している人と、冷房の効いた建物の中を回る人が同じ扱いなんです。近年、在宅死が増えているのも、サ高住などで亡くなっている人が増えているのであって、お家で死んでいる人が増えているわけじゃないんです。だから、カテゴリーを変えてほしいと国に訴えています。本当におかしい話だと思います。

これまでご活動されてきた中で、特に印象に残っているエピソードはありますか?

 この『暮らしネット・えん』は坂道にあるので、雪が降ると大変なのですが、ある雪の日に、みんな総出で一生懸命、雪をかいていたら、近所の年配のおじさんたちが出てきて、一緒に雪かきを手伝ってくれたことがありました。それで、「ありがとうございます。」と言ったら、「いずれ、お宅の世話になるからね。」と言われたのです。

 地域で仕事をしていて、いずれお宅の世話になるんだから雪かきぐらい手伝うよという気持ちがすごく嬉しいでしょう。やはりそういう関係でありたいなと思います。国が進めるような介護の産業化では、そういうものをすべて捨ててしまうというか。介護というのは、本当に生活に密着したものだから、やはり地域の中で続いていくということが、とても大切なことになると思います。

長年、精力的にご活躍されてきた小島さんの原動力とは何でしょうか?

 始めてしまった責任感ですね。それから介護保険の制度が、私たちが希望を持って始めたときと随分違ってしまったというところについて、現場から発信を続けたい。NPOの代表もしながら、そちらの方の活動も結構しています。具体的には、次世代の人たちの負担を減らしていきたいと思っています。私たちは上り坂で来たけれども、今はもうそうではありません。

 また、いわゆる団塊ジュニアの人たちで、就職氷河期に社会に出て、正規雇用にならず不安定なまま就労し結婚を諦めたり、子供を持っていないという人達が非常に多い。その方たちが、あと20年もすれば高齢者になるんですよね。その方たちのためにやはり何とかちゃんとした介護制度を残しておかないと、今以上に厳しくなると思います。今は高齢者ばかり良い思いをしているみたいなことを言われたりするんですけれども、20年後のあなたたちのことよということも伝えながら、やはり良い介護制度を残していきたい。その辺が非常に危なくなっているので、そういう思いで動いています。


  

【写真左】『暮らしネット・えん』の外観、【写真中央】イベント「ヤキイモタイム」の様子、【写真右】活動の様子


介護制度の現状を改善していかなければならないという強い危機感と使命感を感じることができました。常に地域社会に寄り添った支援を行うことを第一に、長年活動牽引してきた姿はまさにレジェンド!小島代表理事、インタビューにご協力いただき、どうもありがとうございました!

※本記事の掲載内容は取材時点の情報です。

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