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掲載日:2025年7月4日
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朝霞市で認定・県指定NPO法人として、長期に渡り、国際交流事業や高齢者支援事業を行っている「特定非営利活動法人メイあさかセンター」。活動のきっかけや意義について、尾池富美子代表理事からお話を伺いました(取材日:令和7年5月9日)。
(*)平成18年6月1日~平成27年5月31日:旧制度(国税庁)による認定、
平成26年9月26日~:現制度(所轄庁(都道府県の知事又は指定都市の長))による認定
この法人は、子どもから高齢者まで、年齢や立場を超えて連携し、生涯学習社会、高齢社会、国際化社会、情報化社会について学習と活動を基に、調査・研究を推進すると共に、他団体活動の支援を行うことで、より良い生活ができる地域づくりに寄与することを目ざします。
★常に未来を見据えながら、学び続ける姿勢
★“生涯学習”という広い視野での活動理念
私は、何でも10年先を見て夢を見ている人なので、母親として地域活動をしたときに、他のお母さんたちとの距離がものすごくあったんです。なかなか周りにその10年先の夢なんか通じないじゃないですか。でも、世界を見ても絶対間違ってはいないだろうと、じゃあ勉強し直して仕事を得て、60歳になったら社会デビューすればいいわと思って、社会教育主事の資格を取ろうと思い、玉川大学の通信教育を始めました。その時に、もうすでに結婚していて、義理の弟が重度の障がい者でいたので、そうすると重度の障がい者に対する世間の目とか、本人の社会的自立への意気込みとかいろいろそういうのも見ているし、私の子ども時代、貧乏がどのぐらい大変かも体験しているし、そういうものを活かしながら、社会教育主事の資格を取って、自分なりの考えで社会デビューすればいいわと思ったんです。
その後、知人からの話をきっかけとして、朝霞市教育委員会に、2代目の社会教育指導員として採用されました。専門の社会教育主事と組んで、市民の団体活動の指導、助言、相談に乗るという仕事でした。朝霞市は職員が少なかったので、事業の組み立てから予算立てから全部教えられながら作る経験ができまして、それが今のNPOの活動にはものすごく生きています。いっぱい教えていただいて、いっぱい勉強させてもらいました。それを7年続けて、介護のために辞めたという感じです。
一番初めは、シエラレオネという国の女子教育支援の運動に参加したことです。きっかけは、私が玉川大学の通信教育を受けているときに、スクーリングの道徳教育の教授から、「西アフリカにあるシエラレオネで、ノート1冊もなく勉強をしている子どもたちを応援してほしい」というお話を聞いたことです。約40年前ですから、当時は最貧国でした。それで、興味を持って応援を始め、その教授に協力して活動をしているうちにだんだん仲間も増えてきました。社会と繋がる活動としては、そのシエラレオネの女子教育支援が始まりで、その後、夫が単身赴任でマレーシアに行ったことをきっかけに、『絵を通じての友好』を始めました。それが、1987年のことで、一番古い活動です。
『絵を通じての友好』は、朝霞市内の小学校から子どもが授業で描いた絵をいただいて、マレーシアに持っていき、あちらの学校内に展示するまで、大体60工程ぐらいの細かい仕事があります。ボランティアの方の意見を尊重し、ちゃんと意見を言ってもらって、お互いに切磋琢磨して続けております。
(写真:児童の絵画作品をマレーシア各地へ振り分ける作業の様子)
一生に一遍きりしか描けない絵なので、プロのカメラマンがちゃんと写真を撮って、そこに学校名と作品名を書いて、学校経由で渡しています。マレーシアに贈った作品は戻らないので、国際理解友好賞状というものを差し上げています。マレーシアのどこに絵が行ったか分かるようにお届けした先によってサインが違うんです。マレーシアでも同じように、この賞状を渡していて、ピンクの賞状と呼ばれて、すごく人気があるんです。これまでに日本とマレーシア両方で10万人が持っています。賞状の最後の一文が、「優れているので」ではなく、「あなたの真心に感謝して、ここに賞します。」となっていて、すごく人気がある文章です。
(写真:尾池代表理事自ら、国際友好賞状を児童一人一人に手渡している様子)
『絵を通じての友好』について日本国際理解教育学会などで発表すると、必ず質疑応答の時間に現場の先生から聞かれるのが、「これだけの活動を学校と連携するためには、どういう文書を交わして30年も続いていますか。」という質問なのですが、「不文律なんです。」と答えると皆さん絶句してしまいます。契約書ではないですけれども、毎年初めに教育長さん宛てに、今年はこういうスパンで作品をいただいて、マレーシアの作品をこういう形でお届けしますという形の連携は取っていて、そのスパンで動けるようになっています。
一番喜ぶのは子どもたちですから、すべての苦労が何のことはない、子どもの笑顔のためです。マレーシアとの歴史的な関係から言えば、東南アジアがみなそうですけども、日本といろんなことがあった中で、私達が活動を始めて38年間。何もないから、今こうして子どもたちが安心して、学校で絵を描けるし、笑顔が作れるし、子どもがどこででも笑顔ということは、とりもなおさず世界中が平和だということだと思います。私がマレーシアで、開会式のウェルカムスピーチをするときに、必ず最後に入れる言葉があるのですが、「このマレーシアと日本の子どもたちの笑顔で交流しているものが世界に波及していくことを願って、会場の皆さまにお願いし、私のスピーチを終わります。」と言っています。そして、それがちゃんとみんなに通じているので、細かい作業も全て世界中の子どもたちの笑顔を作ることに繋がるんです。
(写真:マレーシアサバ州タンブナン地区での日馬児童絵画展覧会の様子)
子どもが主役で上手下手関係ない、とにかく子どもがもう全部仕上がっていると思ったら、作品が戻らないのに、あげてもいいよというその気持ちを大事にしようとやっております。綺麗でなくても、子どもたちがその瞬間何をもって何を描いたかがマレーシアに伝われば、そしてマレーシアの絵もこちらで子どもたちに伝わればいいんです。ペナン州の学校などでは、20、30年も前の絵を飾ってある学校もあるんです。学校数が多いから、なかなか順番が回ってこないので、回ってきたところではもう大事に、大事にしていただいております。
以前、JICAの地球ひろばで展覧会をしたときに、職員の方で、毎日見に来ていた女性がいたんです。そしたら辞められて、その後で、「最初はどうして絵を飾って、それが国際協力の一部分となるかというのを疑問視しながら担当をしていました。毎日見に行って、そのうち分かりました。すごくいい勉強をさせていただきました。退職した後、役に立てます。」というお手紙をいただきました。すごくうれしかったです。
子どもの絵で、子どもが発信するもので、誰の手も借りない。リライトもされてないもの、画力でやったものでもなくて、お互いの国の子どもたちがお互いの文化を伝え合う。それで役に立つわけだから、立派な絵だけを見て、綺麗だったね、上手だったね、だけで終わらないものっていっぱいあるわけです。
(写真:展覧会の開会式の模様が掲載されたマレーシアの多言語新聞)
NPO法人として認定を取っていたおかげで、コロナのときは給付金(*)をもらえて、助かりました。飛行機代などが倍になったので、コロナの後、マレーシアへはまだ1回しか行けていないです。普通だと年3回、各地区に1回行っています。ただ絵を送って終わりではなく、手から手にということにこだわっているので、年3回に戻したいと思っています。
最近では、マレーシアの小学生と朝霞市の小学生がオンラインで繋がりました。どこからかオファーがあって繋ぐというのではなく、『絵を通じての友好』でお互いが知っている基盤を通じて行いました。日本の英語力とマレーシアの英語力を比べても、カリキュラムも違うので、日本のものを押し付けて、ただ顔を見てハローだけでは何の意味もないんです。そこは、ものすごく準備をして、共通点を見つけていくということはものすごく大変なんですけれど、交流と相互理解がちゃんと成立した様子が埼玉新聞に載せてもらえました。
(写真:朝霞第六小学校6年生とマレーシアペナン州ユニオン国民型中華小学校6年生のオンライン交流の様子)
オンライン交流のなかで、「どのぐらい勉強するのですか。」という日本からの質問に対して、「家に帰ってからも、すごく勉強している。」という答えを聞いて、「大人になったときに、これだけ頑張っている子たちと一緒に世界で仕事をするのかと、びっくりしました。」という感想があったんです。その子は、すばらしいことに気がついたと思って、私はそれがオンラインで結んだ最高の成果だと思いました。やっぱり多民族国家で、自己主張をしながら淘汰されないために、国内でも競争しながら、切磋琢磨されていって、舞台は常に世界を見ている。だから、それに朝霞市の小学6年生が気がついたというのが、すごくうれしかったです。
(*)新型コロナ持続化給付金は、企業だけではなく一定の要件のもと、認定NPO法人も対象であった。
次の代表や理事たちに、いかに上手にバトンタッチするかが今の大きな課題です。マレーシア側で辞めようと言っているところはないので、次の10万人を目指して、やっぱり続けていきたいと思っています。マレーシアにブランチを持たないで活動をしているので、各地にいる日本人や元日本の留学生などの協力者と繋がりながら、今いろいろな話をしています。
活動にすごくお金がかかるので、今度初めてクラウドファンディングをします。チラシはSNSだけでのPRでは足りないので、国際交流基金とかマレーシア大使館とか、とにかくマレーシアに関連するところにいっぱい置いていただいてアクセスしていただくという形をとります。
(写真:マレーシアから来日した児童との縄跳びでの交流の様子)
『絵を通じての友好』の次に始めたのが、『小さな集い』という認知症対策の活動です。舅が認知症になり、まだ介護保険制度も、その前のゴールドプラン(1989年に国が策定した高齢者保健福祉推進10か年戦略)もない頃でしたから、行く場所も行政の施策もないときに、私が社会教育指導員を辞めて、自宅開放をし、認知症の方と家族の方へおいでと立ち上げたのが始まりです。当時は、例えば、池袋のような大きな本屋さんに行っても、介護に関する書籍は、3、4冊ぐらいで、読むような本も売ってないような時代でした。そんな時に、全国組織の「認知症の人と家族の会」に出会い、集まりながらみんなで励まし合って、おしゃべりして、次の運動にしましょうという活動を知り、それを自分の家でやろうということで活動を開始しました。
認知症の人を迎えてということを原点に動いてきて、任意団体のときから、世の中の最初の部分を取りあげて動いてきたんです。その後、全国でNPOの研究をしている団体の方々と知り合い、その方達たちと一緒にいろいろな勉強会をする中で、「あなたたちのような活動が、いわゆるNPOなのだよ」と励まされてきました。始めは自宅で活動をしていましたが、狭くなって、公民館での活動も行いましたが、その後、『絵を通じての友好』で得た国際交流基金の地域交流賞(現:地球市民賞)の賞金で現在の事務所を借りました。その事務所で認知症の方も含めて、高齢者の集いの場を始めました。その後、朝霞市が、新規事業として独自の制度(現:生きがい活動支援通所サービス)を作った際に、『ミニデイサービス』を始めました。
(写真:ミニデイサービスの様子)
『ミニデイサービス』とは別に、男性をいかにうちから引っ張り出すかという目的で、男性用プログラムを開発したいということで、『サテライトサロン』を設けました。東洋大学の大学院の髙橋儀平教授(現:東洋大学名誉教授)が、生涯学習の観点から福祉で活躍している団体を訪ねてレポートを作るというグループ課題を学生に出して、その時に市の福祉課が紹介したのが、うちのサテライトだったんです。ゼミの若者と出会って、パソコンに全く触ったことない高齢者に教えてもらいながら、その気づきを全部マニュアル化したんです。その彼らが作ったテキストが今でもまだ生きています。その大学院生が卒業する間際のときには、学部の生徒を時間の空いたときにちょっと応援に来てくれたりして、繋ぎながら軌道に乗せました。まだその頃はパソコンが、今みたいに普及してないときで、高齢者が仕事の関係で覚えなくてはいけない人も結構いて、並んで覚えていったんです。その後、それだけでは限られるというので、色んな工夫をしてプログラムを増やしました。
また、スマホ教室とかを早い時期からやってきて、高齢者に簡単に優しく教えるという高齢者対象の活動をしています。独特のものだと、去年和光市が受けてくれたプログラムで、電子回覧板の出前講座があります。町内会の加入率が悪くなっていて、受け手になっている町内会の人たちが若くなっているので、町内会の役員さんの負担を減らそうということで、回覧板も殆どインターネットでという勉強会です。
(写真:朝霞市役所ロビーで開催したスマホ無料相談会の様子)
他に、『療育音楽を楽しむ会』は、3歳から96歳まで、ハンディキャップがあろうがなかろうが、視覚障がいだろうが、すべての人をみんなインクルーズで実現ということでやっています。最近は、ドラムサークルという出前講座を始めました。メロディーがなくても誰がたたいても打楽器って音が出ますよね。そうすると知的障がいを持っていても、目が不自由でも、耳が不自由でも、そういう方は振動だけですから、うんと大変なんですが、それに対応する有資格者もいるしということで、ドラムサークルの出前講座で埼玉全域に出ていけるという素地が出来ました。埼玉県芸術文化ふれあい事業バンクにも登録をしています。
(写真:南西部消防音楽隊と障がい児者とのコラボ演奏の様子)
うちでは、高齢者の手づくり品などを個人で持って帰らないで、施設にプレゼントしたり、寄付したり、マレーシアにお土産にしたりするんです。そうすると、この行為がボランティア活動に繋がるという考え方です。デイサービスは福祉事業だから、元気になったら卒業だね、ということではなく、ここで元気をもらったら、どんどん外へ行って公民館活動でも、どこかのサークルでも、どんどん社会参加してね、という考え方です。
市からは、費用対効果で利用人数が1日何人かなど言われますが、ずっと「人数だけで評価しないでください。元気になって卒業したら次の人を探すまでちょっと時間がかかるから、どのぐらい元気になって卒業したかを見てください。」というお話をいっぱいしてきました。その辺が生涯学習の観点で、ちょっと他の福祉ブロック、サロンとかとはちょっと違う考えです。行政では、重点化する取組がその時々で変遷し、介護予防にシフトしたり、逆に高齢者福祉計画、認知症に対してフォーカスして、今度は介護予防の観点がうんと手薄になってきたりします。だけれども、住民そのものは、今日は認知症です、今日は元気です、今日は介護予防です、今日は認知症です、というわけにいかないので、うちは全部生涯学習という観点で押さえているという形です。
埼玉県は、都道府県初でケアラー条例を作りましたが、全国で最初に条例を作った北海道の栗山町では、社会福祉協議会が中心になって条例を作っています。その担当の方が、インタビューで「大変だったでしょうね。この小さい町で社会福祉協議会が中心になって作るということは。」と聞かれて、お答えになったのが、「いや、そんなに大変ではなかったです。私は社会教育主事の資格を持っているから、住民みんなに生涯学習の観点で活動してもらってきたので、福祉とか関係なく全てを社会教育の関係で生涯学習の観点でやってきたので、そんな苦労しないで出来ました。」とおっしゃっていて、思わず「やった。」と思ったんです。私と同じような考えの人がこんな立派なところでいらっしゃると思って。だから、そういう形で生涯学習の観点でやっていると分かってくださる方は福祉だけで括らないというのがあるので、すごく助かっています。
どうやら今うちが、認定をとってから今まで一度も休むことなく続けている埼玉県の中でも数少ない認定のNPO法人の1つのようなんです。任意団体から活動して38年、2001年からNPO法人になって、来年で25年になります。新しいものについていくのに30年くらい続けているところは代表が変わっていきますけれど、うちはそのまま代表を続けているんです。けれども今、この時期に来て、ここ2年ぐらい前から、次に備えて引き継ぐ準備をしています。
今、情報の伝達の仕方が全く違ってきて、助成金の申請の仕方も全く違ってきました。県の助成金も全部コンピューターですから、そういうのに私自身がついていかれませんでした。それでなお早くに代表を譲らなくてはというところで、一昨年大きな病気をし、去年も次から次へと色んな病気をもらってしまいました。代表が渉外しないとなかなか寄付も集まらないし、会員も増えないし、全国からの情報とか、全国レベルのものになかなかインターネットだけではついていかれないんです。やっぱり現場に行って、一緒にディスカッションしたりとか、県の行事に参加したり、そういうことをして、代表自らが時代に即したものをやっぱり吸収していかないとと思います。なので、その2年間の足踏みというのはすごく大きかったんですね。今ここちょっと元気になってきているので、もうちょっと基盤を修復したら、代表を後進に譲るつもりでいます。
ここのNPO法人の活動を次に継承するのに、「私たち30年こうやってきたけれども、あなたたちの代になったら自分の給料を自分で稼げるような組織にしてね。」という話をしています。1代目は、どこでもみんな自分のお金を出してでも一生懸命やるんだけれど、2代目3代目、そんなことしていたら生活が成り立たないから、ちゃんと専務理事なり事務局長を置くなり、そういう本格的なものにして、みんなが安心して活動できるようにしてくださいと頼んでいます。こうして、マイナスの状態で引き継ぐというのは申し訳ないけれども、それを受けて立ってくれる次の世代がいるというのは、ものすごく頼もしいと思います。
一生懸命やっていると誰かが助けてくれて、それで私がここまでいろんなものを乗り越えてきました。学校の授業などで呼ばれて、小学生の前で授業をしたりすると、必ず「こんなに長いことやっていたら、困ったときっていっぱいあるでしょ。そういうときどんなふうにして解決してきたんですか。」という質問が出るんです。そのときに、「1週間、10日、心の神様に頼んでね、誰か助けてください、こういうことがありますからっていうと、不思議と皆さん助けてくれたので、ここまで続いています。」と言うと、子どもたちは納得してくれるんです。本当に皆さんに助けてもらいながら、という感じです。
【写真左】(左から)尾池代表理事、鷹野副代表理事、及びメイあさかセンターの皆さま、【写真右】メイあさかセンターの外観
常に先を見据え、絶えず成長し続ける心構えが、とても勉強になります。長期間に渡って活動を続けていくバイタリティーは、まさにレジェンド!尾池代表理事、及びメイあさかセンターの皆さま、インタビューにご協力いただき、どうもありがとうございました!