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掲載日:2022年2月9日

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本庄早稲田の杜ミュージアム企画展「山内清男(やまのうちすがお)コレクション受贈記念 山内清男の考古学」

★本庄早稲田の杜地域連携展覧会「旧石器・縄文時代の児玉・深谷地域」&ミニ企画展「本庄市の遺跡 令和3年度 最新出土品展」の記事はこちら!!

「日本先史考古学の父」山内清男にまつわる資料が盛りだくさん!

早稲田企画展

「山内清男の考古学」では、山内清男にまつわる多くの貴重な資料が展示されています。

 

本庄早稲田の杜ミュージアム

本庄早稲田の杜ミュージアム学芸員の井上裕一さんにお話を伺いました。

 

 早稲田大学會津八一記念博物館は、2017年に山内清男のご遺族から、山内の旧蔵資料の寄贈を受けました。山内清男は、「日本先史考古学の父」として知られるほど日本の考古学研究において最も功績を残した人物です。山内は小・中学校時代を早稲田で過ごし、研究者になった後も彼と交流し教えを受けた早稲田大学の研究者が数多くいるなど、早稲田大学と深い関係にあります。そんな博物館との繋がりのある山内の10万点に及ぶ膨大な寄贈を記念し、本庄早稲田の杜ミュージアムでは12月7日~5月29日の期間、「山内清男コレクション受贈記念 山内清男の考古学」を開催しています。

 本庄早稲田の杜ミュージアムでは、約100点の縄文土器の写真・資料が展示され、山内の考古学研究の歩みやその教えを受けた人々の業績が紹介されています。山内が所有していた本やメモ、自筆原稿類、山内の編年研究の土台となった基本資料など、今まで一般に公開されてこなかった貴重な資料に目を通すことができます。

山内清男とは?

山内清男

出典:『山内清男コレクション受贈記念 山内清男の考古学』、早稲田大学會津八一記念博物館、2021年9月

 

 山内清男とは、独自に確立した縄文土器の分類に基づき、日本先史時代の編年研究などに業績を残した考古学者です。彼の研究は今日の縄文文化研究の基盤を形成し、考古学研究において圧倒的な評価を得ています。

 縄文土器の文様・装飾・形態は全て単一ではなく差異があることは明治時代より知られていましたが、その変化は年代、地域、文化系統、部族によるとするなど様々な解釈がありました。縄文土器への正確な理解が示されないなか、文字による記録が存在しない先史時代や縄文土器の姿に真摯に向き合った人物こそ山内清男です。モノの形の変遷をたどる型式学的な研究とともに、関東や東北地方の貝塚で、層位学的研究という、地層の上下関係・切り合い関係・土質などから遺物の相対年代を把握する方法を応用した発掘を進め、北海道から九州にいたる全国の土器を、地方・年代ごとに編成しました。こうした全国的な縄文土器の型式編年を提示したのは山内が初めてで、縄文土器の編年の基礎を作りあげました。このような独自の新しい基準によって、土器の製作、形態、装飾を比較し、土器の変遷を辿ったのです。

 また縄文土器の表面につけられる「縄紋」について、植物繊維をねじって縄状にしたものを土器の表面に転がしながらつけていることを発見し、土器表面の多様な縄文の種類を分析しました。

考古学に対する山内の姿

 企画展で展示されている山内の研究メモ・資料・写真に目を通すと、山内の考古学研究に対する熱い思いが感じられます。

 山内が営んでいた「パピルス書院」で販売していた原稿用紙が展示されていました。山内は研究に専念するため、副手として勤めていた東北帝國大學医學部を依願解嘱し、仙台から東京へと帰郷した際、横書き式原稿用紙を製造し販売することで生活をしようと「パピルス書院」という名の文具店を始めましたが、すぐさま営業困難となり、店を畳んでしまいました。資料からは、山内は研究に勤しんでいた一方で、経済的余裕がなかったことがわかります。また、当時は考古学研究が盛んではなかったため、遺物が見つからないと遺跡は破壊されてしまうなど考古学研究には大変な苦労が付きものでした。このような困難な状況にも拘らず研究を継続していった山内の姿から言えることは、学問を手段として経済的に恵まれない境遇から抜け出そうとするのではなく、頭の中には常に考古学があり、研究への強い思いがあったのではないでしょうか。山内の人生の一部が紹介されていた何気ない資料ですが、山内の学問のあり方が垣間見れた気がします。

 全国の縄文土器を文様や形状ごとに分類する作業や、縄文人骨を遺跡ごとに男女別・抜歯部位別に分析するなど、規模が大きく細かい作業を行っていたことには驚きです。「日本先史時代に於ける抜歯風習の系統」について分析した原稿では、用紙の縁の辺りに少々荒っぽく書かれた計算式や、枠の外にびっしり書かれたメモ、文章の上に線を引き訂正されているところから、執筆にあたり推敲を重ねている姿が想像できます。気が遠くなるような研究であることがわかりますが、資料の裏側で「探求をしたくてしょうがないんだ!」と言っている山内の姿が思い浮かび、考古学に対する情熱が伝わってきます。

 展示されている資料の中には、「石器時代の犬小屋(前編)」という興味深い原稿もあります。発掘された縄文時代の犬の骨100例から、全ての犬が埋葬されたという研究や犬小屋の調査から、同時代に犬食が広まっていた他国の文化とは対照的な、古くからの日本人と犬との繋がりがわかります。

モノとしての土器の裏に見たもの

 なぜ山内がこれほどに熱中した縄文研究に惹かれたのか、展示してある土器などの遺物からみえてきました。

学芸員さんと

 山内自ら調査した縄文土器が考古資料として展示されています。また、縄文土器は女性によって製作されたと言われています。山内は集団ごとに土器の文様が異なることを発見しました。製作した女性たちが土器表面に施された文様の変遷や装飾に込めた意味も考察していたのでしょうか。

 土器に描かれているものとしては動物、人など様々なモチーフが見られ、文様一つ一つに願いが込められているそうです。例えば脱皮する動物である蛇をかたどったものは再生力を暗示し、人の死を偲び再生への願いが込められた文様であることが想像できます。山内は遺物をモノ<物>として見ていたのではなく、土器の裏にいるモノ<者>を見ていたのです。

 モノ<物>の背景には、1万年以上前に家族の健康を祈って暮らし、人の死を悲しむ、縄文人の感情のありようが見えてきます。その姿は現代社会を生きる私たちと何ら変わらず、場所や時空を超えた縄文人との心の繋がりを感じました。縄文人は、煮炊きやドングリのアク抜きなどの高度な食糧技術を持っていましたが、物的豊かさと同時に精神的豊かさも兼ね備えていたことが土器から見て取れます。

 スピリチュアリティを大切にしていた縄文人のように、現代社会人は喜びや悲しみなどの感情を表現し、共有できているのでしょうか。物質的な豊かさだけでなく、精神的な豊かさを兼ね備えていた縄文人と比べて、科学技術が発達したマテリアルな社会は、現代社会人の心を本当に満たしているのでしょうか。コロナ禍で行動制限される窮屈な社会で、創造力豊かな縄文人に学べることは何でしょうか。

人類が残した痕跡の研究を通し、人類の活動とその変化を研究する考古学。そこには現代に繋がる普遍的価値や、現代社会を比較考察することで、私たちに生き方のヒントをくれるかもしれません。

「巨人の肩の上に立つ」~駅伝のように受け渡される考古学の"バトン"~

 縄文研究に巨大な足跡をのこした山内ですが、考古学との出会いはなんだったのでしょうか。

山内が考古学に惹かれるようになったきっかけは、小学生だった頃、縄文土器を貝塚で見つけたことに始まります。こうした子供時代の経験や彼の恩師である人類学者の鳥居龍蔵との出会いがあったからこそ、山内の考古学への興味・関心が掻き立てられたといえるでしょう。以後、山内は鳥居を師として人類学・考古学の研究を始めることとなったのですが、山内が生涯愛読していた先史研究辞典を贈った人類学者の金関丈夫(かなせきたけお)や、東京大学や京都大学の研究者など、山内の周りには彼を支えたたくさんの人々がいたのです。人との出会いやチームワークによって成し遂げられた山内の先進的な考古学研究は、後世の研究者に受け継がれ、それを基に発展した考察が加えられています。アイザック・ニュートンが科学の進歩について語った際の「巨人の肩の上に立つ」という言葉が示すように、山内自身や彼を支えた人々、それらの研究を基にして積み重ねられてきた先人たちの研究成果があるからこそ現在の考古学研究があるのだと思います。そしてその研究のバトンは、さらに後世の研究者に受け継がれていくのです。

 

本庄早稲田の杜ミュージアム企画展「山内清男コレクション受贈記念 山内清男の考古学」の詳細情報については、「本庄早稲田の杜ミュージアムホームページ」をご確認ください。開催期間は令和3年12月7日~令和4年5月29日です。

お問い合わせ

企画財政部 北部地域振興センター 本庄事務所 地域振興・産業労働担当

郵便番号367-0026 埼玉県本庄市朝日町一丁目4番6号 埼玉県本庄地方庁舎1階

ファックス:0495-22-6500

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