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掲載日:2021年1月26日

塙 保己一について

塙保己一肖像画
(写真提供/本庄市教育委員会)

延享(えんきょう)3年(1746年)から文政(ぶんせい)4年(1821年)
武蔵国児玉郡保木野村(むさしのくに こだまごおり ほきのむら)(現・埼玉県本庄市)生まれ

塙保己一は江戸時代後期に活躍した全盲の学者です。
7歳のとき、病気がもとで失明しましたが、15歳で江戸に出て、学問の道に進みます。
多くの困難の中、大文献集「群書類従(ぐんしょるいじゅう)」666冊をはじめ、散逸する恐れのある貴重な文献を校正し、次々と出版していきました。
48歳のとき、国学の研究の場として現在の大学ともいえる「和学講談所(わがくこうだんしょ)」を創設し、多くの弟子を育てました。生涯、自分と同じように障害のある人たちの社会的地位向上のために全力を注いだのです。
そして、文政4年(1821年)2月、盲人社会の最高位である総検校につき、同年9月に天命を全うしました。

「塙保己一物語」パンフレット(PDF:4,473KB)

塙保己一にかかわる年表

※塙保己一の年齢は「数え年」で表記しています。「数え年」とは、年齢の数え方の一つで、生まれた時点を「1歳」とし、以降1月1日を迎えるたびに1歳加えるという方法です。

1746年(延享3年)1歳

5月5日、武蔵国児玉郡保木野村(現埼玉県本庄市児玉町保木野)の百姓、荻野宇兵衛の長男として生れる。幼名寅之助。

1752年(宝暦2年)7歳

病気で失明。辰之助と改名。

1760年(宝暦10年)15歳

江戸に出て、雨富検校の門人となる。名を千弥と改める。

1761年(宝暦11年)16歳

雨富検校に学問の道に入ることを許され、歌学や神道を学ぶ。

1763年(宝暦13年)18歳

衆分となる。名を保木野一に変える。

1775年(安永4年)30歳

勾当に昇進。雨富検校の本姓である「塙」を称することを許され、「塙保己一」と名乗る。

1779年(安永8年)34歳

「群書類従」の出版を決意。

1783年(天明3年)38歳

検校に昇進。

1786年(天明6年)41歳

「群書類従」の出版計画を実行に移す。

1789年(寛政元年)44歳

水戸藩による「大日本史」の校正に加わる。

1793年(寛政5年)48歳

我が国最初の国学の専門機関「和学講談所」を設立。松平定信から「温故堂」の名をつけてもらう。

1819年(文政2年)74歳

「群書類従」を完成。

1821年(文政4年)76歳

総検校になる。9月12日死去。

1937年(昭和12年)

ヘレン・ケラーが来日。4月26日、「群書類従」の版木や塙保己一の小さなブロンズ像に触れる。

 参考資料 

 

 

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福祉部 障害者福祉推進課 社会参加推進・芸術文化担当

郵便番号330-9301 埼玉県さいたま市浦和区高砂三丁目15番1号 本庁舎1階

ファックス:048-830-4789

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