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掲載日:2025年5月1日

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        SINCE 1965   \祝!60周年/ 「彩の国だより」ヒストリー

県民の皆さんに埼玉の魅力やお知らせ情報を届けてきた県広報紙「彩の国だより」。記念すべき創刊60周年の節目に、その歩みを振り返りましょう。

【問合せ】県広報課
電話:048-830-2857

彩の国だより

「彩の国だより」は、名称や規格、デザインなどを変えながら県民の皆さんへの伝わりやすさを追求してきました。

あの頃はどんな広報紙だったのでしょうか?

START

1965 創刊号「さいたまけん」

(昭和40(1965)年5月20日発行)

2年後の県内初の国体に向け、実行委員会の準備の様子を大きな写真入りで掲載。創刊当初の名称は「さいたまけん」でした。現在より小さいB5サイズで、白黒の8ページ構成。年に4回の発行でした。

\高度経済成長期に誕生!/

創刊号「さいたまけん」の写真

1971 第25号

(昭和46(1971)年5月号)

サイズがA4判を経て現在と同じタブロイド判へと大きくなり、8ページのうち表紙を含む4ページがカラーに。

PickUp ! 埼玉百年特集号

(昭和46(1971)年11月号)

廃藩置県が行われ、県の統廃合を経て埼玉県が生まれた明治4(1871)年11月14日からちょうど100年の記念号。県広報紙が生まれる前の大正時代の埼玉を絵で感じられる記事も。

\大正時代の埼玉!/

埼玉百年特集号の写真

1972 第29号

(昭和47(1972)年5月号)

広報紙の名称が「さいたま県民だより」になりました。

1979 第100号

(昭和54(1979)年5月号)

第100号を記念して、県政の動きを振り返ったり、県民の皆さんから広報紙にまつわるエピソードなどを募集したりして盛大に祝いました。

さいたま県民だより第100号の写真

1983

PickUp ! 紙上討論会 なぜダサイ玉

(昭和58(1983)年9月号)

県民の皆さんからいただいた埼玉への意見を掲載。40年の時を経て、令和5(2023)年12月号でも改めて紙上討論会を開催しました。どちらもさまざまな視点の意見がありつつ、埼玉愛が感じられる声がたくさん寄せられました。

\埼玉愛が感じられる/

紙上討論会をしたときの紙面の写真

1995 第292号

(平成7(1995)年5月号)

広報紙が30周年を迎え、名称が「さいたま彩の国だより」になりました。

2020 第592号

(令和2(2020)年5月号)

全8ページフルカラーで左開きになり、現在発行している広報紙と同じ姿に。

さいたま彩の国だより令和2年5月号の写真

そして今… 「彩の国だより」は埼玉県ホームページでも見られます!

県広報紙が埼玉県ホームページ上で見られるようになったのは平成15(2003)年ごろから。紙版だけでなくWEB版もパワーアップしています。今月号からWEB版限定で埼玉県広報アンバサダーによる記事の紹介動画も掲載しています!

二次元コード

▲彩の国だよりをチェック!(別ウィンドウで開きます)

Column
時代を反映させた広報紙

現在の「彩の国だより」は1年を通して多くの種類の情報をお届けしていますが、過去には全国の話題に注目し、1年に複数回同じテーマを取り上げることもありました。

物価高に注目した広報紙が年度内に3回発行された ▲昭和48(1973)年から始まったオイルショックを受け、物価高に関する記事を同年度内に3回掲載。

QUIZ 次の四つの広報紙のロゴマークを古い順に並べ替えよう!

★答えは右下にあります

(1)

選択肢1 さいたま県民だよりのロゴマーク

(2)

選択肢2 広報紙「さいたまけん」のロゴマーク

(3)

選択肢3 彩の国だよりのロゴマーク(縦書き)

(4)

選択肢4 埼玉県広報紙 彩の国だよりのロゴマーク(横書き)

現在はロゴマークを毎年5月に変更しています。新しいロゴマークで、また1年間よろしくお願いします!

答え (2)→(1)→(3)→(4)

お問い合わせ

県民生活部 広報課 テレビ・ラジオ・広報紙担当

郵便番号330-9301 埼玉県さいたま市浦和区高砂三丁目15番1号 本庁舎1階

ファックス:048-824-7345

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