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掲載日:2022年1月14日

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2022年大河ドラマ「鎌倉殿の13人」ゆかりの地(比企地域) 

令和4年1月から、大河ドラマ鎌倉殿の13人が放送されます。比企地域にゆかりのある人物や史跡を紹介します。

比企一族と武蔵武士たち

かつて、比企地域には武家政権を創設し”鎌倉殿”と呼ばれた源頼朝を支え、繁栄を誇りながら突如滅ぼされた一族がいました。その歴史に埋もれた一族の名は”比企氏”と言います。

頼朝の乳母であった比企の尼は、平氏に敗れ苦難の時を過ごしていた頼朝を長年支援するなど、鎌倉幕府成立に大きく貢献し、尼の養子である頭領の比企能員は、娘の若狭の局を2代将軍頼家に嫁がせ、幕府を指導する13人の合議制の一人となりました。

その後比企氏は、北条氏との権力闘争に敗れ、歴史の表舞台から姿を消しましたが、比企氏や同じく頼朝を支えた”武士の鑑”畠山重忠などの、武蔵武士たちゆかりの地であることを今に伝える数多くの史跡や伝承がこの比企の地に残されています。このページではその足跡をたどり、往時の姿をしのびます。

比企地域

県の中央に位置し、県面積の約1割を占める自然が豊かで農業が盛んな地域です。どこか懐かしさを覚える里山の風景が特徴です。

【構成市町村】東松山市滑川町嵐山町小川町川島町吉見町鳩山町ときがわ町東秩父村

※市町村名をクリックすると、該当する「ゆかりの地」にジャンプします。

比企一族

比企の尼(ひきのあま)

日本で最初の武家政権鎌倉幕府を開いた源頼朝の乳母で、比企遠宗の妻。夫亡き後も伊豆に流された源頼朝に約20年間に渡り米などを送り続けました。物心両面で支え、鎌倉幕府の成立に大きく貢献しました。

比企遠宗(ひきとおむね)

比企の尼の夫。頼朝の乳母父。源頼朝の父、義朝の家臣で平治の乱で戦いました。

比企能員(ひきよしかず)

比企の尼の養子で、頼朝の側近。頼朝の死後、2代将軍源頼家を支える存在として選ばれた13人の重臣の一人。娘の若狭の局を頼家に嫁がせ、幕府内で権力を強めましたが、幕府の実権を握りたい北条氏により能員は殺害され、比企氏も滅ぼされます。(比企能員の変)

若狭の局(わかさのつぼね)

比企の尼の孫で比企能員の娘。2代将軍源頼家に嫁ぎ、嫡男一幡を生みます。

姫の前(ひめのまえ)

比企の尼の孫で比企朝宗の娘。源頼朝の御所に女官として勤め、美しく仕事が出来たため、頼朝に気に入られていました。政子の弟、北条義時に嫁ぎますが、比企能員の変後、離縁します。

武蔵武士

畠山重忠(はたけやましげただ)

源頼朝の信頼厚く、文武両道に優れ、誠実で思いやりのある人柄とも相まって武士の鑑とまで讃えられた人物です。現在の深谷市に畠山重能の子として生まれ、平氏討伐などで、数々の武功を挙げました。頼朝亡き後、実権を握った北条氏率いる大軍と戦い、非業の死を遂げます。(畠山重忠の乱)

木曽義仲(きそよしなか)

頼朝のいとこ。嵐山町生まれ。3歳の時、源頼朝の兄、悪源太義平(あくげんたよしひら)による大蔵の館の焼き討ちにあい、母と共に木曽の地に逃げますが、武術にいそしみ、平家追討で活躍しました。老獪な後白河法皇は、平氏討伐で活躍した義仲へ征夷大将軍を任じる一方、頼朝へは、義仲追討を命じ、頼朝が派遣した範頼・義経軍に敗れ無念の最期を迎えました。

比企地域に残るゆかりの地と伝承

 東松山市

北部の大谷地区に多くのゆかりの地が集まっています。市の大岡市民活動センターを拠点に各地を回るのがお勧めです。(一社)東松山市観光協会作成の「比企氏ゆかりの地大岡マップ」が便利です。

〇大岡市民活動センター(関越自動車道「東松山IC」から車で15分)【所在地】東松山市大谷3400-10(駐車場あり)
「比企氏ゆかりの地大岡マップ」(PDF:2,401KB)はこちら

扇谷山宗悟寺(せんこくさんそうごじ)

比企能員の娘・若狭の局が持ち帰ったと伝わる夫・源頼家の位牌が現在も残されています。境内には地元有志による比企一族顕彰碑も設置されています。

宗悟寺【所在地】東松山市大谷400(大岡マップを参照)

【交 通】

東武東上線「東松山駅」から車で15分

東武東上線「東松山駅」東口より市内循環バス(唐子コース・大谷コース・大岡市民活動センター行)20分「大谷交差点」バス停から徒歩10分

【駐車場】あり

【問合せ】

東松山市役所政策推進課(0493-23-2221)

【リンク】(一社)東松山市観光協会HP(別ウィンドウで開きます)

城ヶ谷(じょうがやつ)

比企能員の館があったと伝わる場所ですが、遺構は残っていません。(城ヶ谷沼が目印)

城ヶ谷【所在地】東松山市大谷(大岡マップを参照)

【交 通】東武東上線「東松山駅」東口より市内循環バス(唐子コース・大谷コース・大岡市民活動センター行)20分「大谷交差点」バス停から徒歩10分

【駐車場】大岡市民活動センター利用可(徒歩10分)

【問合せ】

(一社)東松山市観光協会(0493-23-3344)

【リンク】(一社)東松山市観光協会HP(別ウィンドウで開きます)

串引き沼(くしびきぬま)

夫頼家を殺された若狭の局が、深い悲しみを断つため頼家形見の鎌倉彫の櫛を投げ込んだという悲しい伝説の残る沼です。

串引き沼【所在地】東松山市大谷(大岡マップを参照)

【交 通】東武東上線「東松山駅」東口より市内循環バス(唐子コース・大谷コース・大岡市民活動センター行)20分「大谷交差点」バス停から徒歩30分

【駐車場】大岡市民活動センター利用可(徒歩35分)

【問合せ】

(一社)東松山市観光協会(0493-23-3344)

【リンク】(一社)東松山市観光協会HP(別ウィンドウで開きます)

比丘尼山(びくにやま)

比企遠宗の妻、比企の尼が遠宗の亡き後、禅尼となって草庵を営んだと伝えられている場所です。

比丘尼山【所在地】東松山市大谷(大岡マップを参照)

【交 通】東武東上線「東松山駅」東口より市内循環バス(唐子コース・大谷コース・大岡市民活動センター行)20分「大谷交差点」バス停から徒歩35分

【駐車場】大岡市民活動センター利用可(徒歩35分)

【問合せ】

(一社)東松山市観光協会(0493-23-3344)

【リンク】(一社)東松山市観光協会HP(別ウィンドウで開きます)

梅が谷(うめがやつ)・須加谷(すかやつ)

秋葉神社(写真)の西側が「梅が谷」、東側が「須加谷」で、梅が谷は年老いた若狭の局が住んだとされている場所です。須加谷はかつて観音堂があり、若狭の局が作ったとされる蛇苦止(じゃくし)観音が祀られていました。

梅が谷・須加谷【所在地】東松山市大谷553(大岡マップを参照)

(※秋葉神社の所在地。秋葉神社に案内板有)

【交 通】東武東上線「東松山駅」東口より市内循環バス(唐子コース・大谷コース・大岡市民活動センター行)20分「大谷交差点」バス停から徒歩14分

【駐車場】大岡市民活動センター利用可(徒歩15分)

【問合せ】

(一社)東松山市観光協会(0493-23-3344)

【リンク】(一社)東松山市観光協会HP(別ウィンドウで開きます)

巌殿山正法寺(いわどのさんしょうぼうじ)

比企の尼を乳母とする頼朝の庇護のもと、北条政子の守り本尊として比企能員が復興し、坂東札所の第十番となっています。

正法寺【所在地】

東松山市岩殿 1229

【交 通】

東武東上線「高坂駅」から車で10分

【駐車場】あり

【問合せ】

東松山市役所政策推進課(0493-23-2221)

【リンク】

岩殿観音正法寺HP(別ウィンドウで開きます)

 

 滑川町

三門館跡(みかどやかたあと)

源頼朝の父である義朝に仕えた比企遠宗・比企の尼の館跡という言い伝えがあります(別説もある)。現在は、館をかこっていた空堀と土塁の一部が残っています。

三門館跡

【所在地】

滑川町和泉(泉福寺から東側約200m位)

【交 通】

滑川町役場から車で10分

【駐車場】なし

【問合せ】

滑川町役場総務政策課(0493-56-2211)

【リンク】

滑川町HP(別ウィンドウで開きます)

泉福寺(せんぷくじ)

幕末の落雷により、本堂が焼失したため、寺の歴史について詳細は不明です。本尊は国指定重要文化財の木造阿弥陀如来坐像で、平安時代後期を代表する仏師定朝の流れを汲むものと言われています。

泉福寺

 

【所在地】

滑川町和泉1681

【交 通】

滑川町役場から車で10分

【駐車場】あり

【問合せ】

滑川町役場総務政策課(0493-56-2211)

【リンク】

滑川町HP(別ウィンドウで開きます)

 

 嵐山町

菅谷館跡(すがややかたあと)

鎌倉時代、武士の鑑といわれた「畠山重忠」の館跡として国史跡に指定され、全国に存在する城の中でも特に歴史的価値の高い名城として、「続日本100名城」に選ばれています。5メートル近い高さの土塁と5メートル近い深さの堀が織りなす起伏に富んだ城郭や7月頃に見どころを迎える500株以上のヤマユリを始めとして四季の花々を楽しむことができます。

菅谷館跡【所在地】嵐山町菅谷

【交 通】東武東上線「武蔵嵐山駅」から徒歩15分

関越自動車道「東松山IC」又は「嵐山・小川IC」より車で10分

【駐車場】あり

【問合せ】

嵐山町役場教育委員会事務局(0493-62-0824)

【リンク】(一社)嵐山町観光協会HP(別ウィンドウで開きます)

埼玉県立嵐山史跡の博物館HP(別ウィンドウで開きます)

鎌形八幡神社(かまがたはちまんじんじゃ)

坂上田村麻呂によって建てられたとされ、源氏の氏神としてまつられています。鎌形八幡神社の境内には、木曽義仲誕生の際に産湯にしたと伝えられる清水があります。

鎌形八幡神社【所在地】嵐山町鎌形1993

【交 通】東武東上線「武蔵嵐山駅」西口よりときがわ町路線バス(と01せせらぎセンター行)「植木山」バス停から徒歩13分又はときがわ町路線バス(と02せせらぎセンター行)「鎌形」バス停から徒歩4分。

【駐車場】あり

【問合せ】嵐山町役場教育委員会事務局(0493-62-0824)

【リンク】

(一社)嵐山町観光協会HP(別ウィンドウで開きます)          

嵐山町HP(別ウィンドウで開きます)

鬼鎮神社(きぢんじんじゃ)

畠山重忠の菅谷館の鬼門除けとして創建されたと伝えられ、地元では「鬼鎮様」として親しまれています。毎年2月3日の節分祭では「福はうち、鬼はうち、悪魔そと」の掛け声で盛大に催されます。

鬼鎮神社【所在地】嵐山町川島1898

【交 通】東武東上線「武蔵嵐山駅」西口から徒歩15分

【駐車場】なし

【問合せ】

嵐山町役場教育委員会事務局(0493-62-0824)

【リンク】(一社)嵐山町観光協会HP(別ウィンドウで開きます)

嵐山町HP(別ウィンドウで開きます)

 

大蔵館跡(おおくらやかたあと)(大蔵神社)

木曽義仲の父・源義賢が秩父重隆の娘をめとり、移り住んだ館跡とされています。義仲が2歳の時、源頼朝の兄、悪源太義平によって大蔵館が焼き討ちにあいました。

大蔵館跡

【所在地】嵐山町大蔵522

【交 通】東武東上線「武蔵嵐山駅」西口から徒歩30分

【駐車場】なし

【問合せ】

嵐山町役場教育委員会事務局(0493-62-0824)

【リンク】

(一社)嵐山町観光協会HP(別ウィンドウで開きます)

嵐山町HP(別ウィンドウで開きます)

 

 

源義賢の墓(みなもとのよしかたのはか)

1155年(久寿2年)8月に大蔵の戦いにおいて悪源太義平に討たれた義賢の墓と伝えられる五輪塔があります。

源義賢の墓

【所在地】嵐山町大蔵66

【交 通】

東武東上線「武蔵嵐山駅」西口よりときがわ町路線バス(と01せせらぎバスセンター行)「大蔵」バス停から徒歩2分

【駐車場】あり

【問合せ】

嵐山町役場教育委員会事務局(0493-62-0824)

【 リンク 】

(一社)嵐山町観光協会HP(別ウィンドウで開きます)

 

 

班渓寺(はんけいじ)

木曽義仲の妻・山吹姫の創建と伝わり、山吹姫の位牌や墓とされる五輪塔があります。毎年3月には義仲を偲んで慰霊祭が行われています。

班渓寺【所在地】

嵐山町鎌形1907

【交 通】

東武東上線「武蔵嵐山駅」から車で10分

【駐車場】なし

【問合せ】

嵐山町役場教育委員会事務局(0493-62-0824)

【 リンク 】

嵐山町HP(別ウィンドウで開きます)

 

 小川町

仙覚律師遺跡(せんがくりっしいせき)

鎌倉時代の僧侶、仙覚がこの地で『万葉集註釈』をまとめたという業績をたたえた記念碑です。仙覚は、能員の内室の子とする伝承があるほど比企一族とは深い関わりのある人物とされています。

仙覚律師遺跡【所在地】小川町大塚340

【交 通】

東武東上線・JR八高線「小川町駅」から徒歩13分

関越自動車道「嵐山小川IC」より車で15分

【駐車場】あり

【問合せ】

小川町役場にぎわい創出課(0493-72-1221)

【リンク 】

小川町HP(別ウィンドウで開きます)

 

 川島町

金剛寺(こんごうじ)

大僧都満恵和尚によって開山され、天正年間には比企能員の末裔である比企左馬助則員が中興したと伝えられています。妙本寺(鎌倉)同様、比企一族の菩提寺です。町の有形文化財に指定された木造阿弥陀如来坐像や国の登録有形文化財に選ばれた大日堂と山門があります。

金剛寺

【所在地】川島町中山1198

【交 通】

東武東上線「川越駅」東口より東武バス(八幡団地行)「上中山」バス停から徒歩8分

川島町役場から車で7分

【駐車場】あり

【問合せ】

川島町役場政策推進課(049-299-1752)

金剛寺(049-297-5695)

 

 吉見町

岩殿山安楽寺(いわどのさんあんらくじ)(吉見観音)

約1200年前に行基菩薩がこの地に観世音菩薩の像を彫って岩窟に納めたことが始まりとされており、安楽寺と東方約1Kmに所在する息障院は、かつて一つの寺院であったことが知られています。平安時代の末期には、源頼朝の弟範頼がその幼少期に身を隠していたと伝えられています。境内には江戸時代初期の建築様式を伝える本堂や県内にも数少ない江戸時代初期の三重塔があります。

安楽寺

【所在地】吉見町御所374

【交 通】

東武東上線「東松山駅」から車で10分

【駐車場】あり

【問合せ】

吉見町役場産業振興課(0493-54-5027)

【リンク】

吉見町HP(別ウィンドウで開きます)

安楽寺HP(別ウィンドウで開きます)

 

源範頼館跡(みなもとののりよりやかたあと)(息障院)

息障院がある一帯が、頼朝の弟、源範頼の居館跡と伝えられています。幼少期の範頼は岩殿山(息障院・安楽寺)に身を隠して生活し、頼朝が鎌倉で勢力を得た後も吉見に住んでいたと思われ、館を中心とするこの地を御所と呼ぶようになったと言われています。この寺の周囲には、範頼の館建立時に作られた堀の一部等が残っています。

源範頼館跡【所在地】吉見町御所146

【交 通】東武東上線「東松山駅」東口より川越観光自動車(免許センター線・免許センター行)「久保田」バス停から徒歩23分

【駐車場】あり

【問合せ】吉見町役場産業振興課(0493-54-5027)

【リンク】

吉見町HP(別ウィンドウで開きます)

 

 鳩山町

笛吹峠(ふえふきとうげ)

正平7年(1352)に足利尊氏との武蔵野合戦に敗れた宗良親王が月明かりに誘われ笛をふいたことが名前の由来となっています。鎌倉から上野(群馬県)に通じる鎌倉街道の要衝にあたり、多くの武士団が行き来しました。鎌倉武士にとってこの道はまさに「いざ鎌倉」の道だったようです。

笛吹峠【所在地】

鳩山町須江628-11

【交 通】

鳩山町町営路線バス(高坂駅西口~越生駅東口)「奥田公会堂」バス停から約1.5km

【駐車場】

あり

【問合せ】

鳩山町役場政策財政課(049-296-1212)

 

 ときがわ町

都幾山慈光寺(ときさんじこうじ)

源頼朝の篤い信仰もあった一大山岳寺院として北関東一帯に絶大なる寺院勢力を誇示していました。現在では日本三大装飾経の「慈光寺経 法華経一品経」を始めとする多数の重要文化財のほか、参道では春には50種類を超える桜を、秋には紅葉を楽しむことができます。

慈光寺【所在地】ときがわ町西平386

【交 通】

ときがわ町役場第二庁舎から車で15分

JR八高線「明覚駅」よりときがわ町乗合タクシー「慈光寺」下車

【駐車場】あり

【問合せ】慈光寺(0493-67-0040)

ときがわ町役場(0493-65-1521)

【リンク】慈光寺HP(別ウィンドウで開きます)

ときがわ町HP(別ウィンドウで開きます)

萩日吉神社(はぎひよしじんじゃ)

欽明天皇六年(537)に蘇我稲目によって創建されたと伝えられています。天福元年(1233)に木曾義仲の家臣7苗によって奉納された流鏑馬が現在まで継承されており、3年に1度見ることができます。また、境内には樹齢800年を超える2本の杉(児持杉)があり、拝むと子宝に恵まれるとの言い伝えがあります。

萩日吉神社

【所在地】

ときがわ町西平1198

【交 通】

ときがわ町役場第二庁舎から車で10分

JR八高線「明覚駅」よりときがわ町乗合タクシー「萩ケ丘小学校」下車徒歩3分

【駐車場】あり

【問合せ】

ときがわ町役場(0493-65-1521)

 

 東秩父村

浄蓮寺(じょうれんじ)

浄蓮寺は、松山城主上田氏の菩提寺です。鎌倉時代末、大河原神冶太郎光興の創建と伝えられています。大河原神冶太郎光興は比企能員の子の比企能本と親交があったと伝わっています。

浄蓮寺【所在地】東秩父村御堂362

【交 通】東武東上線・JR八高線「小川町駅」よりイーグルバス(和紙の里・白石車庫行)「やまなみ前」バス停から徒歩1分

【駐車場】あり

【問合せ】

東秩父村役場教育委員会(0493-82-1230)

【リンク】

浄蓮寺HP(別ウィンドウで開きます)

東秩父村公式観光サイト(別ウィンドウで開きます)

関連情報

大河ドラマ「鎌倉殿の13人」比企市町村推進協議会が作成した史跡マップはこちら

鎌倉殿を支えた武士の故郷比企の史跡マップ(PDF:3,039KB)

史跡巡りと併せて自然豊かな比企地域の観光をお楽しみください。

比企地域の観光スポット(別ウィンドウで開きます)

 

 

お問い合わせ

企画財政部 川越比企地域振興センター 東松山事務所 地域振興・産業労働担当

郵便番号355-0024 埼玉県東松山市六軒町5-1 埼玉県東松山地方庁舎1階

ファックス:0493-23-8510

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