トップページ > 【スポーツで埼玉を元気にする!】近代5種 高宮なつ美選手 ②
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2022年1月7日(金曜日)
高宮選手は、埼玉県狭山市出身で川越南高等学校を卒業後、警視庁へ就職されました。
警察学校入校時に1500m走で学校新記録・女子歴代1位のタイムを出し、2012年の警察学校修了後に警視庁近代5種部の監督からスカウトされて近代5種の道に入りました。
その後、毎日厳しい練習を重ね、数多くの国内・世界大会で優秀な成績を残し、2016年のリオデジャネイロオリンピックと2021年の東京オリンピックに出場し、引退されました。
高宮選手のインタビュー記事を3部構成でお届けします。ぜひ御覧ください。
1 近代5種競技について
2 東京オリンピックについて
3 メンタルコントロールについて
開催していただけてよかったし、出場できてよかったし、やりきった気持ちが強いです。
選手としての結果は伴いませんでした(34位)が、清々しい気持ちでいっぱいです。
多くの方々へ感謝の気持ちでいっぱいです。
最初の緊急事態宣言のときは2ヶ月くらいまったく練習ができなくなりました。水泳は一番力が伸びていたところだったのに、一気に落ちてしまったり、馬術も練習場所が限られていたので、練習できなかったり、フェンシングも対人競技なので練習できなかったりと、きつい環境でした。
1年前にピークを合わせ、練習を積み重ねてきた中で大きなケガもあったので、気持ちを強く保つことも難しかったです。まったく気持ちの切り替えができませんでした。
でも、本当にダメになりそうになったときに、夫から「がんばらなくていいから、やめたいときにやめてもいいから」と言ってもらえて、いつでもやめていいんだと思えて気持ちが楽になりました。
コロナ禍ということで、リオデジャネイロオリンピックのときのような、選手たちとの交流ができなかったのは寂しかったですが、お互いを尊重して称えあう姿勢は変わらずあったのでよかったです。
これまでも、国際大会で一緒に競技してきた各国の選手たちとは、あいさつや励ましあうことはしていたのですが、リオデジャネイロオリンピックのときに「東京オリンピックも一緒に出ようね!」と約束していた選手たちとは全員東京で再会できたのでうれしかったです。
オリンピックが終わった後は引退することを伝えて、一緒に写真を撮ったりしました。
観客はいなかったのですが、ずっと応援してもらえていると感じてはいました。
最後のレーザーランは、これまでの試合で一番的中しました。引退前の最後の試合で一番当たったので、どうして今なんだろう?という思いと、ゴールしたら競技人生終わるんだという思いでこみ上げてくるものがありました。
ゴールでは一緒に頑張ってきた島津選手が待っていてくれてお互いに称えあえたこと、他の選手とも称えあえたことが嬉しかったです。
それから、閉会式前に野球選手や他競技のアスリートに会えたことは嬉しかったです。野球選手たちはオーラがあって、日本選手団もざわめいていました。
→ 3 メンタルコントロールについて に続きます。