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掲載日:2021年3月12日
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塙保己一が小笠原諸島の領有問題に残した功績は、意外と知られていません。
寛政5年(1793年)、塙保己一は和学の研究・教育機関である「和学講談所」を創設しました。
後継者である息子の塙次郎のとき、日本本土から1000キロも離れた小笠原諸島の帰属問題がアメリカ、イギリス、ロシアなどとの間に持ち上がりました。
このとき、塙次郎が幕府の求めに応じて日本の領土であることを証明する歴史資料を即座に提供したことにより、小笠原諸島が日本の領土であることが国際的に認められました。
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