トップページ > 文化・教育 > 文化 > 埼玉の偉人ホームページ > 埼玉ゆかりの偉人データベース > 西部地域 > 埼玉ゆかりの偉人/検索結果(詳細)/太田 道真
ページ番号:5894
掲載日:2023年4月17日
ここから本文です。
偉人氏名 |
太田 道真 |
---|---|
氏名よみがな |
おおた どうしん |
偉人氏名(別名) |
太田 資清 |
別名よみがな |
おおた すけきよ |
主な功績 |
室町時代の武将・歌人 |
分野 |
文学 |
ゆかりの市町村名 |
越生町 |
出生地 |
不明 |
主な居住地 |
越生町 |
生年(西暦)から没年(西暦) |
1411から1492 |
生年(和暦)から没年(和暦) |
応永18年から明応元年 |
功績 |
室町時代後期の武将。太田道灌の父。扇谷上杉家の家宰。退隠後は越生の「自得軒」に住んだ。文明2年(1470)には河越城で、心敬、宗祇らを招いて連歌会「河越千句」を開催するなど、文人としても後世に名をのこした。文明18年(1486)6月、万里集九とともに越生の道真を訪ねた道灌は、翌月謀殺される。父子最後の対面となったこの折に、万里が詠んだ七言絶句「郭公稀(かっこうまれなり)」が漢詩文集『梅花無尽蔵』に載せられている。 |
関連ホームページ |
--- |
著書・作品(出版社・収蔵館) |
『河越千句』、『新撰菟玖波集』 |
参考文献(著者・出版社) |
『太田氏の研究』関東武士研究叢書3(前島康彦・1975・名著出版)、『越生の歴史1<原始・古代・中世>』(越生町・1997)ほか |
ゆかりの場所・名称 |
太田道真退隠地(建康寺一帯) |
ゆかりの場所・住所 |
越生町大字小杉陣屋641(建康寺) |
ゆかりの場所・説明 |
埼玉県指定旧跡。文明18年6月、太田道真・道灌父子最後の対面の場となった、道真の居館「自得軒」の比定地。 |
ゆかりの場所ホームページ |
--- |
お問い合わせ
より良いウェブサイトにするためにみなさまのご意見をお聞かせください