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掲載日:2023年12月12日

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土地分類調査報告書(川越)

目次

  1. 位置および行政区画
  2. 人口
  3. 地域の特性
  4. 主要産業の概要
  5. 開発の現状と動向
  • 各論
  1. 地形分類図
  2. 表層地質図
  3. 土壌図
  4. 傾斜区分図
  5. 水系・谷密度図
  6. 利水現況図
  7. 防災図

序文

近年、日本の社会、経済は著しい発展を遂げてきたが、本県は首都80km圏内に県土のほとんどが含まれるという地理的条件も加わり、首都東京を中核とする大都市圏域における都市化の著しい拡大現象が激しく波及し、このことは一方では、スプロール化など好ましからざる現象を起こしている。
そこで、立地的に首都圏において枢要な位置にある本県の今後あるべき姿は、急速に進展しつつある都市化、国際化、情報化という大きな流れの中で、首都圏の基本的整備方向と合わせた本県独自の計画とを相互に補完させながら健全な地域社会を形成することが極めて重要である。
開発地域土地分類基本調査は、国土調査法により国の補助金を受け県が実施主体となり、国土、県土とを有効に利用し、開発し、保全するための基礎調査を開発プロジェクト単位に実施するものである。
今回の実施に際しては、経済企画庁総合開発局国土調査課のご指導ご助言のもとに、埼玉大学森川六郎教授および農業試験場、林業試験場その他県関係各課の皆様のご協力によったところであるが、ここに関係者各位の労に対して深く感謝する次第である。
なお、この成果品については、各関係方面において有意義に活用し、国土、県土の理想的発展に資するよう切に希望する。

昭和47年10月

埼玉県開発部長大沢操

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調査担当者

調査担当者

調査項目

所属機関

氏名

  • 地形分類調査
  • 表層地質調査
  • 傾斜区分調査
  • 水系谷密度調査
  • 利水現況調査
  • 防災調査

埼玉大学理学部

〃教育学部

文部教官森川六郎

〃松丸国照

土壌調査

埼玉県農業試験場

埼玉県林業試験場

化学部長石居企救男

分析室長柴英雄

造林保護部長野村静雄

その他調査協力機関

  • 埼玉衛生部環境衛生課
  • 〃農林部林務課
  • 〃〃農業水利課
  • 〃土木部河川課

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総論

1位置及び行政区画

位置

「川越」図幅は、埼玉県の西南部に位置し、経緯度は、東経139゜15´~139゜30´、北緯35゜50´~36゜00´である。

行政区画

図幅内の行政区画は、第一図に示すとおり、川越市、狭山市、飯能市、入間市、所沢市、東松山市、都幾川村、玉川村、鳩山村、越生村、毛呂山町、日高町、鶴ヶ丘町、坂戸町、川島村、大井町、三芳町および東京都青梅市の7市11町村からなる。
なお、総面積は約412平方キロメートルである。
(注)青梅市については、山岳部の一部が含まれているのみなので以下の説明からは省略する。

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2人口

本図幅内人口は、昭和35年から昭和45年までの10年間において約59.3%の増加率である。これは、埼玉県全体の増加率59.1%とほぼ同率であるが、この内訳をみると増加率の著しく激しい地域と、逆に減少している地域とそれは両極端に分かれている。
増加率の最も高いのは、大井町の297.3%、次に三芳町234.4%となっており、その他100%前後の増加率を示したのは3市町だけであるが、この著しい人口増加を引き起こした主な理由としては、これらの地域はいずれも平坦地で、また、交通が便利であり、それもどちらかというと東京への交通が便利な地域のためということがいえよう。
一方、人口の減少している地域は川島町の8.5%、その他3村で6~7%減で、これはいずれも農村部であり、交通の便にも余り恵まれず、また、工業等の進出が少ないため、このような人口の減少をまねいていると考えられる。

(第2表)関係市町村の人口の動き(JPG:73KB)

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3地域の特性

1自然条件

本県の気候は、温和で四季それぞれの変化に富んだ気候である。春と秋は、気温、降雨、風速いずれも適度にしのぎよく、梅雨時季は画然とし、冬季は乾燥した北西の季節風が吹き出すと冷えこみが一段と強くなってくる。
本図幅内の中央部鶴ヶ島地内に気象観測所があるがここでの気温、雨量は第3表のとおりである。

(第3表)図幅内観測所における気象(JPG:64KB)

図幅内土地の状況については、西部は山地、中央部は丘陵を含む平野であり、東部は台地状の平野となっている。この地域は、関東平野の西南部にあたり山岳地帯との接点にあたるところである。
山岳は、越上山(566m)のほか400m級の山が2山、300m級の山が10山連なっている。
また、主な河川については、入間川、越辺川、高麗川があるが、いずれも河川距離が短く山地部分も少ないため水量は極めて少ない。

2社会経済的条件

本図幅内の道路は、第2図のごとく国道3本と主要地方道6本が交差し、これら道路はすべて舗装されているが、一部地域での今後の整備がまたれる。
なお、関越高速自動車道については、昭和46年12月に東京から川越まで開通したが、昭和49年12月には、東松山市まで開通する予定である。鉄道網については、国鉄2本、私鉄4本がめぐらされている。
また、図幅内市町村の土地利用状況は、第4表のとおりであり、総面積の少ない大井町においては、宅地の比率が30%を占めている。その他の市町村においては、宅地の比率が4~23%で、その多くは10%前後の比率である。田と畑の比率関係では、川島村で田の方が多いほか、すべて畑の比率が高くなっており、山林については、平坦部においてその比率が極めて低い状況である。

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4主要産業の概要

本図幅内市町村の産業別就業人口は、第5表のとおりであるが、第1次産業の最も高いのは川島村で55%の比率を示している。なお、この地域は平坦地であり米作が盛んなところである。そのほか、比較的高い比率の地域は、北部台地および山間地であり、多くが人口減少地域となっている。
南部の市においては、第1次産業は10%前後となっている。
第2次産業と第3次産業とは、多くの市町村が、同じくらいの比率を示しているが、第3次産業を見ると特に市部においては就業人口の40~50%がこれにたずさわっている。
また、工業の立地状況は南部都市地域に多く、人口が減少している地域や交通不便の地域ではその数は比較的少ない。

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5開発の現状と動向

本図幅内市町村における開発の現状は、特に南部平坦地においては、工場の立地はかなり盛んで、県においても工業団地の造成を行っている地域である。また、平坦地においては、特に私鉄沿線に多くの住宅立地がなされ自然環境も刻々と変わりつつあり、台地地域を含む一帯には、最近私立大学の設立も数多く行われている。道路についても昭和46年に関越高速自動車道が川越市まで開通した。なお、ことに私鉄沿線では、東京への通勤が可能なためかなり多くの者が県外へ通勤している。このような観点から農業は、ますます減少ぎみである。
このため、今後のこの地域の開発方向としては、首都圏でのこの地域の位置づけをも考えにあわせた計画的な住宅および業務地の開発整備をするとともに、山間部の自然を積極的に保全し、また、農業については、首都圏での農業のあり方を推進するなど、恵まれた自然を有効に活用した都市機能の配置によって近代的な都市形成をはかることが望まれる。

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各論

1地形分類図

本図葉はほぼ八高線によって山地と平野に分かれる。山地は全体の約1/4で、関東山地の東縁に位置する。3/4にあたる平野は関東平野の一部である。山地と平野の間には比企南丘陵をはじめ、いくつかの丘陵が半島状に突出している。平野は大部分が台地でその間に入間川などの河川の作った低地がある。
図葉の中を流れる主な河川は入間川、高麗川、越辺川で、入間川は上流を名栗川といい、鳥首峠に端を発し、関東山地の古生層地帯を流れ、飯能にて関東平野に出る。これより下流では向きを北西から北東に変え、入間、坂戸の両台地の間を流れるが荒川低地に出るにおよんでほぼ東に流れ、上老袋で荒川に合流していたが、後の河川改修で現在では上江橋の下流で合流する。
高麗川は正丸峠に端を発し、日高町あたりまでは関東山地の中を流れ、それより下流では向きを北西から北東にかえ、坂戸台地の中を過ぎ、高坂の南で越辺川に合流する。
越辺川は顔峠に端を発し、大高取山をまいて越生にて、比企南丘陵の南を流れ、高麗川、都幾川をあわせ、落合橋あたりで入間川に合流する。

山地

山地は関東山地の東縁に位置する。関東山地は甲武信岳を最高峰とし、東方に向かって徐々に低くなり、本図葉では越上山が最も高く566.5mである。したがって、大起伏山地ではない。越上山付近は古生層のチャートからなる急峻な地形を呈するが中起伏程度でそれをとりまいて小起伏山地が広く分布し、山地の終わる所に山麓地が分布する。
山地のほぼ中央部を「刈米―黒山構造線」が横切り、北は結晶片岩、南は古生層からなる。したがって北は起伏もゆるやかで谷も規則性がなく数も多い。それに反して南の古生層地帯は急峻で山嶺や高麗川、名栗川の方向はいずれも北西―南東の走向である。
なお、山地の中に部分的に緩斜面が発達する。北側のあるものは黒山、阿諏訪など断層に沿うものであり、南側の阿寺、間野、ユガデ、土山、小瀬名、駒高などは輝緑凝灰岩地帯である。

丘陵

山地の東側には半島状に比企南、毛呂山、高麗、阿須山の諸丘陵が突出する。
比企南丘陵は物見山丘陵ともいわれ、東と西が高く、東では物見山(135.6m)、西では番匠の南(141.0m)が最高で100m以上のなだらかな丘で大部分森林でおおわれているが、最近、宅地造成や盛土採掘のため、削られて褐色の山肌をあらわしている。
一般的に見て山頂は平坦であるが北縁は急崖をなす。丘陵の中央部には鳩川が流れ、上流で須江、泉井、熊井の3支谷に分かれ、せまい谷底平野をつくっている。
丘陵の東には高坂、中央部には赤沼、西には玉川の段丘が発達し、いずれも立川面に対比出来、1~2mのローム層が礫層の上に重なっている。
毛呂山丘陵は小さく、粘土層をはさんだ礫を主とする地層からなっている。
高麗丘陵は高麗峠(177.0m)が最も高く、西武線に沿って八高線の東で終わり、中に宮沢湖がある。西半分は礫、東半分はその上に重なる多摩ロームがのっている。
なお、飯能市の南にある阿須山丘陵の東端が入間市付近で見られる。

台地

台地は本図葉の大部分をしめ、入間川を境として入間、坂戸の2つの台地に分けられる。入間台地は武蔵野台地の一部で、柳瀬川以北を呼び、古い多摩川の作った扇状地の一部である。これをくわしく見ると図1の如くいくつかの台に分けられる。すなわち、多摩面に対比出来る阿須山、狭山丘陵がきたと南にあり、その内側に金子、所沢台があり、いずれも下末吉面に対比出来、さらにその内側に川越・大井台があり、武蔵野面にあたる。中央部には立川面にあたる不老川台があり、不老川が流れる。本図葉では金子台、大井台、不老川台などの一部と川越台の全部があるが、広く見た場合最も低い立川面を軸として武蔵野面、下末吉面、多摩面と両側にゆくにしたがって高くなる。地形的向斜をなしている。
金子台は入間基地のある所で割合凹凸があり、台地の末端は久保川の上流で、丸山付近で数本の枝谷が・輻湊して、地形に刻みがある。北は霞川で阿須山と境氏、南は所によって急崖をなし不老川台にのぞむ。
大井台は中央部の一部が本図葉の南東をしめ、極めて平坦で全然谷が見られず、人家・畑・森林のみである。北の不老川台との境は崖をなさないので境界がわかりにくい。
川越台は川越市のある平坦面で国道16号に沿い、川越・狭山の工業団地のある所で、極めて平坦で谷底平野が殆ど見られないが金子台から流出する久保川が流れ、川越市の南で不老川に合流する。
坂戸台地は本図葉の中央図をしめ、南西から北東に幅約10kmであるが高麗川によって北と南に分かれるが、南の方が大きい。ほぼ平行四辺形をなしている。この台地もこまかく見ると多摩面に対比される高麗丘陵をとりかこんで下末吉面、武蔵野面が発達し、その東側に広く立川面があり、徐々に低くなり、低地との境界が不明瞭である。
台地の上には小岬川が最も大きい谷底平野をつくり、上流では数多く分岐している。その外、坂戸の北と中央部に2つの谷底平野が見られる。
南の入間川にのぞんでは安比奈の南から笹井まで急崖をなす。

低地

台地の東側には広く荒川低地が発達するが本図葉内では北東部の入間川と越辺川の合流点付近にわずかに分布する。荒川低地には南から入間川、高麗川、越辺川が南西から北東に流れ細長い低地をつくっている。
荒川低地は扇状地の熊谷低地の下流の部分にあたり、古い荒川、入間川、越辺川が開析した低地でそれら河川はいくたびか流路を変え、蛇行したりして、屈曲せる自然堤防が発達し、その背後には後背湿地が広く分布する。中でも、越辺川の都幾川合流点から落合橋までの間の東側の自然堤防は大きい。
この付近の沖積層は砂と泥の互層であり、有楽町海はここまで及んでいなかった。また、ここで越辺川、入間川、高麗川など多くの川が合流していることは、この付近が沈降地帯であったのではないだろうか。一般に多くの河川が輻湊するような地帯は地震の際、被害が大きかった。ここも大正12年の関東大地震の際、大きい被害をうけた。
入間川、高麗川、越辺川は山地から平野に出ても典型的な扇状地地形を呈しないで細長い低地を形作っている。そのうちでも最も広いのは入間川で出口の川越付近で巾3kmぐらいになる。
それら低地の中を各河川は直線、屈曲をくり返しながら流下するが、入間川では入間市付近、高麗川では日高町付近、越辺川では鳩山村今宿付近が蛇行の甚だしい地域である。
この様に蛇行の甚だしい地域は沖積層の砂礫が厚く、かつては砂利採取の場になっていたし、河川の伏流の多い所である。

(埼玉大学森川六郎)

(図1)入間台地の地形(JPG:97KB)

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2表層地質図

関東山地の東縁にはいわゆる「八王子―高崎構造線」が走り、西の山地は古生層や長瀞系の結晶片岩とそれを貫く蛇紋岩などからなる。東側は第3紀中新世、鮮新世の地層からなる丘陵と、未固結の堆積物からなる台地と低地からなっている。その地質と分布状況は表1のとおりである。表1川越図幅内の地質層序

低地

一般に低地では沖積層が分布し、上から上部粘土層、上部砂層、下部粘土層、下部砂礫層の順に重なる。その内、下部粘土層は有楽町海進の堆積物で、当時の海の沖合程厚い。すなわち、川口あたりでは40mに達するが、本図葉の荒川低地では20mぐらいで砂層をはさみ、入間川、越辺川に近づくにつれてうすくなる。N値は0~2ぐらいで低く、軟弱な地盤である。
下部粘土層は現川島村の越辺・入間・荒川に囲まれた地帯では砂層が厚くN値は10~20くらいで比較的高いが支持層にはならない(柱状図24)。
坂戸台地と越辺川の自然堤防に囲まれた、坂戸台地東縁のいわゆる閉塞低地では上部粘土層に腐植土が堆積している(柱状図21)。腐植土はN値も低く、含水比が高く、往々にして300%以上に達し、ウェルポイント工法などを施行すると急激な地盤沈下をおこす。
入間川・越辺川・高麗川の砂礫低地では前述のように4層にわけることは不可能で、沖積層全体が砂礫からなっている。沖積層の砂礫はN値が50以下の場合もあるが、下部にいたればたいていは50以上となり支持層となり得る(柱状図17,18)。

台地

台地においては、地層は関東ロームとその下の砂礫層からなる。
関東ロームは古いものから(1)多摩、(2)下末吉、(3)武蔵野、(4)立川の4種があり、(1)は丘陵に分布する。下末吉面にあたる金子台・高麗丘陵の東にある上位段面では(2)+(3)+(4)の3種のロームが砂礫層の上に重なり、平均の厚さ7~8mである。武蔵野面にあたる大井・川越台や坂戸台地の中位段丘面では(3)+(4)で厚さ4~4mのロームが砂礫層の上に重なっているが、川越市街地付近ではロームの下に板橋粘土に対比される青灰色の粘土が見られる。しかし、北足立台地などと異なって数10cmとうすい。立川面に対比される不老川台、坂戸台地の大部分・比企南丘陵内の高坂・赤沼・玉川の台地では1~2mの立川ロームが砂礫層の上にのっている。
以上のように関東ロームは段丘の新旧によって種類や厚さが異なってくる。
ロームは一般にN値は4~5で低く、支持層になり得ず、下位に横たわる礫層を基盤としなければならない。したがって、古い段丘面程、支持層は深くなる。また、礫層でも風化していると50以下の場合もあり、そこでは地盤が弱い。
ローム台地ではロームおよび砂礫層が速水層であるため、自由地下水面が低く、たまたま、砂礫層に局部的に粘土層をはさむと宙水が得られる。川越台の末端では板橋粘土が分布するので、これが不透水層となり、自由地下水面は浅い。
台地をうがつ、谷底平野、すなわち「谷地田」は坂戸台地に発達しているが、ここには沖積層の粘土や腐植土が数mの厚さで分布している(柱状図)。腐植土は低地のそれと同様、急激な地盤沈下をおこしやすいので道路建設の際は厄介な土質である。

丘陵地

最北にあたる比企南丘陵の東の部分は第三紀中新世の泥岩・砂岩・それにうすい凝灰岩が発達している。この凝灰岩は奥田付近でかつて磨粉として採掘された。泥岩・砂岩はいたる所で採掘されている。固結しているところはブルドーザーで容易に削ることが出来る。
丘陵の西の部分には結晶片岩や蛇紋岩が基盤をなしている。東の第三紀層との境界を直接見ることは出来ないが毛呂山町箕和田と鳩山村の高野倉を結んだ線で境される。おそらく、これが「八王子―高崎構造線」であろう。結晶片岩はこの構造線に近いため、ぼろぼろに風化している。蛇紋岩は越生町西和田でバラスとして採掘している。
以上のような第三紀層・結晶片岩などをおおって鮮新世の礫層(物見山礫層)が広く分存している。この礫層は暑いところでは50mにも達し、半固結でやわらかく、ブルドーザーで容易に削ることが出来るので盛土として採掘されている。
比企南丘陵には鳩川、九十九川などの谷底平野があり、そこには二次的のロームや基盤の風化した粘土からなる沖積層からなるがいずれもうすく、2~3mで基盤までは浅い。低地といえども地盤はよいが自由地下水面は浅く1m内外である。
毛呂山丘陵では粘土層をはさんだ礫層が主体で上にうすい立川ロームがおおっている。
高麗丘陵は南の阿須山丘陵を構成している。鮮新世の飯能礫層が西半に、多摩ロームが東半に分布するが後者が前者に重なっているところは宮沢湖付近で見られる。多摩ロームは熱さ15m内外で鮮やかな黄橙色を呈し、厚さ30cmぐらいの白色の浮石層を数層はさんでいる。Al2O3が他のロームより多く30%以上あるため、セメントの粘土原料として上鹿山で採掘されている。

山地

刈米―黒山線を境として北は主として結晶片岩、南は古生層からなる。
古生層は粘板岩、砂岩、輝緑凝灰岩、チャート、石灰岩などからなっている。
砂岩は一般に暗青色を呈し多くは粘板岩と互層している。厚い砂岩のみが分布するのは高麗川の北斜面、深沢より東の部分である。
粘板岩はチャート、輝緑凝灰岩などにうすくはさまれているほか、高麗川の北斜面の山脚部から南、名栗川を越えて県境まで砂岩と互層をなしている。一般に黒色を呈し、風化する細片に割れ、弱い岩盤である。
輝緑凝灰岩は赤ないし緑を呈し、塊状で集塊岩値の部分もあるが多くは細層理発達、風化しやすく、細片に割れ、平坦な地形を作っている。最も厚く分布するのは日高町駒高から小瀬名を経て飯能市の土山・ユガデ・間野・阿寺に連なる。山頂に近いが平坦面であるため、古くから人が住みついている。
以上の外、宿谷から鎌北湖を結ぶ線上のもの、黒山、桂木などにもうすく見られる。
石灰岩はたいていの場合、輝緑凝灰岩に伴って小レンズをなして分布するが本図葉では貧弱な発達である。
チャートは赤・黒・灰・白など多種の色を呈し、かたく、尖峯、渓谷をつくっている。一般に1~2cmの層状をなし微褶曲をなしているが塊状の場合もある。
分布は刈米―黒山線以南、高麗川北斜面の稜線付近に広く分布しているほか、砂岩、粘板岩野中にうすく、いたるところに分布している。
以上の分布から、一般走向は北西―南東であることが了解される。傾斜は高麗川付近までは南に、それより南では北に傾斜し、一つの向斜軸をなしている。
古生層は刈米―黒山線以北にも分布する。すなわち、大高取山、関堀クリッペと呼ばれた地塊であって、結晶片岩の上に根無山としてのっている。しかし、残念なことに直接の衝上面が見られず、長い間、疑問を持つ人もいたが、大高取山の北の延長と見られる越生中学校で校庭拡張工事のため北崖を削った所、結晶片岩の上に古生層の粘板岩、砂岩が低角度で衝上している見事な露頭があらわれた。
大高取山は主としてチャートからなり、間に粘板岩、輝緑凝灰岩をはさみ、その中に石灰岩の小レンズがあり、さんごの化石が発見された。関堀クリッペも殆どがチャートである。
刈米―黒山線の北側は結晶片岩やそれを貫く蛇紋岩と前述の古生層からなる。
結晶片岩は緑色片岩が多く、その内でも塊状の陽起石片岩が卓越し、片状のものは少ない。したがってかたいので黒山ではバラスとして採掘されている。
蛇紋岩は越生町西和田に大きなものがあるが、結晶片岩地帯では桂木付近に小レンズとしてあるのみである。
その他、変斑岩も越生町北方弘法山付近に見られるが小さい。
山地には部分的に飯能礫層がのったり、名栗川沿いの小岩井などの平坦面にはロームがのっている所もある。

(埼玉大学森川六郎)

表1川越図幅内の地質層序(JPG:89KB)

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3土壌図

1土壌の概要

この地域の土壌は、秩父山地東南部を占める古生層の岩石および結晶片岩の風化による山地の土壌と、山地に接する丘陵地は第三紀系礫層の風化土壌である。これらはいずれも角~半角礫に富むものが多いが、土壌は概して強粘~粘質である。丘陵地には断続的であるが火山灰土壌を被覆するところがある。丘陵に接して、この地域中最も広い面積を占める火山灰土壌よりなる台地が分布している。越辺川、入間川、高麗川の上流山間には細い段丘が形成され、円礫に富み多くは下層が礫層となる。また、中流までは下層が礫層であるが、下流は広い沖積平野となり、礫層は全くなくなり、グライ土壌、泥炭、黒泥土壌のように地下水の影響を強くうけた低地土壌となる。丘陵および台地の中にも前記河川の支流によって開析された谷が形成され、二次堆積と考えられる火山灰土壌が分布している。
本地域に分布する土壌統の性質は別表のようである。

2地域別の土壌の概要

本地域を地形区分に従って土壌の概要を述べる。

2―1山地の土壌

山地土壌は、主として母材、および堆積様式、水湿状態等のちがいにより5の土壌統に区分された。この地域の約半分は、中央部以南の秩父古生層のチャート、砂岩、粘板岩、輝緑凝灰岩等を母材とする土壌で、湿性の虎秀統,適潤性の久須美統、乾性の大河原統が分布している。北部山地は御荷鉾式結晶片岩(緑泥片岩、陽起石片岩)を母材とする土壌で、適潤性の大満統、乾性の滝ノ入統に分類された。また、この変成岩地域には古生層のクリッペ(根なし山)の部分があり、この地域の土壌は古生層のものと同様、虎秀統、久須美統、大河原統に区分される。虎秀統は、図幅西部の虎秀、間野、深沢、平戸、白子、赤工場等地形急峻で沢も深い流域の沢沿いに崖錐地や沢頭に最も多く分布しているが、総分布面積は多くない。この土壌は、基岩の風化的性格から急激に粘土化することなく、大小種々の角礫に富み、腐植のしん透もよく、ことに土壌の物理性にすぐれている。一般に崩積土で腐植層の色はそれほど黒くないが土層が深い。このような理由でこの土壌が生産力が高い。
湿性の虎秀統は、地理的に東部の低山帯へ、地形的に谷筋から山腹、尾根に向かうに従って、次第に乾性となり、久須美統、大河原統に変わる。層断面では、腐植層の厚みが急に減少し構造も団粒状から塊状、堅果状、細粒状となる。久須美統は面積的に広く、大河原統はおおむね尾根筋に限られて狭い。
結晶片岩を母材とした土壌には古生層の虎秀統に該当する湿性褐色森林土はほとんど現れていない。乾性の大満統が大半を占め、崖錐、谷頭に限りやや湿った滝ノ入統が出現する。一般に結晶片岩を母材とした土壌は、地形と基岩の風化的性格から粘質で土層が固くしまり易く乾燥し古生層母材土壌に比べると生産力が劣る。越生、毛呂山で古生層から変成岩に母材が移行すると、急激に土壌が乾性化してくるのが図上からもうかがわれる。
クリッペの土壌は、越生町大高取山の西北部の急斜地と谷かしらに虎秀統が出現し、この地域だけ土壌がすぐれている。都幾川村、琴平山、関堀では地形的にも結晶片岩地域の土壌と大差がない。

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2―2丘陵地の土壌

丘陵地の土壌は、堆積様式、水湿状態の違いにより4の土壌統に区分された。
比企南丘陵の飯能礫層を母材とする土壌は、如意等と赤沼統である。前者は、層断面が極めて堅く固結状態で、強粘質、堅果状構造が発達し、腐植層を欠き、生産力が極めて低い。後者は比較的解析の進んだ沢筋の歩行又は崩積土で、前者に比べると表層は水湿状態も良好で、腐植のしん透もありやや生産力も高い。しかし、面積的に狭小の分布となっている。
高麗川の南の高麗丘陵で、多摩ロームと飯能礫層の上にのっている多摩ロームの土壌および毛呂山の南の毛呂山丘陵で火山灰の風化した土壌をまとめて、宮沢統と中鹿山統荷分類された。前者は乾性で落葉層、菌糸網のある腐朽葉層を含み腐植層は極めてうすく、生産力は低い。後者は丘陵地の沢沿いの急斜地又は沢頭に出現し、表層1~5cmは腐植に富み団粒構造が発達しているが、それより下層では急激に乾燥し、腐植に乏しく粒状構造となる。中鹿山統は宮沢統よりは生産力が高いが、結晶片岩地域の滝ノ入統よりやや劣る。
なお、分布狭小で図示不能であったが、丘陵地は水田として利用されている細長い谷底平野をつめ切った上部林地に、極めて湿性の湿性褐色森林土壌がごく小面積みられる。

台地土壌

台地土壌は全部火山灰をボザイとした土壌で腐植層序、砂礫層、酸化沈積物、泥炭、グライ、堆積様式などのちがいによって16の土壌統に区分された。

(1)上位土壌

この地域は含量7~8%で腐植層の厚さが30~50cm内外の冑山統が大部分と腐植含量が10%以上で熱さが30~50cm程度の高倉統が分布している。

(2)中位台地

この地域も大部分は冑山統である。一部分に高倉統が分布し、上位台地から中位台地へ移るやや低凹地に、腐植含量10%以上で厚さが100cm以上の太田ヶ谷統と、少部分であるが腐植含量10%以上で暑さ50cm内外の火山灰の二次堆積と考えられる五味ケ谷統が分布している。

(3)下位台地

この地域も大部分は冑山統によって占められる。またこの中には断続的に腐植含量5%以下の児玉統が分布しているが、面積の広いのは毛呂山町、坂戸町、飯能市である。坂戸町、日高町に分布する一部は、かつて、軍用地のころ均平化するために表土を削った名残りである。また、台地上のやや低凹地には腐植含量8%内外で厚さが100cmの大竹統や太田ヶ谷統、それに高倉統などが分布している。西南から北東に向かって形成された開析谷は、ほとんど水田になっているが、いずれも火山灰の二次堆積である。腐植含量10%以上で厚さ100cm以上の西大久保統、腐植含量7~10%で下層に砂礫層のある道目木統、腐植含量7~10%で厚さ100cm以上、50cm以内からグライ層となる新町統、腐植含量10%以上で下層に泥炭層と砂礫層、グライ層のある広田統、腐植含量10%以上で下層が泥炭層、グライ層となる三ツ木統などいずれも開析谷に分布する土壌統である。この水田に沿って腐植含量8~10%で厚さ100cm以上の笠幡統、腐植含量は同じであるが厚さが50cm内外の上広谷統、それに五味ケ谷統などいずれも火山灰の二次堆積による土壌が分布している。
また、南東部の不老川の沿岸には腐植含量7~8%で厚さ30cm内外、下層が円礫層となる今福統、上層は同じであるが円礫層がない上広谷統などが分布する。この土壌は土層中に多少にかかわらず円礫を含んでいるので、火山灰の二次堆積と考えた。同じような土壌統は高麗川にちかい台地の縁辺にも分布している。

低地土壌

低地土壌は越辺川、高麗川、入間川とその支流および荒川によって侵蝕、堆積が繰り返された結果できた土壌である。これら土壌は色層序、腐植層序、砂礫層、酸化沈積物、土性、泥炭、黒泥、グライ層、母材、堆積様式によってい14の土壌等に区分された。

越辺川流域低地

畑地は上流から中流にかけて、一部新戒統があるが大部分は礫含量が多く礫層が存在する勅使河原統である。下流はほとんど清水である。
水田は上流の一部に強グライ土壌強粘土型の伊佐沼統が少部分と弱グライ土壌強粘土型山田統が分布しているが、多くは灰色土壌強粘土型の平塚統が分布している。特に、丘陵地谷底の水田は湿田~半湿田がほとんどであるにもかかわらずグライ土壌が少ないのは特徴的である。河川に近い位置では礫層、礫質型の長瀬統が分布する。
下流は礫がほとんどなくなり、灰色土壌粘土型の沢木統や強粘土型の平塚統、弱グライ土壌粘土型の片柳統や強粘土型の山田統が分布し、川からやや離れると伊佐沼統などの分布が多くなる。また、台地寄には火山灰を混じ下層に泥炭、グライ層が存在する小沼統が分布する。

高麗川流域低地

畑地は越辺川流域とほとんど同じ勅使河原統、新戒統、清水統が分布している。
水田もほとんど同様であるが、中流に礫層、礫質土壌で土性が強粘質の森戸統が分布する。

入間川流域低地

畑地は前記二河川流域と同じで上流に勅使河原統、下流に清水統、少部分であるが新戒統が分布している。
水田も前記二河川と同じで森戸統、長瀬統が分布するが、ほぼ狭山市と川越市境あたりで礫の影響はほとんどなくなり広範囲な面積を持つ山田統が分布するようになる。また一部に下層から泥炭層となる鯨井層が分布する。
越辺川と入間川以北東の低地は畑地は清水統、新戒統が分布し、水田は河川に近いところは平塚統の分布面積が多く、距離が離れると山田統や鯨井統、50cm以内より泥炭層となる下八ツ林統、黒泥層が存在する花和田統が分布している。

埼玉県農業試験場柴英雄

埼玉県林業試験場野村静男

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4傾斜区分図(PDF:461KB)

本図葉内の山地の最高峰は越上山で566,5mで、おしなべて標高400~300mの低山性の山地である。一般にチャートはかたいので急峻な地形を呈するが起伏量が小さいため、40~30°を示すのは越上山の頂上付近である。ついで30~20°について見るならば八王子―高崎構造線の南側の古生層地帯に広く、北側の結晶片岩地帯では麦原川沿いの山麓や弓立山の山頂に見られる程度である。山地の大部分は20~15°で山地の終わるところになると15~8°となり飯能付近に多い。また、山地中腹で部落の発達している桂木、阿諏訪、黒山など、古生層地帯の阿寺、間野、ユガテ、土山などは15~8°である。
丘陵地は100m内外の低平な丘陵で麓には一部15~8°をなすが大部分は8~3°のゆるい傾斜地である。なお、頂面には3°以下のところもある。
本図葉の大部分は平野で台地と低地にわかれるがほとんど3°以下で谷の開析もない。
以上を見ると大体において地形と傾斜区分とは一致しているといってよい。

(埼玉大学森川六郎)

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5水系谷密度図(PDF:414KB)

本図葉内には入間川、高麗川、越辺川が主な河川でいずれも関東山地に端を発し、平地の中を南西から北東に流れ、高麗川は越辺川に、越辺川は入間川に合流する。入間川はもともと上老袋で荒川に合流していたが河川改修により、上江橋下流で荒川に注いでいる。
入間川には成木川のほか見るべきものはないが、平野にでて、坂戸台地を流れる小岬川を合流する。高麗川では右岸にはさしたる谷はないが左岸には虎秀沢、深沢など4本の小下谷が発達する。なお、下流では宿谷川が流入する。越辺川には都幾川、上殿川、麦原川、竜ヶ谷川、毛呂川、阿諏訪川、大谷木川が流入しているほか、比企南丘陵の鳩川、九十九川が流れこむ。
谷密度は山地では大部20/平方キロメートル以上であり、最高は高麗川右岸CNの34/平方キロメートルである。概して古生層地帯の方が大で20/平方キロメートルの区域が多く、結晶片岩地帯では20~10/平方キロメートルの区域が多くなっている。
比企南丘陵は平坦であるが大半は10/平方キロメートル以上である。
台地では10/平方キロメートル以下で0の所も少なくないが、坂戸大地の小岬川で支谷が輻湊する区域が10/平方キロメートル以上となっている。川越台地では久保川の上流でやはり10/平方キロメートルとなっている。
低地も台地と同様10~6/平方キロメートルのところは少なく、5~0が大部分で越辺川と入間川合流点付近が10/平方キロメートル以上である。

(埼玉大学森川六郎)

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6利水現況図(PDF:638KB)

本図葉における主なる利水は農業用水、飲料水、工業用水である。
水源は農業用水では河川水、鎌北、宮沢の両貯水池をはじめ、丘陵、台地に見られる小溜池などである。飲料水、工業用水は主として地下水であるが一部河川の伏流、地表水を利用している。
農業用水について見ると平野の大部分は台地で低地は少なく、坂戸台地の小畔川など細長い谷底平野に水田が発達しているのみである。低地では自然堤防を残して殆ど水田である。したがって土地改良区を見ると越辺川、高麗川、入間川などの諸低地に集中し、坂戸台地比企南丘陵にはわずかに見られる。鎌北、宮沢両貯水池は本図葉内では大きく坂戸台地をうるおしている。
比企丘陵は第三紀中新世の硬い岩石からなるので地下水の乏しい地帯で古くから谷頭に溜池を作り、その水を利用している。
溜池は丘陵のみでなく、坂戸台地の小畔川およびその支谷の谷頭池が溜池となっている。その他、越辺、高麗、入間の諸低地は殆ど各河川水が利用されている。
飲料水と工業用水についての利用状況は表1のとおりで、上水道、簡易水道からなる。そのうち、東松山市、都幾川村は都幾川、越生町、毛呂山町、鳩山村は越辺川、日高町と飯能市の両吾野簡易水道は高麗川、飯能市と南高麗は名栗川水系の地表水、または伏流が利用されている。しかし、元来この地域は、古い多摩川扇状地の扇頂部に近いため地下水の乏しい地域であり、加うるに最近の工場進出、人口の増加による無理な過剰揚水のため地下水位の低下が甚だしく、年間5m以上に及んでいる所もある。このまま放置しておけば近き将来、地下水が枯渇するのではないかという危機にせまられている。
入間、狭山両市では一部入間川の伏流を利用しているが、排水のため、水質の汚濁の甚だしくなってきている。
県ではその対策として中央工業用水を計画しているが、各河川の流量は表2のとおりである。
名栗川上流は県下で最も年間雨量が多く、1800mm内外である。この雨を貯水する有間ダムの計画もある。

(埼玉大学森川六郎)

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7防災図(PDF:227KB)

本図葉の西部は関東山地、北部は比企南丘陵で残りは平野で台地と低地からなる。
山地や丘陵では治山、治水の立場から、平野は洪水、地震の点から考察する。

山地

刈米―黒山線を境として北は結晶片岩、南は古生層からなる。したがってこの地質が地辷りや崩壊に大いに関係している。
北の結晶片岩は片理、節理、断層などの割れ目が発達し、岩石がもろく崩れやすいのでゆるやかな地形を呈す。南の古生層はチャート、砂岩など硬い岩石が分布して、尖峰や峡谷を形づくっているが、一部の粘板岩、輝緑凝灰岩は崩れやすく、ゆるやかな地形をなしている。したがって結晶片岩地帯には砂防えん堤が多い。ことに阿諏訪は地辷り地形で山脚を固定するためのえん堤が10数基設置されている。
地辷り地形は結晶片岩地帯ではいたる所に見られ、山腹、山麓の緩斜地または平坦地は阿諏訪と同様、殆どが古い時代の地辷り跡地である。
現在は動いていないが、何か外力が加わると地辷りを起こす危険がある。最近、越生小学校では校庭拡張のため、崖を削ったところ、地辷りが起こり、校庭は隆起し、校舎は傾き、児童は立ち退くという事態が生じた。結晶片岩地帯は断層に沿って隆起しているから注意を要する。
河川の砂防対策も結晶片岩地帯を流れる越辺川や都幾川、それらに流入する小支流の殆どを砂防指定地としている。ただ、大高取山のみは例外で砂防指定地は少ないが、ここは南と同様古生層からなる。
古生層地帯ではえん堤は少ないが、山腹工事が多い。これはチャートなど急崖をなしているためである。保安林も北の結晶片岩と比較すると多いのも急峻な地形が多いことに起因していると考えられる。ことに高麗川、名栗川の急な河岸が指定されている。
砂防指定地も北に比して少なく、地質的に見ると砂岩と粘板岩地帯がそれになっている。

丘陵

比企南丘陵は一般的にゆるやかになるため、保安林もほとんどなく、したがって砂防等もない。砂防指定地に児沢、唐沢、鳩川が入っているがこれは河川の蛇行修正が主な目的である。しかし、この丘陵は最近宅地造成が進み、また、土砂採掘のため山林は削られ、山肌が直接あらわれている。この地域の開発に対応する防災のためには、先行的な流路断面積の拡大工事と蛇行整理が望まれ、山腹の切取には地層に適した傾斜角を保持させ、さらによう壁等の保全工の施行とあわせて裸地の緑化工が必要である。丘陵上には物見山礫層が広く、かつ、厚くおおうが、この礫層は水を吸うと流動しやすく、しばしば崩壊が起こっているから注意を要する。

平野

台地縁の高い急崖は、高麗川の多和目付近、越辺川の石坂付近に局部的に見られるほかは坂戸台地の南崖、安比奈新田の西にある。
保安林は飯能の東のほか、4ヵ所にあるが、これは平地には農耕地に付随した防風林である。
洪水に対しては越辺川、入間川、新河岸川、小畔川に河川堤防が施行されているが、昭和46年8月30日の台風の際は越辺川に沿う後背湿地や比企南丘陵内の鳩川沿いが浸水し、最も深いところで1m以上に達したがその殆どは水田であった。しかし、工場進出や宅造のため、森林、畑地が減少し、雨水の浸透面積が縮少し、地表流出が多くなり、台地上の中小河川は溢流し、今後は台地上でも浸水する恐れが出てくる。事実、前述の台風の際も台地上に小区域ではあったが浸水が見られた。
地震は、昭和46年9月21日の西埼玉地震の際は震源地が小川町の仙元山付近であったとはいえ、この地域は殆ど被害がなかった。ことに台地では墓石の倒壊すらなかった程、地盤がよい。すなわち、台地はロームの下には厚い砂礫層が横たわっているためだろう。
しかし、大正12年の関東大地震の際は越辺川、入間川および荒川にはさまれた川島村付近が被害が大きく、倒壊戸数の比率を見ると出丸村で19.8%、植木村で15.5%、芳野村で10.8%、伊草で46.0%といずれも10%以上の被害があり、ことに伊草では村の約半数におよんだことは注目に値する。この地帯は沖積世の厚い砂層が分布する地域である。

(埼玉大学森川六郎)

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企画財政部 土地水政策課 総務・国土調査担当

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