トップページ > 【スポーツで埼玉を元気にする!】瀧澤博人選手(キックボクシング)
ここから本文です。
2021年6月11日(金曜日)
WMOインターナショナルフェザー級チャンピオン瀧澤博人選手が知事及び県議会議長を表敬訪問しました。その後、インタビューをしました。
瀧澤選手は、令和2年11月に後楽園ホールで行われたWMOインターナショナル・フェザー級王座決定戦で、タイのジョムラウィー選手に判定勝ちし、日本人として初の挑戦でこの階級を制しました。
越谷市出身で、現在は川越市で暮らしながら、市内のジムで練習に取り組んでいます。
表敬訪問では、大野知事の前でシャドーボクシングを披露しました。
表敬訪問後、コロナ禍で練習等が制限される中で、チャンピオンになった気持ち等をお答えいただきました。
瀧澤選手のお話が、ご覧の皆さんの参考となり、また瀧澤選手への応援のきっかけとなったら幸いです。
大野知事に会うことができ、キックボクシングをずっと続けてきてよかったなと思いました。
父が、空手と柔道の先生をしており、母方の祖父がボクサーだったので家にサンドバッグがある環境でした。
そのような環境の中、幼少期から少林寺拳法や空手、柔道を経験しましたが、キックボクシングを始めたいとおもい中学2年生のころに自分で道場を探して始め、17年くらい続けています。
今回の世界タイトルはもちろんですが、23歳で日本タイトルを取ったときは、なかなか人生で出会える瞬間ではなかったため、とても喜ばしい瞬間でした。あのとき、木暮代表(現ビクトリージム代表)と泣きながら抱き合った瞬間を思い出すと、今でも涙が込み上げてくる最高の思い出です。
今回のフェザー級チャンピオンはもっと早くに獲得する目標を立てていたため、獲得したときは「やっと一歩進めた」「止まっていた時間がやっと動き出した」という安堵感が強かったです。
日本タイトル獲得後も、内閣総理大臣杯日本プロスポーツ大賞の新人賞を獲得し、目に見える形では順風満帆なキックボクシング選手生活であったように見えます。しかし、大きな怪我やなかなか勝てないスランプがあり、周りからは「もういいんじゃないか」とか「辞めた方がいいよ」等の声が聞こえてきたときは、辛かったです。そのような中、自分を応援しサポートしてくれた方には心から感謝しております。
自分のモチベーションの根源は「悔しさ」であると感じています。
「ここで諦めたら誰かに負ける」等想像しただけで悔しさが込み上げモチベーションが上がるので、モチベーションが下がってしまったときは昔の良かったことを思い出すのではなく、今自分が辞めたらどうなるのかを想像すると居ても立っても居られなくなります。夢を見つつも、等身大の自分をしっかり見つめることで、人よりも少しだけ高いレベルでモチベーションを保つことができています。
コロナへの対策はもちろんですが、コロナにより日本そのものの雰囲気が落ち込んでいる今、自分が踏ん張って結果を出すことが周りに勇気を与えるきっかけになると思っています。コロナ禍で十分に練習ができない環境ではありますが、コロナ禍でも練習ができる環境に感謝しつつ、まずは自分が活躍するため今できる練習を精一杯やることが大切だと思っています。
試合前の練習は1日5時間の練習をしており、ロードワーク→シャドー→ストレッチ→ミット打ち等徐々に上げていき、地獄のようなトレーニングを繰り返し、最後の1時間は悲鳴を上げながら練習をしています。
気が付くと水たまりができるくらいの量の汗が体から出てきます。
試合中は無我夢中なので、特に考えてはいません。
調子のいい時ほど何も考えずにプレーができており、体に染みついた動きが自然と出るときほど良い結果が出ます。究極をいうと、戦いながら勝った姿が想像できていたり、勝った後の喜びがイメージできたりと、自然体で力の抜けたプレーができる時ほど良い結果が出ます。
試合前は夢に出るほど相手選手を意識しているため、試合後はどっと疲れが出てしまいます。
試合後は戦いから離れ、趣味の時間等で何も考えない時間を設けています。
それが次の戦いにつなげられる秘訣であり、そういった時間があるからこそ次も戦いに挑めています。
ムエイタイ発祥の地であるタイの2大殿堂、「ラジャダムナンスタジアム」と「ルンピニースタジアム」に挑戦したいです。
WMOフェザー級チャンピオンはあくまで通過点であり、いずれはこの2大殿堂の頂点に立ちたいです。
これまで多くの日本人が挑戦していますが、400年間頂点に立った日本人はいません。今まで不可能だった偉業に挑んでいきたいです!