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2023年12月5日(火曜日)

【スポーツで埼玉を元気にする!】クレー射撃競技 大山 重隆選手①

大山選手

新型コロナウィルス感染症の拡大が予断を許さない現状の中、アスリートは日々どのように過ごしているのかを取材しました。

今回インタビューにご協力いただいたのは、東京オリンピック・クレー射撃競技日本代表の大山 重隆(おおやま しげたか)選手です。
大山選手は戸田市出身で、彩の国2020ドリームアスリートとして日本選手権優勝や国民体育大会個人優勝、そして国際大会ではアジア選手権やワールドカップなどで御活躍されているアスリートです。
東京オリンピック前の大事な時期にも関わらず、快く質問にお答えいただきました。
大山選手のお話が、ご覧の皆さんの参考となり、また大山選手への応援のきっかけとなったら幸いです。

大山選手=大 

経歴<クレー競技・埼玉県とのかかわり>

少年時代の思い出は?

大:小学校時代は地元のスポーツ少年団で野球をやっていました。中学生になると、地元の戸田のシニアリーグで野球漬けの日々でした。ポジションはショート、セカンドでした。

大山選手右向き

高校は野球の名門、東北高校へ

ーダルビッシュ有さんなど著名な選手を数多く輩出した東北高校で3年間野球に打ち込こんだということですが。

大:レギュラーにはなれなかったのですが、チームが選抜大会に出場し甲子園のアルプスで応援をしました。移動は仙台駅から寝台列車に乗って現地へ。試合時間は2時間足らずでそのまま学校へ戻るという強行軍でした。厳しい寮生活、そして当時の若生正廣監督(2019年4月まで埼玉栄高校監督)の「礼儀・挨拶・返事・掃除」という言葉が今の社会人としての生活に活きています。

ー監督へオリンピック内定のご報告はされましたか?

大:報告を若生監督にしたところ、まさかの野球以外の種目での活躍に驚かれていました。

クレー射撃に出会う前はどのような将来を描いていましたか?

大:大学時代には軟式野球に転向し、東日本大会や全日本にも出場しており、いくつかの企業から軟式野球の選手として声が掛かっていた状況でした。実業団など社会人リーグでプレーをしていたかもしれません。

ーその後クレー射撃と出会ったということですか?

大:大学4年生、21歳でクレーの免許を取得しました。

狩猟から競技へ

大:始めは狩猟がメインでしたが、どうしても練習が必要なため、射撃場へ通うようになりました。そうするうちに、練習が楽しくなってきて、競技をやってみたいと思うようになりました。金銭的にもかかる競技なので、父の援助を受けながら射撃を始めたのが競技のきっかけです。

ー父子で同じ趣味に打ち込めるとは、素晴らしいですね。

初めて銃を撃った時の感覚は?

大:まさか日本で銃が撃てるとは思わないところで、なおかつ自分の撃った弾がもし人に当たったら死んでしまうという責任の中で初めて撃った時は身震いがするほどの衝撃でした。

ー初めから当たっていたのですか?

大:初めのころは中々当たらなかったです。数撃ちゃ当たる状態でした(笑)当たった時の爽快感や楽しさがありました。

国体での活躍・埼玉県選手団への思いについて

大:私が競技を始めたときから、埼玉県はレベルが高く、スポーツに力を入れているので、常に優勝争いに絡めるようなスコアを出さなければならない。県から補助金もいただいていて、その中で自分がどれくらい頑張ればよいのか周りの選手をどう引っ張っていけばいいのかを感じて、周りの人に感謝をするようになりました。県や協会など、自分が成績を残すことによって喜んでくれる、そしてまた応援され結果が残せる、良いサイクルで回っています。ライフル協会さんは常に天皇杯を取り続けているので追いつかなくてはという気持ちもあります。

(まさに埼玉県選手団の鑑です。県民の皆様には是非埼玉県選手団の活躍を応援していただきたいです。)

埼玉県の好きなところはどこですか?

大:高速に乗ればどこへでも行ける交通の便の良さです。

ーありがとうございます。都心や山、川など自然へのアクセスも良く、暮らしていくには良い環境だと思います。

 

コロナ禍での苦境

ー大山選手は2019年のアジア大陸選手権大会以来、国際大会、国内大会にも出場していない状況です。また、射撃練習についても以前のように1日というわけにもいかず、半日の限られた時間の中で工夫をされています。

大山選手斜め

大会に出場していないことに対する不安はありますか?

大:やはりあります。そこをどう自分の気持ちで乗り越えていくか。今苦しいのは自分だけではありません。コロナに感染した方も、医療従事者も苦しい思いをしています。その中で自分は競技をやらせてもらえていることは幸せかもしれません。こういう立場を有効に使って結果を残して皆さんを喜ばせたいです。

試合勘を取り戻す、または保つためにどんなことを工夫していますか?

今は冬季なので競技的な調整は行っていませんが、いつ試合になってもいいようにフィジカル・メンタルトレーニングを実践しています。そのメンタルを崩さないように練習で射場に入るときのルーティンをこなしていっています。

ー練習も本番も同じ所作をすることで平常心を保つということでしょうか。スポーツのみならず様々な場面で活かせる心構えだと思いますが、やはり実際に行うとなると難しいと感じます。

コロナ前の生活と比べて不便になったことはありますか?

大:オフシーズンの時に気晴らしで旅行に行ったりできないことです。オンとオフの切り替えを大事にしているので、辛くはないですがこれまでより切り替えは難しいです。

ー旅行に行けない分どのように工夫して気分転換されていますか?

大:密にならないところ、公園などに行って妻と遊んだりしています。

昨年ご結婚されたということで、おめでとうございます!

大:ありがとうございます。競技者として共有する部分があり、国際大会では帯同したり、国内大会は男女混合なのでどちらが優勝するかといった関係もあります。今度の東京オリンピックでは「トラップ・MIX」という競技があります。それに二人で出るので、夫婦で同じ競技に出るのは初めてではないでしょうか。

(ご夫婦揃ってクレー射撃競技のオリンピアンです。東京オリンピック・クレー射撃競技は埼玉県での開催になります。県民の皆様、是非二人三脚での競技の様子を楽しみにご覧ください。今後ご夫婦での競技活動が互いに良い影響を与え合って、更なる飛躍をしていただくことを祈念しています)

印象深かった遠征先について

大:クレー射撃の会場が主要な都市にないことが多いです。イタリアだったらミラノから2時間以上かけて移動した所にある「デセンザーノ」という町に宿泊しました。イタリア製の銃を使っていて、メンテナンスや新器具作成の際に訪れることがあるのでイタリアには行きます。日本人観光客の行かないような土地で、保養所のような施設があり、「ガルダ湖」がものすごく綺麗でした。そういった環境に滞在するとリラックスできて良かったです。

 

遠征中のコンディショニングについて心掛けていたことは?

大:まず時差に関して言えば、気を張っているので時差ボケはしないです。食事に関しては、以前埼玉県のドリームアスリートの際に栄養士さんとカウンセリングする機会がありました。その時に、国外では日本食を持参するという話をしました。魚の缶詰や包装米飯、お味噌汁等を目一杯持っていきます。

ー基本は日本食ということですね。徹底することで体の調子をいつも通りに保つことにつながるということでしょうか?

大:食あたりがこわいので。体調崩すと病院へ行くことになり、外国語で説明を受けても分からないし、投薬でドーピング違反になるリスクも避けなければなりません。

 

ー大山選手インタビュー(2)へ続きます。