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掲載日:2023年11月9日
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心地よく生きていくために
たくさんの仲間がいるこの町で暮らしていく
農業を志しながらも挫折した過去
折戸広志さんが小川町に出会ったのは、2002年のこと。
20年ほど前まで遡ります。
東京で生まれ愛知県で育った折戸さんは、当時、
半導体の営業マンとして会社に勤めながら、
横浜市出身の奥さん・えとなさんと結婚し、
忙しいながらも都心で充実した暮らしを送っていました。
ただ、営業という仕事柄、接待などの飲み会で帰りが遅くなることも多く、
平日は仕事に明け暮れる日々。そんな生活に「結婚しても仕事ばっかりじゃないか!」と
不満を漏らした奥さんの一言が、二人の転機となります。
きっかけは、奥さんが手に取った『未来をみつめる農場』という一冊の写真集。
小川町で有機農業を営む霜里農場の金子美登さんの本でした。
写真を見て感動したえとなさんは「ここに行きたい」と思い巡らせ、
それならと折戸さんも会社を辞め、夫婦二人で霜里農場の研修生となったのです。
「体力的にもきつかったけど、仲間にも恵まれて楽しかったですよ。
研修生の最初の仕事は鶏の餌やりからはじまって、
当時は乳牛も飼っていたので乳搾りもしましたね。
霜里農場は本当に色んな人が集まってくる場所で、
いわゆる農業のノウハウだけでなく、
ここには『有機的な生き方』が広がっていて。
そんなところにも惹かれていきました」
1年間の研修を終えた二人は、えとなさんの祖父の畑があった
群馬県太田市に移り住み、二人で新たに農業をはじめました。
しかし、思うように上手くはいかず、3年足らずで農業の道からは離れることに。
「とにかく、きつかったです。経済的にも、それ以上
続けるのは無理で。大きな挫折を味わいました」
二人はやむなく農家の道を諦め、折戸さんは再びサラリーマンになりました。
一方のえとなさんは、霜里農場でみた生き方や有機的な繋がりを
研究したいと大学院に進み、博士号をとってからも霜里農場と
金子美登さんに関わり続けました。
コロナ禍が、思い出の町へ引き寄せてくれた
そして、2018年の春。その後も都心で暮らしながら
小川町へ通い続けていた奥さんのえとなさんが急逝されてしまいます。
「研修生を卒業したあとも良くしてくださっていた
金子さん夫妻が私を心配して小川町へおいでよと
声をかけてくれたんですが、当時は8時くらいには出社する生活で。
小川町から通うとなると、5時台の電車に乗らなければならない。
さすがに無理だなあと諦めました。」
えとなさんが大好きだった小川町と霜里農場。
想いを巡らせながらも都心で暮らしていた折戸さんに、
2020年、新たな転機が訪れます。
「コロナ禍で、時差通勤が可能になったんです。しかも、接待も激減していて。
ふと、小川町へいけるんじゃないかと思う瞬間がありました」
農業の道を諦め、サラリーマンに戻ってからも営業として
働き続けてきた折戸さん。今後の人生設計を考えたとき、
都心はお金もかかるし、仕事のキャリアを延ばしていくのも大変なこと。
それよりも、生活費のコストダウンをすることが大事ではないかと思い立ちました。
「迷いなく小川町への引越しを決めました。
自分が心地よく生きていくためには、いくらお金が必要なのか。
それさえ把握できれば、あとはその中でやっていけばいい。
嫌な仕事にしがみつくこともないと思います」
こうして2020年の夏、折戸さんは再び小川町へ舞い戻りました。
「勤務スタイルが変わったことが、何より決め手でしたね。
それまでと変わらない生活だったら、やっぱり小川町には
引っ越していなかったと思います。
あと小川町は終点駅なので、座っていられるのは大きいですよ。
実際住んでみたら、思ったよりも遠く感じませんでした。」
小川町で始まった、ほっとできる新たな暮らし
小川町へ引越してからは、週2日程度は自宅でテレワーク。
他の日は都心にある会社まで1時間40分ほどかけて通勤しているそう。
「通勤時間は、読書の時間に当てています。
都心に住んでいた頃は、電車に乗るのもせいぜい20〜30分だったので、
ゆっくり本を読む前に駅に着いてしまうし、
お店もたくさんあるので、ついつい飲み屋に立ち寄ったり(笑)。
小川町に来てからは読書のペースが飛躍的に進みましたね。
自宅から山も眺められて、
緑が見えるのでほっとした時間を過ごせます。」
営業という仕事柄、4月からはコロナ前の勤務体系に戻るようで、
再び毎日出社する日々になりそうだと話しながらも、
折戸さんは迷いもない様子。
「毎日出社になっても、不思議と苦に思わないですね。
去年からTJライナーの通勤補助金ができたので、
申請して使っています。たまたま同じマンションに住んでいる
知人が教えてくれたんですが、本当に快適ですよ。
ただ、普通の電車には乗れなくなってしまいましたけど(笑)。」
コロナ禍がきっかけとなり小川町へ移住した折戸さんは、
また以前のような暮らしに戻っても
小川町へ来たことは後悔していないようだ。
「こんなことなら、妻(えとなさん)が元気なうちに、
引っ越せばよかったとそれだけは後悔しています。
小川町は私たちにとって特別な場所で、人と人、
人と農の関係性の中で生かされていると感じることができます。
今は一人暮らしですが、孤独は全く感じませんよ。」
折戸さんにとって小川町は、たくさんの仲間がいる心の拠り所のような場所。
農業の道からは離れてしまいましたが、だからこそ折戸さんなりの
農との関わり方ができると話してくれました。
「一度は農業に携わったからこそ辛さも分かるし、
農業に対する尊敬が深くなりました。自分は向いてないと思ったけど、
小川町に住んでいたら仲間が新鮮な野菜を届けてくれたり、
いち消費者としての役割も大事だと思えます。
今後は、休日の時間を使って小川町の良さや
有機農業に携わる仲間たちのことをより多くの人に
知ってもらえるような活動にも携わっていきたいですね。」
農業の深いところまで知っている折戸さんだからこそ、
農に携わる人が多くいるこの町で暮らす楽しさを改めて実感しているようでした。
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