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関口直子

掲載日:2022年11月11日

関口直子

プロフィール

布人形作家

1976年生まれ。岩手県出身、埼玉県育ち。
10才の時、NHK婦人百科(現在はすてきにハンドメイド)を参考にして初めて人形を作る。高校時代にプレゼント用の人形を作り始める。
相談支援センターの支援担当者より個展開催を持ちかけられ2019年に個展を開催し好評を得る。以降、ギャラリーでの小展示開催のほか、展覧会への出展、2022年テレビ番組でも紹介される。
好きなことは人形作り、絵を描くこと小説を書くこと。チョコレートに目が無い。

【主な出展歴・活動等】
2019年5月 第一回関口直子人形展 埼玉県入間市内ギャラリー
2020年12月 第11回埼玉県障害者アート企画展 埼玉県立近代美術館
2021年1月 人形小説『紅い月~或る女優の欠落~』を出版
2021年12月 第12回埼玉県障害者アート企画展 埼玉県立近代美術館
2022年1月 南関東・甲信ブロック合同企画展 50体の人形及び手記を展示 埼玉会館
2022年3月 NHK『no art,no life』で紹介される。

「光を見つけて~人形と歩む長き道のり」

1976年生まれ。岩手県山田町に生まれ、埼玉県で育ちます。生後2年で、初めてペンを握り、スプーンの絵を描いたようです。幼少期から絵を描くことが好きで、市内の絵画教室に、小学一年生の時から通い始めます。そこで得た色の混ぜ方や、周りを汚さずに描く方法は、今も自分の中に生きていて、助けになっています。生まれながらに発達障害がありまして、得意なことには、異常とも言える集中力を発揮するけれど、興味の無いことにはまるで力を出せない性質を持っています。
そのため、学校では、浮いた存在だった様に思います。教科科目で得意不得意の差があまりにもありすぎていました。しかし、そんなことには極めて無頓着に、やりたいことに対して全力で突き進む姿勢を一貫して貫いています。無理だから止めるよう促す声や、芽を摘もうとする声、周りと同じであるように矯正しようとする声も数限りなく聞きましたけれど、それに対し一見服従する姿勢を取っても基本的に耳を貸しません。さらにある意味執念深い性格をしているため、自分の好きなことで出来ない事があっても出来るようになるまでは諦めないし、また、納得のいくレベルに達するまでは何年かかってもやる事に決めています。

そんな自分を理解してくれる人間は決して多いとは言えませんでした。笑われたり馬鹿にされることは日常茶飯事で、周りの無理解に、苦しんだり、自分の無力さに失望したり、何故周りと同じように生きられないのかと自分を責める事も少なくは無かったけれど、だからといって表現をすることを止め、生まれながらに持つ自分の長所を殺し、短所を必死で補おうと一生あがいて生きる事を、周りの人間がもし望んでも、それは私にとっては静かなる精神的な自殺のように思えました。よって、私を改造するような、私ではないものになって欲しいという願い事、それは誰かを一時安心させる為の、気まぐれで言っているような発言に思え、それに易々と従うわけには行かないと思いました。私は自分の心を生かす事を最優先にして生きる事を選んだために周りの抵抗に抗うように作り続けました。何かに追われるように作り続けました。

10歳年下の、最重度自閉症と診断された弟の介護は生優しいものではなく、力で抑えることの出来た子供時代はまだ幾らか何とか出来ても、次第に手に負えなくなってゆきました。彼は非常にこだわりが強く、しかも頻繁にパニックを起こし、彼のサポートのため、家族は疲弊しました。素直で可愛い面ももちろんあり、本当に大事な弟ではあるけれど、時折手がつけられないため、一人で彼の面倒を見ることは家族中誰も出来なくて、自分もヤングケアラーとして、状況が深刻になってから最低でも二十年以上は彼をサポートして、自分自身のことは後回しにせざるを得なかったけれど、自分自身がやりたいことをしようと思えば、睡眠時間を削るしか無い。あるいは隙をついて作るしか無い。彼の眠ったあとの時間が自分の制作のための時間でした。しかし、彼の介護を通して、忍耐力を培い、奉仕の心を育み、多少の困難に対しても粘り強く向き合う事を覚えました。それこそが、人形作りにとって一番重要な要素であったと思っています。一見して華やかに見える人形作りではありますが、実際は、極めて地味な作業を何時間でも集中してしないといけない過酷さがあります。しかし、弟はそれに耐えうる力をくれました。そして限りある時間の大切さも教えてくれました。
私は、離れていても常に弟と共に歩んでいるのです。今彼は入所施設にて生活をしていますが、本来の彼が、歩みたかった人生を思いながら、彼の分も、頑張って人形を作り続けて行こう。その様に思います。

人形を作るきっかけについて

人形を作り始めたきっかけは、10歳の時、両親が誕生日プレゼントとして私に贈ったリカちゃん人形を、兄弟が壊してしまったため、私は大変悲しみ、修復を試みましたが、上手くいきませんでした。そのため何とかそれに変わる人形が欲しいと思い、その当時、母が古本で持っていた、NHK、婦人百科という毎月発行される手芸の本に掲載されていた菊池ともゆきという人形作家の作品と作り方の解説を見て、自分も作れるのでは無いかと思い、あり合わせの材料と、手芸店で買い求めた毛糸とフェルト、刺繍糸などの材料を使い、自力で小さな、20センチ前後の大きさのお人形を作り上げたのです。

しかし、その出来はあまりにも残念な仕上がりでした。私が思い描く人形の形では無かったため、本当にがっかりしたのですが、ここで諦める私ではありません。茶色の髪の毛だから、印象がぼやけるなら、次は黒髪にしよう、黒髪には、赤い口紅が似合うだろう。と、あれこれ工夫を始めた私には、もはやリカちゃん人形の事など頭にありませんでした。自分の理想に少しでも近い形のものを、作り出そうと考えたからです。そして、徹夜したり、一日何時間も集中したりして、苦心惨憺して作ったお人形には、私の着られなくなったワンピースを着せて、学校の夏休みの宿題の展示品として持って行ったのです。そうしたら、いつも私に冷たく当たる女の子達が、人形を見るや、一斉に声を上げて、可愛いと叫びました。どうしたら、こんなものが出来るの!どうしたら作れるの!そう叫ぶ彼女たちの目は輝いていました。私にはそれが不思議でした。望めば、リカちゃんやバービーなどの、既製の品物である、どんなお人形でも買って貰える家の子供達が、私の作った、拙い出来の布人形に、心を奪われているのです。その時、私は人形を誰かに見せて、良い評価を得ることを初めて知った様に思います。それまでは、私は将来の夢を発表するよう教師に求められては、夢を、創作に関わる仕事に就きたいだの、何だのと正直に皆の前で話しては、教師にも生徒にも、出来るわけが無いと笑われるような対象だったので、多分これから先好きなことをしても否定されるだろうと、夢に対して悲観的でしたが、人形制作がそんな私を前向きに変えてくれました。

そしてその出来事から、私の得意な自問自答が始まりました。言葉で夢を語っても駄目なんだ。笑われたのにも理由があって、なりたいと言っても行動していないじゃないか。結局口先だけデカいことを言って、内容が伴っていないじゃないか。現実と夢のギャップがありすぎることを自分自身で客観的に見られない、自分自身をわかっていない人間と見なされたから笑われたんじゃないか。だけど、この人形を見た人間の反応ときたら。馬鹿にしていた態度を、丸っきり改めた。あっさり、絶対自分は間違っていないとでも、言いたそうな態度を改めた。これはどういうことなのか。

「わかったぞ。何日も時には徹夜してでも、懸命に何かに打ち込んだその熱量があれば、人は、その熱を受け取る。」
具体的な行動とそこに打ち込んだ時間、熱量が目に見える形となって人々の前に提示された時に、言葉を超えたものとして何より説得力を持つのだと、私は悟りました。

そして、私は人形作りを続ける事にしたのです。納得のいく人形を作るためです。人形の世界はあまりにも奥が深く、私はまだ全ての点において納得のいく人形を作ったことがありません。しかし、毎日、毎日、作る度に新しい発見があり、新しい技術を次々とひらめき、会得しています。今は、着脱可能な編み上げブーツを作る事が出来るようになりました。私の人形作りは、まだまだ、これからです。

作品写真「子供のあいちゃん 大人のあいちゃん」

 

表現する上でここを伝えたい、こだわっているポイント、悩みなど

人形とは、人の形をしているモノなので、人形だから、当たり前のことだけれど人に見えないと意味が無いと思っていて、私の考える人とは、様々な感情や、人格、歪みのようなものを内包しているのが、人であると思っています。私は人形に、小ぎれいな工芸品ですとか、そこにある物として、あって欲しいのでは無く、何かがいると、人に感じ取って貰えるような、そんな存在感を出せる事を理想としています。
布と綿は、その点、実に好適な素材でした。冷たさが無いのです。温かく、柔らかく、優しい素材感です。人間の肌を思わせるような質感をしています。肌布は全て、自分で染めています。あと、体型にもこだわりがありまして、病弱な印象の人形は、儚げに、健康体ではちきれそうな10代の少女人形は、生命感を表したいと思って筋肉や脂肪のつき具合などを、それぞれ人形ごとに変えていて、また、顔も一つとして同じ顔にしないように、気を付けています。人間でみんな同じ顔って、やはり不自然だし、人形においても、違っていることが、私にとっては良いことです。あと、多分いつも作る顔が皆同じ様な顔だと飽きると思います。
人形作りの上で悩んでいることは、時間の配分をどうするかについて悩むことが多いですね。集中しすぎると、周りが見えなくなるし、8時間くらいぶっ通しで作っても平気ですが、後で疲れが出ますので、その辺が悩みどころです。

表現することで変化したこと、してきたこと

最初の内は、自分一人で、伴走者もおらず、孤独な作業でした。腕が伴わない内は、人形を作ることを公言すると、笑われることもあり、また身近な人間関係において批判や非難を受けることもありました。しかし、数年前、相談支援センターに所属している方が、私の人形を見て、非常に高く評価して下さり、私に個展をするよう持ちかけて下さり、また、個展会場の手配までなさって下さり、それが非常に好評でしたので、人形作りに対し、反対意見を多く持つ厳格な父も態度を軟化させ、人形作りに対して理解をしてくれるようになりました。相談支援センターに勤めていらっしゃるその方は、私が良い人生が送れるよう、常に願って下さっています。母も、大変協力を惜しまず、常に的確な助言をしてくれています。家庭内は非常に和やかで平和な物となりました。私が病を患った時も、支えてくれた両親、回復傾向にある今も、応援してくれている事、理解しようと努めてくれている事に感謝したいです。そして、私の人形作りを応援して下さっているNPO法人や、相談支援センターの方々、並びに社会福祉法人昴の皆様、工房集の皆様のご協力があって初めて私の作品が世に出たり、大きな舞台に出させて頂いていること、誠に感謝しても、し足りません。

with相談支援員

 

 

 

 

 

 

応援してくださっている相談支援センターの方と   

with昴&集

 

 

 

 

 

 

社会福祉法人昴と社会福祉法人みぬま福祉会・工房集の方々と

 

回り道ばかりして、目的地にまるでたどり着けない、本来の道から外れた、不毛な山登りをしているような人形作りの果てに、私が見た世界は、多くの人々の笑顔や、祝福の言葉でした。諦めたら、見る事が出来なかった景色です。人と違う事をする事、多くの人が求める幸福の形に、自分を適合させようとしないことは、恐ろしいことでしたが、しかし、自分自身が人と違うものを強く持っているのなら、幸福の形だって自分自身に似合うように形作れば良いのでは無いか、あらかじめ決まった形に、はまれるよう頑張り抜く努力を、する事だけが正解では無いんじゃ無いか。今はその様に思います。もし、苦境に立たされて、あるいは病に泣いている時があったとしても、それは道半ばに自分が立っていると言う事だと、思うようにしようと思っています。諦めなければ、絶景が待っていると信じる力をくれているのは、私を応援してくれている皆様、一人一人の熱意が私に伝わっていることに依ります。その声、善意、感動の声に、私は報いたいと願うようになりました。人形を作る目的は、自分だけを笑顔にする事から、自分の親類を笑顔にすることに変わり、やがて、それは私の作り出す人形と出会う全ての人々を笑顔にすることへと広がってゆきました。私は、それによって人生の豊かさを知りました。

表現するときはどんな気持ちでするのか

自分の出し切れる全力で作るよう心がけています。自分の実力は、まだまだ、本職には遠く及びませんが、それでもできる限りのことはしないと、上達は無いでしょう。とにかく真剣にやる事が大切です。辛いと思ったときは自分自身を励まします。頑張れ、頑張れ、もっと出来るはずだと励まします。今までもやってきたからには、もっとレベルを上げられるはずだと、気合いを入れて頑張ります。そして、それ相応に報われたような人形が出来ると、それはもう嬉しいです。

どんな人に見てもらいたいのか

病気になってしまった、障害を持ってしまったと知った時、私は人生の終わりが自分に来たのだと思い嘆きました。しかし実際には、終わりではありません。始まりです。何故なら、支えて下さる方々との出会いが始まり、自分自身への、気づきの始まりがあり、人生を立ち止まってみるときの始まりがあり、そのような苦しみを抱えながらも懸命に生きている人々との関わりが始まり、生きるとは何か、人生とは何かが初めて解るきっかけを掴む、全ての始まりだからです。

南関東・甲信ブロック合同企画展
2022年1月 南関東・甲信ブロック合同企画展での展示

ですから、私は、今失望して、もう人生が終わってしまうのだ、自分は道から外れてしまった、局外者なのだ、救いは無いと、過去の私のように絶望の淵に立たされている人に、そうではないことを知ってもらいたいと思っています。そういう人に、もがいて生きた人間の、傷跡でもあり、痕跡でもある、私の作った人形を見て貰いたいと思っています。そして何かを感じて欲しい。障害があっても、出来る事は見つかるし、やれる、病気に心まで打ち負かされてはいけない、そのような思いを抱くための一助になれるなら、私も人形を作った意味が、本当に生まれてくれるのでは無いかと思っているのです。あらゆる言語を尽くす励ましより、私の人形には、誰かを勇気付ける力があるのではないか。そう信じて作っています。

むろん、その様な立場に無い人も、見て楽しんで下されば勿論嬉しいです。一時夢の世界をさまようような、そういう思いを感じて貰えたらと思います。そして、どうか、喜んでもらいたい。ある日突然人形作りを始めた少女が始めた物語の行く末を、出来たら見守って頂きたいと思っています。

【南関東・甲信ブロック合同企画展「ドキュメントとしての表現」(主催:南関東・甲信障害者アートサポートセンター、社会福祉法人みぬま福祉会)に寄せた手記を一部見直したものです。】