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中津川浩章

掲載日:2026年2月10日

中津川さんプロフィール写真

プロフィール

美術家/アートディレクター

アーティストとして多くの絵画作品を制作、国内外で個展・ライブペインティングを続ける。並行して、障害のある人や困難を抱える人たちが描き表現することをサポート。人間が表現することの意味と価値を問いかけ、境界を越えて社会とアートをつなぐ道を切り拓いてきた。埼玉県障害者アート企画展(2012~)監修ほか全国各所で展覧会企画に携わる。
表現活動研究所ラスコー代表。NPO法人エイブル・アート・ジャパン理事。一般社団法人Get in touch理事。

「人はなぜ表現するのか」

人はどうして表現しようとするのでしょうか。芸術の始原、発生、美の始まりについて考えていくと、突き当たるのは「欠損」ということ。そこに深く結びついているということです。これは障害者に限ったことではありません。障害の有る無しは関係なく、生きている人間すべてに当てはまります。健常者であっても表現することの内側には「欠損」があるのです。フランスの小説家ジャン・ジュネが彫刻家ジャコメッティについて書いた文章があります。〈美には傷以外の起源はない。単独で各人各様の、かくされた、あるいは目に見える傷、どんな人間もそれを自分の裡に宿し、守っている〉と。まさしく欠損にこそ表現の起源がある、そういうことだと思います。
 

アート企画展写真1
著者監修  埼玉県障害者アート企画展「Coming Art 2025」


一本の線を引くのも容易ではない人間が描く線は、そうではない人がただ描いた線とはあきらかに異なります。不自由さから生まれる線は、不自由だからこそ人間の生のリアリティがあらわれます。一本の線からは、描いた人間の喜びや怒りやとまどいなどさまざまな感情を感じとることができます。“できる”ことと“できない”ことがぶつかり合う、そこにリアルな生の感覚が開くのです。「線」は概念では単なる一本の線にすぎません。けれどもその意味や受ける感情や感覚の拡がり方がまるで違います。概念に回収されてしまうと、美術の本当の魅力は見えなくなってしまいます。美術は直接感覚から入り、意味より前に感覚を揺さぶるものだからです。

工房集のメンバーである齋藤裕一さんは、文字が集積する独特のスタイルで世界的に高い評価を受ける作家です。彼はできることが非常に限られていました。好きな文字を描くということ、それだけに集中し飽くことなく描き続けた。だからこそ現在のような類型のないスタイルが生まれたとも言えます。“できない”ということが反転して価値となったのです。

障害がある人たちの中には言語でのコミュニケーションがむずかしい人もたくさんいます。アートとしての表現は、まさに彼女たちや彼らの「非言語のコミュニケーション」そのものです。言葉にならない思い、喜びや悲しみ、怒り、親しみや慈しむ気持ち。自由な遊び心、反逆精神、願いや祈り、あらゆる思いや感情がたしかに存在しています。言葉はなくても、感じ、考えています。その複雑で強い思いが見る側にも言語を通さず流れ込んでくるのです。

彼らの作品に内在する非言語の表現領域の広さ深さ豊かさを感じるとき、そこには古代から未来まで続く、人類としてのなにか大切な必然性があるのではないかと思わされます。アボリジナルアートや西アフリカの仮面のようなプリミティブアートと障害がある人の作品がとてもよく似ているのはなぜなのか。彼らの作品が高名な抽象絵画とそっくりで驚くこともあります。ときに“問題行動”と呼ばれる行為も、じつはモダンなアートパフォーマンスとやっていることが同じではないかと気づいたり。不思議です。いったいどういうことなのでしょう。「芸術」の概念が生まれる以前の表現の始まり・発生に思いを巡らすと、人間が表現することの意味が別の形で見えてくるのを感じます。
 

アート企画展写真2
著者監修  埼玉県障害者アート企画展「Coming Art 2025」


障害がある作家が、表現することに費やすエネルギーのすごさには驚かされます。制作に向かう時の非常な集中力、緻密さ、細部へのこだわり、色彩感覚、空間構成。生来の障害特性と相まって驚くほどの熱量を注ぎ込みます。「表現」に向かうこのエネルギーはどこから来るのでしょう。不自由さ、弱さ、傷つきやすさ、壊れやすさといったフラジャイルな要素は、表現が生まれてくるためのとても重要なエレメントです。言葉にできない内なる思いが強く大きいほど、表現はより強度を増し豊かになるとも言えます。

「生きること」と「表現すること」が不可分で密接に結びついている作品の数々は、人間にとってアートの根源はどこにあるのか、そして真の豊かさとは何だろうかと問いかけてきます。

「アート」も「福祉」も、特別な人だけのものではありません。人間が人間らしく生きるために、誰にとっても必要不可欠な営みです。二つが重なり合う場所に、見たこともないような桁外れの「表現」が生まれる。現代社会でもっとも生産性、効率性から遠くあるように見える場所に、むしろそこだからこそ、奇跡のような「表現」が存在する。それは不思議でもあり当然のことなのかもしれません。
 

アート企画展写真3
埼玉県障害者アート企画展「Coming Art 2025」
ギャラリートークでの著者