ここから本文です。

三澤一実

掲載日:2021年4月27日

三澤一実氏

プロフィール

武蔵野美術大学教授

東京藝術大学大学院修士課程修了。埼玉県公立中学校教諭、埼玉県立近代美術館主査、文教大学教育学部准教授を経て2008年より武蔵野美術大学教授。埼玉県障害者アートフェスティバル実行委員会発足時(2009年)より当該実行委員会の委員長。

「オンラインでアートを楽しむ意義や価値」

作品の魅力

障害者の表現はなんとも魅力的です。彼らの作品は私たちに技巧で見せようと語ってくるわけではありません。もちろん、作家としては作品をより良く見てもらいたいという気持ちはあるのでしょうが、だからといって、作品からは気取ったり媚びたりしている素振りは感じないのです。描きたいから描いている。つくりたいから作っている。それは彼らの日々の記録であり、人が持つ根源的な表現の喜びのような気がするのです。

中にはちょっとクスッと笑ってしまったり、「凄い」と感嘆したりする作品もありますが、私は力一杯気持ちを画用紙にぶつけてくる作品に惹かれます。まるでむき出しの刃物のような危なさや、一方で、すぐ崩れてしまいそうなはかなさを持ち合わせ、そこには今を精一杯生きている“人の生”の証が記録されていると感じるのです。それらは、私がどうもがいても描けないような気がするのです。そして、「おまえは精一杯生きているかい?」と、私に問いかけてくるのです。そんな彼らの作品に魅せられて、先日、新たに1つの作品を購入しました。

ただ、私も、いつもその様な人生の問いを突きつけられていると疲れてしまいます。その様なときはもう一つの小さな、無骨な、そして滑稽な、それでいて繊細な立体作品を眺めます。その作品は窓際の明るいところに置いてあり、いつもひっそりと「ここにいるよ」と語りかけてきます。

「へんてこな動物シリーズ」, 栗田英二 , みぬま福祉会 工房集

「へんてこな動物シリーズ」, 栗田英二 , みぬま福祉会 工房集

アートの働き

近年、障害者が制作するアート、例えばエイブルアートとか、アールブリュットとも言われますが、それらを目にすることが増えてきました。とは言え、彼らの作品を目にする機会はまだ圧倒的に少ないと言えます。このことは私たちの日常生活と彼らの暮らしとの接点が少ない事を意味します。よって彼らの作品は未だに我々の世界と隔絶された世界に存在していると言っても過言ではないでしょう。

本来であれば障害のある方も社会の多様性に包括され、日常的に接する機会が多くなるはずですが、そうではない現状を考えると、これまで長年の障害者に対する日本の隔離政策の歴史が影を落としているのかも知れません。なので、日本では未だに十分な市民権を得ていないのではないでしょうか。

さて、アートは、異なるものや世界を繋ぐ接着剤(メディウム)の役割を果たします。その異なるものや世界を媒介するのがメディア(媒体)です。例えば、私たちはオランダ生まれの画家ゴッホの絵を見て、そのよさや美しさを作品の魅力として感じ取ることができます。そのゴッホ自身は、国も時代も文化も異なる日本の浮世絵に美を見いだし、その結果、彼の作品は浮世絵に大きな影響をうけています。ゴッホは浮世絵のコレクターであったという話しは皆さんご存じでしょうか。この様に異なる言語や国、時間や文化を越えて、互いのよさを感じ取り共感し合えるのがアートなのです。まさにアート作品はメディアとして私たちと異なる考えや生活の中で生きる人間同士をつないでくれるのです。この様にアートは私たちの心の中に潜む、排他的な意識や差別的な感情をゆるやかに溶かし、人として平等であることを自覚させ、そして分け隔て無くあらゆる人たちと接し、豊かな文化をつくり出していく働きを持っています。そして、障害においても私たちに障害を個人の個性として前向きに捉え直す機会を与えてくれるのです。

アート作品を見ることは、私たちにそれまで気づかなかった新たな視点を与え、ものの捉え方や考え方を更新してくれる機能があります。現代においては企業の経営者や幹部がしきりに美術館を訪れ鑑賞活動を行うようになったという世界的な現象も、まさに、行き先不透明な社会において、それまでに無い新たな視点に気づいたり、心に内在する美を求める気持ちや、美的価値観に基づいた“なまの声”を引き出し、その美意識に基づいて自分にとっても社会にとっても誠実な判断を見いだしたりする効果があると言われています。イノベーションが必要な現代社会、アートの鑑賞はそのような現代のニーズに合致しているのでしょう。

アクセシビリティーからオンライン美術館を考える

さて、アートが異なるものや世界をつなぎ合わせる接着剤という話をしましたが、私たちの生活する世界とは異なる私たちの知らない世界にアクセスできないとその接合も行われません。この異なる世界との接合のしやすさ、すなわちアクセシビリティーはネット環境によって大幅に改善されたと言えるでしょう。障害者が描く作品に関しては、それまで彼らを取り囲むごく狭い範囲の中に留まり知る人ぞ知る状態であったものが、現在ではネット上に掲載されることで、四六時中、全世界の人々が画面を通して見ることができます。特に日本のアールブリュット作品はフランスやアメリカにおいて評価が高く作品流通も盛んです。彼らの作品を障害者が描く作品と狭く捉えるのではなく、自分自身の世界観を変えてくれる作品、ものの見方や考え方を広げ深めてくれる作品として見ています。もちろんその様なたいそうなことではなく、ちょっと身近に置いて生活を潤すインテリアとして購入する人たちも多いです。

このような世界のアート情勢と比較して日本においては、まず以て、彼らの作品を見る機会があまりにも少ないと言わざるをえません。作品へのアクセシビリティーが悪いのです。目にすることが無ければ誰もそこに価値を見いだすことはできません。購入し生活に潤いを見いだすこともできません。作品を鑑賞して元気をもらうこともあり得ません。オンライン美術館は、誰もがインターネットを介して分け隔て無く、物理的な距離感や、精神的な壁を感じることなく、誰もが作品に触れられる入り口としての私たちの世界を広げるゲートとなるのです。

2020年、世界を襲ったコロナウイルスのパンデミックは私たちの生活を一変させました。これを機に全国の学校でGIGAスクール構想が前倒し実施となり、一気にインターネットへのアクセス状況が強化されました。GIGAスクールとはGlobal and Innovation Gateway for Allの略で、全国の学校に高速大容量の通信ネットワークを整備し、「“全世界とイノベーションへの扉をすべての子どもたちへ”を実現する」という意味で、インターネットによって学びを個人に応じて最適化していこうという取り組みです。一見オンライン美術館とは関連なさそうですが、これからの子どもたちはいつでもオンライン美術館にアクセスできるようになり、毎年毎年、障害者アートにふれる人が増えていくということになります。これまではなかなか目にふれる機会のなかった作品たちが、いつでもネットを介して見ることができるという状況になるのです。

バーチャルとリアルの世界

ネットでのオンライン美術館は、障害者アートへのアクセシビリティーを高め、多様な作品に出会うことを可能にしますが、画面越しの画像では実物を目の前にする情報と比較して圧倒的に情報量が少ないことも事実です。

絵画では、絵の具の盛り上がりや、紙の凸凹や質感。立体作品では作品の置き方。たとえば、どこに置くのか、背景との関係、見る角度。そして光の当たり方によって千変万化するのが立体作品の魅力です。これらの見方は、積極的に見る人が作品に働きかけることで可能となる楽しみ方です。私自身もたまに作品を置く位置を変えてみたり、他の作品に交換してみたり、その一つ一つの飾る行為、つまり見る行為がそれまでの見慣れた日常風景を壊し新鮮な感情を引き出してくれるのです。

例えば下の写真の色鉛筆で制作された絵画作品からは、画用紙をへこませるほどの一本一本の線の筆圧と勢いを感じ、どんな気持ちで線を引いたのだろう、どんな様子で描かれていったのだろうと、想像することを私に求めてきます。

「無題」,高野穗,みぬま福祉会 工房集

「無題」,高野穗,みぬま福祉会 工房集

自分にとっての作品は、誰もが「良い」と言うからその作品に価値があるというのではなく、自分が魅力と思わなければそこに意味や価値は生まれません。その様な“自分として判断できること”が作品鑑賞では重要であり、見ることを楽しむことにつながります。一人一人大切にするものや考えが違うように、作品も人の数だけ存在します。それらを自分の判断で選ぶことは自分の生き方を見つめ直すことにもつながると思うのです。同じような作品ばかりではなく、ちょと変わった、そして自分にぴったりの作品を見つけてみませんか?世の中に存在する作品が多様であればあるほど、人の個性やその多様性も保障され、人と違うことの意味や価値が認められ、社会全体が異なることに対して寛容な社会、ひいては平和な社会に成熟していくと思うのです。

オンライン美術館で気に入った作品が見つかったら、その作家の作品を購入することをおすすめします。比較的入手しやすい価格だと私は思います。そしてこれらの購入代金は作者の手元に届き彼らの自立支援につながっていくのです。

彼らの作品の線一本一本、一筆一筆を目で追ってみませんか。そこには生きている証としての息づかいや想いが見えてくるのです。

武蔵野美術大学教授 三澤一実