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前山裕司

掲載日:2021年9月21日

前山裕司

プロフィール

新潟市美術館館長

埼玉県立近代美術館に2018年3月まで勤務し、2018年4月から現職。令和2年度文化庁長官表彰受賞。
障害者アートの関連では文化庁委託事業として「すごいぞ、これは!」(2015-16)、国立新美術館で開催した文化庁主催の「ここから」(2016から2019)を企画・監修。障文祭新潟大会では「つくるいきるはじける」(2019)を企画。共著として『障がいのある人の創作活動』(あいり出版)がある。
埼玉県障害者アートフェスティバル実行委員会発足時(2009年)より、当該実行委員会の委員。

「障害者アートを取り巻く現状そして未来」

日本の障害者アートをめぐる状況は、近年大きく変わりつつある、と感じています。私の知っているのはわずかな範囲ですが、私の体験してきた過去から現在、若干の未来ということで書いてみたいと思います。

まずは昔々、障害者アートに出会った頃の思い出話をさせてください。埼玉県立近代美術館の学芸員だった1997年、長年の夢が叶い、ミュージアム・ショップ設立の予算が通りました。店舗の運営方針を協議し、黒川紀章事務所と設計の細部を詰めたり、何も知らなかった仕入れの勉強をしたりと慌ただしく時間が過ぎ、8月6日に開店するとそのまま実質的な店長となりました。
その頃、ちょうど障害者アートの世界では作品の商品化が進んだ時期であったと思います。何年かして、平塚の「工房絵」、現在のスタジオ・クーカから商品の売り込みがあったのです。川村紀子さんのうちわや、作品といっていいような一点一点色を塗ったノートなどをよく覚えています。これが私の障害者アートとのファースト・コンタクトであったと記憶しています。
美術史的な関心があったわけでもないので、その後研究書や論文も読まず、様々な出会いとともにどんどん深入りしていった、そんな感じです。理論や枠組みで「障害者アートとは?」という入り方をしなかったのは私には良かったと思っています。もちろん、研究を否定するわけではありませんが、「面白い」が基本に始まったことは大事にしたいと思っています。工房集との出会いもグッズからだったと思います。その後、2009年から埼玉県障害者アートフェスティバル実行委員会に加わり、実行委員会との関わりは現在まで続いています。

続いて私が10年ほど関わってきたいくつかの展覧会を中心に、近い過去の話を書こうと思います。
2011年、埼玉県で全国障害者芸術・文化祭(以下、障文祭)を開催することになりました。そこで、障文祭にあわせて、美術館で「アール・ブリュット・ジャポネ」展を開催しようと目論みました。これは、パリ市立アル・サン・ピエール美術館で開催された展覧会の里帰り展として、公立美術館が集まった美術館連絡協議会の巡回館を募るリストにあったものです。目的は二つありました。障文祭の予算を使うことで、厳しくなっていた美術館の展覧会予算を助けたいという思いがあったのも確かですが、障害者アートの全国的な見取り図を知るには良い機会だと思ったためでもあります。
東日本大震災の直後の4月にオープンしたため、障文祭の開会式の中止や計画停電による休館など大きな影響を受けましたが、国内でのスタートを切り、その後多くの美術館がこの展覧会の巡回を行うことになりました。その結果、「アール・ブリュット」という言葉が日本に広まったきっかけとされ、この言葉を使うことに反対する人たちから責められたこともあります。それはさておき、この展覧会が多くの美術館で開催されたことによって、障害者アートを美術館で展示することのハードルが低くなったように感じています。もちろん、それ以前にも、意欲的な美術館で重要な展覧会が開かれていましたが、ここではそれらについての説明は割愛します。

2015-16年に、文化庁委託事業の「すごいぞ、これは!」という展覧会を、埼玉ほか3館で開催しました。これは北海道から九州まで学芸員や大学の研究者など12人が、調査を基に1人を推薦する、12人の作家による展覧会でした。この目的は、障害のある作家それぞれの世界を、ある程度まとまった点数で見せる、という通常の現代美術展と同じ仕組みで障害者アートを扱うことでした。いわば「美術の視点」ということです。それに対して「福祉の視点」と見えたのが、全国公募の展覧会などで多数の人が出品し、1人の作品が1点というような展覧会でした。そこにあるのは、できるだけ多くの人を紹介するという公平性の原則です。美術の世界では、優れていると思われる作家を選択して紹介する、という「選ぶ」という行為が基本となります。そこでは公平性は優先されません。
つまり「すごいぞ、これは!」でやろうとしたのは、障害者アートという集合体で見せるのではなく、現代美術と同じように個人の作家として名前を出すこと、それに加えて選んだ人の名前を併せて示すことでした。それは、あの人がこの人を選んだ、という「美術の」構図をはっきりと示す必要があったためです。

「すごいぞ、これは!」「すごいぞ、これは!」(2015 埼玉県立近代美術館) 杉浦篤(太陽の里)の展示

 

2016年10月、リオ・デ・ジャネイロから東京に、オリンピック・パラリンピックのバトンが渡されました。そのキックオフ・イベントの一環として、文化庁主催の「ここから」という3日間の展示を国立新美術館で行うことになりました。
この文章を書いているのは2021年8月。誰も想像すらできなかった状況で、1年延期された2020東京パラリンピックが開催されています。2016年の「ここから」展の趣旨説明では、オリンピック憲章の「オリンピズムの根本原則」を引用しています。「オリンピズムはスポーツを文化、教育と融合させ、生き方の創造を探求するものである」。これはアスリートだけでなく、すべての人に向けられた原則です。この根本原則にある「生き方の創造」に向けて、多くの人が新たな意識で生きるための一歩を踏み出すことを目標に、この展覧会を「ここから」と名付けました。障害を考えるスタート地点という意味で、4年後の2020年に向けて一歩を踏み出そうということでした。

「ここから」
「ここから」(2016 国立新美術館)正面は西岡弘治(アトリエ・コーナス)

 

この会場が2000㎡、天井高8mもあって、どうしようか途方に暮れるなか、3つのパートに分けることにしました。①障害者アートのパート「ここからはじまるART」、②義足やスポーツ車椅子などの障害に関するデザインのパート「ここからつながるDESIGN」、③企業やデザイナーと障害者アートがコラボレーションしたデザイン商品を紹介する「ここからひろがるLIFE」。
アートのパートでは、工房集の齋藤佑一さん、埼玉県在住のなお丸さんをはじめ、熊本、大阪、滋賀などの12人を、約500㎡で展示しました。現代美術と比べると小型の作品が多い障害者アートでは、使いづらい天井高でしたが、天井を張る予算もありませんでしたので、3m程度と想定してその上5mは無視しました。
関係者の誰も「ここから」展が続くとは想定していませんでしたが、2019年まで4回も継続することになります。細かく説明しても仕方ないのですが、少しだけ。毎回、障害の他にサブテーマを設定していました。「ここから2」では障害+身体感覚。杉浦茂の変身するマンガの原画など、身体感覚を揺さぶられるような作品を展示しました。「ここから3」では障害+年齢。70歳を過ぎて絵を描き始めた丸木スマさんの特別展示など、年齢なんて関係ないというメッセージです。最終回の「ここから4」では「共生」という視点を全面に出し、それまでパートを分けて展示していた漫画や映像、現代美術などを、障害者アートと混在させる展示を試みます。パート分けしない代わりに、「いきる-共に」、「ふれる-世界と」などのキーワードをゆるく設定し、そのキーワードに関連する作品を近い場所に展示しました。

「ここから4」
「ここから4」(2020 国立新美術館)三角の台上にMATHRAXの作品
キーワードのバナーがある

現状では、障害者アートに関係する展覧会は数多く開かれています。画廊から美術館、そのほかのスペースなど、目にする機会は確実に増えています。プレーヤーというか、そうした展示に関わる人も増えているといっていいでしょう。
一方で、気になるのは地域差です。全国で展示が増えていても、地方の施設の職員は見る機会が少なく、施設間のネットワークもこれからという状況で、情報が少ないと言わざるを得ないでしょう。
行政の担当者、とくに文化関係の部署では、障害者アートで何が起こっているか、ということを学んでいないことがあります。これだけ全国で展覧会が開催され、毎年障文祭も開かれているのに、どうも行政区域内のことしか目に入らないように感じられます。国民文化祭と障文祭は、近年一体的な開催の方向で進んできましたが、今年の和歌山では「紀の国わかやま文化祭2021」と名称も一本化されます。こうなると、文化祭は文化担当、障文祭は福祉担当という縦割りでは進められないはずです。
現状への理解が足りないためでしょう。行政の担当者が障害のある作者の個人情報を過度に心配し、作家名のキャプションや図録への掲載をためらい、図録・報告書の配布を取りやめたという事例もあります。共生社会、ソーシャル・インクルージョン(社会包摂)という観点からすれば明らかに逆行しているといえるのではないでしょうか。

この4・5年を振り返ったとき、障害をめぐる変化として書いておかなければいけないのは、情報保障への意識です。経費のこともありますし、完璧に準備するのは難しいのですが、音声を文字に起こすUDトークや読み上げアプリのUni-voiceなどソフトやアプリの普及に伴って、可能な範囲で導入しようという意識が広がってきたように思います。残念ながら、多くの美術館ではそこまで導入は進んでいませんが、必要だという意識は芽生えてきているはずです。

最後に、美術の文脈から見たとき、これからどういう未来が開けているのでしょうか。障害者アート展、という形式の展覧会は、これからも全国で開かれていくでしょう。もちろん、そうした展示にも大事な意味があります。とくに地方や地域の状況調査を基礎とした展示は継続的に行われる必要があるでしょう。それに対して、これからますます増えていくのは、障害がある人とない人が明示されないまま展示されるような展覧会だと思います。「ポコラート」という展覧会が、そのような公募展を行ってきて10年を迎えたそうです。でも、これから増えてくるのは公募展ではなく、美術館の現代美術や、ときには古美術などと一体となった展示で、違和感なく障害のある作家の作品が組み込まれている、そんな近未来の予感がしています。