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更新日:2021年6月11日

埼玉県 パラリンピック聖火ランナー 紹介

東京2020埼玉県聖火リレー実行委員会が選出し、公益財団法人東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会が決定したパラリンピック聖火ランナーを紹介します。

 武石暖大(たけいしひなた)さん

01_武石暖大

僕は気管切開児であり、両眼右下4分の1視野欠損などの障がいを持っています。小学校3年生の時に脳内出血、脳梗塞を起こし、後遺症が残ったからです。さらに中学校2年生の時に斜視の手術後、呼吸不全を起こし、生きるために気管切開をしました。

僕は小さい時から走ることが好きでした。病気になってからの7年間、色々なことがあり、諦めなければいけないこともたくさんありました。唯一自分が頑張れる運動である「走ること」は、僕にとって特別なことです。速く走ることはできません。しかし、自分のスピードで走ることはできます。

たくさんの人たちに助けられて僕は生きています。僕の走る姿で誰かに元気をあげられたらと思っています。そして、僕の命を救ってくれた先生、看護師さん、僕が学校に通うことを理解し助けてくれた先生、仲間たちへの感謝の気持ちとこれからも頑張るという思いを胸に走りたいです。

 加藤未来(かとうみく)さん

02_加藤未来

私は、28週の切迫早産のため1,188gで生まれ、麻痺による肢体不自由で下肢装具を履いて生活をしています。現在は中学校で、書道同好会に所属し、部活動に励んでいます。

共生社会の理解が低い中、小学校では、校長先生と教務の先生が理解者となり、私を精神的に支えてくれました。

また、私は生まれてから現在まで両親の愛情に支えられて生活をしています。足が不自由な私ですが、これからは自分の足で自分の道を開き、将来はみんなが安心安全に暮らせる社会の実現のため活躍したいと考えています。

聖火ランナーを完走し、障がいのある自分でも気持ちさえあれば実現できるという姿を見せたい、自分のことを理解して支えてくれた人たちに自分の成長を見せたいです。自立に向けて自信をつけたいです。

 杉浦典子(すぎうらのりこ)さん/寿々乃舞さん

033杉浦

車椅子生活19年、色々な体験を経て今の日本に足りない心は人間愛と思いやりの心であると思いました。初めは、お年寄りの孤独死や障がい者への差別等を無くしたいと考え、老人ホームへの慰問やイベント等で活動をしてきました。しかし、東日本大震災で、ふるさとである東北の友人や親戚を亡くしたこと、福島県にある実家が被災したことをきっかけに、全国の被災地で活動したいという気持ちが強くなりました。

老人ホームへの慰問は勿論、全国のチャリティー等へ参加し、歌やお話で被災地への思いを届けています。2020年3月には、美里町の観光大使にも就任し、町の活性化と発展に貢献できるよう、元気と笑顔を届けるPR活動に励んでいます。

将来的に福祉の矛盾点を改善し、子供から障がい者、お年寄りまで安心安全な暮らしが出来るように願って活動を頑張ります。そんな思いを込めて、聖火リレーに参加したいです。

 外間三和(ほかまみわ)さん

04_外間三和

走ることで、多くの人に勇気と元気を与えられたら、という思いで聖火ランナーに応募しました。

私は、障がい者が共同生活を行うグループホームを運営しています。とても小さく家庭的なホームです。一人暮らしを目標に頑張っている方や、ホームで暮らすうちに仲間から励まされ一般就職することができた方など、それぞれの目標に向かって前向きに暮らすパワフルな方々に、日々元気をもらっています。

ホームは女性の自立にも力を入れており、運営者や職員、利用者は皆女性です。そんな彼女達に、私も頑張っている姿を見せられたら、彼女達からもらっている元気への恩返しができるのではないかと思っています。

また、ホームに暮らしていない障がい者の方や、地元産の農産物などをご提供してくださる農家の方、障がいに理解を示し応援してくださる近所の方など、多くの皆さんに勇気と元気を与えられるよう、地元埼玉で精一杯走りたいです。

 加藤優水奈(かとうゆみな)さん

05_加藤優水奈

私は生後10か月の時、病気の後遺症により下肢障がいとなり、現在も車椅子を使用しながら生活しています。小学校のときはなぜ自分だけ歩けないの、なぜ他の子と同じことができないの、といつも思っており、積極的に友達の輪に入れない子でした。
そして中学校入学時、車椅子のため部活動の入部に迷っていると、校長先生から「何部でもいいよ。積極的にチャレンジしなさい。」と思わぬ言葉をいただきました。すごく嬉しかったです。

以来、私は陸上やカヌー、スキーなど何でも積極的にチャレンジするようになり、友達もたくさんできるようになりました。高校は、特別支援学校に進学し、立候補して生徒会長も務めました。

パラリンピック聖火リレーは母校のある川島町を通るので、今度は私が後輩達へ「何でも積極的にチャレンジ!」の姿勢を伝えたいです。

 平田舞乃(ひらたまいの)さん

06_平田舞乃

私は小学4年生に難病になり、今は車椅子生活をしています。小学5年、6年生のとき、埼玉県立総合リハビリテーションセンターで行われた障がい者向けのファッションショーでモデルを務め、埼玉県知事から温かい拍手をいただきました。

現在は久喜市の市民吹奏楽団でクラリネットを吹き、定期演奏会などに参加しています。通っている特別支援学校では昨年度、高等部の生徒会長を務めました。

聖火リレーに参加することで、車椅子ユーザーの人たちが活動できる場をさらに広げ、交流の場を持つことができるよう、サポートをしたいです。

 多賀名雅仁(たがなまさひと)さん

07_多賀名雅仁

僕は知的障がい者と言われています。小さい頃は話すこともできず、暴れて大変だったようです。

小学校から高校まで、特別支援学校に通いました。中学校では、他の子と同じ動きが出来ないため、参加したい気持ちはあったものの、部活動には入りませんでした。高校に入ってからは、部活動に入り、サッカーとバスケをやりました。うまく動くことは出来ませんでしたが楽しかったです。

今は社会人として働いています。高校卒業後、運動する機会はありませんでしたが、数年前から、知的発達障がいのある人がスポーツをしているスペシャルオリンピックス埼玉の陸上部に参加しはじめました。徐々に3キロ、10キロのマラソン大会に出場できるようになりました。

身体障がい者がパラリンピックで活躍しているのを見て、勇気をもらい、自分ももっと頑張ろうと思いました。聖火リレーを通じて、彼らを応援したいです。

 木野実(きのみのる)さん

08_木野実

長年ハンドボール競技に携わり、1972年ミュンヘン、1976年モントリオールとオリンピックに2度出場しました。その後、指導者そして、約15年前から障がい者スポーツ(車椅子ハンドボール)の顧問、会長として普及に力を注いできました。

現在は、(一社)日本車椅子ハンドボール連盟のスーパーバイザー、埼玉県障がい者スポーツ指導員として、 障がい者スポーツの理念である「活力ある共生社会の創造」に向けてスポーツの価値は全ての人に共通することを念頭に、普及振興を図っています。障がいの有無や性別、年齢を問わず誰でも気軽に体験できる環境づくりを推進しています。

私の活動拠点である久喜市近辺の幸手市、蓮田市、白岡市にパラリンピック聖火リレーが通るので、聖火ランナーとしてパラリンピックを盛り上げていきたいです。

 大迫和子(おおさこかずこ)さん

09_大迫和子

私は82歳の視覚障がい者です。30歳過ぎくらいから徐々に視力が衰え、ベーチェット病と診断され、40歳過ぎに完全失明しました。しかし、その後、周りの方々からの協力や自身の努力により、家事はすべて一人でこなし、白杖を使いリュックを背負って買い物にも行けるようになりました。

8年前に夫と死別し、現在は一人暮らしをしています。趣味の一つとして週に1回程度、サウンドテーブルテニスを行っています。

また、久喜市近隣の小中学校からの依頼で、視覚障がい者である私の経験をお話させていただく機会を与えていただいています。

私がパラリンピックの聖火ランナーとして走ることで、同じ障がいをもつ方々や同世代の方々に少しでも勇気を与えたいです。
*サウンドテーブルテニス https://www.nhk.or.jp/heart-net/parasports/sound-table-tennis/

 奥谷智弘(おくやともひろ)さん

10_奥谷智弘

私は障がい者施設で医療職として働いています。私自身も持病を抱えながら過ごしていますが、マラソンをすることや、スポーツ観戦が大好きです。周囲に障がいを抱えている者もおり、障がいと接する機会も多く、パラリンピックと縁があると思っています。

数年前に病気が発覚した時は落ち込みましたが、病気があってもやれば出来る!フルマラソンも完走出来る!夢だった聖火リレーが出来る!と前向きに頑張っています。

それを支えて後押ししてくれている妻と2人の息子に、聖火リレーで輝いている自分の姿を見せたいです。職場の入所者にもトーチを見て触れて欲しいです。20年前の8月12日に亡くなった父親の遺品を持ち、天に届くようにトーチを掲げたいです。また、コロナの影響で楽しみだったオリンピック観戦に来れなくなったハワイ在住の妹夫婦にも、気分を感じて欲しいです。「いつでも力になるから」と勇気をくれた友人達にも元気な姿を見せたいです。共に喜び、苦難を乗り越えたい!頑張れば夢は叶う!というメッセージを未来や次世代へ伝えていきたいです。

 山野井智子(やまのいともこ)さん

11_山野井智子

「私の夢はオリンピック」そんな書き出しで埼玉県埼葛地区文集に私の作文が掲載されたのは中学3年生の時でした。当時、体操競技部に所属し、個人総合優勝で埼玉県代表として全国大会に出場しました。

その後も体操競技の強豪校へ進学して、インターハイや国体に出場しました。大学卒業後は指導者としての道を目指し体育教師となって40年、オリンピック出場の夢はかないませんでしたが、定年退職の年に聖火ランナー募集を知り、46年前の「私の夢はオリンピック」を別の形で実現したいと思い応募しました。

残念ながらマッチング不成立となりましたが、東京2020大会のボランテイアにも応募し、サービス介助士2級と秘書検定2級の資格を取得しました。この資格も武器に、障がいを持っている方と共に、さわやかに駆け抜けたいと思っています!

 佐野貴仁(さのたかひと)さん

12_佐野貴仁

私は昨年まで2年間、埼玉県特別支援学校長会の会長をしていました。今年の3月に定年を迎え、37年間の特別支援学校一筋の教員人生を一旦終えました。今年からは、全県の特別支援学校を訪問し相談対応をするなど、また特別支援学校を応援する拠点校参与という新しい職をしています。

今回のパラリンピック聖火リレーに、私がランナーとして走ることによって、埼玉の特別支援学校に通う児童生徒たちの元気につながるのでないかと思いました。

私は、小学校から大学まで埼玉県で学び、知的障がい・視覚障がいのある児童生徒が通う埼玉県の特別支援学校に勤めてきました。障がいのある子どもたちも、一人一人が夢を持ち、その夢を実現してほしいと願っています。

ずっとスポーツをしてきた私にとって、オリンピックは夢の世界ですが、聖火ランナーとして走ることで、夢に向かってがんばろうというメッセージを障がいのある子どもたちに伝えたいです。

 安斎義則(あんざいよしのり)さん

13_安斎義則

福祉職に就いてから、障がい者スポーツ(パラスポーツ)に興味を持ち、2005年に障がい者中級スポーツ指導員を取得しました。その後、埼玉県で行われた障がい者スポーツイベントのボランティアに参加したり、自身もブラインドサッカー、CPサッカー、アンプティーサッカー、電動車椅子サッカーなどの体験や観戦をするようになりました。

また、埼玉県で活動するブラインドサッカーチーム「埼玉T.Wings」の練習に定期的に参加して、パラスポーツを応援するようになりました。その活動が様々な方の耳に入り、2020年1月に世田谷区で発足するロービジョンフットサルチーム(弱視)の監督に就任致しました。

選手として東京2020パラリンピックに参加することはできませんが、聖火ランナーとして走り、大会を盛り上げることで、今まで以上にパラスポーツを多くの方々に発信し、認知してもらいたいです。
*CPサッカー:脳性まひ者7人制サッカー
*アンプティーサッカー:主に上肢、下肢の切断障害を持った選手がプレーするサッカー

 佐々木ゆみ(ささきゆみ)さん

14_佐々木ゆみ

私は、障がいのある人のスポーツを支援する仕事を20年以上続けています。 私の父も障がい者スポーツを支援する仕事をしていたので、私は小学生の頃からパラリンピックに携わることが夢で、この仕事に就きました。

東京2020オリンピック・パラリンピックが決定した後、5年間ほどパラリンピックに向けて、選手の発掘から育成、強化に集中的に携わってきました。その仕事を通じて出会った選手たちが、東京2020パラリンピックに内定されました。その中で、射撃競技の代表に内定された選手もいます。その選手がキャリアをスタートしたときから今回の内定に至るまでの過程や、関係スタッフの方々の熱いサポートをずっと近くで見てきました。 https://youtu.be/5DQyF2i9Bp8

今回、聖火ランナーとして走ることで、選手はもちろんのこと、選手を支えているコーチ、トレーナー、メカニック等の方々や競技団体、ご家族等も含めた全ての関係スタッフに敬意を込めて応援させていただき、私の娘たちには私自身の夢が叶うところを見てもらえたら大変嬉しく思います。

 相川悟(あいかわさとる)さん

15_相川悟

私は埼玉県で育ち、中学校から高校までハンドボールに熱中しました。20代でフルマラソン完走、その後乗馬を始めて趣味が仕事となりました。

馬術競技では全日本エンデュランス選手権120キロで優勝。現在、東松山市内で乗馬クラブを経営しています。そしてスペシャルオリンピックス(SO)日本・埼玉の馬術ヘッドコーチとして定例練習会を毎月1回開催しています。

スペシャルオリンピックスとは知的障がい者のスポーツを通じた社会参加を応援する国際的なスポーツ団体のことを指します。

SOの定例練習会では参加者を馬に乗せ、両サイドではボランティアコーチがサポートをする野外騎乗を行っています。参加者の健康を推進するだけでなく、家族や友人、地域の人達と笑顔で生活できるよう共に活動しています。

みんなの気持ちをのせて、走り抜きたいと思います。

 後藤丈瑠(ごとうたける)さん

16_後藤丈瑠

僕には双子の弟がいます。弟はウィリアムズ症候群です。心臓の病気で、心臓の弁置換手術をしました。運動は苦手だけど、音楽は大好きです。

僕は広汎性発達障害です。水泳とマラソンが好きです。大会に出る時にはいつも弟が応援に来てくれます。二卵性なので顔も性格も全く違いますが2人にしかわからない深い絆があります。

弟はこれからまだ乗り越えなければいけないことがたくさんあります。弟のために僕が出来ることはなんだろうと考え、イベントが大好きな弟のために聖火ランナーに応募しようと思いました。

聖火ランナーとして走って、弟を喜ばせたいです。

 伊藤亮子(いとうりょうこ)さん

17_伊藤亮子

デンマークで一般体操を学んだのち、ドイツで理学療法士の資格を取得した私は、5年間、ドイツの身体障がい児の養護学校でリハビリテーションを行う傍ら、車椅子バスケットボールやプール活動にも取り組みました。

帰国後は経験を活かし、ご本人の力を引き出す環境づくりとして、日々を過ごす姿勢をサポートする技術、考え方をご家族や医療、福祉専門職の方々に伝えるための活動をしています。

また、東洋大学赤羽台キャンパスで、将来、ユニバーサルデザインや福祉用具をデザインするであろう学生たちに障がいを学ぶ授業を行っています。授業では、発達の過程やさまざまな障がいの医療的な特徴、社会的障壁を含む活動や参加における困難さとその状況に関連したさまざまな工夫や取組みなどについて教えています。

ヨーロッパで学んだ専門技術と人との交流が私自身を育ててくれたことに感謝しつつ、帰国後の約20年間の活動を次の世代に受け継いでいく決意も込め、地元である埼玉県で熱意と光をつなぐ一翼を担いたいです。

 村上政隆(むらかみまさたか)さん

18_村上政隆

東京2020パラリンピックがやってくる。全盲の視覚障がいの私に協力できることはないかな。そんな思いでいたところに、聖火ランナーの募集の話が舞い降りてきました。

私は、65歳で定年退職するまで30年以上、高校の教員を勤めていました。以前は視覚障がい者ではなく、運動部の顧問などを長らくやっておりました。しかし、定年退職をして数日後に突然、失明しました。原因は眼の血管に血栓が詰まる、網膜中央動脈梗塞と診断されました。

失明した当初は、文字通り先行きが見えない状態で、何ができるか、どこかにこの出口はあるのか、手探りの状態でした。その中で出会った方々から様々な支援をいただき、何とか出口が見えてきたようです。

突然の失明により暗闇の中をさまよっていた私に温かな声をかけてくださった多くの皆様への、感謝の気持ちをもって走りたいと思います。 

「動けば変わる。動かなければ変わらない。」チャレンジあるのみです。

 後藤直美(ごとうなおみ)さん

19_後藤直美

地元北海道から縁もゆかりもない埼玉県白岡市に引っ越してきて12年。はじめは北海道に帰りたくて帰りたくて仕方なかったです。でも、すぐに感じた埼玉県、白岡市の方々の人の温かさに触れ(外から来る人に対してのウエルカム感、歓迎ムードにビックリしました!)、今では大好きな第二の故郷です!

ホームシックが酷かった私に笑顔を取り戻してくれた温かい白岡市の方達に感謝の気持ちを込めて、笑顔で走りたいです!

また赤ちゃんの頃に難病を患い克服した息子と、闘病中支えてくれたたくさんの方々への感謝の思いを胸に1歩1歩前に進みたいと思います。

聖火ランナーを務める8月19日は息子の闘病中精神的に1番支えてくれた母の命日でもあります。たくさんのありがとうを届けられるように想いをもって走ります。よろしくお願いします!

 榎田咲来(えのきださくら)さん

20_榎田咲来

私はアルビノです。体の中に色素がありません。肌の色はもちろん白く、髪の毛だって白です。小さい頃は周りの目が気になり、どちらかというと内気な性格でした。

そんな私が中学校で出会ったのが陸上です。もともと走ることは得意ではありませんでしたが、私と同じように、ハンデを抱えながらも頑張っている盲学校の仲間達と一緒に練習をしていくうちに、いつしか国体に出たいという、昔の私では想像もできなかった目標までできました。そして、全国障害者スポーツ大会へ出場することができました。

人前で話したり表現することは苦手ですが、私が走ることで、少しでも誰かに勇気や希望を与えたいです。そして、この貴重な体験によって、私自身もさらに成長していきたいです。

 中村元星(なかむらげんせい)さん

21_中村元星

僕は小学5年生の時に交通事故に遭いました。最初は、ご飯を自分で食べることも、歩くことも、話すこともできませんでした。頭を強く打ってしまったので、高次脳機能障害と、右手と右足に麻痺が残ってしまいました。

前はできたことができなくなり、悔しい思いをすること、イライラすることもたくさんあります。簡単なことなのに、人に助けてもらわないとできないこともあります。しかし、事故に遭ったことでたくさんの人と出会うことができました。また、僕より大変な障がいを持つ人たちのことを知ることができました。そして、たくさんの人に応援してもらい、助けてもらい、たくさんの友達もできました。

たくさん心配をかけましたが、パラリンピックの聖火ランナーとして走り、元気になった僕の姿をみんなに見てもらい、応援してくれたみんなに僕のありがとうという気持ちを伝えたいです。

 賀川友吉(かがわともきち)さん

22_賀川友吉

私は、養護盲老人ホームに入所している83歳の全盲の障がい者です。

かつては、東京マラソンをはじめ全国各地のマラソン大会や、ホノルル・ニューヨーク・バンクーバーなど海外の大会にも出場しました。最近は健康維持のため、廊下を利用して走る練習や筋力トレーニングをしています。

聖火ランナーとして走ることで、視覚障がい者の方々に希望や勇気を与え、思い出にしたいです。

 奥山貴浩(おくやまたかひろ)さん

23_奥山貴弘

私は2013年10月仕事中に1.5tの重量物の下敷きになり、脊髄損傷し、両下肢機能全廃となりました。突然のことで、この先どうやって生きていけば良いのか思い悩みました。

そんな中、入院して2ヶ月後に産まれてきた子どもの顔や毎日お見舞いに来てくれた家族や友人たちに励まされ、このままではいけない、生きていただけでも奇跡、足の代わりになる車椅子さえあれば何とかなると思えるようになりました。

パラスポーツに興味を持ち、3年前にはフライングディスク競技で埼玉県代表として全国大会に出場しました。現在は車椅子バドミントンで身体を動かしており、試合で勝てるよう頑張っています。

聖火ランナーとして走り、心配をかけた家族や友人たち、そしてみんなに元気な姿を見せて、全力でパラリンピックをアピールし、パラリンピックに興味を持ってもらいたいです。

*フライングディスク https://www.jfda.or.jp/introduction/flyingdisc/

 竹内直記(たけうちなおき)さん

24_竹内直記

私は、幼い頃に障がいをおいました。そして今、私は日本人唯一のパラスケルトン選手として活動をしています。また、同系種目であるパラボブスレーがパラリンピックへ採用される動きもあり、パラボブスレーへの転向を決意し同種目で、パラリンピックに出場したいという目標ができました。

今回、パラリンピック聖火ランナーとして地元埼玉を走れることは、私にとって大きな意味があると思います。

私を応援してくれた方々や、励ましてくれた方々の存在は大きく、彼らのお陰でパラアスリートとして活動ができています。そうした方々への感謝と恩返しの気持ちを込めて、パラリンピックの聖火ランナーとして走りたいです。

 野村史和(のむらふみかず)さん

25_野村史和

小学校で教員をしていましたが、脳出血で倒れ、歩けなくなり、喋れなくなりました。

生徒達は泣きながらもみんなで考えて、励ましの言葉が入った千羽鶴やお手紙、ビデオメッセージをくれました。「ふみ先生、早く戻ってきてください!」とのたくさんの言葉に、なんとしても応えたい。しかし、歩けなく喋れなくなってしまった今、応えることが難しい状況ではあります。

倒れて以来、まだ子供たちには、会えていません。小学校のみんなにも歩く姿を通して生命の素晴らしさや諦めない心、希望を伝えたい。そして、小学校の職員やお世話になった医療関係者の方々、支えてくださったすべてのみなさんに感謝の気持ちを伝えたいです。

今は歩けませんが、これからもリハビリを頑張って、一歩でも歩けるようになります!

現在も歩行はできない状態ではありますが、デイケアや訪問リハビリの先生も喜んでくださり、歩行練習を開始することとなりました。前日までリハビリに励み、一歩でも歩けるよう頑張っていきます。

 手島凛(てじまりん)さん

26_手島凛

僕は生活介護施設に通っている19歳です。生まれつき身体に障がいがあり、電動車椅子で生活をしています。食事や着替えは周りの人に手伝ってもらっています。

電動車椅子に乗れるようになってから1人でいろいろなところに出かけられるようになり、世界が広がりました。いつもいろいろな人たちに手伝ってもらい、感謝しています。

また、いろいろなことに挑戦しています。富士見市のACT-Fという劇団では1年間様々な世代の人たちと交流し、1つのものを作りあげる喜びを知りました。

手伝ってもらうことが多い自分ですが人の力になりたいと強く思います。自分ができること・・・それは言葉と笑顔で元気をあげることだと思います。これからも自分に出来ることを実践していこうと思います。パラリンピックの聖火ランナーとして頑張りたいです。

 矢野愛佳(やのまなか)さん

27_矢野愛佳

私には発達障がいがあります。地元の幼稚園、小学校、中学校を卒業し高校へ進学しました。高校卒業後は徒歩で通える地元の企業で日々仕事を頑張っています。

わたしが生まれ、働き、生活をしている川島町に聖火リレーがくるなんて信じられませんでした。そして、 昔の映像を見て私も走ってみたい、参加して聖火をつなげたい、と強く思いました。

聖火を近くで見るとき、皆さんのつないだ聖火を運び次の方に渡すとき、どのような気持ちになるのか経験してみたいと思いました。どんな景色が見えるのだろう、どんな気持ちになるんだろう。私の大好きなこの町を、笑顔で走りたいです。

 藤田佑平(ふじたゆうへい)さん

28_藤田佑平

私がパラリンピックの聖火ランナーに応募した理由は、障がい者と健常者の間を渡す架け橋になりたいと考えたからです。

私は幼い頃からクロスカントリースキーの選手として競技に励んできましたが、縁あってこの競技の「ガイドスキーヤー」として2018年の平昌パラリンピックに出場することができました。

ガイドスキーヤーは視覚に障がいのある選手の「目」です。ガイドスキーヤーは自身も選手として雪山の中を滑りながらコースの状態に合わせた戦術・戦略を組み立て、腰に着けたスピーカーを介して「90度右、右」などと声で選手を先導し、ゴールまで最速かつ安全に導く役割を担っています。

選手が持つ恐怖心を取り除き、私の声に委ねてもらうための工夫を重ねる中で、 「相手の背景を知り、寄り添うこと」の重要性を学びました。相手の背景を知り、寄り添うことは「ヒト」がそれぞれ持っている個性と向き合うことにもつながると私は考えています。

聖火リレーを通じて、この思いが誰かの考えるきっかけになればという希望の光を胸に、東京へとつなぎます。

 菊池樹(きくちいつき)さん

29_菊池樹

私は先天性胆道閉鎖症という難病を抱えて産まれました。2歳の時には母の肝臓を生体肝移植しました。

小学5年から陸上を始めました。障がいがあってもスポーツができることに感謝しています。そしてパラリンピックの選手を尊敬しています。

先生や友達、手術してくださった病院の先生、祖父母、親など周りの人たちへの感謝を胸に、聖火ランナーを務めたいです。また、同じ難病の人や病気で苦しんでいる人に希望を与えたいです。

 戸村義勝(とむらよしかつ)さん

30_戸村義勝

1964年の東京オリンピック出場を目指して全てを懸けた青春時代。それが叶わず、聖火ランナーに選ばれ東京品川近辺を走ったあの日、あの時の感動が今も脳裏に焼き付いています。東京2020オリンピック・パラリンピックが決定したときから、もう一度出たいと夢をみてきました。

現在は視覚障がい者のマラソンの伴走を全国で行っています。視覚障がいのある方はなりよりも感性が素晴らしい。「視えない世界」を知らない私、「視える世界」を知らない障がい者、果たして「本当の光」をみえているのは、どちらかだろうと常に考えさせられています。

私を必要としている人がいる限り、全国何処でも行かなければという強い気持ちを持って過ごしています。アスリート人生の集大成として聖火リレーを走りたいです。

 鵜飼朋子(うがいともこ)さん

31_鵜飼朋子

息子は人工呼吸器をもって特別支援学校へ通っています。親の付き添いが必要であったり、私が日々の生活を支えなければ、我が子の当たり前の生活はなりたちません。

現在、息子の特性を理解してくださるヘルパーさんや訪問看護、リハビリ、学校関係等、たくさんの医療従事者や福祉支援者に囲まれ支えていただきながら、笑顔あふれる毎日をおくっています。それでも、社会に出ようとするとまだまだ稀有の扱いで、やりたいことを制限されたり、諦めたりすることも多くあります。

一方で何かお手伝いできることがありますか?と暖かい声をかけてくださる見知らぬ方もいます。東京2020パラリンピックを機会に、心のバリアフリーが少しでも進み、障がいの有無に関係なく、生き生きと暮らすことができる共生社会へと変わって欲しいという思いを込めて走ります。

 長谷部信夫(はせべのぶお)さん

32_長谷部信夫

約20年前、突然足に難病を発症してから障がい者となり、それまで普通に出来ていたことが「出来ない」ことに直面することも少なくない日々。

大学時代に健常者でやっていたアーチェリーをパラスポーツとして競技生活を復帰、その後競技変更し射撃で東京2020パラリンピック出場を目指すも届かず・・・。しかし、チームメイトの水田選手がパラ射撃で出場を決め、「聖火ランナーとして応援する側にはなれる!」と応募を決意するに至りました。

障がいや年齢など関係なくいつからでもどんな立場になっても自由に選択出来る可能性のある社会、社会的弱者への理解が進み相手の気持ちに寄り添える温かい社会、行き過ぎた結果至上主義や見た目だけで判断されることなく他の道を選び活躍する人も陽の光を浴びることが出来る社会へ・・・、そんなことも願いながら、まずは身近にいる大切な人たちへ思いが届くよう、また今日まで競技生活でお世話になってきた全ての皆様へ感謝の気持ちを込めて聖火をつないでいきたいと思っています。

故郷である埼玉県の聖火ランナーとして誇り高く駆け抜けたいと思っています。

 鮎川雄一(あゆかわゆういち)さん

33_鮎川雄一

2011年車椅子ラグビーを初めて観戦したのをキッカケに現在は所沢市でスポーツを活用した共生社会の実現を目指し日々活動を行っています。

当初は「多くの人達に車いすラグビーのすばらしさを知ってもらいたい」とラグビーの普及活動をしていました。そんな中、2013年に東京2020オリンピック・パラリンピックが決まりました。国立障害者リハビリテーションセンターがあり障害者スポーツにゆかりのある所沢市から「東京2020パラリンピックを盛り上げよう!」と市民団体を立ち上げ、パラアスリートの応援とパラスポーツの普及活動をしてまいりました。

現在では鮎川地域共生コミュニティ研究所を立ち上げ、市民、所沢市、所沢航空記念公園、地元企業にも御支援いただき、様々なスポーツを通じて障がい者、老若男女の誰もが集う共生社会づくりへと発展しました。

東京2020パラリンピックが決まったことにより、たくさんの素晴らしい方々と出会い、今の自分があると思っています。感謝の想いを込め、聖火リレーに参加させていただきたいと思います。

 小島四子男(こじまよしお)さん/中原道夫さん

34_小島四子男

私は現在、埼玉文芸家集団代表、埼玉文学賞の審査員などを通し、埼玉の文学、文化の向上に務めています。これまで埼玉文化賞(芸術部門)、埼玉文芸賞(現代詩部門)などを受賞してきました。また、(一社)日本詩人クラブの名誉会員になるなど、詩界に貢献してきました。

日頃から、障がいのあるアスリートがあらゆる困難と闘いながら頑張っている姿に心を打たれています。文学も共生でなければなりませんが、スポーツもまた共生社会を目指すものであると思います。

文芸集団の作家、詩人、その他の分野の会員からいただいた、文学界の代表として走ってほしいとの応援を胸に、走りたいと思います。

 小中一輝(こなかいっき)さん

35_小中一輝

私は生まれつき聴覚障がいがあり、学校の授業や友人とのコミュニケーションには苦労してきました。学生時代からラグビー競技を続け、聴覚障がい者ラグビーの活動にも参加し、ニュージーランドやイギリスへ遠征し、世界中の聴覚障がい者と交流を図ってきました。 現在は理学療法士として、地域の皆様の健康増進に励んでいます。

言葉が通じなくても、聴こえなくても手話やジェスチャーでコミュニケーションが図れ、ラグビーという激しいスポーツを楽しむことができました。

ラグビーワールドカップ2019日本大会では日本代表が活躍し、「ONE TEAM」という言葉が流行しましたが、人種や障がいの有無にかかわらず、取り組むべきコミュニケーションは「同じ」だということを皆様に知ってもらいたくて活動を続けています。

 パラリンピック聖火ランナーとしてスポーツが持つ底力を示し、東京2020パラリンピックを精一杯応援したいと思って応募しました。

秋元美宙(あきもとみひろ)さん

36_秋元美宙

私は生まれつき全盲の女子大生です。小さい時から色々なことにチャレンジするのが大好きです。

オリンピック・パラリンピックが東京で開催されることが決まったとき、とても胸がワクワクしました。そして、聖火ランナー募集のことをラジオで聞いて、是非参加したい、いや絶対参加して走ってみたい、という気持ちでいっぱいになりました。

私は2018年の24時間テレビでブラインドダンスという視覚障がい者のダンス競技大会にチャレンジしました。全くの未経験でしたが一生懸命に練習して準優勝することができました。そのときに多くの人から感動した、勇気をもらったと声をかけてもらい、障がいのある自分にも役に立てることがあるんだと嬉しくなりました。

聖火ランナーとしても、爽やかな風を感じて元気に走る姿で、視覚障がいへの理解や勇気を与えたいです。

 上野優一(うえのゆういち)さん

37_上野優一

私は頸髄損傷により電動車椅子を使用しています。中途障がい者になり、電動車椅子ユーザーとして社会に出ると、今まで感じたことのなかった不自由が多くあることに気づきました。

そんな中、入間市や所沢市の小中学校の車椅子体験で使用者として話をするようになりました。車椅子体験をした感想は「こんなに車椅子生活が大変なら生きていく希望がない」などの悲観的なものが多く、子どもたちが将来何らかの原因で障がい者になっても生きやすい社会、みんなと一緒に楽しめる社会づくりが必要だと思いました。

そんなときに障害平等研修(DET)を知り、現在は埼玉県初の認定ファシリテーターとして、DETを行っています。学校でのDET後の感想は「誰もが暮らしやすい社会を作りたい」というものが多く、意識の変化を実感しています。

東京2020大会のキャスト共通研修でもダイバーシティ&インクルージョンでDETが採用され、埼玉県では唯一の研修講師として携わっています。パラリンピック聖火ランナーとして精一杯走りたいです。

 大嶋悠生(おおしまゆう)さん

38_大嶋悠生

小学校1年生からサッカーを始めて、小学生、高校生と埼玉県選抜として全国大会に出場し、埼玉平成高校女子サッカー部にて、関東1位代表チームとして全国大会に出場しました。大学卒業後、なでしこリーグにてサッカー選手として活動し、27歳に現役を引退しました。

私は女性として産まれましたが、性自認に違和感を感じ29歳で性別適合手術を経て、戸籍上も男性として過ごしています。現在は、企業のセールスマネージャー兼研修講師として、オリンピックスポンサー企業を始め、企業・教育・行政機関にLGBT研修を実施しています。

また*プライドハウス東京のアスリート部門にて活動に参加しています。埼玉で育ち、埼玉代表として闘ってきた頃を想いながら、埼玉の地を走りたいです。

*プライドハウス東京:東京2020オリンピック・パラリンピックが開催されるタイミングを契機と捉え、LGBTQ などのセクシュアル・マイノリティに関する情報発信を行い、多様性に関するイベントやコンテンツの提供を目指すプロジェクトのこと

 豊田美香(とよだみか)さん

39_豊田美香

2012年ロンドンオリンピック陸上10000mに出場し、オリンピック.・パラリンピックの素晴らしさを感じることができました。東京2020大会開催が決まり、1人でも多くの方にこの素晴らしさを伝えたいと思い、聖火ランナーに応募しました。

現在は、実業団チームのコーチとして未来の五輪選手を育てる為の指導と小中学生に夢を伝える先生として全国を回る活動をしています。そのような活動を続けてきたこともあり、走る姿を通じ、スポーツの楽しさを伝えることができたら、と思っています。

結婚を機に埼玉県に移り住んでから、埼玉の素敵なところをたくさん感じました。聖火ランナーとして、埼玉の地を笑顔で走りたいです。

 渡邊敏郎(わたなべとしろう)さん

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2012年~2013年、東京2020オリンピック・パラリンピック招致委員会での勤務時にパラリンピック機運醸成事業に関わり、東北3県復興支援及び日本全国各地にて活動してきました。

皆様の協力を得て、2013年9月ブエノスアイレスで生の声でTOKYOの声を聞くことができました。その後は、勤務先でも、ソチ・リオ・平昌とパラリンピックの視察・輸送の仕事に従事し、共生社会の実現を目指し活動してきました。

プライベートでは、スポーツ指導員の資格を得て、障がい者スポーツイベント等で年間20日ほどボランティア活動をしながら、今、自分に何ができるのか、集まる友、同僚と話をしています。現在はパラ競技ボッチャ日本代表選手等の海外・国内試合への輸送のお手伝いをしています。

様々な競技特性に触れながら、今後も経験・活動を継続していきたいと考えています。関わってきた皆様の思いとともに、走りたいと考えています。

室谷泰我(むろやたいが)さん

41_室谷泰我

僕は和光市にある埼玉県立和光南特別支援校に通学していました。現在は、社会人として働いています。

自閉症のため、オリンピックやパラリンピックの競技は難しく、チャレンジすることができません。

そんな僕でも走ることだったらできます。東京マラソンの知的障がい者の部10㎞を完走したこともあります。長い距離を走るのは苦しかったけど、完走したら皆が喜んでくれました。そのときに皆と走ることは楽しいと思いました。

聖火ランナーとして走ることで東京2020大会に参加したいです。

 古川奈菜(ふるかわなな)さん

42\古川奈菜

私は23歳で急性骨髄性白血病を発症、再発し24歳で骨髄移植をしました。退院し現在通院中です。

入院中、同年代の患者さんと親しくなり、友人として共に闘病生活を乗り越えようと励まし合っていました。その友人は骨髄移植をしたものの亡くなりました。そのとき、絶対にその友人の分まで長生きしてやる、時間を無駄にしないと決意しました。体力づくりに励み、車椅子だったのが今では小走りで走れるようになりました。

現在、辛い思いをしてる白血病患者さんに向けて、自分の闘病記をブログに綴っていますが、ブログの最後は常に前向きに終わらせています。支えてくれた家族や友達へ、ここまで走れるようになったよ!と感謝の気持ちと、白血病患者さんへの希望を込めて走りたいです。

 櫻井洋子(さくらいようこ)さん

43_櫻井洋子

さいたま市在住の盲ろう者です。中途障害の身となり、あはきの国家資格を取得、県内の治療院に勤務していました。現在は、渋谷に拠点をおく手話劇団の女優として、相方の盲導犬トリトンと共に舞台に立っています。

34歳の時、アッシャー症候群という原因不明の病にかかり、視覚と聴覚に障がいをもちました。現在は両耳に高度難聴型補聴器を装用し、左手に盲導犬、右手に白杖を携え、精力的に人生を謳歌しています。

「いずれは失明します」と医師から宣告され、挫折と絶望の中、ふと感じた幸福感...。これは何?その答えは、周囲の人々の優しさ、温かい心でした。
周りとかかわることで、自立できることに気づかせてくれた仲間たちのお陰で、
私の人生は健常の頃より、いっそう輝きを放つものになりました。

盲ろう者だから何もできないという社会の偏見や、自宅にひきこもる多くの仲間たちに、私と盲導犬トリトンの走る姿をみてほしいです。

 駒崎広幸(こまざきひろゆき)さん

44_駒崎広幸

スポーツで人生は変わる。自らの障がいを活かし、現在8種のブラインドスポーツと異障がい競技との交流に取り組み、誰かのチャレンジに協力しています。心のリハビリとして視覚障がい者がスポーツとの出会い、再び自信を取り戻すきっかけづくりをしていきたいと思っています。

私は、マラソンでパラリンピック出場を目指して3年間努力し、いくつかの結果を残しました。また、サッカーやボクシングなど様々なスポーツに挑戦するなかで、多くの方と出会い、協力をしてもらったことで、自信や笑顔を取り戻すことができました。仕事では、児童生徒にブラインドサッカーを通じて、協力することや共生社会に必要な気づきや学びを心で感じ、体で理解してもらう、という活動をしています。

皆様への感謝の気持ちを込めて、そして障がい者も健常者も当たり前に支えあう社会を実現するために走ります。夢は埼玉でブラインドマラソンの大会を開催することです。

 濱田美穂(はまだみほ)さん

45_濱田美穂

私は、2000年シドニーパラリンピックのセーリング、2008年北京パラリンピックのローイングに出場しました。トライアスロンではアジア大会、世界選手権、アイアンマン大会に出場しています。現在は、カヌー競技で2022年のアジア大会出場を目指し、日々練習しています。

1988年8月に交通事故に遭い、右足の膝から下が義足、左足は骨盤骨折の影響で麻痺があり、装具を使用しています。

現在、病気や事故で足を無くした人にアウトドアスポーツを紹介する「ドリームメーカー」という非営利団体を設立し活動しています。次世代の人にスポーツを通じて足を無くしても楽しむことができるようにワダチを作っています。

世界中にいるすべての障がいを持った人と心を一つにする聖火という灯を精一杯運びたいです。

 國井結月花(くにいゆづは)さん

46_國井結月花

私が通う筑波大学附属高等学校には、同じ附属校として様々な障がいを持つ子が通う支援学校が5校あります。

私は附属校有志団体「つくばっこ」のメンバーとして、障がいの有無にかかわらず小学生から高校生までの参加者全員が楽しめる交流イベントの企画をしたり、筑波大学附属駒場高等学校の文化祭で点字や視野狭窄の体験指導を行なったりしてきました。

このような活動の成果もあり、学校内外の友人たちにも行事参加を通じ理解が少しずつ広がっていると感じています。しかし、障がいのある友人によると、まだ世間の目が厳しく感じることもあるそうです。

パラリンピック開催という世界的に注目が集まる機会に、中高生である私たちが共生社会実現のために行動を起こしていることを、聖火ランナーとして走ることで知ってもらいたいです。

 古谷直樹(ふるやなおき)さん

47_古谷直樹

私は平成28年6月に病気のため左下肢を切断しました。約1年間の入院生活と半年間の自宅療養を経て、現在は社会復帰しています。会社勤めはもちろん、以前と何ら変わりなく生活をしています。それどころか、地域の活動や学校の役員など以前にも増して精力的に活動しています。

パラリンピックの聖火ランナーをすることで、お世話になった方々にお礼と元気な姿を届けたい。同じように病気の方々に、頑張ってリハビリをすれば今まで以上に楽しい生活を送れるということを伝えたい。希望や勇気、励みを少しでも届けていきたいです。