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掲載日:2020年9月23日
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今月号は、伊奈町立小針中学校 藤村 摂子 教諭の取組を紹介します。
藤村教諭は、美術の授業において、生徒の関心や意欲を引き出す題材を精査しながら、専門的な知識や技能を発揮し、質の高い実践を行っています。
また、美術部の顧問として熱心で適切な指導を行い、一人ひとりの部員の意欲を高め、能力を伸ばしています。
穏やかな人柄で周囲の教職員からの信頼は厚く、後輩からの相談にも丁寧かつ適切に対応しており、若手職員からも頼りにされている先生です。
実は私は帰国子女で、3歳から外国で育ち、日本に帰ってきたのが小学校6年生のときです。そのため、日本の小学校にはほとんど行っていません。
そのため、日本に戻ってきてからは周りの子供とコミュニケーションをとるのがとても大変でした。日本で育った子供とは言葉もなかなか同じようにはいかなかったんです。周りの子供たちとうまくなじめない生徒になってしまっていました。
そのような中、唯一私が好きだったのが絵を描くことでした。絵を描いていると、周りの人から話しかけてもらえるなど、周りの人と関わりを持てたので。
言葉でのコミュニケーションがうまくいかなくても、絵を描くことをきっかけにして、自分の世界が広げられるな、とその時強く思いました。
帰国子女って言葉は、今は良いイメージを持たれていますけど、私が外国で暮らしていた50年くらい前の時代はそんな言葉はなく、帰国子女に対する勉強のサポートもないし、全然勉強ができませんでした。成績も悪く、日本の中学校でやっていけるのか?という状態でした。
でも勉強ができなくても、美術の授業だけはなんとかやっていけたんです。
そのような状況の中で、美術とか音楽とか芸術科目って、人と人の壁を取っ払ってくれる一つの共通言語ではないかなって感じました。
それで、美術とか音楽とか、そういった力を持っている子たちの手助けができたら、そして、その子の特性を伸ばせる場面を作れたら素敵だなと思い、先生の仕事っていいなと思ったのが最初だったと思います。
一人一人どんなに年齢的に小さくても能力的に及ばなくても、一人の人間として生徒とは対等でありたいというのを意識しています。
たとえば、よく教師は「先生はね、・・・」という言い方で生徒に話しかけることが多いと思うのですが、その言い方があまり好きではないですね。自分を「先生」と呼ぶことで、なんだか自分は偉いという意識になんとなくなってしまう気がするので、私は生徒と話すときには「私はね、・・・」と話すよう心がけています。
美術は上から目線で教えるものではなく、共有するものとだと思っています。こちらの考えを生徒に提示したり、与えたりすることはありますが、同じぐらいか何倍もの形で生徒もこちらに考えを返してくれる。そういったやり取りで美術は成り立っていると思います。なので、意識しているというよりは、自然にそうしている感じでしょうか。
もちろん、教師としてやるべきことをやらないというわけではありません。ただ、対等な関係を保つためには、お互いに努力して、お互いを尊重しなければいけないと考えていて、その点は生徒にも常に言っています。対等の関係だよと。
例えば、私は授業をやるためにこれだけ準備をしているけど、君はこの授業を受けるためにやらなければならないことは何ですか?と問いかける。それがうまくいくと、生徒からはすごく良いものが出てきます。
美術は授業時間がほかの教科を比べてとても少ないんです。中学2、3年生は週に1時間しかない。ですので、1時間がすごく密度が高い。一分一秒が大事です。授業に向けて私は自分の中でいっぱい練って準備をして授業に臨みます。授業に参加する生徒にも、美術の時間を一分一秒も無駄にしない、同じ気持ちでいてほしいと考えています。
また、美術は点数が出ない科目です。テストをやることもあるけど、偏差値とか得点とかには表れないという良さがあります。ある意味、生徒にとっては自由な領域です。その自由な領域でどれだけ活躍できるか。そのあたりを手助けしてあげることを意識しています。
あいまいな、格好の良い言葉を言っても、生徒はどう動いていいかわからないこともあるので、具体的に明示してあげた方がうまくいくことが多いです。
勉強が嫌いだったり、考えるのが苦手だったりという子でも、「こういう技があるんだ」、「こういうやり方があるんだ」っていうのを明示して刺激すると、花が開くみたいに、わっ、とその子が持っている力が現れることがある。それを見つけた時が私が一番うれしいときです。
例えば、ものを作るときに悩んでいる子がいたら、「こんな材料をつかってみては」、と明示する。そうすると、「こんなこともできるよね」、という風に、そこからどんどんアイデアが広がっていく。そうすると他の子も同じものを作っているのにその子が使っている「材料」が功を奏することがあります。
絵を描くのであれば、みんなは絵の具を使っている中で、絵の具を使うのが苦手な子がいるとします。そんな子には「クレヨンをつかってみようか」と明示してみると、「クレヨンなんか小学生が使うものでしょ?」とか最初は文句を言ってきますけど、やっていくうちに「あれ、結構面白いよ」といってなかなか面白い作品ができあがる、ということもあります。
絵の具で描いたら能力的に高い子には勝てないかもしれない。でも、材料を変えてクレヨンで描くことによってすごく良いものができる、というような、「きっかけ」を具体的に与えてあげることで、その子がもっていたものがパーっと花開く、そういう時はとても嬉しいです。
生徒一人一人の特性を教師がしっかり把握するというのはとても難しいと思っています。生徒一人一人の特性ってこちらが思っている以上にたくさんあるはずで、「この子はこういう特性があるからこういうのが向いている」と教員が決めてしまうのは、危険な面もあると思っています。
なので、きっかけの与え方やどんな内容を伝えるかは手探りです。幅を持たせながら、こういう風にやったら上手くいくかな、こんなのではどうかな、と生徒と一緒に探りながら生徒の能力を発揮できるポイントを見つけて行きます。時には、教えたことがうまくいき「先生すごい」と言われることもありますが、でもそれは、私一人だけがやったものではないのです。
生徒が言ってくる内容や、生徒の行動について、否定はしないという心掛けはしています。ルール、目標、主題からよっぽど逸脱していなければ、駄目出しは基本的にはしないと。ツールになるものに関しては、「なるほど、面白いね。それで、それはどういう風にしていくの」、という感じで先を促していきます。
いろんな考え方があると思いますが、中学校の美術はアーティストや専門家を育てるものではなく、全員を絵描きにするためのものでもありません。「美術に関わるものは面白いな」、とか、「美術ってなんかいいな」って思って卒業してほしいと思っています。
高校では美術は必須ではなく選択科目であることがほとんどで、全員が美術をやっていた経験は中学校までです。中学生の時点で、絵がうまく描けなかったとか、美術の先生が怖かったとか、美術に対してマイナスイメージを持ったまま卒業してしまうと、その子にとってはその印象が一生ずっと残ってしまう。
絵を描くことは苦手だったけども、絵を鑑賞するのが好きだったとか、色彩の授業が面白かったとか、美術に対して良い印象を持たせて義務教育を終わらせたい。制作(表現)だけに固執せず、鑑賞など様々な方法を採り入れて美術を味わわせたいと考えています。
自分の引き出しを増やして、様々な視点を持つことが大事だと思います。
今の時代、学校の先生になる人ってとても優秀な人、学校とか社会の中でも比較的光の当たっている世界で生きてきた人が多いと思います。だけど、現実には光の当たらない環境で育ってきている子供たちがたくさんいる。その子たちを取り巻く家庭などの環境は、教員がこれまで生きてきた世界からは想像できないようなひどい状態ということもたくさんある。学校は社会の縮図って言われるけど、いろいろな事情を抱えた生徒たちに共感してあげられることが大事じゃないかなと思います。
美術の教員も一緒です。例えば、次の授業までに生徒に各自で材料として空き缶を用意させる場合、「こんなものは誰でも持ってこられるだろう。親に頼めばいいじゃないか」と教員が思っても、中には空き缶一つ持ってこられない事情を持った生徒がいるかもしれない。教員に視点の幅があるかないかで、対応が違ってくると思うんです。
美術の教員だからというわけではなく、いろんな視点を持つというのが大事。そのためにも、いろいろなことに積極的に取り組んで、自分の引き出しを増やすのが良いのではと思います。
本をたくさん読むとか旅行に行くとか、教員の仕事に直結しないようなことでも、いろんなことをやってみる。私も、教員になってからも、バスケをやったり、バンド組んでみたり、色々やってきました。それが今、生徒とつながる上で役に立っています。
また、職員室でいろんな先生と関わって、自分ひとりでやるのが難しければ先輩や同僚の先生からいろんなことを教わって、自分の引き出しに周囲の先生の良い部分を入れちゃうとか、自分からどんどんやっていくのが大事だと思います。
【インタビューを終えて】
『みんな言わないだけで、きっとこういうことって私じゃない人もみんなやっていると思う。』と、自らの実践や考えを語ったあと、謙遜されていた藤村教諭。ですが、それを長年着実に実行し続けるというのは並大抵の努力ではないと思います。
『「きっかけ」を具体的に与えてあげることで、その子がもっていたものがパーっと花開く、そういう時はとても嬉しいです。』と、とても楽しそうに、嬉しそうに語る様子が印象的でした。
美術部の顧問もされているということで、最後に美術室にも伺わせていただきましたが、たくさんの生徒がいて活気にあふれていました。藤村教諭の日々の実践が、「美術は楽しい!」と多くの生徒に思わせていることが感じられました。
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