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総合トップ > 健康・福祉 > 障害者福祉 > 障害者の自立 > 塙保己一を育てた盲人一座

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掲載日:2018年3月27日

塙保己一を育てた盲人一座

塙保己一が活躍した時代である江戸時代には、「当道座」と呼ばれる日本独特の盲人一座制度がありました(盲人の職業組合のような組織で、そこには厳格な階級制度がありました)。

一番上が「検校」、次が「勾当」、3番目が「衆分」、それ以外は平の盲人になっていました。

「検校」になると、経済的に恵まれただけでなく、直参旗本と同等の身分として扱われたのです。

伝統的な職業は平家琵琶を演じる琵琶法師でしたが、江戸時代にはいると、琴や三味線の音曲、あんま・はりの治療、「座頭金」といわれる金貸し業が盲人の主な仕事になっていきました。

当時、江戸幕府は「当道座」を公認し、広く自治権を与えていました。

また、盲人のお互いの利益を守るとともに、若い盲人を教育するといった役割を担っていました。

そして、全国の盲人を当道座に加入させ、検校の支配に属するよう通達していました。

そのため、塙保己一も雨富検校という盲人の一座に入門しています。

そして、伝統的な職業に関しては、必ずしも優秀な弟子ではなかったと言われています。

しかし、「当道座」では、自立した盲人が、目の不自由な子を責任をもって一人前に育て上げていく伝統が確立されていました。

それが、結果として盲目の大学者を生み出していくことになるのです。

お問い合わせ

福祉部 障害者福祉推進課 社会参加推進・芸術文化担当

郵便番号330-9301 埼玉県さいたま市浦和区高砂三丁目15番1号 本庁舎1階

電話:048-830-3309

ファックス:048-830-4789

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