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ページ番号:5861

掲載日:2023年4月17日

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埼玉ゆかりの偉人/検索結果(詳細)/木村 九蔵(神川町)

検索結果(詳細)

偉人氏名

木村 九蔵

氏名よみがな

きむら くぞう

偉人氏名(別名)

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別名よみがな

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主な功績

養蚕改良家・温暖飼育法を発明

分野

産業

ゆかりの市町村名

神川町

出生地

群馬県

主な居住地

神川町

生年(西暦)から 没年(西暦)

1845から1898

生年(和暦)から 没年(和暦)

弘化2年から明治31年

功績

養蚕改良家。弘化2年(1845)、神川町に隣接する群馬県藤岡市に生まれる。幼名を高山巳之助という。慶応3年(1867)23歳の時に、現在は神川町の一部である旧新宿村の木村勝五郎の後継者となり、姓名も木村九蔵と改め独立農家となる。その後養蚕業の改良に努め、当時の画期的な飼育法である「温暖飼育法」を発表して大きな評価を得る。明治10年養蚕業の改良に努め養蚕改良競進組を組織し、その後明治17年競進組を競進社と改める。明治18年蚕業に尽くした功績により、西郷従道農務卿から功労賞を授与される。明治22年明治政府は、九蔵を蚕糸使節としてパリ万国博覧会に派遣。その後九蔵は、蚕種保護を指導、正常な孵化には蚕種貯蔵庫の必要性を訴え本庄町(現本庄市)に日本初の蚕種貯蔵庫を設立。

関連ホームページ

http://www.town.kamikawa.saitama.jp/

著書・作品(出版社・収蔵館)

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参考文献(著者・出版社)

『埼玉県人物誌』上巻

ゆかりの場所・名称

  • (1)児玉白楊高校
  • (2)木村翁頌徳碑

ゆかりの場所・住所

  • (1)本庄市児玉町金屋980
  • (2)神川町二ノ宮737

ゆかりの場所・説明

  • (1)明治32年に競進社蚕業学校が設立され、これが現在の児玉白楊高校の前身となった。
  • (2)碑は木村九蔵の業績を讃えるため、明治32年に立てられた。碑の題額は、伊藤博文の書である。

ゆかりの場所ホームページ

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お問い合わせ

県民生活部 文化振興課 文化創造・発信担当

郵便番号330-9301 埼玉県さいたま市浦和区高砂三丁目15番1号 第3庁舎1階

ファックス:048-830-4752

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