トップページ > 文化・教育 > 文化 > 埼玉の偉人ホームページ > 埼玉ゆかりの偉人データベース > 北部地域 > 埼玉ゆかりの偉人/検索結果(詳細)/松本 もと
ページ番号:5858
掲載日:2023年4月26日
ここから本文です。
偉人氏名 |
松本 もと |
---|---|
氏名よみがな |
まつもと もと |
偉人氏名(別名) |
--- |
別名よみがな |
--- |
主な功績 |
農業・養蚕技術者 |
分野 |
産業 |
ゆかりの市町村名 |
上里町 |
出生地 |
群馬県 |
主な居住地 |
上里町 |
生年(西暦)から 没年(西暦) |
1885から1955 |
生年(和暦)から 没年(和暦) |
明治18年から昭和30年 |
功績 |
農業・養蚕技術者。群馬県美土里村(現藤岡市)生まれ。高山社蚕業学校分教場を経営する白石京三郎、きちの4女。高山社蚕業学校本科卒業後、明治41年(1908)蚕病予防吏員の認定試験に合格、翌年より群馬県蚕病予防事務所藤岡支所を最初に、神奈川県農会模範稚蚕共同飼育所、群馬県蚕病予防事務所伊勢崎支所館林出張所に勤務した。さらに東京西ケ原の東京高等蚕糸学校に進学し高度な養蚕技術を学び、同45年同校卒業。同校で教師を務めた後、大正4年(1915)4月鳥取県内務部農商課に農業技手として赴任。翌5年3月松本恒吉との結婚のため退職、恒吉の郷里である児玉郡長幡村(現上里町)に移り住む。同10年、ジュネーブでの国際労働機関(ILO)の第3回総会及び国際婦人労働者会議に出席する政府側代表委員顧問に任命された。これは母校高等蚕糸学校校長の本多岩次郎の推薦によるといわれる。労働問題についてのもとの考えは「献身的努力と温情の待遇」という言葉で表現されるもので、会議では政府見解に則って、農業労働者の就業時間制限の問題を討議事項から削除する立場をとった。帰国後、同12年に夫と死別したが、松本家から分家し4人の子供を育てながら、農業経営に専念した。享年69歳。 |
関連ホームページ |
--- |
著書・作品(出版社・収蔵館) |
『新婚養蚕記』、『貧女の一灯』 |
参考文献(著者・出版社) |
『上里町史』 |
ゆかりの場所・名称 |
--- |
ゆかりの場所・住所 |
--- |
ゆかりの場所・説明 |
--- |
ゆかりの場所ホームページ |
--- |
お問い合わせ
より良いウェブサイトにするためにみなさまのご意見をお聞かせください