ページ番号:5877

掲載日:2023年4月26日

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埼玉ゆかりの偉人/検索結果(詳細)/西崎 キク

検索結果(詳細)

偉人氏名

西崎 キク

氏名よみがな

にしざき きく

偉人氏名(別名)

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別名よみがな

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主な功績

女性水上飛行機操縦士第1号

分野

その他

ゆかりの市町村名

上里町

出生地

上里町

主な居住地

上里町

生年(西暦)から 没年(西暦)

1912から1979

生年(和暦)から 没年(和暦)

大正元年から昭和54年

功績

女性飛行家。児玉郡七本木村(現上里町)生まれ。旧姓松本きく子、ペンネーム西みさき。七本木小学校を経て埼玉県女子師範学校を卒業後、神保原小学校教師となる。昭和6年(1931)群馬県尾島飛行場の情景に接して飛行家を志し、東京の第一飛行学校に入学。次いで愛知県新舞子の安藤飛行機研究所の練習生となり、同8年8月卒業試験に合格、免許を得て日本女性最初の水上機操縦士となる。10月には数万の観衆を前に郷土訪問飛行を行う。さらに日本女性として初めての海外飛行を計画、翌9年亜細亜航空学校に入学し陸上機免許を取得、同年10月床次逓相命名の愛機「白菊号」に乗り、皇軍慰問文を積んで羽田・新京(長春)間「日満親善」飛行を行った。この功績により翌年、国際航空連盟よりハーモントロフィーと終身会員証を授与された。その後は亜細亜航空学校で女子部の指導に当たり、各地で講演や映画会の開催に力を注いだが、日中戦争開始の報に接して、患者輸送機の操縦士を志願。却下されると一転「大陸の花嫁」の名乗りを上げ、13年3月神保原村(上里町)出身の猪岡武男と結婚して満州開拓団に加わった。現地で夫を病気で失い、西崎了と再婚、在満国民学校教師も務めた。21年ソ連抑留中の夫を残して帰郷、23年七本木開拓地に入植。29年夫の帰国を機に教員を退職、以後農業に専念した。同35年開拓体験記を書き農林大臣賞を受賞。上里町教育委員会社会教育指導員、日本婦人空協会理事としても活躍した。

関連ホームページ

http://www.town.kamisato.saitama.jp/ijin/index.htm

著書・作品(出版社・収蔵館)

「紅翼と拓魂の記』

参考文献(著者・出版社)

「上里町史」・「夢 青き空から」

ゆかりの場所・名称

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ゆかりの場所・住所

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ゆかりの場所・説明

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ゆかりの場所ホームページ

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お問い合わせ

県民生活部 文化振興課 文化創造・発信担当

郵便番号330-9301 埼玉県さいたま市浦和区高砂三丁目15番1号 第3庁舎1階

ファックス:048-830-4752

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