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掲載日:2020年2月1日

祝 埼玉古墳群 国指定特別史跡へ


撮影:平成18年

 国の文化審議会は行田市にある埼玉古墳群を特別史跡に指定するよう、文部科学大臣に答申を行いました。
 特別史跡は史跡の中でも学術上の価値が特に高く、日本文化を象徴するものとされ、「国宝」に相当します。

【問合せ】県文化資源課
 電話:048-830-6988
 ファックス:048-830-4965
 県文化資源課のホームページ


↑埼玉古墳群の紹介動画

埼玉古墳群を読み解く

 埼玉古墳群は9基の大型古墳が集中する、全国屈指の古墳群。その造営や歴史的背景が分かれば、興味が湧くはず。特別史跡となる今こそ、埼玉古墳群を知ってみませんか。

埼玉古墳群データ

 およそ南北800m、東西500mを墓域とし、5世紀後半から7世紀初頭までに9基の大型古墳を順次造営。前方後円墳の主軸方向が一定の範囲内にそろっている。古墳間が極めて近接しているのも特徴。

文化審議会による特徴・評価

 5世紀後半から7世紀初頭にかけて大宮台地の先端に築かれた前方後円墳8基、大型円墳1基ならびに小型円墳群からなる日本を代表する古墳群。地域の首長層とヤマト政権との関係や政治的動向、首長墓の展開を知る上で歴史的価値が高く、日本文化の象徴として極めて重要です。
 さらに、県による古墳群の調査研究、整備などに関する取り組みや実績も高く評価されました。

埼玉古墳群のおもな年表と古墳の紹介

(古墳時代)★古墳が造営された順には諸説あり。西暦/年 ★古墳の造営年代は出土遺物の分析による。

(中期)471年 7月金錯銘鉄剣が製作される

稲荷山(いなりやま)古墳

  • 5世紀後半造営
  • 全長120m、最大高さ10.4m
  • 円径62.6m

国宝 金錯銘鉄剣(きんさくめいてっけん)などが出土
 昭和43年の発掘調査で2基の埋葬施設が発見される。そのうちの一つから金錯銘鉄剣や多くの遺物が出土。それらすべてが国宝に指定されている。


↑画文帯環状乳神獣鏡(がもんたいかんじょうにゅうしんじゅうきょう)
中国の思想を表現した鏡。伝説上の神や獣が描かれている。


↑帯金具(おびかなぐ)
ベルト飾り。銅に金メッキを加工。龍の姿の透かし彫りを施している。大陸からの舶来品。

(後期)500〜600

丸墓山(まるはかやま)古墳


  • 6世紀前半造営
  • 直径105m、高さ17.2m

日本最大級の円墳
 造営地の一部が低地であったにも関わらず、稲荷山古墳の西側に築かれていることから、当時の人々が西を重視していたことがうかがえる。この古墳には、かつて石田三成が忍城を水攻めにした時に築いた石田堤と呼ばれる堤防が残されている。

二子山(ふたごやま)古墳

  • 6世紀前半造営
  • 全長132.2m・最大高さ13.7m
  • 円径67.0m

武蔵国最大
 名前の由来は「二つの山に見える」ことから。埼玉古墳群の中で最も大きな古墳。造営後は東側に広い空間があるにも関わらず、大型の古墳が新造営されることはなかった。

瓦塚(かわらづか)古墳

  • 6世紀前半造営
  • 全長73.4m
  • 最大高さ4.8m
  • 円径36.2m

 くびれ部分付近から突き出している「造出し」から多くの土器が出土。これらは儀礼に用いられたと考えられる。

奥(おく)の山(やま)古墳

  • 6世紀中頃造営
  • 全長66.4m
  • 最大高さ6m
  • 円径38.4m

 鉄砲山古墳の墓域が既に決まっていたため、それを避けて造られたと考えられる。

愛宕山(あたごやま)古墳

  • 6世紀後半造営
  • 全長54.7m
  • 最大高さ3.7m
  • 円径26.4m

 古墳群内で最小の前方後円墳ながら、埼玉古墳群の特徴である二重周堀をしっかり備える。

将軍山(しょうぐんやま)古墳

  • 6世紀後半造営
  • 全長90m、最大高さ8m
  • 円径38.8m

きらびやかな副葬品が多く出土
 明治27年、石室内部の発掘が行われた際、豊富な遺物が出土。これらは被葬者の人物像を検討する貴重な材料になっている。


勾玉・銀環(まがたま・ぎんかん)
勾玉のヒスイは新潟・糸魚川産。銀環はイヤリング。


馬冑(ばちゅう)
馬用のかぶと。同品の出土は日本で他に2例だけ。

鉄砲山(てっぽうやま)古墳

  • 6世紀後半造営
  • 全長107.6m、最大高さ9.5m
  • 円径49.7m

 古墳群内で3番目に大きい。江戸時代、忍藩の砲術練習所になっていたため、この名が付いた。発掘調査でも鉄砲玉が多数出土した。

中(なか)の山(やま)古墳

  • 6世紀後半~7世紀初頭造営
  • 全長(推定)79m
  • 最大高さ5.2m
  • 円径(推定)38m

 古墳群の中で最後の前方後円墳。他の古墳にある黄土色の埴輪の代わりに、寄居町産の灰色の須恵質埴輪壺(すえしつはにわつぼ)が出土している。

何が書かれているの?!
国宝 金錯銘鉄剣(きんさくめいてっけん)

 表裏に金で115文字の銘文を記した。その意味とは?


表銘文

 辛亥の年七月中、記す。ヲワケの臣。上祖、名はオホヒコ。其の児、(名は)タカリのスクネ。其の児、名はテヨカリワケ。其の児、名はタカヒ(ハ)シワケ。其の児、名はタサキワケ。其の児、名はハテヒ。

裏銘文

 其の児、名はカサヒ(ハ)ヨ。其の児、名はヲワケの臣。世々、杖刀人の首と為り、奉事し来たり今に至る。ワカタケ(キ)ル(ロ)の大王の寺、シキの宮に在る時、吾、天下を左治し、此の百錬の利刀を作らしめ、吾が奉事の根原を記すなり。

内容

 471年7月、ヲワケの臣が鉄剣を作らせ銘文を書かせた。代々、杖刀人(じょうとうじん)の首(護衛官の隊長)であったが、ヲワケの臣はワカタケル大王(雄略天皇)の政治を補佐した。

 同剣はヲワケがワカタケル大王に仕え、天下を治めるのに協力したことを示しています。
 ヲワケを地方豪族とする説、中央豪族とする説があります。

お問い合わせ

県民生活部 広聴広報課 テレビ・ラジオ・広報紙担当

郵便番号330-9301 埼玉県さいたま市浦和区高砂三丁目15番1号 本庁舎1階

ファックス:048-824-7345

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