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知事ブログ 知事の太鼓

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掲載日:2017年2月28日

知事ブログアーカイブ(平成29年2月)

2月28日(火曜日)の一打「黒崎榮子さん 卓球、本県初の日本一」

卓球は、リオデジャネイロオリンピックにおいて日本代表選手が男女共にメダルを獲得するなど、大いに人気が高まっています。世代を問わず、多くの人が親しむ競技となり、日本卓球協会への登録会員数は全国で約32万人、本県でも約1万2千人となっています。

ところで、我が国の卓球の黎明(れいめい)期に、埼玉から全国を制覇した一人の女性がいたことを御存じでしょうか。昭和5年に行われた第3回全日本女子卓球選手権大会で、当時最年少の15歳で出場した久喜高等女学校(現・県立久喜高等学校)の黒崎榮子(くろさき えいこ)さんです。『スポーツ埼玉』の2017年1月号で紹介されていました。

全国から参加した精鋭数百人の中を勝ち進んだ決勝は、静岡高等女学校の八木悦子(やぎ えつこ)さんとの一騎打ちだったそうです。八木さんは、東海地区トップの座を守り続ける第一人者でした。見応えのある激しいゲーム展開となったそうですが、誰もが予想しなかった黒崎さんが全国優勝という偉業を達成されました。

最年少チャンピオンの誕生で本県卓球界の気運は一気に盛り上がりました。その後も全国大会で優勝か準優勝という戦績を収め、「卓球の女王」と称された黒崎さんは、日々黙々と練習に明け暮れたそうです。

出身校である久喜高等女学校が昭和6年に発行した生徒会誌『紫草(むらさき)』には、「学校では一心に練習、家では日本女流(著名な選手)の人々に対する戦法を考え、学校で実行するようにした。夜は目が痛くて読書ができなかった。真実つらかった。」という黒崎さんの文章が残されているそうです。

その後、黒崎さんは女子教育指導者の道を進み、昭和15年には栃木女子師範学校(現・宇都宮大学教育学部)の教壇に立ち、卓球の普及や教員養成に力を尽くしています。

本県出身の黒崎榮子さんの活躍が、現在の日本女子卓球の礎(いしずえ)になっていることは実に誇らしい限りです。

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2月27日(月曜日)の一打「日本の技術貿易黒字は世界第2位」

モノの国際取引を示す「貿易収支」とは別に、「技術貿易収支」という指標があります。特許権やノウハウの提供、それに伴う技術指導、著作権使用など、知的財産の国際取引を表す指標のことで、各国の技術力や産業競争力を把握する重要な指標の一つとなっています。

日本は高度経済成長期以降、モノづくり大国として、製造業を中心とした輸出によって貿易黒字を稼いできました。特に1980年代から90年代前半にかけては年間10兆円を上回るような黒字を生み、自動車、電気製品など様々な分野で貿易摩擦を生じさせました。

しかし一方において、技術貿易収支に関しては1990年代になるまでは一貫して赤字の技術輸入国でした。

それが、1993年には技術貿易収支が輸出超過、つまり黒字に転じました。その後も、自前の技術力を高めながら、アジア諸国への企業進出に伴う技術供与・技術指導の影響も加わって技術輸出は飛躍的に拡大し、今やアメリカに次ぐ世界第2位の技術貿易黒字国となっています。

経済協力開発機構(OECD)の2014年のデータを基準として主要国の技術貿易黒字を比較すると、1位はアメリカ469億ドル(4兆9,699億円)、2位は日本297億ドル(3兆1,473億円)、3位はオランダ274億ドル(2兆9,036億円)、4位イギリス262億ドル(2兆7,764億円)、5位ドイツ171億ドル(1兆8,121億円)という順になります(国際通貨基金〔IMF〕が公表した為替レートにより換算しています)。

総務省の科学技術研究調査によれば、2015年度における日本の技術輸出額は3兆9,498億円です。最大の輸出相手はアメリカで1兆5,979億円(40.5%)、次いで中国4,765億円(12.1%)、タイ3,273億円(8.3%)と、アジアとの取引も活発です。

産業別では、自動車を中心とする「輸送用機械器具製造業」が2兆3,277億円を稼ぎ、技術輸出額の58.9%を占めています。以下、「医薬品製造業」の4,771億円(12.1%)、「情報通信機械器具製造業」の3,482億円(8.8%)と続きます。

これからも日本が世界市場の中で存在感を保っていくためには、付加価値を高め、技術で稼げる先端産業を更に広げていくことこそが進むべき方向であると、私はそう確信しています。

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2月24日(金曜日)の一打「埼玉の名前の由来」

現在の行田市には、「埼玉(さきたま)」という地名が残っています。これが埼玉県の地名の発祥だと言われています。

奈良時代に編さんされたと言われる万葉集などでは、「さきたま」の表記として「前玉」や「佐去多萬」と書いてあるものや、平安時代の辞書には「佐以多萬・佐伊太末(さいたま)」という表記もあります。

では、「さいたま」・「さきたま」とはどんな意味を持つのでしょうか。
「さいたま」の語源には諸説があります。「さき」は位置を示す語で、「たま」は水辺や湿地を表すという説や武蔵国府があった多摩郡を示すなどの説があります。行田市付近に水辺や湿地が多かったのかもしれませんし、多摩の先という意味だったのかもしれません。

では、なぜ、県の名前に「埼玉」が選ばれたのでしょうか。
埼玉県ができる前、現在の八潮市から旧岩槻市、行田市、羽生市付近までは「埼玉郡」と呼ばれていました。
明治4年11月14日に「埼玉郡」と浦和から鴻巣までの「足立郡」が統合されて新たな県が作られるとき、県庁は埼玉郡岩槻町に置くこととなりました。このため、岩槻町があった「埼玉郡」から名前をとり、埼玉県が誕生しました。
その後、県庁が岩槻町から北足立郡浦和町に移され、現在に至っています。

以上が埼玉県の名前の由来です。

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2月23日(木曜日)の一打「お酒の雑学 その2」

昨日に続き、お酒の雑学です。

「乾杯」の起源は毒のチェックと言われています。これは意外ですね。グラスをぶつけると、勢いで相手のお酒が自分のグラスの中にも飛ぶ、それにより相手に毒を盛っていないことを証明したようです。古代ギリシャの風習で、グラスをぶつけて音を出すことで悪魔の災いを追っ払っていたという説もあるそうです。

お酒を飲むと顔が赤くなる原因ですが、一つには、アルコールには熱量があり、その熱量で体が熱くなり、顔も赤くなるそうです。もう一つは、アルコールを分解する酵素が弱いと、分解されずに残るアセトアルデヒドという物質が頭部の血管を広げて顔が赤くなるそうです。ちなみにアルコールは20パーセントが胃で吸収され、80パーセントが腸から吸収されるそうです。冬にお酒を飲むと体が温まるというのは学術的にも確かなことのようです。

酔いざましに効く食べ物の一つが「トマト」だと言われています。焼酎と一緒にトマトジュースを飲んだときの方が、一緒に水を飲んだときと比べて、血液中のアルコール濃度が約3割低下すると言われています。そういえば聞いたことがあります。「お酒を飲んだ翌朝はトマトジュース」というコマーシャルもありました。ちなみに、県内では昭和40年頃からトマトが積極的に栽培されるようになり、今では県北部を中心に県内全域で生産されています。

お酒を飲んだ後、お腹がいっぱいなのにラーメンを食べたくなるのはアルコール分解時に糖を消費するためだそうです。さらに、ラーメンにはアルコールの分解を助けるイノシン酸が多く含まれているそうです。なるほど、体が要求しているのかもしれません。ただし、食べ過ぎると糖尿病や高血圧の原因になるので注意しなければなりません。何ごともほどほどが大切です。

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2月22日(水曜日)の一打「お酒の雑学 その1」

意外かもしれませんが、実は埼玉県の清酒の出荷量は全国4位です。1位の兵庫県、2位の京都府、3位の新潟県に続いて埼玉県が上位を占めているということを御存じでない方も多いと思います。お酒にまつわるいろいろな資料をいただきましたので御紹介したいと思います。

まずはビールの話題から。
ビールの語源はラテン語の「bibere(ビベール=飲む)」だそうです。日本語のビールはオランダ語の「bier(ビール)」が元になったそうです。

ビールのジョッキは長靴から生まれたそうです。中世ドイツの騎士たちは履いている長靴にビールを注いで飲んでいたそうです。後に木・竹・陶器・象牙・銀などで今のようなジョッキが作られるようになったそうです。物が不足しているときには何でも使ったんですね。

ビールをおいしく感じる喉(のど)越しの正体は喉の神経だそうです。喉は味をほとんど感じませんが、ビールでこの神経が刺激を受け、強い快感を生み出します。これが喉越しの正体だそうです。そう言えば、「のどごし」なんて名前の発泡酒があったような気がしますが。大事なんですね、喉というのは。

ビールの泡でノーベル賞を取った天才がいました。アメリカの物理学者ドナルド・グレーザーはある日、ビールに砂粒を落とすと、その跡に沿って泡ができることに気が付きました。そこで、彼はビールの代わりに液体水素を準備し、その中に素粒子を通過させると進路に沿って泡ができることを発見しました。こうして彼は素粒子観察の泡箱装置を発明し、1960年度にノーベル物理学賞を受賞したそうです。この話、お酒を飲むと良いアイデアが生まれるという「酒飲みの自己弁護」に利用されているのではないかと言われています。

「エビス」が先か、「恵比寿」が先か?
明治20年頃、今の恵比寿の地名は下荏原郡三田村(しもえばらぐん みたむら)と言ったそうです。ここに明治22年、日本麦酒醸造会社(現・サッポロビール株式会社)がビール工場を設立し、恵比寿様のマークの「エビスビール」の生産を開始しました。ビールの需要が増えてくるにつれて工場の生産量は急上昇。近くにどうしても出荷用の駅が必要になったそうです。それでできたのが恵比寿駅。やがて一帯の地名も恵比寿になったそうです。ビールの恵比寿様のマークが駅名にもなり、地名にもなったということです。そういう話は全国に幾つかありますね。

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2月21日(火曜日)の一打「北川辺とまと研究会」

去る2月13日(月曜日)に、北川辺とまと研究会の石島大士(いしじま ひろし)会長が、ほくさい農業協同組合の坂本富雄(さかもと とみお)組合長、柿沼トミ子(かきぬま とみこ)県議会議員とともに近況報告にお見えになりました。

北川辺とまと研究会は、昭和41年に旧北川辺町で施設園芸に取り組む生産者13名で発足しました。現在、会員数は24名で、大変熱心にトマト作りを行っておられます。

私も平成20年に訪問させていただきました。共同で肥料を購入したり、選果場(野菜や果物を大きさ、形、色で仕分けし、箱詰めするところ)を造ったり、様々な作業を協力して行いながら、「木甘坊(きかんぼう)」というブランドで出荷されていることが印象に残っています。

その際、「皆さんには、1,000万円プレーヤーを目指していただきたい。」と申し上げましたら、それから3年後ぐらいに、「各メンバー1,000万円プレーヤーになりました。」という報告にお見えになりました。「次は1,500万円ですね。」と申し上げたところ、今回、更に農林水産省の補助事業でトマト選果機を導入し、経営をバージョンアップされた様子であります。

研究会全体の平成28年産の販売金額は6億円を越えているそうです。質の良いトマト作りにこだわり、埼玉県内はもちろん、東京、青森の各市場にも売り出しておられます。正に、「稼ぐ農業」、「儲かる農業」を実践しておられることをとても頼もしく思います。

「埼玉県の北川辺とまと研究会」が「長野県の川上村のレタス農家」と並ぶ両横綱と称されるようになれば、大変うれしいなと思っております。これからも、北川辺とまと研究会の皆さん頑張ってください。

北川辺とまと研究会の皆さんと知事

2月20日(月曜日)の一打「世界における日本の地名検索ランキングでSaitamaが4位」

2月12日(日曜日)付けの埼玉新聞のコラム「さきたま抄」に、「Saitama」と検索する人が海外で急増していると出ていました。

大手検索サイトグーグルが先月発表したデータによると、世界における日本の地名検索ランキングでTokyo(東京)、Hiroshima(広島)、Ginza(銀座)に次いで4位にSaitama(埼玉)が挙がっているそうです。5位以降は、Osaka(大阪)、Kyoto(京都)、Fukushima(福島)、Yokohama(横浜)と続きます。

前年比では98%の増加でダントツで高いようです。理由について同社は、東京周辺で宿泊施設を探すためということもありますが、海外で人気になっているアニメの影響が大きいと指摘しています。

そのアニメとは「ワンパンマン」(アンパンマンではありません)。英語のタイトルは「One-Punch Man」です。アニメの主人公の名前が「サイタマ」だそうです。

どんな理由であれ、検索サイトグーグルで4位になったというのは、埼玉県知事としてうれしい限りです。

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2月17日(金曜日)の一打「30分に1回立ち上がれ」

昨年11月16日(水曜日)のNHKの番組「ガッテン!」で、NASA(アメリカ航空宇宙局)が様々な実験を重ね、ついに老化のスピードを左右する「老化スイッチ」を発見したという内容が放送されました。

宇宙では地上の10倍のスピードで老化が進むと言われています。宇宙に半年いると筋力は半分になり、骨密度の低下は高齢者の1年分の変化がわずか1か月の間に起こってしまうことが知られています。その他にも認知機能の低下や脂質・糖などの代謝異常、循環機能の低下など、様々な悪影響があるそうです。

その最大の原因は「無重力」にあるそうです。しかも無重力状態では運動していてもこれらの異常が起こってしまうそうです。一体なぜか。その犯人は耳の中にいました。内耳(ないじ)という場所にある耳石(じせき)という器官が老化のスピードを左右する原因の一つであることが最近分かってきたそうです。

さらに、無重力と同じように体に悪い影響を及ぼす、ある習慣も明らかになってきました。それは座り続けることです。
何と、1時間座ると22分寿命が縮むという研究結果もあるそうです。これも耳石に大きな原因があると考えられています。座り続けていると耳石はあまり動きません。耳石は、全身の筋肉や内臓や血管をコントロールする自律神経とつながっているため、耳石が動かないと、全身の筋肉や自律神経の働きが衰え、筋力の低下や循環機能低下、代謝の異常など、様々な悪影響が起こると考えられています。

NASAの研究によって分かってきた若返りの秘密、それは30分に1度立ち上がること。それだけで、頭が前後左右に動き、耳石を効率的に動かすことができるそうです。

偶然ですが、私は知事室で職員から説明を受けたり、決裁をする時は、その都度、立って対応しております。「やった!」という感じです。私たちにも簡単にできるアンチエイジング術。座っている時間が長い方は、是非とも30分に1度は中断して立ち上がってみてください。

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2月16日(木曜日)の一打「イノベーター ナイチンゲール」

看護師というと誰もが思い浮かべるのはイギリス人看護師、フローレンス・ナイチンゲールでしょう。彼女に対するほとんどの人の印象は、危険を顧みず、兵士を懸命に看護した献身的な「白衣の天使」といったところだと思います。
確かにその印象は間違いではありません。児童書や映像などでは戦地での活躍が強調され、我々に従軍看護師としてのナイチンゲール像を印象付けています。

しかし、彼女の実像は社会を変えたイノベーターとして捉えた方がふさわしいとも言えます。彼女の偉大な功績は、クリミア戦争が終結し、イギリスに帰国してから始まったのです。

彼女は、戦地における劣悪な衛生環境、物資不足、感染症による戦死が負傷による戦死の30倍に上ることなどを統計分析し、独自に考案したグラフを用いて報告書を作成し、ヴィクトリア女王直轄の委員会に提出しました。この報告書は1,000ページにも及んでいたそうです。

客観的な事実はどんな権力よりも強い。ナイチンゲールが突き付けた事実が政府を動かし、戦地はもとより市民生活における衛生環境が見直され、医療改革が大きく前進することになったそうです。
その後、ナイチンゲールは感染症がまん延しにくい病院の設計、看護学校の設立など、現在の医療の発展につながるイノベーションを実現していったそうです。

客観的な事実に基づいた説明を通じて賛同者を増やし、共感の力で現実を変えていく。あるいは現場からの声を改革につなげる。どの時代でも、どの分野でも改革を実現する原理は一緒なんですね。客観的な事実。現場からの報告。あるべき姿の提示。そして、その実現。頑張りましょう。

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2月15日(水曜日)の一打「ダイソンの掃除機を世に送り出した日本企業」

「吸引力の変わらないただ一つの掃除機」のCMで有名なダイソン社のサイクロン掃除機。遠心力を利用してゴミの粒子を分離する技術で、紙パックの目詰まりが原因の吸引力低下がないこの革新的な掃除機は、現在、世界67か国で販売されています。

本国のイギリス国内では4軒に1軒がこの掃除機を使っているとも言われています。しかし、開発当初、この技術は誰にも相手にされなかったそうです。開発者のジェームズ・ダイソン氏が試作品を持って、イギリス、アメリカのメーカーに売り込みに行っても、どの会社も「それほど良い技術ならば、フーバー社(アメリカの大手家電メーカー)が開発していないわけがない」と門前払いされたそうです。

そんな時、イギリスから遠く離れた日本のシルバー精工株式会社が、国際見本市に出品されていたこの掃除機に注目して、ダイソン氏とライセンス契約を結び、製品第一号を通信販売で売り出したそうです。この掃除機は大ヒットとなり、ダイソン氏はシルバー精工から得たライセンス料で会社を立ち上げます。これが今日のダイソン社です。ダイソン氏は、シルバー精工の若い技術者たちが彼の新しい技術に興味を示し、その説明を興奮して聞いている様子を見て深く感銘を受けたと後に語ったそうです。

「良い技術や製品は大手の企業でなければ生み出せるはずがない」そうした 先入観にとらわれることなく、例え相手が無名であっても、その技術の持つ「本質」に着目して画期的な製品を世に送り出したのが、他ならぬ日本の企業であったことがうれしいですね。日本の製造業に脈々と受け継がれた「ものづくりの遺伝子」のなせる技でしょう。

改めて、新しい技術を見逃したりしていないかどうか、我々も大国ばかりでなく新興国にも目を向けたりしながら、よく見る必要があると思います。売り込みに来た名もない会社を門前払いしてはいけないと感じました。

ところで、ダイソン氏が成功するまでの間、家族の生活を支えたのがダイソン夫人であったそうです。彼女は収入のない夫に代わり、絵画教室で絵を教えて生活費を稼いでいました。子育てをしながら生活を切り詰め、住宅ローンや夫が銀行から借りた試作費用まで、実に15年にわたって支払いを続けていたそうです。本当に変わらなかったのは、吸引力ではなく、ダイソン夫人の夫への信頼と深い愛情だったに違いありません。成功の陰にすばらしい内助の功があったということです。

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2月14日(火曜日)の一打「日本一の家賃収納率を達成」

2月8日(水曜日)に埼玉県住宅供給公社の前田一彦(まえだ かずひこ)理事長が平成28年度決算の見込みについて報告にお見えになり、昨年度よりも黒字が約1千万円増えて、約5.3億円の当期純利益が確保できそうだというお話をいただきました。これで13期連続の黒字となります。トヨタホーム北関東株式会社の社長をなさっていた前田理事長を住宅供給公社の理事長にスカウトして以来、公社はすばらしい経営体になりました。

平成24年度の純利益は1.5億円でありましたが、その後2.8億円、3.6億円、5.2億円と極めて優良な業績を残しておられます。加えて、特筆すべきことは、県から受託している県営住宅の家賃収納業務について、金額ベースの収納率で全国1位を達成したことです。これまで3位とか2位であったものが、平成27年度についに1位になりました。99.0パーセントという極めて高いレベルの収納率です。

本県のように人口移動の激しい県では、家賃を払わずにいつの間にかいなくなってしまう人もいたりして、収納率を上げるのは非常に困難を伴います。それにもかかわらず日本一になったこと、しかも本県は県営住宅の戸数が非常に多い県であることなどからして、これはすばらしい成績だと申し上げるべきです。埼玉県住宅供給公社が、県の出資法人としての役割を極めて丁寧に行っていることが改めて証明されたものと思います。

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2月13日(月曜日)の一打「銀行の雑学」

世界で最初の銀行は紀元前3000年までさかのぼるそうです。西アジアのチグリス川・ユーフラテス川の下流地方、現在のイラクの辺りにあったバビロニアという古代王朝では、神殿で人々の財産や貴重品を保管したり、穀物や家畜を貸し付けたりしていたそうです。これが銀行の起源だと言われています。

日本でも銀行のような事業は古くからありました。
鎌倉時代にはお金の貸し借りを担う土倉(どそう)と呼ばれる業者がいました。土倉は当時のお寺や神社が営んでいた金融業のことで、お金を貸し出したり、人々からお金を預かって利息を払ったりしていたそうです。
また、江戸時代に発達した両替商も代表的な金融業です。両替商として大きな成長を遂げた三井や住友などは、現在の大手銀行の源流となっています。

現在のような近代的な銀行は1694年にイギリスで創設された「イングランド銀行」が最初とされています。
日本での本格的な銀行の誕生は、1873年(明治6年)に設立された「第一国立銀行」であると言われています。「国立」という名前はついていますが、実は民間経営の銀行です。この設立に尽力し、初代の頭取となったのが、我らが郷土の偉人、渋沢栄一(しぶさわえいいち)翁です。
「銀行」という名称は米国の「国立銀行法(National Bank Act)」の「Bank」を「銀行」と翻訳したことに始まると言われています。
翻訳に当たっては高名な学者たちが協議を重ね、お金(金銀)を扱う店との発想から、中国語で「お店」を意味する「行」を使った「金行」あるいは「銀行」という案が有力となりました。最終的には渋沢翁の発案により、語呂のよい「銀行」に決まったそうです。

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2月10日(金曜日)の一打「貨幣の雑学」

2月1日(水曜日)、さいたま新都心に開局した独立行政法人造幣局さいたま支局に併設された「造幣さいたま博物館」を見てまいりました。そんなことから、今日は貨幣の雑学について御紹介したいと思います。

日本の通貨の単位が「円」になったのは明治の初頭のことです。1871年(明治4年)5月に「新貨条例」が公布され、「円・銭・厘」という新しい単位が決定しました。「円」の由来には幾つか説がありますが、「当時のお金の形がすべて円形だったので名前も『円』になった」というシンプルな説が有力視されています。「銭」という単位は古くからありましたが、なぜ「文」や「貫」ではなく「銭」になったのかと言うと、アメリカのお金の単位「セント」の発音に合わせたという話もあります。発案者は佐賀県出身の大隈重信(おおくましげのぶ)と言われています。

硬貨に「表」と「裏」があるかというお話ですが、造幣局に確認したところ、法律には「表・裏」の規定はないそうです。でも製造するときに不便なので、造幣局では年号がある面を「裏」と呼んでいるそうです。年号以外にも「1」とか「100」というような数字が書かれていて、こちらが「表」のような気がしますが「裏」だということです。

お客さんが21枚以上の同じ硬貨で支払おうとした場合、店側は受け取りを拒否できるそうです。1回の支払いで同じ硬貨を21枚出した場合には、法律で保証した通貨として認められないため、お店側は受け取りを拒否してもよいことになっているそうです。時々、貯金箱一杯に貯まった10円玉を握りしめてお菓子を買いに来る子供もいると思いますが、そんな時は拒否しないでいただければありがたいと思います。

記念貨幣で支払う場合、店側は受け取りを拒否できないそうです。日本銀行券(紙幣)や補助貨幣(硬貨)は「強制通用力」といって、金銭の支払手段として強制的に通用する効力をもっています。このため記念貨幣であっても、店側は受け取りを拒否することができないそうです。ちなみに、日本で記念貨幣が発行されたのは、1964年の東京オリンピックを記念した1000円と100円の銀貨幣が初めてだそうです。記念紙幣は日本では今のところ発行されていません。

「お賽銭」には硬貨が良いそうです。硬貨を投げることによって「チャリーン」という音がする。神様に気付いてもらうためには、実はこの「音を鳴らす」というところに意味があると言われているそうです。どうしても願い事を聞いてもらいたいと奮発してお札を入れても、音がしないことで神様には気付いてもらえないのかとも思いますが、神様は何でも分かるからこそ神様ではないかと私は思います。

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2月9日(木曜日)の一打「政治家への信頼度とモラル」

ダイヤモンド・オンラインに掲載されている、統計データ分析家である本川裕(ほんかわ ゆたか)氏の「社会実情データ・エッセイ」(http://diamond.jp/category/s-dataessay)を読みました。今回のテーマは「日本国民の政治家への信頼度はなぜ世界最低レベルなのか」というもので、「政治家は正しいことをしていると信頼」している人と、「政治家は自己利益の追求だけだ」と思う人との相関関係についてのデータを基に論じていました。

このデータによれば、「政治家は正しいことをしていると信頼」している国民の比率が高い国々として、スイス、スウェーデン、デンマーク、ニュージーランドなどがありました。反対に、低い方ではスロベニア、クロアチア、ラトビア、リトアニア、ポーランドなどと並んで日本があり、その比率は10%以下です。ドイツ、イギリス、アメリカ、韓国、台湾、メキシコなどは20%前後、フランスはそれより少し下がります。

一方、「政治家は自己利益の追求だけだ」と考える国民の比率が高い国々としてスロベニア、クロアチア、ラトビア、メキシコ、ベネズエラなどがあり、何と80%近い国民がそう考えています。そして50%から60%辺りにフィリピン、ロシア、インド、アメリカ、日本、フランスといった感じです。

このような結果を読み取っていくと、北欧諸国は比較的政治家が正しいことをしているという信頼度が高く、また自己利益の追求もしていないと思われている。ニュージーランド、オーストラリアも同じような分類になるようです。日本の場合は、政治家が自己利益の追求をしているとはそんなに思われていませんが、正しいことをしているという信頼度が低くなっています。その逆に、フィリピンやロシアやインドなどは政治家が正しいことをしているという信頼度は高い一方で、自己利益の追求もしている、こうした評価にあるようです。プーチン大統領などを思い浮かべればいいのかもしれません。結構、自己利益の追求をしているような感じはするけれども、一方では国家のために正しいことをやっていると、そういう国民の信頼があるようです。アメリカや英国やドイツ、フランスなどはだいたい真ん中という感じです。ロシアと近接している国々やアルゼンチン、スペインなどは両方とも評価が低いという分類です。

本川さんは、人口が多い国々は国民と政治家との距離が遠くなってしまうため政治家が信頼を得にくいのかもしれない、また、人口の少ないスイスやスウェーデンやデンマークやニュージーランドなどは比較的政治家と国民との距離が近く、評価につながるのではないかと分析されています。

新興国などでは政治家の実績がより重視され、先進国では実績もモラルも求められている。こんなことがざくっと言えるのではないかと思います。日本の場合、残念ながら信頼度が低く、政治家のモラルも中位で決して良いレベルではないと、少なくとも国民は思っているようです。あれもこれもできた時代から厳しい選択を迫られる時代になっています。それにも関わらず、政治は相変わらず国民から遠いところでの議論ばかりで身近に感じられないという気持ちがそうした数字に表れ、また選挙における投票率の低さにも関係しているのではないか思います。

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2月8日(水曜日)の一打「宋書と倭の王」

さきたま古墳から出土した金錯銘鉄剣(きんさくめいてっけん)が作られた年代については471年ないし531年などの説があります。

3世紀半ばの『魏志倭人伝(ぎしわじんでん)』以降、中国の史書に日本に関する記述が無かったのですが、5世紀になると再び「倭国(わこく)」として日本の記述が現れます。
その5世紀後半にまとめられた宋王朝(420年~479年)の正式な歴史書である『宋書(そうじょ)』に、讃(さん)、珍(ちん)、済(せい)、興(こう)、武(ぶ)という倭の5人の王が当時、中国の中央を支配していた宋に使者を送っていたことが記録されています。
『宋書』に出てくる倭王の名は、日本の天皇の名前と全く異なっており、どの天皇を指すのかということについては様々な説があります。研究者の間では、讃は応神(おうじん)天皇、仁徳(にんとく)天皇、履中(りちゅう)天皇のいずれか、珍は反正(はんぜい)天皇、済は允恭(いんぎょう)天皇、興は安康(あんこう)天皇、武は雄略(ゆうりゃく)天皇との説があるようです。
昨日のブログで紹介した金錯銘鉄剣に記されている獲加多支鹵(わかたける)大王は武王と称した雄略天皇であると言われています。
株式会社青春出版社発行の『図説 地図とあらすじで読む古事記と日本書紀』や株式会社岩波書店発行の『新版 日本史年表』に掲載されている古墳時代の年表を見ると、当時の倭国が宋という国の後ろ盾を得て朝鮮半島での地位を確かなものにしようとしていたことが分かります。参考に年表を付しておきます。

倭の五王外交史
中国 西暦 事柄

421

倭王の讃、宋に朝貢し、宋の武帝から除授の詔をうける

425

倭王の讃、司馬の曹達を遣わし、宋の文帝に貢物を献ずる

430

一月、倭国王、宋に使を遣わし、貢物を献ずる

438

倭王の珍、自ら「使持節都督倭・百済・新羅・任那・秦韓・慕韓六国諸軍事安東大将軍倭国王」と称し、正式の任命を求める
四月、宋の文帝、珍を「安東将軍倭国王」とする

443

倭国王の済、宋に朝貢して、「安東将軍倭国王」とされる

451

倭王の済、宋から「使持節都督倭・新羅・任那・加羅・秦韓・慕韓六国諸軍事」を加号される。
また、上った二三人は、宋朝から軍郡の称号を与えられる

460

十二月、倭国、遣使して貢物を献ずる

462

三月、宋の孝武帝、済の世子の興を「安東将軍倭国王」とする

477

十一月、倭国、宋に遣使して貢物を献ずる

478

宋の順帝、倭国王の武を「使持節都督倭・新羅・任那・加羅・秦韓・慕韓六国諸軍事安東大将軍倭王」とする

参考:「新版日本史年表」(株式会社岩波書店)
「図説 地図とあらすじで読む古事記と日本書紀」(株式会社青春出版社)

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2月7日(火曜日)の一打「金錯銘鉄剣」

吉見百穴(よしみひゃくあな)が出てきましたので、こうなったらやっぱり「金錯銘鉄剣(きんさくめいてっけん)」を改めて紹介したいという気分になります。

行田市の埼玉(さきたま)古墳群には直径が105メートルもある日本一大きい円墳のほか、大型前方後円墳が8基も現存していますが、このことは案外、知られていません。
この円墳の丸墓山(まるはかやま)古墳が忍城を攻めた石田三成(いしだみつなり)の本陣に使われたことは、映画「のぼうの城」で有名になりましたが、上杉謙信(うえすぎけんしん)がここを本陣にしたという話もあります。

昭和43年(1968年)に、この古墳群の一つである稲荷山古墳から「金錯銘鉄剣」という日本の古代史にとって極めて資料的価値の高い鉄剣が出土しました。

発掘調査当初は、この国宝となる「金錯銘鉄剣」に銘があることは分かりませんでした。10年後、保存修理のためのクリーニング中に文字があることが発見され、全長73.5センチメートルの鉄剣の表に57文字、裏に58文字の文字があることが確認されました。
銘文には、「辛亥(かのとい)年七月」の文字があります。まだ年号があったのか、なかったのか、いずれにしても干支(えと)で年代を表していたようです。
辛亥は西暦471年説が有力です。いずれにしても4世紀から5世紀にかけての日本の古代史の中で、極めて貴重な文字の史料となりました。

内容としては、この鉄剣を作らせた方の人物名が記され、そして最初の先祖から8代にもわたる系譜が書かれています。そして、本人は獲加多支鹵(わかたける)大王に仕え、代々、大王家の警護を行う杖刀人(じょうとうじん)、つまり、警護隊(長)の家だというような内容であります。

この獲加多支鹵大王は、「古事記」、「日本書紀」では、雄略(ゆうりゃく)天皇と言われています。中国南朝の宋に使いを送って「武(ぶ)」と呼ばれたことなども明らかになっており、中国の歴史書「宋書」(そうじょ)に記述があります。この宋書については、次回、御紹介をさせていただきます。

さきたま史跡の博物館ホームページ

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2月6日(月曜日)の一打「何でもランキング1位の吉見百穴」

日本経済新聞の土曜日の別刷り紙面に掲載される「何でもランキング」をいつも楽しみにしています。なんと1月28日(土曜日)号では、その1位に吉見百穴(よしみひゃくあな)が出ました。何のランキングかと言いますと、「間違いやすい文化財」でありました。その文化財がどの都道府県にあるのかをインターネットで幅広い層に聞き、正答率が低かった順のランキングです。つまり、所在地を間違いやすい文化財のランキングで、一番間違いやすいのが吉見百穴と出ていました。

吉見百穴を埼玉県以外にあると答えた人は約60%で、どこと間違えられているのかというと、宮崎県と答えた人が26%いたそうです。吉見百穴は古墳時代の末期、6世紀末から7世紀末にかけて造られた墓です。岩山を掘削した横穴が219もあるんです。一つの穴に複数の人が葬られたとされています。一部の横穴墓内には天然記念物のヒカリゴケが自生しています。1923年(大正12年)に国の史跡に指定されています。
知名度はそれなりにあるんですが、どこにあるのか知られていなかったというところに若干の寂しさはあります。しかし、驚くことはありません。他の文化財でも結構間違いがあるんです。

「吉野ヶ里遺跡」は佐賀県にありますが、間違えた人が約50%で、奈良県と間違えた人が33%いたそうです。また、「二重橋」も結構間違えられています。間違えた人が44%もいます。福井県にある「永平寺」も結構、間違えられています。約40%の人が間違えました。次が「高野山金剛峯寺」で、高野山を間違えるのかと言いたいくらいですが、間違った人が36%います。こんな調子ですから、そんなに心配しなくてもいいかと思います。

吉見町ホームページ「吉見百穴/ヒカリゴケ」

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2月3日(金曜日)の一打「霞ヶ関カンツリー倶楽部についてのあれこれ」

本県の川越市にある「霞ヶ関カンツリー倶楽部」が2020年の東京オリンピックのゴルフ会場となっていることについて、様々な意見があります。今、一番大きな問題になっているのは、女性正会員が認められていないという話ですが、これには誤解も多いようです。そもそもは公益財団法人日本ゴルフ協会が東京都からゴルフ競技会場選定の依頼を受け、東京都の選定条件に従って約50のゴルフコースの中から絞り込み、最終的に最良の会場として霞ヶ関カンツリー倶楽部が選ばれ、「立候補ファイル」に記載されたものです。当然、女性正会員の点についても検討され、その説明を了として、国際オリンピック委員会(IOC)や国際ゴルフ連盟(IGF)の承認があったものと理解しています。

霞ヶ関カンツリー倶楽部は既に自らの費用負担でコースの改修を行い、国際ゴルフ連盟による視察・承認を10回以上受け入れるなど、一般社団法人としての創立精神にのっとり、国家的な事業であるオリンピック競技開催に向けて、数々の要望に応え、準備をされてきたところです。

女性会員の問題ですが、平日と土曜日にプレーできる「週日会員」と「家族会員」の中には現在212名の女性会員が在籍していることもよく知られておりません。女性会員に対する待遇や権利、あるいは施設利用について女性会員からのクレームはなく、1999年には日本女子オープンが開催されるなど、女性プレーヤーに対して十分に門戸は開放されていると聞いています。

最近のデータでは、年間営業日のうち9割以上にあたる日が女性のプレー可能な日になっているそうです。年間の来場総数約65,000人のうち、女性は9,000人を超えているとの報告もあります。
また、この霞ヶ関カンツリー倶楽部は日本ジュニア選手権を40年以上にわたり継続されていたり、日本オープンなどの公式競技の会場となったり、日本のゴルフ振興や選手育成などにも大きな役割を果たしてきたクラブであることは多くの方が知っているところです。
こうした実態がなかなか理解されず、ただ女性の正会員がいないということだけで全てがマイナスであると言わんばかりのニュアンスが伝わってきたりしています。

様々な状況が大きく変わっている現在の流れの中では、社会からの要請に応える努力をしていくべきだとは思いますが、もとより、一般社団法人として、会員の皆様の意志で改めて女性正会員を受け入れるのか受け入れないのか、経営判断も含め、どうするかを決めるのは霞ヶ関カンツリー倶楽部側であるわけです。
しかし、事実関係が知られないままに批判をされているのが残念でしたので、このブログで取り上げました。様々な意見を聞かれた上で正々堂々と判断されたらと思います。

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2月2日(木曜日)の一打「埼玉西武ライオンズのレオとライナ、埼玉特命観光大使に」

2月1日(水曜日)、埼玉西武ライオンズのマスコットである「レオ」と「ライナ」を埼玉特命観光大使に任命させていただきました。

埼玉西武ライオンズは、台湾のプロ野球チーム「統一ライオンズ」と友好関係を結び、同チームの主催試合で埼玉西武のPR活動を展開するなど、近年、台湾からの観戦客誘致に努めています。マスコットであるレオとライナも、たびたび台湾に赴きパフォーマンスを披露しているそうで、現地ではファンの熱烈な歓迎を受けるなど、その人気はなかなかのものだそうです。

こうした機会を生かし、埼玉西武ライオンズから「台湾において地元埼玉県の観光や物産を積極的にPRしたい」という申し出をいただきましたので、レオとライナに「埼玉特命観光大使(台湾担当部長)」になってもらい、埼玉県の観光の魅力をPRしていただくことにしました。

今後、レオとライナには台湾で行われるイベントへの出演やSNSによる発信などを通じて、埼玉県の観光や物産の魅力発信に協力していただくことになります。乞う御期待です。

ライオンズのレオとライナと知事

2月1日(水曜日)の一打「三峯神社と宮本武蔵」

埼玉県と県内商工団体との共催による「新年の集い」が1月13日(金曜日)に知事公館で行われました。
締めの御挨拶で、埼玉県中小企業団体中央会会長の星野進(ほしのすすむ)さんが、宮本武蔵の二刀流の開眼は、実は秩父の三峯神社の神楽(かぐら)の太鼓の撥(ばち)を叩くのを見たことがきっかけだったという話をされました。

一同驚き、「そんな話は知らんな」という感でありました。
御挨拶の後、星野会長に「それは本当ですか」と聞いたら、吉川英治(よしかわえいじ)氏の小説『宮本武蔵』にそう書いてあると言われました。
『宮本武蔵』は、私も高校時代と大学時代に2度読んだ記憶がありましたが、その場面は思い出すことはできませんでした。

気になりましたので三峯神社のホームページを調べたところ、神楽殿の案内に「三峯の神楽は霧の流れる境内にひびく笛と太鼓の調和よく、その巧妙な撥さばきによって彼の宮本武蔵が二刀流を開眼したと伝えられるものです。」との説明を見つけました。

改めて、吉川英治氏の『宮本武蔵』の二天の巻の「撥(ばち)」という一節を読みました。
三峯神社の場面で武蔵は神楽殿で太鼓をたたいている人の手を見ながら「・・・ウウム、二刀、二刀、あれも二刀も同じ理だ、撥は二つ、音はひとつ」とつぶやきます。
そして、武蔵は「一乗寺下り松の闘い」で多勢の吉岡一門に対して、身一つで当たったとき、いつの間にか右手に大刀を、左手に小刀を持っていたことを思い出します。
普通は両手で一刀を使うのですが、命の危機に直面した時に自然体で二刀を使ったということを考え、むしろ二刀が自然なのではないかと武蔵は考えたわけです。
「無意識でなく、意識あっての働き。しかも、その意識が、無意識のように自由な働き。二刀は、そうしたものでなければならぬ。」と武蔵は常にその工夫を胸に抱いており、「自己の信念に、理念を加えて、動かない二刀の原理をつかもうとしていた」ようです。それを「二本の撥」を通じてぱっと受け取ったという話です。

もとより、吉川英治氏が宮本武蔵のこの光景を見たわけでもなく、また、宮本武蔵にインタビューしたわけではないですから、事の真相は分かりません。
しかし、かの有名な吉川英治氏の著書に三峯神社神楽殿の撥さばきに二刀流のヒントがあったなどと描写されていたことは大変うれしく思います。
今や三峯神社はパワースポットとして若い人たちに人気ですが、この宮本武蔵の話をすればおじさんたちにも人気が出るかもしれません。

三峯神社ホームページ

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