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発表日:2020年10月26日04時

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県政ニュース

令和2年度埼玉県戦没者追悼式の実施結果について

部局名:福祉部
課所名:社会福祉課
担当名:援護恩給担当
担当者名:坂爪、武川

内線電話番号:3277
直通電話番号:048-830-3277
Email:a3270-14@pref.saitama.lg.jp

先の大戦において戦没された本県関係の方々を追悼し、併せて恒久平和を祈念するため、下記のとおり戦没者追悼式を実施しました。

1 日時

令和2年10月24日(土曜日)午前10時30分~午前11時30分

2 場所

埼玉会館大ホール

3 参列者

(1)遺族代表等

190名

(2)来賓

18名

主な来賓

県議会議長、県議会副議長
県議会議員、各団体の長

(3)合計

208名

4 式典の主な内容

(1)知事の式辞

戦後、我が国は、戦争がもたらした悲しみと苦しみを教訓として、世界中に平和を訴えてきた。そして、廃墟の中から他に類を見ない復興を遂げ、世界有数の経済大国となった。

我が埼玉も、自然があふれ、都市の賑わいと利便性をも併せ持つ、魅力ある県として、今や734万人を超える人口を集め、力強い発展を続けている。

これら、戦後当然のように享受してきた平和と繁栄は、4万8千人を超える埼玉県出身の方々の尊い犠牲と、御遺族の深い悲しみという大きな代償を支払って築き上げられたものであることを、私たちは決して忘れてはならない。

我が国は、これまでも幾度の難局を乗り越え、平和と繁栄を築き上げてきた歴史がある。全ての日本人が自信と誇りをもって、この良き日本を次の世代に引き継ぎ、発展させていくことが、祖国の繁栄を夢見て散っていった戦没者の想いに応える唯一の道であると信じる。

私は、平和な社会を将来にわたって守り続け、埼玉からはじめる日本の更なる発展のため、全力を尽くすことをここに固くお誓いする。

(2)追悼の言葉

ア 埼玉県議会議長 田村 琢実 様

英霊となられた方々や、戦禍に巻き込まれた方々の愛する祖国と家族への断ちがたい思いや、無念なお気持ちに思いを致すと、万感胸に迫り、誠に痛恨の極みである。

また、最愛の肉親を失われた御遺族の皆様の御心情を拝察すると、悲痛の思いが胸に迫ってくる。

こうした深い悲しみの中、御遺族の皆様は、幾多の試練に耐えながら御家族を守り、そして、祖国日本の復興に力を尽くされてきた。

今日の我が国の平和と繁栄は、戦没者の皆様の尊い犠牲と、御遺族の皆様のたゆまぬ御努力の上に築かれたものであることを、我々は決して忘れてはならない。

悲惨な戦争から学んだ教訓を風化させることなく、平和の尊さを後世に伝え、永久に守っていくことが、今を生きる私たちに課せられた重大な責務である。

ここに改めて、戦没者の皆様の祖国発展への思いを深く心に刻み、安心して暮らすことができる、平和で豊かな郷土 埼玉を築いていくために、全力を尽くすことを、御霊の前にお誓いする。

イ 市町村代表埼玉県町村会会長(皆野町長)石木 戸道也 様

諸霊は、先の大戦において、苛烈を極めた戦いの中で、ひたすら祖国の安泰と繁栄を願い、最愛のご家族の安寧を念じつつ、国の御楯として戦場に斃れ、あるいは戦禍の犠牲となられた。

戦没者の方々のご心情とご無念を思うとき、万感胸に迫り、痛恨の情を禁じえない。

また、最愛の肉親を失いながらも、戦後の混乱の中を生き抜き、立派にご子弟を養育され、地域社会に貢献してこられたご遺族皆様の並々ならぬご労苦に対して、深甚なる敬意を表する。

我が国は現在、戦前には想像もできなかった繁栄と平和を謳歌しているが、世界に目を向けると、テロや地域紛争の絶えない現状を見るにつけ、誠に嘆かわしいことと言わざるを得ない。

また現在、新型コロナウイルス感染症拡大という新たな苦難にも直面しており、この困難な状況を乗り越え、人々の幸せと平和を願うばかりである。

終戦以来75年が経過し、先の大戦を肌で感じたことのない世代が国民の大半を占めるようになった。

私どもは、戦争の惨禍が再び繰り返されぬことを願い、平和を祈り、未来に向かって、力強く前進することを御霊にお誓いする。

ウ 遺族代表 小久保 亘秩 様(一般財団法人埼玉県遺族連合会 理事)

私の家は、機屋と生糸の取引を営む商家で、恵まれた家庭生活を送っていた。3代目の父は、国の権力によって、昭和18年3月1日に徴用され横須賀市の浦賀造船所に勤務していたが、昭和19年6月15日突然招集令状が届き、フィリピンのルソン島に派兵され戦線に立った。

連絡が途絶えたまま終戦となり、3年目の昭和23年7月20日に戦死の公報が伝達され、終戦一月半前の昭和20年6月30日戦死となっていた。

家庭の大黒柱をとられて、残された祖父と母、子供達3人は生きる術を失い、母の胸中を思いやるとき、言葉では言い尽くすことが出来ない怒りと、今後の不安が走馬灯のごとく廻った。

家庭は破壊され、悲しみそして苦しみをもたらした先の大戦が終わり、早くも75年の年月が過ぎ去った。歳月の流れとともに戦後世代が国民の大部分を占め、人の心も多様化した今日、あの悲惨な戦争も遠い過去のものになりつつあると言われている。

しかし、今日の繁栄と平和な暮らしは、祖国のために一命を捧げられた皆様の尊い犠牲を礎として築かれたものである。

私達はこの事実を忘れることなく、悲惨な戦争の教訓と平和の尊さをしっかりと心に刻み後世に伝えていく。そしてこの世から戦争を無くし、全ての人々が平和で心豊かな世界となるように弛まぬ努力をすることをお誓い申し上げる。

 

※追悼の言葉をいただいた御来賓氏名の一部にJIS規格第1・第2水準にない文字があるため、第1・第2水準の漢字で表記しているものがあります

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