教育と福祉の原点は

 占領政策憲法は、家の制度を破壊し、個人を祖先及び父母から分断して、相互の関係を断絶いたしました。占領軍は、日本の良俗美風であるところの家の制度を破壊し、家というような肉眼で見えないものは認めない、だから家督相続を廃して肉眼に見える財産相続だけを残したのであります。占領憲法以前の日本の伝統においては、長男が家を相続するとともにその家督を相続する、それにしたがって、老いたる父母や全家族の生活を保障する義務と責任を長男が譲り受け、連綿として一家は継承され、国家もそのような精神で連綿と継続して繁栄してきたものであります。占領憲法という道具によって家制度を廃止させ、隣組という地域社会や財閥と言われる企業集団を破壊し、日本社会の弱体化を図り、民族の誇りと自立性を奪ったと言わざるを得ません。家族は、1つの家に祖父、父母、子供の3世代が生活をしていた。家長を中心に、各家庭の中には役割があり秩序があり、調和を図りながら運命共同体があり、秩序を乱さない範囲において個人の自由や権利の主張が認められた、それぞれの家庭に家風があり、子供たちは慈愛の中で厳しくしつけられ、お年寄りや先祖を大切にし、感謝する心など、道徳教育がなされました。家族制度が崩壊したために教育も崩壊し、1人暮らしの老人が埼玉県でも平成9年度47,882人、今後も増加し続けるであろう。特別養護老人ホームなど、豪華な施設を整備して施設で生活することよりも、家族と苦楽を共にしながら生活することが幸せであるに決まっている。国家概念の希薄さや喪失、家族制度の崩壊が、道徳、孝養、忠誠といった言葉を死語にしてしまったのだろうか。価値観の多様化もさることながら、この辺でもう一度根本的に考え直さなければ日本の将来が危うい気がしてならない。家族制度の欠点のみを言うのでなく、それがあった時代は、衣食住は貧しかったが精神的豊かさがあって、お年寄りは家族の一員として大事にされていた。特別養護老人ホームや介護保険がなくても老後の心配はなかったということを認識すべきである。我々は、家族を幸せにするために生きてきたのではなかったのか。人として当然のこととはいえ、時には子供のためには命まで投げ出して家族を守ってきた。それなのにどうしてこんな時代になってしまったのか。聞けば、多くの場合、価値観の相違だという。そして、本来争うことの嫌いな国民性なのか、本質的な議論も少ないまま、ああ、そういう考え方もあるのかと、皆妙に納得してしまう。しかし、皮肉なことに、これだけ価値観が多様化してきたのにもかかわらず、何か困ったときは国や県や市がなんとかしてくれる、あるいはすべきだという体質だけは変わらないらしい。最も重要なことは、この世に生を授けてくれ、慈愛で成人させてくれた親の老後のお世話をするのが人の道である。介護保険も結構だが、介護保険があるから親の老後はお世話しなくてもよいということではないことを認識しなくてはならないと思っております。
 そこで知事にお伺いいたします。
 人として変えていい価値観と変えてはならない価値観があります。間違った価値観の多様化は社会秩序を破壊すると考えられませんか。家庭に教育と福祉の原点があると思います。家庭が良くならなければ、教育も福祉も、地方も県も、国も良くなりません。日本の良俗美風である家族制度を復活して、家族が運命共同体として親の老後のお世話するのが人の道であり人間であります。これを進めることこそが日本再生の道と信じます。家族の在り方についての知事の御見解をお伺いいたします。


土屋 義彦知事 私事で大変恐縮でございますが、私は、幼いころに父親を亡くし、弟とも別れ、祖父母に育ててもらいました。したがいまして、人一倍、家族の絆の大切さや有り難さが身にしみております。
 議員御指摘のとおり、家族の幸せのため、社会のために生きることは、時を経ても変わらない人の道であります。多様な価値観を認めていくことは大切なことであると同時に、また、他人と協調し、親を思い、人を思いやる心や、伝統的な歴史や文化を学び大切にするという、いつの時代にも変わらない普遍的な価値を守り伝えていくことも、我々に課せられました大きな課題であると私は思っております。
 私の最も尊敬する幕末の偉大な学者、思想家、政治家とも申すべき吉田松陰は、肉親にあてた最後の書簡の中で、「親思うこころにまさる親心けうの音づれ何ときくらん」と。つまり、自分が親を思っている以上に親は自分のことを思っておると、親への感謝の気持ちをしたためました。こうした親と子の絆は、どんなに時代が移り変わろうとも普遍であるべきと私は考えております。
 家族が連帯感を持って生活をし、苦難や悲しみを共に乗り越え、喜びを分かち合い、子供からお年寄りまでが温かい愛情や信頼関係により強い絆を築くことが大切であると考えております。核家族化や少子化、高齢化が進行してはおりましても、家族にあって、互いが協力し、支え合い、社会の基本単位としての健全な家庭を築いていく家族の役割は、いつの時代にあっても大切なものであると私は思います。人生豊かなお年寄りが子や孫に自分の体験を通じて培われた社会道徳を教え、そしてまた子や孫に慕われ、また、子や孫と温かくふれあい、お年寄りを大切にすることは、一つの理想像であると言えます。
 私は、知事になって早々、熊谷と川越でこどもフォーラムを行いました。そうしましたら、小学生、中学生等々、大勢集まっていただきまして、それぞれ、小学生3人、中学生3人、6人の代表から、福祉の問題、環境の問題、国際化の問題等についていろいろ意見を述べていただきました。これに対しまして、私から直接一人一人にですね、私の考え方を述べました。実に子供たちの意見が立派でございまして、私は本当に感服をいたしました。そこで、以来今日まで、毎年、県下で6か所ぐらいこどもフォーラムを行っております。しかるに、一部の子供たちによってすべての子供たちが悪いと思われますことは、誠にもって残念でなりません。
 教育は、まずもって私は、家庭からであると思っております。例えば環境問題一つとりましても、子供のころから花を植えたり、花に水をかける、これが私は大事なことであろうかと思います。親が幼児を車の中にほったらかしてパチンコをやっているようなことではですね、先が思いやられます。
 家庭、社会、学校が一体となって、特に、次の時代を担う子供たちの教育に、我々は決意を新たにいたしまして全力で取り組んでまいりたいと思っておる次第でございます。