総合トップ > 教育委員会トップ > 広報・広聴 > 広報 > はつらつ・れんたつ教職員の取組 > はつらつ先生の取組(戸田市立笹目中学校 菊地 孝徳 教諭)
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掲載日:2016年12月21日
今月号は、戸田市立笹目中学校 菊地孝徳 教諭の取組を紹介します。
菊地教諭は、道徳教育推進教師として、道徳授業の更なる充実に向けた研修や校内のユニバーサルデザイン化などの環境整備に率先して取り組まれています。
また、温かく共感的できめ細やかな生徒指導や、PTA・ボランティア・地域の活動などに積極的に参加する姿などから、生徒のみならず、保護者や地域の方々からの信頼も厚い先生です。
小学校3年生のときの担任の先生に憧れ、それ以来ずっと教員を志望してきました。幼い頃から英語を習っていて、英語が特に好きだったこともあり、最初は英語の教員を目指していました。
しかし、私が1番苦手に感じていた国語の教員になることで、自分が苦労した経験を生かして、国語が苦手な子供に対して、いろいろなアドバイスができるのではないかと考え、中学生くらいから国語の教員になりたいと思うようになりました。
中学生の頃、私はソフトテニス部に所属していました。結構強い学校だったんですよ、常に県大会以上を狙えるような。教員になったら、部活動にも力を入れてみたいと考えていました。
特に中学生は、1番変化していく時期だと思うんです。育てたいというか、そういうところに携わりたいなという強い想いがありました。
私自身、学生時代に漠然と道徳って大切なんだろうなって感じで過ごしてきちゃって。教員になった時もどう取り組めばいいか分かりませんでした。せっかくやるなら意味のあるものにしたいなと考え、自分で勉強し始めたのがきっかけですね。
道徳の活動自体は、各教科の中など様々なところでも行われているんですけど、自分の地盤を作り上げていく1番の授業が道徳だと思います。
欲とか理想とは違う、自分のエゴ的な部分が成長とともに広がっていくのに対して、それを抑える理性と言うか、道徳性も同時に高まっていかないと、バランスが取れなくなってしまいますよね。そうしたことを考える場が、道徳の授業なんです。
国語は、ここにこう書いてあるんだからこうだろうとか、こういう表現が面白いとか、文章に対しての学習というところが道徳とは異なります。
はい。生徒には、よく鏡を見る時間というふうに伝えています。自分はどう考える人間なのか、どういうことを想う人間なのかを知る時間なんです。自分に悪いところがあると思えば、自然と直そうとしますよね。
例えば、寝癖があれば寝癖を直すのと同じで、それに気付けるよう鏡を見せてあげる時間なんです。
そこで自分の悪い考え方を知ったとしても、決して間違いではありません。あくまで、現時点での自分の考え方を知る。周りのクラスメイトの考えにも触れながら今の自分に気付くための時間が道徳です。
道徳を教える上で、何々スタイルというものが県内の各学校でいろいろとあって、本校でも笹中スタイルというものを作ろうと模索しているところなんです。
ただ、形先行になってしまって、形はやっているんだけど、結局、生徒の身に付いていないなんてことにならないよう注意しなければなりません。
生徒も楽しみながら取り組めて、先生たちもこれならやってみようと思えるスタイルにしたいなと考えています。
例えば、資料に対しての分析方法や最初から最後までの流れを示すことで、道徳の授業の形が見えてくると思うんです。いくつかの展開の形があれば、この資料はこの形に合うかなと、選ぶだけで良い状態にしたいんです。
はい。私が教員1年目のときの話ですが、やはり、道徳で1番苦労したことが、どのような形で授業を進めていけば良いのかということでしたので。
道徳キットというものがあります。今日はこれを勉強する時間なんだよと子供たちに示す札や登場人物の挿絵、質問の短冊などがあります。さらに、教員向けの展開例がわかる資料が付いています。それを使えば、キャリアの差に関係なく授業を行えるような状態になっています。こうしたものを更に充実させていきたいと考えています。
はい。国語とかって教えるものが決まっていて、それが分かるようになったかどうかだと思うんです。道徳はそうではなく、なんとなくでも授業が進んでいってしまいます。でも、なんとなく進めるのは若手にとって非常に怖いことなんですよ、本当にこれでいいのかって。最低限こうすれば大丈夫だよというものがあると安心できます。
毎時間、授業の最後に、自分が何を考えたのかを書かせています。そうすることで、自分の考え方に気付くことができます。
部活動に生きたというよりは、あの時の先生の言葉はこういう意味だったんだとか、この経験ってあの話のことだなとか、部活動を通して、後から思い返せるような時間になっているのかなというふうに思っています。その逆もまたしかりです。
顧問の先生に「ここで諦めたらダメだろう」と言われて、踏ん張ったことで逆転勝ちをしたという経験をしている方も多いのではないでしょうか。道徳の授業では、そのようなオリンピック選手の話を読んだときなどに共感できるんですね。それが価値として、その生徒の成長につながっていくものだと思います。
「明かりの下の燭台」という東京オリンピックで金メダルを獲得し「東洋の魔女」と呼ばれた女子バレーボールチームの話があります。
ある時、裏方にまわってくれと言われた選手がいて、今後、選手として続けていくか、裏方にまわるかって悩む話です。やはり、部活動でもレギュラーとそうじゃない生徒もいるわけで、そういうところで共感につながっていきます。
部活動のなかでの自分の役割みたいなことは、生徒自身が自分なりに理解していくものなんですけど、それがこのような偉人の話から「あぁ、やっぱり、この考え方で良いんだ」とか、「こういう考え方もあるんだ」とか、そういったところにつながっていくんです。
よくメンタルって言いますけど、やはり、心が育たないとそうした力も高まっていかないと思います。
道徳に限らず、学力向上などの様々な取組によって、より良い生徒指導につながっていくものだと思っています。道徳教育は、心を育てる取組の1つなんです。また、生徒指導ができてくると、道徳の話もちゃんと聞いてくれますしね。道徳の話を聞いてくれることで、更に生徒指導が入りやすくなっていく。そうした相乗効果があるのかなと実感しています。
教員になって1、2年目は自己流で授業を行っていたんですけど、本当に苦労しました。まわりの先生に聞いても「いやぁ、俺も自己流だから」みたいな感じで、あまり深いところまでは教えてくれなくて。私が3年目を迎えた時に、ずっと道徳の研究委嘱をしている学校から赴任してきた先生と出会い、そこでいろいろなことを学ばせていただいたんです。
その学校では、こういうスタイルでやっていて、こういうものを使っているんだよって全部教えてくれて。あぁ、これだったら自分でもできるかもって。
それがきっかけで、自分からより積極的に取り組めるようになったと思っています。そして、ちょっとずつそれが形になってきた時に、道徳って面白いなという感覚になってきました。
今でもどうすればいいんだろうって悩んでいる人はいると思うので、こうした道徳の取組を伝え、広めていきたいと感じているところです。
会話だと思うんですよね。結局、会話している家庭って、表面上喧嘩していても、最終的には子供がどこかで親を頼っているし、親もどこかで子供を理解しているんです。自分の子供がどういうことを考えているかっていうことを、会話の中でちゃんと拾ってあげることとか、認めてあげることが1番大切なんだと思うんですよ。
例えば、親がものすごく頭が良かったりして、テストで80点を取った子供が、次のテストも80点だったりすると、親から「何でまた一緒なの?」って言われてしまったら、子供からすると「えっ!?」ってなるじゃないですか。ちゃんと80点を取れるだけの毎回の努力があったわけだし、「今回も80点取れてすごいね」とか「1点上がったね」とか、そういうところを言うか言わないかで、それがたまっていった時に、すごい差になると思うんですよね。
会話して、子供と関わっていくことだと思います。
はい。これだけ社会に情報が溢れていて、例えば、ネットで同じことを調べても、YESという人もいれば、NOという人もいる。でも、両方ともそれっぽいことが書かれている。ですから、どっちが正しいかを自分で判断していかなければいけないし、ちゃんと判断した後、本当にその判断が正しかったかっていうことを見極めていく目を持っていなければなりません。正しい道徳性を持っていなかったら、判断できないので、そういう意味では、重要性はより増していっていますね。
現在子育て中なのですが、良かれと思ってしていた方法が、ネットで調べてみると悪いふうに書かれていたりとかして、不安に思うこともあります。でも、ちゃんとそこに自分なりの意図があって、正当な道徳性があれば、どっちを選択しても正解なんだと思うんです。だからこそ、両方のデメリットも書いてあるんです。こういうことって一生必要なものですよね。
いろいろな人に関わって、いろいろなことを教えてもらって、それをちゃんと謙虚に受け止め、自分なりに実践していくことが大切です。
学ぶだけではダメです。実践していく中で、アドバイスをもらいながら、またやってみて、また教わって、それを繰り返しながら、常に自分なりに考えていく。その全部を一生懸命やっていけば、必ず次のステップが見えてくると思って、私はずっとやってきました。こうした経験は、苦しいときの支えになっています。
自分で無理に何か新しくすごいことをやろうと思わなくても、身近なところから学んでいくことで、必ず何かヒントは出てきますから。
「家庭環境は、生徒一人ひとり全く異なっています。その生徒の現時点での考え方は、そう考えるだけの要因が実際にあるわけですから、決して間違いではありません。道徳の授業は、自分の考え方、それと友人の考え方との違いに気付く場であり、例え悪い考えであっても、それを自然と良い方向に導いていくための準備の時間です。個々のペースでいいんです。いつかは必ず気付けるはずなので。」と話す菊地先生。
これからの社会を創り出していく子供たちが、社会や世界と向き合い、そして関わり合いながら、自分の人生を切り拓いていくためには、豊かな人間性や社会性などを育んでいくことがとても大切です。そうした子供たちを育てていくためにも道徳教育は重要であります。菊地先生の更なるご活躍を期待しております。
インタビュー中、「いろいろな賞をいただきましたが、自分が何か特別なことをしたという認識はないんですよ。多くの先生にいろいろなことを教えていただき、それを自分なりに咀嚼して、広めていっているだけなので。」と話す菊地先生は、とても謙虚な印象を受けました。
ただ、部活動の話に移った時の熱い眼差し。おそらくは、部活動中の先生はインタビューとは違った表情をされているのだろうと直感しました。
ソフトテニス部の生徒さんにもインタビューをしてくればよかったです(笑)
笹目中学校の基本的な授業の進め方「笹中スタイル」の確立を目指して、校内研修を行っています。
基本的な進め方を統一することで、授業に関する話し合いをしやすくし、ベテラン教員の経験を活かし、若手教員の不安を払拭し、生徒も教員も楽しく行う道徳の授業を目指しています。
本校の道徳では、道徳キットという授業で扱う資料に関する場面絵や短冊などを作成して、生徒が授業に取り組みやすいようにしています。
生徒同士が話しやすいよう「コの字」型で授業を行っています。
話し合ったことを再現して、自分たちの考えを深めていきます。
臨場感を出すために役割演技(いわゆる「劇」)をして、扱う資料をより現実的に考えられるよう工夫しています。
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