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掲載日:2017年9月20日

今月の里川

今月の里川のバナー画像

 

ご愛読誠にありがとうございました

6年あまりにわたって連載してきました「今月の里川」ですが、ひとまず今号をもちまして、みなさまとお別れとなります。今後は、当センターのFacebookなどで、水辺にまつわる話題を綴ってまいります。

おじいさんとおばあさんに桃太郎を届けてくれた昔話の里川、目の前を流れる現在(いま)の里川、そしてまだ見ぬ未来の里川・・・。里川はいつも私たちのそばにあります。私たちに寄り添い、脈々と流れ、受け継がれていくことでしょう。

ご愛読誠にありがとうございました。

 

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今月の里川(2015年12月) Vol.66 <<最終号>>

忘れられた里川

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wasure

 

 

さいたま市南区には、「水」と関連した地名がいくつかみられます。

 

例えば「鹿手袋」。山の中でもないのになぜ「鹿」なのか、「手袋」なのか?
と不思議に思っていたら、当時利用していたスーパーの壁に地名の由来が貼り
出されていました。それによると、昔このあたりには湿地があって、その岸辺
の形が、お侍が弓を射るときに使う鹿革の手袋の形ように入り組んでいたので、
いつの頃からか「しかてぶくろ(鹿手袋)」と呼ぶようになったとか(注)。そ
のほかにも、「沼影」という地名がみられます。この地域の現在の風景には目立
った湿地は見られませんが、なぜ「水」と関連する地名があるのかずっと不思
議に思っていました。

 

そう思いつつ何年かたったある日、昔の入間川の流路が南区を通り抜けてい
たらしいと知りました。左の写真をみると、中央部で折れ曲がり上向きと右向
きにつながっている、平らで人家の無い部分があります。これが旧入間川の流
路だったようです。昔このあたりに住んでいた人々は、この大きな川の流れと
ともに日々を過ごし、魚をとったり、作物を育てたりして暮らしていたのかも
しれません。今は見ることができず、その存在も忘れられてしまった昔の里川
が、実は身近に存在しているかもしれない、というお話でした。(HS)

 

(注)さいたま市立中央図書館では異なる由来を紹介しています。
http://crd.ndl.go.jp/reference/detail?page=ref_view&id=1000062445

 

左の写真は国土地理院「地図・空中写真閲覧サービス」(http://mapps.gsi.go.jp/)の空中写真を加工して作成しています。

 今月の里川マップ

今月の里川で紹介した地点の地図です(googlemap)。

地図からそれぞれの今月の里川にジャンプできます。

これまでの今月の里川

 

  

今月の里川(2015年8月) Vol.65 【番外編】

オランダ、デルフト市の運河

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デルフト1

 

デルフト2

先月に引き続き、今月も番外編。実はぼく、訳あって現在オランダに来ている。みなさん、オランダにはどのようなイメージをお持ちか?記憶を辿ってほしい。江戸時代に外交関係を維持した国、それがオランダ。鎖国政策をとっていたにもかかわらず、日本はオランダを通じ、西洋の技術や医学を学んだ。そして、今、ぼくは単身オランダに来て、環境工学を学んでいる。

オランダの西に位置するデルフト市に滞在し、毎日20分程度歩いて現在の職場である大学まで通っている。日本は夏の最中であるが、こちらは涼しく日本の春先くらいの気候だ。森を抜け、運河の横を通り、木の橋を渡り、石畳の街を歩く。途中には東門と呼ばれる美しい門がある(写真上)。ぼくの一番気に入っている場所だ。地図で見ると3つの運河が交わる地点にこの門があることがわかる。門の中を見ると、日本の城の中にも見られるような、内側が大きく外側が小さい窓がいくつかある。昔はこの門が防衛の拠点だったかもしれない。運河の縁は緑が広がっていて、いろいろな人がそれぞれの時間を楽しんでいる。日光浴をしている人もいれば、本を読んでいる人もいる。顔を見ればわかる。たぶん、みんなこの水辺が大好きだ。

週末、市内を散策し、東門の近くの橋を渡って帰ろうと思ったら、橋がなくなっている。これでは帰れない。よく見ると、橋の片方を中心に回転して、橋をたたんでいる。そして、そこをなんとも個性あふれるボートが次々にゆっくりと通過していく(写真下)。もう帰るどころではない。楽しい。それは、阿波踊りの連が踊りながら通過するのを桟敷席からみるような感覚。各ボートでは、全体を花で装飾したり、ダンスを踊ったり、コスプレをしたりしている。その数なんと50艇。中にはその芸術が理解できないものもあったが、ほとんどは美しいものや楽しいものばかりで、実に愉快だった。

後で調べてみると、この祭りを「花浮かぶ祭り(著者訳)」というらしい。オランダで有名な花と運河をミックスさせた祭りだろう。埼玉県内にも長瀞船玉祭りや寄居北條祭りなど川に関する祭りはいくつかあるが、今回見たデルフト市の運河の祭りの趣向とは全く違う。改めて、地域の水辺と文化について考えさせられた瞬間だった。(IM) 

 今月の里川(2015年7月) Vol.64 【番外編】

モルダウ川カレル橋の機能

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モルダウ1

 

モルダウ2

6月下旬にチェコ共和国のプラハに行きました。チェコと言えばビールが有名ですが、川のことを仕事にしている私としては、ビールに加えてモルダウ川もチェックしなければなりません。


モルダウ川はドイツ・オーストリアの国境のシェマバ山脈に端を発する長さ435km、流域面積28,093km2の河川です。これは利根川の流域面積16,840km2より大きく、関東地方の面積32,420km2より小さいので、およその大きさをイメージして頂けると思います。川はプラハの繁華街のど真ん中を通り抜けており(図)、有名なカレル橋(写真)では音楽が演奏されていて、一日中多くの人で賑わっています。すれ違う人の見た目も、飛び交う言葉も様々であり、世界中から観光客が来ていることが察せられます。モルダウ川の右岸には新旧市街が、左岸にはプラハ城があり、カレル橋はプラハの2大観光エリアを結ぶ役割を果たしています。加えて車が通らないことも賑わいの一因かもしれません。川沿いには幾つもレストランがあり、夕方になると多くのお客さんで賑わっていました。頭の中で流れていたスメタナの連作交響詩わが祖国モルダウによって、橋から見えるモルダウ川とその周辺の景色がより一層美しく見えていたのはきっと僕だけではなく、モルダウ川はプラハの重要な観光資源の一つであると改めて感じました。


観光面でカレル橋が果たしていた役割を振り返ると、カレル橋には音楽や食といったエンターテイメント、きれいな景色があり、橋はそれ自身が観光資源であるばかりではなく、両サイドの観光資源を結びつけています。そして既に郷土愛に溢れたクラシック音楽が仕込まれています。人が集まるわけです。ちなみに、水質が気になって足漕ぎボートを借りて間近で川をみてみましたが、臭いは感じないものの、水の色は緑褐色で、透視度は恐らく30cm以下であり、お世辞にもきれいとはいえないものでした。

  

日本では特に高度成長期における河川の水質汚濁や、治水のために街や人と水環境の間に大きな隔たりが発生しました。しかし近年では多様な生物の生息環境や、地域風土・文化の要素としての水環境の側面にも注目が集まるようになり、水辺との係わり方を変えていこう、水辺の新しい活用の可能性を考えて行こうという市民-企業-国・自治体による動きも生まれています(例えばMIZBERING)。日本らしい水辺活用法が日本各地で生まれ、進化していくといいなと思いますが、モルダウから学ぶとすれば、単なる水辺の活用に留まらず、水辺とその周辺地域との繋がりをデザインする意識やクラシック曲の作曲も必要かもしれません。ちなみに、ビールも美味しかったです。(TK)

図 カレル橋の位置(JAL MAPを加工)
写真 観光客で賑わうカレル橋(遠くに見えるのがプラハ城)

 

今月の里川(2015年6月) Vol.63 

荒川 こうのす花まつり

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荒川1

 

荒川2

JA埼玉中央吉見農産物直売所にお米を買うために車を走らせていると、ちょうど荒川にかかる御成橋「今月の里川(Vol.52)」付近で、眼下の河川敷に一面花畑が見えてきました。家に帰って調べてみたところ、こうのす花まつりの一環であることがわかりました。こうのす花まつりは、市役所周辺会場(せせらぎ公園)、鴻巣オープンガーデン(市内53軒の「花の環」会員宅)、花久の里(バラまつり)、ポピー会場(馬室荒川河川敷とコスモアリーナふきあげ周辺)で行われており、私が御成橋から見たのは、荒川河川敷のポピー会場でした(日本一広いポピー畑のようです)。花畑の見ごろは、5月の中旬から6月の上旬だそうです。

さっそく出直してみたのですが、立ち寄った日は、平日にもかかわらず、小さな子供連れやアマチュア写真家など、多くの見物客でにぎわっていました。赤、白、ピンク、黄色など、様々な色の花が咲き乱れていました。私は、花粉症による鼻づまりがひどかったので、花の香りを感じることはできなく残念に思いましたが、後日聞いたところによると、ポピーはもともと香りが強くない花なのだそうです。みなさんも川の中の花畑に1度足を運んでみてはいかがでしょうか?開催期間中は、鴻巣駅東口からシャトルバスも運行されており、自家用車で来場された方のために駐車場も完備されているため、アクセスしやすいと思います。

「里川」という言葉からは、昔ながらの自然が豊かに残る川をイメージしてしまいがちですが、河川敷を造成し、新たに人々がにぎわう空間を創成することも、里川のあるべき姿の1つではないでしょうか?(KW)

今月の里川(2015年5月) Vol.62 

槻川(つきかわ) ~栃本堰上流側~

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槻川1

 

槻川2

ゴールデンウィークはいかがお過ごしになりましたか?今年は天候に恵まれ、県内外各地へ出かけられた方も多いのではないでしょうか。今月ご紹介するのは、連休中に訪れた、小京都小川町のほぼ中央を東西に流れる槻川の栃本堰上流側です。ちょうど藤の花が満開でした(写真上)。以前、「今月の里川(Vol.23)」では栃本堰の下流側をご紹介しましたように、埼玉県の目玉事業である水辺再生100プランのひとつとして整備され、現在は栃本堰を挟んで上流の日の出橋から下流の馬橋まで遊歩道が完成しています。ベンチでおしゃべりしたり、ジョギングや犬の散歩など思い思いに休日を楽しむ方が見られました。

右岸側に整備された遊歩道を歩いて行くと、岸辺にシロツメクサ(クローバー)の群落を見つけましたので、四つ葉を探してみました。三つ葉に対する四つ葉の確率は一万分の一とも言われているようですが、目が慣れてくるとあちこちに四つ葉を発見!結果はたくさん見つけることができました(写真下)。ずいぶん日脚が伸びましたが、さすがに日没を迎えて見分けにくくなりましたので、家路に向かうことにしました。見上げると白く輝く飛行機雲が・・・、西の笠山方向へ延びていく様をしばらく眺めてしまいました。のんびりした時間を過ごすことができました。持ち帰った四つ葉は押し葉にして、大切にしています。皆さんも里川で幸運を探してみてはいかがでしょうか。(HT)

今月の里川(2015年4月) Vol.61 

大里用水・成田用水 ~川沿いに住まう、親しむ~

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成田用水1

 

成田用水2

成田(なりた)用水は、今月の里川Vol.45でご紹介した「御正吉見堰幹線」と、きょうだいの里川です。深谷市の荒川・六堰(ろくせき)頭首工を取水源とする大里用水水路網のうち、荒川左岸の大里幹線から分岐し、熊谷市役所北側の住宅地を縫うように流れています。小さなせせらぎですが、水源が荒川の上~中流なので水質は良好です。かつて、護岸の老朽化などの理由から、この水路がコンクリート三面張りに改修されることになったとき、水生生物に配慮した構造にするよう、地域のみなさんの要望がありました。具体的には、魚などの待避場所(幅1m×流下方向の長さ4m×深さ50cm)が、河床を掘り下げて複数設けられています。そしてこれらの待避場所の中には、水生生物の住みかとしての素焼き管や大小の石などが投入され、地域のみなさんによって定期的な清掃等の管理がされています。実際にみなさんと一緒に生きもの調査をしてみたところ、待避場所の中で、魚、エビ、貝、トンボのヤゴなど、実に多くの生物が捕れました。上流に、荒川という水生生物の供給源があるわけですから、たとえコンクリート三面張りの水路でも、工夫次第で水生生物が十分に定着できることがわかりました。

そんな成田用水沿いで、毎年5月中旬の土日に、地域のみなさん手づくりの素朴で素晴らしい作品展が開催されています(平成27年は5月9、10日に開催)。この「川沿い作品展」は、「住宅地の中に小川が流れるこの貴重な環境を見直そう」と、用水沿いに暮らす人たちが中心となって2000年春に第1回を開催したそうです。2000年春といえば、まさに当センターのオープンと同期です。それから回を重ね、現在に至っているとのことです。実際に作品展を訪れてみてまず感じたのは、これは川沿い「作品展」であり、水辺「イベント」ではない、それでは「イベント」という言葉では表現できない理由はどこにあるのだろうか、加えて、この居心地の良さはどこからくるのだろうか、ということでした。成田用水周辺のあちこちに、ちょっとしたところにも作品たちが並べられていました。そして、素晴らしい作品の数々、作品を鑑賞する方々、子どもたちと一緒になっての魚捕り、おじいちゃんとお孫さんが興じる独楽回し、かわいらしい子どもたちの踊りと優しい眼差しで見守る方々・・・と、巡っていくうちに気づきました。展示されている作品はもちろんなのですが、ここに居合わせた方々も含めた景色・場面そのものが作品になっているのです。展示されている作品たちに加えて、私がここに「訪れること」そのものが「出品すること」であり、そのシーンに「居ること」自体が「作品」でした。故に、文字どおり、「居心地」が良いし、単なるイベントとは全く異質なわけだ、と至極納得でした。そんな折、会場で、成田用水沿いにお住まいの作品展実行委員の方にお話を伺うことができました。

“私たちは、「単なるイベントではない、物は売らない、頼んで呼んでくることはしない、参加者みんなが実行委員」・・・最初に始められた方たちのこのような意思を忘れず引き継ぎつつ、少し柔軟さも加えここまで続けてまいりました。お客さんと話をしてみて、ひとりひとりの方が何かを感じてくれることが一番貴重だと思っています。さらに、過去はどちらかと言えば大人中心の催しでしたが、子供たちに川や自然、地域や文化の大切さを伝えていくことが少しずつできてきているのかなと思います。子供会とか学校とかの組織ではなく、自然に集まり自然に伝わっていくことができてきたような。これは非常にうれしい。大変だけど、いつも終わるとやってよかったなと思うのです。”

作品展は、これからも毎年開催されることと思います。成田用水沿いの散策だけでも季節毎に味わい深いものがありますが、作品展の開催期間に熊谷方面にいらっしゃるご予定があれば、ぜひ「作品」として参加されてはいかがでしょうか。5月は川面を渡るそよ風がとても心地よい季節です。なお、現地はJR/秩父鉄道・熊谷駅からおよそ1km、徒歩約15分ですので、公共の交通機関のご利用をお薦めします。途中、今月の里川Vol.22で紹介した「星川」沿いを散策しながらの移動となり、格好の里川巡りができますよ。ちなみに、この星川も大里用水のきょうだいです。(YK)

写真上:みんなで生きもの調査(2014年川沿い作品展の行事、小さなお子さんも楽しそうにタモ網を使っていました)
写真下:作品を鑑賞する方々(2014年川沿い作品展、メイン会場の箱田神社にて)

今月の里川(2015年3月) Vol.60 

荒川最下流部

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荒川1

 

荒川2

目の前の里川がどこに流れていき、そこではどのような姿をしていて、どのように人と交わっているのか、疑問を持ち、想像をめぐらせることありませんか?きっと海に注いでいるはずとは思っていても、実際確認したことはそう多くはないでしょう。今回はそんな河川の最下流部のお話です。

「埼玉県の母なる川」荒川は甲武信岳にその源を発し、埼玉県内を始めは西から東へ、熊谷付近でやや南向きに流れを変え、最後は東京湾に注ぐ流路延長173kmの河川です。入間川など数多くの支流を持つため、県北東部の一部地域を除いたみなさまの近くの里川も荒川につながっている可能性もかなりあるのではないでしょうか。以前紹介した秋ヶ瀬取水堰より下流は汽水域となります。さらに下流に行くと、東京都赤羽の岩淵付近で2つの河川に分かれます。一方は、荒川本川であり、もう一方は隅田川です。分岐点にある荒川知水資料館を訪れ、荒川の歴史と今について学んで来ました。

昔の荒川は今の元荒川の流路を通っていましたが、江戸時代の初期に河川の付け替えが行われ、ほぼ今の流れとなります。ただし、前述した分岐はなく、全量が今の隅田川に流れていました。つまり荒川の最下流部の別称が隅田川だったわけです。この状態は明治、大正まで続きます。“春のうららの隅田川 のぼりくだりの船人が”の歌詞で有名な“花”は明治33年にできた歌ですから、この曲はまさしく荒川そのもののことを歌っています。

荒川は“荒ぶる川”であり太古からたびたび洪水が発生していました。江戸の市街地を洪水から守るため江戸時代に日本堤や墨田堤が築かれ、街は発展します。しかし、その上流では氾濫の頻度が高まります。頻発する洪水に対処するため、大水を流す放水路が計画され、明治44年から工事が始まり、大正13年に放水路への通水が始まり、昭和5年に完成します。これを荒川放水路といいます。この放水路の基点が前述した東京都赤羽付近にある分岐点です。放水路といっても、常時本流より多くの水が流れます。そのため昭和35年には放水路の方を荒川本川とし、それまでの荒川最下流部を墨田川と呼ぶことになりました。なお分岐点の墨田川の入り口には岩淵水門が築かれ出水時には河川流量の制御が行われます。

分岐点から荒川最下流まで巡ってみました。人工河川であるため流路は直線的ではありますが、ところどころにヨシが生えています。海に近いこのあたりには、コイやフナの他にボラやハゼ、スズキやコハダなどが住むとのことです。河川敷には多数の運動公園が造られ、多くの利用者がいました。川ではジェットスキーを楽しむ姿が見えます。また、川沿いには多くのマンションが建ち、公園にはきれいな梅の花が咲いていました。土手の道路でサイクリングや散歩を楽しむ方々もいました。

次に隅田川の方を巡ってみました。こちらは自然河川であるためか蛇行も見られます。遊歩道も整備されており、東京スカイツリーが見えます。ビルに囲まれていますが屋形船の往来も見られます。隅田公園の桜は有名で、月末には明治時代とは背景は違えど、歌と同じ情景が感じられるかもしれません。

戦前までは荒川には水練場があるほど水がきれいでしたが、高度成長時代には水質が悪化しました。隅田川で行われる早慶レガッタも一時中止になるほどでした。今は、水質もかなり改善しています。夏には両河川で大きな花火大会が開かれ多くの人でにぎわいます。河川沿いを散策したときに感じられる下水処理水のにおいは少し残念でしたが、下流には下流らしい川とのふれあいがあり、里川の姿があることが確認できました。(KI)

写真上:墨田川との分岐点付近の荒川(対岸は埼玉県川口市、写生を楽しむ姿が見られた)
写真下:スカイツリー付近の隅田川(さまざまな船の往来が見られた)

 

今月の里川(2015年2月) Vol.59 

原市沼川とオオフサモ

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原市沼川1

 

原市沼川2

原市沼川は上尾市菅谷周辺を起点とし、原市沼を経て上尾市瓦葺、伊奈町小室、蓮田市蓮田の行政界で綾瀬川に合流する全長5.5kmの川です。川幅が狭く流域の宅地化も進んで湛水力が小さいことから、流域には多くの調節地が作られています。原市沼北側の高台にある史跡伊奈屋敷跡に行ってみました。かつての広大な屋敷とその下に広がるオギやヨシなどの湿地が作る情景が彷彿しました。綾瀬川合流に近い堤防は、散歩道・鳥観察の場になっています。朝8時、望遠レンズを備えたカメラマンが二人カワセミを狙っていましたが、ほどなく飛んできました。やはり鮮やかな色彩です。さらに空にはオオタカ、調節池にはシラサギとアオサギも見られました。

この原市沼川について二つの話題提供です。一つ目は、原市沼の古代蓮です。原市沼周辺には戦前までは多くの蓮が自生していたとのことです。しかし、食用などにより姿が見えなくなっていましたが、地元の「原市沼を愛する会」の皆さんが、行田から種を譲り受けた古代蓮を育て、見事な蓮池を作っていて毎年7月には見事な花を咲かせています。地元の人たちの活動でいにしえの蓮がよみがえったうれしい話です。

二つ目は、残念な話題です。原市沼川の下流域では、一昨年春くらいからオオフサモの繁殖が目立つようになりました。オオフサモは水槽用に持ち込まれたブラジル原産の水生植物です。河川等にかなり繁殖してきたため、外来生物法で生態系などに影響を及ぼすおそれのある特定外来生物に指定され、防除などを行う対象とされています。下流部には希少植物のコウホネも生育しており、更なる繁茂拡大が懸念されます。このことに危機感を抱いた5つの環境保護団体などのメンバー23人が、先日、除去作業を行いました。熊手のような機材を使って根からかきとりそれを土手まで上げました。そのままでは水気が多いので、しばらく調節地の斜面で乾燥させてから市の廃棄物処理場に持ち込み、焼却処分してもらう予定とのこと。とは言え、繁殖力が強いので一筋縄ではいかないと思われます。

特定外来生物に指定されている植物は現在13種、このうち埼玉県の水辺で比較的よく見られるのは、オオフサモの他、ミズヒマワリ、アレチウリ、オオカワジシャなどがあり対策が急がれるものです。また、要注意外来生物としてセイタカアワダチソウやオオブタクサなどもよく見られます。川は人々の憩いの場、癒しの場であると同時に希少種を含む多くの生き物の生息場所です。侵略的な外来種は放置せずに除去し、在来種や景観を守っていくということも里川を保全するうえで大切なことではないでしょうか。皆さんに外来種にまつわる課題を理解していただければ幸いです。(JW)

 

写真上:オオフサモが繁茂した川辺(2014年夏)
写真下:先日の除去活動のようす(2015年冬)

 

今月の里川(2015年1月) Vol.58 

見沼代用水など 里川をポタリング

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見沼代用水1

 

見沼代用水2

ポタリングという言葉をご存じだろうか。「ぶらつく」を意味する「putter」に「ing」を付けた和製英語で、散歩をするかのごとく自転車でサイクリングをすることを意味するらしい。また、昨今、クロスバイクやロードバイクといった自転車での通勤やサイクリングが流行っている。ちょっと遅いけど、流行に敏感なぼくも運動不足解消も考慮して、自転車を買ってみた。せっかく買ったのだから、通勤だけでは味気ない。美しく輝く愛車でポタリングと決め込んだ。前の今月の里川(vol.52)でも紹介したが、日本一の川幅を持つ荒川の周りにもサイクリングコースが整備されている。さらに、webで埼玉のサイクリングコースを検索してみると、いろいろある。県のHPによれば、埼玉県には8つの大きなサイクリングロードがあるとのこと。しかも、すべてのルートにおいて、川の名前が付いていたり、近くに川があったりする。川を楽しむためにポタリングは理にかなった手段かもしれない。

今回は、比較的家から近くにある「緑のヘルシーロード」と「水と緑のふれあいロード」を走ってみた。名前的にもいい感じがする。これらは、見沼代用水路などの改修によって設置されており、自転車および歩行者の専用道路となっているとのこと。代休を取った日の午後、時間など気にせず、水と一緒に走る。ここには、サイクリングをしている人はもちろん、散歩やウォーキングをしている人がたくさんいる。また、近くには川縁で遊んでいる子供、学校帰りのヘルメットを着用した中学生、農作業をしている人などがいて、地域の生活を見ることができる。川の水面にはおびただしい数のカモがいる地点もあった。一方で、なんとなく家庭の水の処理が気になり、家の庭先に目をやってしまう。そして、コンクリートで作られた駐車場にある数個のマンホールをみつける。やはり浄化槽だ。栄養塩も除去できるタイプだろうか。こうして、川を横にひとりで黙々と自転車のペダルをこぎ、気の赴くままに考え事をしながら、未知の街を探検していると新鮮な感覚になる。それは、スポーツの一種には違いないが、団体競技の難しさもなければ、勝負への緊張感もない。里川のポタリングはこれまでに味わったことのない異次元の価値観を切り開いてくれる。

川には、まっすぐなところや曲がっているところがある。個人的な感想になるが、川が自然に曲がっているところに美しさを感じる。ふと、中学1年生のときの、書写の先生を思い出す。ある授業の時、生徒を指名し、黒板にさんずいの付く漢字を書かせた。その後、授業が終わるまで別の生徒にさんずいの付く漢字を次々と書かせた。最後に先生は言った。「君たちが卒業して育っていくと、自分のことは忘れてしまうだろう。ただ、さんずいの真ん中の部分は少し左に寄るべきで、そのほうが漢字として美しいことは忘れないでくれ。」とだけ。潔い授業だ。たぶん、その授業の後も、毛筆や硬筆を習ったと思うが、どんな字を書いたかさっぱり覚えていない。ただ、今でもさんずいの真ん中の部分は少し左に寄った方が美しいということだけは覚えている。そもそも、さんずいは水が漢字の偏になるときの形で、水の流れを表しているらしい。真ん中が左に寄ることは、川の曲がりを表しているのだろうか。だとすると、漢字を考えた時代の人たちも、川の曲がりを見て美しいと感じたのかもしれない。時代を超え、同じような川を見て、美しいと思う心と心が通い合っているとうれしいかぎりだ。

走り始めは寒かったけど、ありのままに走ったら体がぽかぽかと暖かくなった。関西弁風につぶやいた。「少しも寒くないわ。」(IM)

 

 今月の里川(2014年12月) Vol.57 

出羽堀 昭和45年から続く地域住民の取り組み

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出羽堀1

 

出羽堀2

東武伊勢崎線の新越谷駅や蒲生駅の西側に出羽堀という堀があります。この出羽堀の流域において、2014年10月の1ヶ月間、流域内の住民の皆さんにご協力いただき、台所排水対策の一斉取り組みが行われました。皆さんは台所排水対策の一斉取り組みをご存じでしょうか。


家庭排水を処理する施設としては下水道が有名ですが、埼玉県内で下水道(農業集落排水施設も含む)を使用している人口は約8割(平成25年)であり1)、その他の方々は浄化槽と言われる各家庭に設置されている排水処理装置で排水を浄化してから排出しています。このなかで主に高度経済成長期に整備された単独処理浄化槽と言われるものは、トイレ排水しか処理せず、台所排水等は処理しないまま放流されます。高度経済成長期に都市部で人口が急増し、この単独処理浄化槽が急激に普及した結果、都市内の河川が汚れていきましたが、この原因は家庭雑排水の中でも特に汚れている台所排水であると考えられています。なお、当時の詳しい状況は資料2)に記載されています。

 

台所排水対策の一斉取り組みとは、台所から排出される水質汚濁物質の量を減らし、川の水質を改善させましょう!という活動をある地域で一斉に行うことです。取り組みは例えば三角コーナーに目の細かい水きり袋を使用する、汚れたお鍋やお皿を水洗いする前に紙等で汚れをふき取る、油は流さないといったものが代表的です。そのような取り組みで効果があるのか?という疑問を持つ方もいらっしゃると思いますが、例えば、油15ml、おでんの煮汁180mlに含まれる汚濁物質の合計量は一人が一日に排出する汚濁物質の量に相当3,4)しますので、このような取り組みを多くの方に実施して頂くことが水質改善には重要です。

 

さて、取り組みを行った出羽堀は江戸時代に開削されたもので、徳川幕府の新田開発によってつくられた水田の排水路として使用されていましたが、昭和40年頃からの急激な人口増加により、出羽堀の水質は悪化し、多量のゴミも捨てられるようになってしまいました。状況を改善するために行政は下水道整備や工場等の排水規制といった施策を進めましたが、出羽堀において特筆すべきは自治会の活動です。越谷市七左町七丁目第二自治会は状況を改善するために昭和45年から出羽堀の清掃活動を始め、40年以上経った今でも活動は継続されています。平成24年から近隣の自治会にも活動の輪が拡がり、活動内容も範囲も発展し続けているそうです。私はまだ40歳になりませんが、このような長期に渡って清掃活動を継続されている自治会の皆さんの熱い想いと実績には驚かされます。このような背景もあり参加世帯が3500世帯という非常に大きな規模で一斉取り組みが実施され、成功裏に終わりました。


出羽堀がこれからも出羽地区の歴史と活動のシンボルとして、これまで以上に地域の方々に親しまれることを願っています。(TK)


図上:出羽堀の場所(地図中緑の線が出羽堀)

写真:一斉取組期間中の出羽堀

今月の里川(2014年11月) Vol.56

元荒川  ~生き物調査~

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元荒川1

 

元荒川2

私は埼玉に来て2年が経ちましたが、1年半ほど前に、大学の後輩の結婚式に呼ばれ軽井沢に行く機会がありました。鴻巣駅から高崎線に乗り、長野新幹線に乗り換えるため熊谷駅に向かう途中、窓の外を見ていると、ミクリのなびく清流のような川が見えました。とても気になったので、職場に戻ってから、地元のYKさんにその川について尋ねたところ、元荒川だと教えられました。元荒川は、湧水が自噴しているのではなく、ポンプでくみ上げた地下水を水源とし、最上流部には埼玉県の魚として有名なムサシトミヨが生息しているとのことでした。元荒川源流部400mの生息地は、埼玉県の天然記念物に指定されています。熊谷市内の町中に、驚くべき清流が流れていますので、見たことのない方は、是非一度足を運んでみてはいかがでしょうか。

 

今回の「今月の里川」では、ずっと気になっていた元荒川を調べるべく、久下小学校付近で行った生き物調査を紹介します。最上流部から数キロメートルしか離れていないのに、様相が異なり、川底には泥が20~30cmほど堆積し、ミクリは繁茂しておらず、両岸には葦が見られました。30分ほどの調査で、ギンブナ37匹、モツゴ1匹が確認できました。残念ながら、ムサシトミヨの姿を見ることはできませんでした。

 

元荒川におけるムサシトミヨの生息域は極めて狭く、水源にあるムサシトミヨ保護センターでの繁殖および放流や、地域住民による保護活動などにより生息が保たれているのが現状です。生息域が狭い原因の1つとして、生活雑排水の流入による汚濁が挙げられています(埼玉県環境科学国際センター報告書より)。汚すのも人ならば、きれいな川に戻すことができるのもまた人の力です。人々の努力により水質改善が進み、ムサシトミヨの生息域が今後どんどん広がって、元荒川の至る所でムサシトミヨの姿が見られる日が来ることを願っています。(KW)

 

写真上:元荒川上流部(ムサシトミヨ保護センター付近)
写真下:元荒川(久下小学校付近)で観察された生き物

今月の里川(2014年10月) Vol.55

忍川  ~川と城跡その2~

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忍川1

 

忍川2

今月は忍川(写真上)をご紹介します。今年1月に取り上げた話題の続編にあたります。続編としたきっかけは、同僚のIさんから「知事印をもらいに行ったら、こんな資料が置いてありました」と「北武蔵城物語」という城巡り歴史ガイドマップを手渡されたことと、先日、ある環境管理事務所によって企画された所内研修会に参加し、映画監督の犬童一心さんの話を聞く機会を得たことにあります。犬童監督の作品の中には「のぼうの城」という、現在の行田市にある忍城が舞台となった映画があります。ご覧になった方も多いのではないでしょうか。忍城の歴史には上杉謙信や石田三成など有名武将が数多く登場するようです。

 

 

1月の今月の里川でご紹介したように、城の多くは川を利用して守りを固めていました。忍城は荒川と利根川に挟まれた湿地に築かれ、難攻不落であったと伝えられていますが、現在の城跡は水上公園として整備され、市民の憩いの場として利用されています。城跡から南東方向に2km弱離れた場所には、さきたま古墳群が公園として整備された場所があります。その中には、映画「のぼうの城」にも登場した豊臣方の軍勢が忍城を攻めた時に、石田三成が陣を敷いた丸墓山古墳があります。この古墳の上からは周辺の眺望がよく、忍城跡を忍川と武蔵水路を挟み、遠方に望むことができます(写真下)。そして、城の方角の足元には蛇行した旧忍川の流れが確認できます。現在の忍川は城の北方から東方へ「つ」の字に流下して鴻巣市に入り、上越新幹線の高架をくぐると直ぐの場所で元荒川に合流しています。古墳公園の北側を流れている旧忍川は、河川改修によって忍川から切り離された旧の流れであったことが分かります。国土地理院が運営している地図・航空写真閲覧サービスでは、過去の地図や航空写真をweb上で閲覧することができます。このサービスを使って、時代が明治に変わって間もない1884年に測量された2万迅速図で、旧行田町忍城付近を確認すると、水田や無数の水路、そして住宅地が確認できましたが、その昔、城を守った湿地は水田に、微高地であったところが住宅地に変わったのであろうと考えられました。

 

 

忍川は貴重な生活環境の一部になっていますが、丸墓山古墳の頂上から眼下に広がる水田での稲作に重要な役割を担ってきたことでしょう。「のぼうの城」の時代とは流れが変わっているかもしれませんが、人々の生活において大切な役割を担って来たに違いありません。今頃の季節はお出かけにちょうどよいと思いますので、「北武蔵城物語」を片手に散策にお出かけになってみてはいかがでしょうか。また、行田市には地元のソウルフードの「フライ」屋さんが数多くありますので、おなかが空いたらおやつに「フライ」がお勧めです。(HT)

今月の里川(2014年9月) Vol.54

浦山川 秩父さくら湖(浦山ダム)

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さくら湖1

 

さくら湖2

秩父市内の荒川上流域には、二瀬ダム(管理者:国土交通省)、合角ダム(同:埼玉県)、浦山ダム・滝沢ダム(同:ともに(独)水資源機構)の4つのダムがあります。今回の舞台は荒川支流の浦山川にある浦山ダムです。ダムには一般に、洪水調節などの治水や、水道・かんがい用水や発電などの利水といった目的があり、浦山ダムもこれらの目的で建設されました。また、ダムの構造にはいくつかの種類があります。浦山ダムは重力式コンクリートダムで、堤高156mはこの構造のダムとしては全国2番目の高さを誇るそうです。

 

実際に現地を訪れてみると、とにかく大きい!巨大としか表現のしようがありません。上の写真をご覧ください。左側に小さく連なって写っている白い柵は階段です。右上に見える四角い穴(常用洪水吐きという施設です)がちょうど中央部で、撮影場所からは、ダムの右岸側半分しかカメラのフレームに収まりませんでした。この巨壁のすぐ向こう側に、数千万トンもの水の塊があると思うと、全身に鳥肌が立ちました。一方、ダム上から上流側に目を移すと、これまた広大な湖面が広がっており、ダムの供用に伴い水没した地域社会や自然環境にも、ちょっと思いを馳せてしまいました。このダム湖は「秩父さくら湖」と命名されていて、その名の示すとおり、湖畔や周辺の随所に桜の見所が存在します。また、秩父さくら湖の上下流には渓流釣り場やキャンプ場もあり、暖かい季節を中心に、浦山川は子どもから大人まで大勢の人たちで賑わうそうです。

 

現在、冒頭でお話した秩父地域の4つのダムが連携し、「秩父4ダムロマン」と称して、様々な行事などを通じて、水源地域の活性化に向けた取組を進めているそうです。周遊マップも作成されており、全てのダムを巡ると100km弱の行程とのことです。また、これらのダムをはじめとする、全国各地の主なダムでは、「ダムカード」を配布しています。ダムカードには、そのダムの写真とともに、構造や貯水量といった基本情報やこだわりの情報などが掲載されていて、ダム巡りが趣味の方には定番のアイテムで、コレクションをされる方も多いそうです。私も、浦山ダムのカードをゲットしてきました。

閑話休題。セミ時雨や川ガキたちの歓声は秋風とともに去り、浦山川に静けさが戻ってきました。季節は移ろい、10~11月には紅葉の見頃も迎えます。人工建造物ではありますが、周辺の景色と相まって、季節や時間帯に応じて様々な表情を見せてくれます。秩父地域に訪れた際には、ちょっと寄り道してみてはいかがでしょうか。なお、ダムは公共交通機関ではなかなかアクセスしにくいことが多いのですが、浦山ダムは、秩父鉄道を使えば、浦山口駅から歩いて20分程度で辿り着けるそうです。(YK)

 

写真上 下流側から見上げた浦山ダム
写真下 霧に霞む秩父さくら湖

今月の里川(2014年8月) Vol.53

入間川ほか 海からの恵みアユ

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入間川1

 

入間川2

今年も天然アユが東京湾から遡上している。多くの河川では6月から7月にかけて降水量が例年よりも多く、涵養林や湧泉が豊であった昔の里川の姿を思い出させていた。その中でも、新河岸川水系の不老川では水が途中で途切れず、新河岸川合流付近から上流のはげ下堀付近までアユがコケを喰む姿が愛でられるという。滅多にないアユ・ウオッチングのチャンス到来だ。

 

東京湾から荒川に遡上するアユは秋ヶ瀬取水堰下で滞留する。アユにとっては初めての遡上阻害物である。堰下に流れる越流部とは反対側に魚道があり、改良等を行い数十万尾のアユが遡上している。堰下には遡上できないで滞留するアユも多くいる。埼玉県漁連では平成12年からそのアユを捕獲して上流へと運んでいる。秋ヶ瀬取水堰魚道を無事に上ったアユは荒川本川と入間川で分かれる。入間川を上ったアユは8km先の落差がある菅間堰で遡上ができなくなる。砂利採取や地盤沈下により河床が低下し、堰上下流の水位差が生じたためでもある。

 

平成21年からこの菅間堰をアユが上ったらどこまで行くのか?上れる堰と上れない堰をNPO法人荒川流域ネットワーク、市民と協働で調査することを始めた。名付けて「アユ遡上作戦」がスタートした。21年は菅間堰上流に市民が脂ひれを切除した標識アユ数千尾を放流。毎年、上流へと移動しながら、漁協のアユ投網解禁や友釣り解禁から市民と一緒に調査を行い、これまでに参加した市民は延べ1,500名以上である。

 

入間川では4年間の調査で寺山堰、上奥富堰、笹井堰、矢颪堰、小瀬戸堰が上れないあるいは魚道はあるが魚道まで遡上できないなどの結果を得た。高麗川・都幾川・槻川も今年まで継続してアユ遡上作戦を実施している。それをもとに、25年度に川のまるごと再生事業で、入間川の菅間、寺山(写真1)、浅間堰に魚道補助スロープ及び魚道が施工された。菅間堰は未完成であるが設置された魚道等の効果についても市民とともに調査し、上りやすい魚道を目指して行く。今年は田島屋堰と上奥富堰に魚道が敷設され、笹井堰は魚道までたどり着く落差を解消した水路づくりを行う計画だ。改良や改善ができない遡上もできない迷惑な遺産にならない魚道づくりを提唱し、流域住民やNPOなどが将来的に上る工夫ができる魚道づくりを求めていく。参加者の願いでもある川に溢れるアユを夢見ながらアユ遡上作戦はこれからも続く。

 

入間川では今年の5月25日に市民とともに標識アユ2,066尾を寺山堰下に放流。8月30日には寺山、浅間堰のアユ遡上効果を調査するために、流域の市民、NPOと入間川の川越線鉄橋上流で伝統漁法のアユ地曳網漁を行う。昭和30年頃まで行われていた川の地曳網漁を是非体験してみては。(HK)

 

写真上川越市入間川寺山堰魚道(棚田式魚道)
写真下入間川アユ地曳網漁(川越市寺山堰下流にて)

今月の里川(2014年7月) Vol.52

荒川 川幅日本一

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荒川1

 

荒川2

埼玉県は県土に対する河川の面積が3.9%で日本一であることをご存じだろうか。また、荒川の鴻巣-吉見間は2,537mの川幅を持ち、これもまた日本一である。このように、埼玉県は川に関する日本一が多いのだ。7月の晴れた早朝に、白米0.4合と味噌汁と少しの野菜を食べた。料理への注文は多くない。そして日本一の川幅に挑んだ。

 

ワタシは父から、当時大人気だった時代劇に登場する医者の名前をもらった。小学1年生の時、風邪で学校を休んだ。少し回復すると学校の勉強の代わりに宮沢賢治の有名な長い詞を覚えさせられた。勤勉であれと。また、漢字がある程度読めるようになってからは、夜に何度も何度も野口英世の伝記を読まされた。志を高く持てと。

 

御成橋(おなりばし)の袂に川幅日本一を表すポールがある。鴻巣側から自転車で手前を北に入り、御成橋の少し上流側の道をゆっくりと進んだ。まだ、日は高くなっておらず、木々は、太陽との再会を喜んでいる。青々とした草はさわやかな風に揺られながらが、ざわざわとおしゃべりを楽しんでいるようだ。田んぼや畑の中のまっすぐな道をさらに進む。荒川に遭遇する。水の流れは速い。朝日を浴びながら、ぼーっと水の流れを楽しむ。少しして、吉見側の土手に行ってみた。一面に緑が広がっており、所々には花の絨毯がある。背の高い木もぽつりぽつり。散歩にはちょうどいい場所だ。サイクリングに適した川幅日本一体感ルートもある。川が流れ、その周りには緑が繁る。人間が自然の一部であることを楽しむことができる。そうした川の心地よさが人を川に誘う。春先の鴻巣側では、ポピーが咲き、賑やかに催しが行われていた。そこでは、川幅日本一にちなんだうどんも販売されていた。また、やや上流では、秋に花火大会が開催される。川とともに生活をし、川とともに四季を愛でる自分がいることに気づく。

 

7日といえば、七夕。天の川を隔てて愛し合う彦星と織姫がめぐり会う、1年に1回の特別な日だ。悲しいのは、雨が降るとそんな2人が会えないところ。広大な川幅を隔てた遠距離恋愛も甚だしいが、気象条件にまで左右されるとは、切ない限りだ。今夜、天気がよければ、2人は恋を語らい合い、それと同時に、銀河の里川を構成する無数の星がやわらかい光を放つだろう。もし仮に、そんな銀河の里川を旅する鉄道に乗ったとして、終着駅はどこか。里川の先に何があるか。里川をして何を成し遂げるか。

 

さて、荒川。平常時には、それほど川幅が広いわけではない。川幅いっぱいに水が流れるのは、相当程度雨が降ったとき。雨が降れば川幅は広がるかもしれないが、愛し合う2人の距離も広がるばかり。昔、荒ぶる川となって氾濫したときは非常に困っただろうし、逆に、日照りの時は涙を流したかもしれない。現在、水が流れる実質の川幅との違いはあるが、それをとやかくいうのは、つまらないからやめたい。川と人との関わりの歴史の末、川の流れの横断方向に、里川を楽しむ幅が日本一になったことは紛れもない事実なのだから。

 

以前に、ワタシが入院したことを書いた(vol.43)。実は、同日、父も入院した。電話で互いの回復を励まし合ったりもした。ワタシは5日で退院したが、父は、父は、星になった。星になった父は、今ごろ、よだかと一緒に銀河の里川を見るのを楽しみにしているかもしれない。今夜は空を見上げ、夜空で輝く星たちに語りかけよう。里川を切り口として、立場が異なる産官学民に橋を架けたい、サウイウモノニワタシハナリタイ、と。その橋の長さは短くなればなるほどよい。そのためには、勤勉で、志を高く、あらゆることに対してよく見聞きし、分からなくてはならない。環境の、水の、そして里川の医者のひとりとして。それが現時点での答えだ。雨ニモマケズ。(IM)

今月の里川(2014年6月) Vol.51

星川(見沼代用水)

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星川1

 

星川2

6月を水無月(みなづき)といいます。梅雨で雨の多い月なのに不思議に思いますが由来を調べますと、田圃に水を引き張る時期であることから「水な(の)月」といい、その当て字で「水無月」となった説、あるいは旧暦の6月は梅雨明けで雨が無い時期にあたることから文字通り「水の無い月」であるからという説などいろいろあるようです。いずれにしても、農業にとっての雨の大切さ、人々の切望、また川と人との関わりを強く感じられる呼称です。

 

利根川と元荒川に挟まれた地域は、昔から河川の氾濫に悩まされてきましたが、特に江戸時代以降は築堤や河川改修などの治水工事が行われ、また用水路の整備により新田開発が進みました。私の好きなカフェのある久喜市菖蒲町にも、星川(見沼代用水)を始めとして、農業利用される大小様々な河川、用水路、排水路が張り巡られており、水田が広がっています。星川は熊谷市内を起点として、途中行田市内で見沼代用水の水路となり、久喜市菖蒲町で見沼代用水と分かれ、白岡市で元荒川と合流します。上流ではいくつかの用水路が合流しており、利根川と荒川の両方の水が流れています。また、いくつもの用水路がこの川から取水しており、広い地域の田畑を潤しています。

 

梅雨の雨の中、久喜市菖蒲町を訪れました。このあたりは鎌倉時代には、源頼朝を支えた武蔵七党のひとつ、野与党の重要な領地であり、戦国時代には古河公方に属する城である菖蒲城が築かれ、江戸時代には中山道と日光御成街道をつなぐ陸路の中継地や見沼代用水を通る船の河岸として栄えた歴史ある地域です。現在、星川の見沼代用水の水路となっている部分はコンクリート張りとなっていますが、カフェの近くでは柵の一部に木材が使用されており、少し柔らかく親しみやすく感じられます(写真上)。水路脇には見沼弁財天(星川弁財天)が奉られていました。水路の平安と豊作を祈願して江戸時代に創建され、現在のものは昭和53年に改築されたとのことです。

 

当日はあやめ・ラベンダーのブルーフェスティバルが開催されており、美しい花を楽しむことができました。ラベンダー堤のある久喜市菖蒲総合支所前から菖蒲城趾あやめ園まで、水田に囲まれた、歩きやすい一本道が整備されています。田植えの終わった水田には水が張られ、道の横の用水路では魚がはねました。水路脇に植えられたあじさいの花がきれいでした(写真下)。 (KI)

今月の里川(2014年5月) Vol.50

私の里川

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私の里川1

 

私の里川2

私が里川という言葉を意識したのは、平成20年に埼玉県の最重要施策として「川の再生」がスタートした時で、「一丁目一番地は川の再生」と言っていたのを思い出します。以来ずっと仕事で「川の再生」に関わってきました。それ以前は河川に排出される工場排水の処理や水質に関心がありました。「川の再生」以降は河川の水質に加えて、「川の表情」や「川と人との関わり」にも関心が向くようになり、川をフィールドとして様々な活動をされている住民の方々とも知り合うことができました。こうした経験の中で「私の里川」を強く意識するようになりました。

 

私は、利根川と渡良瀬川に挟まれた鶴田川の近くの低湿地で生まれ育ちました。鶴田川は館林城址の付近で沼のように広くなっており、通称城沼と呼ばれ昔はお堀の役割を担っていたそうです。低湿地で生まれ育ったこともあり城沼や近くの小川が遊び場で、小さい頃はザリガニ釣りや川に入って手掴みの魚取り、小学生になると魚釣りをよくやりました。釣れた魚は地元の方言で「ザッコ」、「ハヤ」、「タナンペラ」と呼んでいた、「フナ」、「クチボソ(モツゴ)」、「タナゴ」で、時々はコイや雷魚も釣れました。

 

城沼は農業用水としても利用されていたため下流部に堰があり水の流れはあまりありません。当時はおそらくBODが20mg/L以上はあったと思いますが、当時の子供達は水の汚さは余り気にしませんでした。夏は泳いでいる猛者もおりました。私はさすがにその川で泳ぐ勇気はなく、結果として幼少期に泳ぎを覚えることなく過ごしたために、今でも泳ぎは苦手です。

 

私の里川の原風景は、春はつつじ、夏は蓮の花、秋はススキ、冬は空っ風に揺れる枯れ草を見ることができる城沼になります。今は周囲に5kmの遊歩道が整備されウォーキングを楽しむ市民がたくさんいます。私も週に4日位は夜に月明かりの下で湖面や水鳥を見ながらウォーキングしています。

 

川には、上流、中流、下流、それぞれの地域で違った表情があり、人との関わりにも違いがあります。各地域の人にとっての里川は一つひとつ違っています。人口が多く産業が集積した埼玉県で全ての川を清流にすることは非常に努力が必要ですが、埼玉県に住む人達の川の原風景として記憶に残るような里川を残し再生していきたいと思っています。(NH)

今月の里川(2014年4月) Vol.49

元荒川 宮内庁鴨場、梅林公園

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元荒川1

 

元荒川2

今回は越谷市内の宮内庁埼玉鴨場、梅林公園の一帯を訪ねてみました。宮内庁埼玉鴨場周辺は越谷市の環境保全区域に指定されており、元荒川とその両岸にある木々と共に豊かな水辺になっています。埼玉鴨場は公開されていないので中には入れませんでしたが、やはり独特の重厚感があり、行っただけの価値がありました。

 

元荒川の土手は散歩やランニングで多くの人の往来があり、地域に密着した空間になっています。私が訪ねた時は桜の花見に来られた大勢の方も加わり、とても賑わっていました。3月には梅林公園で梅まつりがあるそうなので、梅や桜の時期に楽しめるのは理解していただけると思いますが、色々な木々を間近にみられるので、緑が充実していくこれからの季節も楽しめる空間ではないでしょうか。

 

また、絶滅が危惧されているナガボノシロ吾亦紅(ワレモコウ)という花が自生していて、元荒川の自然を守る会の方々が保護活動をなさっているということも紹介されています。このような往来の絶えない土手の脇で希少植物が自生し、保護活動のお陰もあって守られているというこの空間は、素朴ながらも豊かで貴重だなぁと感じました。(KK)

今月の里川(2014年3月) Vol.48

利根川 サケの稚魚放流

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利根川1

 

利根川2

行田市立北河原小学校、公民館およびそのご近所のみなさんで行っているサケの稚魚放流を見学するために、行田市の利根川河川敷に行ってきました。利根川は、太平洋側でサケが遡上する南限とされています。北河原小学校は、全校児童43名のアットホームな雰囲気の小学校です(ちなみに私の小学校は1クラス約40名×6クラス×6学年の全校児童約1,440名でした)。

 

この稚魚放流は、北河原小学校と公民館が主体となって毎年行っており、かれこれ30年くらいの歴史があるそうです。漁協から発眼卵を購入し、児童1人につき30粒から50粒の卵を配布、ペットボトルで作成したバケツなどで各家庭に持ち帰り大切に育てます。サケの稚魚は高い水温が苦手なため、玄関先など寒い場所が理想的な飼育環境です。卵が孵化しはじめると泡が出てとても水が汚れるため、卵の殻の取り出しと頻繁な水換えが必要になります。水換えは、あらかじめカルキを抜いておいた水道水で半分くらい交換します。卵嚢がなくなり魚の形になると、漁協から配布されたペレット状のエサをやり始めます。エサをやるとさらに水が汚れるので3分の2くらいを目安に水換えを行います。ろ過設備の付いた水槽ではなくペットボトルで作成したバケツなどで飼育することが重要なポイントで、手間をかけて飼育することで生き物が育つことの大変さを学びます。また、大切に育てても稚魚が死んでしまうこともあり、命のはかなさを知ることにもなります。すべて死んでしまった場合には、学校と公民館で予備の稚魚を飼育しているため、再配布してもらうことができます。

 

放流当日は、日本全国をはじめ埼玉県内にも甚大な被害をおよぼした大雪の影響が残っていましたが、前日に学校の教員、公民館やご近所の方々が河川敷までの雪かきや放流場所の階段づくりをしており、安全に配慮された準備が整えられていました。放流は数名ずつ順番に行うのですが、直前に男の子がバケツを落としてしまい、隣の女の子がすぐに自分の育てた稚魚を分けてあげていたのがほほえましいひとコマでした。利根川に放流されたサケの稚魚は、育ての親を離れて里川を下り、オホーツク海、ベーリング海、アラスカ湾を回遊し、およそ4年後にまた戻ってきます。6年生が高校生になったころでしょうか。元の川に戻ってくる割合は約4%で、1人30匹の稚魚を放流したとすると1匹くらいが戻ってくる計算になります。全行程およそ7,000kmの遥かなる長い旅路です。感慨深く放流された稚魚を眺めていましたが、放流が終わった児童はどちらかと言うと雪遊びに夢中のようでした。このようなイベントを通じて、川をより身近に感じてもらうことができれば、我々水環境担当としてもうれしい限りです。(KW)

 

写真上:手作りのペットボトル水槽
写真下:利根川でのサケの稚魚放流風景

今月の里川(2014年2月) Vol.47

高麗川(こまがわ) 冬の巾着田

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巾着田1

 

巾着田2

2月上旬の穏やかな日、久々に高麗川の巾着田(きんちゃくだ)を訪れた。川が大きく蛇行してできた内側の平らな土地で、巾着のような形からこう呼ばれている。従来の河川管理では、治水の点から川は真っ直ぐに改修するのが一般だが、ここは自然の姿が残っている。清流はもとより豊かな自然を満喫できるので、春は新緑を求めるハイカー、夏は河原のバーベキュー、秋には曼珠沙華の群生を楽しむ人びとで賑わう県内屈指の行楽スポットになっている。ちょうど今は閑静な時季、曼珠沙華の冬の様子を見ようと河原を散策した。

 

川の流れに沿って巾着入口の鹿台橋から左岸側を歩き進むと、駐車場の先に曼珠沙華公園のゲートがある。冬木立の河畔林が続いており、林床一面は緑に覆い隠されている。この毛足の長いグリーンカーペットこそ曼珠沙華の冬の装いだ(写真上)。秋の花盛りのときに葉はなく、終わった頃に芽が出はじめる。ほとんどの下草が枯れ、桜やクヌギなどの木々がすっかり葉を落とす真冬に、幅1センチにも満たない細く長い幾本もの葉を放射状に繁らせる。降りそそぐ陽の光を浴びて養分をつくり、秋の開花に備え土の中の球根に蓄えているのだ。この葉も新緑が萌える4月にはすっかり枯れ、秋の開花を待つ。多くの草木が春から夏に葉を繁らせるのとは対照的で、合理的な繁殖の仕方なのだろう。

 

公園を下流に向かい歩いて行くと、風情の異なる高木の林が広がる(写真下)。ニセアカシアの木々で冬枯れしているが、枝に豆の莢(さや)が残っているのでそれとわかる。本物のアカシアとは別種のマメ科の木で、和名はハリエンジュという。明治期に移入され、山地での砂防林や街路樹・公園植樹として広く利用されてきた。成長が早く、痩せた土地でも育つことから薪や炭の原料としても重用された。また、初夏に咲く白い花からは良質の蜂蜜がとれる。しかし最近は、外来種として問題視されることが多くなっている。特に河川では、河岸や中州にハリエンジュの大群落が形成され、多様な草木が生育しづらい環境になるという。

 

巾着の中は散策路、水車小屋、駐車場、運動場など施設が整い、河畔林や公園を含めてよく管理されている。古くからの田畑も多く残っており、人びとの生活を支えているようだ。ここはいったい、何万の人が係わり心癒される里川なのだろうか?高麗郷は冬も見所満載ですよ!(MT)

 

写真上:河畔林と冬の曼珠沙華
写真下:あいあい橋から望む高麗川とハリエンジュの河畔林(右側)

今月の里川(2014年3月) Vol.46

市野川 ~川と城跡~

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市野川1

 

市野川2

今年1月にスタートした大河ドラマは、戦国末期からから江戸幕府が成立する頃の時代が取り上げられています。ネット上でも様々話題となっているようですが、個人としては今後の物語の展開を期待しています。物語が進むに従って川が合戦場として登場する歴史上有名な場面が数多く描かれることでしょう。川は歴史上、しばしば合戦場として登場し、屏風絵として残されています。有名なものでは川中島合戦図の千曲川(信濃川の上流部)(長野県)、姉川合戦図の姉川(滋賀県)、長篠合戦図の連吾川(愛知県)などがあります。また、軍事的拠点である城には堀が付き物ですが、川はしばしば天然の堀として利用され、また飲用水源としても極めて重要な役割を担っていました。1月に仙台へ出張した際には、青葉山に築かれた仙台城は広瀬川によって守られていることがよく分かりました。

 

埼玉県にも川を天然の要害として縄張り(設計)された城跡が数多く存在します。地図に示した松山城(吉見町)は、比企丘陵地帯を流下する延長34kmの市野川がちょうど迂回して流れる山に築かれており、市野川を防御に用いたと考えられます(写真上)。城跡の頂上に位置する本曲からは、東方向に市野川を見下ろすことができます(写真下)。その他、城の規模には大小の差がありますが、鉢形城(寄居町)は荒川、岩槻城(さいたま市岩槻区)は元荒川、腰越城(小川町)は槻川を眼下に望む場所に存在しています(河川は現在の呼び名です)。2012年に公開された映画の舞台になった忍城(行田市)は、荒川と利根川に挟まれた湿地に築かれました。当センターの近くにも騎西城(加須市)がありますが、忍城同様の湿地を利用していた様です。現在ではわずかに土塁が遺構として残されている程度ですが、あたりには水田地帯が広がっています。このような城跡にお出かけになった際には、川をどのように利用したのか注意して、いにしえを想像してみてはいかがでしょうか。(HT)

今月の里川(2013年12月) Vol.45

大里用水・御正吉見堰幹線(熊谷市)

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大里用水1

 

大里用水2

御正吉見堰(みしょうよしみぜき)幹線用水路は、深谷市(旧・花園町)の荒川・六堰頭首工で取水され、大里地域に展開する大里用水水路網の一幹線で、熊谷市(旧・江南町)の荒川右岸(上流から下流方向を見た場合の右側の岸)側の農地を潤しています。水路に沿って散策してみると、水辺に降りるための石段が至るところにあり、岸辺に目をやるとちょっとした空間に草花が植えられていたりと、川と毎日の生活がごく自然かつ密接に結びついてきたことを伺わせます。流れる水も荒川の清流が取水源ですからとてもきれいな上、様々な魚などが荒川から入ってきます。これらの水生生物が定着・生息しやすいように、水路は石組みの護岸や大小の石・砂利の河床となっており、初夏には清流にすむゲンジボタルが涼しげに飛び交う、古き良き日本の風景が楽しめるとのことです。

 

川との関わりが生活の大切な一部分であった時代は過ぎ去ってしまったのかもしれませんが、ちょっと歩けばこんな素晴らしい里川に出会えるのですね。これだから、寒さに負けず、自分の足での散策はやめられません。早いものでもうすぐ年越しです。こちらをご覧のみなさまに、良い年が訪れますように。(YK)

今月の里川(2013年11月) Vol.44

渡良瀬遊水地

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渡瀬遊水池1

 

渡瀬遊水池2

先日中国山西省から研修生の訪問があり、渡良瀬遊水池をともに見学しました。渡良瀬遊水地は、埼玉、群馬、栃木、茨城の4県にまたわる広大な遊水地(3,300ha)です。ここには渡良瀬川、思川、巴波川などが流入し、すぐ下流で利根川と合流しています。遊水池とは、下流の水害を軽減するために、洪水時に河川の水を一時的に貯える土地のことです。昭和22年のカスリーン台風では、利根川下流域に甚大な被害がもたらされました。渡良瀬遊水地は下流に大都市を持つ利根川水系の治水に大きな役割を果たしています。

 

洪水時だけでなく、平水時にも一定量の水が引き込まれ、谷中湖(遊水池の一つ)に貯水され、その水は都市用水に使用されています。渡良瀬遊水地は治水・利水の両方の機能を持つ平地に作られたダムなのです。遊水地は周囲堤などで囲まれ人の居住地とは分離されており、囲繞堤(いぎょうてい)や越流堤や排水門により、洪水時の河川水の水位や遊水池への水の流入がコントロールされています。自然地形を利用しながら広大な敷地に構造物をうまく配置しており、土木技術の力が感じられる施設です。

 

谷中湖の水は平成2年から上水にも利用されていますが、夏期に植物プランクトン(主にフォルミディウム)が増殖しカビ臭が発生し、水道水に影響がでたことがありました。そこで、現在では、1.水質の悪い谷田川の水を分離して湖内への流入を防ぎ、栄養塩の湖内への負荷を減らす、2.冬季に干し上げを行い、植物プランクトンを死滅させる、3.湖水をヨシ原浄化施設に導入し栄養塩を除去する、などの対策がとられており、状況は改善したとのことです。

 

渡良瀬遊水地にはヨシ原が広がり、様々な動植物の生息場所となっており、それを観察に訪れる方も多くいます。特に水鳥の生息地として重要な湿地であり、ラムサール条約に登録されています。ヨシ原の保全のために行われるヨシ焼きには多くの観光客が訪れます。谷中湖ではトライアスロンの大会も開かれ、ウインドサーフィンやルアーフォッシングを楽しむこともできます。湖周の散策やスポーツでも親しまれています。谷中湖の形はハート型であり、縁結びの密かなスポットだとか!また、気球に乗って上空から湖の形を楽しむ婚活イベントも開催されたことがあるようです。渡良瀬遊水地は半ば人工的に作った自然ですが、人々にとって大切な里川のようです。

 

一方、渡良瀬遊水地のある地域(旧谷中村)は明治期には足尾銅山の鉱排水と洪水の影響で大きな被害のあったところです。それ以前は湿地と共存し、そこから恵みを得て大勢が生活していました。鉱毒の影響や遊水池の設置にともない多くの村民が移住を余儀なくされました。谷中湖が円形ではなく、ハート型なのは谷中村の跡地を水没させないようにしたためなのです。里川だった場所が里川でなくなった歴史がここにあります。いまの形を変えた里川を楽しみつつも、そのことを忘れてはならないと思います。(KI)

 

写真上:ヨシ原浄化施設
写真下:谷中湖の形

今月の里川(2013年10月) Vol.43

東京都・皇居外濠

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外濠1

 

 

外濠2

先週、出張で関西方面へ向かった。ある研究で放射線を使った測定をする仕事である。始発の電車に飛び乗ったが、徐々に体調が悪くなっていった。はじめは、昨日飲んだワインの残存による体調不良を疑った。ただ、二日酔いのそれとは明らかに異なり、どんどんと苦しくなっていった。じぇじぇじぇ。結局、都内で倒れてしまい、救急車で病院に運ばれ緊急手術、入院となった。急性虫垂炎という診断だ。

 

5日間入院した。初日に手術をしていることもあり、4日目くらいには、普通に歩けるようになった。医師も歩くことを勧めた。病室の窓から外を見ると、病院の横には木が連なっており、隣は川が流れているようだった。夕刻、外出許可をとって、周りを散歩してみた。

 

飯田橋駅の近くに牛込橋と書かれた橋があった。水の流れと並行して線路もある。橋の上では、いろいろな人が歩を緩めているのがわかる。なんとなく水辺を見ている人や、風を楽しんでいる人それぞれだ。小さな子供を連れた親子は、電車を待っているようだ。電車が来るたびに子供が喜んでいる。

 

都心の里川の水、吹き抜けるそよ風、降り注ぐ夕焼けの光、そして心地よい電車の音のそれぞれが、行き交う人の心を洗う。そこには、自然と人工のなんとも言えないマリアージュがあった。留まる人は、日々の忙しさを忘れ、過ぎ行く時間を楽しんでいる。水辺にはレストランがあり、大勢がいた。

 

病院の夕食の時間が迫っていたので、その空間を後にした。夕食の後、花火が上がった。毎週土日には上がっていると、隣の患者さんと看護師さんが教えてくれた。看護師さんに川の名前を聞いたが、川かどうかわからないとのこと。ネットで調べてみた。いわゆる外濠だった。水質がたびたび問題になっていることは知っている。確かに、水は緑色で、少量ではあるがアオコがあった。このように水辺を楽しむ場合、水質は清澄でなくともよいのかもしれない。

 

話は戻るが、CT、レントゲンといった放射線を使った測定で今回の病名を特定できた。なんと、この前の人間ドックで、胃の検査のために飲んだバリウムが虫垂に蓄積していることもわかった。ということは、研究の試料に対して放射線の測定をしに行こうと思ったら、逆に自分の臓器に対してそれを施されたことになる。見方を変えればなんとも滑稽だ。やられたらやり返す。倍返しだ。と言っても、これからは健康を維持し、研究的に放射線の測定を利用し、里川の水質改善に貢献していこうという意である。(IM)

今月の里川(2013年9月) Vol.42

見沼通船堀

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見沼通船堀1

 

見沼通船堀2

散歩をしていると、史跡に出会うことがありますが、その史跡が地域にひっそりと息づいていると、地域の味わいがより一層深く感じられます。そのため歴史を大切にする街は、住んでいてたのしそうだなと思ったことがありました。

 

見沼通船掘は埼玉県を代表する史跡ですが、埼玉県出身でない私にとってはあまり馴染みがありませんでした。しかし数年前に調査で見沼通船掘近くの八丁橋(芝川)を訪れたとき、他の地域とは異なる雰囲気を感じ、いつか訪ねたいと思っていた場所でした。

見沼通船掘は1731年に築造された日本最古の閘門(こうもん)式運河で、この運河を利用して、江戸と見沼代用水路周辺の村々の間で物資の運搬をしていたそうです。江戸からは肥料、塩、魚類、醤油、荒物を、見沼代用水路周辺の村々からは年貢米、野菜、薪炭、酒、渋柿などの村の生産物が運搬されていたそうです。周辺にはいくつも神社があり、見沼通船掘が開削された当時の関係者の様々な思いが察せられます。

 

私が訪れた時は見沼通船掘の側道を通勤・通学、散歩で多くの人々が通行していました。また数十名規模の見学会も開催されており、今でも多くの人を惹きつけているようです。

 

さすが埼玉県を代表する史跡だなと、この地域に住む方々をうらやましく思いながら帰途につきました。 (KK)

 

 

閘門(こうもん) 水位の異なる2河川の間で船を航行させるための施設で、閘門とは川の水をせき止めるための関の役割を果たします。二つの閘門で仕切られた空間(閘室)に船を収容したあと、閘室の水位を穏やかに変化させることにより、水位の異なる河川間の航行が可能になります。同じ閘門式運河にはパナマ運河(1914年完成)があります。見沼通船掘の詳細な説明は見沼代用水土地改良区にあります。http://www.minuma-daiyosui-lid.or.jp/tsufunabori/minumatsuusenbori/minumatsuusenbori.html

今月の里川(2013年8月) Vol.41

川の博物館

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川の博物館の写真1

 

川の博物館の写真2

埼玉県の里川について学ぶために、大里郡寄居町にある大きな水車が目印の埼玉県立川の博物館(かわはく)に行ってきました。かわはくでは、「埼玉の母なる川-荒川を中心とする河川や水と人々のくらしとのかかわり」を様々な展示物を通じて体験学習することができます。その中で、荒川支流の中津川(Vol.6に写真があります)で昭和20年代初めまで行われていた、鉄砲堰(てっぽうぜき)に関する実演イベントがとてもインパクトがあったので紹介したいと思います。

 

鉄砲堰という言葉を初めて聞いた時には何のことやら想像もできなかったのですが、鉄砲堰とは川を利用した木材運搬方法のことだそうです。山間のV字谷に丸太で堰(ダム)を造って大量の水を貯め、放水口のベライタ(板を並べた蓋のようなもので棒を引くと外れるような仕掛けになっている)をはずして人為的に鉄砲水を起こさせて木材を下流に流し送るというものです。重機やトラックなどが使えない時代には、数百本もの材木を一気に荒川本流まで運べる画期的な方法であったに違いありません。中津川の鉄砲堰は、もともと静岡県の大井川で働いていた流送技術者から伝えられたそうです(静岡県出身の私にはうれしい事実)。鉄砲堰は、輸送手段の発達と共に姿を消してしまったようですが、昔の人の知恵には目を見張るものがありました。かわはくでは、この鉄砲堰を4分の1スケールで再現して1日4回放水の実演をしております。その他、荒川に棲む生き物や国内最大級の荒川立体模型なども展示されています。すぐ横の荒川河川敷では、テントを張ってキャンプを楽しんでいる人の姿もたくさん見られました。荒川について学んだり身近に感じたりするにはちょうど良い環境ではないでしょうか?

 

里川という言葉には明確な定義はなく、「人びとにとって身近な川」と以前に紹介されています(Vol.30参照)。私の里川のイメージは、小さな頃に魚採りやトンボ採りをした故郷の川を思い浮かべます。私は埼玉に移り住んでまだ間もないので、今後いろいろな川に足を運んで「私の里川in埼玉」を見つけたいと思います。(KW)

今月の里川(2013年7月) Vol.40

手のひらの荒川

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手のひらの里川1

 

手のひらの里川2

もう20年近くも前のことです。荒川には秋が瀬から葛西臨海公園まで遊覧船の定期航路がありました。この航路を利用して子どもたちに水や河川について学んでもらうために水上教室を開いたことがあります。このとき、なんとか子どもたちに乗っている船の位置を実感してもらいたいと思い、考え出したのが「手のひらの荒川」です。

 

ご存じかもしれませんが、埼玉県は7つの都県と接しています。これは長野県の8つに次ぎ、岐阜県と共に2番目に多い数です。隣接する都県名を簡単に覚える方法があります。左手を出してみてください。手のひらを埼玉県とすると、手首の部分で東京都と、手のひらの右側の部分で千葉県と接することになります。あとは小指から茨城県、栃木県、群馬県となり、残りは2つです。どこだったかなという方も多いと思いますが、人差し指が長野県、親指が山梨県となります。

 

さて、昔、埼玉県は武州、山梨県は甲州、長野県は信州と言いました。ここで、親指と人差し指を付けてみましょう。それにより3つの県が接することになります。この「甲・武・信」の三国にまたがる山がまさに「甲武信ヶ岳」なのです。この甲武信ヶ岳から流れ出て、埼玉県を山間部から平野部へと下り、東京都を経て東京湾に流れ込んでいるのが埼玉県の生命線とも言うべき、母なる川・荒川、私の里川です。手のひらをよく見ると左側はまるで山や丘陵のように盛り上がり、右側は平野のような平らになっています。

 

そして、その境に二本の指が交わった部分から手首方向に太い皺(しわ)がくっきりと現れています。そうです、これが「手のひらの荒川」です。こうして、手のひらに埼玉県と荒川を見いだし、自分たちが今いる場所を上空を舞う鳥のような視界で実感することができるのです。このほか、手のひらの上の方を横切る太い皺が現れる方は、それは利根川とみることもできます。人によって皺のでき方は様々です。あなたも、思い入れのある埼玉の里川をご自身の手のひらに見つけ出せるかもしれません。(HH)

今月の里川(2013年6月) Vol.39

成木川(なるきがわ、なりきがわ)

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成木川1

 

成木川2

県際(けんさい)河川という言葉を聞いたことがありますか?複数の都県をまたいで流れる川のことで、陸に囲まれている埼玉県では荒川や中川、そして利根川がその代表です。一方、県の西部地域には、東京都から水が流れ入る県際河川がいくつかあります。今回はその中の一つ、飯能の我が家の近くを流れる成木川を紹介します。

 

成木川は東京都青梅市成木の黒山に源を発し東へ流れ下り、飯能市内で入間川に合流する河川延長17.3kmの一級河川です。県西部を流れる多くの川は都市化の進行により著しい水質汚濁を経験しましたが、成木川は水源にも恵まれてBOD1mg/L前後の良好な水質を保ち続けてきました。

 

自然環境も豊かで、その昔、私が初めて清流に翔ぶカワセミを見たのも成木川でした。ちょうど6月になると、鮎漁が解禁され、下旬には蛍が乱舞するなど川は賑わい始めます。特に自然発生のゲンジボタルは有名で、上流支川の直竹川沿いでもホタル狩りを楽しめます。さらに夏になると、川は地域の子どもたちの格好の遊び場、里川になります。

 

成木川や直竹川が流れる飯能市南部の地域は南高麗と呼ばれ、高句麗からの渡来人が移住して設置された高麗郡の一部でした。その中の岩淵の崖の上には岩井堂観音が建っており、浅草寺観音発祥の地との看板があります。今から1500年ほど前にこの地域を暴風雨が襲いお堂と尊像が濁流に呑み込まれ、その100年後に隅田川で漁師に尊像が拾い上げられたのが浅草寺観音の縁起とのことです。浅草寺観音の由来については諸説あるようですが、県際という言葉がない古くから、地域の人々は成木川と墨田川が繋がっていることを知っていたのでしょう。歴史を感じながら、近所の里川で今年も夏を満喫できそうです。(MT)

 

注:河川法で成木川は“なるきがわ”と表記されていますが、地域の人々は古くから“なりきがわ”と呼んでいます。

 

写真上:岩井堂観音が建つ岸壁から望む成木川
写真下:岩井堂観音と看板

今月の里川(2013年5月) Vol.38

中川水系

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中川1

 

中川2

今回は中川を取り上げます。中川がどのようにして今の姿になったのか、埼玉県が発行した写真集中川水系、中川水系(I総論・II自然)という本から調べました。中川は起点を羽生市に持ち、東京湾に注ぐ、長さ81.5kmの一級河川です。流域は埼玉県と東京都の東側にあたり、約912平方キロメートルとなっています。山地に水源を持たず、起点は東京湾における平均海水面から約15mの高さでしかなく、低地のみを緩やかに流れることが特徴です。途中、大落古利根川、元荒川と合流し、中川と新中川に分離して東京湾に注ぎますが、中川には途中で綾瀬川が合流し、荒川と並行して東京湾に流入します。この並行区間は首都高速中央環状線を埼玉県側から東京湾方向に進むと、堀切JCTを過ぎて平井大橋の辺りから葛西JCTの手前まで、左手に中川、右手に荒川を見ながら進むことになりますので、実感できるでしょう。写真は、大落古利根川の合流点前にある弥生橋(松伏町)からの中川の眺めです(写真上)。川岸の緑がとても鮮やかです。4月には黄色い花に一面覆われていました(写真下)。

 

さて、中川の名前の由来は、「東・西葛西領の境を表す」とも、「荒川(隅田川)と江戸川の中間を流れる川」ともいわれているようです。そして、中川水系は利根川・荒川の2大河川が江戸時代初期に流域外に流路が変更され、「元」荒川、「古」利根川が本流から切り離されて残り、その後の改修で江戸川からも切り離され、独立した水系が成立しました。これが現在の中川水系の原型となっているようです。したがって、県域では古利根川が本来の中川筋であり、元荒川を含めて中川と呼ぶ場合もあったそうですが、江戸川から切り離される際、庄内古川に流路が付け替えられ、公式に「中川」と呼ばれるようになりました。しかし、比較的最近のことでもあり、庄内古川、さらに上流では島川と呼ばれているそうです。夏休みの宿題は、お近くの川の歴史について調べてみるのもよいかもしれませんね。(HT)

今月の里川(2013年4月) Vol.37

荒川上流部(秩父市大滝)

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荒川1

 

荒川2

埼玉県の母なる川、荒川をさかのぼっていくと、秩父市大滝(旧・大滝村)で中津川(今月の里川・Vol.6で紹介)との合流点にたどり着きます。荒川の左岸に中津川が合流しているのですが、川の両岸ぎりぎりまで山が迫り、本当に山奥まで来たなあ、と感じます。実際このあたりは、夏でも長く手を入れていられないほど川の水温も低い、すなわち冷水魚の生息域であり、そっと川に近づいてみると、運が良ければ、流下する水生昆虫などの餌を待って川面に定位するヤマメを見ることもできます。そうそう、ヤマメの背中は、何ともいえない美しい薄青緑色、この写真の川水と同じ色をしています。清らかな流れの中で暮らしていると、身も心も美しい色に染まっていくのかもしれません。激流に暮らすための寸分の無駄もない姿形とともに、こんなに力強い美しさをもつヤマメやイワナは、私の最も好きな魚たちです。

 

里から山へと桜の花を愛で、青嵐の候へと季節は移りゆき、目に眩しい新緑と耳に心地よい川のせせらぎが呼んでいます。ちょうどこれから大型連休です。たまには街の喧噪を忘れて、別世界に出かけてみてはいかがでしょうか。空の青、樹々の緑に染まり、ヤマメの気分になれるかもしれませんよ。(YK)

  

川の左岸・右岸 川は、上流側から下流(流れていく方向)を見た場合に、左側の岸を左岸(さがん)、右側を右岸(うがん)と呼ぶことになっています。

今月の里川(2013年3月) Vol.36

せせらぎ公園ほか(鴻巣市)

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せせらぎ公園1

 

せせらぎ公園2

娘の卒園式。卒園する園児の一人一人が幼稚園の思い出を元気な声で発表している。

 

 

知らず知らず歩いてきた。家の近所に鴻巣せせらぎ公園がある(写真上)。噴水に端を発し、水の流れを作り、小さな池へと流れ込む。細く長いこの道。水は循環利用されているのだろう。このせせらぎは、子供たちの格好の遊び場だ。夏ともなれば、水着持参で遊びに来る親子もいる。娘をつれてよく行った。振り返れば遥か遠く故郷が見える。今は、鴻巣市の花であるパンジーが見事に咲き誇っていた(写真下)。でこぼこ道や曲がりくねった道。公園から程なく歩いたところにある小さい水路では、魚釣りをした。三面コンクリート護岸で、柵がついている水路だ。水もきれいとは言い難い。竹を切って竿を作り、糸を結わえて釣り竿を作った。釣れたタモロコが一匹、今なお我が家の玄関の水槽の中で元気に泳いでいる。地図さえない、それもまた人生。七夕には、笹を切ってきて、短冊や飾りをつけた。そして天の川。

 

 

ああ川の流れのようにゆるやかに。水遊びをした川、魚釣りをした川、これらの里川と触れ合いながら娘を育ててきた。天の川も考え方によっては里川の一種だ。里川は、時代や地域でその姿形は変わる。いくつも時代は過ぎて。昔の人は、川の流れを時の流れまたは人生にたとえたのであろう。川という単語を歌詞に含む歌のなんと多いことだ。ああ川の流れのようにとめどなく。うさぎを追ったり、小ブナを釣ったりした昔の里川のイメージとはほど遠いかもしれないが、我々親子にとっては、よく遊んだ人工的な川こそが里川だ。

 

娘よ。これから、小学校、中学校と支流が合流し、やがて大河となるだろう。時には激流となることもある。忘れないで欲しい。水の流れ、すなわち時の流れや人のつながりは里川という単位プロセスの集まりだ。父と里川で遊んだ思い出を胸に、短冊に書き、夜空の里川に願った夢を叶えておくれ。空が黄昏に染まるだけ。

 

式の途中、一筋の里川が頬を伝った。(IM)

今月の里川(2013年2月) Vol.35

秋ヶ瀬取水堰(志木市)

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秋ヶ瀬取水堰1

 

秋ヶ瀬取水堰2

荒川に設けられた秋ヶ瀬取水堰は昭和39年に完成した可動堰であり、貯えられた河川水は堰の直上部で取水され、埼玉県や東京都の水道用水(埼玉県営大久保浄水場や東京都水道局朝霞浄水場などに供給)、工業用水などとして利用されます。前々月の報告であったように、首都圏の水需要に応えるために利根川の水は利根大堰で取水され、武蔵水路を通して荒川に導水されており、堰はその下流に位置します。つまり、貯えられているのは両河川水系の水であり、埼玉県、群馬県などの広大な地域に降った雨が注ぎ込んでいることになります。また、この水は浄化用水として新河岸川(下流では隅田川)の水質を改善するのにも使用されています。

 

堰付近の河川敷では公園が整備されており、スポーツや散策を楽しむことができます。休日の早朝に訪れるとサイクリングやジョギング、野球やサッカーなどを楽しむたくさんの姿がみられました。また、釣りも盛んでルアーフィッシングの隠れた名所となっているようです。堰の下流側ではスズキ(シーバス)が釣れるとのこと。実は、堰は荒川河口から約35km離れていますが、海の影響を受けており、下流側は海水の混じる汽水域となっています。海なし県の埼玉県も川を通して海と関係しているのが実感されます。荒川と利根川の源流は山にありますから、堰を眺めると山と川と海のつながりとダイナミックな流れ、そして人や生き物との関わりを感じることができます。(KI)

 

写真上 秋ヶ瀬取水堰下流側から
写真下 秋ヶ瀬取水堰上流側から

今月の里川(2013年1月) Vol.34

都幾川上流部

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都幾川1

 

都幾川2

山口県の山奥で産まれた僕の生家の横には綺麗な清流が流れていました。埼玉県に就職し、自分の家を建てようと思ったとき、やはり綺麗な川の横で住みたいという強い思いがありました。そこで埼玉県中を探しまわって見つけたところが、都幾川の上流にある三波渓谷にほど近い場所でした(写真上)。都内に住む友達からは、何もないド田舎によく引っ越したなと度々言われます。確かに都会を感じさせるものはここには何もありません。でも自然を感じさせるものがここにはたくさんあります。春にはウグイスのさえずり、夏にはホタルのほのかな光、秋には山を彩る紅葉、冬には満天の空を埋め尽くす星たち。そして何よりプライスレスな川のせせらぎ。

 

三波渓谷では、平野で見ることができないダイナミックな川の流れ、人より大きいごつごつとした岩、木漏れ日の中できらきらと輝く川面を見ることができます(写真下)。水が綺麗なので、夏は泳げますし、バーベキュー場が近くにありますので、家族、友達らと一日中楽しめます。またこの時期お薦めなのが、日帰り温泉「四季彩館」です。三波渓谷を眼下に見下ろす露天風呂は格別です。川の音を聞きながらの入浴はついつい長風呂になってしまいます。落ち葉や虫さん達も気持ちいいのかしばしばお風呂に入ってきますが、これはご愛嬌。古民家をリフォームして作られた休憩所もとても趣き深く、都会の喧噪からしばし心を解放してくれることと思います。どうです、みなさん、都幾川の上流にある三波渓谷に是非一度足を運んでみて下さい!。(YM)

 

写真上 都幾川(家の庭から撮影)
写真下 三波渓谷

今月の里川(2012年12月) Vol.33

彩湖(さいこ)

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彩湖1

 

彩湖2

これまで30数か所の地点を紹介してきた「今月の里川」ですが、意外と荒川の中・下流部が取り上げられていませんでした。そこで今回は彩湖に行ってその役割を勉強してきたので、簡単にではありますがご紹介させていただきます。

 

武蔵野線の西浦和駅と北朝霞駅間から見える湖、または外環道の戸田西ICと和光北ICの間にある湖が彩湖です。貯水量は1060万立方メートルあり、埼玉県全人口の6日分に相当する量を貯められるそうです。私は洪水調整のための湖かなと予想しましたが、彩湖には3つの役割がありました。

 

水害の軽減

雨天時の川は下流に行くほど他の河川の合流や都市域から排除された雨水等の流入により河川流量が増加します。この河川流量が川の限度を超えてしまったときに水害が発生するのですが、荒川の流量が非常に大きくなった時、彩湖に河川水の一部を彩湖に導くことにより水害を防いだり、軽減させようとしているそうです。

 

水道への原水供給

降水量が少ないと河川の水量が少なくなり、水不足が発生します。河川流量が豊かなときに彩湖に蓄えた水を、水不足のときに秋ヶ瀬取水堰上流部に供給し、水道の原水にしているそうです。

 

 

自然と親しめる遊び場

 

私が彩湖に行ったのは12月上旬の寒い日でしたが、そんなときでも多くの方がウインドサーフィンをしていました。調べてみるとウインドサーフィン以外にもカヌーをしている方が多数いるらしく、貴重な水辺になっているようです。バーベキューもできるそうなので、暖かくなったら再度訪ねてみたいです。

 

彩湖の近くにある自然学習センターでは、彩湖の生き物や上で述べた彩湖の役割などについて説明されているので、彩湖に行ったときにはぜひ行ってみてください。夕方にはきれいな夕日を見ることもできるので得した気分にもなれます。彩湖の詳しい説明はこちら(荒川第一調節池)をご覧ください。(TK)

 

写真上 彩湖(自然学習センターのある丘より)
写真下 夕日(自然学習センターの5階より)

今月の里川(2012年11月) Vol.32

利根大堰(とねおおぜき)

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利根大堰1

 

利根大堰2

家族で埼玉県行田市の利根川中流域にある利根大堰(独立行政法人水資源機構)に行ってきました。利根川は、長野県、群馬県、栃木県、埼玉県、茨城県、東京都、千葉県を流れる流域面積日本第一位の河川です。利根大堰では、上流から流れてきた水を堰き止めて沈砂池で砂を落とした後、武蔵用水路、見沼代用水路、埼玉用水路、邑楽用水路および行田用水路を経て、農業用水や工業用水、浄水場で消毒した後には各家庭に飲料水を運ぶ大切な役割を担っています。

 

利根川では、春にはアユ、秋にはサケが遡上してきます。利根大堰には魚道が設けられており、川の中から窓越しに魚の姿を観察することができます(大堰自然の観察室)。私が行った日には、30分ほどで6匹のサケが遡上するのが観察でき、その迫力に大変興奮しました。アユの稚魚やそれを食べに来た大きなニゴイの姿も見えました。魚にそれほど興味の無い家族は、ふだん家でいつもボケーとしている私がテンション↑↑なのを見たことの方が面白かったようです。利根大堰では、12月下旬までサケの遡上を観察することができます(ピークは11月中旬ごろ)。魚道の改修、地域の方々の放流事業や水質の改善などにより、利根川を上ってくるサケの数は年々増加傾向にあるそうです。

利根大堰の周りには、バードウォッチングや釣りに来ている人の姿も多く見られます。このすばらしい環境をずっと守り続けて行きたいものです。(KW)

 

写真上 利根大堰
写真下 魚道を上るサケ(わかるかな?)

今月の里川(2012年10月) Vol.31

権現堂川(ごんげんどうがわ)

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曼珠沙華

十月上旬の定期採水のため、中川の行幸橋を訪れた。近くの権現堂堤では、曼珠沙華(彼岸花)祭りが行われていた。平日であったことから、そう多くの人出とはなっていなかったが、それでも昼近くであったことから、近くの食事処は既に順番待ちの盛況であった。権現堂堤では、三月下旬から四月上旬に「さくら祭り」が行われ、年間に五十万人もの観光客が訪れる桜の名所となっている。周辺の休耕田に植えられたアブラナとの共演は、一幅の絵のような美しさがある。また、五月末から七月初旬には「あじさい祭り」も行われる。この権現堂堤は、利根川の派川であった権現堂川の堤防の一部が、中川の左岸堤防として残されたものである。その築堤は古く、天正四年(1576年)から開始され、その後、改修を繰り返しながら現在の状態となったとされている。

 

かつての権現堂川は、茨城県五霞町中妻で利根川の右岸から分岐し、途中、島川が合流して東に向かい、幸手市西関宿で江戸川に合流していた。江戸時代の権現堂川は水量が多く、長らく利根川の本流とされていた。舟運に利用され、高瀬船が江戸に年貢米を運んでいたとされ、船渡橋はかつて渡しがあったことに由来している。その一方で、堤が決壊して氾濫を繰り返し、特に、享保二年(1802年)の大水では、巡礼母子が堤防工事の人柱となったとされ、堤の中央付近には、巡礼母子を供養する「巡礼供養の碑」が立てられている。明治時代のはじめには、新築された堤防を明治天皇が閲覧したことを記念し、行幸橋近くに「行幸堤の碑」が、また、昭和八年(1933年)の廃川により、水害からの解放を記念した「防水記念碑」が内国府間(うちごうま)に立てられ、暴れ川であった権現堂川の治水に係わった当時の人々の苦労を偲ばせる。

 

現在の権現堂川は権現堂調節池となり、アメンボ様の装置が浮かぶ。アオコの除去を目的としているが、水質は比較的良好とのこと。ただ、水質の善し悪しだけではなく、その川や周辺の歴史を知ることも、川に親しむ一つの手段であろう。(SH)

今月の里川(2012年9月) Vol.30

“里川”発祥の地は?

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六堰頭首工1

 

六堰頭首工2

今回で“今月の里川”は連載30回目になりました。私たち水環境グループが里川再生クリニックを始めたのを機に、研究員が日頃の川への想いをコラムに認めてきたものです。そこで、改めて“里川(さとがわ)”という言葉について紹介します。

 

「里川の可能性」(2006年発行)の著者である早稲田大学の鳥越先生によると、先生らの里川プロジェクトチームが使いはじめた新しい言葉であり、明確な定義はなく「人びとにとっての身近な川」ということです。プロジェクトチームの一員である本庄市出身の嘉田滋賀県知事(当時は京都精華大学教授)が、2005年頃に大宮のフォーラムでお話していたのをよく覚えています。また、手持ち資料で持っている1999年1月発行「新河岸川流域通信Vol.4」の表紙タイトルには、既に“里川Sato Gawa”と銘打たれています。それでも、広く知られている“里山”や“里海”と比べると新しい造語と思っていました。ところが最近、碩学の生態学者として著名な川那部浩哉先生が、それらよりも古い用例を解説しています。1909年に出た田山花袋の名作「田舎教師」の一節に“夕日は昔大手の門のあったといふあたりから、年々田に埋め立てられて、里川のやうに細くなった沼に畫のやうに明かに照り渡った。”とあるのです。田舎教師といえば、よく知られているとおり羽生が舞台であり、村里を流れる小川が“里川”だったのでしょう。おそらく利根川から引いた用水で、当時の人びとにとって身近な川であったのは間違いありません。

 

先日、彩の国いきがい大学の講義で、里川の源の一つである荒川の六堰頭首工を紹介しました。現在の頭首工は平成15年に完成したもので、昔の写真は昭和時代の様子です。当時をよく知っている受講生も多く、子どもの頃に堰の上を自転車で渡って怖かった、などと懐かしく話しをしてくださいました。埼玉県はいたるところに川があり、地域の人びとの生活において、身近で無くてはならないものだったのでしょう。埼玉発の里川を多くの人に知ってもらえば、身近な川が里川へと変わってゆくのではないでしょうか。(MT)

 

写真上 現在の六堰頭首工
写真下 改修前の六堰頭首工(昭和62年発行、写真集荒川より)

 

六堰頭首工(ろくぜきとうしゅこう) 約400年前から農業用水のためにあった6か所の堰を、一つにまとめた取水施設で、昭和14年に完成しました。その後、機能回復や災害の未然防止のために新たな施設に改修しています。

 

今月の里川(2012年8月) Vol.29

天王池(てんのういけ)

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天王池1

 

天王池2

埼玉県の地形は「西高東低」になっており、県西部には「谷戸」と呼ばれる山や丘の谷間をせき止めて造られた農業用のため池(以下、単にため池とする)が数多く見られます。そしてそれらのため池の下流側には、ため池の水を利用した水田が広がっており、ため池と水田がセットになった独特の、どこか懐かしさを感じる風景が作り出されています。県内には500を超えるため池が存在しますが、それらのほとんどは比企丘陵一帯に集中して分布しています。ところで、ため池は用水を安定して水田へ供給する目的で造られてきましたので、ため池が多く分布する地域は、もともと水不足が深刻な問題であったことが想像できます。

 

天王池(小川町)は「谷戸」に造られたため池のひとつであり、ハイキングの対象として人気のある官ノ倉山へのハイキングコースの途中で見ることができます。筆者が訪れた今年の夏(8月現在)は雨が少なく、天王池の水を水田に引いているためか、水位が低下していました(写真上)。池の周りはスギなどの木々で覆われ、昼なお暗く、セミの鳴き声が静けさを演出していました。この池まではずいぶんと上り坂が続きますので、池が視界に広がったときはまさに達成した気分になるのではないでしょうか(写真下)。そのような場所に造られたこの池の完成までには大変な苦労があったことが、堰堤に設置された記念碑に書かれていました。記念碑には「かつての稲作は天水に左右されたため、大正15年受益者が約4,000平米の敷地にため池造成を決定した。総工費一万二千円、昭和2年1月着工、人夫8,287人により、同年6月完成した。約7,000立方メートルの貯水、安定した稲作が期された。工事は人力で行われ、筆舌に尽くし難く、その功績を讃え、碑を建立した」という内容でした。これにより、天王池は人力で85年前に造成されたことが分かりますが、現在も現役で活躍していることで先人の苦労が報われているような気がしました。

 

調査を終えた帰り道、農作業をされている住民の方にお話を伺ったところ、天王池周辺の草刈りなどは水田に水を引いている5~6軒で行っていて、また、何年か前にはブルーギルの大規模な駆除が行われるなど、大切に管理されているようです。ため池は人の暮らしにとって大切な用水を供給するだけでなく、生き物にとっても大切な生息場所であることが知られています。なお、ホタルは県内ではめっきり姿を消しましたが、いまでも天王池の周りでは初夏に舞うそうです。きっと幻想的な光景であることでしょう。

なお、県内のため池の概要については、センターのホームページから「知っておきたい埼玉の環境」の水環境( http://www.pref.saitama.lg.jp/uploaded/attachment/31718.pdf )で、「4.2.2 ため池」として解説してあります。そちらもどうぞご覧ください。(HT)

 

写真上 堰堤から見た天王池(小川町)全景
写真下 上り坂の途中から天王池方向を望む

今月の里川(2012年7月) Vol.28

綾瀬川の水質ランキング

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綾瀬川1

 

綾瀬川2

2012年5月にも採りあげた綾瀬川の、ちょっと下流の方で・・・。
A:綾瀬川が日本一汚れた川だって聞いたけど、一体どうやって求めたの?
B:それは「全国河川水質ランキング」のことだね。国土交通省の規定する条件を満たす165河川について、 BOD平均値で順位づけをしていて、綾瀬川は平成22年度のBOD平均値3.7mg/L(75%値だと3.5mg/L:2012年5月で既出)で、ワースト1だったんだ。
A:ふーん、そういうことだったんだね。
B:でもその一方で、平成11、12年および平成21、22年のBOD平均値の差から求めた、過去10年間の水質改善幅ランキングだと、綾瀬川はベスト2だった。それだけ、以前は汚かったということでもあるけどね。
A:ワーストワーストっていうけど、どれくらい汚いんだろう?
B:人それぞれで感じ方が違うから難しいけど、ボクはそんなに落ち込むほどのものでもないと思ってるよ。以前のことを考えたら、「こんなにきれいになったんだ」って、胸を張っていいと思う!もちろん、もっときれいになるにこしたことはないだろうけどね。
A:どうして、「きれいになった」って思うの?
B:そうだね、例えば、何年か前に越谷・草加のあたりの綾瀬川で、子どもたちと一緒に環境学習で魚捕りをしたんだけど、いろんな魚がたくさん捕れた。コイ、フナ、タモロコ、モツゴ、タナゴ、ナマズにウナギ、海から上がってきたものではスズキやハゼ、それに魚じゃないけどテナガエビとか。全て健康で元気な生きものたちだったよ。
A:大漁だね、子どもたちも楽しそう!
B:みんなとっても楽しんでいたよ。でも、それだけじゃないんだ。川沿いは舗装整備されていて、散策やサイクリングを楽しむ人が大勢いた。まさに、川が生活に身近になってるなぁって感じたよ。
A:ワースト1の川でもそんなにきれいだったとしたら、全国どこの川に行ってもきれいなんだね?
B:いや、必ずしもそうとはいえないんだ。河川の水質は環境省も比較していて、河川といっても全長が長いものもあるから、一つの河川でも複数の区間(「水域」と呼びます)に分けたりして、全国の河川の2,561水域に対して、Bod平均値で順位づけをしているんだ。要するに、より細かい水域ごとの評価になるんだけど、平成22年度のワースト1は大阪府の「西除川(2)」で、BODは9.5mg/Lもある。一般的には、コイやフナが元気に住める水のBODは5mg/L程度といわれているから・・・。
A:ずいぶん高い!・・・そうか、細かく見れば、まだまだみんなで努力しなくちゃいけないんだね。
B:例えば、綾瀬川でも、汚水が流入する水路はいくつもあるよ。ただ、全体としてはきれいになってきているんだ。これからもみんなの努力で、まだ汚れているところを少しでもきれいにしていきたいね。(YK)

 

※“河川の水質改善状況に関するランキング”というタイトルで、今月の里川2010年8月にも採りあげています。ぜひご一読ください。

今月の里川(2012年6月) Vol.27

雀川(すずめがわ)

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雀川1

 

雀川2

6月の花といえばあじさいです。先日、ときがわ町にある雀川砂防ダム公園に行き、あじさいを見てきました。写真のような水と緑とあじさいからなる癒やしの空間がありました。この公園は、旧玉川村の公園として整備され、その地形を活かして花見やイベントもできるみたいです。もちろん、自然が織りなす優美な様を肌で感じながら散策することもできます。前日の天気予報では雨だったので心配していましたが、当日は日差しが照りつける陽気となりました。

 

この公園は美しい山並みの中にあり、その中に川があります。山に降った水たちはダムで集合し、その後は順序よく列をなし、石と石の間を掛け抜けていきます。あじさいは、その水たちの行進をやさしく見守ります。川縁に降りてその水たちの間に手を入れると山のひんやりが伝わってきます。川の上をそよそよと吹く風はなんだか冷たく感じます。言葉など必要ありません。ただ、ゆっくりとした時間の中で、自分が自然の一部であることを感じることに幸福感を覚えます。

 

川の周りには、白爪草が絨毯のように敷きつめられています。モンキチョウがその上をふわふわと飛んでいます。緑、白、黄のコントラストが美しいです。ダムの中では、灰黒色の鯉が群れをなして泳いでいます(写真下)。群れと離れて、赤の鯉が一匹、寂しそうにしています。昔読んだスイミーを思い出しました(でも、色は逆か)。

 

ちらほらと家族連れも見られます。子供は例外なく川の中に入っており、服の一部はぬれています。親のほとんどは、靴のままです。休憩所でバーベキューをしているグループもありました。ビールの缶は川の中で冷やしていました。おいしそうです。週末はかくありたいです。

 

あじさいは漢字で紫陽花と書き、花言葉の一つには「辛抱強い愛情」というのがあります。梅雨のしとしとと降る雨とじめじめとした気候に強く堪え、誰かを忍んでいるようです。また、あじさいは土壌のpHの影響で花の色が変化することもあるようです。これを示すかのごとく、「移り気」という花言葉もあります。どうやら、山の空とあじさいは一筋縄ではないようです。(IM)

今月の里川(2012年5月) Vol.26

綾瀬川上流部

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綾瀬川1

 

綾瀬川2

綾瀬川は桶川市を起点とした流路延長約47.6kmの一級河川で、蓮田市、伊奈町、上尾市、さいたま市、越谷市、川口市、草加市、八潮市を流下し、東京都に入って中川に合流しています。国交省が発表する全国一級河川の水質現況(平成22年度)によると、国交省直轄区間を対象とした水質ランキングではワースト1となっていますが、様々な施策と住民の皆様のご尽力により、過去に比べて水質は大幅に改善してきています。BOD75%値は昭和40年代前半には50mg/Lを超える状況でしたが近年は5mg/Lを下回り、平成22年度には3.5mg/Lとなりました。

 

綾瀬川上流付近に長年住む方に話を伺うと、かつては人家も少なく、水質が悪化する高度成長期前はホタルが乱舞していたとのことです。ただ、一時期に比べれば水質も相当改善されたと感じられていました。綾瀬川は湧水などによる自己流量が少なく、田圃の落とし水などが水源となっています。まさにひととの関わり合いの中で存在する河川なのです。

 

上流付近の川沿いにはジョギングロードが整備されており、運動や犬の散歩に多くの方が利用されています。水の透明度や底質の色を見ると残念ながら川に入って水遊びをしたいとは思いにくいですが、土手の草花や周りに広がる田圃の水面を見ると大変気持ちよくリラックスできました。夏に訪れた時には稲の緑が川沿いに広がり圧巻でした。

 

 

歴史を調べますと、江戸時代のはじめに、関東代官頭であった伊奈備前守忠次が治水と新田開発を目的に備前堤をつくり、元荒川と綾瀬川が分離され、現在の流れができたとのことです。ちなみに伊奈備前守忠次の屋敷があったことから伊奈町の町名は決まったそうです。川を歩きその歴史を知るとますますその川に興味が増し身近に感じられ、想いが深まります。みなさまも身近な河川の歴史をお調べになられてはいかがでしょうか。(KI)

 

今月の里川(2012年4月) Vol.25

元荒川(もとあらかわ)中流部

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元荒川1

 

元荒川2

今年の春は寒さが続き、予定していた花見を延期した方も多かったのではないでしょうか。かく言う私も花見を一週間延期し、先日家族で岩槻城址公園とその近くの元荒川に花見に行きました。写真は元荒川(東岩槻駅付近)の川沿いの桜です。色彩に乏しい冬の街中とは対照的に、満開の桜は菜の花とともに春の到来を実感させてくれ、鮮やかな黄色と白(うすいピンク?)が元気づけてくれます。

 

川沿いの桜並木は関東であれば3月末くらいが一番輝き、その集客力は地域の財産とも言えるでしょう。しかしこの桜は河川管理者を悩ませる面もあるそうです。どういうことかというと、桜はこれからの時期は毛虫がつきやすく、桜並木の近所に住む方々や並木を散歩道にしている方々にしてみると、「迷惑なもの」という点もあるのがどうも現実のようです。毛虫がつくのなら薬剤で退治すれば・・・と考えますが、住宅地近くの桜並木の場合には近隣への影響を考えると薬剤は使いにくいようですし、毎年のこととなるとコストも無視できません。鳥が毛虫を食べに来ると、今度は鳥のフンで苦労するそうです。では切ってしまうか・・・とすると、今度は桜を愛する住民の方から反対されるらしいのです。

 

生態系という言葉を以前に比べてだいぶ頻繁に耳にするようになってきましたが、川と人のかかわりを考えるなかで、河岸の生態系をどうデザインするか?はこういう点からも重要な事であると感じます。(KK)

今月の里川(2012年3月) Vol.24

武蔵野台地の湧水

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武蔵野台地1

 

武蔵野台地2

埼玉県の川の水質は大幅に改善されてきましたが、特に県南西部を流れる河川は、目を見張るほど良好になっています。例えば、黒目川や白子川は、20年以上前に筆者が河川調査で採水をするときなど、素手で水に触れるのはごめん蒙りたい川でした。実際に昭和60頃のこれら河川のBODは30mg/L前後を推移しています。それが平成22年度の環境基準点におけるBOD年平均値は、黒目川が1.2mg/L、白子川が2.0mg/Lとなり、河川の類型ではA類型に相当するきれいな川になっています。下水道整備や工場等への水質規制の効果が最もよく現れた地域です。しかし、様々な排水が処理されただけでは川はきれいになりません。川の水量を確保する豊かな水源が重要なのです。

 

黒目川と白子川は一級河川の起点が東京都にあり、そこから埼玉県に流れ下ってきます。河川流域の武蔵野台地は多摩地区から北東方向に傾斜しており、地形の変化に調和して流れているのがよくわかります。山間部の緑豊かな自然林が水源ではありませんが、川の水が涸れることはありません。台地の下に水を満々と蓄える地下水の層があり、そこから常に清澄な水が湧き出ているのです。新座市の妙音沢や和光市の白子湧水群など名のある湧水も散在します。

 

県の川の再生事業で、湧水を利用した河川整備を行っていたので視察してきました。写真の上は黒目川左岸の水路と池、下は白子川左岸の池でともに湧水が源となっています。冬期でしたが水温は17.0℃および15.6℃と暖かく、pHは6.7および6.4で弱酸性、おいしい水の目安である有機炭素量(TOC)は0.5mg/L及び0.4mg/Lと低濃度でした。湧出量は毎分100L以上あり、河川の水源として役立っていることが一目で分かります。水辺の散策だけでなく、地元の方々が中心となって生き物が豊かな環境を創ったり、環境学習で活用していくとのことです。自分が暮らしている大地が川の良質な水源であることに気づいてもらえれば、里川の再生はそう難しくないと思います。(MT)

 

写真上:黒目川東橋下流左岸の湧水が源の水路と池
写真下:白子川芝屋橋下流左岸の湧水池

 

河川の類型 河川は利用目的に応じてAAからEまでの6類型に区分されています。A類型では、水道2級(沈澱ろ過等による通常の浄水操作を行うもの)、水産1級、水浴が利用目的の適応性となっており、BODの環境基準は2mg/L以下です。現在の指定類型は、黒目川はC類型(BOD環境基準:5mg/L以下)、白子川はD類型(BOD環境基準:8mg/L以下)です。

 

今月の里川(2012年1月) Vol.23

槻川(つきかわ)

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槻川1

 

槻川2

平成24年の新年を迎え、今年は良い年になるよう願ってやみません。皆さんはどのような正月をお過ごしになったでしょうか。筆者は正月休みを利用して、埼玉県の目玉事業として挙げられる水辺再生100プランのひとつとして整備された槻川(小川町)の栃本堰の下流へ行ってきました。栃本堰は小川用水を取水するための堰で、江戸時代にさかのぼることができるような歴史があるようです。その下流の馬橋までの間、水辺再生事業によって川の左岸ぞいに遊歩道が整備され、水面のすぐそばを散策することができるようになりました。ちょうど散策に訪れていた多くの人たちを見かけました。毎年、7月に行われる七夕祭りには、花火大会の見物人でにぎわうことでしょう。また、両岸を結ぶように飛び石が設置されており、大人のみならず、子どもたちでも自由に対岸へ渡ることができそうです(写真上)。この日はよく晴れていましたが、便利な飛び石ではありますが、雨上がりなど石がぬれているときには滑るかもしれませんので、注意しましょう。

 

水辺の石をひっくり返すと、きれいな水の指標生物であるカワゲラの仲間や、きれいな水と少し汚れた水との共通指標であるシロタニガワカゲロウなどの水生昆虫の幼虫が見つかりました。写真下はシロタニガワカゲロウが石の裏側にびっしりと張り付いている様子です。これらの水生昆虫が見つかったことから、この地点は、「きれいな水」にすむ生き物が住める環境が残っていると判断できました。川辺が整備されたことにより、川にすむいろいろな生き物を目にする機会が増えたのではないでしょうか。小川町が小京都と呼ばれるゆえんでもある、町域のほぼ中央を流れる槻川に対する関心が高まることを期待したいと思います。

 

一方で、県内河川は年に一度や二度は台風に伴い普段より大量の水が流れることがあり、それによって川底の様子が大きく変わることがあります。そのような自然のイベントである大水の後に、人為的に整備された飛び石や水辺がどう変化するのか、または変化しないのか興味を持っています。(HT)

 

写真上:水辺再生100プランで整備された槻川栃本堰下流(小川町)
写真下:石に張り付いて春を待つシロタニガワカゲロウの幼虫と拡大した幼虫

今月の里川(2011年12月) Vol.22

星川(ほしかわ)

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星川1

 

星川2

かわいらしい名前のこの川は、熊谷市の市街地中心を流れており、元和9年(1623)に荒川の洪水によって堤防が決壊してできた「玉の池」を水源としています。「玉の池」は、熊谷市指定名勝「星渓園」内にあり、かつてはその名の由来のとおり、清らかな水がこんこんと湧き出ていたといいますが、現在は湧き水は枯れてしまい、荒川の六堰(ろくせき、深谷市)で取水した大里用水を導入し、水量を維持しています。両岸には遊歩道が設けられ、場所によっては水際まで降りることができます。所々に整備された広場には彫刻像が設置され、「星川シンボルロード」として親しまれています。また、年間を通じて様々な縁日や催しがあり、多くの人でにぎわっています。

 

こんなのどかな星川周辺ですが、悲しい歴史もあります。終戦前夜(昭和20年8月14日)の熊谷大空襲の折、大火を逃れようとして荒川方面に逃れた人々と、星川に逃れた人々では、大きく明暗が分かれたそうです。小さな星川の水は、火災の熱で高温になり、逃げ場となるような場所がなく、多くの方が亡くなりました。この悲惨な出来事を伝え、戦災を二度と繰り返さないとの祈りを込めて、最上流に近い広場に昭和51年(1976)、「戦災者慰霊の女神」像が建立されました。

 

星川は、街中を流れていますがとても水はきれいで、数年前からは初夏にはアユが遡上してくるようになりました。筆者も実際に見たことがありますが、女神像が優しく見守る中、元気いっぱいに泳いでいました。(YK)

 

写真上:星川を望む
写真下:戦災者慰霊の女神像

今月の里川(2011年11月) Vol.21

荒川(親鼻橋付近)

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荒川親鼻橋

写真は荒川の上流にある親鼻橋付近の川底の様子です。モヤモヤしている物体は藻類(藻(も))です。藻といっても様々な種類のもがあり、金魚鉢に入れるような草のような藻(カナダモなど)もあれば、この写真のように川底の石にペタっと張りついて増える藻(付着藻類)もいます。アユが食べる藻は川底の石に張りつくタイプです。

 

今年はかなり温かく、地球温暖化の影響かと感じてしまいますが、ここ数年、川の水温も上がりつつあるようです。その結果、比較的浅い川ではこのような藻類がたくさん生えている河川を多く見かけます。藻類は温かくて光の当たる条件では生えやすいためです。これらの藻類が生えることは魚の餌になるなどの良い点もありますが、一方で川の水がアルカリ性になりすぎる悪い点もあります。

 

残念ながら川の水温の上昇によって川底に藻が生えすぎることで、川の水質や生物に与える影響は完全には明らかになっていません。今後注意していく必要があるかもしれません。(YK)

 

付着藻類(ふちゃくそうるい) 川底の石などについている茶色や緑色(季節によって色が変わる)のもので顕微鏡で見ないと見られないくらい小さい藻類(藻)の固まり。さまざまな種類の藻類の集まりですが、季節や川の場所、水質、川の流れの速さなどによって種類が変わります。「アユのはみあと」アユが付着藻類を食べた跡です。顕微鏡を持っている方は一度見てみると面白いですよ。

 

今月の里川(2011年10月) Vol.20

荒川上流

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荒川上流1

 

荒川上流2

10月にもなると昼は暖かくても朝夕冷え込むようになってきました。夏はビールでのどの渇きを癒している方も、そろそろ別のお酒への変更を考えているのではないでしょうか。今月は、そんなお酒に関する大人の里川の話です。

 

人は古くから水とともに生活し、水に関わる文化を発展させてきました。その最たるものがお酒です。麦がビールに、ぶどうがワインに、芋が焼酎に、そして米が日本酒に、水とそれぞれの材料が運命の出会いを果たし、形を変えて皆から愛されています。九州南部の芋がたくさん採れる地域では芋焼酎の文化が、米がたくさん採れ、豊富に水が得られる地域では日本酒の文化が発展しています。

 

埼玉県の西部に位置する秩父市街地の周辺は、荒川が武甲山などの山々を削ることによってできた河岸段丘という地形をしています。その荒川のほとりに数軒の酒蔵があり、日本酒造りをしています。この地域の地下を流れる伏流水を汲み上げ、日本酒の原料にしているのです。

 

「平成の名水百選」というものがあります。これは、地域の生活に密接に溶け込んでいる清澄な水を選んだものです。埼玉県では4件が選ばれ、その中には、この秩父の「武甲山伏流水」も入っています。この水を無料で汲み取ることができるところがあるため、多くの人がポリタンクなどを持って水を汲みに来るそうです。

 

日本酒造りには「水、米、人」のどれが欠けてもいけないと言われます。清らかな水環境、伝統の米作り、培われた技術を次の世代に伝えていきたいものです。今晩は、日本の文化の象徴である日本酒を、ゆっくりと味わってみたいと思います。一献を口に含み、目を閉じれば、秩父を流れる荒川のせせらぎが聞こえてきそうです。ゴクゴクでもなく、チビチビでもない、向き合うって感じでしょうか(どこかで聞いた台詞かな?)。(IM)

 

写真上:秩父を流れる荒川
写真下:酒造にある武甲山伏流水

今月の里川(2011年9月) Vol.19

比企丘陵(ひききゅうりょう)の小河川

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比企丘陵

東松山市、鳩山町、嵐山町などにひろがる比企丘陵にはいくつものニュータウンや大学があり多くの人々が暮らしていると同時に豊かな自然が残っています。比企丘陵を源とする小河川は数多く、途中越辺川などに合流し最終的に荒川に合流するものが多数をしめます。

 

居住地近くを流れる緑豊かな川のほとりを歩くのはとても気持ちがいいものです。散策すると水の流入地点が赤っぽくなっているところがあります。これは鉄の影響です。このあたりの地下水には鉄が多く含まれているようです。

 

浅い川では写真のように川底が緑色になっているところがあります。これは付着藻類や糸状性藻類やそのほかの植物によるものです。水深が浅いと太陽の光が川底まであたりやすく、これらの植物が繁茂しやすくなります。好天がつづくと、植物による光合成が大きくなり、結果として水のPhが驚くほど高くなることもあります。これらの植物は魚のえさとなるなど豊かな生態系を維持するというよい面もありますが、増えすぎると腐って汚濁の原因となるなど悪い面ももっています。(KI)

今月の里川(2011年8月) Vol.18

不老川(ふろうがわ)

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不老川

不老川は東京都瑞穂町に起点を有する河川で、入間市、所沢市、狭山市、川越市を流下して新河岸川に合流します。水質調査結果によると昭和40年代にはBodが100mg/Lを超える汚れた河川でしたが、様々な取り組みの結果、最近はBodが5mg/L程度と大きく改善されました。地域住民を中心とした流域の構成員が一体となった取り組みとしてこのことをご存じの方も多いことと思います。

 

県外出身者である私は初めて不老川という名称を聞いたとき、不思議な名前だなぁと思ったことを覚えています。名称の由来を調べてみると、不老川は元々水の少ない川なのですが、特に冬には水が無くなってしまい、河川に流水がある状態で年を越さない(=数え年では年をとらない)ためにこの名前がつけられたそうです。このような川の水が無くなる現象を「瀬切れ」といいます。

 

生活排水等が流入する不老川では河川流量が少なくなると水質が悪化することが問題となっていました。そのため河川流量を維持するため下水処理場の処理水を河川の上流側に還す事業が平成10年度から実施されていますが、瀬切れを解消するには至っていないようです。先日私たちが不老川の調査をした際に近隣にお住まいの女性から私たちが訪れる数日前に瀬切れが起こったため、鯉や鮎が死なないよう川の淵へ運んだことなど、日々変化する不老川の姿についていろいろ教えていただきました。不老川の瀬切れは地質や地下水位に原因があるようで、一朝一夕に解消できる課題ではないと思われますが、不老川へ対する地域の方々の興味関心の高さに非常に驚かされました。(KK)

 

瀬切れ 河川水の浸透などにより流量が少なくなり、河床が露出して流水が途切れてしまう現象を瀬切れと呼んでいます。瀬切れが起こると魚などの水棲生物が死んでしまうなど、様々な悪影響が生じます。埼玉県内では不老川のほか入間川などで発生しています。

 

今月の里川(2011年7月) Vol.17

赤平川(あかびらがわ)

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赤平川1

 

赤平川2

私たち水環境グループでは、県内の主要河川を毎月一回調査しています。その中で最も清澄な川の一つが赤平(あかびら)川です。

 

決められた調査地点は、国道299号線に架かる小鹿野町赤平橋の上流で、昭和44年からの流況や水質データがあります。BOD年平均値を見ると、以前は2mg/L以上の年もありましたが、2000年以降は1mg/L未満がほとんどで、清流と呼ぶにふさわしい河川です。排水対策や合併処理浄化槽の普及が水質改善に寄与した好例でしょう。

 

そして調査地点の下流には、赤平川の名所"ようばけ"がそびえています。名前はおどろおどろしい感じですが、陽(=よう)があたる崖(=はけ)が由来とのこと。国道から見ると山肌が露わになっているので一目瞭然、対岸の河原からは高さ100m近くの切り立った崖の迫力に圧倒されます(写真上)。バームクーヘンの生地のように重なった地層が確認できますが、これは約1500万年前、秩父地方が海だった時代に海底に堆積した土砂が、その後、赤平川に削られてできたものです。河原で地層と同じ砂岩を見つけて砕いたら、貝の化石がありました(写真下)。この地層の中に太古の海のどんな生物が眠っているか想像してみるのも、他では味わえない里川の楽しみ方でしょう。

 

"ようばけ"が見える河原に行く途中に、おがの化石館があります。奇獣パレオパラドキシアなど秩父で発掘された様々な化石が展示されています。(MT)

今月の里川(2011年6月) Vol.16

横瀬川(よこぜがわ)

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横瀬川1

 

横瀬川2

6月1日は秩父市立原谷小学校、3日は秩父市立高篠小学校で環境学習が行われ、講師として当センター職員が参加しました。校内で、川はなぜ汚れるのか、川をきれいにするためにはどうしたらよいのかを理解するために、簡単な実験を含めた学習を行いました。野外では、学校の近くを流れる横瀬川で生き物調査を行いました(左写真)。横瀬川は全長約18km、流域面積77平方キロメートルの一級河川で、最後は荒川に合流します。原谷小学校と高篠小学校が生き物調査した場所は、それぞれ荒川へ合流する地点から2.5km程度及び4km程度上流側に当たります。5月末に発生した台風の影響による増水のため、生き物調査の実施が心配されましたが、当日は平常時よりやや水量が多いものの天候も回復し、川の中に入ることができました。1時間に満たない調査でしたが、魚類ではシマドジョウ、水生昆虫では、きれいな水の指標生物であるカワゲラの仲間、ヒラタカゲロウ、少しきたない水の指標生物コオニヤンマ、スジエビ、きたない水の指標生物ヒル、原谷橋上流では大変きたない水の指標生物アメリカザリガニが採集されました。これらを集計すると、両小学校の調査地点は、「きれいな水」と判断されました。最近では、川で遊ぶ子供たちをすっかり見かけなくなりました。今回の体験学習を通じて、身近なところを流れる「きれいな川」横瀬川に対する関心が高まり、いつまでもきれいな川であることを願っています。(HT)

 

横瀬川で生き物調査を行う生徒たち
写真上:秩父市立原谷小学校5年生(原谷橋上流)
写真下:秩父市立高篠小学校4年生(不動の湯付近)

今月の里川(2011年5月) Vol.15

唐沢川(からさわがわ)

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唐沢川1

 

唐沢川2

唐沢川は、延長6.9km、流域面積約21平方キロメートルの利根川水系の一級河川です。水源は、荒川・玉淀ダムから取水した農業用水の落とし水で、同じくそれらを水源とする前川、押切川、西川を併合するとともに、これらに都市排水も加わります。利根川水系の河川ですが、流れているのは荒川の水になります。大きな支流である上唐沢川、下唐沢川の合流点(深谷市緑ケ丘、Jr高崎線・深谷駅そば)が一級河川としての起点となっていて、深谷市内を北に流れていき、小山川(利根川の支川)に右岸から合流します。途中の福川(菱川)や備前渠用水(ともに利根川水系の一級河川)とは立体交差するため、合流しません。また、福川との立体交差あたりから、河川水質の環境基準点のある森下橋(深谷市上敷免)の先にかけては、高い堤防が構築されると同時に非常に深い河道の掘削がなされていて、水辺に容易には近づけないため、ややもったいない区間もあります。実は、もともと唐沢川は福川に流れこんでいたのですが、洪水による甚大な水害が流域でしばしば起きたため、大正末期から昭和初期にかけての福川の改修事業に伴い、放流先が小山川へと変更されたという、洪水との闘いの歴史があったのです。そんな歴史もある唐沢川ですが、今では深谷市街地を中心に、生活排水対策や様々な環境イベント、河川愛護団体による河川清掃などが活発に行われ、地域のシンボルとして愛されています。(YK)

 

写真上:唐沢川上流
きれいなせせらぎで、夏にはオイカワなどが数多く見られます。
写真下:唐沢川森下橋付近
両岸が切り立っていています。上に見えるのが森下橋です。

今月の里川(2011年4月) Vol.14

沖縄県・那覇市の川

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沖縄の川

この写真は那覇市を流れる川です。国内でも川といっても大きくその様相は変わります。沖縄の河川は通常は水量が少ないことが特徴です。これは沖縄は山から海までの距離が埼玉のように長くなく、また平野も狭いため、土地の水の保有能力が小さいことが一つの原因です。沖縄在住の方は川はきたないもので、海はきれいなものという考えも少なくないようです。川と住民のつきあい方も地方でそれぞれです。 (SYK)

今月の里川(2011年1月) Vol.13

街の中を流れる高沼用水路

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高沼用水路

与野駅から中央区役所に向かう途中、国道を渡ってすぐの所に、小さな川が流れている。小さな欄干はあるが、名前のない橋が架かけられている。両岸には住宅や店舗が迫り、気づかずに通り過ぎてしまいそうな小川である。

 

調べてみたところ、高沼用水路といい、灌漑用水として整備されたらしい。現在は、周辺がすっかり宅地化されたために、その目的を終えようとしている水路である。上流に進むと、すぐに落合橋で国道17号線と交差して暗渠となり、その姿を見ることができない。

 

5月にはわずかに残る川岸に黄菖蒲が咲くが、今は寒中であり、伸び始めた幼葉を見ることができるだけである。残念なことに、水路内には投棄されたゴミが沈んで見えるが、川岸に降りる通路はなく、川に近づくことができない。

 

街の中にひっそり佇む小さな流れにも、気づいてみれば心癒されるもの。里川とは違うかもしれないが、季節の移ろいを気づかせてくれる貴重な地域の公共空間として、蓋をされて住民の目に触れられなくなってしまわないことを願って止まない。(SH)

 

暗渠(あんきょ) 地中に埋されたり、ふたをされた河川や水路のこと。道路で水面がみられないのに欄干が残っているところは、地下に川や水路がある可能性が高い。(例えば上尾市芝川小学校付近の芝川)

 

今月の里川(2010年11月) Vol.12

権現堂調節池(ごんげんどうちょうせつち)

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権現堂

権現堂調節池(行幸湖)は埼玉県幸手市と茨城県五霞町にわたる多目的調節池です。延長5.18km、総貯水容量4,113,000立方メートル(東京ドームの約3.3杯分)のサイズをもっています。中川の洪水を調整し被害の軽減を図る「治水」と水道水などの水源となる「利水」を目的に平成4年3月に完成しました。

 

カヌーの練習や競技会が行われ、また"桜"や"菜の花"や"あじさい"で有名な権現堂提が隣接することから多くの人が調整池を訪れ、親しんでいます。一方、調節池は浅く流れがほとんどないため、特に夏期にはアオコが発生します。アオコの発生は池の見ためやにおいに悪影響を与え水への親しみを損ねます。

 

筆者らは先月末『浮きウキフェスタ22-「川の再生」の体験イベント-』に参加しました。多くの人が浮島づくりなどの水質浄化体験をしたり、模擬店や出し物に楽しんだりしていました。地域の方々や地元の小中学生、池周辺の企業が協同して盛り上げているのが印象的でした。我々のブースでは水環境クイズやアオコの顕微鏡観察をしてもらいました。これを契機に池の環境に興味をもってもらい、どうあるべきか考えてくれればと願っています。(KI)

アオコ 池や湖沼などで藻類(主に藍藻類)が大発生し、水面に緑色の粉をまいたようになる状態。窒素やリンによる富栄養化に日照時間が長いなどの環境条件が重なると著しくなる。諏訪湖ではかつてアオコがよく発生したが、30年以上にわたる対策の結果激減した。アオコの低減には水質改善と長い年月が必要となる一例である。

今月の里川(2010年10月) Vol.11

名栗川(なぐりがわ)

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名栗川1

 

名栗川2

今年の夏は記録的な猛暑となり、県内各地の河原は川遊びやバーベキューを楽しむ人々の姿で賑わっていました。やはり川遊びには清流が一番、そしてその代表的な里川に入間川上流の名栗川があります。多くの方は、この河川名を見聞きしたことがあると思いますが、川を管理している法律(下のコラムで解説!)にはありません。法では、一本の川で名称が上流と下流で異なる場合、下流の名称を使うのが原則のようで入間川となっています。それでも、名栗の地元で入間川と言っても通じないでしょうから、古くからのとおり飯能河原より上流は名栗川と呼びたいものです。

 

名栗川も秋の深まりとともに景色が移ろいでいます。名栗の山は西川材を産出する杉林が広がっており、花粉症が気になる人には今がハイキングに絶好な季節です。飯能駅からバスで有間ダム方面に向かうと、途中に名栗川橋という停留所があります。ここを起点に、棒ノ峰ハイキングコースになっていますが、川に架かる名栗川橋に注目してください。歴史と風格が感じられるもので、大正13年(1924年)に建造された県内最古の鉄筋コンクリートづくりのアーチ橋です(写真上)。かつて、この地区には木造の橋が架かっていましたが、大洪水で流され対岸との交通が途絶えてしまいました。そこで、大水でも流されない永久橋を望む声が高まり、地元の人々も寄付で補なって現在の橋が建設されました。その美しい堅牢な姿から、平成11年には近代化遺産として県の有形文化財に、平成18年には明治から戦前にかけて建設された歴史的・文化的価値の高い近代土木建造物である土木遺産に指定されています(写真下)。86年の時を経た今日も現役で、地元の人々にとってかけがえのない里川のシンボルとして活躍しています。(MT)

河川法 河川の治水・利用・管理について定めた法律。一級水系や一級河川などが指定される。法律上は1河川名であるが、名称・呼称が変わる代表的な川として、千曲川→信濃川、瀬田川→宇治川→淀川がある。

今月の里川(2010年9月) Vol.10

小山川(こやまがわ)

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小山川1

 

小山川2

小山川は埼玉県北西部を流れており、元小山川や唐沢川などが合流する自然豊かな川です。9月の上旬に本庄市にある新元田橋付近を歩き、古人が感じたもののあはれに自分の想いを重ね合わせてみました。

 

「9月はつとめて やうやう白く成り行く里川 すこしあかりて 水の清くたなびきたる」残暑厳しい川のほとりを早朝に歩きました。昨夜の微熱がさめない憂鬱感のある空気ですが、太陽の目覚めに伴ってだんだんと白くなっていく里川が輝きを発し、辺りの木々の色を反射して緑色にたなびいているように見えます。

 

「水の中はさら也 魚の多く泳ぎがひたる」水の中はなお心地いいです。水温は25℃くらいですが、水に入ると水の冷たさが体に伝わると同時に体の熱が水に奪われ、爽快感を感じます。よく見ると小さい魚がかわいく群れをなして泳いでいます。オイカワでしょうか。

 

「又 トンボのただ一つ二つなど 水面を行くもをかし」また、カワトンボやシオカラトンボが一匹、二匹と静かに水と戯れるかのように水面すれすれを飛んでいる光景にも興味深さを感じます。

 

「蝶などのつらねたるが いと小さく見ゆるは いとをかし」川の幅は25mくらいで、その内3mくらいに水が流れています。水のないところは草花が茂っています。そこに、チョウチョなどが群がって遊んでいるのは、見ていてもおもしろいものです。

 

「水の音 虫の音など はた言ふべきにあらず」耳を澄ませば、心地よい水の音、虫の音などが聞こえ、自然の中にいる人間のちっぽけさを感じます。たまに吹く風は涼しく、夏の終わりと秋の始まりを感じました。

 

「春は桜」この付近の小山川には桜並木があり、春になると川の周り緑が桜のうすいピンクで化粧されます。いとをかしでしょう。来年の春が待ちどうしいです。(IM)

 

溶存酸素(ようぞんさんそ) 人間が生きていくためには、酸素が必要です。川の中にいる魚も同様で、水の中に溶けている酸素(溶存酸素)を必要とします。水が冷たいと酸素が溶けやすく、暖かいと溶けにくい傾向にあります。ちなみに、この地点の溶存酸素は9mg/Lくらいで、たっぷりの酸素が溶けていました。

今月の里川(2010年8月) Vol.9

水質改善状況に関するランキング

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水質ランキング

7月29日に国土交通省から平成21年の全国一級河川の水質が公表されました。その中で、河川平均水質(BOD)の下位5河川に綾瀬川と中川が、過去10年間の水質改善幅上位5河川に同じく綾瀬川と中川が入りました。

 

改善幅で上位に入ったこと、特に綾瀬川では1位だったことは誇れることでしょう。

一方、両河川が平均水質の下位5河川に入ってしまったのは残念なことかもしれませんが、水源の状況も水利用形態も流域人口も異なるので、この結果からは水質が相対的に悪いこと以外に情報が得られません。河川の特性別に数タイプに分けたランキングにすることができれば、もう少し示唆に富むランキングになると思うのですが、皆さんはどのように感じられているでしょうか。

 

ところで最下位になっている綾瀬川の平均BODも3.7mg/Lで、BODはだいぶきれいなレベルになってきていると思います。ただ都市内の中小河川に目を移すと、まだ汚れた河川水がみられます。里川を再生するため水質改善が必要ですが、それに加えて生態系の保全・回復も重要です。まだまだ課題は山積しているなぁと感じます。(KK)

 

全国一級河川の水質現況の公表について 全国一級河川における水質状況をまとめて、国土交通省から発表しているものであり、 "環境基準の達成状況"、"河川ランキング"、"泳ぎたいと思うきれいな川"などが示されています。なお、ランキングの対象となっている県内の河川は利根川、神流川、江戸川、中川、綾瀬川、荒川、入間川の6河川で、県内の一級河川すべてが対象になっているわけではありません。

 今月の里川(2010年7月) Vol.8

水田への灌漑用水(かんがいようすい)

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灌漑用水1

 

灌漑用水2

埼玉県内には都市部にも小規模ながら、郊外であれば広大な水田地帯がたくさんあります。今の季節はこれらの水田に河川の水を流し込んでいます。写真は本センター(環境科学国際センター)近くの水田で撮影したものです。このように河川の水は水田の貴重な水源になっています。したがって、河川の水が私たちの生活排水などで汚れてしまうと、私たちの貴重な食料の一つであるお米作りにも影響を及ぼしかねません。よく、水のきれいな地方のお米は美味しいとか日本酒がおいしいなどいわれますが、水のきれいさも重要な要素の一つなのかもしれません。

 

この季節は水田を覗くとさまざまな生き物が簡単に観察できます。特に最近はホウネンエビが見かけられる水田が増えているようです。写真は撮影した水田にいたホウネンネビです。全長が2cmほどでしっぽがきれいな赤色、足の部分がきれいな緑色で今の時期には卵をたくさんつけています。このエビは稲作にとりたてて良い影響も悪い影響も与えないといわれていますが、住んでいる水田は豊作になるとのいわれがあります(「豊年エビというわけです」)。おいしいお米を食べるためにも、また、生物多様性の観点からも河川を不必要に汚すことは避けたいものです。(YK)

 

灌漑用水 埼玉県には葛西用水路、見沼代用水路、高沼用水路をはじめとした灌漑用水を利用しているところが数多くあります。灌漑用水としての利用もありますが、用水路付近の県民の方々にとって水辺との親しみ空間としても利用されています。また、用水路はさまざまな水生生物が生息できるため、彼ら(彼女ら)にとっても重要な場所になっています。また、水田にもカエルやヤゴ、カブトエビ、鳥類などさまざまな生物が見受けられます。時には家族で水田の中をちらっと見てみてはいかがでしょうか。

今月の里川(2010年5月) Vol.7

元小山川

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元小山川1

 

元小山川2

元小山川は、埼玉県北部の上里町を起点に、主に本庄市内を流下して小山川に合流する長さ約8kmの一級河川です。山間部から生じる河川ではなく、元々は湧水などが水源でしたが、その枯渇などに伴い水量が減少してしまった上に、市街地を流れているために生活排水等の流入量も多く、汚濁が進行してしまっています。こうしたことから、国土交通省により、小山川とともに「清流ルネッサンスII」の対象河川にも選定され、水量確保・水質改善、多種多様な生物の生息・生育環境の創造、親しみやすい水辺空間の創造などを目標とした様々な取り組みが行われています。

 

特長的なものとしては、地域住民が創設したNPOを中核として、地域住民、地元自治体、河川管理者、研究機関(大学も含む)、地元の小中高校などの有機的連携の下に、現地河川での活動を主体とした総合学習(学校向け)、環境講座(住民向け)などを通じて、子どもたちとそのご家族を川に呼び戻そうという試みがあります。また、河川浄化技術の研究開発と現地河川での実用化検討も行っていますが、実作業などにも積極的に関わっていただくことで、川をより身近な存在(=里川)として感じてもらえるよう、取り組んでいます。(YK)

 

水源のない河川 埼玉県には大小実に多くの河川がありますが、全ての河川が山から流れてくるわけではありません。平地に起点を持つ河川の多くは、かつては豊富な湧水などを水源としていました。しかし、宅地化の進行や、人口増加・産業発展に伴う地下水需要の増大などの結果、湧水が枯渇したりして水源がなくなってしまいました。中には、水量の大部分が排水やその処理水といった河川もあります。こうした河川を里川として取り戻すには、湧水の復活などを含めた水量の確保はもちろんですが、河川への生活排水などの流入汚濁の削減が何よりも重要であり、成功の可否は流域住民一人ひとりの意識と行動にかかっているといえるでしょう。

今月の里川(2010年2月) Vol.6

中津川(なかつがわ)

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中津川1

 

中津川2

埼玉の秘境、奥秩父を流れる中津川。この川は、長野県との県境に位置する秩父連峰を水源とし、急峻な山の谷間を縫うように流れた後、やがて秩父市大滝で荒川に合流します。中津川の周辺は風光明媚で、紅葉シーズンには、多くの観光客で賑わいます。中津川水系の水質には、ある特色があります。支流である神流川は、一般の河川に比べて電気伝導度が高いのです。中津川周辺には金属類を豊富に含む岩盤が分布しており、それらの岩盤から染み出た清水が川に流れ込んでいるのです。

 

冬の中津川を遡ってみました。一昨日に降った雪のせいか、川の水は手が切れるほど冷たく感じました。途中、中津川沿いに小さな集落を見つけました。集落から川へと下る道は、ここで暮らす人々と川との深いつながりを物語っているようでした。きっと、多くの人たちがこの道を通って、川の水を利用し続けてきたことでしょう。人里遠く離れたこの地に住む人々にとって、中津川は大切な里川であるということを実感したひとときでした。(TI)

 

電気伝導度(でんきでんどうど) 電気の流れやすさを表す指標です。この数値が高いほどカルシウムやマグネシウムなど様々なミネラル成分が川に溶け込んでいることを示しています。

今月の里川(2009年12月) Vol.5

山ノ神沼(やまのかみぬま)

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山ノ神沼1

 

山ノ神沼2

蓮田市にある山ノ神沼(蓮田市:面積約3ha、平均水深約1m)は、埼玉県内では数少ない天然の湖沼で、沼水は灌漑用用水として利用されてきました。現在の山ノ神沼は、人間活動に伴う窒素やりんなどの栄養分が流入したことが原因で、夏場の沼水は濃い緑色に濁って、透明度は15cm程度になり、時にはアオコと呼ばれる水面に緑色の膜が張ったような現象が見られる典型的な富栄養化が進行した湖沼と言えます。しかし、地元の方に伺った話では、およそ30年前までの山ノ神沼は沼底が見えるほど水が澄んでいて、沈水植物(解説)が一面に生えていたそうです。子供の頃、泳いで遊んだ経験をお持ちの方もいらっしゃるように、子供たちにとっても大切な遊び場として身近な水辺でした。今でも釣り場や散策などで人々に親しまれています(左上写真)。かつてはウナギも捕れたそうで、また、大きな二枚貝(ドブガイ)も生息していたことが分かっています(左下写真)。山ノ神沼では地元の方が中心となって、行政と協力して沼をきれいにしようとする熱心な活動が行われています。当センターでも、隔離水界と呼ばれる試験施設を設置して、沈水植物群落の再生・復活による湖沼環境の改善を将来的な目標とした水質浄化試験(左上写真)を進めています。それらの成果が実り、以前見られた生き物が戻ってくることを願ってなりません。(HT)

 

沈水植物 水生植物のうち、葉、茎、根のすべてが水の中で生活するものは、沈水植物と呼ばれ、ホザキノフサモ(キンギョモとして売られています)やエビモなどに代表されます。湖岸に見られるヨシやガマなどは、抽水植物に分類されます。

 今月の里川(2009年11月) Vol.4

槻川(つきかわ)

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槻川1

 

槻川2

槻川は東秩父村に端を発し、小川町で兜川と合流した後に嵐山町で都幾川に合流する自然豊かな川です。11月の初旬に嵐山町の槻川橋付近を歩きました。陽気な秋空のもと、いくつかの木々は紅葉し、小鳥の小さなさえずりが聞こえます。水に手を入れると心地よい森の冷たさが伝わってきます。水は透明で底まで見えます。子供たちが河原の石で池を作り遊んだ後がありました。その状況を思い浮かべると思わず顔がほころびます。そのまま顔を上げると、金色の水面を眺めるススキが穏やかな風に吹かれるのが見えました。

 

この辺りにはバーベキューやキャンプができる河原があり、ゴールデンウィークや夏休みには家族連れで賑わうそうです。子供は川に入って魚を取り、親はビール片手にそれを見守るのでしょう。次のバーベキューの季節が待ち遠しくなりました。(IM)

 

透視度 水の指標として透視度というものがあります。文字通り、水がどのくらい見えるかを調べるもので、透明な管の底の二重の十字が見える水の高さで判定します。汚れている水では透視度が低く、きれいな水では高い透視度が得られます。このように簡単に測定できる水質指標もあります。

今月の里川(2009年10月) Vol.3

柳瀬川(やなせがわ)最上流部

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柳瀬川1

 

柳瀬川2

昔の柳瀬川には多くの水田や林があり、水遊びや魚とりで楽しめる身近な川であったそうです。しかし徐々に鉄道網の整備やそれに伴う宅地開発により水田や林は減少し、今では水田はほぼ消滅したといっていいほどです。このような河川の周辺環境の変化により、かつて柳瀬川最上流部の水路に多く生息していた天然記念物のミヤコタナゴが今から約30年前を最後に生息が確認できなくなってしまったそうです。

 

埼玉県ではミヤコタナゴが生息可能な河川環境をつくることを目標に、住民の方々や所沢市と共に取り組みを行っています。いまの柳瀬川は山口貯水池から出てくる水が水源になっていますが、木が生い茂る、良好な河川環境があります。現在進行中の取り組みをいつか結実させ、人々が豊かさや楽しみを感じられる河川にしたいものです。(KK)

 

ミヤコタナゴ 卵をマツカサガイなどの二枚貝に産み付ける魚です。そのため、ミヤコタナゴが繁殖し続けるためには、二枚貝も繁殖できる環境を作り出すことが重要なのですが、二枚貝は激減してしまっているのが現状です。さらに二枚貝に適した生息環境・餌などの知見は極めて不足しているため、二枚貝を増やすのも困難になっています。

 

今月の里川(2009年9月) Vol.2

元荒川(もとあらかわ)最上流部

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元荒川1

 

元荒川2

Cess水環境担当グループでは、昨年度から元荒川の最上流部(一級河川起点より300m上流)の水路で、エコテクノロジーによる水質浄化実験を行っています。

 

これまで、地元熊谷で製造されている廃材を原料とした高吸着能木炭を活用し、生活排水の浄化をしてきました。さらに8月からは、水路に浄化用水槽4基を設置し、ブロワーによるばっ気などを組み合わせた効率的な浄化を試みています。一回目の水質調査では、汚濁指標のBODが半減していました。今回の目玉は、ブロワーの電源として太陽光発電を使っていることです。水をきれいにするのには、エネルギーが必要です。そこで、環境への負荷が小さい木炭や太陽光の活用を進めています。

 

平成の名水"元荒川ムサシトミヨ生息地"を訪れた際には、是非、道路を挟んで並行して流れる最上流部も覗いてみてください。こちらも将来は、清らかな水が流れる小川にしたいものです。(Mt)

エコテクノロジー エコロジー(生態学)とテクノロジー(技術)を合わせた言葉で、"生態系の営みや自然のエネルギーを有効に活用した、持続可能で自然と人間との共生が図られる技術"と言われています。従来の工学技術と比べて安定性や効率の点で劣りますが、地球温暖化対策や生物多様性保全が求められている今日、最も技術開発が期待されている分野です。

今月の里川(2009年8月) Vol.1

薄川(すすきがわ)

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薄川

薄(すすき)川は荒川の支流で小鹿野町等を流れている清流です。小鹿野町の両神地区の水道水源となっています。

 

執筆者らは両神小学校で行われた環境学習に講師として参加し、子供たちと薄川の水生生物調査を行ってきました。ヘビトンボやサワガニなどが観察され、きれいな水(水質階級I)の指標生物が多く確認できました。薄川が生物豊かなきれいな川であることが再認識できました。調査で川に入り楽しそうな子供たちの姿が印象的でした。(KI)

水質階級 川などの水質を、そこにどんな水生生物が生息しているかで判断する方法があります。何種類かの水生生物が指標生物となっており、どの生物がよく観察されるかで、きれいな水(水質階級I)、少し汚い水(水質階級II)、汚い水(水質階級III)、大変きたない水(水質階級IV)の判断を行います。化学分析により水質の良否を検査することも重要ですが、長い期間の平均的な水質をみることができる長所がこの方法にはあります。

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お問い合わせ

環境部 環境科学国際センター 研究推進室 水環境担当

郵便番号347-0115 埼玉県加須市上種足914 埼玉県環境科学国際センター

電話:0480-73-8353

ファックス:0480-70-2031

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