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掲載日:2019年5月22日

川の伝説

綾瀬川にまつわる伝説「蛇橋」

大曽根村(今の八潮市大字大曽根)は、綾瀬川をさかいにして江戸の北にありました。綾瀬川の江戸のほうの土手は、将軍さまの御殿を守るため、とくにしっかり作ってあり、大雨のたびに大曽根の土手がきれ、毎年のように大曽根は大水にあいました。

ある年の大雨で綾瀬川が増水したとき大曽根村の名手の新八は村を救うため、シシのかっこうをして向こう岸へわたり、クワで土手を壊しはじめました。ところがもう少しというところで見回りの役人に見つかってしまい、新八は綾瀬川に投げ込まれてしまいました。新八の母は気が狂い、「親子ともどもヘビになって役人に恨みをはらすのだ。」と叫んで綾瀬川に身を投じたのでした。

ある日、大瀬安左衛門という役人が綾瀬川のこのあたりを船でさしかかったところ、突然2匹の大蛇が現れ、船がひっくりかえされてしまいました。助かったこの役人は、村の人から新八親子をあわれに思い供養するよう命じました。供養をすると大蛇は姿を見せなくなったということです。

そして、ここに橋がかけられ、村の人はこの橋を「蛇橋」と呼んだようです。

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古隅田川にまつわる伝説「梅若塚」

武蔵国太田庄と下総国新方庄を隔てていた古隅田川には、梅若塚などの伝説が残されている。

豊春村(現春日部市)役場蔵本『梅若塚略記』によると、

梅若は京都の公卿北白川の吉田惟房の子で、安和2年(969)7歳のときに学問修業のため比叡山月林寺に入寺した。ところが天延2年(974)12歳のとき、信夫藤太という奥州の商人に誘拐され、武蔵国と下総国の境を流れる隅田川のほとりまで連れ去られてきた。

しかし、梅若は長途の旅で疲れ果て、そのうえ病にかかって歩行できなくなった。そこで藤太は足手まといになった梅若を隅田川に投げ捨てて立ち去っていった。

水に流された梅若は溺れるところであったが、衣の袖が岸辺の柳にかかり、その枝につかまって岸にはいあがることが出来た。この柳の木を人呼んで「守掛の柳」と称した。

こうして岸辺にはいあがった梅若は、極度の衰弱でその場に倒れていたが、里人によって助けられ手厚い看病を受けた。しかし梅若はその看護の効なく、
尋ね来て 問いゝ答えよ都鳥
隅田河原の 露ときえぬと
との辞世を残し、その身分を明かして没した。哀れに思った里人は梅若をねんごろに葬ったが、この塚を梅若塚と称し、その供養を欠かさなかった。

翌年、梅若を尋ねてはるばる東路に下ってきた母の花御前は、ここで梅若の一周忌を供養していた里人にあってわが子の死を知った。花御前はこれを悲しみ薙髪して妙亀尼と称し、小堂を営んで梅若の菩提を弔った。

ある日妙亀尼は、近くの池のほとりで亡梅若を偲び、
くみしりて あわれとおもへ都鳥
子に捨てられし はゝの心を
と詠みあげたところ、池の表に怱然と梅若の姿が現れたので、妙亀尼は思わず梅若の姿を追って池に身を投じた。

里人は妙亀尼が身を投じたこの池を「妙亀池」とも「鏡の池」とも呼んで後世にこれを伝えたという。

(本間清利著「利根川」より)

梅若塚の碑 春日部市満蔵寺

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