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掲載日:2019年8月23日

地形と歴史

埼玉の河川の現状

地形と河川

埼玉県の地形

埼玉県地形略図

埼玉県の地形は八王子構造線によって「秩父山地」と「埼玉平野」に分けられます。

埼玉平野は八王子構造線沿いに9つの丘陵と、丘陵より一段低く10の台地群、平野中央に大宮台地、平野東部に千葉県から続く宝珠花台地と金杉台地、そして中川低地、加須低地、妻沼低地が広がっています

洪水予報とは、大雨により洪水が発生するおそれがある場合、河川管理者と気象庁長官が共同して「洪水注意報」や「洪水警報」等として発表するものです。

河川を指定した洪水予報は、平成12年の東海豪雨による水害を契機に、平成13年水防法改正により、それまで国土交通大臣と気象庁長官が共同して国管理河川を対象に実施してきましたが、都道府県知事も実施できるようになりました。

都道府県知事は、知事管理河川のうち、流域面積が大きく、洪水により相当な損害を生ずるおそれがある河川を、気象庁と協議の上、洪水予報を行う河川として指定します。

沖積低地と氾濫原

荒川低地や中川低地は、洪積世末(約2万年前)の頃、荒川や利根川、渡良瀬川や思川などの大河川が開析した谷に、沖積世(約1万年前)になって東京湾(奥東京湾)が進入し、そのときの堆積物とその後の東京湾後退とともに利根川や荒川が運んだ土砂で作られました。

このような低地は「沖積低地」と呼ばれ、河川の流送土砂が積もってできた自然堤防と、自然堤防周囲の後背湿地で構成される河川の氾濫原です。

河川改修の歴史

沖積低地、特に県東部の中川低地は、かつて、利根川や渡良瀬川、思川、荒川(現綾瀬川・元荒川)が乱流する広大な沼沢地でした。

鎌倉時代には、この一体の水を治めて水田に変えようとしましたが、大河川まではなかなか手がつけられなかったようです。

江戸時代の初期、これらの蛇行している大河川の河道をまっすぐにし、河幅を拡げ、堤防を築き、乱流地帯を美田に変え、舟運路網を確立するための一大土木事業が行われました。

60年の歳月をかけて利根川の水が銚子に導かれたのは、1654(承応3)年でした。
1629(寛永6)年には、荒川の水を和田吉野川に落とし、入間川筋を流下させ、さらに新田開発のための溜井の造成、用水の疎通がつづきました。

このようにして茫漠と葦原の広がる池沼地帯は黄金色に輝く穀倉地帯に生まれ変りました。

生まれ変わった穀倉地帯

1590(天正18)年

徳川家康、江戸へ入城。城及び城下町建設と平行して、関東一円の大土木事業を伊奈備前守忠次に命じる。

1594(文禄3)年

忍城主松平忠吉家臣小笠原三郎左衛門による会の川を締め切り、浅間川筋が利根川本流になる。
(利根川東遷事業始まる)

1621(元和7)年

伊奈忠次次男半十郎忠治、利根川を常陸川筋に分流するため新川通及び赤堀川の開削に着手。
1654年通水し、利根川筋が生まれる。(利根川東遷事業完了)

1629(寛永6)年

忠治、荒川の水を和田吉野川から入間川筋に付け替える。

1727(享保12)年

井沢弥惣兵為永、見沼溜井の干拓と利根川から導水する代用水路を開削。

1742(寛保2)年

利根川・荒川水系、江戸時代最大級といわれる大洪水。利根川・荒川の各所で破堤。

1846(弘化3)年

利根川水系、江戸時代後期の大洪水。

1859(安政6)年

荒川水系、1742年に次ぐ大洪水。各所で破堤。

1910(明治43)年

江戸川・荒川水系、明治時代最大の大洪水。

1911(明治44)年

荒川(隅田川)の北側に放水路(現荒川)の開削着手。1930年完成。

明治43年の大洪水

埼玉県明示43年浸水図

明治43年の埼玉県浸水図(埼玉県立文書館蔵)

1910(明治43)年、埼玉県の全面積の24%が浸水し、東京下町が破滅的な被害を受ける大水害を経験しました。

自然は沖積低地(上、埼玉地形略図)が河川の氾濫源であることを見せつけました。

カスリーン台風

利根川決壊現場付近の土手

1947年(昭和22年)9月21日
利根川決壊現場付近の土手で(埼玉新聞)

1947年(昭和22)年9月13日から15日夜半にかけて、関東地方を「カスリーン台風」による豪雨が襲いました。秩父で総雨量661mm、利根川でも全川にわたり堤防の計画水位を越えました。利根川、荒川の随所で破堤・氾濫し、その規模は明治43年8月洪水以来のものとなりました。特に栗橋では、16日0時20分、最高水位9.17mに達し、ほぼこの時刻、北埼玉郡東村(大利根町)地先の右岸堤防340mが決壊しました。濁流は埼玉県東部の町を次々と巻き込み、19日2時20分、ついに東京都との境にあった大場川の桜堤を破り、東京都に及びました。

低地の都市化

低地の安全性を高め、氾濫原にも都市の建設が可能となり、高度経済成長期には、都心に近い県南部から都市化の波が押し寄せ、田んぼや畑、雑木林は次々と工場や宅地に代わり、人口もますます増えて、埼玉県の社会・経済は飛躍的に発展しました。

治水事業が、急速な都市化と高度経済成長を支えてきたのです。

昭和30年の草加市

平成7年の草加市

次々と水田地帯が宅地に変わった平成7年の草加市

(埼玉県文書館所蔵航空写真)

流域関連市町村人口推移

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お問い合わせ

県土整備部 河川砂防課  

郵便番号330-9301 埼玉県さいたま市浦和区高砂三丁目15番1号 第2庁舎3階

ファックス:048-830-4865

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