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掲載日:2023年4月17日
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偉人氏名 |
大久保 喜一 |
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氏名よみがな |
おおくぼ きいち |
偉人氏名(別名) |
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別名よみがな |
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主な功績 |
埼玉県初の洋画団体である「坂東洋画会」(現、朱麦会)を結成した。 |
分野 |
芸術 |
ゆかりの市町村名 |
熊谷市 |
出生地 |
児玉町 |
主な居住地 |
熊谷市 |
生年(西暦)から 没年(西暦) |
1885から1948 |
生年(和暦)から 没年(和暦) |
明治18年から昭和23年 |
功績 |
児玉郡金屋村(現本庄市)の中林喜三郎の五男として生まれた。14歳の時に小鹿野町の大久保家の養子となり、明治39年、東京美術学校(現・東京藝大)西洋画科本科に入学、黒田清輝らの指導を受けた。そして明治44年の卒業制作では「乞食」(熊谷市指定文化財)が卒業制作中の第一席を受賞。卒業後の大正4年、福島県の私立石川中学校に図画教師として奉職、翌年の第10回文展(現・日展)に「山里」が初入選し、中央画壇でも活躍を始める。大正7年に熊谷中学校(現・熊谷高校)へ転任すると、翌年には県下初の洋画団体「坂東洋画会」(現・朱麦会)を結成し、中心となって指導にあたるなど、芸術文化の普及活動にも力を注ぎいだ。その後も帝展(現・日展)に「実験室」(熊谷市指定文化財)「小春日和り」(熊谷市指定文化財)「机上フラスコ」などが入選、白日会会員・鑑審査委員・理事として会の中枢に位置して作品を出品するなど、精力的に活動した。昭和23年に63歳で亡くなったが、自身の作品の実績と後進への教育普及活動の貢献などから、昭和27年には熊谷市文化功労者として表彰された。 |
関連ホームページ |
熊谷デジタルミュージアム 「大久保喜一」 http://www.kumagaya-bunkazai.jp/museum/ijin/ookubokiiti.htm |
著書・作品(出版社・収蔵館) |
『大久保喜一画集』 大久保喜一画集刊行会 |
参考文献(著者・出版社) |
『大久保喜一画集』 大久保喜一画集刊行会 |
ゆかりの場所・名称 |
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ゆかりの場所・住所 |
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ゆかりの場所・説明 |
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ゆかりの場所ホームページ |
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